2018 Volume 13 Issue 1 Pages 1-5
近年は,がんに対する治療方法も多様化してきており,患者自身や家族により複雑な意思決定が求められる場面が増加している.その中で,意思決定能力がないと判断されたがん患者の治療方針を,どのような手順で,誰が決定するのかについて,本邦で定められた指針はない.殊に,知的能力障害を有するがん患者の終末期医療についての意思決定に関する報告は少ない.今回われわれは,がんに罹患した知的能力障害者の終末期医療についての意思決定に関わったので報告する.本症例では,意思決定能力の有無に関して,信頼性と妥当性が示された尺度等を用いて判断し,海外の報告や指針をもとに,福祉施設と病院が連携し多職種協同で代理意思決定を行い,心肺停止時の蘇生措置は行わず,緩和ケア病棟で療養するとの選択に至った.今後,本邦においても知的能力障害を有しているがん患者の終末期における意思決定支援,および代理意思決定についての指針が示されることが望まれる.
近年は,がんに対する治療方法も多様化してきており,患者や家族に,より複雑な意思決定が求められる場面が増加している.その中で,意思決定能力がないと判断された患者の治療方針を,誰がどのように決定するのかについて,本邦で定められた指針はなく,殊に,知的能力障害を有するがん患者の終末期医療に関する意思決定に関する報告は少ない1,2).2006年の調査によると知的能力障害者は国内に約55万人いるとみられ3),治療方針の代理意思決定が必要な患者は少なくないと考えられる.とくに身寄りがない等,家族以外の者が代理意思決定を行う場合には,それまでの本人の人柄や価値観などを知りうる地域や福祉も含めた多職種の連携が重要かつ必要であると言える4,5).
今回,がんに罹患した知的能力障害者の終末期医療に関する代理意思決定を,福祉施設と病院が連携し行った症例を経験したので報告する.
患者は40歳女性.同胞2人中第1子で,知的能力障害のため,特別支援学級を卒業後,福祉施設に通所していた.24歳で実母と死別し,実父は施設に入所したため,実妹と2人暮らしを開始した.この頃から糖尿病に罹患していたが,病識に乏しく,血糖コントロールは不良であった.
31歳で乳がん(Stage II A)に罹患し,左乳房摘出術が施行された.翌年には左肺転移をきたしたが,肺部分切除術が施行され,以降は再発なく経過していた.
その後,37歳以降,糖尿病に伴い左テント上や左放線冠などに脳梗塞を数度発症し,以降は徐々に認知機能が低下していった.なお,脳梗塞初発時に,当院へリハビリテーション目的に入院をしているが,その際の認知機能はMini Mental State Examination (以下MMSE,cut off; 23/24)6,7)で27/30点,知能指数(Intelligence Quotient: IQ)は,言語性IQ;65,動作性IQ;59,全検査IQ;58であり,検査を施行した作業療法士によると,知的能力障害は認めたものの,少なくとも当該入院時は,生死に関する意思決定はできるレベルにあったとの見解であった.
40歳になった秋頃より嘔吐が出現し,近医で精査した結果,原発性肺がん・多発脳転移と診断された.しかし,すでにStage IVで病状はかなり進行していたことから,近医主治医により,積極的治療による治癒,および著しい予後や生活の質(Quality of Life: QOL)の改善は困難と判断され,緩和ケア病棟入棟も視野に当院へ入院となり,第27病日目に今後の治療方針や意思決定代理人(以下,代理人)の決定を行うこととなった.
われわれは,まず,認知機能と判断能力の双方を踏まえて,本人の意思決定能力の有無について検討した.認知機能の評価としてMMSEを6,7),判断能力の評価としてStructured Interview for Competency and Incompetency Assessment Testing and Ranking Inventory-Revised(以下SICIATRI-R,cut off; 2 /3)8〜11)を用いて,意思決定能力の評価を行うこととした.肺がん覚知時のMMSEはすでに8/30点であり,今回入院後のSICIATRI-Rでは,入院理由や病名が言えず0/4点であった.以上のことから意思決定能力に障害ありと判断した.次に代理人の選定,および代理意思決定を行うこととなった.
予め決められた代理人に該当する者はなく,連絡可能な血縁者である実妹に代理人を依頼したが,健康上の問題を理由に拒否された.続いて福祉施設職員(施設長)に依頼し,受諾を得た.実妹には,代理人へ病状説明を行うことや治療方針の決定,および死亡後の対応などを一任することについて確認した.以上の点について,実妹と代理人双方から口頭と文書にて同意を得た.
その後,代理人,および医師,看護師,作業療法士,社会福祉士が協同して代理意思決定を行った.
主な論点は,心肺停止時に心肺蘇生処置(cardio pulmonary resuscitation: CPR)に関して何をどこまで行うかという点と,がんに対する積極的治療は行わずに緩和ケア病棟へ転棟するか否かという点の2点であった.
CPRに関しては,具体的な時期や状況,表現方法については確認できなかったものの,実妹より「本人はCPRを希望しない旨の意思表示をしていた」との情報を得た.加えて,医師はCPRによって救命できる可能性は低く,かつ酸素投与以外のCPRは,QOLの改善に寄与しないと判断した.以上を以て,酸素投与以外のCPRは行わないこととした.
続いて,緩和ケア病棟に転棟するにあたって,本人の意思表示は確認できなかったため,メリットとデメリットについて,検討することとした.外出ができ施設の仲間に会えること等がメリットとして挙げられた一方,緩和ケア病棟に転棟するにあたっては,がんに対する積極的治療を施行しないことが条件となるが,患者の身体状況では,積極的治療により治癒することや著しい予後の改善は困難であり,医学的にも妥当であることから,デメリットには相当しないと考えた.なお,実妹および代理人も本検討内容に同意した.
続いてQOLに及ぼす影響に関しては,緩和ケア病棟に転棟することで,自由度の高い療養生活が送れることから,緩和ケア病棟に転棟することはQOLを向上させると判断した.また上記同様,積極的治療はQOLを改善させるものでないと判断した.
最後に本人にとっての最善の利益について検討した.代理人や看護師の情報をもとに,本人にとって大切なことは,大好きなお菓子を食べること,施設の仲間に会いに行くことであり,これらが実現可能となる緩和ケア病棟へ転棟することが,本人にとって最善であるとの結論に達した.
結果,第34病日目に緩和ケア病棟へ転棟し,本人の希望に沿って療養を支援した.その後,第54病日目に永眠した.
知的能力障害者の代理意思決定の傾向について,多くの代理人は本人と死について語った経験は少なく,現治療の継続を選択する傾向にあり,患者本人の意思が尊重されない可能性がある1,2).とくに,関わりの乏しい血縁者による代理意思決定については,その意義について疑問を投げかける声もある12).本邦においては,東海大学安楽死事件における判決文中において,代理人の条件として「患者の性格,価値観,人生観などを十分知り患者の意思を推定できる立場にあるもの」と言及しており,同時に代理人には「患者の苦痛の性質・内容について十分正確に認識していること」を求めている13).
しかしながら,依然,本邦では代理意思決定における倫理的な反省や検討が行われていないのが現状である14).加えて,本邦には意思決定能力を欠いた患者の医療方針の決定プロセスについての直接的なガイドラインはなく,関係ガイドライン等においても,解説文には記載箇所があるものの,一般の読者の目に届く可能性が低い14,15).
そこでわれわれは,海外での報告をもとに,意思決定能力の評価と,代理人の選定,および代理意思決定を行った1,16).代理人の選定方法においては,OHRIのツール16)をもとに,①連絡可能な血縁者,②本人の生活様式や価値観をよく知る者,③医療者の順に選定を行った.なお,米国のいくつかの州では,代理人の選定順序についても規定しているが,本症例における選定方法と矛盾しなかった17).代理人の選定後は,同じく海外での報告をもとに,代理意思決定を行った12).代理意思決定においては,第一にこれまで患者が示した意思を考慮すること,患者の意思や希望が不明な場合には,(i)選択肢の利点と欠点,(ii)QOLに及ぼす影響,(iii)本人にとっての最善の利益,について検討すると述べている12).これは英国で立法化されているMental Capacity Actにおいても第4,第5原則に一致する内容である18).
「代理人は主治医の方針が代理意思決定に役立つ」と考えており1),かつ「代理人は代理意思決定をすることに精神的負担を感じている」との報告14)があることから,代理人だけでなく,医師,看護師,作業療法士,社会福祉士といった医療者も参加し,協同して代理意思決定を行うこととした.
本症例において,海外の指針や報告に準拠して代理人を選定し代理意思決定を行ったこと,および意思決定能力の有無に関して,客観的尺度であり信頼性と妥当性が検討されている尺度を用いて判断したことは意義があると考える.
但し,海外の報告や指針は,本邦においても倫理的な妥当性を有するかについての検討が行われたものではなく,日本人における文化や価値観に即したものか否かの検討については十分ではない.加えて,意思決定能力の有無については,意思決定を要する項目ごとに検討されるべきであり18),評価尺度の結果によって一律に決定すべきではない.また,CPRについての本人の意思表示は認知機能が保たれていた1年以上前のものであり,いつどのような意思表示であれば有効とするのかについては議論の余地がある.
今回,がんに罹患した知的能力障害者の代理意思決定を福祉施設と病院が連携し行った症例を経験した.
本邦のガイドラインのほか,海外での報告や指針をもとに,多職種協同で代理意思決定を行い,意思決定能力の有無に関しては,信頼性と妥当性が示された尺度を用いて総合的に判断した.
今後,本邦においても知的能力障害を有しているがん患者の終末期における意思決定支援,および代理意思決定についての具体的な指針が示されることが望まれる.
本報告に際して,ご指導を頂きました関西医科大学内科学第一講座片芝雄一先生に深謝いたします.
著者の申告すべき利益相反なし
相木は研究の構想およびデザイン,研究データの収集,分析,研究データの解釈,原稿の起草に貢献;酒井,瑞樹,荒川,栗生は研究データの収集,分析,研究データの解釈,原稿の重要な知的内容に関わる批判的な推敲に貢献;松井,穴山は,研究データの解釈,原稿の重要な知的内容に関わる批判的な推敲に貢献した.すべての著者は投稿論文ならびに出版原稿の最終承認,および研究の説明責任に同意した.