Japan Journal of Human Resource Management
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Toward the Next HR Reseach : 50th Anniversary of the Foundation of JSHRM
My Expectations for Japan Society of Human Resource Management
Takashi WATANABE
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2020 Volume 20 Issue 2 Pages 21-26

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1. はじめに

機関誌編集委員会より「これまでの自分の研究活動を踏まえ今後の労務研究に期待することや展望・課題など」を6,000字程度の原稿に纏める依頼があり,それに応えて駄文を記しておきたい。しかし,かつて居た大学の片隅からみた管見にすぎず,ほぼ自己満足の独り言であろう。欠礼の言があるかもしれないが,ご容赦いただきたい。

筆者の加齢に伴う認知症的な誤解でなければよいが,労務研究に限らず社会科学の研究全体のレベルが大幅低下しているのではないかと気にしている。いま複数の社会科学系の学会に所属しているが,いずれの研究報告を聴いても感動することが少なくなった。粗削りでも良いから従来の先行研究の到達点を超えるようなトンガッタ報告を聴きたいと思うが,なかなか遭遇しない。先行研究も踏まえず問題意識が不鮮明で分析パラダイムも不明確な報告が目につき,若い世代の基礎的な研究能力の低下を危惧している。

もっとも,それは個人的な努力・能力の不足というより大学の研究活動の環境・条件・体制・風土の急速な悪化が原因であり,多くの教員は腰を落ち着けて地味な基礎的研究に集中する時間的・精神的なゆとりを失くしている。この点は,社会科学に限らず自然科学の世界も同様だと聞くが,ひとえに文部科学省の大学行政の責任である。大袈裟に言えば,大学の未来とともに学術・研究の先行きが深刻な状況になっている。

とすれば,いま一体何が必要なのか,何をすべきなのか,少しばかり愚考・愚見を吐露したい。この問題については名誉会員・米山喜久治先生(北海道大学名誉教授)と永らく意見交換をしてきたので拙稿には米山先生から頂戴したご示唆も含まれている。記して感謝したい。

  • ●   米山喜久治(1993)『探究学序説』文眞堂
  • ●   米山喜久治(2007)「大学教育と現場の科学」『経済学研究』Vol.56 No.4(北大)

2. 1960年代の大学

依頼文には「これまでの自分の研究活動を踏まて」とあるので,恥を掻くことを承知で,少しばかり自分の過去を振り返りたい。とはいえ,いまさら過去のコトを語ってみても,若い世代には「老人の昔話であって今はそんな時代ではない」と一笑に付されることであろうが,鶏肋として受け止めて下されば幸いである。

筆者は1960年代初頭に大学に入学し,その後,大学院の修士課程・博士課程を終えて1970年代初頭に大学教員になった。いま思えば1960年代の大学・学界には,基礎研究や科学方法論を重視する風潮があった。当時,ノーベル賞を得た物理学者たちが哲学や科学方法論の書物をたくさん刊行しており,どの分野でも基礎研究を重視していた。十分なる学問的な「基礎工事」がなくして上部の建築物はあり得ないが,最近の若い世代の学会報告に接して,その点が軽視されているのではないかと危惧している。

1960年代の大学は施設も条件もまだ貧困であったが,それでも教職員も学生・院生も「心のゆとり」があった気がする。戦後復興を終えて新しい時代の開幕の時期であったからかもしれない。政治・経済・文化・学術・スポーツなどすべての分野で未来を見つめる高揚感があった。

当時の大学進学率は10%程度であり,大学生は社会的にみてまだ少数派であった。講義は通年の4単位制であり,格調が高くておおらかだった。多くの講義テキストは,ほとんど担当教授の博士学位論文であった。当時の博士号は学問を究めた人物に授与されたので,博士論文は研究成果を集大成した渾身の書物であった。

今思えばレベルの高い講義内容であり,学部生には難解であったが,大学における学問・研究の深淵さを思い知らされた。当時は1~2年生配当の一般教養の科目は重視されていた。受講した一般教養の「経済学」のテキストが,ケインズ『雇用・利子および貨幣の一般理論』そのものであったことは,未だに忘れることができない。

講義は難解だったが,社会科学の基礎的な素養・教養は自分で身に着ける風潮があり,誰に言われるでもなく古今東西の名著・古典と言われるものを読み漁り,学問論・科学論・認識論・方法論などを自学自習していた。そして,形而上学,弁証法,否定の否定,対立物の相互浸透,上向法・下向法,帰納・演繹,偶然・必然,抽象・捨象,矛盾,止揚,現象・実体・本質,生成・発展・消滅,唯物論,唯心論などの概念を知った。

当時は,高度経済成長が本格的に始まり大企業体制が確立する時期であり,その動向を背景に坂本藤良『経営学入門』がベストセラーになり,空前の「経営学ブーム」が起きていた。アメリカ経営学が大量に紹介・普及された。そして多くの大学にて「経営学部」の新設が続き,「経営学」という言葉が広く社会に浸透した。しかし,世俗的には「経営学など学問ではない」とも言われ,薄っぺらな安モノと見做されていた。そして経営学部は経済学部より「格下」に扱われた。

このような時代であったから,大学・学界において「学問としての経営学とは何か」という議論・方法論争が生まれ,そのテーマの著書・論文が多数刊行されたのも必然であった。友人の誘いで入会した経営学研究会の議論も,学界の動向を反映して経営学の科学方法論を巡るものであった。「役に立つ経営学」を学びたいと言う者は誰もいなかった。提出した卒業論文もまた当時の学界で繰り広げられていた方法論争の論点整理に関するものであった。

その後,大学院に入学したが,当時の大学院進学率は4%程度(5~6万人)であった。理工学など自然科学系が多数派で人文・社会科学系はごく少数であった。進学早々に教授から言われたことは「経営学の研究をするにはまず経営学から離れて哲学を勉強せよ」であった。5階建てのビルを建てるには,それと同じくらい地下深くに杭打ち工事が必要だという意味であり,学問的な「基礎工事」の重要性を叩きこまれた。

大学院でのテーマは経営学の研究対象と方法に関するものであったから,学部時代に学んでいた科学論・認識論・学問論などが役立ったし,引き続き,その種の基礎的な文献を読み漁った。とくに印象に残ったのは,エンゲルスの『反デューリング論』『ルードヴイッヒ・フォイエルバッハとドイツ古典哲学の終結』などであった。ヒルファーディングの『金融資本論』は途中で挫折した。大学院ゼミのテキストは,バーナード『経営者の役割』(旧訳書版)であったが,当時はまだ日本に紹介されて間もない時のことであり内容理解に苦労した。しかし,この種の抽象的・哲学的なロジックを追う書物を読解することは良い基礎的な訓練であった。

回顧すれば1960年代の学生・院生時代は,当時の学界の動向を反映して経営学の研究対象と方法を中心にした科学方法論の勉学に終始していた。学界の身近な諸先輩が「個別資本の循環運動」とか「上部構造としての経営制度」などの方法論争をしていたことが思い出される。

科学方法論に拘る時間が長かったが,その後(大学教員になってから),作成・提出した博士学位論文は具体的なデータに基づく実証的研究であり,学問的な「基礎工事」に少しばかり時間をかけていたことが論文執筆に大いに役に立った。目には見えない地下の「杭打ち工事」が,いかに重要であるかは痛感している。

3. 学部生の変貌

1970年代初頭に大学教員になったが,大学の教育・研究の環境・条件・風土が次第に変貌し,アカデミズムの雰囲気が縮小するのを感じた。大学進学率が1975年には27.2%になり,学生数の大幅増加とともに学生の気質も変化してきた。その後,進学率はさらに上昇して,大学の大衆化が急速に進み,同時に学生の入学動機も多様化してきた。「経営学部」に入学したからと言っても「商学部」や「経済学部」との差異を十分に認識しているわけでもない。

多数派の学生は学問的に動機づけられて入学先の大学・学部を決めているわけでもない。偏差値とランキングに「輪切り」された「不本意な入学」である。そもそも大学に勉学するつもりで来ているのかどうか怪しい学生も増加してきた。かくして大学の教育現場には種々の新しい課題が発生・登場し,教員は頭を抱えて苦慮することになった。

当初担当した必修科目の基礎演習(一年生配当)の課題は,科学論・学問論などの基本文献の購読を通じて社会科学の基礎を習得させることであったが,1980年代ごろには,その種の課題を達成することが困難になった。かくして獲得目標は「興味と関心を喚起し知的刺激を与える」にまで退化した。

講義科目も同じであった。当初は一年生配当の「総論」「概論」などは,その科目の全体の体系を示し,諸事象の原理・原則や法則性を理解させ,その後の専門科目の各論につなぐことが課題であった。しかし学生の様変わりが進む中で,入門科目のみならず多くの講義科目が「興味と関心を喚起して知的刺激を与える」ことに変貌・退化した。

学部教育の獲得目標のレベル低下は,学生側の勉学動機や自律性に問題があるとはいえ,それもひとえに高校までの受験勉強体制が生んだことであり,文部科学省の教育行政の責任だと言いたい。圧倒的多数派の学生は,永い間,テスト・試験に追い立てられて勉強とは「覚える」「暗記する」ことだと思い込んでおり,好奇心に基づき主体的に学び探究する意欲など生まれようがない。勉学の楽しさ・面白さを知らずに「苦行」だと心得ている。苦行であれば修行僧以外はヤル気が起こらない。

そんな学生の勉学意欲や自律性を引き出すためにも,現場の教員は「興味と関心」に照準をシフトせざるをえない。もはや「学問」以前の動機付けの課題である。個人的な経験から言えば,1980年ごろから古今東西の古典・名著の購読を通じて社会科学の基礎を習得させることが困難になった。その結果,基礎的な素養や知的好奇心のない学生が大学院に進学するようになり,大学院は新たな困難に直面する。

その後,大学進学率は1990年代半ばに30%を超えて,今や2人にひとりが「大学」に進学している。他方,1990年に約200万人いた18歳人口は,今ではおおむね半減して約100万人強になっている。同時に,この間に大学数は大幅増加したので,今や誰でも入学できる「大学全入時代」になり,逆に入学定員を充足できない大学,もはや大学とは言えない「大学」も急増してきた。

4. 大学院の変貌

大学院は永らく研究者養成機関としての位置づけで運営されてきたが,1990年代以降になると位置づけが大きく変わった。そして教育・研究の環境・条件・体制・風土は大きく変貌し,アカデミックな研究活動を通じて研究者養成することが困難になった。

文科省は「大綱化」という規制緩和を断行し,個々の大学に生き残りをかけた自己改革・自助努力を求めた。その頃から,なり振り構わずにドロ道を匍匐前進する大学と親方日の丸の意識・行動に拘束された大学とに分かれた,ように思われる。

そして,大学院の重点化政策のもとで大幅な定員超過が黙認されて修士課程の院生が急増した。社会人の為のリカレント教育に門戸を広げたことも院生急増に拍車をかけた。さらに,その後,アジアの国から大量に外国人留学生を受け入れるようになった。さらにビジネスマンを念頭に入れた専門職大学院なる制度も生まれ怪しげなMBAを授与する怪しげなビジネススクールが登場した(筆者は学内人事異動で,そこの怪しげな教員に着任した)。

かくして大学院生の量的増加にともなう質的低下,入学動機の多様化は,修士課程の様相・雰囲気を劇的に変貌させた。もはや修士課程で古今東西の社会科学の古典・名著を購読して学問研究の基礎的な素養・能力を習得する課題の達成は不可能である。

かつての学部生の卒業論文レベルの文章,見たり・聞いたりしたことをそのまま記述した文章,ヨコ書きのものをタテ書きに記述した文章,他人の見解を紹介しただけの文章などが「修士論文」と称して提出される。先行研究をサーベイする意味や,問題意識や分析パラダイムの意味が理解できず,自分の学習ノートを研究論文だと誤解する院生が増加し,ついに課題研究論文と称するレポート提出で卒業を認定するようになった。

かくして科学論・学問論・方法論など基礎的な素養・知識・能力の習得を経ずして後期課程(博士課程)に進学する者が増加して,本来の意味でのアカデミックな学問研究を志す少数者は,絶滅危惧種の珍獣視されるに至っている。次代を担う研究者養成の視点からみると,惨憺たる情景が眼前に広がるが,これが文部科学省のいう大学院重点化政策の帰結であった。

5. 疲弊する大学教員

大学を巡る環境変化・条件悪化のなかで,多数派の教員は心身ともに疲弊しており,学生・院生の指導が十分にできないことも懺悔を含めて率直に告白しなければならない。

国の大学への公費助成は一貫して減額傾向にあり,日本は諸外国に比較して圧倒的に少額である。大学の苦しい財政事情のもとで教育・研究の環境・条件は末期的な情況であり,多数派の大学は教育研究機関としての社会的な機能の維持が困難になっている。18歳人口の減少する中で,国公私立に関係なく大学の整理統合・吸収合併が進行し,大学は生き残り競争に駆り立てられている。

大学財政が逼迫するなかで経費削減の要請は強まり,とりわけ人件費削減に対するインパクトは大きい。低賃金の非正規雇用の教員は増え,昇給のともなう昇進をすべて凍結した大学もある。定年退職した後の講座・科目のスクラップは珍しくない。経費削減・人件費削減・人員削減のなかで,教員の担当持ちコマ数は増加し,事務的な作業負担や大学行政の仕事は増加し,研究時間は益々減少している。個人研究費の削減で学会出張もままならないという悲鳴はしばしば聞こえてくる。

とくに雇用契約の期間が限定された非正規雇用の教員は悲劇的である。雇用が不安定であるばかりか,任期中に一定の研究成果を上げることが要求されるので自ずと選択する研究テーマが絞られる。時間のかかる地味な基礎的テーマは敬遠・排除され,短期間で「成果」の出そうな時流に乗った研究テーマにシフトせざるをえない。

乏しい資金が傾斜配分されるので文科省に対する忖度競争が激化し,個々の教員は業績主義・成果主義に追い立てられる。論文の本数や学会報告の回数を増やすことに駆り立てられ,大きな研究テーマに腰を据えて長期的に取り組む雰囲気は喪失する。超多忙の中で研究活動・教育活動・大学行政のいずれの仕事を手抜きするか,過労死しないためには自己防衛せざるをえない。

かくして大学内に倫理崩壊が蔓延する。研究データの改ざん,剽窃・著作権侵害などの研究不正が多発する。研究費の不正使用・私的流用,汚職・贈収賄,アカハラ,パワハラも多発する。ノーベル賞学者を輩出する有名大学においても例外ではない。他方では若き有能な研究者が未来に絶望して自殺・自死するなど悲劇的な事件も発生している。

疲弊した多数派の教員は,丁寧な院生指導もままならない。とくに基本的な学問論・方法論・認識論など研究能力の基礎を習得させる条件・体制もなく,取組みも困難になっている。そもそも自分にもできないことを院生に指導できるわけもない。かくして「院生の自律性の育成」と称した「放し飼い」「放任主義」「無責任主義」が蔓延する。指導教授が院生のデータ改ざんも見抜けず,後になり「授与した博士号を取り消す」という「事件」まで生じている。しかし,これは氷山の一角にすぎない。すでに合法的なディグリーミルは広く常態化している。

もはやアカデミックな基礎研究や地味な歴史研究を志す者は,居場所をほぼ喪失しており大学の一隅で息を殺している。このような大学の環境・条件・雰囲気のもとでは全体としての研究水準が大幅低下するのも当然である。

6. 青山学院・須田敏子教授の問題提起

かつて勤務先の教育現場の惨憺たる情況に直面し「なんとかしなければ」という思いから大学院にて「研究の仕方」「論文の書き方」などの科目を設置して対応した経験がある。しかし凄まじい土石流に素手で対応するようなものであった。今は定年退職したので,その科目の現状は不明だが,おそらく痕跡もないであろう。

また「全国ビジネス系大学教育会議」の議論を踏まえ,幾人かの人々と協力・共同して大学院生のための「研究の仕方」「論文の書き方」などを記述した書物を刊行した。佐々木恒男・片岡信之・高橋由明・齊藤毅憲・渡辺峻共編著『経営・商学系大学院生のための論文作成ガイドブック』(文眞堂,2004年)という小著であった。幸いに少なくない大学院生に購読されて版を重ねることができた。とくに全国の著名教授の論文評価の基準を一挙掲載したことが好評であった。

しかし,こんな取組みも大学・学界の全体動向から見れば,太平洋のドまん中に小石を投げ込む程度のことであり,なんの解決にもならない。文部科学省が,大学における研究者養成や学術研究のあり方を抜本的に見直して,本来の意味でのアカデミックな研究活動を本格的に取り組める条件の再生を期待するしかない。仮に今の大学の状況が続けば,次代を担う研究者養成もままならず,多くの識者が語るように「これからの日本にノーベル賞は期待できない」。

これでは日本の未来も危うい,そんな思いを抱きつつ米山教授と愚痴・溜息の交換をしている矢先に,思いがけず,青山学院の須田敏子教授よりご力作『マネジメント研究への招待―研究方法の種類と選択』をご送付いただいた。モヤモヤをぶっ飛ばすような真摯な直球であり,同書を手にして思わず拍手喝采・万歳三唱・スタンディングオベイションを心の中で繰り返した。須田教授とは京都の大学に勤務していた時からのご厚誼であり直接にエールを送った。窒息しそうな密室に少しばかり酸素が流れ込んできた思いである。

同書は「第1部 研究方法論への招待」「第2部 さまざまな研究方法」に大きく分かれる。第1部は,かつて1960年代の大学・学界にて盛んに議論されたテーマでもあり,学問的な基礎工事に該当する内容である。労務研究に限らず広く社会科学の研究に従事する者にとって不可欠な基礎的な素養であり,いわば必修科目の一般教養である。

第2部は,具体的に調査・研究・分析をすすめる際の様々な方法を手ほどきしているが,この種の手ほどきを受ける機会を失した者にとって有益・貴重な情報である。これもまた社会科学系の研究者にとっては必修科目の一般教養であろう。このような知見・知識の習得は,研究者としての知的基礎体力の錬磨・強化に不可欠であり,同書を必読の書物として日本労務学会員に勧めたい。

最後に,この種のテーマの研修会・ワークショップを日本労務学会として開催することを提案したい。全国大会の折でも良いし,別途に日程を設定するも良いが,一過性ではなくて長期・継続的な開催を望みたい。参加者は日本労務学会員に限定せず,他学会員にも広くオープンにして誰でも参加できるようにしたらどうであろうか。

学会の取組みとして違和感を覚える人もあろうが,学会が自らの研究能力の向上のための研修会を,自らの手で行うことの意義は大きい。大学の現状に照らすと学会の果たすべき新しい役割かもしれない。社会科学の学問的なレベル向上のために実現を期待したい。

(筆者=立命館大学名誉教授)

 
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