Japan Journal of Human Resource Management
Online ISSN : 2424-0788
Print ISSN : 1881-3828
Foreword
Some Thoughts on Academic HRM Studies
Mitsuo ISHIDA
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2016 Volume 17 Issue 1 Pages 2-3

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最近,勉強をしていて心に残ったことを二,三述べてみたい。

1. 職場秩序の維持―日本の相対化―

D. マースデン『雇用システムの理論』に,英米独仏の雇用関係に経営側が求めることは,職場の秩序の維持に尽きるという説明があるのに出会って,これは正直で優れた観察だと思った。職務に賃金が1対1でくっ付いていて,人事考課のない賃金でどうやって労務管理をするのか,という問い自体が無意味であることがわかった瞬間である。日本的な意味での労務管理は眼中にない,というよりも,思ってもみない社会が現存することをよくわからされた。

しかし,職場の秩序の維持さえ確保できればそれでよしとするということは,労働者は黙って淡々と文句を言わずに指示されたことを行えばそれでよいということであり,そんな退嬰的な経営が,資本主義社会で普遍的に存在する社会とは一体何かという疑問は残った。

そんな折,アラン・ソーネット『戦闘性からマルクス主義へ』という激しいタイトルの本を読み直してみた。この本は1960年代から70年代の英国自動車工場(BLのカウレー工場)の労使対立の実情を運動のリーダーが活写したもの。当時,賃金は職場集団ごとの出来高賃金で,基準時間と実際時間の差異で出来高が確定され,賃金に反映される。この賃金によって,組合の職場委員は,基準時間を緩める交渉を通じて職場ごとの賃金引上げができた。それが経営側の攻勢で廃止され,日給制度に切り替えられた。運動にとって,数週間のストライキを賭したにもかかわらず,大きな敗北であったと総括している。

ということは,冒頭に述べた職務に一賃率・人事考課なしという賃金の姿は,経営の画期的な達成であったということになる。そういう理解に多くの日本の研究は,及んでいない。しかし,及んだとき,では,日本の雇用関係はどう書かれるべきなのか。

2. 取引への着目―心理ではなく制度的事実へ―

この,二,三年,O. E. ウィリアムソンの『資本主義の経済制度』と『ガバナンスの機構』をよく読んだ。そこで,共感できたことは,分析の基本単位の話であった。この分野に関する私の無知を棚に上げて言えば,組織論の頂点であったH.サイモンが,分析単位を「意思決定」に置いたことを批判して,「取引」こそが基本単位であると言い切ったことが素晴らしい。分析の基本単位は,「対立,合意,秩序」を包み込んだ最小単位でなくてはならないというJ . コモンズの見地を継承している。

意思決定というと,どうしても認識とか心理という個人の内面に注力することになってしまう。サイモンは間違ったのではないか。いろいろな心理を抱えた個々人が他者とどのような関係を取り結ぶかという点を起点にしないと,社会関係の詳細な観察への視野を失うのではないか。主観が外化する,その外化の基本単位にこだわらないと,制度はいつまでたっても主観に影響する材料・要因の域を越えられないのではないか。

労働生産性を働く人の満足度で測るという学風が強いが,労働生産性向上は,明確に,重要な経営目標の一つであり,その達成に向けて,ガバナンスが構築されざるを得ない。この制度的事実に関心を向ける研究が少ないのは,上の分析の基本単位をどこに置くかという分岐点でどの道を選ぶかと密接に関わっているように思う。この分岐点を踏み間違えてはいけないのではないか。

最近,散漫な勉強しかできていないが,ここにあげたような,学問の根っこの議論が,最近,欠乏しているように思った。

  • 石田 光男

同志社大学

 
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