2022 Volume 17 Issue 1 Pages 1-5
【緒言】悪夢は緩和ケアの臨床において珍しくない症状の一つだが,がん患者における研究は乏しい.今回われわれは,一般的な不眠治療で緩和されない悪夢による苦痛に対し柴胡加竜骨牡蛎湯が有効だった症例を経験した.【症例】82歳,男性.悪性リンパ腫による疼痛,倦怠感と悪夢を伴う不眠を認めた.身体症状はステロイドで改善したが,悪夢と不眠は持続し,一般的な不眠治療には不応であった.柴胡加竜骨牡蛎湯を投与したところ速やかに悪夢と不眠が改善した.【考察】柴胡加竜骨牡蛎湯は,他の睡眠剤や抗不安薬などに比べて有害事象の懸念が少なく,がん患者の悪夢の治療に安全かつ有効に使用できる可能性がある.【結語】柴胡加竜骨牡蛎湯が進行がん患者の悪夢を改善した.
Nightmares are common in patients with advanced cancer. However, there are no standard treatment of nightmare in patients with cancer. We experienced a case with nightmares improved by Saikokaryukotsuboreito (SRBT). An 82-year-old man with malignant lymphoma experienced insomnia and nightmares. Antidepressants, orexin receptor antagonists, and atypical antipsychotics failed to improve the symptoms, but SRBT immediately eliminated his insomnia and nightmares. SRBT, an herbal medicine, has been used in a variety of clinical situations for treatment of stress-induced psychiatric symptoms, i.e., anxiety, depression, and insomnia, without serious adverse events. Several reports suggest that SRBT improves depression and anxiety with the effects on chronic stress-induced disruption of hypothalamo-pituitary-adrenal axis. The effects of SRBT might have improved nightmares in this case. SRBT may be a drug of choice in the treatment of nightmares in patients with cancer.
悪夢は緩和ケアの臨床において珍しくない症状だが,がん患者における研究は乏しい1).悪夢による不眠は睡眠障害のなかでも概日リズム障害や入眠障害,中途覚醒から独立した病態であり,病状に応じたアセスメントが必要になる2,3).今回,悪夢を伴う不眠に対し柴胡加竜骨牡蛎湯(SRBT)が有効だった症例を経験したので報告する.発表に関しては,個人を特定されないよう配慮を行い,かつ遺族から同意を得た.
【症例】82歳,男性
【診断】悪性リンパ腫(びまん性大細胞性リンパ腫).腋窩,心囊水,皮下転移
【生活歴】製品管理業務(退職),妻と二人暮らし.常飲歴あり(日本酒200 ml/日,18歳から),喫煙歴あり(15本/日,20歳から50歳).
【家族歴】兄が13年前に悪性リンパ腫で死亡.
【既往歴】リウマチ性多発筋痛症(75歳,数年来プレドニゾロン(PSL)4 mg/日内服継続中),胆管がん(79歳).
【現病歴】2020年7月,胆管がん術後フォローアップ中のCTで皮下腫瘤を認め,悪性リンパ腫の診断となった.抗がん治療は希望せず自宅療養していたが,腋窩リンパ節増大による痛み,胸水による呼吸困難と不眠が増悪し,「兄のような辛い最期は迎えたくない」と緩和ケア病棟へ入院した.
【入院時現症】意思疎通問題なし,血圧128/78 mmHg,脈拍89回/分,整,体温36.9°C, SpO2 91%(室内気,呼吸数16回/分),Performance Status(ECOG)3.血液検査所見では肝機能,腎機能,電解質に異常はなく貧血は認めなかった.主訴は呼吸困難,倦怠感,腋窩リンパ節転移部の痛み(NRS8/0–10)に加え,入院数日前から不眠と悪夢があり,「死んだ友人たちの夢や,何かと戦っている夢を見て怖い」と訴えていた.
【入院後経過】図1に臨床経過を示す.入院2日目に身体症状の緩和を目的に,既往のリウマチ性多発筋痛症で内服中のPSL4 mgをデキサメタゾン(DEX)12 mg/日へ変更,増量したところ,痛みはNRS2–4/10へ軽減し,倦怠感,呼吸困難も改善した.不眠に対してはミアンセリンやレンボレキサントを使用したが改善なく,悪夢は持続した.ステロイドによる不眠を疑い,入院5日目にDEX8 mg/日へ減量し,クエチアピンを処方したが,「悪夢で地獄」との訴えが続いた.DEX減量当日から翌日まで倦怠感が著しく悪化したため12 mg/日へ戻したところ速やかに改善した.入院7日目に,難治性の不眠,悪夢として腫瘍精神科にコンサルテーションを行った.
【腫瘍精神科医初診時現症】意識清明,昼夜を通して意識の変容なし.声には活気があり,発語のスピード,対話の反応は迅速で疎通性良好.若干の意欲低下はあるが,抑うつ気分は認めなかった.入眠困難を訴えるが,睡眠時間は確保できており日中への悪影響はなかった.向精神薬や抗精神病薬の使用による眠気の遷延がみられた.入眠困難時に動悸,不安,ほてり,胸部圧迫感を自覚するが,下肢の不快感や不随意運動は認めず,睡眠中に,発声や複雑な運動行動を伴う覚醒エピソードの反復は認めなかった.認知障害,認知の動揺性や著しく変動する注意や覚醒度は認めず,幻視やパーキンソニズムは認めなかった.過去の入院や在宅療養中にも悪夢を経験していたことが判明した.皮膚は紅潮し適度に湿潤,舌は正常紅で微白苔がみられた.排尿に問題なく,入院後は便秘傾向であった.睡眠障害の家族歴は不明.
【腫瘍精神科医介入後経過】ミアンセリン,レンボレキサントとクエチアピンは持ち越し効果を懸念して中止した.トラマドールは,症状緩和に不可欠と考えて投与量を調整し継続した.悪夢はあるものの睡眠時間は確保されていたため,睡眠の質の改善を目的に漢方薬を試みる方針とした.虚証の徴候は目立たず心窩部周囲の圧迫感と動悸を伴う不眠と診断し,SRBT6 g/日(分2,夕,眠前)を処方した.頓用薬には,飲酒歴があり不安も伴うためエスゾピクロンを準備した.特に死への不安を認め,引き続き支持的な関わりも継続する方針とした.SRBT開始日は頓用薬を使用したが,悪夢の訴えはなくなり,意欲も向上し,開始2日目からはSRBTのみで満足な睡眠が得られた.経過を通して認知機能に変動はなく,身体症状も落ち着いていた.その後経口摂取が困難になる入院19日目まで,同量のSRBTのみで不眠,悪夢に悩まされず経過した.
鮮明かつ感情が動かされるような夢は,主にREM睡眠時に認められる現象であり2),悪夢を見るということは,REM睡眠中に覚醒することと,その際の夢が,生命を脅かされるような,恐怖や不安,怒りや悲しみなどの感情を引きおこす内容である2,3)ことで成立する.悪夢の病態には,特発性のもの,心的外傷後ストレス障害(PTSD),薬物依存,人格障害,統合失調症などの精神疾患によるものや薬剤性のものに加え精神的ストレスや不安によるものがあるといわれている2).悪夢を見る詳細な機序はいまだ不明であるが,悪夢が主要な症状の一つであるPTSDにおける研究では,ストレスによる恐怖感情のコントロール不全や4),視床下部-下垂体-副腎系(HPA-axis)の機能障害による過覚醒などが原因として考えられている5).
がん患者における悪夢に関する研究では,不眠のあるがん患者のおよそ20%に悪夢を認め1,6),とくに進行がん患者の悪夢は不安,抑うつとの関連が強く,睡眠時間の短縮や意識の混乱を引き起こしやすいとの報告がある7).がんと悪夢の関連については明らかになっていないが,がん患者にとって,再発や治療終了の告知や病状の進行などは深刻なストレスになりうる体験であり,PTSDに類似した機序で悪夢を引き起こすかもしれないとTanimukaiら8)は述べている.Schredlら9)は健常人の研究において,現実の生活に関連する悪夢を見た人のうち,交通事故のような,いわゆる心的外傷と思われる体験の夢だった人が3分の1であった一方,持病や身近な人の死のような事象に関する夢だった人は3分の2を占めていたと報告しており,基礎疾患にかかわらず,実生活でのストレスは悪夢の要因になりうると考えられる.
悪夢を誘発しうる薬剤は,ノルエピネフリン,セロトニン,ドパミンに影響する薬剤が代表的だが,GABAやアセチルコリンに関与する薬剤も含まれ多岐にわたる10).オピオイドの影響に関しては否定的な報告が多い1,7,11).トラマドールはセロトニンやノルエピネフリンへの影響のため被疑薬となりうるが10),今回は投与と発症の時期が空いていたこと,内服継続のまま悪夢は解消されたことから影響は限定的だったと考える.ただし,投与量の減量が悪夢の改善に寄与した可能性は否定できない.また,レンボレキサントの副作用である異常な夢や悪夢が症状を悪化させた可能性も否定できない.本症例の悪夢は,経過全体から精神疾患に該当する症状は認めず,明らかな被疑薬は特定できなかったこと,以前の入院でも認めたこと,また痛みや呼吸困難が緩和されても不眠と悪夢は解消されなかったことから,ストレスや不安が主な誘因だったと判断した.ストレスと不安については,徐々に進行する身体症状に加え,その体験を通して自らが終末期にあることを自覚し,同じ病であった兄の最期を想起したことが大きな要因となった可能性が考えられる.
SRBTは柴胡を君薬とする柴胡剤の一つであり,抗不安作用,鎮静作用を持つとされ12),漢方において,実証の患者で心窩部圧迫感,動悸や悪夢を伴う不眠に選択される薬剤である13).動物実験モデルでは,慢性ストレス下の前頭前野におけるグルココルチコイド受容体減少を改善しHPA-axis機能を回復させ14),不眠,不安を改善するという報告がある15).本症例ではSRBTのこれらの作用が不安を改善し,悪夢がなくなった,あるいは前述したPTSDにみられるような慢性ストレス下におけるHPA-axisの機能障害による過覚醒が是正され,REM睡眠中の中途覚醒が減少したことにより悪夢を見なくなった可能性が考えられる.
一般的に,悪夢に対する薬物療法は,抗精神病薬や抗不安薬,抗うつ薬などが中心となる16).ベンゾジアゼピン系薬剤は筋弛緩やせん妄,抗うつ薬は錐体外路症状や抗コリン作用などの有害事象に留意する必要がある.進行がん患者の悪夢に対し少量のトラゾドンが有効かつ安全に使用できたとの報告があるが8),やはりある程度は有害事象への注意が必要と考える.SRBTは発現頻度の高い有害事象はなく,選択肢の一つになりうるかもしれない.ただし,含有する黄芩によるとされる肝障害,肺障害17)や,牡蛎,竜骨に含まれる無機塩素と陽イオンとキレートを作りやすいニューキノロン系抗菌薬やテトラサイクリン系抗菌薬などとの併用に注意が必要18)なことには留意する必要がある.なお,本症例では速やかに効果が得られたが,一般的に即効性が期待できる薬剤とは言い難く15),効果発現までの期間には個人差があると思われる.本症例の限界には,長期間のステロイド投与歴やその投与量の調整による睡眠への影響は評価できていない点がある.現状におけるSRBTの研究報告は,動物実験やオープントライアルのものがほとんどであり,今後プラセボ対象二重盲検での治療効果や安全性の評価が望まれる.
進行がん患者の悪夢に柴胡加竜骨牡蛎湯を投与し,安全に症状の改善を得た.悪夢はがん患者のQOLに少なからず影響しており,そのアセスメントと治療について更なる研究が必要である.
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