2020 Volume 21 Issue 1 Pages 21-36
This paper revealed how the top managers learned cognitively from the events experienced through the career system of their company and the difference of the learning methods between top managers and the employees who were not ones though they had once been nominated as the candidates. In addition, it identified that top managers utilized the different ways of cognitive learning methods according to the traits of the carrier experiences regarding personnel transfer whether characteristics of new jobs had strong interdependency with previous ones or not.
The past research have approached this theme with the two different ways; one adopted the event-lesson framework and the other employed the economic analysis based on the cost-benefit comparison for personnel transfers within a firm. This article pointed out the problems of the two approaches, and, it, therefore, investigated the relationship between the career experiences and the lessons from them with the “event-cognitive learning-lesson” framework.
The interview research was conducted in 2006 to the 20 employees who were candidates of the top management members of the large and listed Japanese company at that time. And 8 years later, 11 of them became the directors of the holding company or its two main business companies.
The following discussion indicates that these findings imply these three things. First, ther is the need of introducing “event-cognitive learning-lesson” framework to future researches. The framework will give the more precise explanation the way employees learn from their career events proactively. Second, the tendency of cognitive learning employees conduct may be one of the important determinants for mastering the requisite knowledge and abilities for top managers. Finally, there is necessity of the modification of the economic theory on the rational width of personnel transfer and its function for the development of top managers.
The limitation of this research and the further direction of research were also indicated.
今日,日本企業の経営者をいかに育成すべきか,ということについて議論がなされている(例えば奥林; 2018,三品; 2004)。また複数のシンクタンクの実態調査から2000年代に入り次世代経営幹部候補育成プログラムを導入する企業が急増している(内田, 2015)。そこで本研究は,日本企業の役員育成方法を明らかにすることを目的とする。
日本企業の経営人材に求められる能力・技量についての研究は伊藤・照山(1995),猪木(2002),橘木(1995)などが存在するが,育成メカニズムについて日本企業の役員を対象とした実証研究はない。対象を日本企業の管理職やホワイトカラー層に拡げると,2つの研究の流れがある。第1がキャリアにおける経験とそこから学んだことの対応関係を明らかにするものである。第2は従業員が異動する際に得られる新たな知識による生産性の向上と異動に要する費用から合理的なキャリアの幅を明らかにし,そこで修得されるものを明らかにするものである。
第1の研究群は金井・古野(2001),金井(2002)が代表的なものである。これらはMcCall, Lombardo, & Morrison(1988)などの研究を参考に,日本企業の管理職のキャリア上の経験とそこから得られた教訓を抽出し整理している。これはその修得のメカニズムを明らかにするものではない。松尾(2013)はKolb(1984)の経験学習モデルを導入することの必要性を主張し,管理職の経験と能力の関係を調べた。Kolb(1984)の経験学習モデルは4つの適応学習モードを有する4ステージ・サイクルとして描かれる。それらは具体的経験(concrete experience),内省的観察(reflective observation),抽象的概念化(abstract conceptualization),能動的実験(active experimentation)である。このモデルは従来の伝統的教育の理想論者的アプローチや行動主義アプローチとは異なるもので,学習とは経験の変換を通して知識が創造されるプロセスである,とする(Kolb, 1984, p.41)。具体的には経験に対し学習者は能動的に内省的観察を行い,そして概念操作を行い,新概念的把握を行うとするもので,行動主義の学習理論のように環境からの刺激に対して反応するという受動的存在ではない,とする。バンデュラ(1979)は「極端な行動主義に対する妥当な批判は,それが,みせかけの内的要因を避けようとするあまりに,人の認知機能から起こる行動決定要因を無視したという点に向けられている。」(p.12)と,同様の主張を行っている。今井・野島・岡田(2012)は行動主義の学習観を否定した上で学習者の保有知識と計算(情報処理)により新知識を得ることを認知学習と呼んだ(p.11)。計算(情報操作)は認知機能である。そこで本研究では認知学習を,人が経験に対し認知的な操作を行うことで新知識を得ること,とする。認知学習を取り入れることでキャリア経験からの学習内容の個人差,およびその後のキャリアの違いを丁寧に説明することが可能となる。
第2の研究群は,猪木(2002)のホワイトカラーの「総合的判断力」の研究などである。「総合的判断力」は「主職能を中心として,それに関連性が高い副職能を1,2経験すると,修得コストを上回るベネフィットが生まれる。」(p.53)ことで作られる。異動の際に異動元の領域と隣接していると,修得のコストが軽減される(p.51)。さらに隣接した分野を複数経験することは分野間の技量の補完性の高さにより主職能自体の限界生産性も高まる,とした(p.52)。実際の日本企業のキャリアの幅に関する調査では,必ずしも猪木(2002)の仮説を支持するものではない。日本労働研究機構(1997, 1998),平野・内田・鈴木(2008),砂田・遊間(1998),辻(2008)の研究結果を内田(2015)がまとめており,①日本企業の管理職は平均的に2から3の異なる職能を経験している,②日本企業の管理職のキャリアには「単一職能型」「準単一職能型」「複数職能型」の3類型が存在する,③役職が低いうちは同一職能内および関連する職能に留まるが,部長クラス以上になると他職能に異動するようになる,④上記特徴は平均像であり,企業ごとにその特徴は異なる,とした。特に②や③は猪木の仮説と反する。この仮説には補完関係の弱いところへ異動した際には,異動者は新たな領域で1から学ばなければならず費用がかかり,企業にとって価値のあることが生じず,機会損失も生じる,という前提が置かれているように思われる。補完関係の弱い機能への異動における認知学習の実態を明らかにし,それに伴う費用を確認する必要がある。認知学習の種類によっては学習費用が想定より低い可能性もある。
本研究はキャリア・システムに基づく経験から役員となった人材は技量を修得している,という基本的な考え方を受け継ぎながら,キャリア経験と学習内容の間に認知学習を入れた分析フレームワーク(キャリア経験→認知学習→学習内容)を設定する。その上で,以下のリサーチクエスチョン(RQ)を設定し,答えを求めていく。
ここではキャリア経験→認知学習→学習内容フレームワークに入れるべき具体的な認知学習を明らかにし,分析用の認知学習類型を作る。なお同様の既存研究がないことから,本研究では事実発見的なアプローチを採用する。従ってキャリア経験の学習に用いられると考えられる認知学習をできるだけ取り上げる。
楠見(2010)は大人の学習の特徴には「教育によらない学習」「生涯学習」「青年期までに獲得した高い認知能力を基盤とする」とした上で,①経験の反復に基づく学習,②経験からの帰納,③観察(社会的)学習,④他者との相互作用,⑤メディアによる学習,⑥類推による転移の6つがあるとした(pp.250-253)。大人の学習方法はキャリア経験学習に用いられている可能性がある。またBarsalou(1991)は目標導出カテゴリーという認知的カテゴリー形成のメカニズムを明らかにした。通常は関係がないと認識される物事が特定目的を設定することでカテゴリー化されることである。関係ないと思われていた多様なキャリア経験による様々な知識が,特定の経営問題の解決という目的が設定されることで認知的に同一カテゴリー化されることがあり得る。前述の伊藤・照山(1995)が示した「多様な情報を処理・統合する能力」「会社と事業についての広範な知識」はこのメカニズムによる可能性がある。
ホワイトカラーのキャリア経験に基づく技量修得については小池(2005)の知的熟練論がある。小池(2005)はホワイトカラーの知的熟練を「『専門の中での幅広く』キャリア経験により形成される「不確実性をこなす技能」(p.64)だとする。しかし後に見るようにこれを説明できる認知学習論は見つけられなかった。そこで知的熟練を認知学習として捉え直し本研究の俎上に載せる。なお小池(2005)の知的熟練論における異動に伴う費用および費用と便益から合理的な異動範囲を導き出すという考え方は猪木(2002)と同じである。
同じ認知学習でも学習の場が内部か外部かという文脈の違いにより,企業にとっての学習内容の意味合いが異なることが考えられる。そこで学習の場(企業内外など)と各認知学習を掛け合わせ,認知学習類型を構築する。以下ではこれらの諸理論を概観し,学習文脈を考慮し,分析で用いる認知学習類型を構築する。なお各認知学習理論間の関係は,本研究が探索型の接近を試みるものなので特殊な仮定は置かず,相互に独立とする。
2.2 認知学習理論第1の経験の反復に基づく学習は熟達化研究で扱われてきた。一つの特定領域に10年以上などの長期にわたり(Ericsson, 1996),段階を踏んで(Dreyfus & Dreyfus, 1991),小幅の変異のある課題解決を行っていくことにより(大浦,1996),手続き的知識からそれ全体およびその下位手続きに意味が付与された概念的知識を持つようになり課題状況の変化に柔軟に対応していく解を導くことができるようになること(波多野・稲垣,1983),とまとめることができる。
実際の文脈では同じ部署で同じ業務を長期にわたり行い続ける場合と,同じ職務であるが職場を異動する場合がある。前者を「熟達(単)」,後者を「熟達(複)」とする。
第2の経験からの帰納は帰納的推論と呼ばれるものでJohnson-Laired(1993)は以下の3段階のものとする。第1段階は命題や言語アサーション,知覚的観察を把握すること,第2段階はこの情報をその背景に関するもしくは一般的な知識との関連でよりよい記述や理解に至る仮説を形成すること,第3段階は結論を評価し,その結果としての結論を維持・修正・棄却することである(pp.64-65)。なお経験からの学習において帰納法を用いず,学習する領域における概念(領域理論)の知識から演繹されるものがあるとし,これを「説明による一般化(explanation-based generalization)」とした(Mitchell, Keller, and Kedar-Cabelli ; 1986, Johnson-Laired; 1993, p.65)。すなわちある個別経験に対して帰納的推論による仮説形成を用いる場合と演繹推論を用いるものがあり,本稿では前者を「経験からの帰納」,後者を「説明による一般化」とする。
第3の観察(社会的)学習についてであるが,バンデュラ(1979)は,観察者がモデルを選択し,そのモデルの活動に関する象徴的表象を獲得し,これが適切な遂行のための道標として作用するものであり,注意過程,保持過程,運動再生過程,動機づけ過程の4つの下位過程からなるものとした(pp.25-32)。観察学習者の注意および保持過程において,他者経験についての知覚を表象し保持することが認知的な学習の主要部分となる。実際の文脈においてはモデルを社内の人にするか社外の人にするかで企業特殊性やイノベーションの源泉などに対する行動などに違いが出てこよう。そこで前者を「観察学習(内)」,後者を「観察学習(外)」とする。
第4の他者との相互作用であるが,学習に対し他者が果たす役割を理論の中心に据えたのはヴィゴツキーで,支援によって実現される動態を「最近接発達領域」という概念にまとめた(中原,2010,p.36)。これは人間の発達は一定の範囲において独力では不可能であるが,他者の支援により発達できる領域があるというものである(ヴィゴツキー, 2001)。中原(2010)は精神支援,業務支援,内省支援の3つがあることを明らかにしている(pp.47-70)。ここから他者との相互作用とは,精神の持ち方,業務遂行,内省に関する新たな認識が,他者との関わりの中で醸成される認知学習,とする。
実際の文脈において,企業外の他者との相互作用による学習を越境学習と呼び,その研究が進んでいる(荒木;2008, 石山;2018, 松本;2013など)。企業内部の他者との相互作用とは異なる学習効果が確認されている(中原, 2012, pp.212-214)。そこで企業内でのものを「他者との相互作用(内)」,社外でのものを「越境学習」とする。
第5のメディアによる学習であるが,楠見(2012)は書物,雑誌,テレビ,インターネット,マニュアル,内部資料,研修などのメディアを通した学習(p.44)としている。メディア学習の一つであるテキスト学習についてKintsch(1994)はテキストベース(textbase)によるものと状況モデル(situation model)によるものの2つを挙げ,前者はテキスト内容の理解であり,後者は学習者の関心のある領域における知識の中に取り込まれ全体を構成するものとした。メディアによる学習が他の学習と異なる点は,学習すべき内容が事前に結束性の高められた分かり易いものであることだ。深谷(1996)によると,既存研究において自然科学に関するテキストでは結束性が高いとテキストベースの学習に優れ,状況モデルの構築には推論を抑制するので適していないことが明らかであるが,社会科学に関するテキストでは結束性の強さがテキストベースの学習に効果をもたらすものの,状況モデルについては学習者の知識量や態度などが影響を与えるなど,その関係は明らかになっていない,とする。そこで本研究はメディア学習をテキストベースの学習と状況学習に分けずに扱う。実際の文脈においては企業外部の情報を取り込むのか否か,という点において学習内容の意味に違いが生じるので,自社資料などはメディア学習(内),書籍など外部のものはメディア学習(外)とする。
第6の類推による転移であるが,鈴木(1996)は「ベースドメイン(既によく知っていること)の要素をターゲットドメイン(知りたいこと)に写像すること」とした(p.13)。Gentner(1983),Gentner & Medina(1998)などの構造写像理論はベースとターゲットの表象を構造的に整列させ,共通性と差異性を認識し,ベースをターゲットに写像することで推論を行うこととする。共通部分においてはベースをターゲットにそのまま写像する。またベースとターゲットの整列関係において,ターゲットの不明な(理解できていない)個所はベースの対応するものを写像し推論がなされる。文脈としては企業内部の経験を内部に転移するものを比較・類推(内),外部における経験を内部に転移する場合を比較・類推(外)とする。
目標導出カテゴリー(goal-derived category)という認知的カテゴリー形成のメカニズムがある。Barsalou(1991)は現在そして新規の目標を達成するために記憶の中で既に確立したものではなく,準備なしに得られたカテゴリーであるとし,例としてサンフランシスコでの休暇という目標に対して,仕事の中断を最小限にする出発時間,カリフォルニアで訪問する人々,小さなスーツケースに詰めるものというカテゴリーが形成されることを挙げている。そしてこの特徴を典型事例学習(exemplar learning)によるカテゴリー化ではなく,概念結合(conceptual combination)であるとする。ここから本稿では現在の職責より上位の視点から目標を置くことで,複数の様々な知識や情報を同一カテゴリー化し,目標に向けてそれらを連関させることを総合的判断学習とする。
知的熟練であるが,これは認知学習の観点からは単一職能内の複数職務を経験する(単一職能)およびそれに加え補完関係のある他職能の職務も経験する「準単一職能」という長期間のキャリアを経験することで職務と職務間の連関関係および職務に必要となる各種知識を構築し,同一職種の経験のみでは困難な不確実性や変化への対応力を修得すること,と考えられる。文脈の違いから知的熟練(単)と知的熟練(準単)を設定する
この他実際のビジネスの場面では上司や先輩などから一方的に,仕事の仕方や考え方などをレクチャーされ,教える側から整理された概念および概念間関係が提示され,それを学習者は認識し,理解することもあるだろう。従来教える側からの観点で「教授」と呼ばれているものである。これも認知学習の一つとして扱うことにする。これはテキスト学習に近いと考えられるが,テキスト学習は学習内容や学習時間などについて学習者が自ら決定できるが,レクチャーの場合,教授する側により概念・概念間関係,時間などがコントロールされる場合が多く,また相互作用によるフィードバックが存在する,という違いが存在する。これをレクチャーによる学習とする。なお文脈としては企業内部である。以上のことから表1のように16の認知学習を類型化する。
調査対象者は一部上場の食品を中心とした複数事業を行う会社を傘下に持つ持株会社および傘下の事業会社の次世代経営幹部候補20名である(以下このグループ企業全体をA社とする)。A社は戦後まもなく設立され,特定食料品分野では長年にわたり強い競争力を有する日本企業である。2020年3月期のグループ全体での従業員数は6,000人強である。日本企業のキャリア・システムを検討する上で適していると考えられる。調査時期は2006年11月で,1人1時間半程度それぞれのキャリアと認知学習した内容についてインタビュー調査を行った。データはすべてボイスレコーダーに録音し,文書化した。調査時期から8年経過し,対象者20名のうち11名がA社における持株会社および主要事業会社2社の役員となっている。役員になっていなかった9名を非役員とする。役員・非役員のインタビューデータの分析を行い,先のRQの答えを求める。なおインタビュー手法を用いた理由は,調査時点においてキャリア経験における認知学習過程の詳細なデータ収集が可能と考えたためである。
3.2 分析方法本研究における中心的な分析はインタビュイーがキャリア経験からどのような認知学習を行ったのかということに関する語りを16の認知学習類型のいずれかに分類していくことである。まず筆者がインタビューデータからキャリア経験に基づく全ての認知学習に関する記述を抜き出し,次いで筆者および他の研究者が別々に分類を行い,最後に二人の研究者間で分類の異なったものについて議論し共通見解を得た。
RQ1は「経営人材はそれまでのキャリアにおいてキャリア経験に対し認知学習を行っているのか? また認知学習をしているならば,どのような認知学習を行っているのか?」である。表1の認知学習類型に基づき役員となっている者を対象としたインタビューデータの内容分析を行い,認知学習事例を抽出・分類し,各認知学習の出現頻度,一人当たり回数(一人当たり学習回数)および認知学習ごとに用いた人の割合(学習人数比率)を明らかにする。RQ2は「経営人材と経営人材になれなかった人材とでは行う認知学習に違いがあるのか?」である。これに対してはRQ1に対して行う分析と同様のものを非役員に行い,その比較を行う。RQ3は「役員となる人材が補完関係の弱い職務に異動した際,どのような認知学習を行っているのか? それにはどのような学習費用が発生しているのか?」である。これに対し役員を対象に以下の分析を行う。まず異動における職務の補完関係の強弱の弁別である。砂田・遊間(1998)およびA社の人事の方々の情報を基に,職能間の連関の強さから職能を6つの職能群に分類する。そして職能群間異動した際に用いた認知学習を明らかにする。この結果役員で職能群間異動を経験していた人は6名で,それぞれの職能群間異動数は1回から3回,一人当たり平均1.67回であった。
役員・非役員および全体の学習の分析結果を表3に示す。RQ1に対する答えを明らかにする。役員の確認された認知学習数は215回,一人当たりの学習数は19.5回/人,16の認知学習別では一学習当たり平均13.4回用いられていた。用いられる頻度の多かった認知学習の上位3つは,経験からの帰納(96回),比較・類推(内)(38回),比較・類推(外)(15回)であり,頻度の少ないものはメディア学習(内)(1回),知的熟練(準単)(1回)であった。以下に頻度の多かった認知学習の具体ケースと分類の根拠を示す。
役員はキャリア経験に対して異なる認知学習を介して知識・技量を修得していた。ここからRQ1に対して,役員はキャリア経験に対し認知学習を行っており,特に経験からの帰納,比較・類推(内),比較・類推(外)を多く用い,メディア学習(内)や知的熟練(準単)はあまり用いていない,という答えを得た。
次いでRQ2の答えを明らかにするために非役員の分析結果を示した上で,役員との比較を行う。非役員において確認された認知学習数は134回で,一人当たりの認知学習数は14.9回/人,一認知学習当たり平均8.4回であった。用いられる頻度の多かった認知学習は,経験からの帰納(58回),比較・類推(内)(21回),メディア学習(外)(14回)であった。また観察学習(外)および越境学習は0回であった。比較のために役員と非役員の学習別の一人当たり学習回数平均差(回数ベース)および学習人数比率差(人数ベース)を計算した。一人当たり学習回数平均差において役員が多かった主なものは経験からの帰納(2.28回),比較類推(内)(1.12回),比較類推(外)(1.03回),説明による一般化(0.65回)であった。非役員が多かったものはメディア学習(外)(-0.74回;マイナスは非役員が多く用いていることを示す),メディア学習(内)(-0.35回),他者との相互作用(内)(-0.32回)であった。なお学習ごとの平均差の平均は0.29回である。認知学習別の学習人数比率差であるが,役員は説明による一般化(39%),レクチャーによる学習(32%)を用いる人が,非役員ではメディア学習(外)(41%)を用いる人がより多かった。ここからRQ2に対しては以下の答えを得た。役員と非役員には認知学習の総数および認知学習の種類に違いが存在した。役員は認知学習の回数が非役員より多く(役員:19.5回,非役員:14.9回),個別の認知学習では役員は非役員よりも経験からの帰納,比較類推(内),比較類推(外),説明による一般化,レクチャーによる学習をより多く用い,非役員はメディア学習(外),メディア学習(内),他者との相互作用(内)を役員よりも多く用いていたということである。先に示した事例以外で役員が用いていたものの例(説明による一般化,レクチャーによる学習)を示す。
【ケース4:説明による一般化】RQ3は役員のこれまでの職能群間異動における認知学習についてである。分析結果を表4および表5に示す。
役員となった11人のうち職能群間異動を経験した者は6人で,異動回数は11回確認された(平均1.83回/人)。全11回の職能群間異動において30回の認知学習がなされていた。これは職能群間異動以外をも含めた全ての認知学習とは異なる傾向を有していた。全ての認知学習において最も頻度が多かったものは「経験からの帰納」(96回),次いで「比較・類推(内)」(38回)であった。一方職能群間異動においてなされた認知学習30回のうち最多頻度のものは「比較・類推(内)」(12回)で,次いで「経験からの帰納」(8回)であった。職能群間異動においては「比較・類推(内)」が中心的なものであった。具体的なケースを見ると職能群間異動による比較・類推(内)」により異動先の部署の問題を認識し,改革を行ったものも存在していた。以下に部署改革につながった職能群間異動における比較・類推(内)の事例を示す。なお部署改革などとは関係のない職能群間異動におけるケースは先のケース2を参照されたい。
【ケース6:部署改革につながった職能群間異動における比較・類推(内)】1本研究は日本企業の役員の育成メカニズムを明らかにするために,役員のキャリア経験に対する認知学習のあり方を調べ,以下の3つを明らかにした。第1は役員・非役員ともキャリア経験から認知学習を行っていることである。そして役員は「経験からの帰納」,「比較・類推(内)」,「比較・類推(外)」を多く用いていた。第2は役員・非役員別の認知学習の特徴である。役員は非役員よりも認知学習数が多く,また「経験からの帰納」,「比較・類推(内)」,「比較・類推(外)」,「説明による一般化」「レクチャーによる学習」を多く用いていた。一方非役員は「メディア学習(外)」,「メディア学習(内)」,「他者との相互作用(内)」を役員よりも多く用いていた。第3は役員の補完性の弱い仕事への異動における認知学習である。「比較・類推(内)」が最も多く,次いで「経験からの帰納」であった。これは全ての異動で見られるものと異なっていた。
これらの結果は新しい知見を与えるものである。第1にキャリア経験と学習内容との関係を探るにあたり,従来はキャリア経験→学習内容というフレームワークが用いられてきたが,キャリア経験→認知学習→学習内容にする必要があるということである。認知学習という能動的な学習がなされていたので,その能動性を分析フレームワークに組み込まないと経験と学習内容の関係を丁寧に説明できない。例えば同一経験でも人により学習内容が異なることなどである。またKolb(1984)の経験学習論は経験から認知学習する一般的プロセスを示すものであるが,本研究からは「経験からの帰納」「比較・類推(内)」などより個別の認知学習の諸理論を用いることの必要性が明らかになった。このことは楠見(2010,2012)でも主張されている。ただしこのことは方法論的個人主義のみを支持し,方法論的全体主義を否定するものではない。企業文化などの制度的要因が人間の認知活動に影響を与えることを否定できない。今後キャリア経験の認知学習における個人的・制度的要因双方の影響を明らかにする必要がある。
第2は認知学習のあり方から役員と非役員を弁別できる可能性についてである。役員は,非役員よりもキャリア経験からの認知学習回数が多かった。これは経験からの学習能力が昇進などに影響を与える可能性を示唆する。また「経験からの帰納」「比較・類推(内)」など企業内部のことを理解し,発展させる可能性の高いものが中心であった。一方で非役員は「メディア学習(外)」を多用していた。Lepak & Snell(2002)の人的資源アーキテクチャー論は企業の中核人材の要件として資源ベース戦略論における企業特殊性を挙げる。「メディア学習(外)」で得られるものは企業特殊性とは関係が弱く,それだけでは評価されにくい,ということが考えられる。
第3はキャリア経験における合理的なキャリアの幅に関するものである。猪木(2002)は「主職能を中心として,それに関連性が高い副職能を1,2経験すると,習得コストを上回るベネフィットが生まれる。」(p.53)とした。これには補完関係の弱い仕事に異動した際には今まで修得した知識や技量は活用できずコストが掛かり,なおかつ主職能遂行時にもメリットがないという考えが存在する。しかしながら本研究では役員は職能群間異動を平均1.83回行っており,その際には,通常の時と異なり「比較・類推(内)」を「経験からの帰納」よりも多用することが確認された。「比較・類推」は構造写像理論が基礎にあり,補完関係性が弱くとも,異動前後の仕事内容に共通性を認識すれば,過去の仕事経験や知識を用いて,また差異性の一部は異動前の仕事経験や知識を代用することで新しい仕事の理解が促進されることを意味する。これにより従来考えられているよりも低いコストで補完関係性の弱い仕事を理解することが可能となる。生産技術からマーケティングへの異動においてほとんどコストが掛からなかったケース2がこのことを示す。実際に職能群間異動でなされた30の認知学習のうち12,即ち40%が「比較・類推(内)」であった。また過去のいずれの仕事もターゲットである新たな異動先の仕事を理解する上でのベースとなり得ることから「比較・類推(内)」ができれば,仕事経験が多様なほど,過去の仕事と補完関係の弱い仕事でも低コストで学習できるようになる,と考えられる。加えて今回補完性の弱い仕事への異動が「比較・類推(内)」を契機として部署改革を導くことが見出された。これは異動前後の部署の仕事の仕方や考え方,価値観などの違いから,異動先の問題点を認識し,部署改革に至るというものだ。部署改革に成功するとそのメリットは長期に及ぶので,補完性の弱い職務への異動に関するコストを上回る可能性が高くなり,主職能との補完関係の必要性を主張する根拠は弱まる。また効果の長さから全ての補完関係の弱い仕事への異動で改革がなされなくとも一定割合の成功で十分に効率的となり得る。さらに異動先ではなく異動元の仕事の仕方・考え方・価値観などの問題に気づく場合もあろう。これは異動者に会社の強み・弱みの認識(例えば「研究開発は強いが営業は弱い」など)につながる。制度化された補完性の弱い仕事への異動は常に一定割合で社内改革を生じさせ,また職能間レベルにおける問題点を認識する人材育成機能を有すると考えられる。このことは補完性の弱い仕事への異動に合理性が存在することを示唆し,異動の幅に関する従来の理論の再考を促す。このダイナミックなメカニズムによる積極的な側面はこれまで光が当てられてこなかった。本研究の重要な貢献と考える。なおこの考えはテクニカル・スキルではなくコンセプチュアル・スキルが求められる経営上位層(Katz,1955)に適するものと考えられる。
一方で職能群間異動において「経験からの帰納」「レクチャーによる学習」などコストの掛かるものが60%用いられていた。ここには多大なコストが発生するが,部署改革の発生確率を高め,また経営者に必要な知識なども得られることから,相対的には経済的合理性を有すると考えられるが,発生コスト自体を抑制するメカニズムが存在する可能性もある。実際日本企業には職能群間異動などがなされた場合,新たな職場の上司ないし部下の少なくともどちらかにはベテランを残しておく慣行がある。ベテランによるサポートは異動者が専門知識を有しないことによるリスクを回避し,必要最低限の費用になるよう図られていると考えらえる。こうした異動に関する慣行や関連制度を含め,異動の幅の合理性を検討することが今後求められる。
本研究の限界であるが,本研究のデータは対象者が部長クラスの時に収集されたもので,そこから役員になるまでの間のデータは存在しない。理論化に向けては今後部長から役員になるまでのデータによる研究が必要である。またメーカー1社の20名を対象としたケース研究であることに留意が必要である。本研究の結論と示唆されたことの一般化に向けては追試のみならず統計調査に基づく研究が必要である。キャリア経験の認知学習分類の精緻化と測定方法の開発が不可欠である。
本論文は神戸大学経営学研究科へ提出した博士論文「日本企業のキャリア・システムにおける学習のメカニズム― 次世代経営幹部候補の育成―」(2016年)の一部について,データを再分析し内容を修正したものです。ご指導いただいた金井壽宏先生,平野光俊先生,松嶋登先生に感謝申し上げます。また本論文のインタビューデータの内容分析にあたっては信頼性を高めるために,山口大学経済学部平野哲也准教授に多大なご協力を頂きました。ここに謝意を表します。
(筆者=山口大学経済学部教授)