2017 Volume 60 Issue 5 Pages 359-364
2017年3月下旬,5日にわたりドイツのハノーバーで国際情報通信技術見本市(CeBIT:セビット)が開催された。CeBITは,IoT,ビッグデータ,AI,ロボット等の先端技術を活用したBtoBソリューションの世界最大級の展示会である。ドイツが推進するIndustrie 4.0のIT関連分野における最先端のテーマで,カンファレンスや各企業の展示がなされた(図1)。
出展分野は,IoT,ビッグデータ,電子部品・デバイス,ビジネスソリューション,ERP(Enterprise Resource Planning:企業資源計画),コマースソリューション,ビジネスセキュリティー,コミュニケーション&ネットワーク等である。
CeBITには毎年1か国をパートナーカントリーとする制度があり,2016年5月の日独首脳会談においてドイツのメルケル首相が安倍晋三首相に参加を要請,日本政府が主催団体のドイツメッセとパートナーカントリー契約を締結した。ちなみに,過去のパートナーカントリーは,ポーランド(2013年),英国(2014年),中国(2015年),スイス(2016年)である。2017年のパートナーカントリーである日本は,CeBIT史上最大の展示面積である7,200m2の「ジャパン・パビリオン」(図2)を形成したことも話題を呼んだ。「Create a New World with Japan:Society5.0, Another Perspective」というコンセプトで,日本から118社・団体が出展した。
また,第四次産業革命に関する日独協力の枠組みを定めた「ハノーバー宣言」注1)を両国閣僚が署名したことは世界的に大きなアピールとなった。
CeBITでは,一般展示の他に数々のグローバルカンファレンスが開催された(有料)。グローバルカンファレンスは,毎日テーマが変わり,中でも注目を集めたのは,セキュリティーとブロックチェーンであった。ブロックチェーンとは,分散型台帳技術と呼ばれ,データの改ざん耐性が非常に高い新しいネットワーク技術である。ブロックチェーンについては,「情報管理」2017年6月号注2)に掲載されているので参照いただきたい。
2.1 オープニングカンファレンスオープニングカンファレンスでは,金融・IT両業界からのトップマネジメントが登壇し,デジタル化における最先端トレンドを紹介するとともにセキュリティー対策の遅れなどについて警鐘を鳴らした(図3)。
このような意見交換がなされ,両者ともデータ活用ビジネスの流れは止めることができず,同時にセキュリティー対策について早く議論しないと手遅れになるという警鐘を鳴らしていた。
また,EUにおけるデジタル化については,以下のような意見交換がなされた(図4)。
Edward Snowden氏(図5)がロシアから衛星中継で登場した。NSA(National Security Agency:米国家安全保障局)が情報を搾取しているという話題などSnowden氏が従来指摘している内容の発言であり,目新しさはなかったが,氏が登場するという企画自体にインパクトがあった。
展示ブースで目立ったトピックスを以下に紹介する。
(1) SAP社デジタルツインSAP社注3)が掲げている「デジタルツイン」注4)のデモが注目された。タブレット上でアディダス社のシューズを個人好みにカスタマイズできる(図6)。
そのデータは工場にも伝送され,出来上がりまであと何分という表示も出る。また,タブレットでは,「店舗用」「顧客用」「トレーナー用」「工場用」などのメニューもあり,それぞれの立場に応じた画面設定になっている。
MR(Mixed Reality:複合現実)とは,仮想空間と現実を混合させたもので,ヘッドマウントディスプレー(HMD)等を利用して実際の空間に3Dデータ等を重ね合わせたかのように見せるものである。さまざまな企業がMRを活用した展示を行っていた。たとえば,フォルクスワーゲン社では,ポルシェのフロントスペースのメンテナンス習得にMRを活用する提案をしており,ヘッドマウントディスプレーやタブレット上でMRを体験できる(図7)。
MRの活用についてのメリットを,展示者の1人であるGerman Research Center for Artificial Intelligence(DFKI:ドイツ人工知能研究センター)の担当者に聞くと,(1)遠隔操作,(2)教育(ノウハウ共有化)という主に2つの分野で活用を想定しているとのことであった。
ヘッドマウントディスプレーを装着すると,眼前にカラフルな矢印と産業機械(映像)が現れる。実際の産業機械は遠方にあり,矢印を指でつまむと,遠方にある産業機械が矢印の方向に動くというものである(図8)。用途としては,危険な作業現場等,遠隔操作でないとできない作業における有効活用が考えられている。
ドイツ語の機器操作マニュアルを読まなくても視覚的に操作に習熟できる利点から,ドイツ語が話せない移民などを対象とした教育ツールとして検討されている。
ドイツ連邦経済・エネルギー省(BMWi) Industrie 4.0 担当 Friedrich Gröteke氏(図9)に話をうかがった。
CeBITにおいては,ブロックチェーンが一つの大きなテーマになるなど,プライバシーやセキュリティーに関する話題が多かった。この背景には,かつてドイツが東西に分断され,旧東ドイツが旧ソ連によって支配された共産主義の地域であったため,プライバシー等について非常にセンシティブな国民性が影響していると考えられる。この点に関しては,現在EUが策定しているプライバシーやセキュリティーに関するルールについても手ぬるいのではないかと指摘があった。特に中小企業がプライバシーやセキュリティーを軽視して,安易にデジタル化することについて危惧を抱いていた。ただし中小企業にとって,人材・知識・資金不足から,デジタル化はこれからの課題であり,ドイツ連邦政府は「SePiA.Pro」という中小企業のためのデジタル化支援プロジェクトを立ち上げ,セキュリティー対策やビッグデータ分析などについて支援しているそうだ。
(2) データ取引についてドイツ連邦経済・エネルギー省は,ビッグデータを分析して付加価値のあるデータを作ることを掲げている。しかし米国と比較すると,まだ国としてITに関する経験が足りておらず,現在も,消費者の情報を扱うビッグデータに関するプライバシーやセキュリティーの課題,データの利用権に関する問題についてさまざまな議論を実施しているとのことだった。
(3) 中小企業政策について筆者がCeBIT会場で,ドイツの中小企業支援策であるMittelstand digital注5)について中小企業にヒアリングしたところ,多くの中小企業が「実際に何をしていいかわからない」と答えた。このことを指摘すると,現在,下記2つの取り組みを行っているが時間がかかることも事実であり,じっくりと取り組んでいきたいと語った。
・テストセンターの整備。中小企業の技術実証を支援することで投資コストを下げ,標準化への取り組みも支援している。最新技術の教育だけでなく,必要最低限の基礎スキルも教えている。
Gröteke氏は,日本のShop floor(工場)は非常に優秀であり,特に生産効率という面では世界トップレベルとの認識を示してくれた。ドイツ工学アカデミー(accatech)が2016年に発表した「Industrie 4.0 im globalen Kontext」注6)の中で,ドイツ,中国,日本,韓国,米国,英国についての各国の取り組み状況をまとめているが,その中で,「Industrie 4.0において最も重要なことは?」という有識者アンケートで,米国と日本は「新しいビジネスモデル」と答えているのに対し,ドイツは「生産の最適化」と答えている(図10)。この点に関し,ドイツも米国や日本のように「新しいビジネスモデル」という回答を期待していたという。
ドイツは早くからIndustrie 4.0に取り組んでいるため,すでに「新しいビジネスモデル」の構築は終了し,次の段階として「生産の最適化」を選んでいるのではないか,また当該分野でドイツは進んでいるという意見は日本でも多いという点を筆者から指摘したところ,取り組み自体は早かったが,ドイツでも2年くらい前までは,新聞紙上で「何も成果が出ていないではないか」という厳しい論調が多かったそうだ。
Industrie 4.0進展の契機として,2016年のハノーバーメッセを挙げ,当該メッセのパートナーカントリー・米国のオバマ前大統領が視察に訪れることになったため,ドイツの産業界の中では,米国のIT企業に大きく後れを取っているドイツの姿は見せられないという声が多く,政治家や企業が一丸となり,急速に取り組みを進めたとのことだった。
ドイツのIndustrie 4.0進展の背景には,米国に対するドイツの健全な危機意識が高いとの印象を受けた。
ドイツのIndustrie 4.0と米国のシリコンバレーの相違点として,米国企業はマーケティング(市場調査,広告,プレゼンテーション)が非常にうまく,どうやってコンセプトをアピールするかという説明能力がとてもたけているとの指摘があった。
技術自体はドイツも負けていないが,グローバルな製品の浸透力では米国企業には負けており,この背景には,米国には失敗を許すカルチャーがあること,ドイツでは株主ではなく銀行の力が強いことや規制が厳しいことなどを挙げた。
なお,ドイツでも規制緩和を実施しているものの,1970年代にSAP社が誕生して以来,同社のような大企業に育った企業がない点に危機感を抱いていた。一方で,ベルリンが世界でもスタートアップに適している街として認知されてきた点には期待しているとのコメントがあった。
ベルリンを実際に訪れ,色濃く残る旧東ドイツの文化を感じ,加えて,ドイツ連邦経済・エネルギー省を訪問しドイツ国民がもつ歴史的な深い感情の一端に触れ,ドイツが推進するIndustrie 4.0の方向性の一部がみえた気がしている。これは2017年1月に米国で開催されたCES(Consumer Electronics Show,コンピューター・エレクトロニクス分野最大級の見本市)ではまったく感じられなかったものである。
グローバルカンファレンスのテーマにセキュリティーやブロックチェーンが掲げられたことは,今回のCeBITの特徴といえるのではないだろうか。Snowden氏が衛星中継で登場するという演出にも,プライバシーやセキュリティーという問題にセンシティブになっているドイツの感情が表れていたと思う。
ドイツは米国IT企業が推進するクラウド化とは違う方向性を目指すはずである。今後,ビッグデータ取引を推進しようとすると,必ず情報の匿名化やセキュリティーという問題が出てくる。ドイツは積極的にブロックチェーン技術等を活用し,非中央集権型社会を構築していくであろう。米国や中国は,プライバシーやセキュリティーについては多少の犠牲を払ってでも利便性を求めている。日本はどちらの方向を目指すべきか,あるいは混合型を目指すのか,これから真剣な議論が必要であろう。
Friedrich Gröteke氏との面談は,在日ドイツ商工会議所シニアコンサルタントの長谷川平和氏がドイツ連邦経済・エネルギー省に積極的に働きかけてくれたおかげで実現した。長谷川氏には,この場を借りてお礼を申し上げたい。
(日本政策投資銀行 青木崇)