2016 Volume 11 Issue 4 Pages 331-336
苦痛緩和のための鎮静のモニタリングでは,modified Richmond Agitation-Sedation Scale (以下,緩和ケア用RASS)が有望な一つである.緩和ケア用RASSについて,言語的に妥当な翻訳版を作成する際に標準的に用いられる手順に従い,日本語への翻訳を行った.緩和ケア用RASSでは,RASSから,人工呼吸器に関する記述の削除,RASS+1の説明の追記の2点が緩和ケアで使用しやすいように修正されている.それに加え,今回,RASSの評価において「胸骨を圧迫する」の記述を削除したうえで翻訳を行った.翻訳者と研究チームで,言語として原作と同等であると合意できるまで繰り返し言語的妥当性を検討したうえで,緩和ケア用RASS日本語版を作成した.苦痛緩和のための鎮静のモニタリングに緩和ケア用RASS日本語版を使用することで,適切で安全な鎮静が実施されることが期待される.
終末期の耐え難い苦痛に対する苦痛緩和のための鎮静を,安全かつ確実に行うためには,鎮静レベルや過活動型せん妄,興奮の程度を適切にモニタリングする必要がある1,2).
集中治療領域での鎮静では,Sesslerらが開発したRichmond Agitation-Sedation Scale (RASS) がモニタリングに使用されている3).RASSは,過活動型せん妄や興奮の程度を+1から+4,鎮静レベルを−1から−5,意識清明は0とする10ポイントスケールで,2001年Sesslerら3),2002年Elyら4)によりそれぞれICUで信頼性・妥当性が検証された.RASSの開発と翻訳の経緯を図1に示す.2001年ElyらによりRASSが使用されているConfusion Assessment Method for the Intensive Care Unit (CAM-ICU) の信頼性・妥当性が検証され5),2002年鶴田らによりCAM-ICUと共にRASSが翻訳された6).2007年人工呼吸中の鎮静のためのガイドラインでは,鶴田らのRASS日本語訳が使用されている7).その後2010年卯野木らは,言語学的に妥当性の高い日本語版の作成を目指しSesslerのRASSを原典とし,原文を盲目化して逆翻訳を行い,表面的妥当性を確認した8).
RASS: Richmond Agitation-Sedation Scale,太枠: 日本語訳
一方緩和ケア領域では,2012年Arevaloらが鎮静の各種評価尺度(MSAT, VICS, RASS, KNMG Sedation Score)の信頼性・妥当性を比較した9).RASSは信頼性が最も高く,妥当性と評価の簡便さも高評価であった.その後,2013年Benítez-Rosarioらは,RASSを緩和ケアで使用しやすくするために,RASSの進行がん患者における表面的妥当性の検証を行った.1)RASS+2の説明の人工呼吸器に関する言及の削除,2)RASS+1の説明の追記の2点を修正したmodified RASS(以下緩和ケア用RASS)を作成し,信頼性・妥当性が検証された10).以上より,苦痛緩和のための鎮静のモニタリングでは,進行がん患者で信頼性・妥当性が検証されている緩和ケア用RASSが有望な一つである.その他に,2014年Bushらが緩和ケアの患者への妥当性を検証したRASS-PALがある11).しかし,RASS+4, +3, +2の各項目に「ベッドや椅子から抜け出そうとする」という同じ教示文が追加されていることや,評価方法で「10秒未満の間,意識清明,落ち着きがない,または興奮していてそれ以外は傾眠の場合,観察期間の大部分での評価に従ってスコアを付ける」などの細かい説明文が追加され,RASSからの変更が大きい.
さて,わが国ではRASSの日本語訳は,鶴田らの訳(2002年)と卯野木らの訳(2010年)がすでにある.しかし緩和ケア用RASSを苦痛緩和のための鎮静で使用する場合,以下の理由より日本語訳を改めて行うことが必要であると考えた.1)Sessler,Ely,Benítez-RosarioのRASSは,本質的には同じであるが,記述や手順に細かい差異を認めている.2)ElyのRASSを原典とする鶴田らの訳は,原文を盲目化して逆翻訳が行われていないことに加え,評価手順部分が日本語に訳されていない.3)Sesslerを原典とする卯野木らの訳は,日本の集中治療領域で主に使用されている鶴田らの訳と原典を異にするため差異を認めている.以上に加え,Benítez-Rosarioの緩和ケア用RASSは,評価手順について記述がないため,SesslerかElyの記述を訳す必要がある.
緩和ケア用RASSの作成者Benítez-Rosarioに日本語版作成の許可を得たうえで,言語的に妥当な翻訳版を作成する際に標準的に用いられる手順に従って行った12〜14).まず,日本語を母国語とする2名の翻訳者1, 2 (1名は医療者,1名は医療者以外)が,英語の原作をそれぞれ日本語へ翻訳する順翻訳を行った.次に,日本語を母国語とする翻訳者3(医療者)が,英語の原作と2つの日本語訳を比較し,あいまいな点や不一致な点を明確にし,翻訳者1, 2, 3と筆者らの研究メンバーの合議で,統合した日本語訳案を作成した.次に,英語の原作を知らない英語を母国語とする2名の翻訳者 4, 5 (2名とも医療者)が,統合した日本語訳案を英語へそれぞれ逆翻訳した.RASSの使用者が医療者のみのため,逆翻訳は2名共に医療者とした.最後に,2つの逆翻訳された英語訳を翻訳者と研究メンバーで,構成,言い回し,意味と妥当性について英語の原文と比較した.不一致部分に関して,2つの訳の間,それぞれの訳と原文の間について,概念的,意味的,経験的,内容的に言語的に同等であると合意できるまで繰り返し,言語的妥当性について検討を行ったうえで最終の日本語訳を作成した.
2.原作の選定2002年ElyらによりICUで信頼性・妥当性が検証されたRASS4)を原作とした.その理由は,1)評価手順の記述がある(ElyとSesslerのRASSが該当),2)現在日本の集中治療領域で主に使用さている鶴田らのRASS日本語訳に近い(ElyのRASSが該当),3)評価手順や解説の記述が簡潔明瞭である(ElyのRASSが該当),以上3点を最も満たすからである.原作に加えた変更として,Benítez-Rosarioらの基本的な考えに従い,以下の3点の修正を行った: 1)RASS+2の人工呼吸器に関する言及を削除した.2)RASS+1の説明を追記した.3)患者に呼びかけても反応がないときに,「胸骨を圧迫する」という評価手順の記述を削除した.
表1に英語の原作,表2に最終の日本語訳を示す.原作から日本語版作成における翻訳過程で,検討・修正した主な点を以下に示す.
RASS+3と+2の “agitated” は,「興奮している」と「不穏」が日本語訳の候補となったが,両者は同義であると考え,国内で普及している鶴田らの訳に近い「興奮している」と訳した.
RASS+1と−1の “not fully alert” を「完全に清明ではない」と順翻訳したが,逆翻訳では “not fully apprehensive”と訳された.そのためRASS 0の “alert” の訳「意識清明」に合わせて,「完全に意識清明ではない」と訳した.
RASS+1の “anxious” を「不安そう」と順翻訳したが,逆翻訳では “seems to be anxious” と, “looks anxious” と訳され,原文の断定的表現より意味を弱める表現となった.文章のつながりから「不安だが」では不自然であることと,「不安そう」は,意味を弱める表現でなく,「客観的にみて不安である」と同義と考えて,最終の日本語訳も「不安そう」のままとした.
原作では呼びかけに覚醒する時間について,RASS−1は “more than 10 seconds (>10seconds)” で,RASS−2は “less than 10 seconds (<10seconds)” のため,直訳では10秒丁度がどちらにも入らないこととなった.このため,緩和ケア用RASS作成者Benítez-Rosarioと協議のうえ,日本の人工呼吸中の鎮静のためのガイドラインでの記述に合わせ,RASS−1を10秒以上(≥10秒)として10秒を含めた.
RASS−5の “unarousable” を「昏睡」と順翻訳したが,逆翻訳では “coma” と訳された.“unarousable” と “coma” はほぼ同義と考えられるが,後者は医学用語として用いられる場合と,一般用語として用いられる場合があるため,指している状態の差異が生じる可能性が考えられた.「昏睡」以外で,「深い鎮静」よりも意識レベルが低いことを明確化するため,「覚醒不可能」と訳した.
苦痛緩和のための鎮静のモニタリングの指標として有望な,進行がん患者において信頼性・妥当性が検証された緩和ケア用RASSについて翻訳を行った.今回の翻訳過程では,言語的に妥当な翻訳版を作成する際に標準的に用いられる手順に従い,言語的妥当性を検討したが,それに加えて意味上の違いがなければ,日本の集中治療領域ですでに使用されている鶴田らのRASS日本語訳と,なるべく表現を合わせるように翻訳を行った.鶴田らのRASS日本語訳と比較すると,英語の原作が異なることや翻訳手法が多少異なるため,用語や説明の記述に多少の差異を認める.しかし本質的には同じであり,鶴田らの日本語訳と,今回の日本語版におけるRASSの各スコアは,同じ状態を表していると考えられる.今後,緩和ケア用RASS日本語版の妥当性の検証を行うことが可能となった.また,RASS評価手順を翻訳したが,1)観察,2)呼びかけ刺激への反応,3)身体刺激への反応,の3ステップの明瞭な表現であり,RASSに慣れていない評価者でも,1)から順番に評価していくことで,短時間で簡便にスコアを決定することが可能である.
苦痛緩和のための鎮静のモニタリングの指標として緩和ケア用RASS日本語版を用いることで,患者の状態を医療者間で正確に共有し,目標とする鎮静レベルを明確化できるようになることが期待される.
緩和ケア用RASSについて,日本語版の作成と言語的妥当性の検討を行った.苦痛緩和のための鎮静の指標として緩和ケア用RASS日本語版を用いることで,適切で安全な鎮静が実施されることが期待される.