2020 Volume 20 Issue 2 Pages 4-14
筆者が日本労務学会の会長の任にあったのは2009年から2013年までの2期4年間である。今から10年前,東北福祉大学で開催されていた第39回大会に一会員として気軽な思いで参加していた折,全く予期することなく唐突に会長に選出され,その重責に大きな不安と戸惑いを覚えたことが,今となっては懐かしく想い起こされる。
記憶を辿れば,筆者が当学会に入会したのは,大学院博士後期課程の1年次に在籍していた頃(1991年)であったはずなので,会長時分も含めかれこれ30年間近く,当学会の会員として勉強させていただいてきたことになる。この間,海外に留学していた一時期を除き,毎年欠かさず年次大会と関西部会例会には出席し,学会の雰囲気はそれなりに理解しているつもりでいる。
学会誌編集委員会からのこのたびのご依頼は,「学会創立50周年を目前に控え,これまでの歴代会長に,ご自身のこれまでの研究活動を踏まえ,今後の労務研究に期待すること,展望,課題などをご寄稿いただきたい」とのことなので,この趣旨に沿って,小稿においては当学会のこれまでの道のりと現在,そして今後へ向けての筆者なりの期待ないし要望を,個人的感想や経験をもとにざっくばらんに述べさせていただき,与えられたお役目を果たすこととしたい。
通常,学会といえばその“顔”にあたるのが年次大会の統一論題であろう。学会が総力を結集して全会員で共有すべきテーマを定め,相互に議論しながら理解を深め,また社会へ向けて発信する役割を果たしているのが統一論題であるからである1。
当学会の統一論題テーマの一覧については,第1回大会以降,直近の第49回大会まですべて当学会のホームページに記載されている。それらを参照しながら,本節では学会の設立された1970年以降,時代を10年ごと5つの期(第Ⅰ期~第Ⅴ期)に区切り,各期のテーマの特徴とその変遷を追ってみることにしよう。
なお,筆者の入会前である1980年代(第Ⅱ期)までに関しては,筆者は実際に大会に参加したわけではないため,テーマや出版物等からの推測が中心となっていることをお断りしておかなくてはならない。また小稿の全般を通じ,学術的に厳密な分析というよりは些か散文的で,かつ筆者の主観を多分に織り交ぜた解釈となることをあらかじめご容赦いただきたい。
2.1 第Ⅰ期:学会のアイデンティティの確立まず,学会設立の当初にあたる1970年代における統一論題テーマを示したのが表1である。
表1によると,第Ⅰ期における特徴として,概ね次の2点を確認することができるだろう。第1に,日本労務学会で検討すべき課題は何か,「経営労働」すなわち経営における労働の在りよう,その措定や定位が重要な検討課題として捉えられていたことが窺える。とりわけ第1回から第6回までを通じ,すべての大会のテーマの文言中に「経営労働」というキーワードが含まれている点は特筆に値する。学会創設メンバーの諸先輩方が,新たに設立された日本労務学会としてのアイデンティティを探求し,確立しようと奮闘されていた時期であったとみてよい。もっとも,第7回以降の大会では,経営労働という語に代えて「労務」というキーワードが第10回大会まで一貫して使用されていることも対照的に興味深い点である。
第2の特徴は,いわゆる日本的経営論で初期に議論されていた日本的な労務の在りよう,とりわけ日本企業に特徴的な雇用慣行がテーマとして取り上げられていることである。ここで注目すべきは,そうした日本的労務の取り上げ方として,その固有の特徴とそのメカニズムを探ろうとする意図が見えることであり,明示的にその改革を前提したテーマ設定とはなっていない点である。推量するに,個々の議論のうちにはそうした日本型システムの改革も部分的に言及されたかもしれないが,テーマ設定を見る限りでは,後の期に見られるような日本的労務慣行の変化や改革を志向した議論ではなく,日本の特殊性やそのメカニズムをまず探求し,その中でささやかに今後の日本的労務の行方を展望しようとするテーマ設定であったことは興味深い。
2.2 第Ⅱ期:マネジメント視点の台頭次に,1980年代となる第11回大会から第20回大会までのテーマをまとめたのが表2である。この第Ⅱ期は学界で日本企業における経営の特性について盛んに議論された時期であり,当学会のテーマ設定もそれを反映していることが窺える。
第Ⅱ期の特徴は,第1に,経営労働という初期のキーワードに代わる形で労務,わけても「労務管理」という用語が明示的にテーマとして掲げられた点である。第Ⅰ期から継続して経営労働や労務問題といった労働にまつわる現象を示唆する用語がテーマ中に盛り込まれてきていたが,第15回大会で初めて明示的に労務管理という語が使われ,その後も幾度かにわたり継続してこの管理という用語を付したテーマが付されたのである。一見,末尾に二文字が加わっただけの地味な変化なように思われるかもしれないが,筆者はこの点に,学会として大きな視点の移動があったように考える。労働や労務問題という客体としての労働現象それ自体の在りようを議論していた時代から,労働現象をむしろ経営者によりマネジメントされるべき対象として捉えようとしていることを,この変化は意味しているためである。
第2の特徴は,第Ⅰ期から引き続き日本的な労務慣行への関心がテーマに盛り込まれてはいるが,その取り上げられ方が第Ⅰ期からはやや変わり,日本的労務に対して影響を与えたり変化を促したりする諸要因がキーワードとしてテーマ中に盛り込まれていることである。例えば,「婦人労働」,「技術革新」,「情報化」,「国際化」,「外国人雇用」等である。いわば,第Ⅰ期が日本型労務の特殊性に着目し,その内容的特徴を明らかにしようという問題意識に立脚していたのに対し,第Ⅱ期ではむしろそれらが「変化」していくことをあらかじめ想定したようなテーマ設定となっている点が窺えるだろう。因みに,第11回大会のテーマ中に見られる「婦人労働」は,現代ではほとんど使われることのない用語であり,時代の変遷につれ,概念の表現方法が進化してきていることも興味深い。
2.3 第Ⅲ期:新しいパラダイムの探究続く1990年代は,日本経済のバブルが崩壊し,戦後最長の平成不況へと突入した時期である。この第Ⅲ期におけるテーマの変遷を示したのが表3である。
第Ⅲ期において特筆すべき点は,第1に,HRM(人的資源管理)という用語が初めてテーマ中に明示的に取り込まれたことであろう(第26回大会)。HRMの発想法が,集団全体よりも個々人にフォーカスを当てたものであることはよく知られているが,「労働生活の質」や「人材育成」,「ヒューマン・ルネッサンス」など,第Ⅰ期・第Ⅱ期に比して,集団よりも個々人の生活を焦点化したテーマの設定がなされていることがこの表3からも窺えるであろう。「労働」という語に代え,「仕事」という,明らかに個々人を単位とする用語が初めて登場する点(第24回大会)も興味深い。
第2に,「グローバル」という用語が初めてテーマ中に登場したのもこの第Ⅲ期である(第23回大会,第30回大会)。第Ⅱ期においては「国際化」にまつわる諸問題がテーマとして設定されていたが(表2,第17回大会),第Ⅲ期に入ると,各国の境界域を意味する「国際」を超え,地球規模全体を単一の土俵として捉える「グローバル」な視点で労務問題を考察しようとする傾向が顕著に見られるようになってきたといえる。
いずれにしても,日本的経営ブームが去ったのち,長引く不況とグローバル化に日本全体が喘ぐ中で,産業界・学界の双方が経営の新たな指導原理や基軸,「ニューパラダイム」(第25回大会)を探っていたのがこの第Ⅲ期であり,そうした状況を反映したテーマ設定となっているとみてよい。
2.4 第Ⅳ期:個人に対する関心の深化新世紀を迎えた最初の10年間にあたる第Ⅳ期は,第Ⅲ期でみられた「集団から個人への焦点の移動」がさらに一層進展した期であった。第Ⅳ期の統一論題テーマを示したのが表4である。
この第Ⅳ期の特徴は,第1に,グローバル化の進展する中,個人主義が大前提となる英米流の市場主義的発想法が企業の人事労務管理に及ぼす影響がクローズアップされてきたことである。第33回大会では「企業内雇用関係に浸透する市場圧力」が俎上に載せられ,「雇用流動化」や「成果主義」,「人材開発」,「エンプロイヤビリティー」など,集団よりも個人にフォーカスを当てたキーワードが目立つようになってきたのがこの時期である。我が国で,人事労務管理に代えて人的資源管理という用語の方が,人のマネジメントを表す学術用語として主流になってきたのもこの時期である。
第2に,従来型の典型的な「日本的経営」で暗黙裡に念頭に置かれていた人材像,すなわち「企業忠誠心が高く,定年まで同一企業で働き続ける男性の正社員,とりわけブルーカラー労働者」2からは外れた存在となる「高齢者」や「非正規労働者」,「ポスト工業化」といったキーワードを含むテーマ設定になっていることも興味深い。平成不況が長期化し閉塞感の漂う中,これまでとは異なった新たな人材層が,日本企業の最前線に立って将来を切り拓いていくことを,産業界・学界の双方が大きく期待するようになってきたことの表れとして捉えられるであろう。
また,第3の特徴として,この第Ⅳ期においては,統一論題の下にサブテーマを設けて2段構えにしたり,統一論題の全報告者が一堂に集うシンポジウム形式にして報告者相互やフロアとの意見交換を促したりといった,新たな大会運営方法が増えてきていることも顕著な特徴であるといってよい。この点は,学会全体として議論すべきテーマが多様化してきたこと(換言すると,誰しもが重要だと認める単一のテーマ設定が困難になってきたこと),一人ひとりの論者ごとの研究報告を聞いたのちの個別のディスカッションよりも,各論者間や参加者も含めた相互交流の中で論点を明確にし,議論を深めていく形式の方が大会として盛り上がり,大会の運営方式として有益であると考えられつつあったことを意味しているといえよう。
2.5 第Ⅴ期:グローバル競争下での人材そして,最も直近となる2010年代(第Ⅴ期)におけるテーマの変遷を示したのが表5である。
表5を見ると,第Ⅴ期においては,第Ⅲ期・第Ⅳ期にもまして,「グローバル化」を明示的にテーマに入れ,それの多方面への影響を論じようとする大会が多くなっていることが特徴の第1として挙げられる。グローバル化の下での技能人材・高度人材のマネジメント(第41回大会),アジアのHRM(第42回大会),グローバル化と労使関係(第47回大会)などにその様相が見て取れる。
また第2の特徴として,そうしたグローバル化はいわば所与の条件として,単一のグローバルな土俵上で競争し,高付加価値人材を各社がいかに確保するのか,いかに優れた人材を育成していくかが課題となっている点を挙げることができる。言い換えれば,現代はグローバル競争の時代であり,その中でいかに競争に勝って生き残るか,企業が利益を得ることができるかを前提としたテーマ設定がなされているのである。当学会の設立当初,経営労働における人間性回復を議論していた時代からは,人間労働や労務研究の捉え方が,その善し悪しは別にして,移ろいゆく時代の流れとともに大きく変容しつつあることが窺えるであろう。
前節においては統一論題テーマの変遷を5つの期に分けて特徴を整理したが,以下では学会創立当初の1970年以降の50年間全体を通じ,自由論題報告も含めた学会全体の研究動向やアプローチの変化を,筆者個人の主観的な認識に基づき,いくつか要約的にまとめておくことにしよう。
3.1 集団から個人へ統一論題テーマの変遷から窺える大きな特徴の1つは,労働現象を分析する単位が,集団全体から個人へとその力点が移動してきていることである。初期のころは,経営労働という現象そのものの理解に焦点があり,その概念枠組みは明らかに「経営vs労働」であった。すなわち,労働は何よりもまず経営に対峙する存在として認識され,労働はそれ自体としていかにあるべきかが当学会の底流にある問題意識であった。
しかし,時代を下るにつれ,分析単位が次第に集団から個人へと移行していき,人間は一人ひとり能力や個性が異なり,そうした個別の特性をいかに開発し伸長していくかが当学会でも関心事となっていった。したがって,自ずと「いかに人を管理すべきか」という“マネジメントの視点”がクローズアップされていくこととなった。同時に,今日ではやや堅苦しい感すらある「労働」という用語は影を潜め,代わって個人の日常に密着した「仕事」という用語が好んで用いられるようになった。「仕事」の対置概念は,昨今議論の喧しいワークライフバランスという用語が典型的に示しているように,個々人の生活(ライフ)なのであって,「経営」ではない。このことにも,集団としての労働に関心を持たれていた時代から,個人が中心の枠組みへと研究関心がシフトしていったことが窺える。
3.2 人は「役に立って当然」の人間観へ第2に,人間という存在の取り扱われ方も大きく変化してきた。人間とはいかなる存在であるかが議論され,「人間問題」や「人間性回復」が叫ばれていた時代から,人間は「人的資源」として企業や社会にとって有益であるべきこと,また有益であるために個人も企業も一丸となって奮闘努力すべきであることが暗黙の前提となっている時代へと移り変わってきた。いわば,「人は企業や社会に役に立って当たり前の存在である」という考え方が徐々に日本社会でも根付いていくこととなった。
「人的資源」を示す英語Human Resourceの“resource”という単語は日本語に直訳すれば「資源」であるが,英語圏ではたいてい「役に立って有益」というポジティブなニュアンスにおいて用いられる。感情や思考力を備えた生身の人間として,時には経営にとって厄介で「役に立たない」ことも想定されていた人事管理や労務管理のパラダイムから,役立ち有益であることが当たり前の大前提となる人的資源管理や戦略的人的資源管理のパラダイムへと人間の捉え方が大きく移行してきたことが,統一論題テーマのキーワードの変遷にも如実に現れている。
3.3 実証研究の隆盛,理論研究の敬遠そして第3に,研究のアプローチに関して,統一論題報告であっても何らかの実証データを踏まえ,それを分析した研究成果の発表という形態が増加してきた。自由論題報告においてはなお一層その傾向が強く,ここ数年の大会ではほとんどすべての研究報告が何らかの実証的調査に基づいている。集団としての「労働」から人間個人に焦点化した「仕事」へと関心が移行するにつれ,ミクロデータを収集してそれを分析しようとする研究報告,領域的には経営学や心理学で,特に組織行動論的なアプローチをとり,そこから何らかの新しい「発見」,マネジメントに関する示唆を得ようとする実証研究が,ここのところますます増加してきている。
同時に,かつては一定数を占めていた思想や理念を取り上げて吟味しようとする批判的で哲学的な研究,社会制度の在りようそれ自体を真正面から議論しようとする研究,先行諸研究での議論の立ち位置や分析視角を丹念に整理・分類しようとする研究,既存概念の精緻化を徹底して試みようとする研究,大局的に歴史の流れを捉えたうえで現状を位置付けようとする研究といった類の報告は,明らかに数が減ってきている。
換言すれば,人間や社会の理想的な在りようを問う長期スパンの研究から,むしろ現状の社会体制や制度体系は所与とした,個人の“身の回り”ないし“日常性”を検討しようとした短期スパンの研究へと,時代の流れとともに学会全体の関心がシフトしつつあるといえよう。何らかの結果が出てきやすい実証研究には進んで取り組むが,手間暇がかかりなかなか成果の出にくい理論研究は,当学会においても敬遠される傾向にあることを示唆しているのかもしれない。
さて,本節では,第2節・第3節でみたテーマやアプローチの変遷も踏まえながら,昨今当学会に参加して筆者が個人的に感じている点,とりわけ気掛かりな点をいくつか挙げ,当学会の今後へ向けた期待ないし要望を述べることとしたい。
4.1 学際性が真に意味することかつて本誌(18巻2号)の「巻頭言」に寄稿を依頼された際にも書かせていただいた点であるが,当学会のそもそもの出発点は労務問題に対する学際的な接近にあり,この学際性こそが日本労務学会の最大の特徴であった。複雑で多岐にわたり多くの課題を抱える労働という現象を,それぞれの専門家の立場から多角的にアプローチし,会員相互に議論をして理解を深めようというのが,そもそもの学会設立の契機となっていた。
当学会ホームページに掲載されている学会の歴史・目的の記述によれば,「経営学・経済学・社会学・心理学・法律学・労働科学の諸分野より,雇用・労働・人事・管理・経営・労使関係など広義の労務問題を多面的多角的に研究し…(中略)…会員の顔ぶれも大学教員・大学院生のみならず,労務行政担当者・企業経営者・人事労務担当者,コンサルタントなど多方面に及ぶ」ことが当学会の大きな特徴であるとされている。
しかし,残念至極なことではあるが,筆者の個人的感覚では,大会報告のプログラムを眺めてみても,また実際に学会の会場に足を運び各種報告を聞いてみても,昨今では以前ほどにはこうした学際性,多様な学問分野からの労働現象へのアプローチという当学会ならではの特徴があまり感じられなくなっている。例えば,経営学分野の研究報告は多いが,経済学や社会学からは少なく,法律学や労働科学からの報告は,前節でみた学会での関心の個人へのシフトに伴って昨今いっそう重要度を増しているようにも思われるが,ここのところほとんど見ることができない。
その大きな原因は,当学会の会員層が特定の学問領域や研究姿勢に偏ってきていることによるところが大きいと推測されるが,もう一点,その隠れた原因の1つは,学会での報告者自らが,それぞれの学問のディシプリンや特性を十分に意識したうえで研究報告の枠組みを組み立てていないからという理由もあるのではないかと感じられる。例えば,経営学の専攻者で,経営学の立場からの報告であると報告者本人は標榜していたとしても,いざなぜそれが経営学の報告であるといえるのかと問われると,回答に窮する場面も散見される。研究課題に対していかようなアプローチをとり,どこに議論の落としどころを持ってくれば経営学の研究になるかが十分に考えられていないのである。
そもそも「学際性」とは,その学問固有の特性を曖昧にしたり,中途半端に他学問と接合したりすることではないはずである。そうではなく,むしろ逆に,それぞれの学問の固有の特性を研究者が十分に認識し,それに則った報告を組み立て,他の学問領域から得られた知見と比較することによって―そして他領域の専門家たちも交えた相互の議論を通じて―初めて真の意味における学際性が議論できるし,多様なバックグラウンドをもった会員の集合体としての「学会の効用」が得られるものではないかと私自身は考えている。つまり,些か逆説的ではあるが,それぞれの研究者が,ただ漫然と対象にアプローチするのではなく,自らの取り組んでいる研究がいずれの学問的方法に依拠しており,何ゆえにそうであるといえるか,その学問固有の特性を十分に把握したうえで研究報告に臨み,他領域の専門家と議論し合うことで,当学会の学際的な魅力がさらに活かされることになるのではないだろうか3。
加えて,経営者や人事労務担当者,コンサルタントといった実務家の方々の報告も,アカデミックキャリアを歩む学者プロパーの専門家には知られていない実務上の課題やその独自の解決方法などに焦点を当てた研究報告であれば,こうした「学際性」のメリットはさらに活かされることになるであろう。
4.2 門外漢にも開かれた議論また,上述の点とも関連するが,昨今,とりわけ自由論題の会場や部会例会などに参加していて感じるのは,とみに難解でいかめしく,ごく一部の専門家内のみに“閉じた”研究報告が多くなっているように思われることである。当学会での報告者は,学際性を標榜する学会であればこそ,他領域の専攻者,その領域の知識が乏しい素人に対しても十分に理解可能な,開かれた報告を心がけるべきではないだろうか。そのためには,まず自身が取り組んでいる研究がなぜ面白いのか,なぜ取り上げている問いが研究する価値のある問いであるのかを,門外漢にもわかるよう噛み砕いて説明する努力が必要となるであろう。
例えば,統計手法を用いて2つの変数間の関係性を調べようとしている研究であれば,そもそもなぜその2つの変数間の関係を調べる意味があるのかの丁寧な説明―それも当該学問の特性に照らしたうえで,なぜその点の調査をしなければならないかの説明―が,とりわけ日本労務学会のような学際的で多様な学問領域や実務家が参画している学会であればなおのこと,高度にテクニカルな統計的手続きやデータの提示に先立って,きっちりなされていて然るべきではないだろうか。“問い”の意義を聴衆と共有できるよう,言葉を尽くして伝える努力をすること―これが学問という知的営為において最も重要な基盤をなすはずである。聴衆は,報告者の研究の“問い”さえ共有できれば,途中の議論の細部が十分にわからなくても,自身の経験に照らしディスカッションに参加することが可能になる。
当学会の最大の魅力である学際性を今後も維持していくために,各研究者が自身の学問上の立ち位置を明確に意識すること,自身の取り組んでいる研究課題がなぜ当該学問の発展にとって重要であるかを重々意識すること,そして実際に学会で報告するにあたっては,たとえずぶの素人が報告を聞いても論理を追えば理解が可能なように噛み砕いた説明を心がけること―それぞれの報告者がこれらの点に少し留意するだけで,当学会の研究報告はさらに議論が活性化し盛り上がるだろうし,学際的学会ならではの日本労務学会の魅力をさらに増していくことにつながるに違いない。
以上,筆者がこれまで当学会に参加しての感想的コメントを,思いつくままに述べさせていただいた。小稿のメッセージを要約すると以下の5点にまとめることができる。
とりわけ,小稿の第4節で述べた昨今のいくつかの動向は,こと日本労務学会に限った現象ではなく,日本の学術界全体に蔓延する大きな課題が当学会にも顕在化しつつある状況として筆者は捉えている。ただ,科学的に厳密な手続きを経てこうした趨勢が検証されたわけではなく,その意味においては,小稿はあくまで筆者の個人的な感懐ないし危機意識を書き綴ったに過ぎない。
末筆ながら,この2020年に学会創立50年目を迎える節目の第50回大会は,はからずも筆者の勤務する神戸大学を主催校として開催されることとなり,筆者が大会実行委員長を仰せつかることになった。第50回大会では,小稿で述べた諸々の点にも留意しつつ,労務研究がこれまで辿ってきた半世紀の道程を振り返り,現時点での到達点を各学問領域や立場から捉え直し,参加者各位とともに大いに議論することを通じて,今後の労務研究の明るい未来を展望できるような大会にできればと念じている。
(筆者=神戸大学大学院経営学研究科教授)