2020 Volume 36 Issue 2 Pages 1-15
本稿は、2019年10月中旬以来チリで発生した社会危機を、2011年の学生運動や新しい左派勢力という視点から検討する。軍政下に導入され民主化後も継続してきた既存の政治経済社会システムは、経済格差や社会と政治の乖離を生み出し、それは市民の不満の蓄積、そして近年の抗議行動の増加へとつながった。2011年に大規模な学生運動が発生したことや、そこから生まれた新しい左派勢力である広域戦線が2017年総選挙で台頭したことは、2019年の社会危機の以前から既存のシステムに対する問題提起がなされていたことを示している。これまで学生運動や新しい左派勢力が示してきた変革への意思は、2019年の社会危機を通じてチリの多くの人々からも示され、新憲法制定に向けた合意へとつながった。2020年4月には新憲法をめぐる国民投票が実施される。既存のシステムを修正して維持するのか、新しいシステムへ変革していくのか、チリは大きな岐路に立たされている。
2019年10月中旬以降チリは民主化以来最大の社会的、政治的混乱に直面している。地下鉄の運賃値上げに反対する、高校生集団による改札突破行動に端を発し、年金、賃金、医療、教育など政府に対する抗議行動が一気に拡大した。抗議行動が放火、略奪、破壊行為を伴いつつ、過激化、暴力化したことに対して、ピニェラ(Sebastián Piñera)大統領は10月19日深夜に非常事態宣言を発令し、治安維持を目的として軍を投入した。他方で、抗議行動への共感や政府の抑圧的な対応への反感から、政府に対する反対の声は日に日に高まり、10月25日首都サンティアゴで120万人規模のデモが実現した。これはチリ史上、1980年代の民主化運動に匹敵する歴史的な規模のデモとなった。ピニェラ大統領は「市民の声を聞いた」として内閣改造、非常事態の終結、地下鉄運賃の値下げを発表したものの、その後も抗議行動や過激行為は終息しなかった。「社会危機」1の発生から1カ月経った11月15日、与野党のほぼ全政党で新憲法制定に関する国民投票の実施や制憲議会の設置に関する合意がなされ、社会危機は一つの帰結に至った。
10月中旬以来見られた未曾有の規模の抗議行動や混乱の根源的な背景には、社会に広がる大きな不満の存在がある。抗議行動の中で人々は、自らの生活の困窮や経済格差の是正を訴え、そうした人々の状況を理解できない政治エリートに対する不満を表明した。それは、一つの特定の問題に対する不満ではなく、人々の生活をあらゆる面で規定する、チリの政治経済社会を覆う既存のシステムへの不満である。
こうした不満の噴出は、決して今回が初めてではない。2011年に高等教育の無償化を訴える、当時としては民主化後最大規模の抗議行動が発生した。学生たちは無償化を要求するだけでなく、2019年の社会危機の中で問題とされている経済格差や既存の政治のあり方について2011年の段階でいち早く問題提起を行っていた。2011年の学生運動がきっかけとなり、2016年には高等教育の無償化制度が導入された。それにもかかわらず、今回の抗議行動の中では教育に対する不満の声や教育制度改革を求める声が上がった。たとえば、93.5%の人々が教育システムの改革に賛成し2、抗議行動の動機に教育費の高さをあげる人々の割合は71.2%にも上った3。
さらに、2011年の学生運動を主な起源とし既存の政治経済社会システムに対して批判的な新しい左派勢力「広域戦線(Frente Amplio)」が、2017年総選挙において台頭を見せた。既存の政治経済社会システムに批判的であるという点で、新しい左派勢力と2019年の社会危機における抗議行動は共通の問題意識をもっているように思われる。今回の抗議行動において、新しい左派勢力はどのように位置づけられるのだろうか。2019年のチリの社会危機を理解するためには、2011年の学生運動やそこから生まれた新しい左派勢力を今一度理解することが重要であると思われる。
本稿では、そもそもなぜチリで近年既存のシステムに対する不満が蓄積し学生運動をはじめとする抗議行動が増加したのか、2011年学生運動が何を問題提起しなぜその問題は解決されずに残ったのか、新しい左派勢力はどのように生まれ何を主張してきたのか、2019年の社会危機において学生運動と新しい左派勢力はどのような位置づけにあるのか、ということを検討する4。これらを検討することは、現代チリにとって未曾有である2019年10月以降の社会危機の背景や現状を理解する一助となるはずである。
本節ではまず、近年のチリでなぜ既存のシステムに対する市民の不満が蓄積するようになり、抗議行動が増加したのかを説明する。2019年10月中旬以降チリで見られた市民の抗議行動はその規模や継続性という観点からも、チリ民主化以来最大級のものであると言える。しかしながら、必ずしも何の予兆もなく抗議行動が発生したわけではない。チリでは2011年に最大数十万人規模の学生運動が発生した。さらに、近年では、年金制度に対する抗議デモや先住民のデモなども頻発していた。なぜ近年のチリにおいて市民の抗議行動が顕著になってきたのか、民主化後のチリの政治システムに焦点を当てて考えてみたい。
(出所)浦部[2008; 2015]、Olavarría[2003]、Bargsted y Somma[2018]、Huneeus[2018]をもとに筆者作成。
図1は民主化後の政治システムを出発点として、近年市民の抗議行動が頻発するようになった流れを示したものである。根本的な問題となるのが、民主化に際して導入された選挙制度「二名制(Sistema Binominal)」である。二名制は、民主化勢力と軍政派勢力との妥協から生まれたために、民主化後の政権を担うことになる中道左派勢力と軍政に近い右派勢力が、議会において数的に拮抗するような制度設計となっていた5。そのため、左右の2つの大きな政党連合6が共存することを前提に、政党連合間の合意を重視して政治を進める政治慣行が醸成された。さらに、民主化後の政府は基本的にテクノクラート中心であり、市民の意思から離れた形で政治が進められた。
こうした選挙制度や政治慣行は、一方で政治的には、左右二大政党連合の固定化や第三勢力が直面する高い参入障壁、政党連合内部での政治的談合を生み出し、議会や政党が民意を反映していないという代表性の低下を生み出した。議会や政党に対する市民の信頼も1990年代から2010年代にかけて低下した7。他方で経済的には、軍政下で導入された新自由主義モデルが部分的に修正されつつも基本的には維持され、経済的な格差やそれに伴う社会的不平等も温存された。
政治が民意を代表せず、経済的不平等が温存される状況の中で、市民の不満や社会的な不安は蓄積されていった。それをよく表すキーワードが、社会的な不満や不安、あるいはそれらが蔓延している状況を示す “malestar” というスペイン語の単語である。図2はGoogleにおけるこの10年間のチリでの “malestar” の検索頻度の推移である。この10年間で徐々に増加し続けていることからも、この言葉が社会に広がり続けたことが伺える。この言葉はとりわけ2010年代以降、チリの社会の現状としてマスメディアやチリの研究者の中で指摘されるようになった。
(出所)Googleトレンドで得られたデータをもとに筆者作成。
(注)最も検索されている月を100とし、それに対する相対的な数値を示している。
市民の不満は、第一に、市民がフォーマルな政治参加から離れるという形で現れた。大統領選挙における投票率は民主化以降一貫して低下し続けた。1989年には約85%であったのに対して、2017年には50%を切る水準にまで低下した8。第二に、政治に対するインフォーマルな形での意思表示として、市民の不満は抗議行動となって現れた。2000年代前半の段階では、チリを代表する知識人であるガレトンから社会運動の現状と将来について悲観的な見方がなされていたが[Garretón 2003]、2000年代後半から抗議行動は増加した。抗議行動の発生件数は2000年代前半と2012年を比較しておおよそ3倍から4倍程度に増加し[Somma & Medel 2017]、2012年から2017年の6年間では年間約2000件もの抗議行動が発生したことも報告されている[Garretón et al. 2018]。
市民の抗議行動が噴出するようになった背景には、民主化後の選挙制度や政治慣行、それらに基づき約30年にわたり再生産され固定化されてきた代表性を欠いた政治や経済格差という問題があった。こうした問題に対して蓄積された不満が抗議行動となり頻発することになったと言える。
本節では「はじめに」で示した検討点のうち、2011年学生運動が何を問題提起し、なぜその問題は解決されずに残ったのかということについて検討する。具体的には、以前よりチリは大きな抗議行動を経験していたにもかかわらず、政府による改革は不十分なものにとどまったことを示す。
(1) 2011年の学生運動2019年の社会危機の発生以前、市民の不満が噴出した抗議行動の象徴であり、近年増加した抗議行動の出発点になったとされるのが、2011年の学生運動である。この運動のおもなテーマは教育であり、学生たちは主な要求として高等教育の無償化を掲げ、最大で数十万人規模のデモを行い、チリの全大学の約3分の1に及ぶ20の大学でストライキが実施された。学生運動はチリ南部アイセン州の水力発電ダム反対運動や、同じく南部のマカジャネス州のガス料金高騰抗議運動、マプチェ族の先住民運動とも共闘し、当時としては民主化後最大規模の社会運動と見なされるまでに発展した。
第一に、高等教育の無償化という要求を通じて学生運動が提起したのは、教育システム全体が抱える問題である。具体的には、初中等教育段階から現れる経済格差による教育格差、高等教育で高騰する授業料とローンへの高い依存率、こうした教育の状況がもたらす社会的不平等の世代間の継承や固定化という問題であった。チリは軍政下の1980年に世界に先駆けて教育制度に新自由主義を導入しており、以後市場原理に基づく教育システムが維持されてきた。その結果チリは高等教育に関して、OECD諸国の中で授業料が高く、公的な学生支援制度が整っておらず、教育費に占める公的支出の割合がより低い国のひとつとして指摘されるに至った[OECD 2009]。高額な授業料支払いをローンで賄うという状況の中で、学生たちは即物的な要求として高等教育の無償化を主張したわけではなかった。新自由主義的な教育制度が生み出す世代間での格差継承という構造的な問題を提起するのみならず、教育を普遍的な社会権と位置付ける理念のもと、既存のシステムに代わる新しい教育制度を改革案として提示した。つまり、2011年の学生運動は、既存の教育システムを部分的に修正するのではなく、システムを規定する根本的な考え方を転換することを求めるものであった。
第二に、学生運動は教育の分野にとどまらずに、軍政から引き継がれた政治経済社会モデルからの変革を希求した[Garretón 2014]。学生たちは、高等教育の無償化という要求を通じて既存の新自由主義的な教育システムの問題を提起するだけでなく、二名制や合意に基づく政治を批判し、新自由主義に代わる新しい発展のモデルを構築する必要があることを主張した。そうした主張が2011年の学生運動のリーダーたちからしばしば強調された[Vallejo 2012; Jackson 2013]9。のちに示すように、それら2011年の学生運動のリーダーたちが中心となって新しい左派勢力が形成されていくことになる。
(2) 高等教育の無償化制度の導入高等教育の無償化を求める大規模な学生運動は2011年以降も継続し、最終的に2016年には無償化の制度が導入されるに至った。それにもかかわらず、先に示したように2019年の社会危機において市民が示した多岐に渡る不満や問題の中に、教育が含まれている10。なぜ2019年もなお教育に関する不満が見られるのか、その背景を理解したい。
2011年の学生運動により高等教育の無償化は、学生運動だけの主張ではなく広く議論される政治課題となり、2013年の大統領選挙においては最も重要な課題として挙げられた。中でも、最有力候補であった元大統領のバチェレ(Michelle Bachelet)は、早々に高等教育の無償化を公約に掲げて支持を集めた。選挙に勝利したバチェレのもとで、2016年から無償化制度が導入されることになった。
バチェレ政権により導入された無償化制度は、無償を意味するスペイン語を用いて “Gratuidad” と名づけられている。しかし、授業料そのものがなくなったわけではない。あくまで出身家庭の世帯所得が下位60%であり、特定の教育機関(伝統的な国立大学および私立大学、質認証などの条件を満たした私立大学および専門学校)で学ぶ学生の授業料支払いが免除される。2016年に導入されて以降、徐々に対象となる所得基準や教育機関が拡大され、2019年段階で対象の教育機関の学生のうち57%、チリの全学生の32%が恩恵を受けている11。
高等教育の無償化制度の導入により2011年の学生運動の要求が結実したかに思われるが、学生運動が主張し続けてきたことと、実際に導入された制度の間には大きな乖離があった。学生運動にとって、一定の世帯所得以下の学生のみを対象とするという点で、同様の条件でローンや奨学金を給付してきた従来のシステムと無償化制度は何ら変わるものではなかった。学生運動の当事者たちは、教育制度の全体の改革により無償化を実現させるべきだと訴えていた。他にも、初中等教育段階における経済格差と教育格差の問題、それが高等教育にも引き継がれるという問題、無償化の非対象者が抱える高額の授業料支払いとローン依存という問題は解消されないままであった。
2011年の学生運動以来の、既存のシステムに対する問題提起は、システムの転換ではなく修正に帰結した。2019年の社会危機の中で市民が問題視している「パッチをあてるような修正」12の事例の一つと見なすことができるだろう。2019年の社会危機は、教育制度が修正的改変に帰結したことへの問題意識への延長線上にもあると言える。
本節では、新しい左派勢力はどのように生まれ何を主張してきたのかということについて検討する。具体的には、学生運動を起源にもつ新しい政治勢力が、2019年の社会危機で問われている既存のシステムの変革を早い段階から主張し、一定の支持を獲得したことを示す。
(1) 学生運動から政治の世界へ再び2011年の学生運動に話を戻そう。2011年の学生運動が重要な意味を持つのは、既存のシステムへの批判や近年の抗議行動の出発点となったというだけでなく、その批判を先導した学生リーダーたちがのちに政治家へと転身したためである。さらに、その一部は既存の政治勢力とは異なる新しい左派勢力「広域戦線(Frente Amplio)」を形成し、中心的役割を果たすことになる。
2013年の国会議員選挙で政界へと進出し、新しい左派勢力の顔となったのがチリ・カトリカ大学出身のジャクソン(Giorgio Jackson)やチリ大学出身のボリッチ(Gabriel Boric)である13。彼らは、それぞれの大学において、チリの学生運動の中で影響力を持った共産党(Partido Comunista de Chile)や社会党(Partido Socialista de Chile)といった既存政党の青年部ではなく、既存の左派政党からは独立した左派組織で学生運動を行っていた。さらに選挙に際しても、既存政党に入るのではなく、学生運動の中で活動拠点としていた左派組織を基盤として政治組織、政党づくりを行った。彼らは2013年の国会議員選挙において政党連合外の独立候補として出馬し、二名制という政治参入の障壁を乗り越え当選を果たした14。
ここで今一度検討したいことは、社会の側から既存の政治システムを批判した彼らが、なぜ政界という既存のシステムを目指したのか、ということである。ジャクソンとボリッチに共通して見られる問題意識は、社会と政治の乖離を乗り越えること(社会運動と政党の垣根を乗り越えること)、それにより国の決定のあり方を変えること、そしてあり方を変えた上でシステムを社会と政治の両輪で変革していくことにあった15。ふたりのこうした問題意識は実際に社会運動(学生運動)組織を政党として引き継ぐ形で政治の世界へ入っていったことにも表れていると言える。そして彼らは、問題意識を一政党のみならず政党連合という形でも表していくことになる。
(2) 新しい左派勢力「広域戦線」の結成2014年から下院議員となったジャクソンとボリッチは、2016年に同年の地方選挙、翌年の総選挙(大統領選挙および国会議員選挙)を迎えるにあたり、既存の二大政党連合とは異なる新しい政党連合の構想を発表した。それが「広域戦線」である。2017年1月に、ジャクソンが所属する「民主革命(Revolución Democrática)」、ボリッチが所属する「オートノミズム運動(Movimiento Autonomista)」16などの新興政党に加えて、民主化運動に関わり民主化後は第三勢力として活動を続けてきた「人道党(Partido Humanista)」といった政党も加わり、計11政党で正式に広域戦線は結成された。
広域戦線の結成に際しての声明に見られる問題意識は、民主化後のシステムが生み出した問題に対して学生運動が表明した問題意識、ジャクソンやボリッチが政治家に転身する際に表明した問題意識とも符合していることが分かる。声明の中で具体的には、政治が一部の政治エリートや大企業により進められ、社会の大部分や国民とかけ離れていること、そのため完全な民主主義が実現できず社会のあらゆる場で不平等を生み出していることを指摘した。そうした正統性や代表性を欠いた政治に対する不満の中から生まれてきたのだと広域戦線は表明した17。
さらに広域戦線は、既存の政党連合との対立軸が鮮明であることも特徴である。ボリッチらは広域戦線に求められる課題として、①選挙目的ではなく日々の課題に取り組むための政党連合となること、②草の根の新しい政治慣行を作ること、③既存の政党や大企業から自律すること、④新自由主義を超克する新しいモデルを描くことを挙げた[Boric y Sillard 2017]。こうした理念はそれぞれ、①選挙のために談合的になる政党連合、②専門家中心でエリート間の合意を重視する政治慣行、③政党と大企業が強い繋がりを持つ、④新自由主義を基本的な発展のモデルとするような既存の政治勢力と明確に対比されることが分かるだろう。
(3) 2017年総選挙での広域戦線の台頭広域戦線が掲げた問題意識や課題は、2017年の総選挙における彼らの選挙公約において具体的な政策案として示された。なかでも、2019年の社会危機を通じて示された問題意識との重なりという点で、社会権を保障する新憲法の制定が重要となる。軍政下で導入された現行憲法では、社会権に関わる分野(年金、社会保障、教育、医療健康、住宅)において、国家は市場を補完する役割を果たすに過ぎない。一方で、新憲法を通じて社会権を保障する新しい国家を目指すというのが広域戦線の主張である。広域戦線のみならず既存の中道左派勢力も社会権に関する課題について改革案を提示しているものの18、広域戦線は新しいシステムやモデルへの転換を志向するという点でほかの勢力と異なっている。さらに、市民の声をより反映させるべく、新憲法制定のために独自に制憲議会を設置することを主張したことも、広域戦線の政策案の特徴である。
2017年11月から12月に実施された大統領選挙ではピニェラが2度目の当選を果たし、国会議員選挙でも右派政党連合が勝利し、中道左派から右派への政権交代がなされた。その一方で、広域戦線に関しては、大統領選挙第1回投票において、広域戦線の候補者サンチェス(Beatriz Sánchez)が20.3%の得票で、第3位につけた。従来どおり二大政党連合の候補者が1位と2位を占めたものの、2位となった中道左派連合の候補者ギジェル(Alejandro Guillier)の得票22.7%へと肉薄した。下院議員選挙では、155人議席中20議席を獲得し、上院議員選挙では、改選23議席中1議席を獲得した。
国会議員選挙において広域戦線が一定数の議席獲得を可能にした制度的な要因として、2017年の国会議員選挙から「二名制」に代わる新しい選挙制度が導入されたことは非常に重要である19。議席数が下院120議席から155議席、上院38議席から50議席へと増加し、各選挙区の定数が下院では2人から3人〜8人、上院では2人から2人〜5人へと変化した。それにより、すべての選挙区がふたりずつ当選される二名制に比べて、第三勢力が議席を確保する可能性が格段に開かれた。
そうした制度的要因に加えて、国会議員選挙での広域戦線や大統領選挙でのサンチェスの躍進は、選挙前の世論調査の予測よりも大きく上回っていたこともあり、驚きをもって受け止められ20、選挙の実質的な勝者はサンチェスや広域戦線であるという指摘もなされた21。
(4) 新しい左派勢力に投票したのは誰?2017年総選挙においてサンチェスや広域戦線にどういった人々が投票したのだろうか。選挙直後の分析では、2012年の有権者自動登録制の導入以降に選挙人登録された人々の多くがサンチェスに投票したことが指摘された22。その多くは若年層である。さらに投票に関するサーベイを用いた分析では、広域戦線への投票者の傾向として、若年層の割合が高い(60%が18歳から35歳)、市民参加型の政治決定に賛同的で専門家による政治決定に批判的、政治的関心が高く民主主義への期待感も高い、という結果が見られている[Santana et al. 2018; Santana et al. 2019]。一方で、広域戦線は右派連合に比べて投票者に占める非党員の割合が低く[Santana et al. 2018]、コアに関与する支持者や活動家以外への支持の広がりが弱いことが考えられる。以上から、広域戦線の投票者像は、若年層を中心に政治的意識が高く、積極的に活動にコミットする支持者といった傾向が浮かび上がる。
他方で、2017年大統領選挙で50%を超えた棄権者の傾向も重要である。広域戦線への投票者と棄権者の最も大きな違いといえるのは、政治的関心や民主主義への期待感であろう。先に述べたように、広域戦線への投票者は両者ともに高いが、棄権者は両者ともに低い傾向にある[Santana et al. 2018; Santana et al. 2019]。第1節でも述べたように、チリの民主化後の30年間で、代表性や正統性を欠いた政治に対して関心や期待感を失った人々が選挙から離れ、棄権者は約半数にも及んだ。つまり、そうした政治に対してもなお高い関心を持って積極的に意思表示をする広域戦線やその支持者は依然として少数派であった。そうした一部の人々による変革への試みがどこまで広がるのか、2017年の総選挙が終わった段階ではまだまだ不透明な状況であった。
本節では、2019年の社会危機において学生運動と新しい左派勢力はどのような位置づけにあるのかということについて検討する。さらに、社会危機発生から1カ月後になされた新憲法制定に向けた合意についても説明する。
(1) 2019年の社会危機における学生運動と新しい左派勢力の位置付け10月中旬以来発生したチリの社会危機の発端となったのは、地下鉄の運賃値上げに反対する高校生の改札突破行動であった。彼らは、地下鉄の駅の改札を集団で強行突破し無賃乗車することにより抗議の意思を示した。当初は高校生というアクターと地下鉄運賃というイシューに限定されていたが、年金、社会保障、医療、賃金、教育などの市民の生活に直結する多様な問題に関する市民の抗議行動へと拡大していった23。抗議行動の初期の段階においてそれらの問題が複合的に重なったことも、抗議行動が急激に拡大した一因となったと考えられる。10月末頃になると、そうした個別の問題を生み出す政治経済社会システムを根本的に変えるための方策として、新憲法制定を求める声が徐々に顕在化した。生活に関わる具体的な問題にせよ新憲法制定にせよ、社会危機における抗議行動で提起された問題は、2017年総選挙において広域戦線が提起した問題と符合している。また、既存のシステムの変革という意味では、2011年の学生運動からも連なる問題である。
しかしながら、確かに既存のシステムへの問題提起という点では延長線上にあるものの、2019年の社会危機における抗議行動を2011年の学生運動や新しい左派勢力と一緒くたにとらえることができない点にも注意が必要である。第一に、2019年の高校生の改札突破行動は統制する組織を持たないという点で、チリの学生運動としては異質なものであった。2011年の学生運動も含めチリの多くの学生運動は、学生代表組織があらかじめ全体としての要求、抗議行動の方法を決定、発表し、参加者を動員、統制している。それに対して今回の改札突破行動は、写真共有SNSのInstagram(インスタグラム)の匿名アカウントが発端となり自然発生的に広がったと言われており24、高校生代表組織が運動に加わったのは運動が開始された後である。組織なきSNS主導型の抗議行動は全体としての意思決定の仕組みをもちにくい傾向にあると言われるが[トゥフェックチー 2018]、改札突破行動もその例外ではなく、運動全体としての意思が不明確なまま拡大した25。組織の統制が欠如していたという意味において、2019年の高校生の改札突破行動は、2011年の学生運動をはじめとするチリの学生運動と比べて異質なものであったと言える。
社会危機の発端となった高校生による改札突破行動が特定の組織により統制されていなかったことは、後の抗議行動のあり方にも影響を与えたと考えられる。異なるイシューに関する多様な組織、集団、個々人が特定の社会運動組織により統合されることなく、同時多発的に抗議行動を開始した。そのため、誰が政府との交渉窓口になるのか、どこが終着点となり得るのかという点も不明瞭となった26。そうした点に加えて、組織的な統制を持たないことにより、どこまでが抗議の手法として正当でどこまでが不当なのか、何が平和的で何が暴力的な手法なのかという分け目が曖昧となったことも、抗議行動の中で放火、略奪、破壊行為などの暴力的な行為がかつてないほどに広がりをみせた一因となった27。
また、広域戦線がこれまで示してきた問題意識と抗議行動の中で市民が示す問題意識に共通点がみられるものの、広域戦線が抗議行動を主導したというわけではない。確かに、広域戦線が10月中旬から1カ月の間に発表した声明文においても、抗議行動を行う市民への全面的理解を一貫して示した28。しかしながら、広域戦線の立場はあくまで、抗議行動の継続を呼びかけるにとどまり、彼らが抗議行動を統制し、抗議に加わるあらゆる勢力を糾合しているわけではなかった。
(2) 新憲法制定に向けた合意他方で、10月中旬以降の社会危機は一つの帰結に至った。その帰結とは、新憲法制定に向けた道が開けたことである。11月15日、広域戦線の政党も含む与野党で、「社会平和と新憲法のための合意(Acuerdo Por la Paz Social y la Nueva Constitución)」が結ばれ、新憲法制定や制憲議会に関する国民投票が2020年4月に実施されることが発表された。
広域戦線は、社会権を保障する国家への転換に加えて、政治の決定プロセスには市民を関与させないという政治のあり方に対して問題提起し、新憲法の制定とそのための制憲議会の設置を主張し続けてきた。2019年の社会危機を通じてチリの政治に問われたのは、改革の中身はもちろんのこと、その中身を決めていくプロセスである。合意に際してボリッチは「広域戦線がいなければ、人々がどういった方法がいいかを選ぶ可能性が与えられることなく、現行の国会議員だけで新憲法について検討するという別の結果になっていたはずだ」29と述べた。合意に至ったことは、広域戦線への支持にも影響を与えている。抗議行動の初期における世論調査では、「今回の危機に際して広域戦線の仕事・活動を評価するか」という質問に対して、「評価する」と答えた割合はわずか16%にとどまっていたものの30、新憲法制定に向けた国民投票や制憲議会に関する合意がなされた11月中旬の世論調査では、「広域戦線が行っている仕事・活動を評価する」に対して「評価する」と答える割合は28%となった31。確かに、「評価しない」とする割合は58%であるものの、与党の右派勢力や同じく野党の中道左派勢力よりも高い評価を得た32。
しかしながら、新憲法への道のりは容易なものではない。合意を通じて示された基本的なプロセスとしては、第一に新憲法制定に関する国民投票、第二に制憲議会による新憲法草案の決議、第三に承認のための国民投票という流れとなる。2020年4月の新憲法制定に関する国民投票において問われることは、①新憲法を求めるかどうか、②新憲法の草案策定を担う制憲議会の構成を、新たに選出するメンバーのみとするか、現行の国会議員と半々とするか、という点である。2020年10月に制憲会議のメンバーの選出が行われる。制憲議会において新憲法草案の決議に必要とされる3分の2を新憲法制定派が占めることができるのかという点は非常に重要である33。新憲法の草案が制憲議会で承認された場合には、新憲法草案の賛否を問う国民投票が実施される。
確かに、この合意により新憲法に向けた道筋ができたことは、一連の抗議行動で示された人々の変革への意思表示の結果であり、ひいては2011年の学生運動や新しい左派勢力という政治的試みが行き着いたひとつの結果であると言える。しかしながら、3分の2という制憲議会における承認のハードルの高さに代表されるように、この合意がチリのシステムの転換を現時点で確約しているわけでは決してない。
本稿では、チリにおける2019年の社会危機を2011年の学生運動や新しい左派勢力との関係から検討した。民主化後の政治制度や政治慣行が代表性を欠いた政治や経済格差を再生産し、人々の不満を蓄積させ抗議行動を増加させた。2011年に発生した学生運動は、既存のシステムの変革を求めたが、その結果なされた改革は不十分なものであった。また学生運動を起源にもつ新しい左派勢力は同様にシステムの変革を求め、一定の支持を獲得してきた。2019年の社会危機における抗議行動の中で人々が示した変革の意思は、そうした問題意識の延長線上にあり、新憲法制定に向けた合意へとつながった。
本稿が着目した2011年の学生運動や新しい左派勢力は、あくまで政治的関心や政治的意識の高い人々を中心とした一部の人々のプロジェクトであったとも言える。しかしながら2019年の社会危機では、10月25日の120万人規模のデモや世論調査の結果に示されるように、多くの人々が街頭、職場、学校、家庭、ソーシャルメディアなどを通じて変革への意思表示を行った34。そうした人々の変革の意思表示の結果が、新憲法制定に向けた合意である。
社会危機の発生から約1カ月経た11月中旬段階では、今後のチリの状況は依然として不透明である。抗議行動の継続を求める声は大きいものの、1カ月にわたった抗議行動がさらに継続するのか否かは、政府の対応や抑圧、合意をめぐる議会や政党の動き、抗議行動の暴力、市民の疲弊などの要素が絡み合うため非常に混沌としている。また、警察や軍の抑圧や、放火や略奪といった過激行為により多くの人々の日常生活が破壊された。そこからの再建もまた大きな課題である。さらには、抗議行動の初期の段階に示されていた、年金、社会保障、医療、賃金、教育という市民の生活に直結する具体的な問題をどう解決していくのかということも課題として残されている。新憲法制定へは一定の時間を要するなかで、こうした喫緊の課題に対する政府や議会の取り組みも非常に重要である。
新憲法制定に関する国民投票、その後の制憲議会はチリにとって大きな分岐点ともなる。従来通りにシステムを維持する形で修正的な改革を行う方向に向かうのか、システムそのものを変革する方向に向かうのかという分岐点である。前者の場合、社会危機を通じてかつてないほどに示された人々の変革への意思は十分に反映されるのか、既に欠いていると思われる既存のシステムの正統性を回復することは可能なのかという問題が突きつけられる。後者の場合、確かに社会危機での人々の意思が反映されることになるが、新しいシステムを一から作るための合意形成に至るまでに起こりうる対立や瓦解の危機をどう乗り越えていくのかという大きな問題が突きつけられている。
(2019年11月20日脱稿)