2017 Volume 60 Issue 9 Pages 662-665
1993年,米国の通信主管庁である国立電気通信・情報局(米国)(National Telecommunications and Information Administration: NTIA)は「全米情報インフラストラクチャー」(National Information Infrastructure: NII)という政治的スローガンを掲げ,ここで ‘Have Not’ (情報にアクセスできない)の階層を消滅させるという目標を示した1)。
注意すべきは,この報告が「ユニバーサルサービス」という言葉を頻用していたことにある。この言葉は,そもそもAT&T(American Telephone and Telegraph)が市場をほぼ独占した1907年に,AT&Tの社長が米国の司法省と折り合いをつけるために考案したモットーであった2)。それは「だれにも,どこでも,ひとしく,無差別に」というサービスを指す。ここにインフラストラクチャーの基本的な条件がある,といってよいだろう。
じつは,「ユニバーサルサービス」という言葉は「1つのポリシー,1つのシステム,ユニバーサルサービス」と組み合わされて使われていた。「1つのポリシー」とはそのサービスが市場において独占的な地位を示すことを,「1つのシステム」とは,それが集中システムであり,音声通話という単一のサービスであることを指していた。
この「1つのポリシー」が1984年に消えた。AT&Tの分割があり,通信市場に多数,多様な事業者が参入したからである。また「1つのシステム」も崩れた。NTIAの示すNIIは基幹的な通信回線の高速化――光ファイバー化――を図り,同時に端末側に多様なアプリケーションを実装することを約束していた。結果としてNIIは多くの事業者と個人とが参加できる分散システムになるはずであった。
分散環境のもとでは多様な‘Have Not’も生まれることが予想された。これに対応するには電話サービスの理念のままではダメ,「新しいユニバーサルサービス」が必要――これがNTIAの投げた檄(げき)であった。
すでに1992年,国立科学財団(米国)(National Science Foundation: NSF)はインターネットについて「使用許容規定」(Acceptable Use Policy: AUP)という方針を明らかにしていた3)。このときまで,インターネットはまだ閉ざされた通信システムであった。AUPはその公開利用の基準を示したことになる。
この時代のインターネットは研究者用であり,したがって通信事業者のネットワークではなかった。そこには「しつけのよいアナーキズム」がある,ともいわれていた。しかも,それは分散システムであった。だから,ユニバーサルサービスのように中心に管理責任者がおり,その責任者がネットワーク全域にわたるサービス品質を保証するということはなかった4)。そのアナーキズムがAUPによってユニバーサルサービスの世界に侵入してきた。
1995年,インターネットの商用化が実現し,このあと,インターネットのユーザーは創造的破壊の限りをつくす5)。
ということで,ネットワークの全域にわたり「ベスト・エフォート」の理念が浸透してしまった6)。「ベスト・エフォート」とは,通信システムのサービス品質の維持について,事業者は最大限の努力を払えばそれでよい,という契約方式を指す。ここでは,もう,ユニバーサルサービスは期待できない。「だれにも,どこでも,ひとしく,無差別に」という理念は消えた。
インターネットの商用化のあと,合衆国政府はその方針を変える。1996年,連邦通信委員会(Federal Communications Commission: FCC)は「デジタル・トルネード:インターネットと通信政策」という文書を発表した7)。「デジタル・トルネード」とは,インターネットの世界を指す。この文書は,あらゆる行為が渦を生じ,その渦がさらなる渦を生む,と指摘していた。
政府はなにをすべきか。第1に安定より拡大を,第2に渦のなかを泳げ,第3に個々の事業者支援より雰囲気作りが先,と。ここにはひとかけらの「ユニバーサルサービス」も残ってはいない。‘Have Not’は無視された。
1998年,NTIAは『ネットのなかを墜ちる:デジタル・デバイドを定義する』という報告書を発表した8)。こちらはまだ‘Have Not’にこだわっていた。
NIIへのアクセスは,合衆国においては経済上の位置と人権とを支える主な手段となりつつある。ジョブ探し,仲間との交流,学習,商品の調査,行政情報へのアクセスなど。くわえて,警察,消防,病院,銀行などの基幹システムも載せている。
だが‘Have Not’は,たとえば少数民族,低所得者層,低学歴層,一人親家庭などのなかに,しかも大都市圏のなかに,少なからず存在する。そのような人びとは「ネットのなかを墜ちる」だろう。結果として「デジタル・デバイド」が生じる。「デジタル・デバイド」とは,‘Have’(新しい情報通信技術にアクセスできる人びと)と‘Have Not’(そうではない人びと)とのあいだに生じる分裂を指した。
デジタル・デバイドの研究者としてスザン・クロウフォードがいる。彼女はカードーゾ・ロースクールの教授であったが,単なる研究者ではなく,バラク・オバマの特別補佐官やICANN(Internet Corporation for Assigned Names and Numbers)の理事を務めた実務家でもあった。
クロウフォードはいう。衆人のみるところ,ニューヨーク州においては,高速通信用回線の管路の更新された形跡はなく,実際に管路をのぞいてみると,そこに引かれた回線は新旧さまざまであった。
クロウフォードは,富裕層は高速,低コストのサービスを受け,低所得層は低速,高コストのサービスを押し付けられている,と推定した。彼女は,このような形で「デジタル・デバイド」を生む事業者側の環境を「ネットワークの中立性」を欠くと表現した。
「ネットワークの中立性」は「ユニバーサルサービス」のなかにある「だれにも,どこでも,ひとしく,無差別に」という公平原則の現代化を図る理念ともみえる9)。ついでにいえば,‘Have Not’や「デジタル・デバイド」という表現はジャーナリストには受けただろうが,学術用語としてはなじまない。
クロウフォードは自説――ニューヨーク州内にデジタル・デバイドが残っている――を確認するために,高速通信回線用管路についての情報公開を,手っ取り早くいえば管路用マンホールの地図の情報公開を,ニューヨーク州情報技術通信局(Department of Information Technology & Telecommunications: DoITT)に求めた。DoITTはそれを拒んだ。
ニューヨーク州の高速通信インフラストラクチャーについては,DoITTが管理し,管路――マンホールを含む――の保守はECS(Empire City Subway)が独占的に担当し,そのテナントとして回線を敷設するAT&T,タイム・ワーナーなどのプロバイダーがある,という構造になっていた。なお,州内の管路は計5,800万ft,マンホールは1万1,000個,事業者は少なくとも15社であった。
2012年,クロウフォードはDoITTを相手に州の情報公開法の解釈をめぐり,訴訟を起こした10)。論点は情報公開の例外規定に集中した。DoITTは,クロウフォードの請求する情報は例外規定によって公開を拒否できると主張した。
ニューヨーク州最高裁はこの訴えに関し2度にわたり判断を示した。その経緯をたどることは本文の趣旨から外れるので,また筆者の手にあまるので,ここでは2回目の訴訟について,その一部を紹介するにとどめる11)。
州法は情報公開の例外を認める条件を示していた。それによれば,当の請求が「プライバシー」「営業秘密」「生命の危険と人の安全」「情報システムとインフラストラクチャーのセキュリティー」などにかかわる場合には,州政府はその公開を拒むことができた。
まず,「セキュリティーに関する例外」が議論された。DoITTは,管路用マンホールの地図をテロリストは悪用できるはずだ,などと公開のリスクを訴えた。法廷は,管路は想定されるリスクについて十分な冗長性をもっており,したがって例外にはならない,と示した。
つぎに「営業秘密に関する例外」が議論された。DoITTは,管路とマンホールに関する情報は営業秘密であり,したがって情報公開の例外になりうる,と主張した。だが法廷は示した。関係者はマンホールのなかをのぞき,そこにだれのケーブルがあるかを確認できるので,そのような情報を営業秘密とは呼べない,したがって例外にはならない,と指摘した。くわえてECSは市場を独占している,とも。
2017年3月,ニューヨーク州最高裁はその判断を示した。DoITTはクロウフォードの求める情報を公開せよ,と。ただし,その情報はセキュリティー確保のために表形式に編集し,さらにその情報公開は低品質のサービスであると訴えられた地域に限ってもよく,高リスクありと想定される地域については除いてもよい,と付け加えた。
この訴訟の争点は,せんじ詰めれば,マンホール情報は「表現の自由」の対象になりうるのか,にあった。この視点でクロウフォード訴訟の先を読んでみよう。
現在,通信インフラストラクチャーの姿形はNTIAの思惑を超え,高速通信回線のみではなく,スマートフォンとクラウドを利用する巨大な複合システムへと,大きく変化した。その所有と管理も公機関によってではなく,分散するあれこれの民間事業者によってなされている。したがって,それに関する情報公開を公機関に求めるのは筋違いになる。
とすれば,通信インフラストラクチャーに関する‘Have Not’情報も,同時に民間事業者のなかに埋め込まれ不可視化されてしまう。結果として,公機関は情報公開という厄介な手続きから解放されることになる。公機関は,むしろ事業者に対する規制つまり業法を使って,情報の流通を抑制することができるかもしれない12),13)。ただし,これは別の話になる。
‘Have Not’という言葉が発表されてからすでに20年以上。このあいだに,ネットワークのなかには「しつけのよいアナーキズム」にくわえて「しつけの悪いアナーキズム」が拡散してしまい,「ベスト・エフォート」の品質がデファクトになってしまった。ユーザー側の‘Have Not’は当然視され,サプライヤー側の‘Have Not’は「ネットワークの中立性」として不可視化された。