Japan Journal of Human Resource Management
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The roles of HR managers in mergers and acquisitions: A case study of Japanese department stores
Yurie MIURA
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2021 Volume 22 Issue 2 Pages 24-40

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ABSTRACT

In recent years, mergers and acquisitions(M&A)have become a popular strategy in business. To succeed, companies need to deal with human resource management(HRM)issues appropriately. The main challenge of HRM in M&A is for acquiring companies to apply and integrate their HRM systems to acquired companies because it easily causes problems related to acquired companies such as resistance of acquired employees. To deal with these issues and complete the integration of HRM systems, HR managers need to play different roles simultaneously. Surprisingly, most of the existing researches focus only on acquiring HR managers, but not on acquired HR managers, whose significant roles related to acquired employees are suggested in some researches. This study addresses existing research gaps by investigating the roles of HR managers of not only the acquirer but also the acquired side.

In this study, the roles of HR managers are analyzed based on interviews with HR managers in Japanese department stores that have successfully integrated HRM systems. This study applies the framework of Antila (2005), which combines Ulrichʼs HR four roles model(1997)with M&A three stages, and further adds division of the acquirer and the acquiree. The existing researches argue that the four roles are essential but require balances of tension between the roles that are difficult to achieve. Nevertheless, the results of this analysis show that the four roles are balanced in the way that the acquiring HR managers play a strategic role by themselves, by contrast, the roles related to employees and operations are shared and cooperated with the acquired HR managers.

Moreover, it turns out that the HR roles between acquiring and acquired HR managers change as integration progress. During pre-combination, the acquiring HR managers are solely responsible for the future HR-related plans to apply the acquiring strategy to the acquiree, while cooperating with the acquired HR managers in the day-to-day roles that tend to conflict with the strategic roles such as future planning. During combination, the acquiring HR managers play the roles that reflect the management perspective, such as creating the HRM systems, while relying on the acquired HR managers to communicate with the acquired employees, where conflict with the management needs can easily occur. In other words, it is possible to be interpreted that the roles that the acquiring HR managers difficult to balance by themselves change as the M&A process progresses, and the roles that the acquired HR managers are involved in also change accordingly.

The contribution of this study is to suggest that extending the focus not only to acquiring HR managers but also to acquired HR managers and adding the viewpoint of sharing and cooperating is effective for the implementation of strategies of an acquirer in M&A. However, because it is based on a single case, generalization requires additional research. Besides, studying the different roles of HR managers under different conditions, such as various types of M&A strategies and goals, can be a future research topic.

1. はじめに

1980年代半ば以降,M&A(Mergers and Acquisitions,合併・買収)は,組織の生き残りや拡大,競争優位獲得のために一般的な戦略であり(Cooke, 2017),日本でも近年その重要性は増している1。合併とは2つの組織が統合して1つの新組織となること,買収とは主導する組織が対象組織を獲得することである(Marks & Mirvis, 2011; 667)。また,経営統合とは統合企業同士で持株会社を設立し,その持株会社が2つの企業の全株式を管理して2つの企業の法人格を存続することである2。実際に対等に遂行されるM&Aはほとんどなく(Cooke, 2017),合併や経営統合でも実質的にいずれかが主導し買収・被買収関係になる場合が多いことから,本稿では合併や経営統合も含め買収側・被買収側と呼称する。

M&Aや経営統合の成否は,財務や市場ではなく人事課題が主たる要因となる場合がある(Schuler & Jackson, 2001)。中でも重要な人事課題は,買収側がM&A後の戦略を実現するために自社と被買収側の人事制度を統合することである。なぜなら,買収側が被買収側を一体化し1つの企業とする場合には,異なる人事制度の併存が効率的な人材活用の支障になると考えられるからである。人事制度統合は,買収側の人事制度を被買収側に適用することが一般的であるものの(Cooke, 2017; Jemison & Sitkin, 1986),被買収側の抵抗などにより部分的な適用に留まりやすく,統合が困難であると指摘されている(Cooke, 2017; Cooke & Huang, 2011)。しかしながら,人事制度統合の知見は不足しており(Teerikangas et al., 2015),日本企業のM&Aに関する人事研究も少なく(久保, 2004; Olcott, 2008など),特に人事部門に言及したものは限定的である(Jacoby et al., 2005; 山本, 2008)。

そこで,本稿では,買収側はどのようにすれば人事制度統合を実現できるかという問いを,M&Aの人事制度統合に重要とされる人事部門の役割に注目したAntila(2005)の枠組みに基づき,日本の百貨店の事例研究から探索的に検討する。また,後述する先行研究の課題から,人事制度の中でも従業員の評価・報酬に関わる等級制度を中心に検討する。

2. 先行研究と分析枠組みの提示

2-1. M&Aにおける人事制度統合とそれを阻害する被買収側の要因

M&Aの成否を分ける重要な課題は統合プロセスの管理である(King et al., 2020; Schuler & Jackson, 2001; Steigenberger, 2017; Teerikangas et al., 2015; Wong et al., 2017)。M&Aの戦略には,被買収側の資産を吸収し市場支配強化を図る併合・同化型(Annex & Assimilate),被買収側の能力などを獲得し製品・市場拡大を図る獲得・保護型(Harvest & Protect),各社の独立性を維持しつつ相互に学習し価値創出を図る連携・成長促進型(Link & Promote)の類型があるものの(Brueller et al., 2018),M&Aには一定水準の統合が必要である。特に買収側に加え被買収側の事業規模が大きく,両社の規模が同程度の場合に統合プロセスが複雑になり(Brueller et al., 2018; Ellis et al., 2009),不十分な統合では生産性や従業員満足度などが低下すると指摘されている(Schuler & Jackson, 2001)。

先行研究はM&Aの統合対象となる人事制度として,雇用(Olcott, 2008; Rees & Edwards, 2009),昇進(Olcott, 2008),福利厚生(Rees & Edwards, 2009),人材開発(Aguilera & Dencker, 2004; Faulkner et al., 2002)などを検討してきたが,その中心は評価・報酬(Aguilera & Dencker, 2004; Cooke & Huang, 2011; Faulkner et al., 2002; Rees & Edwards, 2009)である。そして人事制度の中でも評価・報酬の統合は,買収側の意図通りの実現が困難であると指摘されている(Cooke & Huang, 2011; Rees & Edwards, 2009など)。

このような人事制度統合は,買収側の人事制度を被買収側へ適用することが一般的であるため,被買収側の要因に阻害されることが多い。例えば,人事制度統合により被買収側従業員が本人や同僚の報酬や昇進,異動,解雇などの不利益を認識すると,仕事からの心理的な離脱(Fried et al., 1996),ひいては離職意思(Cho et al., 2014)が高まる可能性がある。また,被買収側のラインマネジャーが統合した人事制度を適正に運用しない恐れがある。Cooke & Huang(2011)の事例研究では,被買収側のマネジャーは,統合後の評価に必要なスキルが不十分である場合,従来の評価手法を継続し,新しい手法を使用しないことが観察されている。更に,人事制度統合のため,M&A前の被買収側の人事制度情報を収集し買収側と相違点を比較する必要があるものの,被買収側人事部門は買収側へ必要な情報を開示しない恐れがある(Antila & Kakkonen, 2008)。よって,買収側は,人事制度統合プロセスの様々な局面に生じる被買収側に関する課題への対処が求められるのである。

2-2. M&Aの人事制度統合における人事部門の関与と役割

被買収側の課題への対処も含め,人事制度統合には人事部門が重要な役割を果たすと考えられる。なぜなら,M&Aの人事課題は人事部門とラインマネジャーが共有するが,人事以外の活動にも関与するラインマネジャーよりも人事部門へ人事施策の責任を集中させることが買収の成果を高めると示唆されているからである(Correia et al., 2013)。Schuler & Jackson(2001)は,より具体的に,M&Aの統合プロセスにおける人事課題を集中的に管理できる人事担当者及びチームの創設が重要であると指摘している。また人事課題は,統合前(pre-combination),統合中(combination and integration),定着と評価(solidification and assessment)といった統合プロセスの3段階で生じ3,特にM&Aの成否を左右する人事課題は統合前と統合中に多いことからその対処の重要性を指摘している。

Antila(2005)は,このSchuler & Jackson(2001)の示した統合プロセスの3段階における人事部門の活動を中心に,Ulrich(1997)による人事部門の4つの役割の枠組みを適用して更に整理している。Ulrich(1997)は,「長期・戦略」(以下,長期)から「短期・運営」(以下,短期)を範囲とする人事部門の焦点と,「プロセス管理」から「人材管理」を範囲とする人事部門の活動という2軸を交差し,戦略パートナー,変革エージェント,管理エキスパート,従業員チャンピオンという4つの役割(提供価値)を示した。「長期」が焦点の役割のうち,戦略パートナーは戦略と人事を連動させる「プロセス管理」活動であり,戦略の遂行が提供価値となる。同様に,変革エージェントは変革マネジメントを遂行する「人材管理」活動であり,刷新された組織の創出が提供価値となる。「短期」が焦点の役割のうち,管理エキスパートは組織プロセスを再構築する「プロセス管理」活動であり,効率的な構造の構築が提供価値となる。同様に,従業員チャンピオンは従業員の声を聞き,それに応える「人材管理」活動であり,従業員のコミットメントと能力の向上が提供価値となる。Ulrich(1997)によると,人事部門はこの4つの役割を全て達成する必要があるが,実際には役割同士の対立から全役割の両立は困難とされている。例えば,人事部門は職場のニーズに合わせてラインマネジャーへ助言するため短期的な焦点や受動的な態度になり,戦略志向の役割を損なう(Caldwell, 2003)といった,人事部門の焦点を軸とした「長期」と「短期」の役割間の対立が指摘されている。また,特定の戦略の推進によって人材管理の役割を無視する(Hailey et al., 2005)といった,人事部門の活動を軸とする「プロセス管理」と「人材管理」の役割間の対立も主張されている。

Antila(2005)の枠組みにおいて,統合前及び統合中の人事部門の活動は,人事部門の4つの役割全てに存在することから,人事制度統合のためには,人事部門は両立困難な4つの役割全てを統合前から統合中に果たす必要があると推測される。Bagdadli et al.(2014)によると,人事部門の4つの役割全てが常に必要となるわけではないが,統合度合いが高い場合には4つの役割全ての存在が明示されている。Antila(2005)によると,各役割の代表的な活動は次の通りである。戦略パートナーでは,統合前におけるM&Aの目的の明確化やパートナーの選定,統合中のステークホルダーとのコミュニケーションなどが該当する。変革エージェントでは,統合前における文化的な障壁の特定4や統合中の変革プロセス管理5などである。管理エキスパートでは,統合前における従業員の報酬などのデューデリジェンスや統合中の人事施策の決定などが挙げられる。従業員チャンピオンでは,統合前の経営層や従業員,文化のデューデリジェンス6,統合中の従業員の動機付けやコミュニケーションなどがある。

2-3. M&Aにおける人事部門の役割の枠組みの拡張

人事制度統合における人事部門の関与の重要性が指摘される中,その主たる対象は買収側人事部門である。例えばAntila(2005)の枠組みに基づくAntila(2006)の事例研究では,買収側人事部門が全ての役割を果たすことを前提としている。他にも買収側人事部門の役割や活動に注目し,その要諦を論じるものが多い(Antila & Kakkonen, 2008; Nikandrou & Papalexandris, 2007など)。

しかし,統合過程で被買収側の課題に対処するには,被買収側人事部門の役割も重要になると考えられる。例えば,Antila(2006)は,買収側人事部門が人事制度統合を被買収側人事部門と協力する場合があることを指摘している。またMarks & Vansteenkiste(2008)は,統合前に被買収側で従業員のコミットメントと事業存続のために,被買収側人事部門が従業員を感情的・実用的に支援することを観察している。こうした被買収側人事部門の重要性をふまえ,本稿ではAntila(2005)の枠組みを買収側人事部門だけでなく被買収側にも拡張し,買収側人事部門は被買収側人事部門の関与も含め,どのように取り組むことで人事制度統合を実現できるかを検討する。

3. 研究方法

本稿では,2000年代後半にM&Aを行なった日本の百貨店企業A社とB社について,評価・報酬の根幹となる等級制度の統合を対象に事例研究を行なう。事例研究を採用する主な理由は,「どのように」という問題を扱い(Yin, 1994),M&Aの統合プロセスを追跡する必要があるからである。また,単一事例研究としたのは,先行研究では買収側人事制度の被買収側への適用は困難とされているが(Cooke, 2017; Cooke & Huang, 2011),対象事例が買収側人事制度を被買収側に適用し両社の人事制度統合に成功した稀なケース(Yin, 1994)と考えられるためである。

データは半構造化インタビュー及び社内資料から収集した。インタビューは2018年10月及び2019年9月から2020年1月に計10件を実施した。1件の所要時間は1時間半から3時間半程度であり,録音後にテキストデータとして記録した。対象者は,M&Aを経験したA・B社出身の各4名(計8名)であり,双方の出身者に当時の本社人事担当者,店舗人事担当者,店舗ラインマネジャーが含まれる。また,本社人事担当者で人事制度統合を主導したA・B社出身の各1名(計2名)には各2回インタビューを実施した。

データは回顧的であり,対象者の記憶の精度が懸念されるが,M&Aは極端なイベントであり他の多くの経験よりも記憶に残りやすいため,有用な精度で思い出すことができる(Gomes et al., 2012)。また,本事例のインタビュー対象者は,当時の店舗ラインマネジャー2名を含め全員が人事関連部門の経験があり,他の従業員より人事制度統合を記憶していると考えられる。なお,稀に発言に矛盾が生じた場合には,社内資料と照合して対処した。

4. 事例

A社とB社のM&Aは日本の主要な百貨店企業同士の大規模なものであった。両社は2007年9月に持株会社を設立して百貨店事業会社のA・B社をその傘下とする経営統合を行ない,約2年半後の2010年3月に事業会社A・B社を合併した。同社は対等合併と発表していたが,業績好調のA社による業績の低迷したB社の統合であると報道されており,インタビューによると当時の両社社員も同じ認識であった。その点で,A社を買収側,B社を被買収側とみなすことができる。また,等級制度は,経営統合前のA社は職務等級制度,B社は職務の要素を加味した職能資格制度であった。経営統合後にはB社がA社に準じた職務等級制度を導入し,その後事業会社合併時にB社がA社と同一の職務等級制度に変更することにより,両社の等級制度が統合されている(表1)。

表1 本事例におけるA・B社の統合の変遷

4-1. A社とB社の概要(1990年代後半〜2006年11月頃)

経営統合前のA社は1990年代後半から効率化のため売り場運営改革を推進し,販売形態別に売り場運営方法を分類・標準化して従業員の職務を明確にすることで人員体制の適正化を図っていた。具体的に,接客販売や商品整理などの業務を顧客との関連度合いに応じて分類し,更に,顧客に必要な支援は,売り場で扱う商品によって高度な商品選びから単純な包装・会計まで異なるため,これをパターン別に分類した。その上で,これらの店頭業務に運営計画なども含めた業務全体をA社と商品取引先のどちらがどの程度担うかという運営形態を分類し,運営形態別などのマニュアルも作成した。この改革により,売り場を中心とした職場に必要な職務及びその人数が明確化され,適正配置による効率的な運営が可能となったのである。

この改革に対応し,新規学卒者相当の社員が入社後数年間位置付けられる下位等級7を除いて,正社員に対する等級制度も職務価値を賃金8に反映する職務等級制度9とした。職務価値とは,店頭マネジメントや商品の買い付け,経理などのスタッフ,販売といった職務領域を区分し,更に職務領域内のマネジャーやチームリーダーなどの役職に応じて格付けされる職務等級を設定したものである。具体的に,社内の500以上の職務価値が,組織への影響度,責任の範囲,問題解決の難易度などの分析により人事コンサルティング企業のシステムで格付けされ,代表的な職務の役割,成果責任及び職務内容が明文化されている10。この職務等級制度では,職務が賃金に反映されるため適性や意欲に基づく適正配置が重視されており,年功的な要素を払拭し,若い年次の社員を管理職に抜擢することによって挑戦の機会を与えることが可能となる。例えば,A社のある従業員はそれまで50歳前後のベテランが担っていたマネジャー職を30歳前に経験したと語っている。また,組織活力の維持・向上を目的として異動の活性化が重視され11,職務に見合った成果が見られない場合にも異動により降級が可能であるため従業員に緊張感をもたらすことができ,人件費の肥大化も抑止しやすい仕組みと言える。評価においては職場での目標管理の運用が重視され,職務領域及び役職の成果責任に基づき上司部下間で設定した目標に対する達成度や職務内容に即した行動の遂行度合い12が測定され,配置や昇降給に影響する。このA社制度を導入したX氏は,後述する人事制度統合の中心人物である。

一方,B社は低収益が課題であり,2003年8月に人件費抑制を目的として,正社員に対する職能資格制度に職務の要素を加味した変更を加えた。各職能等級に職務価値に応じた2つから4つの階級を設定し,職務に基づく給与を導入したのである。しかし,職務階級による給与の差は僅かであり,月例給与の大部分は職能資格等級による決定を維持した。昇格についても,原則として下位等級の経験年数や最短年齢が定められたままであった。よって,年功的な要素を大きく維持したことから人件費はあまり変化せず,収益改善は見込みづらいものであった。この変更となった理由について,改定を担当したY氏は「ずっと職能で来ているので,職務に大きく振り切ることによる混乱を恐れたのかもしれない」と,大きな変更への懸念があったと述べている。また,両社の人事部門は同業他社も含め経営統合以前から企画・労務などで交流があり,Y氏はA社が職務等級制度であると知っていたものの,A社のように売り場運営改革や職務明確化に対応した人事制度変更ではなかったと振り返っている。評価制度もA社と異なり,職務を問わず全社共通の基準に基づき知識や判断力などの職務遂行能力13を判定しており,管理職に限り予算達成度合いや一部職務に応じた勤務態度14も評価に含むが,A社のように職務に即した行動の遂行度合いを重視するものではなかった。

更に,Y氏によると,両社の企業文化は,歴史的には「どちらも割とのんびりしている会社」で似ているが,経営統合前には「A社は結果をトコトン突き詰めていく貪欲さがある一方,B社はA社出身者に言わせると,紳士が多い,大人だって。そんなにガツガツもしていない」として,A社の売り場運営改革などから両社に違いが生じたと認識されていた。

4-2. 統合前(2006年12月〜2007年8月頃)

両社の経営統合は,2006年12月の経営トップによる会談から始まり,翌年1月には経営統合準備委員会(以下,準備委員会)を発足し検討を開始した。同時に10以上の統合分科会が設置され,その1つとして人事分科会も発足された。メンバーは,両社の役員及び労務や採用など人事機能別の部長層各5名程度であった。両社の事務局も1人ずつ出席し,B社からは前述のY氏が出席していた。

B社は引き続き収益改善が必要であり,経営統合の主眼は前述したA社の効率的な売り場運営方法をB社に移植し,収益改善することであった。そのため,人事分科会は,運営方法の移植を担う人材交流と運営方法に連動した人事制度の創出を優先的に議論した。B社人事制度を売り場運営方法に連動させる必要性は当初から認識されていたが,B社がA社人事制度を踏襲することが当然であったわけではない。B社出身のY氏は「経営層では合意されているけれど,実務に近くなればなるほど,過去の経緯やしがらみがどうしてもあるので,制度を合わせるといっても,そうは言っても,というところがある。じゃあどうしていきましょうかっていうことが話されていた」と述べた。そのため,月例で両社を行き来して両社人事制度を確認する過程を経て,経営統合後にB社がA社に準じた職務等級制度を導入する方向性を決定したのである。このとき両社人事制度を統合する決定に至らなかったのは,持株会社傘下の百貨店事業会社の合併がこの段階で決定しておらず必要がなかったことや,大きな制度改定による従業員の混乱を2003年の改定時と同様にB社が懸念したことが影響しているとみられる。

4-3. 統合中(2007年9月〜2010年2月)

準備委員会及び人事分科会の発足から数ヶ月後に経営統合が発表された後,両社は2007年9月に持株会社を設立し,百貨店事業会社のA・B社がその傘下に入り,正式に経営統合した。持株会社では経営トップの直下に人事部門が組成され,A社から出向した部長1名の下,A社で職務等級制度を設計したX氏,B社で職務の要素を加味した職能資格制度を設計したY氏,持株会社の人事実務を担うB社出向者1名の計4名が集められた。彼らの当初の活動は,持株会社の人事実務とともに,B社へA社に準じた職務等級制度を導入するための人事制度の調査・分析や計画であり,部長及びY氏は,準備委員会事務局として人事分科会へ出席しており,統合前の議論も把握していた。当時の持株会社人事部門は,Y氏によると「事業会社から切り離された形で集まっているので,一体感が事業会社の枠を超えて,既にできていた。何をどうなろうがどのみち我々一緒にやるんだからと腹をくくっているというか割り切っているというか」といった様子であった。

人事部門では,X氏が等級制度改定の主担当となり,Y氏は要員構造の設計など他の業務を担当しながらX氏と協力して両社の人事データを比較した。X氏によると「(年収は)A社の方が高かったけれど無茶苦茶な格差はなかった。賞与は大分A社が高い,ただ月例給与はB社が高い」ことが分かった。そのため,職務等級制度を導入しながらも,大きな変更により従業員の生活に支障をきたさないよう,従来のB社の月例給与・賞与の比率を維持した。また,A社の売り場運営方法を導入するとはいえ,B社店舗規模などに合わせて職務等級を決定するため,人事コンサルティング企業を活用してB社の主要ポストの職務価値を評価した。X氏が職務価値の評価に人事コンサルティング企業を活用した理由は,「人事や経営が勝手に決めたのではなく市場性のある職務評価手法を使って測定した」と従業員へ客観性を示すことができるためである。更に,X氏は,職務等級制度への変更に伴い月例給与が一定以上減額となる場合には一度に大きく変動しないよう段階的に減少する調整給を支給し,従業員に配慮した経過措置を取り入れている。この計画は,経営トップと持株会社人事部門の会議で定期的に報告され,方針決定の上トップダウンで展開していた。経営統合の半年後には,A社から持株会社人事部門に専任の役員が出向して体制が補強され,B社役員などとの調整に当たっている。

2008年1月には,B社各店従業員へ売り場運営改革と合わせて職務等級制度への変更概要とスケジュールが早期に説明された。説明会は各店店長が指揮し,人事制度も,設計したX氏ではなくB社各店の人事担当者から説明した。この理由をY氏は「(B社の人事担当者を)飛び越えてしまうと感覚的な反発が先に立ってしまうので,A社の者が前面に出過ぎず,事業会社の中で落としていく。形だけでも,そこを徹底してやっていた。自分たちのことだと思ってもらわないといけない」と述べている。つまり,A社に要求されたからではなく,B社自身にとって必要な人事制度改革であるとB社従業員へ認識させるためであった。当時のB社各店の人事担当者は「A社の制度はこうでしたからこうしますという言い方ではないな,どちらかというと,こういう制度になりますという言い方」とあくまでB社の決定として説明している。

B社従業員への説明と並行して,X氏を中心とした持株会社人事部門,B社人事部門,及びB社労働組合の間で意見交換が行なわれた。B社労働組合は,B社の経営層・人事部門と友好関係にあり人事制度改定にも協力的であったものの,様々な意見や質問,要望が提出された。これにより,X氏はA社人事制度になかった家族手当の廃止を計画したが,B社労働組合が合意せず見送りとなった。また,B社従業員から寄せられた声に対し,X氏が主体となり作成した人事制度改革冊子を通して回答しているが,発行元はB社及びB社労働組合であり,説明会同様,A社出身者が考案していることは明文化されていない。また,冊子には,勉強会や会社・組合間での人事制度改定スケジュールも明記され,今後の展開が従業員に分かるようになっている。労使間の協議が概ね終了し,B社でA社に準じた職務等級制度の運用が始まる数ヶ月前には,人事制度全体の詳細を,B社各店人事担当者から改めて従業員へ説明している。

B社職場へのA社に準じた職務等級制度導入推進のため,X氏は,個人別の5年間の賃金シミュレーションを作成し,B社各店の人事担当者や店長に知らせた。これにより,B社各店人事担当者はハイパフォーマーなど重要な人材の配置を変更し,賃金の低下を防ぐこともできる。また,目標管理など評価は「運用を間違えると主旨通り機能しない」とX氏は考え,中心となってB社各店人事担当者へ丁寧に周知し,その後B社各店人事担当者からラインマネジャーを支援している。

一連の変革を経て経営統合から1年後の2008年9月にB社におけるA社に準じた職務等級制度が開始された。当時のB社ラインマネジャーは「降格ありだな,シビアになったなとは思った。ただ,今までは年功序列だったけど,若くても力があればいくよ,ダメなら落ちるよっていうのは当たり前だと思う。その変化で(当時管理していた部下の)メンバーから色んな感情の問題でどうだこうだって,私自身は経験がない」と述べている。つまり,より厳しい状況に置かれるが,決定の正当性を認識していることが分かる。B社従業員から職務等級制度に対する目立った不満や抵抗がなかったことはB社各店人事担当者も言及している。また,同一職務にも関わらず前任者より低い等級であったという以前の実質的な職能資格制度に感じた不公平さが解消されると述べた従業員もいる。

両社の完全な人事制度統合は,A社に準じたB社の職務等級制度が運用開始となる数ヶ月前には,両社及び持株会社の三者による人材交流活性化などの理由から意識されており,同時期に事業会社A・B社の合併が決定したことで明確に必要となった。更に半年と経たない間に合併の1年前倒しが決定し,結果的にB社へのA社に準じた職務等級制度の導入から1年半後の2010年3月の事業会社合併時には,B社はA社と同一の職務等級制度に変更し,両社の人事制度は統合された。具体的な変更点は,B社の年収に占める賞与の割合をA社と同水準まで引き上げて月例給与・賞与の比率を一致させ,給額表を1つにしたことである。この統合は両事業会社人事部門や労働組合とも調整が必要であり,関係者の数だけでもB社単独の人事制度変更より困難が予想されるものの,既にB社をA社に準じた職務等級制度へ変更しており混乱はなかった。2007年9月の経営統合時にY氏が窓口となって両社労働組合の上位組織を作り連携していたことも調整を円滑にした可能性がある。従業員への説明も,B社へA社に準じた職務等級制度を導入する際は複数回行なわれたのに対し,両社人事制度統合では店別に1回実施したのみであった。売り場運営改革及びA・B社合併による余剰人員は,従来から両社で実施していた選択定年制度における退職金の優遇措置15,定年退職による自然減に対する新卒採用数の抑制,グループ内外への出向などによって徐々に減少させた16。これにより,各等級には組織体制に合わせた適正人員数が割り当てられていると考えられる。

4-4. 定着と評価(2010年3月〜2012年9月頃)

事業会社合併に伴い,持株会社人事部門を廃止し,合併した事業会社本社人事部門が人事機能を担う体制となった。ただし,持株会社人事部門で人事制度改定を推進し,両社を把握するX氏やY氏などがそのまま事業会社本社人事部門に移籍し人事企画業務などを担当した。合併前の両事業会社人事部門のメンバーは,異動配置のために本社人事部門に追加された以外は他部門に再配置された。

事業会社合併から2年後の2012年9月には,X氏が中心となり,職務等級制度から役割等級制度17へ変更している。目的は各期に担う役割を柔軟に付与することとされ,職務領域及び役職,等級の上限下限はほぼ変えずに等級数を増やして細分化しており,より細かく仕事内容に応じた賃金設定ができる。変更の背景には,より消費者ニーズを反映した売り場を開発する方針があり,等級及び賃金を明示的に変化させ,より困難な役割を担う場合にその重要性を従業員に認識させるためであると考えられる。役割等級制度導入以前から異動の活性化を重視しており異動は珍しくなかったことから,等級及び賃金が低下する場合に従業員に不満などが生じる可能性は強く懸念されていなかったと推察される。X氏はこの変更を「(A社の)職務等級制度と(B社の)職務の要素を加味した職能資格制度それぞれから同じ役割等級制度に辿り着くのは結構大変なことだと思う。最優先に同じ職務等級制度に乗っかり,そこからあるべき姿(役割等級制度)に飛んでいけばやりやすいんじゃないかと考えた」と述べている。つまり,X氏は経営統合前から売り場開発に関する経営方針に合わせA社の職務等級制度を改革する必要性を認識していたものの,経営統合及び合併時にはB社にA社職務等級制度を適用し両社人事制度を統合することを優先し,定着後に役割等級制度に改良するという順序を計画していたと考えられるのである。

5. ディスカッション

5-1. 事例の解釈

A・B社のM&Aは,A社の効率的な売り場運営方法の移植によるB社の収益改善を目的としており,A社を買収側,B社を被買収側とみなすことができる。A社は,売り場運営の分類・標準化により明確化された職務に基づく職務等級制度であり,B社は経営統合に伴い職務の要素を加味した職能資格制度からA社に準じた職務等級制度に変更し,後の事業会社合併時にA社と同一の職務等級制度として両社は等級制度を統合した。更に職務等級制度のB社への定着後には役割等級制度へ改良している。本事例は,大規模な百貨店企業同士のM&Aにおける人事制度統合であり,職務等級制度への変更により降給可能性があるB社従業員から抵抗や不満が生じ得るため,人事制度統合は困難と想定される。しかし,従業員の目立った抵抗はなく,納得できるという声もあることから,買収側A社は被買収側B社の主要な課題に対処し人事制度統合を実現できたとみなすことができる。

なぜA社はB社で生じ得る主要な課題を回避・克服し,自社の人事制度をB社に適用できたのだろうか。本事例の人事部門の活動を,人事部門の4つの役割と統合プロセスの3段階からなるAntila(2005)の枠組みで整理すると,人事制度統合完了前の統合前・統合中を中心に人事部門が役割を果たしていることが確認された。人事部門の活動が統合前・統合中に多いことはSchuler & Jackson(2001)の指摘とも整合的である。

以下では,既存研究が注目していた買収側だけでなく被買収側にも焦点を拡張し,A・B社に分けて人事部門の役割と活動を考察する(次頁の表2参照)。

表2 本事例の統合プロセスにおける人事部門の役割と活動

5-2. 戦略パートナー

統合前には,A社売り場運営方法導入によるB社収益改善の目的に対し,運営方法に連動した人事制度の方向性が優先的に議論された。この議論では,既に戦略と連動した職務等級制度を有していたA社が中心的な役割を担った。統合中は,A社への職務等級制度導入経験を持つX氏が職務価値による賃金の決定という職務等級制度の根幹を維持しながらB社月例給与・賞与の比率に合わせて改定している。経営層との調整もA社出身者が中心となり,定着と評価では,更にX氏が役割等級制度へと改定している。

このようにX氏などのA社人事部門が戦略パートナーの役割を主導したのは,M&A後も踏襲されるA社の店頭運営方法及びこの戦略と連動する職務等級制度を熟知していたことにあると考えられる。これは,Antila & Kakkonen(2008)による人事専門知識,事業に関する知識,及びM&Aプロセスでこの2つを連動させる能力が人事部門の役割に影響するとの主張と整合的である。そのため,戦略パートナーの役割にB社人事部門を関与させる必要性は高くなく,仮に関与しようとしても,Y氏の発言にあるようにA社戦略及び人事制度の理解が不十分であり,役割の発揮は困難と考えられる。したがって,買収側人事部門は,買収側の戦略や人事専門知識に精通することで,戦略と連動した人事制度を構築できる可能性がある。一方,それらに精通しない被買収側人事部門の関与は,戦略と人事制度の連動には必須ではないと言える。また,B社人事部門にA社人事部門の戦略的な役割を阻害する動きは確認されなかった。これは,A社職務等級制度の受容をB社に押し付けず,統合前に両社議論の上でA社を踏襲する方針を決定したためであると考えられる。

5-3. 管理エキスパート

統合前及び統合中に両社合同の推進体制が組まれ,両社が協働して人事制度を調査・分析し,特に統合中は,B社へA社職務等級制度を適用する際の留意点として両社月例給与・賞与の比率が異なることが明らかになった。調査・分析には,職務等級制度導入経験のあるA社だけでなく,B社人事制度情報を把握するB社出身のY氏を巻き込み情報提供してもらわないと人事制度改定を推進できない。この時,被買収側人事部門が買収側へ必要な情報を開示しない恐れがあるが(Antila & Kakkonen, 2008),A社が統合中の両社合同の推進体制においてB社出身者の協力意思を高め両社に一体感が醸成される取り組みを行なったことで,被買収側人事部門に情報を秘匿されなかったと考えられる。A社は両社出身者を同数集め,X氏は人事制度,Y氏は要員構造などと各自に両社にまたがる役割を与え,経営層との会議にも両社出身者を参加させており,A社に限らずB社出身者の重要性も認識できることからB社出身者の信頼を得たと推察される。また,B社出身者をB社事業会社組織と切り離しA社出身の上司の下で人事制度改定に関与させたことにより,人事制度に対するA社の考え方への理解を促し,よりA社出身者との協力意思を高めることができたと考えられる。したがって,買収側人事部門は,統合前・統合中の人事情報の調査・分析に被買収側人事部門を関与させ,買収側への協力意思を高めることで被買収側人事部門による人事情報の秘匿を回避し,より効果的に管理エキスパートの役割を果たせると考えられる。また,人事制度の調査・分析後はA社が単独で人事制度を創出することによってB社の管理エキスパートの役割は無くなり,後述する従業員チャンピオンや変革エージェントの役割を担っている。

5-4. 従業員チャンピオン

統合前のB社人事部門は,収益改善のためA社職務等級制度に変革する必要性を認識しながらも,B社従業員の不満や抵抗が生じる恐れから,大きな変化を避ける必要性も認識していた。また,管理エキスパートと同様に,統合前・統合中に両社で人事制度を調査・分析し,従業員の貢献に対する考え方が両社で大きく異なり,A社は職務を通じた成果の創出を,B社は日本企業特有の長期勤続による能力の蓄積を重視することが明らかになった。よって,A社に準じた人事制度改定には困難が予想され,実現のためにB社になるべく不満を抱かせない必要があった。そこで統合中には,A社出身のX氏が,B社の月例給与・賞与比率の維持,調整給の導入などB社従業員を尊重した計画を行なった後,B社の人事担当者や労働組合を巻き込み家族手当の廃止見送りなどの修正を加え,A社人事制度をよりB社従業員に即した内容へ緩和している。これは,人事制度改定にB社労働組合との合意が必須であり,合意後にB社従業員から不満を持たれる可能性も抑えなければならなかったためと考えられる。両社労働組合の上位組織を作る際にB社出身のY氏を窓口としたことも,人事制度改定にB社が対等に関与しているとB社労働組合に認識させ,経営統合前からのB社と労働組合の友好関係を維持し,協力的な姿勢を引き出す必要性からであったと推察される。

また,統合中にB社各店人事担当者が従業員へ新人事制度を説明し,説明冊子は発行元をB社としていた。従業員への情報発信は従業員が協力的な態度を取るかどうかに影響するとされ(Melkonian et al., 2011; Teerikangas et al., 2015),日本的な長期勤続による能力の蓄積を貢献とする考え方に慣れたB社従業員には職務を通じた成果創出という大きく異なる貢献の考え方が受け入れにくく,情報発信が重要であったことが想定される。本事例ではA社が統合中の情報発信をB社人事部門に任せることにより,B社従業員の受容が促されたと考えられる。B社が主体的に情報発信したのは,職務の要素を加味した職能資格制度からA社に準じた職務等級制度へ大きく転換した時期である。当時B社は持株会社のもとで事業会社として組織的に独立しており,B社の方針として従業員に周知する必要があったと推察される。これは,被買収側人事部門による被買収側従業員に対する活動の有用性が,統合前の感情的・実用的な支援にあるだけでなく(Marks & Vansteenkiste, 2008),統合中の情報発信にもあることを示唆するものである。

5-5. 変革エージェント

Y氏の発言にある通り,両社の企業文化は長期的には類似していると認識されており,統合に大きな支障を及ぼすものではなかった。しかし,統合前からA社では職務を通じた成果創出を重視し若い年次でも管理職への抜擢があったが,B社は職務の要素を加味したとはいえ実質的に職能資格制度であり長期勤続による能力の蓄積を重視した年功的な配置が維持され,従業員の貢献に対する考え方は異なっていたと言える。これが前述した人事制度の調査・分析から判明し,経営統合の主眼であるB社へのA社売り場運営方法の導入成功に必要な職務を通じた従業員の貢献をB社の実質的な職能資格制度が阻害しないよう,払拭したと推察される。この阻害要因の特定には,戦略パートナーの議論と同様に,統合後の事業及び人事に関する知識が必要と考えられ,熟知したA社人事部門には可能な一方で,知識が不十分なB社人事部門には困難であったと考えられる。

統合中には,X氏が中心となりB社各店人事担当者へ目標管理などの評価の適正運用を周知し,B社各店人事担当者が各店ラインマネジャーを支援した。目標管理では,職務を通じた成果創出を貢献と考える必要があるため,B社ラインマネジャーに共有された,行動に必ずしも反映されない長期勤続により蓄積された能力を評価する考え方から転換する必要がある。この考え方の転換を含め評価の運用を念入りに伝える重要性は,職務等級制度に精通しないB社人事部門では認識が難しく,A社人事部門でなければ認識できなかった可能性がある。一方,評価の適正運用はラインマネジャーにかかっているにも関わらず,被買収側のマネジャーは新しい評価手法を扱うスキルが不十分なために使用しない恐れがある(Cooke & Huang, 2011)。長期雇用慣行を持つ日本企業の本事例では他社の運用を知らないラインマネジャーが多く更なる支援の必要性が想定され,B社ラインマネジャーの人事評価スキルを把握しタイムリーに支援できるB社人事部門が評価の導入を後押ししたことが示唆される。これは,従業員チャンピオンの議論と同様に,最も大きな転換であるA社に準じた職務等級制度の導入時に支援が必要であった。この際,B社が事業会社として組織的に独立していたため,B社方針として従業員に浸透させる必要性からB社人事部門の役割として受け入れられたと想定される。また,職場での運用前に,導入する等級制度がB社を尊重して緩和されていたことにより,B社人事部門及びラインマネジャーはA社の考え方に反することなく適正に運用したと考えられる。したがって,買収側人事部門は,被買収側の職場の情報を持つ被買収側人事部門に統合中の被買収側ラインマネジャーの支援を任せることによって,新しい評価手法の導入を促進し得ると言える。

以上の議論から,買収側人事部門は戦略パートナーの役割を自ら担う一方,管理エキスパート,従業員チャンピオン及び変革エージェントといったそれ以外の役割を買収側主導の下で被買収側人事部門と連携・分担することにより全ての役割を両立し,人事制度統合を実現できる可能性があるという仮説が導出される。

5-6. 買収側・被買収側の連携・分担の変化

更に,統合前と統合中に分けてA・B社人事部門の役割を検討すると,A社が自ら担う役割とB社と連携・分担する役割は,統合段階が進むにつれて変化していると考えられる(次頁の図1参照)。統合前は,人事部門の焦点における長期の役割(戦略パートナー・変革エージェント)をA社が自ら担い,短期の役割(管理エキスパート・従業員チャンピオン)をB社と連携・分担している。一方,統合中は,管理エキスパートにおける人事制度の調査・分析にB社が関与した後はA社が単独で管理エキスパートを担っており,人事部門の活動におけるプロセス管理の役割(戦略パートナー・管理エキスパート)をA社が自ら担い,人材管理の役割(従業員チャンピオン・変革エージェント)をB社と連携・分担しているとみなせる。

図1 統合プロセスにおけるA・B社の役割分担の変化

Ulrich(1997)の枠組みにおける役割の対立の議論(Caldwell, 2003; Hailey et al., 2005など)を適用すると,統合前にA社が単独で担った長期の役割は,A社の売り場運営方法をB社に適用するという戦略実現のための計画に関連すると考えられる。これと対立しやすい短期の役割には両社が関与しており,仮にA社が単独で担った場合,B社の実質的な職能資格制度の踏襲という短期的な対応になり,長期の役割を損なうことが懸念される。短期の役割を全てB社に任せる選択肢もあるが,短期の役割(管理エキスパート・従業員チャンピオン)における調査・分析はA社人事制度との比較が必要な活動特性から,同時にA社の関与も必要であったと考えられる。

一方,統合中には,経営視点を反映した全社的な人事制度体系を構築するプロセス管理の役割をA社が自ら担い,反対に人材管理の役割に両社が関与している。具体的に,A社は人材管理の役割を,構築した人事制度を職場で運用するための計画や管理の活動に留め,職場との接点はB社に任せたことが分かる。仮に,職場との接点をA社が担った場合,経営層とは異なる職場のニーズを重視し,プロセス管理の役割を損なう恐れがあると推測される。したがって,統合段階によって対立が強く生じる役割が変化し,その都度A社単独で両立困難な役割にB社を関与させたと解釈できる。

6. 結論と今後の課題

M&Aの主要な人事課題は,買収側が自社の人事制度を被買収側に適用し,両社の人事制度を統合することである。しかし,先行研究では,人事制度統合は被買収側の抵抗などにより実現が難しいと指摘されている。本稿ではこの課題を克服した百貨店企業の経営統合を事例とし,M&Aの人事制度統合に重要とされる人事部門の役割について,Antila(2005)の枠組みを買収側から被買収側にも拡張し,人事部門の4つの役割をどのように達成し,人事制度統合を成功させたのか探索的に検討した。分析の結果,戦略パートナーは買収側人事部門が担う一方,管理エキスパート,従業員チャンピオン及び変革エージェントの3つは買収側と被買収側の人事部門が連携し,4つの役割を対立させることなく全て達成していた。また,買収側が単独で担う戦略パートナーと対立しやすい役割が統合段階で変化するため,被買収側人事部門を関与させる役割を変化させていたことが推察された。このように買収側人事部門が被買収側人事部門と連携・分担することにより,対立しやすく両立困難な人事部門の4つの役割を全て達成し,人事制度統合を実現し得ると考えられる。

本稿の貢献は,統合の関係者やその役割(Antila, 2006; Teerikangas et al., 2015)及び統合チームの構成(Steigenberger, 2017)への注目の不足が指摘されるM&Aの人事研究に関して,買収側だけでなく被買収側へ研究上の注目を拡張する必要性を示したことである。被買収側へと視野を広げることで,買収側人事戦略の実現に,被買収側との連携・分担という視点が効果的であること,被買収側の関与が効果的な活動が動的に変化することを示唆している。実務的にも,買収側人事部門が中心となるだけでなく,被買収側人事部門を巻き込むことで人事制度統合を達成し得ること,関与させる際に効果的な役割及びタイミングがあることを示唆している。

最後に本稿の限界と課題は,単一事例から仮説を導出したに過ぎないため,一般化には追加調査を要することである。また,本稿における人事部門の役割は短期的な人事制度統合を目標としたものであり,企業価値向上やイノベ―ション創出などのより長期的な目標の場合には役割が異なる可能性がある。更に,M&A戦略の違い(Brueller et al., 2018)に応じた人事部門の役割の検討が求められる。

 【謝辞】

本稿の執筆をはじめ,島貫智行先生(一橋大学)には日頃より多大なご指導をいただいております。本稿の改訂に際しては,田中秀樹先生(同志社大学)に貴重なご指摘及びご助言をいただきました。また,調査対象企業には多大なご協力を賜りました。ここに記して深謝申し上げます。

(筆者=一橋大学大学院経営管理研究科)

【注】
1  日本企業が関与するM&Aは増加傾向にあり,2019年に4,000件を超えている。株式会社レコフデータ「1985年以降のマーケット別M&A件数の推移」https://www.marr.jp/genre/graphdemiru (2020年9月21日閲覧)

2  株式会社M&A総合研究所「合併と経営統合の違いとは」https://mastory.jp/ 合併と経営統合(2020年9月21日閲覧)

3  各段階を区分する基準は様々であり統一されていない。本稿では,「統合前」を法的手続き上,会社の所有権変更(Gomes et al., 2012)が起こる新会社設立日以前,「統合中」を新会社設立日から統合計画が完了した(Antila, 2005)と言える統合した人事制度運用開始日以前,「定着と評価」を人事制度運用開始日から人事制度の修正までと区分している。

4  Ashkenas et al.(1998)によると,企業や国の文化の違いが統合を困難にするため,それらの統合可能性の予測が買収の意思決定に影響する。文化は,コストやテクノロジー,ブランド,顧客に対する認識,市場への参入方法,権限の考え方などの企業内の慣行が一例となる。

5  統合管理には,体系的で明示的な統合プロセス,被買収側の長所と短所に合わせた統合の対象と方法の調整,少数の重要なバリュードライバーへの集中などが重要である(Schuler & Jackson, 2001)。

6  経営層や従業員のデューデリジェンスは,被買収側の経営層やそれに近い役職の人材を調べることである(Marks & Mirvis, 1998)。また,文化のデューデリジェンスは,イノベーション指向または伝統指向,従業員の貢献に対する報酬または表彰の優先度,従業員特性としてのバリュー,スキル,成果の重視度などが一例となる。

7  A社の新規学卒者は職種を定めずに総合職として一括採用される。

8  本稿では,「毎月の給与」及び「賞与」を両方含む場合には「賃金」,「毎月の給与」のみの場合には「給与」または事例企業にならい「月例給与」と記述する。

9  同社において「職務価値によって職位等級が決まり,職位等級の高さに基づいて処遇が決定する」等級制度であると明文化されている。

10  例えば,店頭マネジャーの役割は「売り場運営力を強化し最大の売上を達成すると共に,働きやすい職場環境を実現する」などと説明され,成果責任には売上予算達成や人材育成など8項目があり,職務には店頭指揮や人材育成など8項目が設定されている。職務の各項目にはより細かく2~7つの小項目があり,例えば店頭指揮では「売り場の繁閑や一人当たりの売上高・客数・守備面積などを見極めた基本人員配置を徹底して行う」を含む7項目がある。

11  一定期間同一職務の場合には異動の検討対象となることを明示している。

12  評価項目のうち「役割行動評価」では明文化された職務内容がそのまま評価項目となっており,注釈10で例示した店頭マネジャーの場合は店頭指揮や人材育成など8項目をS・A・B+などの7段階で評価する。

13  例えば,課長・係長層の場合7項目を評価し,そのうち知識・技能では「担当職務の遂行に必要な知識・技能を十分に備えていたか。またそれらの仕事で発揮,活用する能力はどうであったか」をAA・A・Bなどの6段階で評価する。

14  管理職の勤務態度は,職務を問わず共通した3項目の他に職務ごとに異なる項目が2~4つ設定されている。例えば,店頭マネジャーの場合4項目あり,売り場づくりでは「品揃えの充実,鮮度管理の徹底,商品陳列の改善などに努めたか」をAA・A・Bなどの6段階で評価する。

15  選択定年制度の対象は両社共に満35歳以上であり,事業会社合併後に当該制度により退職した場合の退職金は,特に満45歳から54歳未満において支給率(割増乗率)が高く設定されている。

16  経営統合前の2006年2月の正社員数を1とすると,経営統合後の2008年2月は0.88,事業会社合併後の2011年2月は0.61,役割等級制度導入後の2013年2月は0.40と減少している。

17  同社において「各人が各期に担う役割(ミッション)と貢献期待に応じ具体的等級を決定する」等級制度であると明文化されている。

【参考文献】
 
© 2022 Japan Society of Human Resource Management
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