2020 Volume 36 Issue 2 Pages 115-122
子ども虐待の医学診断は,特定の徴候の存在のみで単純に診断できるものではなく,親の供述をも客観的データと捉え,総合的な判断をする必要がある.このような診断プロセスにおいて,画像診断情報は極めて有力な情報源となる.
初期段階での,「子どもの安全」を最優先とした医療/福祉対応と,終局段階で「個人の有責性」を問うための司法刑事対応は全く異なるものであるが,相互連関しうるものである.
画像診断書は,診療録と同様の法的価値を持つ故,画像所見のみで断定したとの誤認をされないよう,「臨床経過との整合性をご検討ください」などと記述し,コメントしがたい場合に憶測的な記載をするのではなく「専門医の意見を確認されたい」などと記述する必要がある.院内虐待対応チームのメンバーに,放射線科医が正式に参画している病院はまだ少ないが,親との客観的な距離が保てる放射線科医は,極めて重要な職責を発揮する立場にあり,小児科医は大きく期待を寄せている.
The medical diagnosis of child maltreatment cannot be made simply on the basis of these signs alone. It should be a comprehensive decision, and the statements of the parents must also be viewed as objective data. In this diagnostic process, diagnostic imaging information is an extremely powerful source of information.
The medical/welfare response, which prioritizes “child safety” at the initial stage, and the judicial-criminal response to question “individual responsibility” at the final stage are quite different, but can be interconnected.
An imaging report has the same legal value as a medical record. To avoid the misinterpretation of a determination based on imaging findings alone, it should state something like, “Please consider the consistency with the clinical course of events”, and instead of speculative statements when it is difficult to comment, it should state something like, “The opinions of specialists need to be confirmed”.
Few hospitals still have radiologists formally participating as members of the hospital child protection team. Radiologists, who can maintain an objective distance from parents, are in a position to exert a pivotal role. Pediatricians have high hopes for them.
子ども虐待の診断は,ほとんどの疾病と同じく,「この徴候があればこれ」と単純に診断できる性質のものではない.またその診断が,子どもと家族に大きな影響を及ぼしうるものであるとともに,診断がなされなかった場合に子どもに生じうるリスクは,病態にもよるが,およそ無視しえないほど大きいものが少なくない.虐待はvisible abuse(目で見ればわかる損傷)もあれば,invisible abuse(明らかな損傷所見が確認できない虐待)もあり,またその重症度も,継続的な見守りと支援で進展を防止することが主眼の場合もあれば,子どもの安全を担保するために親子を分離せざるを得ない場合まで幅広い.
虐待の重症度は単純に医学的重症度のみでは決められず,アセスメントシートにレ点チェックすれば,明白な線引きが出来るものではない.常に総合判断が求められるものであり,脳のことなら脳外科医,骨のことなら整形外科医,などと臓器別に分けて最適解が得られるものではなく,そもそも医療現場のみで判断しうるものではない.
「親を見ればわかる」との見解を平気で述べる医師もいるが,そのような単純な印象判断で正確な診断ができるならば,臨床現場でこれほど苦労するはずもない.客観性を保ちながら最大限の判断を行うためには,的確な問診技術を駆使し,親の供述をも客観的データと捉えて総合判断する必要がある.このような一連の診断プロセスにおいて,とりわけvisible abuseに関しては,客観的な立場で行われた画像診断情報というのは,極めて有力な情報源となる.
虐待の可能性を疑った場合のスクリーニング検査や,各臓器別の画像診断学については,既に他稿で触れられている.本稿では「事例対応の際に,ぱっと読みぱっとツボを押さえて対応するためのツール」としてではなく,いささか読み物風に,医療が虐待の可能性を考えた際に通告対応を行う際の考え方,そして医療機関が通告を行った後の事例の行方,そして小児放射線科医が画像評価を行う際に,筆者が一小児科医の立場から期待すること,について言及したい.
我々医療者は,臨床現場で「虐待の可能性があり,安易に自宅に帰した場合に,子どもの安全が保障されているとは言い難い」と判断した場合,法令(児童虐待防止法6条)に基づき,児童相談所などへの通告を行う義務を負っている.この段階の対応は,あくまでも情報のそろわない入口段階で行われる,「子どもの安全」を最優先とした対応である.
そして医療/福祉/家事の対応の視座は,その後も一貫して「子どもの安全」にあり,家族という“集団”のリスクを評価し,再度子どもが危険な状況が発生する可能性を最小化するため,「可能性があれば支援」という観点での対応が行われる.
一方,刑事の対応は,情報があらかた揃った段階で,“個人”の有責性を国家が判断し,その結果によっては個人の自由を奪うものである故,冤罪を排斥するために「疑わしきは罰せず」という観点での対応となる.
昨今この両者を混同した議論が大きな混乱を招いており,医療者が通告を行い児童相談所が一時保護を行うという行政処分に対しても,「冤罪である」と強く批判されることが増えているが,医療者はこの点についてまず正しく理解しておかなければならない.
いずれにしろ,医療者が通告を行うことを契機として,児童相談所は家族へのアプローチを開始することとなる.その際に,「医療機関は通告をするまでが仕事である」として,親や児童相談所への十分な説明責任を医療機関が果たそうとしない場合,児童相談所は介入根拠があいまいなまま対応せざるを得なくなってしまう.そのような際に,児童相談所こそがセカンド・サードオピニオンを得る努力をすべきであるとの理屈も成り立つかもしれないが,医療者が判断に迷ったときに相談できるネットワーク以上のネットワークを,非医療者である児童相談所に求めることは酷であり,このような専門性に基づく助言を児童相談所やその他の関係機関に提供するシステムは,地域の小児医療提供体制の中で整備されるべき問題と考えなくてはならない.
かつては「先生,これは虐待ですか,事故ですか? 先生が判断してくれないと,我々はケースワークができません」と児童相談所に迫られ,「事故の可能性も否定できない」と回答したことにより,子どもがすぐに自宅に返されてしまう事態が数多く発生していた.一方で,根拠があいまいなまま「虐待に決まっている」と主張され,一時保護が長引く事態もあってはならないものである.実際の医学的な可能性について,筆者はFig. 1のプロバビリティー分類(1:事故/内因疾患と判断される 2:事故/内因疾患と思われるが,虐待の可能性は否定できない 3A:虐待の可能性と事故/内因疾患の可能性が同程度 3B:虐待の可能性が高いが,事故/内因疾患も否定できない 4:虐待と判断される)に基づき,カテゴリー診断として提示している.このような分類を行った根拠の説明こそが医療者に求められるのである.
子ども虐待のプロバビリティー分類
横軸は虐待としての可能性の高さ,縦軸は事例の数をイメージしているが,上図はあくまで概念図である点に留意していただきたい.また対応のラインについてもあくまで目安であり,実際の臨床においては,生じた病態の重篤度も加味した個別対応が求められることは言うまでもない.
医療者は最終的な虐待の判断を下す立場にはなく,立証責任を負う立場でもない.虐待の診断というのは,医療者の見解を踏まえた上で,これまでの児の病歴,家族の行政係属歴,家族や児のリスク要因(未婚,若年妊娠,DV(domestic violence)歴,望まれない出産,未熟児,障害児等),親の供述の変遷などを加味したうえで,福祉対応においては,多領域・多機関での総合判断で行われ,最終判断は児童相談所が担うものである.
虐待の判断は,医療者の持つ情報のみで判断することが出来るものではない故,医療者は通告義務を負っているのであり,そして通告を受けた児童相談所の初期調査のみでは迅速に判断ができない場合には,追加で情報を収集する必要がある.その間に子どもの安全を確保する制度が一時保護であり,原則として一時保護は2か月を超えてはならないとされている.子どもが医療機関に入院する必要がある場合には,通常の治療入院の扱いとなることが多いが,一時保護の決定がなされ,病院が一時保護委託先になる場合もある.
親権者の意に反して2か月を超えて一時保護を延長する必要がある場合には,原則として家庭裁判所の承認を得なければならないとされている(児童福祉法33条5項).ただし,児童福祉法28条(親権者の意に反する施設入所措置)の承認を申立てている場合や,親権停止/親権喪失等の審判を申立てている場合や,未成年後見人の解任の請求がされている場合には,承認を得ることを要しないとされている(一時保護ガイドライン1)).
いずれにしろ,不必要な一時保護の延長は子の福祉にも適わないものであり,子どもを保護した以上,児童相談所には,早急に子どもが安全に過ごせる家庭環境であるか否かの判断を行うとともに,リスクがある場合には,子どもにとってより安全な状況を家族と協働で構築する責任がある.一時保護は,本格的な支援の始まりに過ぎず,この間こそ密に家族と子どもの安全について話し合いを重ねる期間としなければならないはずであるが,現実的には子どもの安全が入院で担保されているがゆえに,多忙な児童相談所にとって優先度が下がり,その後の話し合いが滞ってしまう事態も現実的には少なくない.医療者は,自身の行った通告事例のその後の処遇についても関心を抱き続け,必要時には医療機関側から関係機関へ働きかけたり,児の医学的状況について必要な情報を積極的に共有するなどの,相互疎通性のある成熟した多機関連携体制が構築されることが望まれる.
なお親が施設入所や里親委託に同意した場合,児童福祉法第27条第1項第3号に基づきその手続きが行われることとなる(俗に「3号措置」と呼ばれる).虐待に関わる立場の医療者は,このような福祉/家事/民事対応のフローについて,最低限度の知識をしっかりと理解しておくことが望まれる(Fig. 2).
Fig. 2で提示した福祉/家事の対応フローと,刑事事件における対応フローは,「疑いの程度や重症度によって,追加で加わる同一ラインにあるもの」ではなく,全く異なるラインで進むものであるということを,医療者はまず認識しておかなくてはならない.
刑事対応の目的は,刑罰法令を適正且つ迅速に適用実現すること,すなわち犯罪の立証にあり,その事実認定を行うのは裁判所である.裁判所に公訴を提起をする,すなわち起訴を行う権限は,本邦では検察官にしかなく,また公判となった場合に立証責任を負うのも検察官である.
検察官が起訴を行うためには,八何の原則[何人が(犯人),何人とともに(共犯),何時(日時),何処で(場所),何人に対し(被害者),何故に(動機),如何にして(手段),何をしたか(結果)]をすべて満たしていると検察官自身が確信することが必要であり,医療機関が虐待であると確信した事例であっても,検察官の方で起訴の判断とならない事例は少なくない.そもそも警察が逮捕に至る事例は平成30年度は1,380件と,児童相談所の通告相談件数の1%に満たない2).限定的なデータではあるが,チャイルドデスレビューのパイロット研究の結果等からは,医療機関がカテゴリー4と判断した虐待事例において,警察が逮捕した事例は19.4%,検察が起訴した事例は16%と推計されており3,4),「医療機関が安易に虐待と診断し,警察検察はそれに盲従している」との主張は明らかに妥当性を欠くものである.
医療機関は,個人の有責性を問う立場にはないとはいえ,子どもの権利擁護を行う立場の関係者が「刑事での判断はさておき,医療の現場では子どもをいかに守るかを考えていきましょう」という,司法判断から距離をとるかのような姿勢に終始していることに,筆者は強い危機感を抱いている.
実際,とりわけAHT(abusive head trauma)事例において,昨今無罪判決が相次いでいる.個別事例に言及することは憚られるものの,裁判における事実認定というのは医療者の行う診断とは全く異なるプロセスで行われるという,総論的理解に関しては,ぜひ紙幅を借りて言及しておきたい.
刑事裁判における事実認定は,採用された証拠のみでなされるものであり,医学界の認識とはおよそ異なる判断が下されることは稀ではない.起訴に至るAHT事例は子どもに死亡や重篤な障害が生じた事例がほとんどであり,裁判員裁判の対象となることが多い.裁判員は一般市民である故に,立証の際にはわかりやすさが求められることとなる.それゆえに,診断の上に欠かすことが出来ない診療録やCT画像までもが「わかりにくいものである」として証拠から排斥される事態が生じている.さらには,裁判員に精神的な負担をなるべく与えないようにする目的で,遺体写真や術中写真などは「刺激証拠」として証拠採用が強く制限されてしまうが,2013年に「刺激証拠を見たことで急性ストレス障害が生じた」として,裁判員を務めた女性が国に損害賠償を求めた訴訟があった以降,さらにその傾向は高まり,アザの写真,さらには母親学級でも広く視聴されている,乳幼児揺さぶられ症候群(shaken baby syndrome; SBS)のメカニズムをCG(computer graphics)で示した動画なども,「刺激証拠」として排斥される状況が発生している.
さらには法曹三者のみで公判前整理手続(裁判員制度の導入に際し,刑事裁判の迅速化を図るため,2005年の改正刑事訴訟法施行で導入された制度.裁判員制度では対象となる刑事裁判全てがこの手続に付される.裁判官,検察官,弁護人が初公判前に協議し,証拠や争点を絞り込んで審理計画を立てるもの)が行われることで,医療現場で虐待の判断を行う上で極めて重要な,頭蓋外の損傷所見が,「関連性がない」として証拠採用されず,さらには被害児の過去の損傷所見や,家族の児童相談所の係属歴,被告人の粗暴歴[DV・動物虐待・粗暴前科等]や被害児側の虐待リスク要因,さらにはメタアナリシス研究などによる虐待の統計研究結果についても,「個々の事実認定に関し不要」として,法廷で証言が禁止される状況が続いており,false equivalence(偽りの平等性:可能性が極めて低い病態や,医学的におよそ該当しないと思われる病態が,あたかも鑑別すべき重大な病態として,医学的に妥当性の高い病態と同列に扱われる状況)が強化される事態となっている.
日本は三審制をとっているが,第一審で重要な証拠採用が行われなかった場合,控訴審ではそれらの証拠を新たに採用して検証されることができない.これらすべてが,司法判断と医学界の判断との深刻な乖離を生む原因となってしまっている.そして最高裁判所に上告できるのは,原則として「憲法違反・最高裁判例違反」に限られており,事実誤認を理由とした上告は,「原判決を破棄しなければ著しく正義に反する」場合に行うことは不可能ではない(刑事訴訟法411条)ものの,検察にとってそのハードルは極めて高い.裁判におけるこのような現状を,ほとんどの医療者は知らないため,医療者側から問題提起の声が上がることはほとんどないのである.
例えば,AHTにおいて「三徴候(硬膜下血腫・網膜出血・脳腫脹)の存在により,医師は機械的に虐待との診断を行っている」との主張が,広くマスコミを席巻する状況があるが,現場の医療者は,医療現場の実態とは全く異なるものであることを知っているはずである.そのことに対し,医学界からの異議は現状ではおよそ聞かれず,あたかも追認するかのような状況となってしまっている.
疫学的に基礎疾患のない乳幼児において,複数の徴候が同時に出現した際に,個々の徴候の極めて稀な(もしくは報告実例のない)鑑別病態が“抽象的な可能性”として主張され,それらが偶発的に同時多発的に生じたとする多元論的主張が法廷では行われているが,抽象的な可能性を差し挟みうることをもって,“疑わしきは被告人の利益に”として無罪判決が続くのであれば,医学は実存として意味をなさなくなる.単純な医学統計を当て込むならば,この三徴候が存在した場合にAHTである確率は95%とされているが5),虐待医学は残りの5%を0%に近づけるために膨大な研究を積み上げ,発展してきたものである.「法廷の場で既存の医学が棄損されている状況」に対し,「刑事での判断はさておき,医療の現場では子どもをいかに守るかを考えていきましょう」という議論を一歩踏み越えて,多くの医療者が声を上げなければ,虐待医学は緩やかな死を迎えてしまうであろう.
複数の診療科の医師を証人申請しようとしても,裁判所から「必要性に乏しい」と判断され,ごく少数の専門家証人のみしか出廷が許されず,一人の証人に重圧が重くのしかかる現在の法廷システムは,偽りの議論を修正するどころか助長する方向にしか働かず,あたかも医学界にAHTに関してのコンセンサスシフトが生じているかのように誤認させ続けている.2018年に発出された「AHTに対する国際共同合意声明」6)は世界の15の国際団体の合意した声明であり,「関連する医学界で受け入れられている実際の医学的エビデンスに基づく医師の意見と,医学文献による何らの裏付けもない法廷の場での主張や仮説的な言説とを区別する一助となることを期待」して出されたものであるが,残念ながらこの声明は,弁護側の強い反駁に屈する形で,これまでの裁判で1度も証拠採用されていない.この合意声明の筆頭筆者であるArabinda Kumar Choudhary医師は小児放射線科医である.司法判断と医学界の判断との乖離を減らしていくうえで,小児放射線科医が果たしうる役割は,極めて大きいはずである.小児放射線科医の中から司法への協力を厭わない専門的医療者が増え,小児放射線科医の立場から,司法判断と医学界の判断との深刻な乖離を減らしていくための声が上がることを,期待してやまない.なお国際合意声明以降も,重要な声明として,APSAC(米国児童虐待専門家協会)のポリシーステートメント(無責任な弁護側の専門家証人によって誤った論争が作り出され,継続する事態となっている.裁判官や裁判員は,科学的な裏付けのない無責任な,大多数の医学研究の結果に反した医学的証言に,騙され続けている)7)や,AAP(米国小児科学会)のポリシーステートメント(AHTにより生じた各種所見の説明に対し,一般的な小児医学とは異質の似非科学的見解であっても裁判所で証言されることが認められてしまう現状を踏まえ,法廷証言を行う小児医療者は,しばしば語られる典型的な異質の仮説についても十分に精通しておく必要がある)8)が出されており,関心のある方は参照されたい.このような,なぜかマスコミでは報道されることのない,医学/福祉領域で実際に対応を行っている専門家の声をどのように広く届けていくのかは,本邦にとっても大きな課題なのである.
とは言え,すべての小児放射線科医に,積極的に司法協力する立場を期待することは,過剰期待であることは筆者も十分に承知している.現場の小児放射線科医には,「実際の事例に関与した立場」でどのように職責を果たすべきであるのかを理解したうえで,現場で適切な対応を行う努力を重ねていただければ十分である.
まず初めに,医師の作成した画像報告書は,診療録と同様,刑事訴訟法323条2号に該当する「特に信用すべき情況の下に作成された書面」に該当し,その内容は専門家の作成した鑑定書と同等の高い証拠価値を有する,ということを改めて強調しておきたい.さらにいうならば,画像報告書を含めた診療録の内容は,鑑定書に求められる真正作成供述(これは確かに私が書いたものです,と法廷で供述すること)なく証拠採用されうるものでもある.すなわち,記述者の意図を離れて独り歩きして,重要な判断の一助とされてしまいうるものなのである.
それゆえに画像報告書で断定的に記載することは避け,また適正な鑑別診断を行ったことがわかる記載としていただくことが望ましい.筆者はこれまで,AHTであることを強く示唆する脳実質裂傷所見が「何らかの先天形成異常」「原因不明の梗塞様所見」と書かれていたり,片側優位性のAHT事例のDWI所見が「bright tree appearance」と記載されていた事例などをしばしば経験してきた.そのような際にそれを覆すことは困難となり,警察側が事件化を見送ってしまうということも多数例経験してきた.それゆえに確定的に言えない場合には「疑い」「臨床経過との整合性をご検討ください」などと記述していただき,所見についてコメントをしがたい場合には,「原因不明」「詳細については専門医の意見を確認されたい」などと,そのまま記載していただくことが,かえって望ましい.とりわけAHTが疑われる事例においては,昨今の「三徴候診断」という藁人形論法(相手の言っていることをゆがめて受取り,そのゆがめた内容に対して「これはおかしい」と反論する方法)の罠に陥らないように,画像診断書を記載する際に留意していただきたい.
親と接する立場の小児科医側も,病状説明や虐待告知(虐待の可能性を疑ったことを親に告げること)の際に,これまでは「端的な説明で済むこと」,そして「ルールのように語ることで,親からの攻撃を避けやすいこと」などの理由で,「3つの所見があったので虐待の疑いがあります」との説明に留めていた側面があったように思われ,その在り方を変えていく必要があるであろう.
八何の原則「(犯人)(共犯)(日時)(場所)(被害者)(動機)(手段)(結果)」のうち,画像所見から小児放射線科医が見解を述べる事が出来るのは,主に「結果」ではあるが,結果から類推される「手段」と「日時(受傷時期)」に関しても,小児放射線科医としての見解を幅を持たせる形で,画像報告書には記載していただきたい.さらに可能であれば,受傷機転や受傷時期や,画像上鑑別すべき病態を除外するために必要となる画像検査につき,そのモダリティーや適した撮影のタイミングを含め,画像報告書に記載していただきたい.そうすることで小児科医側も,画像報告書に提起された除外診断について,臨床的に除外した旨を診療録に記載することに繋がり,そのことは後の事実認定において,重大な意味を持つのである.
放射線科医が,院内虐待対応チームのメンバーに正式に参画している病院は,いまだに多くはない.しかし正式なメンバーになることで,画像診断書の記載をどうすることが望ましいのかを含め,院内で関連科同士が検討する機会は増加する.虐待という複雑でデリケートな問題に対し,関連機関が互いの専門性についてリスペクトしあいながら検討を重ねる事こそが,我々が行いうる子どもへのbest interestであることには,すべての関連科が同意してくれるものと信じている.
医療者の行う虐待対応はあくまでも「子どもの健康を守る」という我々の日々行っている診療の延長線上にあるものであり,「病める者の苦しみを除去するために我々の持ちうる知識と技術を活用していく」という対応に他ならないことを,医療者自身が強く自覚しておく必要がある.
残念ながら虐待医療というのは通常の疾病医療と異なり,子どもの病態を作り出すのが「親」という関係性にあり,なおかつその行為は家庭内という密室で行われる故,親との対立状況が生じやすい.しかしそのような事態を過剰に恐れ,客観性を見失うことは,医師としての職責を発揮することを困難とする.虐待の可能性が持ち上がった際に,親に懲罰的な感情を抱いたり,逆に過剰に親の擁護をすることなく(すなわち親自身の評定をすることなく),「健全な養育を提供できなくなっている状態」を一つの病態と捉え,冷静に対応と鑑別を進めることが,我々医師には求められている.チーム医療として進めていくべき虐待対応の中でも,親との客観的な距離を保てる小児放射線科医は,極めて貴重かつ重要な職責を発揮する立場にあり,小児科医は大きく頼り,期待を寄せている.