2021 Volume 21 Issue 2 Pages 21-43
The purpose of this paper is to explain the mechanism of flexible HRM in terms of coordination of various interests hold by stakeholders such as employers, human resource staffs, frontline managers and employees. In order to adapt to the environment, HR system as the bundle of HR practices has to keep updating its constitution and objectives. In SHRM literature, though the elements of flexible HRM has been specified, the nature of flexibility as organizational process is still ambiguous. Design and implementation of HR practices are not only the result of a compromise between different interests, but also the result of political and distorted decision making. So, by introducing new HR practices though much of problems are solved collectively and individually, other problem solving are put off. Rather, new problems tend to emerge from such a compromise. They show that the evolution of HRM is inevitably contentious and incremental. Two factors enable collective and individual coordination of interests. Firstly, such process is based on stakeholders' multilayer interests. Though interests of stakeholders are different superficially, many of them share an assumption such as the importance of a reasonable level of organizational performance which is able to achieve through cooperation between stakeholders. Secondly, HR practices are “ quasi-rules” which allows stakeholders to interpret and utilize them flexibly.
他の社会システムと同様,人事管理にも,「環境に適応するために,目的とそれを達成する体制を設定または更新する」という性質がある。例えば,Boxall, Purcell and Wright(2007)は,ハンドブックの冒頭において,人事管理について,「望まれる目的の達成に向けて仕事と人を管理すること」と定義する(p.1)。また,平野・江夏(2018)は,それをより詳細にする形で,「変化する経営環境に対応し続ける中で組織の目標を達成することにつながる,従業員の組織化や作業能率推進を行うための管理上の規則や活動の総体」として,人事管理を捉えている。
有効な人事管理のためには柔軟性が不可欠であることを示すこれらの定義においては,「環境」「活動」「業績」の間の相互作用が明確に意識されている。一般的に,環境が活動を,活動が業績を規定するのはイメージしやすい。しかし,それに加え,業績から活動に対して,所定の活動を強めたり弱めたりする,別の活動の選択を促す,といったフィードバックが存在する。学生の採用が困難な企業が,新卒採用の手法を改めるというのが,その例である。また,実際の業績を踏まえて,活動を取り巻く環境の定義を改めたり,身を置く環境を改める判断をしたりすることもある。同じく採用の例で言えば,学生の採用が困難になった企業が,「今は売り手市場である」と労働市場への認識を改める,業務の自動化を進めるなど労働市場への依存度を下げる,といったことである。中途採用市場との接点強化も,環境変更の一例である。
環境には主観的に理解される側面があるとすると,環境が活動を一方的に規定するという決定論的な描写が妥当だとは言いにくい上に,現実の人事管理においても環境決定論的な実態はそれほど見られない。例えば,業界や組織規模に応じた人事管理の多様性は一定程度あるものの,あるクラスター内での多様性も同様に大きい。適者生存やベスト・プラクティスの流布が,迅速に進むわけでもない。
環境による決定や淘汰の圧力がそれほど強くない状況下で,組織の人事管理は柔軟性を確保できているのだろうか。昨今の日本企業の人事管理上の最大の課題に,人手不足への対応がある。こうした中,一部の日本企業では,高度な専門能力を有する人々に対する特例的な水準の処遇や専門職制度の導入を開始している。在宅勤務の導入や所定労働時間を短くした正社員雇用制度の導入などにより,労働市場への人々の新規参加を促す企業もある。さらには,RPAやチャットボットの導入など,業務の自動化やAI化も進みつつある。しかし,労働政策研究・研修機構(2019)によると,現場の技能労働者や研究開発等を担当する高度専門人材を中心に日本企業の65.5%が人手不足を訴えている。また,総務省(2020)によると,在宅勤務の導入企業は10.1%であり,在宅勤務が困難または不可能な職種が一部ではあるとしても,社会全体で在宅勤務を可能にする職務の調整ができているとは言い難い。
多くの組織が環境変化への機敏な対応,自社の強みを活かせる環境選択,あるいは環境への働きかけを行えていない。そこで本論文では,人事施策の立案・運用に加え,状況全体についての理解も含めた,(広い意味での)人事管理における継続的な柔軟性がどのように可能になるのかについて検討する。そこで着目するのが,経営者,人事担当者,現場の管理者,従業員といった,人事管理の当事者間での利害調整である。人事管理に対する異なる利害の背景には,「どのような状況下でどのような人事施策の立案・運用を目指すのか」という問いへの答え方の違いがある。複数の個別解の間でのすり合わせを経て組織全体での解が暫定的に作り出される。その解に基づいて実際に人事管理が遂行され,その過程の中で解が修正されたり,新たな調整を要する利害および問いが創発される。人事管理の中長期的な有効性は,具体的な施策そのものではなく,それに関連した上述のような組織プロセスの中にこそある,というのが本論文の立場である。
「環境に適応するために,目的とそれを達成する体制を設定・更新する」という人事管理の性質については,戦略的人的資源管理(Strategic Human Resource Management; SHRM)論でも論じられてきた。SHRM論の主要な関心としては,まず,市場・組織構造・戦略などの外部要因と人事管理の対応関係の解明がある(Fombrun et al., 1984; Beer et al., 1984; Sekiguchi, 2013)。また,人事管理の体系(人事システム)を構成する複数の人事施策の内的一貫性(internal consistency)やまとまり(bundles)の構図(Chadwick, 2010; Huselid, 1995; MacDuffie, 1995)についても,研究が重ねられた。こうした中,ある人事施策やその全体システムの有効性が,特定の市場・組織構造・戦略の下でのみ現れるのか,あるいは普遍的に現れるのかについて,研究が重ねられてきた(Delery and Doty, 1996; Michie and Sheehan, 2005)。
人事管理と業績の間の複雑な因果連鎖(ブラックボックス)の解明を目指す理論的研究や経験的研究も,21世紀に入って多く生み出されてきた(Kehoe and Wright, 2013; Lee, et al., 2019)。因果連鎖についての議論においては,まず,人事管理が高業績の源泉になりうる理由(Gardner et al., 2011; Lengnick-Hall and Lengnick-Hall, 2009)を説明するものがある。人事管理と業績の間の関係を媒介する様々な要因にも,関心が当てられてきた(Lee et al, 2019; Paauwe et al., 2013)。また,人事管理について,経営者や人事担当者の意図(Intended HRM)だけでなく,現場の管理者の実行(Implemented HRM)や従業員の知覚(Perceived HRM)といった様々な側面で論じる研究もある(Nishii et al., 2008; Kehoe and Wright, 2013)。
こうした研究では,企業の人事システムを「ある時点の状態」として記述し,各企業のそれを変数として比較可能な形で把握し,同時点ないしは別時点の業績との共変関係,すなわち正または負の相関関係を予測しようとしてきた。システムは相互に関わりを持つ複数の構成要素からなるが,その構成要素については様々な形で描かれてきた(表1)。
こうした研究で,望ましい人事システムのあり方は提示されるものの,組織がそれを遂行できるようになる過程,すなわち人事管理の柔軟性については検討されていない。柔軟性については,動態的で競争的な環境からの要求に対応する組織の能力と定義できる(Sanchez, 1995)。
Wright and Snell(1998)は,組織の柔軟性の由来を人的側面から,従業員のスキル,行動,および人事施策の柔軟性に求めた。つまり,柔軟性は,第一に,既存の従業員のスキルと行動,および人事施策を活用・適用できる範囲の広さから説明される(資源的柔軟性;Resource flexibility)。第二に,従業員のスキルや行動,および人事施策の変容や入れ替えのしやすさから説明される(調整的柔軟性;Coordination flexibility)。柔軟な人事管理の構成要素に関する例を,表2に示した。ここでは人事施策の立案・運用に限って紹介しているが,Way et al.(2015)からは,資源的柔軟性が人事施策の運用面,調整的柔軟性が人事施策の立案面についての概念であることが伺える。
Wright and Snell(1998)によると,これらの柔軟な人事管理を徹底的かつ迅速に行うことが,業績の維持向上には不可欠である。特に,人事管理の柔軟性は,異なる部署や従業員間における戦略的な一貫性を確保することで環境変化に対応することを可能にする,模倣困難かつ代用が効かない,競争力のある組織能力として理解されてきた。
多くのSHRM論の先行研究と同様に,人事管理の柔軟性は,なんらかの尺度によって変数化され,その結果としてある時点での状態として捉えられ,従業員や組織の業績など他の変数との共変関係が探索されてきた。Wright and Snell(1998)以降の研究(e.g. Bhattacharya et al., 2005; Beltrán-Martín et al., 2008; Way et al., 2015)では,こうした点が経験的に確認されている。
人事管理やそれを取り巻く現象に関し,SHRM論では図1のような形で把握されることが多かった。人事管理は,経営者,あるいは彼らの代理人としての人事担当者や現場の管理者といった「主体」による,「客体」としての現場の従業員,ひいては組織全体への介入実践として把握される。そして,人事管理の主体から客体への継続的な介入の終局には,最大化した組織業績という均衡点がある。
人事管理の柔軟性も,図1のような因果連鎖を念頭に置いて論じられてきた。人事管理の立案・運用するにあたっては,環境や業績,特にそれらの変化に関する情報が参照される。人事管理との関係性が活発に見られる参照点としては,従業員や組織の業績が挙げられるだろう。Shin and Konrad(2017)は,ある時点の高業績作業システム(High Performance Work System; HPWS)が将来の高業績を導くのに加え,ある時点のHPWSが過去の高業績によって採用されることを示したが,その裏付けとなる以下のような論理を示した。HPWSは人的資源を充実させるための多大な投資を要するが,それは高業績により生まれた組織スラック(余剰資源の活用余地)によって可能になる。また,HPWSと高業績の循環的な関係は,組織における自己強化的な学習,すなわちポジティブ・フィードバック・ループの存在を示す。
図1の枠組みは,現象を客観的に描写するものとして研究者によって採用されてきたものだが,人事管理の実行主体の構想や願望,すなわち利害を表したものでもある。人事管理を通じた現場への介入において,従業員は「組織業績の最大化」といった所定の目的,つまり経営者の利害の充足のため,効果的に操作されるべき「モノ=変数」とみなされる。そして,「組織経営のための資源」以外の人間の側面,つまり,人事管理の実行主体のそれと具体像は異なりつつも同様に持たれている,従業員の固有の価値観や現状認識,そしてそれらに根ざした利害や行為能力が,理論上ないしは実務上考慮に入れられなくなる(Keenoy, 2009; 三戸, 2004; 守島, 2010)。
少なくとも理論的には,こうしたフィードバック・ループは,組織業績の最大化によって終焉する。この時,人事管理や従業員の心理・態度・行動の進化も停止し,定常状態に入る。もちろん実際には,そういうことは起こらない。環境変化という,組織から見た外的要因からの「システム・ショック」が,経営者,人事担当者,現場の管理職に柔軟な人事管理の遂行を要請するからである。しかし,最大化した組織業績という均衡点に向けた推移を妨げるのは,人事管理の外的要因に限られるのだろうか。



図1のような枠組みにおいては,人事管理やその柔軟性の特徴,およびそれらと業績が関わり合うメカニズムについて適切な説明がない。
第一に,組織業績の最大化という均衡点に人事管理の理論や実務が到達できると断定することは困難である。現状,どれだけ分析モデルを精緻化させたとしても,人事管理研究において経験的一般化が担保された知見を生み出すことは容易ではない(Gerhart, 2007; Wright, et al., 2005)。また,経験的一般化のために用いられる統計的推論においては,「反事実的(counterfactual)」な知見の導出によって,法則性に到達することが目指される(佐藤, 2019)。重回帰分析に顕著にみられる,「他の全ての条件がサンプル間で同一であるならば,AとBの間に有意な関係がある」といった推論は,こうした論理構成であるがゆえに,全ての実際の組織に当てはまらない空想的なものにとどまる。
さらには,経営者や人事担当者が想定した通りの人事施策の運用を現場の管理者が行わない可能性や,彼らが期待するような受け取り方を現場の従業員がしない可能性がある。ある因果関係を可能にする社会的前提が,その因果関係を実行に移すことで崩れ,因果関係の妥当性が揺らいでしまうのである(Giddens, 1993)2。 加えて,人事管理における「意図せざる結果」(Alvesson and Willmott, 2002; Purcell and Hutchinson, 2007)の存在は,従来のやり方の徹底ではなく修正を求めるという意味での,業績から人事管理へのネガティブ・フィードバックの存在を想起させる。しかし,徹底への道と修正への道を分かつ要因について,柔軟性に関する従来の議論は示していない。
第二に,組織業績の最大化という均衡点が客観的に存在すること自体,想定し難い。経営環境,人事管理,従業員や組織の業績は,それぞれが複数の要素から成り立つものの,内的には均質的で首尾一貫したものとみなされがちである。「この企業では,従業員の創造性を重視するような業務設計がなされている」「先進的な人事慣行を行っている企業ほど,社外との連携を通じた成果創出が活発になっている」といった言明にも,その傾向は見て取れる3。
しかし,実際の人事管理やそれを取り巻く環境や業績には,多義性や矛盾が存在する。例えば,事業が多角化する企業において,競争環境が厳しい事業とそうでもない事業,業界内で優位なポジションにいる事業とそうでもない事業,の双方を抱えることがあろう。こうした環境下で,人事管理として何にどう適応すべきかを一意的に定めることは難しい。また,企業の人事ポリシーやそれを設定する意図は複数あり,それらが常に調和するとは限らない。現場の管理者による運用やそれに対する従業員の知覚も,実に多様であり,ある企業の人事管理の実態を一言で表すのは容易なことではない。さらには,従業員レベルや企業レベルの様々な業績の間での矛盾,個別の業績における個人間~職場間での分散が存在しうる。ある側面での矛盾や分散の解消が,別の側面での矛盾や分散を生み出すこともある。
均衡点に到達できない,そもそもそれが存在しないことを前提とすると,人事管理が継続的に遂行されていることにこそ,研究者による説明の力点が置かれるべきだろう。均衡点が存在しないということは,人事管理が何らかの矛盾を抱えており,結果として常に揺らぎや不安定性を示していることを意味する。もっとも,その全ては必ずしも解消されるべきことではない。消えない揺らぎや不安定性にその都度向き合ってゆくことこそが,人事管理の柔軟性なのである。
2-3. 「収束する人事管理」から「遷移する人事管理」へ環境や業績と定まらない関係にあり続ける人事管理は,ある一点への収束ではなく,ある形から別の形に遷移する。「遷移する人事管理」を可能にする,あるいは人事管理の遷移を余儀なくするのは,人事管理のあり方に加え,環境や業績といった人事管理を取り巻く状況をも主観的に理解する,人事管理の当事者の行為能力である。
人事管理の当事者には,「いかなる人事施策を立案すべきか」「人事施策をどう運用すべきか」「自らに示された待遇をどう受け取るべきか」といった事柄についての決定が,常に求められている。こうした理解や決定は,普遍的観点から優劣の判断が難しい複数の選択肢の中から,あるものを選び取ることで成立する。つまり,人事管理者の当事者による,人事管理に関する決定には,偶有的4,別の言い方をすれば場当たり的な要素が含まれることが避けられない。
人事管理に関する決定の偶有性に影響を与えるのが,環境や業績といった人事管理を取り巻く状況に関する,人事管理の当事者による複数の理解である。例えば,労働時間規制の強化に伴う「働き方改革」は,ある人々にとっては組織の風土変革や従業員への能力開発投資を意味するだろうが,別の人々にとっては自動化やアウトソースを通じた労働力依存の低下を意味しよう。また,組織業績の最大化が実質的に困難な中でも,それに近似した,あるいはそれに近づくための過渡期的な業績目標水準は存在しうる。その目標水準は,実際の人事管理の中で適宜切り上げられたり,切り下げられたりする。業績から人事管理へのフィードバックについては,当面の間どの程度の業績水準を目標とするのか,ないしは許容可能とするのかによって,既存の人事管理を強化すべきというシグナル(ポジティブ・フィードバック)にも,その逆(ネガティブ・フィードバック)にもなりうる。それを分けるのは,人事管理の当事者の状況理解である。
「収束する人事管理」と「遷移する人事管理」という2つの観点の違いを典型的に示したのが,表3である。「人事管理=従業員への介入」のみならず,その背景や帰結についても人事管理の当事者による主観的または間主観的な理解の範疇とすることで,図1で示した因果連鎖を「遷移する人事管理」として捉え直すことができる。単に人事施策を立案・運用するだけではなく,環境や業績の実態,さらにはそれらから人事管理へのポジティブあるいはネガティブなフィードバックをどう理解してゆくかも,人事管理の一部となる。

ところで,様々な人事管理の当事者のうち,人事担当者は単なる経営者の代行者ではない。SHRM論が生まれた1980年代と比べ,今日の労働組合の発言力や影響力は世界的に退潮しつつある。しかしそのことは,経営者による従業員「支配」が進むことを意味するわけではない。国や業種によりばらつきはあるものの,従業員は従来よりも自らの雇用条件を意識し,離転職を積極的に行うようになっている。また,新たな就労ニーズが日々発生している。労使関係は退潮したのではなく個人化そして多様化したのであって,労働市場の状況を踏まえた提言や異議申し立てを,人事担当者から経営者に対して行う局面も多くなる。複数の役割を担うのは現場の管理者も同様で,現場の一員であると同時に,従業員にとっては経営者の代理人であるし,経営者や人事担当者が制定した人事施策の運用責任者である。
状況に対応し続ける柔軟な人事管理の理論化の手掛かりになるのが,「適応が適応力を阻害する(Adaptation precludes adaptability)」という組織論の命題である。Weick(1976)によって提唱されたこの観点を援用するならば,ある環境の下で最適化した人事システムは,環境が変化するとその効力を失う上に,環境変化の大小の兆しに機敏に反応できなくなる。人事管理の柔軟性は,環境との適合性をある程度の水準に留めておく必要がある(弱連結;loose coupling)。また,「最小有効多様性(Ashby, 1956)」という観点を踏まえると,環境からの様々な,特に新しいニーズに対応しようとするならば,人事システム内部でも各ニーズに対応する措置が並存している必要がある。しかも,環境からのニーズが常に一貫しているわけではないため,企業による諸々の対応においては一定の矛盾が避けられなくなる。
こうした議論を踏まえると,姿を変えることだけが人事管理の柔軟性ではない。Wright and Snell(1998)がSanchez(1995)を引用して行った「動態的で競争的な環境からの要求に対応する企業の能力」という定義は,「“一定の矛盾の構図を更新しながら,”動態的で競争的な環境からの要求に“必要水準で対応し続ける”企業の能力」という,従来の定義に“ ”内の文言を追加した形で更新される必要がある。
人事管理を行う上での与件とみなされる環境要件や現状の業績は,極めて高い複雑性を内包したものであり,認知面での何らかの選択・絞り込み,別の言い方をすれば歪曲を行わないと,当事者にとって理解できるものにはならない。「複雑性(complexity)の縮減」とはLuhman(1973)の社会システム理論の中核概念であるが,Weick(1979)の組織化(organizing)論においても,「状況の多義性(equivocality)の縮減」として論じられている。こうした認知プロセスを経てこそ,人事管理の当事者による人事管理やそれを取り巻く状況についての理解や,周囲との相互作用が可能になる。
もっとも,こうした状況理解は,合理性を欠いた反 - 事実的(counterfactual)で場当たり的なものであり,事後的な合理化や修正を必要とする。特に人事管理は,経営者,人事担当者,現場の管理者や従業員といった個々の当事者にとって自己完結したものではないため,「どういう状況で,何を,なぜなすべきか」という認知については,他の当事者との関係性の中で事後的な合理化や修正がなされないといけない。そして,そうした認知のすり合わせは,その認知が人々の価値観や欲求に多分に依存しているため,利害調整という色彩を帯びることになる。当事者間の複数の利害のずれは,人事施策の立案と運用といった実際の人事管理によって,併存可能な範囲での収束が目指される。本論文では,こうした推移を,人事管理が柔軟性であることの現れとみなす。
SHRM論の初期の研究(e.g. Fombrun et al., 1984; Beer, et al., 1984)は,実務的要請への応答5という性質が強いものであった。そのため,労使関係論(Industrial Relations)の影響も受け,人事管理という事象について多元論的(pluralistic)なステイクホルダーアプローチが採用されることが多かった。ここでは,現場の管理者や従業員は固有の人格を持つ行為主体であり,彼らに固有の利害を尊重しつつも彼らからの貢献を引き出すための目標共有やコミュニケーションを,経営者や人事担当者には強く求めていた6。ステイクホルダーの入れ替わり,さらには彼らの慣れや学習を踏まえると,人事管理の実行主体には,継続的な利害調整が求められる。
今日のSHRM論において主流的な地位を占めてはいないものの,利害調整が人事管理の柔軟性を可能にすることを示唆する研究が存在する。例えば,Purcell and Hutchinson(2007)が事例研究を行ったある百貨店の衣類部門では,新たに導入された業績評価制度は従業員の職務満足や自己効力感を高めるために導入されたが,結果として多くの従業員の不満が観察された。店舗経営者の分析によると,その原因は業績評価制度そのものではなく,現場の管理者の多くが運用手順を守っていない点にあった。その後経営者は,管理者の評価項目に「部下の育成」「リーダーシップ行動」を導入し,全ての管理職に試験を行った上で一部に対しては降格措置を行った。このように,経営者と管理者の利害を一致させるように人事施策の修正を加えることで,業績評価制度はようやく機能しだした。
経営者と従業員の利害が,人事管理を媒介にして統合あるいは併存するプロセスについては,単なる報酬分配以外の側面によっても説明が可能である。一部の研究は,従業員の企業に所属するということ,働くということについての考え方の構成に,経営側が積極的に介入できることに着目してきた(e.g. Townley, 1993)。従業員の主体性が人事管理を主導する経営者のニーズに沿った形で構成される経緯について検討した研究に,Alvesson and Kärreman(2007)がある。経営コンサルティングを行うExcellence社では,人事施策の改訂を経て,多くのフィードバック,公正な評価,多大な人材開発投資,能力主義的な内部昇格,が達成されたと広くみなされている。しかし,人事施策の運用に携わる当事者の観点に立つと,それは従業員の思い込みにすぎない。一般の従業員が自社の人事管理に納得している背景には,自社の人事管理そのものの合理性の評価ではなく,他社のそれと比べた合理性を評価していることにある。そして,こうした「内集団びいき」は,「自社の人事管理が業界標準を越えて充実している」という認識,Excellence社員としての意識が,組織内コミュニケーションを通じて従業員に植え付けられることで可能になっていた。
ただし,従来のステイクホルダーアプローチに依拠するだけでは,人事管理の柔軟性に関する理論的代替案を示すには至らない。確かに利害調整の目的は,人事管理の当事者間での,利害の不一致や矛盾を解消することにある。しかし,人々の自らの利害に固執する姿勢や制約された合理性,さらには利害調整の過程や結果そのものが新たな利害を創発しうることを踏まえると,利害の不一致や矛盾の解消は現実的には困難である。利害調整の結果として遂行されることになった人事管理,すなわちある人事施策の立案・運用の合理性は,暫定的なものに留まる可能性が高い。一時的な利害の収束の後にどのように利害が分化し,新たな調整が要請されるのかについて,利害調整メカニズムそのものに着目して論じる必要がある。
利害の複数性が残り続けるとする研究にも課題が残されている。これまでの研究では,人事管理の当事者間での利害のズレの背景を,経営者や従業員といった組織内での地位・役割の違い,およびそれぞれの地位・役割と利害調整の「外部」としての経営環境との関連性に還元させてしまっている。これらの特性や動向は,人事管理者の当事者にとっては関与不能な客観的な与件であり,利害調整は,そうした条件下での最適解・最善解に徐々に近づくためのものとされる。そして,「システム・ショック」的な要因によって与件が変化した場合,別の最適解・最善解に近づく新たな利害調整が開始するのである。つまり,従来のステイクホルダーアプローチの研究には,均衡点を志向する人事管理というSHRM論の主導的なアプローチの変種と化し,柔軟性のメカニズムについて十分に論じられなくなってしまう可能性が潜んでいる。利害調整を継続させる要因は利害調整そのものに見出されなければならないし,環境や業績の現状についても,利害調整の文脈に固有の意味を持つものとして描写されなければならない。
3-2. 利害調整の多様性利害調整の直接的な背景には,人事管理の当事者の間でのコンフリクト(葛藤・対立)がある。Tedeschi et al.(1973)によると,コンフリクトは,ある行為者の行動・目標・期待が他の行為者により阻害される状況を指す。行為者が,自らの利害と他者の利害が異なり,それらの利害の間にゼロサム的な関係があると判断する場合,実際にコンフリクトが生じうる(Baron, 1990)。先行研究では,コンフリクトの類型について様々に論じられてきたが,Jehn and Bendersky(2003)は,それらを「関係性コンフリクト(relational conflict; パーソナリティや価値観など行為者の内的特徴におけるズレに由来するもの)」「課業コンフリクト(task conflict; 業務の内容や成果に関する行為者間での認知のズレに由来するもの)」「過程コンフリクト(process conflict; 業務遂行過程に関する行為者間での認知のズレに由来するもの)」に分類した。
コンフリクトの大小は,組織や個人の成果や状態に影響する。理論的にも経験的にも,そもそもコンフリクトは組織や個人に否定的影響を及ぼすという前提が多かった(Gladstein, 1984; Kunda, 1992; Pondy, 1967)。反面,コンフリクトの肯定的・創造的側面を論じるものもある(Eisenhardt and Bourgeois, 1988; Jehn, 1995; Kochan et al., 1986)。De Dreu and Weingart(2003)による先行する30研究を対象としたメタ分析によると,課業コンフリクトと関係性コンフリクトが総じて集団業績に対して否定的な結果を引き起こす7。また,De Wit et al.(2012)による116研究を対象としたメタ分析によると,様々なコンフリクトと業績の間の否定的な関係の強さは,その業績がコンフリクトと直接的に関わるものか,より遠隔的なものかによって変わってくる。集団への信頼感やコミットメントといったより近接的な要因は,実際の成果といった遠隔的な要因と比べ,コンフリクトによって損なわれやすくなる8。特に,成果を「意思決定の質」「財務指標」に着目して定義した場合,課業コンフリクトと肯定的な関係を持つ。
コンフリクトの種類や影響に加え,それをどう処理するのかについても研究が進められてきた。様々な先行研究の知見に基づいてコンフリクト処理の類型化を試みたのが,Rahim and Bonoma(1979)である。彼らによると,コンフリクトの処理は,「自らの利害を重視するか否か」「他者の利害を重視するか否か」で,大きくみて4つのタイプに分けられる(図2)。これらの中で最も創造的なものとして,利害が異なる人々が開放的な情報交換を通じて現状を理解し,課題解決を目指す「統合(integrating)」がある。また,自らの利害も他者の利害も程々に重視する「妥協(compromising)」という調整の形もあり,実際にはこの類型が採用されることが多い。

こうした類型論に対しては,いくつかの留保や疑問が示されてきた。例えば,コンフリクト処理の研究では,コンフリクトが少ない,あるいは解消された状態が良いとされがちだが,実際にはそうとは限らない(Rahim, 2002)。また,たとえ長期的には統合が望まれるとしても,目下の状況に対応するためには他の手段も条件適合的に選ばれうるが,条件適合的な選択や短期志向と長期志向の両立のさせ方については十分な議論がない(Thomas, 1992)。さらには,妥協は,それ以外の4つの中間的要素として理解されているが,それでは「妥協」の内容面あるいは機能面での独自性への関心が失われてしまう(Van de Vliert and Kabanoff, 1990)。
組織における利害調整の本質を妥協とみなす観点は,心理学的研究よりも社会学的研究において,特に顕著である。例えば,Thévenot(2001)は,企業について,複数の「真価(worth)」9を実現するために個別に遂行される複数の活動を同居させるための「妥協の装置(a compromising device)」と定義している。Thévenot(2001)によると,大半の組織研究における組織像は「過剰な調整(over-coordinated)」を当然のものとしているが,大半の研究では,組織が環境に対応するため,「(資本家や消費者による)市場原理」と「(生産者による)産業原理」,「地球規模での影響力」と「個人の傾向性(disposition)」,「法的な厳格さ」と「もっともらしい場当たりさ」など,一方を他方に還元させることが不可能な複数の真価を両立させることの重要性を軽視している。複数の真価の間には,組織経営における時間感覚や不確実性の認識におけるズレが存在するのだが,複数の真価の間の緊張関係を残したまま並存させてこそ,すなわち複数利害の間の妥協によってこそ,組織は持続的かつ創造的な形で環境に対応できる。
こうした知見を人事管理の柔軟性に関連した利害調整についての議論に応用するため,いくつかの前提を設けたい。
まず,人事管理の当事者は,他者とある部分では利害を共有していると感じるからこそ,協働体系としての組織にともに参加している。より具体的には,人事管理の実行主体である経営者や人事担当者,現場の管理者,さらには現場の従業員は,組織業績の適正化を期待しているのは自分だけではないと感じている。さらには,そうした理想の実現のために幅広の当事者の協働が必要であるとも感じている。こうした共有や協働の感覚が関係性の維持,ひいては利害調整の妥結可能性と継続性につながる10。
第二の前提として,人事管理の当事者は,個人的利害のみならず,共に重視する組織業績の適正化の内容や具体化の道筋が人々の間で異なっていることについても了解している。例えば,人によっては株主価値の最大化が,別の人にとっては収益の推移の安定性が適正な業績を意味する。また,最適な業績の実現のために従業員の貢献を促すインセンティブ・システム,特に報酬における個人業績連動の程度についても,答えは1つに収斂しにくい。だからこそ,人事管理の当事者は,他の利害関係者との関係を解消する,自らの利害のみを主張あるいは抑制する,といったことをほとんど行わない。利害の一致を理想としつつ,自らの利害をある程度以上満たせればよい,将来の再調整の余地を残しておく,といった観点から,他者との利害調整に従事する。つまり,人々の利害は多層的であり,複数の利害の間には,「一致」と「差異」のみならず,「一致の中の差異」が存在する11。
人事管理における利害調整の焦点として,組織業績の最大化ではなく適正化というより質的で曖昧なものを想定していることに注意したい。複数の利害における「一致の中の差異」が見られる中,人事管理を通じた組織業績の適正化を志向した継続的な試行錯誤においては,「組織業績が適正化するとは一体どのような状態か?」「理想を実現するために当面何を目指すべきか?」「当面の目標のためにどのような人事管理が求められるか?」といった問いが,人々の間で交わされる。こうした問いを通じ,ある人事施策が「当面の最適解」とみなされるものの,実際の運用を通じた人々の利害の再編により,その地位も永続的なものではなく,いずれは再検討の対象となる。つまり,「組織業績の適正化に結びつく人事施策」とは,社会的事実というよりは人々の実践を司る言説(=レトリック)であり,実際の人事管理の原動力となりつつ,実際の人事管理を通じて構想されるものでもある。利害調整の中で立ち現れるこうした循環が,人事管理の継続的な柔軟性を可能にする。
人事管理の当事者たちが抱く利害の間の関係については,(1)対立,(2)共存,(3)統一,と分類することが可能であろう。さらにそれらについては,2つずつに分類される(表4および図3)。利害調整に該当するのが(1a)対立する利害関係の再編であるが,その帰結として,まず(2b)対立の芽も含んだ利害の併存,が挙げられる。これが利害調整における妥協に該当する。人事施策の立案・運用に関する合意は全ての利害を十全に満たすものではなく,いずれ利害の再調整に入ることを当事者は予測しやすい。
また,別の帰結として,(2a)排他的ではない利害の併存と(3a)協調的な利害統一に至る「経路2」,あるいは,(1b)対立する利害関係の固定(潜在的コンフリクト)と(3b)見かけの利害統一に至る「経路3」がある。これらについては,人事管理に関する複数の利害の間の矛盾が少なくとも見た目上で解消された組織状態を意味する点で共通するが,その実態は大きく異なる。
「経路2」は,Purcell and Hutchinson(2007)で示されたような,新たな人事施策を導入する際の試行錯誤を通じて均衡的な状態に至る過程を表している。もっとも,いつどのような利害が創発し,再調整を要するかについては,当事者は予測しづらい。また,「経路3」の例としては,特定の利害が無視・抑圧される状況の固定化や,Alvesson and Kärreman(2007)で示されたような,従業員固有の利害が経営者や人事担当者などによる介入を通じて再構成される過程が該当する。これらは,当人による自覚の大小はあれども,利害関係者間での対等な関係を保証しないものであり,そのことを許容できない,あるいはそのことに気付く人々が発生する場合には,敵対的な形での利害調整が引き起こされる可能性がある。
もっとも,現象をつぶさに観察すれば,現実の人事施策が異質の利害をそのまま反映した「キメラ」的な性質を帯びているということは決して珍しくない。利害の反映のさせ方が事後的に見れば「他のやり方があったのではないか?」とも思える弥縫策的なものである,一つの人事施策が現場の状況に応じて多様な用いられ方をしている,といった事柄についても同様である。こうした状況は,SHRM論の主導的な観点からすれば,組織業績の「最大化」に結びつく首尾一貫した人事管理からのへだたりと評されよう。
しかし,全ての事例において当てはまるとは言い切れないが,こうした状態だからこそ,人事管理にまつわる利害の対立が解消されない中での人々の共存が可能になっている,という見方もできよう。組織業績の「適正化」というレトリックが,これまでの人事管理を刷新し,これからに向けた課題を共同で解決するための目標としての地位を保っている。ステイクホルダーアプローチに立つこれまでの研究では,人事管理という事象について,図3における「経路2」と「経路3」の観点から主に捉えてきた。しかし,人事管理の柔軟性を理解するためには,「経路1」の観点こそが重要になる。


人事管理の当事者間に存在する,複数の利害から生じるずれの解消や,併存可能な状態にする調整を通じて,ある人事施策の立案や運用の形が決まる。しかしそれにより,人事管理に対する新たな利害が創出されたり,残された矛盾の解消に向けた動機が発生したりする。こうした均衡点のない実践が,いかにして成り立っているのだろうか。
「脱構築」の議論によると,あらゆる決定は,熟慮の遮断の後に訪れる「狂気」である。本質としての決定不可能性を「なかったこと」と取り違えることで遂行されるという意味では,「歪曲」とも言える。ある決定は,他の決定の方が優れている可能性を十全に排除しきれない混沌の中でしかなされないものであり,例えば「正義」といったその理想から必ずかけ離れたものであるため,それ自体も「狂気」である別の決定による上塗りを要する(Derrida, 1994, 邦訳 pp.66-72)12。
人事管理が何を提供すべきかについて答えること自体は,それほど困難ではない。例えば,労使間での利害調整の文脈では,組織の経営と従業員の生活を両立させるような資源分配の重要性が合意されるだろう。また,労労間の利害調整の文脈では,公平性や平等性など,公正性に関する複数の原則をバランスさせた資源分配が合意されるだろう。こうした基底的な目標が共有されない場合には,雇用関係は持続しないであろう。人事管理に関わる人々は,「何を追求すべきか」については他の利害関係者との根本的な齟齬を認識しておらず,その実現に向けた共同作業が必要だと考えているだろう。
問題は,そうした目標の実現のため,どのような人事施策を立案し,どう運用すべきか,に関する見解,ひいて利害の相違が,こうした中で顕在化することである。このことは,複数の利害の間での優先順位付け,さらには特定の利害の包摂や排除は避けられない,ということを含意する。現実の人事管理において,そのような「歪曲」が行われていないと言い切ることは難しい。あるヘゲモニーが確立される中で,「重んじられることのない声(例えば,定年間近の正規従業員によるもの)」「表出可能性を予め排除された声(例えば,直接の雇用関係にない派遣労働者によるもの)」の芽が生じたり,実際にその存在が露わになったりする。そしてそれが,組織業績の適正化のためのよりよい手法を模索する,さらなる利害調整の呼び水となる。
こうした現象描写については,以下のような根拠づけが可能であろう。まず,人々は,他者のみならず自らの利害についても,その全貌を捉えきれない。確かに,利害調整やその中でなされる人事施策の立案・運用といった人事管理上の決定は,それに関わる人々の利害を前提になされる。しかし,人々の利害自体が,利害調整やその中での他者の利害の参照を通じ,事後的に可視化・了解され,さらには変化するのである(cf. Dreyfus, 1991; 佐藤, 2009)。
また,人々の利害の間には共約不可能性(incommensurability)が横たわっている。例えば,経営者の利害と従業員のそれを比較し,優劣をつける際,共通の基準を内部的つまり合理的に見いだすのは不可能である(cf. Kuhn, 1970, 邦訳 pp.167-169)。ただしこのことは,利害関係者間の継続的な関係が成り立たないことを意味しない。彼らの関係は,決定的に断絶しているがゆえにこそ関係の再構築に向けて能動的に動機づけられている,という点において安定的なものになりうる(水越, 2006, pp.12-14)。
つまり人事管理とは,当事者間の相互作用を通じて,ある利害が他の利害を構成したり,逆に構成されたりする,再帰的(reflective)な実践のシステムである。利害関係全体あるいは自らの利害の全貌については,当事者にとって部分的に不可視なものであり,利害の相違は,利害調整を通じて解消されるのではなく,形を変えながら維持する。そういった人事管理上の意思決定に不可避的に潜む「歪曲」は,将来的に別の決定によって解消されるものの,その決定も歪曲の産物にすぎない。人事管理が目指すことができるのは,自らの利害が十分に満たされていないものの許容範囲ではあるという,当事者間での暫定的な合意をその都度的に形成することである(図4)。

こうしたことを踏まえると,人事担当者や現場の管理者を含むあらゆる利害関係者にとって,人事管理上の特定の決定に信を置くのは,他者のみならず自らにとっても望ましいことではない。人事施策の立案・運用の中で可能になる複数の利害の併存については,暫定的なものであり,将来の「脱構築」,つまり人事施策の運用上の工夫や改正の契機が含まれたものであると捉えるべきであろう。
ここで注意すべきなのが,決定不可能性を自覚した場合に,「全ては偶然の産物である」や「なるようにしかならない」といった相対主義的でシニカルな姿勢に陥りうる,という点である。もし多くの人々がそうした姿勢をとるならば,利害の面で対立関係にある人々を結びつけている,組織業績の適正化という共通目標への確信が失われ,人々の利害調整の関係性が分解しかねない。
こうした状況において,いかにして人々はシニシズムに陥るのを回避し,人事管理の実践を継続できるのだろうか。以下では,反-基礎付け主義的(anti-fundamentalism)ないしは構成主義的(constructivism)な政治理論の議論を踏まえ,その条件を理論的に探る13。ここで言う「人々」には,人事施策の立案に主として関わる経営者や人事担当者以外の,実際に人事施策を運用する現場の管理者や,運用対象になる従業員も含まれる。
第一の条件は,利害調整における具体的な目標設定に関わるものである。組織業績の適正化に結びつく人事施策を共に構想しつつその具体像をめぐって対立する人々の間の関係は,「明らかな不利益を被っている人を見出し,そこに手当てを講じる」というある種の対処療法を通じてなされるべきである(cf. Rawls, 1999, 2001)。言うまでもなく,こうした帰納的な手法と対立するのが,全ての利害関係者が賛同できる人事管理の具体像を描いた上で,人事施策の立案・運用に進むという演繹的な手法である。ただし,こうした手法が成立しにくいことについては,これまでに度々述べてきた。
こうした対処療法が「何でもあり」的なシニシズムと異なるのは,苦しみに対する共通感覚,つまり「今他者が被っている苦しみは,自分が被ったことがある,あるいはいずれ被りうるものである」という感覚に支えられる点である(Critchley, 1996, 邦訳 pp.49-51)。組織業績の適正化につながる人事施策をめぐった利害調整が継続的になされる第二の条件は,こうした感覚に対して人事管理の当事者が鋭敏であることである。組織業績の適正化というレトリックは,それに関わる人々の苦しみを取り除くという前提を伴って初めて,原理的には実現不可能であるにもかかわらず,人事施策を立案・運用する際の規範としてのリアリティを帯びるようになる。
やや極端な言い方をすれば,人々には,組織業績の適正化につながる人事施策に関する特定の構想について,自らが抱いたことをある種の偶然とみなし,状況に応じて取捨選択することが求められよう。そして,自分は全ての他者,つまり人事管理に関する利害関係者についての十分な配慮を行っている,行おうとしているという感覚への懐疑的な姿勢も求められよう。
第三に,必要に応じてその中身を変えながらも,組織業績の適正化を他者と共に追求するため,常に自らが最適な人事施策についての具体的構想を持ち続けることが必要である。人事管理に関わる人々にとって,組織業績の適正化は常に「来たるべきもの」でしかなく,虚構であるとすら言える。しかし,虚構に頼ることでこそ,共感すべき他者の存在を見出すことや,現実のどこが変化を要するかについての探索が可能になる(Derrida, 1996, 邦訳 pp.156-158)。「あえて」虚構に頼ることで,共同的な活動が可能になる。
第四に,人事施策の立案や運用の中で,現実にあるものを組織業績の適正化につながる人事施策に少しでも近づけてゆくための試行錯誤が何らかの形で行われている時点で,人事管理は一定の成果を収めていると捉えるべきである。繰り返し述べてきたように,現実の人事管理においては,利害対立の完全な解消は行われない上に,そもそも,経営者,人事担当者,現場の管理者,従業員がそれぞれの立場で構想する,目標ないしは現状評価尺度としての組織業績の適正化につながる人事施策には,空白の,あるいは曖昧な部分が残されている。
こうした空白や曖昧さを解消しないと実際の利害調整に入れないわけではない。人事管理に関する利害調整が,その内的な矛盾や不透明さにもかかわらず持続していることが,何よりも求められるのである(cf. Laclau, 1996, 邦訳 pp.98-100)。人事施策の立案・運用の中では,自らの利害や他者のそれについての理解を深めつつ,すでに明らかになっている利害に着目して,「これは改変されるべき」という問題認識や,「今までより理想に近付いた」という合意を形成しないといけない。組織業績の適正化につながる人事施策は「来るべきもの」としての虚構にすぎないとしても,その具現化を待っていたのでは,人事管理そのものが停滞してしまう。複数の利害の調整についての破綻宣告が回避され,そうした活動が未来につながっているかどうか,そしてその中で利害関係者があるべき人事管理についての定義を修正し続けられているかが,現実の人事管理に対するもっとも主要な評価指標となろう。そうした調整活動こそが,柔軟な人事管理の実践と言える。
3-5. 「半 - 規則」としての人事施策人事施策の立案・運用を通じて企業が望む従業員の貢献を引き出す活動,という規定では,組織現象としての人事管理の全貌を捉えられない。むしろそれは,人事管理を通じて組織業績の適正化を実現する多様な構想,自らの利害を持つ人々が,他者とすり合わせ,現実的に人事施策を立案・運用する中で,人事管理の利害における差異や矛盾が再編されるという,継続的で柔軟な利害調整のプロセスであるとみなされるべきだろう。
しかし人々は,人事施策を作り直すことそのものを目的として利害調整に従事するわけではない。一度導入された人事施策の多くは,数ヶ月から数年は運用され,その命脈を保つ。そこでは何が起きているのだろうか。
立案・運用される中でそれに関わる人々の利害を再編する人事施策とは,そもそも,企業と従業員の間,あるいは従業員同士の理に適った関係性を定めるための規則である。そして人々は,ひとたび導入された人事施策に対し,「規則の体系」としての自己完結性と,それに由来する拘束力を期待する。そうした認識は,「組織である以上はそうした枠組みが必要である」,あるいは,「組織の一員である以上はそうした枠組みを最大限尊重することが必要である」といった形でしばしば表明される。
確かに規則は,人々の関係性やそれに基づいて展開される行為に,ある一定の枠組みを与えるものである。しかし,規則という言葉に伴うイメージにかかわらず,さらに言うと規則そのものの本質として,関係性や行為の内容は事前の一義的な定式化をするものではなく,事後的に生じる一定のバリエーションを許しもする(佐藤, 2008, pp.293-296)。もう少し具体的に言うと,「半 - 規則」としての人事施策の実際の運用の中では,立案する主体(経営者や人事担当者),さらには運用する主体(現場の管理者)とされる側(従業員)の双方による,多様な解釈の余地が残されている。
例えば報酬に関する施策に関して言うと,各従業員にどの水準の賃金が支払われ,従業員間格差がどの程度になるかについては,実際に従業員がどのような働きをし,評価を受けるかを待たないと分からない。賃金の支払われ方,格差の付き方については,施策の運用手順や,施策に込められた意図を超えない範囲において多様なものとなるにすぎない。しかも,「主体的な能力開発を通じた業績の向上に対して従業員を動機づける」といった例にあるように,施策に込められた意図についても,ある程度自由な解釈が可能なものとなっていることが多い。
「半 - 規則」としての人事施策は,「運用の具体的なあり方」そのものではなく,手続きや禁則事項といった形で現れる「運用の前提」を人々に指し示すにすぎない。そのため,施策の運用のあり方は,運用主体の特有の利害に導かれて,その都度決定される。運用主体にとって,人事施策の運用の前提にどのように準拠するかは,同様にそれに準拠してきた自分自身や他者の行為,現時点での他者の行為,将来時点で起こりうる自分自身や他者の行為を参照しながら決定される。ある行為の意味は,他の行為との関係性の中で決まり,決め直されるのである(佐藤, 2009, p.23)。その結果として彼らは,「当初の方針である成果主義を続けると現場の管理が難しくなるから,実際の処遇においては違う観点も交える必要がある」といった,人事施策の立案時点では想定されていなかったロジックを,事後的に編み出す。
このように,「半 - 規則」としての人事施策は,多様な運用実態や利害が大きな矛盾のない範囲で組織内に保持されること,そして多様性の構図の緩やかな推移に大きな貢献を果たしている。利害調整に関わる人々にとって,たとえその姿勢を貫徹させることはできないにせよ,他者の利害が自らのそれと同様に尊重されるに越したことはない。また彼らは,利害が対立状況にある時には,他者が自分に合わせることを期待しつつ,他者に自ら合わせることを必ずしも排除しない。人事管理を公式的に行うことで,こうした作業がより簡略かつ確実に行う可能性が高まる。こと人事管理に限っては,その公式化は,管理実践の標準化や硬直化に至るとは限らない。あくまで潜在的にではあるが,管理実践の多様化や柔軟化を企業として後押しするのにつながりうる。
本論文では,当事者の利害調整によって人事管理の柔軟性が実現するメカニズムの説明を試みた。
人事施策の立案や運用に加え,こうした遂行にとっての前提または結果である環境や業績ですら,人事管理の当事者によって主観的に理解され,され直すものである。こうした内生的な変化の過程の根底にあるのが,人事管理の当事者の様々な,時に矛盾する利害である。人事管理に関する様々な利害には,「一致した利害」「異なる利害」のみならず,「一致していると同時に異なっている利害」がある。人事管理に関わる当事者の全てが人事管理を通じた組織業績の適正化を希求しているものの,その具体的構想には矛盾や曖昧さがある。こうした中では,全ての利害を包含し,即座に組織業績の適正化を可能にする人事施策を立案・運用することは不可能である。人々には,自らの固有の利害を追求しながら,異なる利害を持つ他者と関わり続けることを是とし,彼らと共に「理想からは遠いものの現状からの改善はある」人事施策を立案・運用しながら,将来の改正に向けて自らや他者の利害の形について再度確認することが求められる。
こうした人事管理の実践に対して,研究者はどのような貢献が可能なのだろうか。実証主義的あるいは法則志向的な観点に基づく「処方箋」を素朴に示すだけでは十分でないのは言うまでもない。さりとて,現場に即した処方箋はそこに身を置く人々自身が永続的に編み出さなければならない,といったことを指摘するだけでは,実務家との関係を自ら遮断するようなものである。
従来の研究でも積み重ねられてきた,様々な調査手法から導出された一般的傾向や個別事例,さらにはそれらについての理論的洞察については,今後も蓄積,提示することはできるし,その意味は小さくない。人事管理という事象について当事者と異なる視点で示すことは,当事者の内省や学習,さらには人事管理に関する利害の創出のきっかけとなりうるし,こうした情報は往々にして研究者しか提供できないからである。ただしそこでは,それが経験科学という「錦の御旗」の下に示された「今すぐに役に立つ」処方箋であると人事管理の当事者が捉えてしまい,自らが直面する複雑な状況から眼をそらし,自律的な内省や学習,さらには利害調整を通じて暫定的な解を創出させる習慣を喪失することを避けなければならない。
研究者が示す知見は,人事管理の当事者が未来を少しずつ,しかし主体的に切り拓く作業にコミットし続けられるようにするための,読解次第でその価値が変わる「ヒント」として示されなければならない。これは,研究の手法についての変更を迫るものではない。むしろ位置付け,見せ方の問題である。
そこでは,「教導する」という形ではなく,ある事象について「共に考える」というスタンスが有効であろう。本文中で述べたように,人事管理の当事者は,他者のみならず自らの組織業績の適正化につながる人事施策の構想や利害について,十分に整理・自覚していないことが多い。人事管理に関する利害調整に「外部者」という立場で関われる研究者だからこそ,組織業績の適正化に結びつく人事施策についての構想や利害の多様性,調整の道筋を明確化することに貢献できる部分もあろう。研究者としてあらかじめもっともらしい処方箋を持たず,それについて「共に考える」というスタンスをとってこそ,柔軟な人事管理につながる利害調整に貢献できる可能性がある。
筆者=江夏幾多郎/神戸大学経済経営研究所准教授 穴田 貴大/神戸大学大学院経営学研究科博士課程後期課程