2021 Volume 16 Issue 3 Pages 225-229
【緒言】腎不全を合併した不応性の末期心不全患者の呼吸困難に対し,フェンタニル注射剤を用いて良好にコントロールできた症例を経験したので報告する.【症例】76歳,男性,拡張型心筋症のため以前より入退院を繰り返していた.慢性心不全の急性増悪で入院し,実施可能なすべての心不全治療が行われていたが,呼吸困難は改善困難であった.緩和ケアチームが介入し,腎機能低下のためにモルヒネの代替薬としてフェンタニル注射剤を使用した.経過を通して心不全は改善しなかったが,フェンタニルの投与により呼吸困難は改善した.入院41病日に死亡した.【考察】末期心不全患者は腎機能低下を伴うことが多く,呼吸困難緩和目的のモルヒネ使用が困難であることが多い.慎重な観察下にフェンタニルを代替薬として使用することにより,末期心不全患者の呼吸困難を緩和することができる可能性がある.
人生の最終段階における身体的苦痛は,がん患者だけでなく心不全患者にも生じることが知られている.なかでも呼吸困難はQuality of Life(QOL)を大きく脅かすものだと報告されている1).末期心不全患者の呼吸困難に対するオピオイドの使用は使用経験の少なさや麻薬に対する誤解,呼吸抑制への懸念,エビデンスの欠如のために使用が躊躇されることが多い一方で,がん患者の呼吸困難に対してはモルヒネなどの麻薬が症状コントロールのための薬剤として用いられている2).慢性心不全の呼吸困難緩和におけるモルヒネの有効性は2002年に初めて報告され3),日本でも単施設での検討でも有効性が報告された4).しかしながら,末期心不全患者では腎機能障害を併存しており,モルヒネの使用による副作用に注意が必要な場合が多い5).今回,高度腎機能障害を併発し,透析非導入状態の末期心不全患者の呼吸困難に対してフェンタニル注射剤を用いて症状緩和に成功した症例を経験したので報告する.本稿では,個人が特定できないように内容の記述に倫理的配慮を行った.
【症 例】76歳,男性
【主 訴】呼吸困難
【現病歴】2000年に左室機能低下(LVEF 36%)を指摘され,精査の結果拡張型心筋症と診断された.2002年に急性心不全を発症し循環器専門外来の通院を開始した.2008年に心室頻拍のため入院となり,両室ペーシング機能付き植込み型除細動器(両室ペーシング機能付き植込み型除細動器Cardiac Resynchronization Therapy Defibrillator: CRT-D)植え込み術を受けた.その後も除細動器の作動を繰り返し,心室頻拍に対するカテーテルアブレーションを行った.不整脈治療のために使用したアミオダロンによる間質性肺炎を発症したため同薬を中止した.以後は年1〜2回程度の心不全入院治療が必要な状態で,投薬調整・リハビリテーション・栄養管理・患者教育など心不全治療の最適化に努めた.再入院を予防する目的で2018年から外来で週1回のドブタミン点滴治療を開始した.同時期より緩和ケアチームに介入の依頼があり,入院時や外来受診時に全人的苦痛の評価・介入や社会環境調整,今後の治療やケアの方針についての意思決定支援を行った.2019年11月に慢性心不全の急性増悪のため入院した.
【経 過】入院後の経過を図1に示す.入院時,左室駆出率18%と著明に低下しており,BNPは1568 pg/mlと高値だった.入院後は血行動態を改善させるため薬物療法を調整し,多職種で包括的心不全治療についても見直しを行った.入院時から緩和ケアチームが対診し,全人的苦痛の評価・介入と家族の心理的ケア,意思決定支援を行った.推算糸球体濾過量(eGFR)は11.65 ml/min/1.73 M2と腎機能は高度に低下していたが,透析治療の導入は心機能が著しく低下していることから透析困難症になる可能性が高いと考えられた.これまでのアドバンス・ケア・プランニングの内容も踏まえたうえで,透析治療は導入しない方針とした.また患者本人,家族ともに呼吸困難の症状が増悪した際の症状緩和治療を強く希望した.包括的心不全治療を行っても状態は改善せず,Numerical Rating Scale(NRS)で安静時3〜5/10,体動時に5〜7/10呼吸困難が出現した.呼吸困難の緩和にはモルヒネの効果が期待できるが,副作用を懸念して使用を差し控えた.そのため,医療用麻薬であることと十分なエビデンスがないことを十分に説明・同意を得た後に,代替薬としてフェンタニル注射剤を使用する方針とした.強心薬や利尿薬は心不全症状の緩和につながるため使用を継続する方針とし,末梢挿入型中心静脈カテーテルを留置した.入院28病日の夜間に発作的な呼吸困難が生じ,フェンタニル注射剤10 μg/回の静脈注射を行ったところ,NRSは8/10から3/10まで改善し,入眠することができた.以後も発作性の呼吸困難が起こるたびに10 μg/回の投与を1日2〜3回ほど行うことで症状はコントロールできた.入院30病日に安静時にNRS 8/10の症状が遷延するようになり,フェンタニル注射剤10 μg/hの持続経静脈投与を開始した.とくに症状が強いときに1日2〜3回追加で10 μg/回を投与し,症状はNRS 3〜4/10となった.入院38病日に呼吸困難がNRS 10/10まで増悪しフェンタニル注射剤を20 μg/hに増量したところ,呼吸困難は軽快した.眠気はあるものの不快ではなく,嘔気や便秘などの副作用はなかった.入院39病日から眠る時間が長くなり,フェンタニルの副作用を疑って中止をしたが意識レベルは改善せず,尿毒症の影響を考えた.呼吸困難を訴えることもなかったため,フェンタニルを中止したままとした.入院41病日に死亡した.
慢性心不全は「慢性の心筋障害により心臓のポンプ機能が低下し,末梢主要臓器への酸素需要量に見合うだけの血液量を絶対的にまた相対的に拍出できない状態であり,肺・体静脈系または両系にうっ血をきたし,日常生活に支障を生じた病態」と定義される6).慢性心不全の治療は食事・禁煙などの患者教育,強心薬・利尿薬・アンギオテンシン変換酵素阻害薬・血管拡張薬などの薬物治療,CRT,血行再建,弁形成・置換などの心不全の原因疾患に対する手術療法,補助循環療法や心臓移植などが行われる6).慢性心不全患者の経過の特徴として,増悪と緩解を繰り返しながら,徐々に病状・症状が増悪する経過をとる.循環動態の改善が最大の症状緩和につながることから,種々の治療薬の調整に注力することも多く,終末期の判断が困難となり,緩和ケア導入の判断が難しくなる7).本症例では19年前から包括的心不全治療が行われており,死亡1年前から緩和ケアチームが介入して循環器チームと協同し症状緩和や意志決定支援,社会環境調整を行い,入院後には麻薬の調整や病棟スタッフへの指導,心理ケアを担当できた.本症例では徐々に心不全の状態は増悪していたが呼吸困難は良好にコントロールされ,フェンタニル注射剤によるものと推察される.
がん患者や末期心不全患者における呼吸困難の症状コントロールに対してモルヒネの使用が推奨されている2).モルヒネは肝臓においてグルクロン酸抱合により約44~55%はモルヒネ-3-グルクロニド(M3G)に,約9~10%はモルヒネ-6-グルクロニド(M6G)に代謝され腎排泄される.M6Gは鎮痛・鎮静作用を持っていることが知られており,腎機能低下患者ではM6Gの蓄積により過鎮静へと至る可能性がある8).このため,Cr>2.0 mg/dlあるいはeGFR<30 ml/min/1.73 m2の患者にはモルヒネの使用を減量あるいは避けるべきとも報告されている5,9).eGFR 30 ml/min/1.73 m2を下回る高度な腎障害がある場合のオピオイドの選択について,本邦の「がん疼痛の薬物療法に関するガイドライン 2020年版」8)では,フェンタニルやブプレノルフィンの使用が推奨されている.末期心不全の呼吸困難に対するオキシコドンの全身投与は症例報告10)があるが,その他のオピオイドに関する報告はない.また本症例では便秘があったため,便秘の有害作用を引き起こしにくい11)フェンタニルを選択した.
フェンタニルは肝臓においてノルフェンタニルに代謝されるが,非活性代謝産物であり,腎機能低下症例においても比較的安全に使用できる8).日本緩和医療学会の「がん患者の呼吸器症状の緩和に関するガイドライン(2016年版)」では,がん患者の呼吸困難に対して,フェンタニルの全身投与を行わないことを提案されていたが2),ここ数年では終末期がん患者に対するフェンタニルの皮下注射・静脈注射の呼吸困難軽減効果に関する報告がなされている9,12).また心不全患者の呼吸困難に対するフェンタニルの鼻腔噴霧・口腔内バッカル錠の呼吸困難軽減効果に関する報告13,14)やフェンタニル貼付剤に関する報告15)がある.
本報告で重要な点は,透析非導入の腎機能障害を伴う末期心不全の呼吸困難に対し,フェンタニル静脈注射が症状緩和に効果があったという点である.現在,透析非導入の腎機能障害を伴う末期心不全の呼吸困難に対するフェンタニルの全身投与についての報告はない.またフェンタニル投与開始量についてのコンセンサスはないが,がん末期の呼吸困難を対象とした報告9)を参考に本症例では10 μg/回の単回静脈注射から開始し,効果と副作用を確認しながら持続静脈注射への切り替えと増量を行ったところ,症状緩和を得た.今後,日本では高齢心不全患者が増え,腎機能障害を伴う末期心不全患者にオピオイド使用を検討する機会は増えると予想される.今後症例を集積し,他のオピオイドとの比較が必要と考える.フェンタニルは激しい疼痛に対してのみ適応のあるオピオイドであり,呼吸困難に対しては適応外使用であるが,腎機能低下のためにモルヒネが使用しづらいこととフェンタニル注射剤でも呼吸困難が軽減する可能性があることを患者本人および家族に対して十分に説明したうえで使用した.
腎機能低下のためモルヒネが使用しにくい内科的・外科的に改善の見込めない末期心不全患者の呼吸困難に対し有害事象なく,フェンタニル注射剤を用いて良好にコントロール可能であった事例を経験したため報告した.
著者の申告すべき利益相反なし
大森は研究の構想およびデザイン,研究データの収集および分析,原稿の起草,原稿の重要な知的内容に関わる批判的な推敲に貢献;稲永は研究の構想,原稿の起草に貢献;柏木は研究データの解釈,原稿の重要な知的内容に関わる批判的な推敲に貢献した.すべての著者は投稿論文ならびに出版原稿の最終承認,および研究の説明責任に同意した.