Palliative Care Research
Online ISSN : 1880-5302
ISSN-L : 1880-5302
Case Report
A Case of Deaf-mute Patient Requiring Ingenuity in Communication Who Complicated Advanced Stage Lung Cancer to Chronic Myeloid Leukemia
Kiyonobu TakatsukiKazumi KaneshiroMasataka MatsumotoEmi Taga
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2020 Volume 15 Issue 4 Pages 293-296

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Abstract

終末期医療に関わる者は,患者の人生観や価値観を理解し,それに寄り添ってその人らしい人生の最期を迎えられるように援助を行う必要があり,そのためには十分なコミュニケーションを図ることが前提となる.われわれは慢性骨髄性白血病の治療中に進行期肺がんを発症したろう者患者の1例を経験した.ろう者とのコミュニケーションは日常的に手話を用いない者にとって困難なことであるように思われたが,試行錯誤しながら手話,筆談や非言語的コミュニケーションを通してより適切な意思疎通を図っていくようにした.ろう者には聴者とは異なる生活環境やコミュニティーが存在しており,独自の言語や文化を持っているということを認識し理解する必要があった.これらのことは,日々の診療においてがん患者と向き合う際にも応用でき,医療者が患者の思いを理解しようとする姿勢が大切であると考えられた.

緒言

進行期悪性腫瘍に罹患したろう者の緩和医療において,多くの医療者は患者と手話を用いて直接コミュニケーションをとることが不可能であるために,十分な医療の提供ができていないばかりでなく,制度的社会的な支援の不足も指摘されている1,2).また,医療者はろう者が聴覚に障害のない者とは異なる言語や習慣を持っていることを知る必要があり,マナー,認識における違いをはじめとして,違う文化を持つ人として捉えて接していくことが重要である3).ろう者に限らずがん患者の緩和診療において患者の生きてきた過程や生活環境を理解したうえで,個々の苦痛に配慮したケアを行っていく必要があることを改めて考えさせられた示唆に富む症例であったので,ここに報告する.

症例提示

【症 例】61歳,男性

【病 名】慢性骨髄性白血病,肺がん(多発肺転移,脳転移)

【主訴および現病歴】慢性骨髄性白血病に対してニロチニブを投与中に右肺腺がんを認め,前医で2012年に右上葉切除術を受けた.その後多発肺転移,脳転移がみられ,歩行時の呼吸困難感や前胸部痛背部痛を自覚するようになり,2015年4月当院を紹介受診した.ニロチニブを中止しゲフィチニブで治療を行い,一時奏功したが2015年8月呼吸困難感の増悪を認めるようになり,いったん改善傾向であった肺がんの増悪と診断した.慢性骨髄性白血病の再燃は認めなかった.独居の本人と聴者の親族が抗がん剤治療を希望しなかったため当院緩和ケア病棟に入院した.

【入院後経過】入院後,酸素投与や強オピオイドの開始にて胸部痛や呼吸困難感は改善された.患者は先天性のろう者で当初は手話でしかコミュニケーションが図れないのではないかという危惧があったが,日常会話は手話やジェスチャーや筆談が可能で通常の用件の伝達についてはほとんど困るようなことはなかった.しかし筆談やジェスチャーで質問したときに,肯定的にうなずかれることも多く,質問の内容は伝達されているが,答えが肯定なのか否定なのか迷うこともあった.

がん性の疼痛に関して,徐放性モルヒネ製剤に加えて即効性の塩酸モルヒネをレスキューとしてタイトレーションを行った.疼痛増強のタイミングの伝達は問題なく,効果の程度の客観的評価のためにNumerical Rating Scale(NRS)4)を試みたが,NRSスコアとSupport Team Assessment Schedule(STAS-J)を参考とした医療者の評価が大きく乖離した.Faces Pain Scaleに変更したが,レスキューを必要とする点数に差があり,また内服前後で効果があったにもかかわらず,点数が変わらないことや上昇していることもみられた.次に,Verbal Rating Scale(VRS)に変更した.「痛い」「少し痛い」「痛くない」の3段階とし,それに加え「薬を飲む」「薬を飲まない」の2段階で追加表現することとした.よく使用する言葉を簡潔にボードに示したり,共通のジェスチャーやアイコンタクトも使用した.伝達できているかの確認には本人も積極的に手話ではなくジェスチャーを使用し,意思表示を行った.最終的には症状の程度を自分の手の指を使って表現し,小指は症状がない状態,親指に近づくにつれて症状が強いことを表しVRSとして手を使用した.

また,今後についてどのような不安があるのか筆談で聞いてみたが明確な回答が聞かれなかった.そこで,週に一度来院のボランティア手話通訳者が来院した際に手話を用いて将来不安について尋ねてもらったが,未来という時間軸に対してあいまいな表現ではなく具体的な時間軸を限定した状態で認識していることが理解できた.そこで私たちは「前と比べて」「今後は」などの期間がはっきりしていないあいまいな言葉の使用を控え,「1週間前と比べて」「1カ月後は」などきちんと期間を区切って話をすることとした.

最終的には患者とのコミュニケーションには,①手話が優先②筆談では長文ではなく短い文・文節で区切る③非言語コミュニケーションを用いるという三点を基本軸として接していった.

患者はこの後退院し訪問看護を利用しながら2週間ほど自宅で過ごしたが,症状が悪化したため再入院となり当病棟で最期を迎えた.その間コミュニケーションはさらに困難となり,最終的には手話の理解もできなくなった.

考察

コミュニケーションには,その手段により会話や文字,印刷物などによる言語的コミュニケーションと,表情,視線,身振りなどによる非言語的コミュニケーションがある5).ろう者にとって言語的コミュニケーションである手話は同時性,相互性,効率性の面で非常に重要であるが,ろう学校では音声言語習得に力が入れられており,長年にわたって手話言語の使用を禁止してきたという歴史がある6).中途失聴者・難聴者は音声言語を受け入れやすいが,音声言語の経験のないろう者にとっては音声言語の習得はかなり困難なことであると考えられる6).一方,非言語的コミュニケーションは言語的な情報を補完する重要な役割を果たしているが,とくに聴者との間では視覚を中心にコミュニケーションをとっており非言語的コミュニケーションの占める割合が多くなっている.日常的に手話を用いない聴者主体の社会に生活する当患者においても,初診時以降医療者との会話で発語や読話といった音声言語をコミュニケーション手段として用いておらず,非言語的コミュニケーションを主として用いる生活様式となっていたと思われた.手話のできない聴者とコミュニケーションをとっていく方策として,確定的なことを簡潔な表現で,非言語的コミュニケーションを用いて伝えていくという方法を使用していたと考えられた.疼痛を表現するNRSのような主観的抽象的な表現には手話を用いて十分な事前説明と相互の認識のすり合わせが必要であったと思われたが,手話通訳者はボランティアであるため時間的制約があり,非言語的コミュニケーションを用いる前提としての当患者への十分な説明が不足していたことは反省すべき点であった.しかしVRSはうまく相互に意思伝達することができたように,試行錯誤しながら使用しやすいツールを捜すことも大切であると考えられた.

また,手話には日本手話という主としてろう者が用いる少数言語と考えられている手話や日本語を話しながらそれに合わせて手話の単語を表していく日本語対応手話,中間型手話など多彩であり,個々に最も常用する手話がある.通訳ボランティアは,聴者でありお互いが得意とする手話が異なっていた可能性があり,病状進行時にコミュニケーションが難しくなってきたのは手話での会話が成立していなかったのではないかとも考えられた7).根本的には通訳者を必要に応じて配置できる医療制度や法整備が必要と考えられた.当患者の生活歴を振り返ってみると,幼児期から義務教育修了までろう学校という聴者とは異なるコミュニティーで生育してきた.言語や文化は親子や家族を中心に伝播されるが,当患者はろう学校で言語や文化などを獲得してきた.その後,義務教育を修了し工場勤務を始めるようになり,そこで今までろうの人を中心に関わってきた世界から聴者のいる社会に出るようになった.成人期の人は認知的感受的な能力を応用しながら社会生活に取り組むことを求められ,その過程で自らの役割や対人関係,社会一般の考え方に向き合い省察することで成人期のさまざまな課題に対応できる認知構造を持った自己を発達させていく8).青年期から成人期におけるアイデンティティの形成はそれ以降の成人期をどう生きるかに関わる重要なものと考えられるが810),会社勤務をするという環境で聴者の価値観を理解し,ろう文化との違いに折り合い,両者の文化的価値を認めることで聴者主体の社会環境を受け入れる工夫をしていったと考えられた.短期間の関与であったが,入院中はろうコミュニティーとは違った日常生活を強いることとなったが,聴者である医療者と積極的に関わり治療や生活に必要な関係を保とうとしていたと感じられた.

今回の関わりのなかで,ろう者は聴者とは異なる環境で生活しており,独自の思考体系や文化を持っており,十分なコミュニケーションを通して歩み寄る姿勢が大切であると考えられた.文化とは,属する人たちが共有するライフスタイルや伝統,信仰を包含する幅広い概念であり,ろうの手話講師である木村らは「ろう文化宣言」の中でろう者とは日本手話という日本語とは異なる言語を話す言語的少数者でありろう者には独特の文化がある3)と述べている.顧みると医療者としてろう文化を十分理解できていなかったが,寄り添い理解しようとする姿勢は医療者に共通していた.また,ホスピスおよび緩和ケアにおけるソーシャルワークガイドラインでソーシャルワーカーの価値および倫理11)として差別偏見スティグマ等の不公正に立ち向かう,個別性を重視する,あるがままに受容し自己決定を尊重することなどが挙げられており,ろう者患者と接していくときの心構えとしてわれわれの診療の指針となるものであった.ろう者の緩和ケアを経験しコミュニケーションとは意思をただ伝えあうことではなく意思を共有する,分かち合うことであり,また人間としての価値観の多様性について考えさせられ,今後の診療に役立つ経験であった.

結語

相互理解のためにコミュニケーションを行うのに工夫を要した進行肺がんを発症したろう者の症例を経験した.ろう者には聴覚に障害を持たない人たちと違う独特の言語や文化があることを認識し,お互いに適切なコミュニケーションを図っていく必要があった.一般緩和診療においても患者の多様性を理解して診療していく必要性を再認識させられた症例である.

利益相反

著者の申告すべき利益相反なし

著者貢献

高月は研究の構想およびデザイン,研究データの収集,分析,解釈,原稿の起草に貢献;金城・松本・多賀は研究データの解釈,原稿の重要な知的内容に関わる批判的な推敲に貢献した.すべての著者は投稿論文ならびに出版原稿の最終承認,および研究の説明責任に同意した.

References
 
© 2020 by Japanese Society for Palliative Medicine
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