Japan Journal of Human Resource Management
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Print ISSN : 1881-3828
Foreword
An approach the problem from all angles
Mitsutoshi HIRANO
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2018 Volume 19 Issue 1 Pages 2-5

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今,昭和47(1972)年に出版された日本労務学会編『経営労働における疎外と参加』(中央経済社)を読み返している。本書は,日本労務学会第1回大会(昭和45年6月開催,於:立教大学)の報告・討論を中心とした学会報告書である。そこには淡路圓治郎名誉会員による特別論文「労務管理学の回顧と展望」が収録されている。その冒頭に社会と学問の関係に対する先生のお考えが述べられており,ごく簡単に要約すれば,以下のようなことである。

社会科学の発展は時代の要請と学術基盤の間を架橋していく過程にある。時代の要請が先行し学術基盤の熟成を待つ問題もあるし,逆に学術が先んじていて,それが現実の問題の解決に資することもある。活きた社会科学は,時代の要請と学問の主体性のダイナミックな均衡の下で健全な発育を遂げる。研究者は,時代の要請と学術の相互作用を促すよう,細分化された専門を主体的に架橋していかなければならない。労務管理研究もまたその例に漏れない。労務管理研究は総合科学であり,あらゆる角度からアプローチすることが求められる。

時代の要請は実務の諸問題と言い換えることもできるだろう。私は20年余りある企業に勤めたのち大学に転じたが,実務の諸問題を学術のフォーマルな知見や理論を用いて検討するアプローチは,現実の問題解決にきわめて有効であると実感している。クルト・レヴィンが言うように「よい理論ほど実践的」なのである。したがって,私は,研究者は時代の要請(実務の諸問題)と学術基盤を主体的に架橋していかなければならないという先生の主張に強く同意する。しかし,先生がおっしゃる「あらゆる角度からアプローチする」とは,どのように捉えたらよいのであろうか。

「あらゆる角度からアプローチする」とは,実証結果に対する研究者の一面的な解釈に対する戒めの言葉でもある。研究者による一面的な解釈(考察)は,主体の行為がもたらしているかもしれない「意図せざる結果」を見落とす。私自身そうした経験がある。

今から16年前,私は神戸大学に転職し,はじめてMBAプログラムに学ぶ社会人院生を指導した。当時,神戸大学では社会人院生はゼミに所属し,数人ごとにチームを組んで職場の問題解決に資する実証研究を行っていた。ゼミ指導教授は奥林康司先生で,私はサブのスーパーバイザーであった。ゼミにはJR西日本(以下,J鉄道)に勤めている人がおり,航空会社,総合商社,製薬会社に勤める他のメンバーとともに取り組んだ研究テーマが,「J鉄道における運転ミスを少なくする『暗黙の掟』であった。

当時,J鉄道が管轄する県内に隣接した2つの路線があった。仮にA路線とB路線とする。両路線の列車運転士は同じ労働環境・雇用システムの下で働いている。また運転士の業務は高度に標準化されている。つまり両路線の運転士の客観的な職務特性は同じである。しかしA路線とB路線では運転ミスの発生件数に差があった。運転ミスとは運転士の不注意によるホーム停止位置のズレや,遅延運転のことである。A路線の運転士は直近2年以上にわたって部内基準に抵触するミスを犯していない。これはJ鉄道の職場全体において2番目に優秀な成績である。一方,B路線は直近2年間でミスが4件発生している。

この研究チームへの私からのアドバイスは,職務特性モデルを用いて,同じ職務に従事しているにもかかわらず業績の質(ミスの多寡)に違いが生じるモデレータ変数を探索せよというものであった。つまり現実の問題の解決策を学術のフォーマルな知見を用いて検討するよう指導した。Hackman & Oldhamの研究が嚆矢となった職務特性モデルは,モチベーションや業績の質を左右するモデレータの存在を明らかにしている。モデレータ変数とは,客観的職務特性→臨界的心理状態→成果変数の因果関係において,その関係の方向性や強度を調整する変数である。先行研究では,モデレータとして個人の成長欲求の強さや,同僚・監督者への満足度(職務脈絡要因)が見出されている。

研究チームが着目したのは,運転士が共有している「暗黙の掟」であった。というのは,ミスの少ないA路線の管理職に聞き取りをしたところ,運転士の間で「一番風呂に入りたくない」という暗黙の掟が強く共有されていることが分かったからである。「一番風呂に入る」とは「最初にミスを犯す」の比喩である。つまり,ミスのない(業績の質が高い)職場には,「絶対にミスを犯してはならない」という強い規範(暗黙の掟)が存在する。

続いて彼らは2路線の運転士にアンケート調査を行い,「暗黙の掟」がミスの多寡を調整するモデレータであることを実証した。すなわちミス皆無のA路線の運転士のほうが「暗黙の掟」の認知が高かった。またA路線では「暗黙の掟」は個人の成長欲求強度と相関があるが,ミスが多いB路線ではそうした関係は見られなかったのである。そのうえで彼らは「暗黙の掟」の存在をポジティブに捉え,そうした規範を早く強く職場に定着させることが有効であると結論づけたのである。そして実践的含意として,「暗黙の掟」を組織目標に変換してインナープロモーションを展開することが有効であると主張した1。私はそうした彼らの考察,結論,含意を支持した。

この研究は2003年に行われた。それから2年たった2005年4月25日,「JR福知山線脱線事故」が起きた。乗客と運転士あわせて107名が死亡,562名が負傷するという大惨事である。脱線の原因については兵庫県警と事故調査委員会による解明が進められ,速度の出しすぎとブレーキ操作の遅れが直接の原因であると結論づけられた。また間接的要因として,運転士に対する懲罰的・精神論的な「日勤教育」等の管理方法が関与した可能性も指摘された。こうした指摘を踏まえると,「一番風呂に入りたくない」というミスを抑止する「暗黙の掟」が,脱線事故という意図せざる結果を引き起こす一因となった可能性は否定できない。つまり「暗黙の掟」が,ミスに対する運転士の懲罰の恐怖を煽り,遅延をリカバーしようと速度を上げたのではないか。

意図せざる結果とは,ある環境における行為が,行為者の意図した結果のみならず,他の意図しない結果を生み出すことをいう。ミスを予防する意図の下,行われた日勤教育が意図せざる結果を生み出したのであれば,同じく「暗黙の掟」も意図せざる結果を生み出す要因となったのかもしれない。しかし,研究チームにも指導した私にも,当時は,「暗黙の掟」のもつネガティブな逆機能への眼差しは欠落していた。

社会科学の研究者にとって,「あらゆる角度からアプローチする」とは,因果連鎖の網の目の中で意図せざる結果が生まれる可能性を常に念頭に置いて,結果を解釈しなければならないということであろう。しかし限定合理性に支配された人間は,意図せざる結果のすべてを事前に読み解くことはできない。意図せざる結果は,それが起こってはじめて我々の眼前に現れるのである。どうしたらよいのか。

淡路圓治郎先生は労務管理学が発展するためには「労務管理学の主体性」が必要であると述べられている。つまり隣接諸科学からのアプローチを主体的に取り入れることである。専門が異なればそのアプローチや解釈の仕方に大きな違いがあることは言うまでもない。多様なデシプリンの研究者が,それぞれ異なるアプローチで時代の要請(実務の諸問題)と学術を架橋していくことが,意図せざる結果が生じる(あるいはすでに生じている)可能性やメカニズムの解釈を拡張し深掘りすることになる。そうした他のアプローチの研究に視野を広げることで,研究者一人ひとりは自らの内なるバイアスを自覚することができる。

アカデミック・セクショナリズムの風潮こそ禁物である。淡路先生はこうも述べている。「お互いが同じ労務管理学の旗印の下に団結し,(中略),同志の知識と経験を尊重し,知恵と力を惜しみなく出し合ってゆく,寛容と信頼があってこそ至難の新領域の開拓が成就する。学問の主体性は,案外,このようなお互い研究者仲間の同志的結束と繋がっているのである」(258頁)。この論文は50年近く前に書かれたものである。しかし今もって至言である。学問の多様性と主体性を高めていく場が学会である。「あらゆる角度からアプローチする」とは,日本労務学会に集う研究者の同志的結束の下に可能となる。

1  この社会人院生のグループ研究論文は下記で公開されている。奥林康司・平野光俊編著(2004)『キャリア開発と人事戦略』第12章所収,中央経済社。

  • 平野 光俊

神戸大学

 
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