2021 Volume 22 Issue 2 Pages 2-3
ジョブ型雇用という言葉を最近巷でもよく見聞きされるようになった。本誌の読者であればよくご存じのとおり,このジョブ型雇用は,日本企業で一般的とされる雇用形態をメンバーシップ型雇用として,それとの対比で語られている。これは10年以上も前に濱口桂一郎氏の提起した論を嚆矢とするもので,その論旨は明快であり,かつ日本の雇用制度についての重要な含意を含むものであった。
その後このジョブ型雇用論は大きく発展したけれども,そのなかには首を傾げたくなるようなものもある。たとえば「ジョブ型雇用で成果主義に」といった記述を見て戸惑ってしまうのは,労働経済学や労使関係を学んだ人であれば筆者だけではないだろう。
ジョブ型雇用というのは,あくまでもジョブすなわち職務中心のものだ。職務は職務記述書に細かく定義されており,その職務遂行能力を持つことを前提に人を雇い,記述書に書かれている内容の仕事をしてもらう。労働者は企業の定めたとおりの仕事をする限り,その能力や成果を評価されるということはない。
これに対してメンバーシップ型雇用は,職務よりも「人」中心ものだ。未経験の新規学卒者を採用し,企業内で教育訓練をして仕事能力を高めていく。その過程で配置転換や転勤などもあり,決まった職務だけを遂行させるということではない。労働者は能力向上の程度に応じ,あるいはその成果に応じて評価される。
もちろんジョブ型雇用もメンバーシップ型雇用も一長一短あり,状況に応じてどちらが良いとはいえない。ただジョブ型雇用ですべて良しということではないだろう。
このことを考える際に,ILO(国際労働機関)が,その創立100周年を記念して公表した「仕事の未来世界委員会」報告書は有用である。ILOは第一次世界大戦直後の1919年に「労働条件改善を通じて社会正義を基礎とする世界の恒久平和を目指す」ことを目的に創設され,さらに第二次世界大戦終盤の1944年にアメリカのフィラデルフィアで開かれた総会で「労働は商品ではない」という有名な宣言を発している。創立100年にあたる2019年に,そうした理念を踏まえて,より良き将来の労働についてILOの考え方をまとめた報告書だ。
報告書を作成するために世界中から20名余りの専門家を集めた「仕事の未来世界委員会」は,2017年から2018年にかけて4回の会合を開き,筆者も日本から参加した。そこでは,これからの人口,技術,国際市場,地球環境などの構造変化のもとで,より良い仕事の未来を実現するために必要なことは何かを議論した。
毎回3日間の充実した会議だった。まず共通の理念として「人間中心(Human Centered)」という概念を置くことにした。その上で,大切な3つの分野,すなわち人間の能力への投資(Investing in people’s capabilities),仕事に関わる制度枠組みへの投資(Investing in the institutions of work),そして,尊厳ある持続可能な仕事への投資(Investing in decent and sustainable work)の拡充を提言した。
3つの投資充実という点で,ジョブ型雇用との関係で最も問題となるのは,人間の能力への投資ということだろう。仕事をする能力の多くは,仕事をしながら習得するもので,それはベッカーの人的資本理論の示すとおり,労使の長期的関係を前提としているから,この点で利はメンバーシップ型雇用にある。ジョブ型雇用の職務遂行能力はどこで,誰の費用負担により,そして収益はどのように分配されるように習得されるのか,明快な説明はない。
仕事に関わる制度枠組みへの投資充実という点では,ジョブ型雇用にやや分があるかもしれない。そもそもジョブ型雇用は,職務内容を細かく明示し,その示す職務内容(だけ)を遂行するという契約である。どんな仕事をさせられるか,どこに配置されるか分からないメンバーシップ型雇用に比べて透明性も高い。ただしそれは,職務を約束どおり遂行する限り人の評価などはしないということでもある。ジョブ型雇用で能力成果主義といったことになれば,仕事に関わる制度枠組みの充実とは相容れないものとなろう。
尊厳ある持続可能な仕事への投資充実という点では,ジョブ型雇用には疑問符を付けざるを得ない。決められた仕事を決められたとおりやり続けるというジョブ型雇用は,伝統的な職人仕事などの場合では尊厳と持続可能性を持っているかもしれない。しかし企業などに雇用されて働く場合には,やはり仕事を通じて職業人として成長できる仕事こそ良い仕事だと思う。また技術や市場状況などの激変するとき,固定的な職務だけをするというのは,持続可能とはいえないだろう。
最後に教育に携わっている者として,国際的に見てきわめて低い水準に抑えられている日本の若者の失業率は,メンバーシップ型雇用のお陰だということを強調しておきたい。ヨーロッパなどでは,卒業後に職探しをし,求人側の企業はジョブ型雇用で職務遂行能力のある経験者を優先的に採用するので,若者の失業率は日本の数倍になるところは珍しくない。これに対し日本では,卒業前に就職を決められ,企業も未経験の若者を雇用して職業能力を身に付けさせるようになっているメンバーシップ型雇用は,若者の失業を抑えるために大きく貢献しているのである。
日本私立学校振興・共済事業団理事長