2018 Volume 19 Issue 1 Pages 65-67

人的資源管理に関する書籍はこれまで数多発行されてきたが,あるものは学説の紹介に留まり,またあるものは実務の解説に留まっている。さらに,実務家に対する敬意が全く感じられない,侮蔑調に現状変革を迫る勇ましい本も散見される。こうした中,労務行政研究所や日本賃金研究センターで豊富な実務経験を持ち,現在は大学で教鞭を執る谷田部光一氏が,『働きがいの人材マネジメント』という極めて魅力的なタイトルの書籍を上梓された。長年雑誌の編集や賃金コンサルタントとして人事の実務に通弊している著者ならではの記述が随所に見られる点が特徴である。
以下,本書の内容についてその概略を記すことにしたい。まず,第1章「これからの人材マネジメントの使命」では,日本企業における人材マネジメント制度の実態・運用をベースに,本書のキー概念である「働きがい」に寄与する人材マネジメントの制度・施策について考察するという本書の目的が述べられている。
第2章「人材マネジメントと働きがい」では,著者の言うところの「働きがい」が定義される。著者によれば「働きがい」とは仕事自体の満足度に留まらず,所属組織への満足度も含まれる。また,コンプライアンスやワーク・ライフ・バランス,ダイバーシティを包含する労働CSRの充足が働きやすさの近似値であり,さらにQWLとES(Employee Satisfaction)がその基盤であり,動機づけと組織コミットメントが中間項であると言う。
続いて第3章「日本的雇用システムと報酬マネジメント」では,企業内の報酬システムが外的報酬と内的報酬,金銭的報酬と非金銭的報酬とに分類される。外的報酬のうち金銭的報酬は月例賃金,賞与,退職金であり,非金銭的報酬は,組織上のステイタス,承認,称讃,評価,キャリア開発,雇用保障である。さらに内的報酬に相当するのが,達成感,成長感,仕事自体の面白さ,といった点である。
本章の後半では日本的雇用システムに関する説明がなされている。雇用保障が「非金銭的報酬」であることが示唆される構成は興味深いが,日本的雇用システムが諸外国の人材マネジメントと比較して,上記の報酬システムの要素の中でどの点を重視しているかといった点は直接言及がなされていない。
第4章以降は,こうした「総論」に基づく「各論」であり,第4章「日本企業における人事等級制度と役職昇進制度の実態」,第5章「日本企業における配置・異動とキャリア開発・形成」,第6章「日本的雇用システムと賃金制度」,第7章「日本における労働時間の実態と労働時間管理の課題」,第8章「日本企業における福利厚生の現状とこれからの方向」,第9章「人材育成のための人事評価制度」,第10章「人材育成における選択型研修と選抜型研修」となっている。
本書を読み終えた感想であるが,記述は平易であり,これまでの研究成果を巧みに織り込んだ手堅い書籍であると言えるだろう。さらに賃金,昇進等日本的雇用システムを金銭的報酬や,非金銭的報酬と同じ章で論じているのも類書にない整理の仕方である。ただし,著者はまえがきで本書の性格について,「人材マネジメントを働きがいの視点から論じた論文集」であるとしている。しかし評者の見るところ,大学紀要に掲載された文章を基にしているとはいえ啓蒙的性格が強く,「人事実務に知悉した大学教員が執筆した人的資源管理の中級テキスト」という位置づけが最も相応しいのではないかと思う。
次に,評者が本書に対して感じた点を3点記すことにしたい。
まず第1点は,本書の書名である。本書のタイトルは「働きがいの人材マネジメント」であるが,この書名は本書の記述に必ずしも明確には反映されていない。本書の構成は,先に述べたように,オーソドックスな人的資源管理(著者の言う「人材マネジメント」)のテキストであり,敢えて「働きがい」という言葉をタイトルに入れることの積極的な意味はどこにあるのだろうか。
この点,本書のまえがきには以下の記載がある。「人材マネジメントの目的は企業,団体の発展,業績の持続的向上であるが,その実現には経営資源の中核であるヒト,つまり従業員の欲求に適切に対応する必要がある。その従業員の重要な欲求の一つが働きがいである」。また,第2章では,「働きがい」と「働きやすさ」に関する著者の概念規定が披歴されている。しかし,こうした概念規定は,本書のその後の展開に十分生かされているとは言えない。ワーク・ライフ・バランスや働き方改革の議論が喧しい今日,著者の言う「働きがい」という視点による人材マネジメントが,研究者はもちろん実務家に与える,類書には存在しない「付加価値」とは何か,是非著者のご意見を披歴して頂きたかった。
本書のタイトルの如く,従業員に「働きがい」を求めることは人材マネジメントの重要な目的であるという点は,評者も全く異存はない。評者が是非知りたいのは人材マネジメントにおける「働きがい」の優先順位である。仮に,「働きがいをそれほど重視しなくても,コスト削減で利益を生み出すマネジメント」と,「利益はともかく,従業員の働きがいを何よりも重視する人材マネジメント」があったとして,現在求められているのはどちらの人材マネジメントなのだろうか。
また,細かい点であるが,先に記した本書の構成によれば,各章のタイトルは「日本(企業)における」と「日本的雇用システム」とに分かれるが,これらのタイトルの違いは内容にどのように反映されているのか,少なくとも評者には読み取れなかった。
第2点は,著者が人材マネジメントの対象としてどのような従業員層を対象としているかである。本書で取り上げられているのは,もっぱら正規従業員であり,非正規従業員は取り上げられていない。なぜそのことを指摘するかといえば,正規と非正規とでは,今述べた「働きがい」の優先順位が異なるだろうからである。
一般に,仕事の裁量性が高く,昇進機会が存在する正規従業員に比べて,比較的仕事が定型的で昇進機会に乏しい非正規従業員では,「働きがい」といった非金銭的報酬よりも「賃金」という金銭的報酬が選好されるのではないだろうか。
さらに第3点は「働きがいの人材マネジメント」という理念が有する普遍性についてである。およそ洋の東西を問わず,従業員の働きがいを「重視しない」企業は存在しない。とするならば,著者が本書で強調する「働きがいの人材マネジメント」に根差した日本的雇用システムは国際的普遍性を持つ筈だが,果たしてこの認識は正しいだろうか。例えば,評者の研究によれば(八代充史『日本的雇用制度はどこへ向かうのかー金融・自動車業界の資本国籍を越えた人材獲得競争』(中央経済社,2017年),投資銀行産業を念頭に置いた場合,日本的雇用制度はロンドンには必ずしも移転可能ではない。このことは,著者の言う「働きがい」が理念としては普遍性を持ちつつ,現実の人材マネジメントとは少々距離があることを示唆している。
もちろんこれらの点は,多分に著者が人的資源管理に関して(時間的には)長い間研究に携わり,また教壇で学生に講じてきた経験から来る自省の念に基づくものであり,本書の価値を損なうものではない。本書は豊富な実務経験を有する研究者によって刊行された優れた啓蒙的書籍であり,多くの関係者に本書の内容が共有されることを期待したい。
(評者=慶應義塾大学商学部教授)