2016 Volume 11 Issue 3 Pages 538-542
【緒言】オキシコドン徐放錠(SRO)増量後に嘔吐・嚥下困難が増悪し食道アカラシア(EA)の関与が疑われた肺がん症例を報告する.【症例】66歳女性,50歳時EAに対しバルーン拡張術(EPD)を受けた.65歳時に右肺腺がんと診断され化学療法を受けたが1年後に緩和医療へ移行した.複合要因による腰背部痛に対しSROを開始しプロクロルペラジンを併用したが嘔吐が持続し入院となった.制吐薬を追加したが嘔吐は軽減せず,CT(食道拡張)・内視鏡(esophageal rosette陽性)・食道造影(食道胃接合部狭窄)により,直線型EA拡張度II度と診断した.EPDは症状の改善に有効であった.【考察】高解像度食道内圧測定によるオピオイドやドパミンD2受容体拮抗薬誘発食道運動異常の報告より,本例の消化器症状はEAの潜在的な進行に加え,SRO自体による嘔吐や,SROや制吐薬がEAに影響を与えた可能性も類推された.
がん疼痛に対してオピオイドを投与する際に注意すべき副作用として悪心・嘔吐が挙げられるが1),副作用対策と同時にオピオイド投与以外に悪心・嘔吐をきたす原因がないか,例えば薬物,消化器疾患,電解質異常,感染症,高血糖,中枢神経系病変,放射線治療の影響などを見直し治療可能な病態が見過ごされていないか検討することは重要である2).
今回,肺がんに伴うがん疼痛に対してオキシコドン徐放錠(SRO)を増量した時期に嘔吐・嚥下困難が顕著となり,原因としてオピオイドの副作用とともに,既存症である食道アカラシアの関与が疑われた症例を経験したので報告する.併せてオピオイドやドパミンD2受容体拮抗薬の食道運動に対する影響について文献的考察を行った.なお,本稿では個人が特定できないように内容の記述に倫理的配慮を行った.
【症 例】66歳,女性
【既往歴】50歳時に他院にて食道アカラシアと診断され内視鏡的バルーン拡張術(EPD)が施行された(詳細は不詳).
【現病歴】2014年3月に右肺腺がんと診断され化学療法が行われたが,治療抵抗性となり2015年5月より緩和医療へ移行した.入院1カ月前からの臨床経過を図1に示す.2015年7月初旬より腰背部痛の訴えがあり外来にてトラマドール25 mgの疼痛時頓用,ロキソプロフェンNa 180 mg/日,デキサメタゾン1.5 mg/日が開始された.疼痛悪化により7月9日に SRO 10 mg分2へ切り替えプロクロルペラジン15 mg/日(分3)を併用した(以下SROは全て12時間毎の分2で投与).1週間後の外来受診時に,夜間痛を抑える目的でSROを朝5 mg夜10 mgへ増量したが7月下旬より食欲不振が顕著となり8月5日に入院となった.入院後の経口摂取は数口であり1日1 L(420 kcal)の維持輸液を開始した.プロクロルペラジンの継続に加え1日1~2回のメトクロプラミド静注を併用したが悪心,嘔吐は持続した.10日にSROを20 mg分2へ増量し12日に緩和ケアチーム介入依頼を受けSROの副作用対策としてミルタザピン3.75 mg/日3)を追加した.レスキュー薬はオキシコドン速放散2.5 mgを使用しNumerical Rating Scaleで2~3段階の軽減が得られていた.13日にはレスキュー回数の増加を考慮しSROを朝10 mg夜15 mgとしたが,ミルタザピン併用後も嘔吐回数は変わらず食事摂取毎に嘔吐をきたす状態となった.嘔吐が持続していたためSROの増量は慎重に5 mgずつとし,夜の投与量を多く設定した期間においても夜間に嘔吐が増加する傾向を認めなかった.
入院後,嘔吐や嚥下困難は増悪し薬剤の服用も困難な状態に至ったが,内視鏡的バルーン拡張術後に症状は軽減した.
難治性嘔吐・嚥下困難の原因を再評価するため入院時CTを検討したところ,食道は横隔膜レベルより上部で食物残渣の貯留を伴う高度な拡張所見を認め(図2,付録図1C),右肺門および縦隔リンパ節の腫大を認めたが,胸部食道~胃噴門部レベルまで外部より食道を圧迫し狭窄をきたす管外性病変や限局性食道壁肥厚を認めず既存症である食道アカラシアの関与が疑われた(付録図1C).18日には「薬も飲み込めません」との訴えがあり,飲水以外の経口摂取や服薬を中止しSROをフェンタニル貼付剤(12.5 μg/時)へ,レスキュー薬もフェンタニル舌下錠(100 μg/回)にオピオイドスイッチした.フェンタニル舌下錠100 μgの除痛効果はオキシコドン速放散と同程度であり,使用後に眠気の自覚があったため100 μg/回で維持した.フェンタニルへスイッチ後,嘔吐は軽減しメトクロプラミド使用回数の減少を認めたが,これは主に絶食による効果と判断した.19日に施行した腰椎MRIでは,椎間板ヘルニアを認めたが骨転移所見を認めなかった.下位頸椎には骨転移を疑う所見を認めたが,腰背部痛の原因はがん性胸膜炎や多発肝転移による被膜伸展痛も関与した複合的な要因によるものと判断した.内視鏡検査(20日)では液体貯留所見とともに食道カンジダ症を認めたが,胸部食道から食道胃接合部(EGJ)に器質的狭窄をきたす病変を認めず,また深吸気時にEGJの棚状血管の全体像を視認できず食道foldが残存する所見を認め食道アカラシアに特徴的なesophageal rosette所見陽性と診断し,食道造影(21日)では中等度の食道拡張所見(最大横径3.7 cm)とEGJのフラスコ状狭窄を認めたことより(図3,付録図2A),形態学的に“直線型・拡張度Ⅱ度の食道アカラシア,貯留タイプ”と診断した(食道アカラシア取り扱い規約4)による).このEGJ狭窄はEPDによる改善が期待できる病変と判断し,25日に30 mmバルーンでEPD(2分間×2回拡張)を施行したところ(付録図2B),狭窄部の拡張(付録図2C)が得られ施術翌日からゼリーなどの経口摂取を再開したが嘔吐を認めなかった.この後,フェンタニル製剤の嘔吐・嚥下障害に対する影響を観察する方針であったが,右胸水貯留に対して胸腔ドレナージを施行した3日後の排便時に突然ショック状態となり翌日急逝された.胸腔内出血により急変した可能性が考えられたが原因は特定できず遺憾であった.
胸部上部食道は著明に拡張し内部に食物残渣を認めた.
食道胃接合部のフラスコ状狭窄(白矢印)を認めた.
本例はオキシコドン導入後1カ月の間に悪心・嘔吐が次第に顕著となり,当初はオキシコドンの副作用が主体であると判断し,制吐薬としてプロクロルペラジン内服に加えメトクロプラミド静注やミルタザピンを追加した.しかし,4週間にわたる制吐薬の併用によっても悪心,嘔吐の軽減が得られずSROによる催吐作用の遷延のみでは説明困難な症状と考えられた.嚥下困難を伴う難治性嘔吐症状やCT,内視鏡および食道造影所見から,高解像度食道内圧測定(HRM)は施行していないが,貯留タイプの食道アカラシアと診断しEPDにより症状の軽減が得られたことより,消化器症状と食道アカラシアの関連性が示唆された5,6).食道アカラシアが悪化した時期の正確な同定は,肺がん診断時からの診療情報を再検討したが困難であった.臨床経過やCTから食道アカラシアの推移を推測すると,肺がん治療中のCTですでに軽度の食道拡張を認めており(付録図1A),少なくとも1年前から軽度のEGJ狭窄が存在し潜在的に進行した結果,入院3カ月前(付録図1B)~1カ月前に嘔吐や嚥下困難を認める状態に至り,入院後に制吐薬抵抗性嘔吐や嚥下障害が顕著となった経過が想定された(図1).患者は嘔吐,嚥下困難は入院3カ月前から自覚していたが肺がんの進行や化学療法の影響と捉え医療者に症状を伝えなかったと述べていた.さらに入院後に消化器症状が増悪した経過を認めた点で,増量したオキシコドンやフェンタニル製剤およびドパミンD2受容体拮抗薬が食道運動や下部食道括約筋圧に影響を与えた可能性が示唆されたが,疼痛持続下でオピオイドを減量して消化器症状や食道造影の改善を確認することは困難であったため直接的な因果関係は提示できない.しかしながら,オピオイドやドパミンD2受容体拮抗薬と食道アカラシアの関連性を検討することは重要と考え文献検索を行った.
近年,HRM解析を用いたオピオイドの食道運動に対する末梢性作用や食道アカラシアへの影響が報告されている.HRM解析による食道運動異常は,1型:古典的食道アカラシア;low pressure contractionタイプ,2型:high pressure contractionタイプ,3型:spasticタイプ,の3つの食道アカラシアサブタイプと1型~3型に該当しないEGJ弛緩は欠如しているが食道体部の収縮性が保たれたEGJ outflow obstructionに分類される(シカゴ分類 v3.0)7〜9).Ratuapliらは,嚥下困難を呈したオピオイド長期使用者のHRMを後向きに解析し,オピオイド継続群は24時間休薬群に比べEGJ outflow obstructionや3型食道アカラシアを高頻度に認めたと報告し10),Raviらはオピオイドの生理学的作用として3型食道アカラシアが生じうることを示唆している11).Gonzálezらも嚥下困難を訴えた長期オピオイド服用者で3型食道アカラシア(2例)と機能的EGJ outflow obstruction(3例)を報告し12),Gyawaliは,オピオイドやカンナビノイド投与により発現しうる食道運動異常を,古典的食道アカラシアとは異なった機序による“不均一な食道アカラシア様運動異常を示す病態である”と述べている9).一方,HRM解析によるフェンタニル製剤の食道運動に与える影響は,健常者でのレミフェンタニルによる食道運動異常に関する報告のみであった13).これらの報告を基に本例で嘔吐や嚥下困難が入院後に増悪した経過が示唆された原因として,食道アカラシアが潜在的に進行していたなかで,オキシコドン増量に伴う副作用として嘔吐が遷延した可能性に加え,オキシコドンやフェンタニルの食道運動への直接作用が食道アカラシアの病態に影響を与えた可能性や,2種類のドパミンD2受容体拮抗薬による下部食道括約筋収縮作用14〜16)がEGJ狭窄の悪化に部分的に影響を与えた可能性が類推された.本例の経験から,嚥下困難を伴う難治性嘔吐の原因のひとつとして,オピオイドやドパミンD2受容体拮抗薬を含めた薬剤性食道運動異常が関与する可能性を念頭におくことも必要であると考えられた.
嘔吐,嚥下障害の顕性化に食道アカラシアの関与が疑われた肺がん症例を経験した.食道アカラシアは,予後や患者負担を考慮した上でEPDを施行できれば経口摂取維持が期待できる疾患であり,稀な疾患ではあるが鑑別診断のひとつとして検討すべきである.
本例の食道アカラシア形態診断に関する食道造影や内視鏡所見の読影をご指導いただいた愛知医科大学病院消化管内科舟木康医師に深謝申し上げます.