2019 Volume 14 Issue 2 Pages 61-66
【目的】世界保健機関(WHO)による「緩和ケアの定義」について定訳の作成をデルファイ法により行った.【方法】18の学術団体から構成される緩和ケア関連団体会議(以下,会議)が母体となり,定訳案作成と各団体3名ずつの計54名の専門家によるデルファイ法で定訳の合意を図った.原文の主文と9つの副文について,「全く適切ではない」(1点)から「とても適切である」(9点)の評価を行った.中央値7点以上,最大と最小の差が5点以下の場合を合意基準とし,会議にて定訳を作成した.【結果】計3回のデルファイを行い,回答率は第1回 100%,第2回 93%,第3回 91%であった.事前に定めた合意基準に達した文章は30%であったため,会議において協議・検討し,定訳案とし,各学術団体からのパブリックコメントを経て確定に至った.【結論】緩和ケアに関連する学術団体が共同でWHOによる「緩和ケアの定義」の定訳を作成した.
わが国における緩和ケアは,終末期がん患者を対象として導入され,その後もがん患者を中心として普及してきた1).緩和ケアの定義としては,2002年に提唱された世界保健機関(WHO)による定義が広く用いられているが2),わが国においては各団体が各々邦訳しており定訳がない3〜5).がん対策推進基本計画のなかに緩和ケアは盛り込まれており,がん対策の重要仮題であることが認められている.がん対策推進基本計画に基づく緩和ケアの定義は,「がんその他の特定の疾病に罹患した者に係る身体的若しくは精神的な苦痛又は社会生活上の不安を緩和することによりその療養生活の質の維持向上を図ることを主たる目的とする治療,看護その他の行為をいう」である6).今後の緩和ケアの普及においては,WHOにより国際的に定められた緩和ケアの定義に対する共通の理解と定訳が必要である.
日本緩和医療学会では,厚生労働省からの委託事業の一環として緩和ケア普及に関連する団体の会議を定期的に開催してきた.2015年度をもって委託事業は終了となったが,その後も関連団体との定期的な連携を継続することを目的として緩和ケア関連団体会議(以下,会議)が2017年に設立された.本会議は,日本緩和医療学会,日本緩和医療薬学会,日本がん看護学会,日本がんサポーティブケア学会,日本癌治療学会,日本サイコオンコロジー学会,日本在宅医学会,日本在宅医療学会,日本死の臨床研究会,日本プライマリ・ケア連合学会,日本ペインクリニック学会,日本放射線腫瘍学会,日本ホスピス緩和ケア協会,日本ホスピス・在宅ケア研究会,日本麻酔科学会,日本臨床腫瘍学会,日本臨床腫瘍薬学会,日本老年医学会の計18団体により構成されている.2017年6月24日に開催された会議において,わが国における緩和ケアのさらなる普及のためには,医療従事者側の緩和ケアに対する共通認識を有することが重要であるとの意見があった.そこで,わが国におけるWHOの緩和ケアの定義に関する定訳作成の必要性が議論され,全会一致で定訳の作成を行うことが決定した.今回,18の関連団体が共同でデルファイ法を用いたWHO緩和ケアの定訳を作成したので報告する.
会議では,日本緩和医療学会,日本死の臨床研究会,日本ホスピス緩和ケア協会,日本がんサポーティブケア学会,日本ホスピス・在宅ケア研究会の5団体の代表者からなるワーキンググループ(以下,WG)が組織された.WGでは,定訳作成の方針および方法について検討し,1)医療従事者向けの定訳とする,2)単なる翻訳や意訳ではなく,原文に忠実かつ日本語として自然な訳文を目指す,3)カタカナ語はなるべく控える,4)用語の統一を図る,5)現在の日本の緩和ケアの実情も鑑みて作成することを確認した.メールでの協議を経て定訳案を作成したが,緩和ケアの概念や用語の訳について多くの考え方があると想定されたため,デルファイ法を用いる方針となった.
デルファイ法オンライン調査ツールであるGoogleフォーム(https://docs.google.com/forms/u/0/)を使用して調査票を作成し,デルファイメンバーにアクセスを求めて調査を実施した.デルファイメンバーは各団体から3名ずつ推薦を得て,計54名で行った.デルファイメンバーの選定は各団体に一任したが,WGの5名はデルファイ委員から除外した.デルファイメンバーのリストは日本緩和医療学会事務局で管理し,WGにはデルファイメンバーの氏名は明らかにしなかった.デルファイメンバーの構成は,医師38名,看護師7名,薬剤師7名,臨床心理士1名,教育者1名の計54名であった.WHOの定義は主文とその後に付随する9つの副文から構成されているため(表1),計10の文章について英文と定訳案を提示し,それぞれ「全く適切ではない」(1点)から「とても適切である」(9点)の間で評価を行った.
No.1〜10の項目ごとに「中央値7点以上かつ最大値と最小値の差が5点位内」の場合に,合意に達したとみなすこととした.また,修正点や改善点などの意見を求めるために,自由記載欄を設けた.合意に達しなかった項目に関しては,WGで再検討して修正稿を作成し,次のデルファイを行った.デルファイはまず2回は実施し,合意が得られそうであるかどうかを確認することとした.2回目のデルファイ終了後の結果により,3回目を行うかどうかを会議において検討することとなった.
パブリックコメント最終案が作成した段階で,各団体においてパブリックコメントを募集し,幅広く各団体の会員からの意見を求めた.
倫理的配慮Googleフォームにおいて,データは匿名化しデルファイメンバーの個人情報が特定されないように設定を行った.また,デルファイ依頼文には,回答内容・個人情報は匿名化し,個人を特定する可能性のある情報は取り扱わないことを明記した.本研究では,デルファイの回答をもって同意が得られたとみなした.
第1回デルファイ(以下,R1),第2回デルファイ(以下,R2),第3回デルファイ(以下,R3)の結果は表2に,評価点の分布は付録図1に示した.さらに,自由記載のコメントとそれを受けた修正点および修正稿については,付録表1に示した.
R1では,すべての項目において合意基準を満たさなかったため,WGにおいて自由記載で提案のあった意見をもとに再検討を行った.R2では,No.3のみ合意が得られたため確定とした(表2).
R2の結果をもとに,2018年3月25日に会議を開催した.中央値はいずれも7〜8と高いが,最大と最小の差が大きいことが確認された(表2).そこで,第3回デルファイまでは実施することとし,意見が収束しない場合には会議において,多数決で最終稿の合意を得る方針となった.
R3では,3項目が合意基準を満たしたが,残り7項目は合意が得られなかった(表2).WGでは7項目について修正稿を作成し,2018年3月25日の会議において,多数決をもって定訳の最終稿を確定した.
2018年5月20日から6月1日にかけて,Googleフォームを用いてパブリックコメントを募集した.計71件のコメントが寄せられたが,賛同するコメントが27件,修正案が40件であった(付録表2).No.10における「放射線治療」は「放射線療法」へ変更する方が良いとの指摘を受けた.がん対策推進基本計画の中での記述も考慮し,最終稿を修正した.上記のプロセスを経て,2018年6月8日に定訳を確定とした(表3).
本報告は,WHOによる緩和ケアの定義に関して複数の学術団体が共同で定訳を作成した国内初の試みである.最終的には,合意基準を満たしたものは30%にとどまったが,今回の作業を通じて緩和ケアに関連する18団体における緩和ケアの概念を討議し,共有する契機となった.
緩和ケアがわが国に導入されてから40年近くが経過しているが,国際的にもその概念は広まりつつある7).医療従事者間においては,緩和ケアの定義について見解を統一しておく必要があり,今回の定訳作成はわが国の緩和ケアのおける基盤整備に資することになると考えられる.
今回,合意基準を満たさなかった文章としては,No.1やNo.10などの長文であること,用語によっては一対一対応での邦訳に馴染まず,原文の表現で解釈の余地を残さざるを得ないものが多かった.とくに“approach”,“spiritual”,“care”などの用語は「アプローチ」「スピリチュアル」「ケア」とカタカナ表記のままとした.また,“illness”,“affirm”,“integrate”,“system”,“cope”,“applicable”,“investigation”等の用語は邦訳が難しく,多くの解釈があった(付録表1).
本研究においては複数の限界が含まれる.第一に,デルファイ法を用いたことの妥当性である.定訳作成の方針を検討した際,各学術団体の有識者から幅広く意見を求めることを考案したが,くり返し意見集約を図る上では本法が望ましいと判断した.しかし,ガイドライン作成などとは異なり8,9),WHOによる緩和ケアの定義そのものを変更あるいは削除することはできないため,R3で合意が得られなかった項目は,緩和ケア関連団体会議で協議のうえ,決定することとせざるを得なかった.第二に,定訳作成に携わった職種は医師がほとんどであり,職種に大きな偏りがあった可能性が高い.人選は,各団体に一任していたため,今回はやむを得なかった.第三に,本定義が提唱されてからすでに16年が経過しており,現在の実情にそぐわないという意見もあった.実際,No.1〜9までは「早期からの緩和ケア」を指示する文脈であるが,No.10は原則「がん」を前提とした文章であり,「支持療法」のニュアンスが含まれていることも問題となっていた(付録表1).最近,International Association for Hospice and Palliative Careは,緩和ケアの新たな定義を公表しており10),国際的潮流をわが国に導入する際には複数の団体が共同で用語の確認作業を行っていく必要があると考えられる.
今回,定訳作成という目標のもとに18団体が協力して合意の形成をすることができた.今後も,緩和ケアの普及のためには,緩和ケアに関する概念や用語の共通認識を探りつつ,このような作業を継続していくことが望ましいと考えられる.
18の学術団体が共同し,デルファイ法によるWHO緩和ケア定義の定訳を作成した.あらかじめ設定した合意基準を満たしたものは3割にとどまったが,わが国における緩和ケアの普及のために一定の共通理解が得られ,定訳を作成できた.
緩和ケア関連団体会議およびデルファイにご協力いただいた18団体の皆様に心より御礼申し上げます.
大坂 巌:講演料(塩野義製薬株式会社,ムンディファーマ株式会社)その他:該当なし
大坂,渡邊,志真,倉持,谷田は,研究の構想,研究データの収集,分析,解釈を行った.大坂は原稿の起草を行い,渡邊,志真,倉持,谷田は原稿の重要な知的内容に関わる批判的な推敲を行った.