2021 Volume 38 Issue 1 Pages 14-27
2020年11月、各市町村の首長と議員を決めるブラジル統一地方選挙が実施された。今回の地方選挙はCOVID-19の感染拡大の影響をうけて選挙日程が延期になるなど異例であった。大勢では、現職のボルソナロ大統領の政治力に便乗した候補者と、2016年8月まで国政において政権政党を務めていた労働者党が惨敗した一方で、中道・保守派政党が勝利した。今回の市長選挙ではとくに、現職市長が立候補した場合、再選する傾向が高いことが確認できた。しかしブラジルの二大都市の市長選では、サンパウロ市ではコバス市長が再選したものの、リオ市ではクリベラ市長は敗戦するなど、両市長の明暗は分かれている。こうした違いが生まれた要因を、コロナ禍における保健医療や治安、汚職問題などの市政運営への評価と、市長と福音派有権者との関係性などからも読みとることができる。さらに地方選挙の終了後、2022年大統領選挙にむけたブラジルの政治情勢は、ボルソナロ大統領の優位からルーラ元大統領の優位に変化している。しかしどの候補者にとっても、福音派の支持をいかに取り込めるかが今後の鍵となりうる。
2020 年 11 月、各市の市長と市議会議員を決めるブラジル地方選挙は、国内でCOVID-19の感染拡大が深刻な状況下で実施された1。COVID-19感染者の急増した3月から、社会的隔離措置の是非をめぐり、連邦政府は地域格差の大きいブラジル全体の状況をかんがみた柔軟な措置を推奨した。その一方で、サンパウロ州知事やマナウス市長などは、世界保健機構(World Health Organization: WHO)が提唱する基準に沿った厳格な措置を求めて、大統領らとの対立姿勢を表明した2。ワクチンの製造でも当初、連邦政府が米国企業との協力を優先したのに対して、サンパウロ州など一部の州政府は中国企業との協力関係を優先した。このように連邦政府とムニシピオ(基礎自治体)を含む地方政府とが対立する構図がみられたことで、地方選挙は例年以上に国政との関連性が注目された(舛方 近刊)。
近年のブラジル政治は、中道保守のブラジル社会民主党(Partido da Social Democracia Brasileira: PSDB)、中道のブラジル民主運動(Movimento Democrático Brasileiro: MDB)、リベラルの労働者党(Partido dos Trabalhadores: PT)の三党が主軸にあった3。ただし、この主要三党も単独では連邦議会で法案可決に十分な議席を獲得できない。ところがさまざまな改革を行う際に必須となる憲法修正案の可決には、上下両院で議席の5分の3の承認が必要となるため、大統領制下で大規模な与党連合が形成されやすい。それゆえにブラジルで成立してきた連立大統領制(coalitional presidentialism)と呼ばれる政治システムは、政権の政治運営に安定性を生んだ反面、政権に議会との利害調整を迫ることで、急進的な改革を阻止してきた(新川・舛方 2019)。しかし安定的と考えられたブラジルの連立大統領制は、2015年を境に危機に直面した。国内史上最大級の汚職捜査により、政党政治への信頼が低下したことで、労働者党、ブラジル社会民主党、ブラジル民主運動を中心とした連立大統領制は動揺し、政党連合に頼らないことを標榜したボルソナロ政権が誕生した(たとえば、菊池 2019)。
以上の点をふまえて、本稿では2020年のブラジル地方選挙の動向と結果を紹介する。そのうえで地方選挙全体の特徴が大都市の選挙でどのように表れたのかを示すために、ブラジルの二大都市であるサンパウロ市とリオデジャネイロ(以下、リオ)市の市長選を中心に説明する。この二大都市の市長選を扱う理由は、この二大都市の市長選が国政でしのぎを削る主要政党同士による代理戦争の舞台となったためでもある。今回の市長選挙では、現職市長が立候補した場合、例年以上に再選する傾向が高かった。しかしサンパウロ市ではコバス(Bruno Covas Lopes)市長が再選した一方、リオ市ではクリベラ(Marcelo Bezerra Crivella)市長が敗戦するなど、両者の明暗は分かれた4。本稿はこの違いが生まれた要因を、現職に対する政策評価や福音派(evangélicos)有権者との関係性などから考察する。
本稿の構成は、以下のとおりである。1では、2020年ブラジル地方選挙の動向を概説する。2では、地方選挙の結果からその傾向と特徴を明らかにする。3では、サンパウロ市とリオ市の市長選挙を検討する。おわりにでは、本稿の議論をまとめ、地方選挙からみえたブラジルの現状と傾向から来年10月に迫った2022年大統領選挙の見通しを示す。
ブラジル地方選挙で対象となるのは、全5567ムニシピオにおける市長と市議会議員のポストである。おもな選挙日程はつぎのとおりである。選挙が告示されると、立候補の登録が締め切られる。その後、テレビやラジオなどでの選挙運動が投票日の3日前まで実施され、第一回目の投票日に、全国各地の投票所において電子投票が実施される。第一回投票でどの市長候補者も過半数を得票できなかった場合、得票数上位2名の候補者による決選投票を行い、最終的にすべての市長が選出される。選出された市長の任期は4年で、連続再選が一度だけ認められる。
今回の地方選挙は、COVID-19の感染拡大の影響から当初は実施自体も危ぶまれた。もともとは1回目の投票日を10月4日、決選投票を同25日に実施する予定であった。しかし2020年の7月1日に、1回目の投票日を11月15日、決選投票を同29日に延期する憲法修正案が下院で可決され5、翌7月2日に憲法修正が行われた6。第一回投票と決選投票のあいだが通常より短く設定されたことは、2020年の地方選挙の特徴のひとつといえよう。選挙が告示されると、その約1カ月半後の2020年9月26日に立候補登録が締め切られた。
候補者の多くは、街頭での選挙活動を制限して、ライブ配信やSNSを活用した宣伝活動や討論会を行った。対面での集団行動が制約される状況だったからこそ、デジタルメディアは政治的な討議を行ううえで重要な公共空間であることが認識された選挙でもあった。また、携帯アプリ(E-Título)が導入されて投票前の棄権手続きも簡素化されため、棄権率が上昇した。棄権率は前回の選挙時に有権者全体の21.6%だったのに対して、今回の選挙時には29.5%と過去最高を記録している7。
(2) ボルソナロ大統領への便乗効果ボルソナロ大統領は当初、国政と地方政治は分けて考えるべきとの意思をもち、地方選挙への関与を否定していた。しかし10月になると、支援者から強い要望をうけたことを理由に、自身のライブ配信で特定候補の名を挙げて支持を表明した。この表明の結果、一般にはボルソナロが支援した候補者の勝敗が、ボルソナロ陣営への評価に直結すると認識された。ボルソナロの支持をうけた候補者は共通の政党に所属していたわけではないが、属性として元軍人や福音派から支持を受けた候補者が多数を占めた(表1)。しかしボルソナロ大統領が支持を示した13人の候補者のうち11人が選挙で敗れた。この結果をうけて、候補者がボルソナロ大統領に便乗した効果は、否定的(マイナス)に働いた可能性が高いと評価できる。
(注)人口20万人以下のムニシピオでは、第一回投票の最得票者が当選者となる。
(出所)Globoウェブサイトより筆者作成。
今回の地方選挙結果の特徴と傾向を、まず全5567の政党別市長ポストの数(図1)から振り返ってみよう。最も多く市長を選出した政党は、ブラジル民主運動である。ただし民主運動は、ブラジル社会民主党とともに今回の選挙では大幅に市長数を減らすなど、既存の大型政党には厳しい評価が下された。他方で進歩党(Progressista: PP)、社会民主党(Partido Social Democrático: PSD)、共和党(Republicanos)など、ボルソナロ政権と距離の近い中規模の保守政党の勢力は増した。特筆すべきは、ボルソナロ政権下の連邦下院議会において中道連合(Centrão)を形成する10政党が2400都市で与党になったことである。この数は、ブラジルのムニシピオ全体のうち約45%に値する(Manzano 2020)。
これに対して労働者党は、市長当選者は252から183に減少して、政党別市長数でも11位になった。労働者党は、例年であれば広告塔であるルーラ元大統領(Luiz Inácio Lula da Silva)に同党候補者の応援演説を頼み、大衆の支持を得る戦略をとる。しかし今回の選挙戦では、ルーラは表舞台にほぼ登場しなかった。ルーラについて回る汚職などの悪評を回避するため、支援を歓迎しない雰囲気もあったためである(Ghirotto e Gonçalves 2020)。
(出所)Folha de S.Pauloウェブサイトより筆者作成。
次に26の州都別市長選の結果(表2)も、確認してみよう。26州都のうち、最も多く市長を輩出した政党も、ブラジル民主運動(5都市)である。そのブラジル民主運動に民主党とブラジル社会民主党が4都市ずつで続いている。他方で労働者党は、州都の市長の座をひとりも獲得することができなかった。これは民政移管以降の地方選挙において初めてのことである。労働者党は、地方選挙において複数の党員を市長に輩出することで勢力を拡大してきた8。その傾向からすれば、労働者党は、前回の選挙に引き続き、厳しい状況にある。
(注1)2021年5月16日膀胱ガンにより死去したため、副市長のリカルド・ヌネスが市長に昇格した。
(注2)2021年1月13日コロナ感染により死去したため副市長のロジェリオ・クルスが市長に昇格した。
(注3)人口20万人以下のムニシピオでは、第一回投票の最得票者が当選者となる。
(出所)CNNブラジルウェブサイトより筆者作成。
さらに今回の市長選挙では、再出馬した現職市長のうち63%が再選を決め、過去12年間のなかでも現職の再選率が最も高かった(Capeti 2020)。地方選挙において再選を目指す現職市長のほうが新人候補よりも有利になる効果は、ブラジル地方選挙のこれまでの傾向からもすでに説明されてきた(舛方 2013; De Magalhães 2015)。しかし、その効果をふまえたとしても、表2で示したとおり、12名の現職州都市長が再出馬して、うち10名が再選を決めたことは特筆すべき点である。
現職が再選を目指して出馬した場合、任期中の市政評価は、有権者の投票行動を決めるうえで重要な要素となる9。多くの市長は都市のCOVID-19対策として、COVID-19感染患者に対する迅速な対応と、感染防止対策を強化することを目標に掲げた。さらに今回の選挙戦における有権者の関心事項は、COVID-19対策と関係する保健・医療・経済への対策だけでなく、教育や治安の問題にも及んだ。そのため特定の層の支持を狙う急進的政策を掲げる候補者とは異なり、現職市長の多くは広範囲の支持獲得を目指して、おもな公約を市政が一般に重要課題とする格差是正や社会・教育政策の継続とした10。
他方で、州都の現職市長で負けたのは、リオ市のクリベラ市長(Marcelo Bezerra Crivella)とリオブランコ市のネリ(Socorro Neri)市長である。とくにリオ市では、後述するように慢性的な財政難で市の治安対策や保健医療対策の質に批判が集まり、クリベラの市政運営は低評価を受けていた11。
ブラジル南東部サンパウロ州の州都であるサンパウロ市は、ブラジル全市のなかで最大規模の選挙区であるため、各政党にとって地方選挙における最も重点的な選挙戦略が必要とされる市であった。サンパウロ市長選は1985年の民政移管後、地方ボスの所属政党・労働者党陣営・ブラジル社会民主党陣営のあいだで三つ巴の戦いが続いたが、次第に労働者党陣営・ブラジル社会民主党陣営のあいだでの政策論争が展開される国政の代理戦争の舞台となった。大統領や知事といった有力政治家の支援や政党間の党派性を超えた選挙連合も、政権発足前後の政策形成を左右してきた(舛方 2017)。
2016年の前回選挙の決選投票では、労働者党所属の元市長と、ブラジル社会民主党から出馬したドリア(João Agripino da Costa Doria)が争い、ドリアが市長に当選した。ドリアは政界では無名の新人候補だったが、大企業家として培った手腕を発揮して、一躍ブラジル社会民主党の中心人物になった。そのドリアは2018年のサンパウロ州知事選に出馬するために、任期の途中で市長職を辞しており、副市長のコバスが市長に昇格していた。
① 第一回投票:コバス市長によるルソマンノの票田攻略9月12日、ブラジル社会民主党はコバス市長の再選を目指して、正式に出馬登録を行った。その前後で、対抗馬となる中道リベラルのブラジル社会党(Partido Socialista Brasileiro: PSB)は、元サンパウロ州知事のフランサ(Márcio França)、共和党は2012年・2016年の選挙と同じく、連邦下院議員のルソマンノ(Celso Ubirajara Russomanno)、リベラル派の社会主義自由党(Partido Socialismo e Liberdade: PSOL)は、ホームレス労働者運動 (Movimento dos Trabalahdores sem Teto: MTST) の指導者であるボウロス(Guilherme Castro Boulos)を、それぞれ擁立した(表3)。
(出所)選挙最高裁判所ウェブサイトをもとに筆者作成。
まず今回の選挙戦を象徴する重要な要素のひとつとして、福音派の牧師(Pastor:女性はPastora)や信者であることを表明した福音派候補者の増加があった12。近年の福音派の増加は、中米諸国およびブラジルで顕著である。2020年に実施したセンサスによれば、70年代にはわずか5%だった信者数は2020年に31%で、ブラジル人の約3人に1人がプロテスタントとなったと推定される13。
福音派の政治参加も顕著である(たとえばMoreira 2018)。選挙結果自体に決定的な影響を及ぼすとは限らないが、とくに福音派の教会が信者の投票行動へ影響力を有することは明らかとなっている(Smith 2019:113-145)。ゆえに各政党は、牧師などから政治家を擁立して福音派有権者の票を獲得する選挙戦略をとる。前回の大統領選でのボルソナロ当選に際しても、票田のひとつとして福音派の有権者の動向は注目された(Figueiredo e Menezes 2019)14。
2012年・2016年の選挙と同じく、今回の選挙でも序盤は福音派を支持基盤とする共和党所属のルソマンノの人気が高かった。ただ政見放送が開始された10月9日頃まで30%近くを維持して支持率1位だったが、10月30日に発表された調査では20%となり、投票間近に支持は下落した。この選挙の経過から、ルソマンノとブラジル福音派の一大勢力であるユニバーサル教会(Igleja Universal do Reino de Deus: IURD)の創設者マセード(Edir Macedo)とのつながりは、福音派票の確保には十分でなかったことが明らかとなった。というのも、市議会議員と福音派の指導者たちは同盟を結び、11名いる福音派の市議会議員のうち8名は「力、焦点、信仰」(Força, foco e fé)というスローガンを掲げて、現職のコバスを支持する議員団を結成していたからである(Rodrigues 2020)コバスはまた、福音派の有権者の支持をえる選挙活動を強化して、ユニバーサル教会以外の福音派組織の支持を得た。このようにコバスが選挙戦を通じてルソマンノ(共和党)の票田を攻略したことが、ルソマンノの支持率低下の要因の一つとなったといえる15。
また労働者党選出の候補者の敗北も、選挙戦の早い段階からみえていた。本来であれば労働者党の広告塔であるルーラも、労働者党選出の候補者を支援するべきところだ。ところがルーラは、労働者党候補者不利の現状をふまえて、むしろ選挙中盤から追い上げのあったボウロスを支持するように、この候補者に圧力をかけていたという(Roxo 2020)16。
② 決選投票:広範囲にわたる選挙連合こうして第一回投票の結果、決選投票で現職コバスとボウロスが争うことが決まった。決選投票に進んだ後も、リベラル派と若者を中心に支持を集めるボウロスに対抗するため、コバスは福音派組織の有力者たちと接触して、その支持を取り付けている。コバス市長(ブラジル社会民主党)は民主党など11の中道・保守政党との広範囲にわたる選挙連合(Coligação Todos por São Paulo)を結成しており、決選投票の結果は59.4%を獲得して、市長への再選を決めた。決選投票直前の11月27・28日の調査によれば、コバスは、性別、就学別、所得別の全区分でボウロスを上回り、中年から高齢者、白人と混血、福音派とカトリック教の信者などの属性をもつ回答者からも高い支持を得ていた。
他方でボウロスが、コバスよりも支持を得ていたのは、若者・黒人・リベラル政党支持などの属性をもつ回答者からであった17。コバス市長に敗れたとはいえ、労働者党以外のリベラル候補がサンパウロ市長選で 2 位に入ったのは、1985 年の民政移管後初めてである。リベラル勢力は、労働者党と距離をおく代わりに政党間で結束が分裂していた。しかしリベラル勢力の精神的な支柱だったルーラ元大統領に代わる若き候補者への期待が、サンパウロ市長選ではリベラル勢力を結集する力となったといえる。
(2) リオ市:もうひとつの重要都市ブラジル南東部リオデジャネイロ州の州都であるリオ市は、もうひとつの重要都市である。リオ市の市政運営には、つねに民主化後に国政を担ったブラジル社会民主党あるいは労働者党、および歴代大統領との連携があり、リオ州知事も運営の方向性を決めるうえで政治的影響力を有してきた。また、無数の立候補者・政党が出馬する選挙戦では有力な立候補者は複数の政党との選挙連合を形成して、選挙戦を優位に進めようとする特徴があった。マイア(Cesar Maia、1993~96年、2001~08年在職)の市政に対する評価が二分すると、2008年の地方選挙ではブラジル民主運動党のカブラル州知事が推すパエス(Eduardo da Costa Paes)候補が勝利していた。パエスはカブラル州知事の後方支援を生かして20もの政党を取り込み、大規模連合「我々は一つのリオ」(Somos um Rio)を形成し、市議会内の議席数をほぼ掌握した。
ところが、パエス市長による政権運営における大規模連合の維持は、政財界の汚職の温床となり、治安、保健医療などの市内行政の悪化をもたらした。この政党政治への不信を背景に頭角を現したのが、福音派の牧師のクリベラ(共和党)であった。クリベラは先述したユニバーサル教会の創設者マセードの甥にあたる。さらにリオ州は、ブラジル福音派の重要拠点で、親子で政治家を輩出するボルソナロ一家の地元でもある18。クリベラは同州選出の連邦議員だったボルソナロの人気にも便乗して、2016年リオ市長選に勝利していた(たとえば、舛方 2017)。
① 第一回投票:リベラルの分裂とクリベラ市長の不人気今回の選挙では、2020年5月、まず前回の選挙で決選投票まで進んだ社会主義自由党の候補者がリベラル勢力を結集できず、出馬を断念した。8月には、リオ州知事が病院の建設費や医療機器の購入代金の一部を着服した疑いで、裁判所が州知事の職務を停止にすると、州知事と政権運営の面で連携してきた現職クリベラ市長への批判も高まっていた19。
9月7日、ブラジル社会民主党は再選を目指すコバス市長、民主党はクリベラ陣営に対抗するリオ市長経験者のパエスの出馬登録を行った。両者にやや遅れて同月12日、中道リベラルの民主労働党(Partido Democrático Trabalhista :PDT)は、元警察署長でリオ州下院議員のローシャ(Martha Rocha)、16日に労働者党は福音派リベラルで黒人女性の連邦下院議員のダ・シルバ(Benedita da Silva)を、それぞれ立候補に擁立した(表4)。その後の選挙戦の世論調査では、一時はローシャ(民主労働党)が優勢となる時もあった。
他方、サンパウロ市長選と同様に、リオ市長選でも福音派の有権者が福音派の候補者支持から離れる傾向があった。2016年の前回選挙では、クリベラ(共和党)に対する福音派の支持率は53%で、拒否率は7%であった。ところが今回の市長選挙の1カ月前に迫った10月9日時点の調査結果では、先述した市政運営への低評価などを理由に、福音派信者の41%は、クリベラに投票しない意思をもっていた。それでも、第一回投票では、クリベラ市長が複数政党との選挙連合など現職の利を生かして、2位で決選投票に進んだ。
(出所)選挙最高裁判所ウェブサイトをもとに筆者作成。
第一回投票の結果、決選投票で現職クリベラとパエスが争うことが決まった。決選投票前の期間、保守的な政策スタンスを取るクリベラ市長に対抗して、パエスは中道的な政策を訴えて、第一回投票において取りこぼされたリベラル派の取り込みを重視した。これにより、リベラル政党に所属するローシャ(民主労働党)やダ・シルバ(労働者党)を支援した有権者なども、パエスの支持に傾いた(Saboia e Mello 2021)。パエスは選挙公約でサンパウロ市長のコバスと同様に、おもに健康や教育などの基礎的な行政サービスの向上にかかわる12の主要政策を掲げた20。さらに、ブラジル社会民主党など6つの中道・保守政党と選挙連合(Coligação a certeza de um Rio melhor)を結成しており、幅広い層からの支持を得ていたパエス元市長が、クリベラを退けて市長に返り咲いた。
決選投票直前の11月27・28日の調査では、パエスはクリベラよりも、女性、若者と高齢者、高等教育修学者、高所得層、公務員、カトリック教信者、リベラル政党支持などの属性をもつ回答者からの高い支持を得ていた21。他方で、市政への評価は低かったものの、クリベラ市長が決選まで残れたのは、リオ市ではリベラル派が分裂してほかに有力な候補者がいなかったこと、支持は減少したものの、一部の福音派の底固い支援をうけたためと考えることはできる。たとえば同22日の調査では、福音派のなかではクリベラに対する拒否率は38%と、全ての候補者のなかで最も高く、対抗馬のパエスへの支持に回る福音派の有権者も多かった(Nogueira 2020)。ところが同27日・28日の調査では、福音派の回答者の51%がクリベラ、26%がパエスに投票する意思があると答えるなど、クリベラへの福音派の支持は、ある程度まで残っていたことがわかる。
本稿では、2020年ブラジル地方選挙の動向と結果を概説するとともに、その特徴と傾向がサンパウロ市とリオ市の市長選挙においてどのように表れたのかを考察した。2020年地方選挙全体を総括すると、COVID-19感染拡大に伴う失業率や景気の悪化、対応への政府批判などから、現政権と労働者党が退潮した一方、進歩党などの小規模の中道・保守政党の勝利が明示された。他方で、地方選挙の諸相を眺めると、有権者の多くがパンデミック下における市政運営を公平に評価していた。さらに、二大都市の市長選挙にまつわる考察からは、福音派の有権者が福音派の候補者を支持するという単純な図式が成立しないことが明らかとなった。
地方選挙の終了から、ブラジルでは2022年大統領選挙にむけた政局も動き出している。就任3年目となったボルソナロ大統領は、国内外の多様な政治勢力との利害調整に迫われており、古い政治の打開を目指したはずの政治運営は、既存の形式に回帰しつつある22。30%前後の強固な支持層は底固いとはいえ、新しい政治を期待した無党派層から改めて支持を集めることは難しいだろう。
2021年4月15日の連邦最高裁判所(Supremo Tribunal Federal: STF)の大法廷によるルーラ元大統領に対する有罪判決の取り消しにより、彼の大統領選挙への出馬が可能となった。その結果、現時点で次期大統領の最有力候補はルーラである23。ルーラは、穏健な姿勢を有権者に訴えて、ここ数年で失われた国内外での政府の信頼回復と社会統合を目指す。しかしルーラが幅広い政治勢力と調整をはかることで、ボルソナロ政権が断行してきた財政改革が後退するとの懸念もある(舛方 2021)24。
こうしたなか、ルーラは2021年3月に「福音派への手紙」(carta aos evangélicos)を公表して、リベラルな政策に抵抗する福音派組織との意見調整を図っている(Roxo 2021)コロナ対応をめぐり、ボルソナロ政権の政治運営が低迷したことで、福音派有権者のあいだでも支持がボルソナロからルーラに流れる傾向にあり、5月13日時点ではボルソナロとルーラへの支持はほぼ同率となっている(Ropes 2021) 。ボルソナロ派とルーラ派の両陣営は、COVID-19対策と福音派の意向をどう政策に反映して、彼らの票を取り込んでいけるのか。引き続き注視が必要となる。
(2021年5月30日脱稿)
本稿の内容の一部は、JSPS科研費(19K13632/20KK0024/21H04392)の助成をうけたものである。