2025 Volume 84 Issue 1 Pages 1-9
Selye H. (1936) called the body’s non-specific systemic responses to protracted stressors, “general adaptation syndrome”, and argued that in patients with this condition, the hypothalamic-pituitary-adrenocortical system is impaired and excessive cortisol secretion causes structural damage to various organ tissues. Since humans are social creatures, many of the diseases that humans suffer from can be influenced by psychological factors. In the first half of this paper, two common stress-related disorders: adjustment disorder (manifesting as psychological aspects) and psychosomatic disorders (manifesting as physical symptoms) will be outlined. In the second half, we provide an overview of neurodevelopmental disorders which are often associated with co-morbid mental and physical issues including dizziness (such patient may see an otolaryngologist instead of a psychiatrist) when he or she is exposed to workplace stress. For managing such cases, collaboration between psychiatrists and occupational physicians appears to be essential.
セリエ(Selye, H. 1936)は遷延化したストレス因に対する身体の非特異的な全身反応の総体を汎適応症候群と呼び,視床下部-下垂体-副腎皮質系が障害され,コルチゾールが過剰に分泌されることで諸々の臓器組織に構造的障害を与えるとした(ストレス学説)1)。人間が社会的な生き物である以上,ヒトが罹患する病いの多くは心理的要素によって影響されうる。本稿の前半ではまず,ストレス関連障害の代表格として,適応障害(精神症状が主体)と心身症(身体症状が主体)について概説する。そして後半は,やや趣向を凝らし,職場のストレス等にさらされ,めまいをはじめとする心身の不調を訴えることの多い(そうすると精神科でなく耳鼻科を受診する人も出てくる)発達障害について,実際の診療の様子などを交えながら概説し,精神科や産業医と連携する際のヒントにして頂ければと思う。
適応障害は生活上の重大な変化やストレスフルな状況に引き続いて生じる苦悩状態であり,情緒面と行動面に多彩な症状が出現して,その人の社会的機能や行為を妨げる障害である。ストレス因がなければこの障害は発生しない。ふつうはストレス因の始まりから1か月以内に起こり,ストレス因が消失すれば比較的速やかに症状が消失する。その意味でこの疾患単位はヤスパース(Jaspers, K. 1913)の心因反応の概念を受け継いでいる2)。また心的外傷後ストレス障害(post-traumatic stress disorder: PTSD)に比べて,個体側の要因,つまり個々のもつ素質や脆弱性の関与がより強調される。ストレス因としてはPTSDにおけるような圧倒的な出来事ではなく,地位の変化,喪失体験,身体疾患罹患など,より身近な出来事が想定されている3)。
初期対応では必要に応じ自殺防止策を講じ,重大な決定はひとまず先送りさせるなど危機的状況を回避しつつ,本人が安心して相談できるような医師-患者関係の構築に努める。
2. 症状と診断症状は主観的な苦悩と情緒障害で,抑うつ気分,不安などを含む多彩な症状が認められる(表1)。症候論的には特異的な症状は存在しない。いずれの症状もそれ自体では,気分障害や特定の不安障害などの診断基準を満たさない。症状全体をみて鑑別診断をつけていく(図1)4)。青年期においては攻撃性,反社会的行動などの行為面の症状が現れることもある。なお,死別に際する相応の悲哀反応は適応障害に含めない。
不安感,抑うつ気分 |
焦り,緊張感,イライラ,怒り |
物事の計画を立てられない,継続できない |
暴飲,暴食,無謀な運転 |
動悸,発汗,めまい |
重大な生活の変化あるいは生活上の危機が明確に認められ,それと密接な時間的関連をもって発症していることが診断上重要となる。発症以前から症状が存在したり,対処行動に問題が持続していた場合はこの障害とは診断できない。
現実には気分障害や特定の不安障害とのオーバーラップや正常範囲の心理反応との区別が曖昧となってくる場合がある。したがって診断にあたっては症状の内容と重症度,およびその発症様式,さらに性格や生活史といった個体側の要因などを慎重に評価しなければならない。表2にDSM-5の診断基準を示す5)。
A. | 識別可能なストレス因子が原因の情緒的,行動的な症状が,一連のストレス因子が始まってから3か月以内に起こる。 |
B. | その症状や行動は,下記の1つまたは両方によって証明されることが,臨床的に明らかである。 |
症状の重大性と存在に影響を及ぼす外的要因や文化的背景を考慮したとしても,ストレス因子の強さや酷さとは釣り合わない,著しい苦痛がある。 | |
社会的,職業的,あるいは他の重要な領域での機能的な,著しい障害がある。 | |
C. | そのストレス関連の症状は,他の精神疾患の基準を満たさないし,既存の精神疾患の増悪でもない。 |
D. | その症状は通常の死別による悲しみの表現ではない。 |
E. | 一度そのストレス因子やその結果がなくなれば,その症状は更に6か月以上続くことはない。 |
精神療法にあたっては,支持的精神療法を基本としつつ,この障害に個人的素質や脆弱性も大きな役割を演じることから,時期や本人の受入れ可能なレベルを見極めたうえで,本人の適切な対処行動を助長しストレス耐性を強化するような方向性も検討されるべきであろう。一方,重症疾患への罹患や肢体不自由という事態に遭遇して適応障害に陥った場合は,同じ疾患を持つ者との交流が回復を促進することがある。
4. 薬物療法適切な対症的薬物療法も有益である。抑うつ気分や不安,不眠などの存在は,本人の潜在的な適応能力を障害し悪循環的に症状を持続させる。症状やその程度に応じて,選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)などの抗うつ薬,抗不安薬や睡眠導入剤を用い悪循環からの脱却を促進する。
5. 社会復帰対策・地域支援体制可能な限りストレス因やそれを持続させている要因を軽減し,また一方では家族や周囲からのサポートが最大限に得られるよう工夫する。仕事がストレス因となる場合は,職場の上司や産業医と連携をとることも有益なことが多い6)。この場合は事前に本人の同意を得るなどプライバシーにも配慮する7)。適応障害の予後は,適切な治療が行われれば一般に良好である。
心身症とは「身体疾患のなかで,その発症過程に心理社会的因子が密接に関与し,器質的ないし機能的障害が認められる病態をいう。ただし神経症やうつ病など他の精神障害に伴う身体疾患は除外する」(日本心身医学会,1991)と定義される8)。すなわち心身症は独立した疾患単位ではなく病態名である。表3に代表疾患を挙げるが,このうち精神的要因が原因的役割を果たすものだけを心身症とする。よって病名を記載するのあたっては例えば「気管支喘息(心身症)」とすると分かりやすい9)。
1.消化器系 | 消化性潰瘍,慢性胃炎,潰瘍性大腸炎,過敏性腸症候群 |
2.内分泌・代謝系 | 甲状腺機能亢進症,糖尿病,肥満症,月経前症候群,摂食障害 |
3.呼吸器・アレルギー系 | 気管支喘息,過換気症候群,神経性咳嗽 |
4.神経・筋肉系 | 片頭痛,緊張型頭痛,リウマチ性関節炎,痙性斜頸,書痙 |
5.循環器系 | 本態性高血圧症,起立性低血圧,冠動脈疾患 |
6.皮膚系 | アトピー性皮膚炎,慢性蕁麻疹,円形脱毛症 |
7.その他 | 慢性疼痛,ポリサージェリー(頻回手術) |
心身症の病状形成のメカニズムとしては,何らかの出来事の結果として生じた心理的因子(ストレス)が自律神経系や内分泌系,免疫系などの恒常性(ホメオスタシス)に変化をもたらし,各支配下の諸器官の器質的あるいは機能的障害(身体症状)が生じたものと考えられる。本来はストレス因にたいする生理的な適応反応であるが,このメカニズムには個人差が大きく,素因や脆弱性という要因も関与するものと思われる。このように,心身症の成因に関しては生物学的要因のみならず心理的,社会的,遺伝的要因など,多次元的観点から考察する必要がある10)。
2. 症状経過と診断心身症の診断には,上記の定義に基づき,まず身体の器質的ないし機能的障害を確認する。次にその発生にも心理的要因が主要な役割を果たしていることを確かめる。このためには身体の診察および精査を行うことが第一であるが,同時に十分な時間をかけて面接し,本人の生活史,性格や対処行動の傾向,発症前後の状況や経過などを詳しく調べる必要がある。さらに必要に応じて各種の心理検査も行い,精神医学的現症を多元的に十分に把握する。
なお,うつ病・不安障害の簡便なスクリーニングとしてはKesslerら(2002)11)が大規模な疫学研究と項目反応理論にもとづいて開発したKessler 6 scale(K6)およびKessler 10 scale(K10)がある(表4)。簡単ながら高い検出力をもった妥当性の高い精神疾患のスクリーニング検査である。K6(30点満点)で15点以上,K10(50点満点)で25点以上の人は,50%以上の確率で気分障害,不安障害であると考えられる(ただし,実際の診断は,精神科や心療内科など専門医による診察が必要)。
過去30日の間にどれくらいの頻度で次のことがありましたか。 〈全くない:1点,少しだけ:2点,ときどき:3点,たいてい:4点,いつも:5点〉 |
K6の項目 |
神経過敏に感じましたか。 |
絶望的だと感じましたか。 |
そわそわ,落ち着かなく感じましたか。 |
気分が沈み込んで,何が起こっても気が晴れないように感じましたか。 |
何をするのも骨折りだと感じましたか。 |
自分は価値のない人間だと感じましたか。 |
ここまでの合計得点= /30点 |
K10の項目(K6に追加4項目) |
どうしても落ち着けないくらいに,神経過敏に感じましたか。 |
理由もなく疲れ切ったように感じましたか。 |
じっと座っていられないほど,落ち着かなく感じましたか。 |
ゆううつに感じましたか。 |
10項目の合計得点= /50点 |
*K6で15点以上,K10で25点以上の人は,50%以上の確率で気分障害,不安障害であると考えられる。 |
心身症の鑑別診断としては,神経症は不安や種々の行動の問題など,精神症状が主な症状であることで区別する。幻覚や妄想などの精神病症状を認める場合は心身症とは診断せず,その状態像を正確に記述しておくにとどめる。身体的精査の結果,癌や感染症が発見された場合には,身体症状が精神的要因で影響を受けたとしても狭義の心身症とはしない。
心身症と性格との関連についてアレキサンダー(Alexander, F. 1939)は依存性の葛藤と消化性潰瘍,母親からの分離不安と喘息の関係を述べた12)。この他,失感情症(アレキシサイミア)(Sifneos, S. 1967),タイプA行動パターン(Friedman, M. 1974)などの概念も提唱されている。失感情症は自分の感情に気づくことやそれを言語的に表現する機能が欠如しているという概念で,心身症者の特徴を指摘したものである。つまり,自分の感情を感じ取ったり,それを言葉で表現することに制約があり,情動がもっぱら行動や身体症状で現れるという。これは辺縁系で発生した情動が大脳皮質では情動として認知されにくいといった精神生理学的な説明がなされており,心身症の治療に自律訓練法,行動療法など非言語的療法が有効である根拠の一つとされる。一方,タイプA行動パターンはいつも時間に追いかけられ,歩行や食事も早く,強い競争心や向上心,せっかちで結論を急ぐなどという特性を指す。このタイプA行動パターンの人は狭心症や心筋梗塞などになりやすいとされる。
3. 心理社会的治療アプローチ心身症の治療には精神面,身体面両方に対する治療が重要である。精神面の治療は精神療法を中心とし,向精神薬は補助的に使用される。支持的,洞察的,精神分析的など種々の程度の精神療法を行うほか,必要に応じて特殊療法として自律訓練法,行動療法,森田療法,作業療法などが行われる13)。本人の適切な対処行動やストレス耐性を強化することも再発を予防するうえで重要である。
4. 薬物療法向精神薬としては主に抗不安薬が補助的に使用される。
5. 社会復帰対策・地域支援体制精神療法や環境調整,生活指導などがうまく運べば,心身症の予後は比較的良好とされる。しかし人格の偏りが強い例や,生活環境の調整が困難な場合では,難治な症例もある。
ここまで適応障害や心身症について概説してきたが,後半は実際の診察場面を再現する形で,発達障害にも触れたい。発達障害では感覚過敏(大きな音など特定の刺激が苦手)などがみられ,めまいをはじめとする耳鼻科的症状にも関連がある。身体症状を伴ううつ状態をみたとき,それは内因性うつ病(仮説としてセロトニンやノルアドレナリンなどの神経伝達物質の機能異常が想定されているが,未だ未解明)とは限らない。たとえば注意欠如・多動症(Attention-deficit/hyperactivity disorder: ADHD)や自閉スペクトラム症(Autism spectrum disorder: ASD)などで,対人関係をこじらせてうつ状態になり,症状として耳鳴りやめまいを訴えることもある。ここでは事例を通じて職場における発達障害の診療の実際を紹介する。
1. 事例:40代男性,AさんAさんは両親ともに教師の家庭に一人っ子として生まれた。出生発育に特に問題は指摘されない。中学時代にいじめに遭い,断続的に不登校となったことがあるが,両親が学校に働きかけ大事には至らなかったという。学校時代の成績は優秀で,地元の進学校から国立大学工学部へと進み,さらに大学院で工学博士を取得,自動車メーカーにエンジニアとして就職した。入社以来,エンジンの不具合に関するトラブルシューティングを担当し,仕事ぶりも堅調であった。元来,人つき合いは苦手で,親しい友人もおらず,これまで結婚もしていない。会社近くのアパートに一人暮らし。食事はコンビニ弁当や牛丼チェーンなどですませることが多い。休日は好きな電車の写真を撮りにいく。
X-1年,海外への生産拠点シフトに伴い,社内で大幅なリストラが行われ,販売店へ異動となった。Aさんは入社以来の技術者から全く畑違いの営業マンとなった。先輩販売員が営業のノウハウを教え込んだが,接客の仕方や顧客ニーズをつかむ会話術などが苦手で,なかなか車は売れず,ついに1年経っても1台も売ることが出来なかった。
上司である販売店長はこれに立腹した。Aさんに,なぜ車が売れないか反省日記を毎日書かせたり,居残りで洗車や店舗清掃をさせたりした。さらには朝礼で,「入社以来,私の販売台数はゼロです」と皆の前で言わせたりもした。相談する同僚もおらず,トイレで嗚咽したり,食べた昼食を嘔吐したりする姿が目撃された。そのうちに自宅でも自分を叱責する上司の声が耳から離れなくなった。頭痛,耳鳴り,めまい,不眠を訴え,会社の健康管理室へ相談した。
相談を受けた産業医は,市中病院の総合診療科を受診させたが,スクリーニング検査や頭部CTに特記異常はないとの返事であった。つぎに産業医は精神疾患を疑い,Aさんを当科(大学精神科)へ紹介した。紹介状には,幻聴体験から統合失調症の可能性も否定できないとの見立てがあった。
診察すると,Aさんはややおどおどした様子で,顧客にどう話かけていいか分からないという。幻聴体験について質すと,夜間や休日も上司の叱責する顔が浮かぶとはいうものの,はっきりとした幻聴などの病的症状は特定できなかった。
心理検査では,全般的な知的水準には問題ないが,認知能力のアンバランスさや他者の気持ちを読み取る能力に難があることが示唆された。
2. 外来診療の実際そこで,Aさんに上司に相談し2週毎の外来通院の時間を確保してもらい,外来におけるジョブトレーニングのような支援をすることとした。具体的には,Aさんが仕事上つまずいている場面を挙げてもらい,ロールプレイを交えながら職場での対応を共同作業で探っていった。
〈テーマ①:「来店客にどう話しかけていいか分からない」〉
医師:まず来店者には笑顔で挨拶から入るといいのではないでしょうか。「いらっしゃいませ」とか「いいお天気ですね」,「ご来店有難うございます」とかごく普通でよいと思います。
Aさん:ああ,なるほどですね。で,次は何と言えばいいのでしょうか。
医師:しばらくショールームで勝手に車を見させてはどうでしょうか。店の方針もあるかもしれませんが,私は個人的には営業マンが密着してくると逆に離れたくなっちゃいます。
Aさん:そういえば私もそうです。
医師:そうそう,自分がどうされたら心地がいいか,という視点も大事だと思います。それでしばらく勝手に見させといて,頃合いを見計らって「いかがでしょう,今人気の車種です」などサラッと声をかけてはどうでしょう。
Aさん:頃合いとは何分後くらいのことですか。
医師:何分という決まりはありません。まあ展示車を一通り見たり乗ったりして,最後の車に来た頃にしてはどうでしょう。
Aさん:なるほど,最後の車ですね。で,その時が来たらなんと声掛ければ?
医師:「新型で今人気ですよ」などと声を掛けてもいいし,声を掛けなくてもいいと思います。逆にお客さんから声が掛かるのを待ってもいいかも知れません。
Aさん:どっちがいいんでしょうか。
医師:あまり深刻にならなくていいかもしれません。実はどっちでも結果はそう変わらないかも知れない。
Aさん:どういうことでしょうか。おっしゃっている意味がよく分かりませんが。
医師:お客さんの心の中までは読めませんよね。車を買う必要性が高ければ,お客の方から声を掛けてくるだろうし,買う気はなくてほんの将来の参考程度とか,新型の様子を見に来ただけかも知れないし。
Aさん:例えば同じ車を長く眺めていたり,何度も乗り込んでいたりしたら,その車種に興味があるということになりますかね?
医師:あ,それは一理あるかも。そういう場合は「いかがでしょう,この車種はおかげさまで高い評価を頂いております」などと声を掛けてもいいかも知れませんね。
〈テーマ②:具体的に営業をどう進めたらよいか〉
Aさん:先生,これまでご指導頂いたようなことで,お客さんと会話のきっかけが出来たとして,最終的には車を購入頂くのが仕事なのですが,どうすれば買って頂けるでしょうか。
医師:それは私にも分かりません。ただその可能性に向かっていろいろ研究したり努力したりすることの繰り返しかも知れません。例えばそのお客さんの家族構成や予算,ニーズを引き出すことは参考になるかも知れませんね。
Aさん:そんなこと聞いて失礼になりませんか。
医師:だからそれも頃合いを見計らって。この場合の頃合いとは,まあ2回目以上の来店時でもいいかも知れませんね。
Aさん:なるほど。あと家族構成がどう関係するんですか
医師:例えば独身者だとスポーツカーが欲しいとか,家族持ちだとミニバンでないとチャイルドシートが付けられないとか,送り迎えにスライドドアがいいとか,速さより燃費重視とかあるでしょう。
Aさん:他社との競争もあります。
医師:それも大事な点ですね。だから,自社の強みやアドバンテージ,具体的にはデザイン,燃費,取り回し,価格,減税など,他社の競合車との比較研究も必要な知識となるでしょう。
Aさん:あ,そういうのはカタログやネットで調べられますから大丈夫と思います。
医師:そうでしたね,スペックとかはあなた専門でしたよね。
〈テーマ③:営業マン同士で接客順番がある〉
またある日の相談はこういうことであった。著者も知らなかった話だが,本人によれば,担当営業者がまだついていない,新規客に誰が付くかは営業マン同士で順番決めがあるとのことであった―。
医師:それなら,その順番決めに入らないと永遠にチャンスは巡って来ませんね。
Aさん:どうしたらいいんでしょう。
医師:あなたは新参者だから,営業マンの中で一番話しやすい同僚を見つけて相談するしかありません。
Aさん:具体的には?
医師:例えば,営業成績グラフとかあるでしょう。あれでトップ成績の人に相談してみては。
Aさん:いや,無理です。私とか相手にしてくれる雰囲気はないです,あの人は。優秀すぎて話かけづらいです。
医師:なるほど。では逆に,伸び悩んでいる人とかは?意外と親身になってくれるかも知れませんよ。
Aさん:はあ,それならやってみます。
医師:それで新規客に張り付く順番を確保するのが目的だから,その順番決めがどのように決まるのかを探ってみてください。
Aさん:分かりました,やってみます。
3. 解説:大人の発達障害職場でみられやすい発達障害のひとつにアスペルガー症候群が挙げられる。アスペルガー症候群は広汎性発達障害と呼ばれる自閉症グループの障害である。自閉症とは発達障害の一つで,次の特徴的な3つの症状がある。①対人的相互反応の障害(相手の立場で考えられない,場の空気が読めないetc.),②意思伝達の障害(ことばの遅れや独特の言い回しetc.),③関心・活動上の制限・常同性(強いこだわりや融通のなさetc.)。なお,自閉症では様々な程度の知的障害を合併することがある。
アスペルガー症候群は,大まかにいえば,上記の①と③はあるが,②と知的障害のないタイプを指す。なお,今般の病名変更で,自閉症やアスペルガー症候群は「自閉スペクトラム症」に統一された。スペクトラムとは連続体のことで,正常か異常かにはっきり分けられないグレーゾーンがあることを意味する。
さて本症例は,もともと人つき合いが苦手なタイプであるAさんが,技術部門から営業部門へと突然異動させられたため,職場不適応に陥った事例である。ここで問題だったのは,Aさんの「人つき合いの苦手さ」の程度が正常の域を超え,発達障害と呼べるレベルにあったことである。Aさんにはアスペルガー症候群の特徴があった。Aさんのような人は,場の空気を読んだり,相手の立場を慮ったりすることが不得手である。さらに,こだわりや独自のルールがあり,他人が理解に苦しむ行動をとることもある。障害の程度も周囲からみてちょっと変わっているな,という程度から,誰が見ても障害が明らかなレベルまで幅が広い(この障害の濃淡のことをスペクトラムと呼ぶ)。
Aさんにとって不幸だったのは,対人関係が問題となることの少なかった技術職から高度な対人スキルが求められる営業職への異動だったことに加え,成果主義の支店長が発達障害に対する理解を全く欠いていたことである。パワハラを受けてしまった結果,めまい,悪心・嘔吐,頭痛,不眠などの心身症的な症状が出た。さらに,心理的に追い詰められてしまった結果,上司が自分を叱責する“幻聴”が聞こえたが,これは一時的な心因反応と思われる(二次障害と呼ぶ)。自閉スペクトラム症では,こだわりや思い込みも激しいので,ストレス対処が苦手な人が多い。一時的に幻聴や被害妄想などの精神病症状を起こすこともある(中には統合失調症との鑑別が難しいケースもある)。
アスペルガー症候群の治療はどうするか?薬物療法としての特効薬はない。二次障害に対する対症療法的な薬物療法と通院カウンセリングが一般的で,本人に自分の特性への気づきを促したり,現実的な対処行動をアドバイスしたりする。周囲の理解と環境調整も重要となる。産業医は,主治医(精神科医)の診断に基づき,職場での対処法について工夫や調整をする必要がある。その際,精神科医から一方的に指示を仰ぐのではなく,むしろ職場での問題点を具体的に主治医に伝えるとよい。なぜなら,精神科医は現場を直接見聞きしている訳ではなく圧倒的に情報不足だからである。また,この主治医―産業医の連携の際には,患者本人の同意を得ておく。労使双方がこれならやっていけるという着地点を,思考錯誤しながら見出していく必要がある。
本症例で著者(主治医)は,ジョブコーチさながら,自動車を顧客に売り込むノウハウを一緒に考えたりアドバイスしたりした。外来診察室で,接客場面を想定し,営業トークの流れや質問対策を一緒に研究したりもした。その結果,1年後に初めて一台売れたと報告を受けた時は一緒に喜んだものである。しかし,その後Aさんの外来通院は途絶えてしまった。主治医として反省したことだが,もしかしたらAさんは嬉しかった半面,かなり苦手な仕事を無理し,苦しく限界を感じたのかも知れない。
職域でみられる発達障害について基本知識を表5にまとめた。発達障害の職場適応サポートでは,その仕事への適応度を上げる努力を促した方がいいのか,あるいは無駄な努力をせず早目に転職へと見切りをつけた方がいいのか,悩む事例も多い。その患者にとって,どういう職場適応支援が適切か,非常に悩ましい問題である。よって産業医と主治医(精神科医)の密な連携がいっそう大切と思われる。
Q:自閉症とは? |
A:発達障害の一つで,特徴的な3つの症状がある。 ①人的相互反応の障害:相手の立場で考えられない,場の空気が読めないetc. ②志伝達の障害:ことばの遅れや独特の言い回しetc. ③関心・活動上の制限・常同性:強いこだわりや融通のなさetc. *なお,様々な程度の知的障害を合併することがある。 |
Q:アスペルガー症候群とは? |
A:大まかにいえば,上記の①と③はあるが,②と知的障害のないタイプを指す。 *米国精神医学会の新診断基準(DSM-5)における病名変更で,自閉症やアスペルガー症候群は「自閉スペクトラム症」(ASD)に統一された。スペクトラムとは連続体のことで,正常か異常かにはっきり分けられないグレーゾーンがあることを意味する。 |
Q:ADHDとは |
A:注意欠陥・多動性障害(Attention-deficit hyperactivity disorder)の略で,不注意(集中困難),多動性,衝動性の3主症状からなる発達障害の一つ。近年改定されたDSM-5では,これまで認められていなかったASDとの合併や,障害の発露年齢が7→12歳までに緩和された。ASDと違い適応症のとれた治療薬があり①メチルフェニデート徐放錠(コンサータ®),②アトモキセチン(ストラテラ®),③グアンファシン徐放錠(インチュニブ®),④リスデキサンフェタミン塩酸塩カプセル(ビバンセ®適応:小児のみ)の4種類の薬剤がある。薬剤の性質上,一部の処方にはADHD適正流通管理システムへの登録承認が必要。 |
適応障害も心身症も特異的な症状・症候はなく,またストレス因にたいする反応も個人差があり様々である。それだけに適応障害や心身症の診断・治療では患者一人ひとりの状況について個別的かつ多元的に把握し対応する必要がある。最近では「ナラティブ・ベイスト・メディスン(NBM:narrative based medicine)―すなわち病気をもつ患者には,背景にその患者なりの「物語」があり,それに耳を傾け対話をはかることが,診断のプロセスに役立ち,さらに傾聴すること自体に治療的役割があるという考え―も注目されている14)。
利益相反に該当する事項はない。