2022 Volume 39 Issue 1 Pages 1-17
2021年12月に行われたチリの大統領選挙の結果、急進左派連合のガブリエル・ボリッチが勝利し、1990年の民主化以来初めてとなる、左右二大連合に属さない勢力による政権が誕生した。本稿では、代表制の危機という視点から、2010年代のチリの政治社会変動、新しい政治勢力が台頭した2021年選挙、今後のボリッチ政権の課題について考察することを目的とする。チリは、既存の左右二大連合政治に対する不信を起点に、投票率の低下、抗議行動の活発化、2019年のチリ史上最大級の抗議行動「社会の暴発」を経験してきた。さらに近年では、代表制の危機の表れとしてポピュリズム的性格をもった政治勢力の出現もみられ、新しい政治構図のもとで2021年大統領・議会選挙が行われた。ボリッチ新政権には、新自由主義からの転換という大きな目標があるが、その目標の実現のためには、いまだ解消されない代表制の危機という課題にも同時に取り組むことが求められている。
2021年12月19日に行われたチリの大統領選挙で、急進左派連合1の候補ガブリエル・ボリッチ(Gabriel Boric)が勝利した。1990年の民主化以来政権を担ってきた、中道左派連合と右派連合という左右二大連合に属さない勢力による初めての政権となる。
チリでは、1990年代の民主化以来、中道左派連合と右派連合の左右二大連合によって政治が行われてきた。中道左派連合が1990年代から2000年代のあいだ政権を担い、2010年代には両連合のあいだで政権交代をしながら、安定した民主政治を実現してきたのである。そうした政治的安定の一方で、両連合は軍事政権下で導入された新自由主義的な社会経済システムを、修正しながらも維持する方針を取ってきた。それに対して、2010年代に入ると、新自由主義的な社会経済システムや、そのシステムが維持、再生産する社会経済格差に対する人々の不満が顕著になった。ボリッチを中心とする急進左派連合は、そうした人々の不満を糾合し、反新自由主義の旗手として前回2017年選挙で台頭し、勢力を拡大させてきたのである。さらに、2019年には、チリ史上最大級の市民の抗議行動「社会の暴発(Estallido Social)」が発生し、新自由主義的な社会経済システムは市民の激しい批判の対象となった。その結果として、新自由主義的な国家のあり方を規定する現法憲法に替わる、新しい憲法を制定する方向に向かうことが決まった。実際に、2021年7月以来の制憲会議(Convención Constitucional)でも、より広範な社会権を保障する国家というものを規定する憲法草案が作られている2。このように、チリの近年の政治社会変動について反新自由主義という視点から理解できる部分は大きく、今回のボリッチの勝利もまた、2010年代以降の反新自由主義の流れのひとつの到達点にあるとみることができよう。
しかしながら、チリの近年の政治社会変動を理解する際、反新自由主義という視点だけでは捉えきれない3つの問題がある。第一に、反新自由主義を主張する急進左派連合の存在にもかかわらず、なぜ「社会の暴発」は起きたのだろうか。仮に新自由主義だけが問題なのであれば、急進左派連合が反新自由主義の受け皿となることで市民の不満は解消されていたかもしれず、結果的に「社会の暴発」へと至ったことをふまえれば、問題は新自由主義以外にもあるのだと思われる。第二に、近年チリ政治に、ポピュリズム的な性格を帯びた政治勢力が現れつつあるということである。たとえば、今回の選挙でボリッチとともに決選投票に進んだ急進右派のホセ・アントニオ・カスト(José Antonio Kast)である。新自由主義に親和的な姿勢をもつ右派のポピュリズム政党の出現を、反新自由主義という文脈から捉えることは難しいだろう。また、右派だけではなく、左派のポピュリズム政党も現れている。反新自由主義を求めるという点では近年のチリの変動の流れに沿うものであるにもかかわらず、なぜそれに満足することなく独自の勢力を形成しているのだろうか。第三に、ボリッチ政権の今後の課題である。新自由主義からの転換は多くの国民が望むものであり、その方向性自体は既定路線になりつつある。反新自由主義の流れがあるからといって、ボリッチ政権は容易に改革を実現できるのだろうか。反新自由主義はあくまで政策の考え方であって、それを現実の政策や制度にするためには別の要素も重要になるはずである。
そこで本稿では、反新自由主義という視点ではなく、「代表制の危機」という視点を用いて、これら3つの問題に答えながら、近年のチリの政治社会変動とボリッチ政権の今後の課題を読み解きたい。本稿では、代表制の危機を「代議制民主主義を構成する政党、それらの政党が担う政権や議会への信頼が低下し、代議制民主主義の正統性にかかわる何らかの政治社会現象が生じている状況」という意味で用いる3。本稿は、民主化以来の左右二大連合政治と市民の乖離を起点として代表制の危機という状況が生じてきたこと、そして代表制の危機が上述の3つの問題の背後に共通して横たわる、現代チリにとって極めて深刻な問題だということを示す。そして、代表制の危機という視点を用いることは、近年次々に現れるチリの新しい政治社会現象を、個別にではなく可能なかぎり統一的に理解することにもつながるはずである。
具体的には、3つの節にわたって、おおよそ時系列順に議論を進めたい。第1節では、左右二大連合政治と市民の乖離を出発点とした、2010年代の抗議行動の活発化、急進左派連合の誕生と台頭、急進左派連合内部の対立と左派ポピュリズム政党について説明する。第2節では、右派ポピュリズム政党も含めた近年のチリの新しい政治構図と、2021年の大統領・議会選挙の結果について説明する。第3節では、今後のボリッチ政権の課題について考察する。
写真 大統領選挙決選投票で勝利し、支持者たちに応えるボリッチ(2021年12月19日、ロイター/アフロ)。
チリでは1990年の民主化以来、中道左派連合と右派連合という左右二大連合による政治が行われてきた。この両連合が議会を二分し、また独占する形の政治構図である。そうした政治構図を作り出してきたのが「二名制」と呼ばれる選挙制度であった(浦部 2015)。この選挙制度は実質的にその二大連合にのみ議席獲得の可能性を開いており、民主化後の政治的安定に寄与する一方で、それ以外の勢力が政界に進出することをほぼ不可能にしていた。
(出所)支持政党については公共研究センター(Centro de Estudios Públicos: CEP)の世論調査よりデータ取得し、議席占有率を算出するための議席数についてはMorales(2018: 236)にもとづき、筆者作成。
チリの代表制の危機につながる出発点は、民主化後のチリの代議制民主主義を独占していた左右二大連合と市民の乖離にある。図1は、二名制のもと行われた、1993年から2017年までの選挙前の支持政党(上部)と、選挙結果としての議席占有率(下部)を示したものである。左右二大連合のうち、右派連合は青色、中道左派連合はオレンジ色で示している。この図からわかるように、2000年前後にはすでに両連合の合計の支持率は50%前後となり、2013年にはわずか23.2%にまで落ち込んでいる。それに対して議席占有率をみてみると、両連合のあいだで数字の変化はあるにせよ一貫して両連合が独占していたことがわかる。
このような左右二大連合政治と市民の乖離は、投票率の低下という状況となって表れた。1989年から2009年までの選挙においては、投票のためには有権者登録が必要で、登録を行った有権者の投票は義務という制度が用いられていた。つまり1990年代から2000年代にかけての投票率の低下は有権者登録数の低下ということになる。それは、有権者登録を行う「若年層」の割合が著しく低下していたということであった(浦部 2014)。
選挙による意思表明を行わなくなった若年層は、政治的意思表明そのものを行わなくなったわけではない。若年層は抗議行動という形で意思表示を始めた。その最たる例が、2011年に発生した、当時としては民主化以後最大規模となる大学無償化を求める学生運動である。それを皮切りに、若年層のみならず、選挙で代表されない市民の意思は、抗議行動の活発化という形で現れていった。2016年には年金制度改革を求める大規模な社会運動も発生している。結果として、2010年代はチリ史上抗議行動が最も活発ともいえる10年間となった(Somma 2021)。抗議行動の対象となる政策分野は、個別にみれば教育や年金といったように異なるものの、大枠でみれば既存政治が維持する新自由主義的な社会経済システムこそが2010年代の抗議行動の対象であった。
(2)急進左派勢力の登場ボリッチをはじめとする急進左派勢力の出発点は、こうした2010年代の抗議行動の活発化にある。図2は2010年代における市民社会と政治の関係と、政治構図の変容を図示したものである。図2左側の市民社会に示したように、2010年代に入ると抗議行動の活発化がみられるわけだが、その端緒となった学生運動からボリッチは出てきた。彼は、2013年の議会選挙において、左右二大連合とは異なる独立候補として当選し下院議員となった。そして2017年の選挙に向けて、同じく学生運動出身であり左右二大連合外で下院議員となっていたジャクソン(Giorgio Jackson)とともに急進左派連合「広域戦線(Frente Amplio)」を結成した。2017年選挙では、二名制に替わる新しい選挙制度が導入され、新しい政治勢力にも議席獲得の道が開かれたことで、広域戦線は下院で20議席(155議席中)を確保した。さらには、大統領選挙では広域戦線の候補が第1回投票で、2位にわずか2.5ポイント差に迫る3位につけた4。
(注)各連合のなかで、斜字で示しているのが政党連合の名称。2021年11-12月大統領・議会選挙の箇所で下線を引いてカタカナで示したのが各政党連合の候補者の名前(表2も参照のこと)。図を簡略化するために主要政党、政党連合の情報に絞っている。
(出所)筆者作成。
2017年選挙での台頭の延長線上に4年後の今回の勝利があるようにもみえるが、むしろこの4年間こそ、急進左派連合に課題が突きつけられ、またチリにとって激動の4年間となった。確かに、急進左派連合の存在は、選挙における市民の選択肢を増やし、抗議行動で示されてきた意思を政治に組み込む回路となるものであった。しかしながら、急進左派連合が反新自由主義という要求の受け皿となったとしても、急進左派連合だけで政党全般や議会への不信を覆すことは到底困難なことであった。図3は、2009年から2021年にかけての、政党と議会への人々の信頼の変化である。2009年から2011年で急激に低下し、2015年以降は10%を切る水準で低空飛行を続けている。それは急進左派連合がチリの政界に登場してからも変わっていない。左右二大連合という特定の政治勢力に対する不信を超えて、政党全般や議会そのものに対する不信が根深くチリの市民社会に蔓延していることがうかがえる。
(注)信頼の割合は「とても信頼する」、「信頼する」という回答の合計。
(出所)公共研究センター(CEP)の世論調査にもとづき、筆者作成。
2019年のチリ史上最大級の市民の抗議行動であった「社会の暴発」(Estallido Social)は、解消されない代表制の危機が抗議行動という形で爆発的に噴出した出来事であったといえる。「社会の暴発」のなかでは、2010年代に一貫して抗議行動の対象となっていながら、あまり変わらなかった新自由主義的な社会経済システムが批判の対象となり、新自由主義的な国家のあり方を規定する現行憲法に原因を求める声が高まった。その結果、抗議行動の始まりから約1カ月後の11月15日、新憲法制定に向けた政党間合意「社会平和と新憲法のための合意」が結ばれたのである。
ボリッチはこの政党間合意の形成に主導的な役割を果たした。しかし、この政党間合意をめぐって急進左派連合内部で対立が生じ、ボリッチらに反対する複数の左派政党が、急進左派連合から離脱することになったのである。ボリッチらの立場は、左右二大連合政治やその政治が作り出したさまざまな制度を批判しながらも、両連合とも合意形成をしながら、制度的に新憲法制定を実現するべきだという立場である。それに対して、離脱した勢力は、あくまで二大連合との共存を拒否し、二大連合に代表されない人々の意思というものを重視するという立場であった5。
この急進左派連合内部の対立は、わずか数議席しかもたない小さな左派政党同士の小競り合いのようにも思える。しかし、これは代表制の危機のひとつの表れとして、ポピュリズム的な性格をもった左派政党が存在することを示したともみることができる。ポピュリズムとは、左右の違いにかかわらず、腐敗したエリートと汚れなき人民という道徳的な二項対立を作り出し、エリートが支配する代議制では代表されない人民の意思があることを強調する政治スタイルである(ミュデ、ロビラ・カルトワッセル 2018)。この時政党連合から離脱した平等党(Partido Igualdad)が発表した声明から、そうしたポピュリズム的な性格を読み取ることができる。「私たちの大衆的、階級的アイデンティティは、急進的で深い変革を要求する政治プロジェクトを表しており、それは今日、広域戦線内の覇権勢力の制度的な政治プロジェクトと衝突している」「人民が一体となって包囲と不服従を維持し、少数者の特権と多数者の不安定さを持続させる政治的安定に挑戦しなければならない」6。とくに重要なのは、左右二大連合政治のみならずボリッチら広域戦線の主流派さえも制度的とみなし、政治的安定に挑戦しようとする点であろう。それは、こうした左派ポピュリズム政党がどのような形で影響力をもちうるのかにかかわるからである。左派ポピュリズム政党は国政でごくわずかの議席しかもっておらず、多数の議席をもつことで影響力を行使するわけではない(この点では後述のJ.A.カストを中心とする右派ポピュリズム政党とは異なる)。そうではなく、市民の抗議行動こそが真の人民の意思の表れだとして、既存のエリートが存在する代議制の場や制度的なプロセスを否定し、抗議行動などの社会的圧力を活用して政治的不安定さを作り出すという形で影響力をもちうるのである7。
ここからは、急進左派勢力にかぎらず、チリの政治構図全体を捉えつつ、2021年大統領・議会選挙についてみていくことにしよう。表1は、2021年大統領・議会選挙における4つのおもな政党連合に関する情報である。なお、表1に示した4つの政党連合は、図2下部の2021年11-12月大統領・議会選挙の部分に示した4つの政党連合に該当するものであり、ここから示す各連合の説明の際には、適宜図2も参照されたい。
(1)政治構図①急進左派連合
急進左派連合「尊厳承認(Apruebo Dignidad)」は、ボリッチらを中心とし2017年選挙で第三勢力として台頭した政党連合「広域戦線」と、共産党を中心とする政党連合「尊厳あるチリ(Chile Digno)」というふたつの政党連合が合流したものである。共産党は第2次バチェレ政権下(2014〜18年)では政権与党として中道左派連合に加わっていたが、政権交代により野党に下ったのち中道左派連合を離れ、尊厳あるチリを結成した8。しばらく広域戦線と尊厳あるチリは、接近することなく異なる路線を取っていたが、両連合は2021年5月の制憲会議選挙を前に勢力拡大をめざし、「尊厳承認」を結成した9。そして、この枠組みのまま、大統領・議会選挙へも向かうことになった。大統領選挙のための政党連合統一候補を定める予備選挙では広域戦線のボリッチと尊厳あるチリのハドゥエ(Daniel Jadue)との対決となり、ボリッチが勝利して大統領選挙の候補者となった。
(出所)選挙管理委員会(Servicio de Electoral de Chile: Servel)にもとづき、筆者作成。
②中道左派連合
中道左派連合「新社会協定(Nuevo Pacto Social)」は民主化以来20年にわたり政権を担ってきた中道左派連合コンセルタシオン(Concertación)(その後、新多数派(Nueva Mayoría))の流れを汲む連合である。この政党連合の課題は、とりわけ2010年代に入り、社会から反新自由主義の声が高まるなかで、どの程度左派色を強めるのか、自らより左側に位置する政治勢力とどのような距離を取るのかということにあり、この課題ゆえに、政党連合の解体や再編の問題をつねに抱えていた。
2021年5月の制憲会議選挙で結果が伸び悩んだことで、来たる大統領・議会選挙に向けて、中道左派連合にまたしてもその問題が突きつけられた。制憲会議選挙で中道左派連合以上の結果を残した急進左派連合とともに予備選挙を行うことが画策されたものの、結果的には連合内部からの反発もあって失敗に終わった。さらには、中道左派連合単独としても予備選挙の登録に間に合わせることができなかった。その後、非公式の独自の予備選挙を実施し、結果としてはキリスト教民主党のプロボステ(Yasna Provoste)が中道左派連合の候補として大統領選挙に出馬することになった。
③右派連合
右派連合「チレ・ポデモス・マス(Chile Podemos Más)」は、民主化以来の右派連合アリアンサ(その後、チレ・バモス(Chile Vamos))の流れを汲む連合である。右派連合は2018年以来ピニェラ政権(Sebastián Piñera)の与党であったが、中道左派連合にとって左派色の程度が課題であったように、右派連合にとっても右派色の程度が課題となった。その課題は、とりわけ2019年「社会の暴発」以降、ピニェラ政権が行う政策的妥協や新憲法制定に向けたプロセスのなかで浮き彫りになり、右派連合として左派や中道に寄る形で穏健化を進めるべきか、右派としての立場を守るべきかということをめぐって内部対立を抱えていた。
2021年5月の制憲会議選挙では、現行憲法維持派としての右派全体を糾合すべく、すでに右派連合と袂をわかっていた、急進右派の共和党(後述)を組み入れ、ひとつの右派連合として制憲会議選挙に挑むことになった。しかし、制憲会議選挙で惨敗に終わると、共和党は離脱し、元々の右派連合の形で大統領・議会選挙に向かうことになった。予備選挙ではシチェル(Sebastián Sichel)が勝利し、右派連合の候補となった。
④急進右派連合(共和党)
急進右派連合「キリスト教社会戦線(Frente Social Cristiano)」は、J.A.カストが結成した共和党(Partido Republicano)を中心とした連合である。J.A.カストは右派連合を構成する独立民主同盟の議員であったが、2016年に離党し、2019年に共和党を結成した。共和党は、2021年5月の制憲会議選挙は右派連合に組み入れられたものの、選挙で右派連合が惨敗すると、右派連合から再度離脱した。そして、大統領選挙候補としてJ.A.カスト自身が立ち、共和党として独自の選挙戦を行うことにしたのである。
共和党は、チリにとって新しい、右派ポピュリズム政党とみなしうる。共和党(J.A.カスト)の主張には、社会の秩序を重んじる権威主義、移民に対する排外主義、チリの民族的多様性を拒否する単一的な国民主義をイデオロギー的基盤とする、右派ポピュリズムの特徴を読み取ることができる10。こうした共和党が出てきた背景には、既存の右派連合が基本的な方向性としては穏健化を進めてきたことで(Rovira Kaltwasser 2020)、それまで右派連合が代表していた右側に空白が生じたということがあろう。しかしそれ以上に重要なのは、共和党が放つ権威主義、排外主義、単一的な国民主義といったイデオロギーが、近年チリの人々が問題視する国内治安の悪化や移民の増加という課題に直結しているということにある。つまり、既存の右派連合が代表しない急進的な右派の人々の代表というよりも、広範な市民に訴えかけ、真に人々の代表だと主張するための材料が揃っているとも考えることもできるのだ。先述の左派ポピュリズム政党は、代議制の外側から代議制民主主義の正統性を揺るがすのに対して、共和党はむしろ代議制を利用しながら、包摂や他者との共存という民主主義の重要な要素を揺るがす存在であるといえる。
(2)何が争点に?今回の選挙は、争点が特定の課題に集中したわけではなく、争点がみえづらい選挙となった。各候補の政策プログラムは、コロナ禍と制憲会議というふたつの大きな不確定要素をもつなかで、明確な公約というよりもあくまで政策のコンセプトや優先順位を示すものであったと指摘されている11。具体的な課題としての争点はみえにくい一方で、チリに求められる変化の程度やスピードこそが、今回の候補者を分ける、そして有権者の投票行動を分けるひとつのポイントになったと考えられる。それが伺えるのが、選挙前の2021年11月に行われたFeedback社の世論調査での「チリにはどの程度の変化が必要だと思いますか」という質問に対する結果である。図4は、投票予定の候補者別の、この質問に対する回答結果を示したものである。
まずいえるのが、国の物事をそのまま維持するべきだと考えている人はほとんどいないということである。新憲法反対をはじめ、さまざまな既存の制度保守を訴えるカストの支持者であっても、維持するべきだと考えている人がほとんどいないということは重要な点であろう。急速かつ根本的な改革を望む人は左派側の候補者に多く、一部の改革のみを望む人は右派側の候補者に多いということが読み取れる。2019年「社会の暴発」以来、チリは大きく転換しようとしており、その必要性は多くの国民に共有されているが、その程度や速度に対する違いこそが候補者の違いであり、投票先を決定するうえでの重要な基準になったのではないかと考えられる。
(注)「チリにはどの程度の変化が必要だと思いますか」という問いに対する回答結果
(出所)Feedback社の2021年11月世論調査(Informe Eucuesta Feedback 16-19 Novimebre 2021)にもとづき、筆者作成。
表2左側は2021年11月21日に行われた大統領選挙第1回投票結果を示したものである。得票第1位は共和党のJ.A.カスト、第2位が急進左派連合のボリッチとなった。民主化以来これまで政権を担ってきた右派連合(シチェル)12と中道左派連合(プロボステ)は、上位2名からは大きく引き離されて、第4位、第5位にとどまり、決選投票にすら進めない結果となった13。
表3は、同じく11月21日に行われた国会議員選挙(下院)の結果である14。下院においても、旧来の左右二大連合が議席を減らし、新しい政治勢力である急進左派連合と急進右派連合が議席を伸ばす結果となった。まず左派側をみてみると、急進左派連合は、前回の20議席から17議席増やし37議席を獲得した。この17議席増は今回12議席を獲得した共産党が中道左派連合から急進左派連合へ移行してきたことが大きい。急進左派連合の増分に対して、中道左派連合は今回20議席減らして37議席となった15。つぎに右派側をみてみると、右派連合が前回の74議席から19議席を減らして53議席となった。それに対して、急進右派連合は15議席を獲得した。
(出所)選挙管理委員会(Servel)にもとづき、筆者作成。
(出所)選挙管理委員会(Servel)にもとづき、筆者作成。
大統領選挙に話を戻すと、第1回投票を終えて、敗れた候補者がJ.A.カストとボリッチのどちらを支持するのか、敗れた候補者に投票した有権者が決選投票でどちらに票を投じるのか、ということが問題となる。まず左派側は、第1回投票のわずか2日後には、プロボステ(中道左派連合)がボリッチ支持を表明した。ここには、前回大統領選挙の決選投票において広域戦線と中道左派勢力の共闘体制の遅れが右派のピニェラ勝利につながったという反省があったという16。右派側では、シチェルが9項目に及ぶ支持条件を提示したうえで12月2日にJ.A.カストへの支持を表明した17。ボリッチもJ.A.カストも、決選投票では自分達よりも中道側の勢力を取り込む必要があり、ボリッチは当初の政策プログラムで用いていた、変革を生み出す社会的闘争(lucha social)という言葉を使わず、J.A.カストは気候変動やフェミニズムに対する批判的な言説や政策を取り下げるという形で、その主張は穏健化した。ボリッチは変革の程度や速度が強烈ではないことをアピールし、J.A.カストは人々が望む変革を進める意思があることをアピールしたとみることができる。
表2の右側に示したのが、12月19日に実施された大統領選挙決戦投票の結果である。ボリッチが55.9%の得票率で勝利した。第1回投票では15万票の差であったが、第1回投票からJ.A.カストは約170万票の増加、ボリッチは約280万票の増加となり、両者のあいだに大きな差がつく結果となった。J.A.カストを100万票以上も上回る票をボリッチが積み増したことについては、決選投票から投票した人の多くがボリッチに投票したこと、コロナ禍のなかでJ.A.カスト支持率が高い高齢者の投票率が低くボリッチ支持率が高い若年層の投票率が高かったこと、女性票がフェミニズムに無理解なJ.A.カストではなくボリッチに流れたこと、J.A.カストに流れると思われたパリシ投票者の大半がボリッチに投票したことがおもな要因と指摘されている18。
決選投票について特筆すべきは投票率の上昇であり、第1回投票では47.3%であったが、決選投票では55.6%にまで伸びた。これは2010年代以降では最も高い数値であり、50%を超えたのは2009年の選挙以来となる。左右二大連合政治と市民の乖離や投票率の低下がチリの代表制の危機の起点になっているとするならば、今回の選挙で投票率が上昇したことは、むしろ代表制の危機とは反対の方向性である。これを代表制の危機が解消される方向に向かうひとつの兆しとして捉えることもできるだろう。少なくとも、選挙を離れ抗議行動による意思表示を行ってきた若年層が選挙に戻ってきたことは重要である。しかしながら、これで代表制の危機が解消されたということでは決してなく、次節で述べるように、今後のボリッチ政権の課題として残されている。
大統領選挙でボリッチが勝利したとはいえ、議会(表3参照)に目を移すと急進左派連合単独では過半数には遠く及んでいない。そのため、3月の政権発足に向けて、中道右派連合をどのように政権に組み込むのかということが問題となった。中道左派連合の側は、大統領選挙と議会選挙ともに惨敗ともいえる状況のなかで、ここでも左に接近するのか今のままとどまるのかという判断を迫られた。結果的に、中道左派連合は、キリスト教民主党を外す形で、左に接近することを選び、「民主社会主義(Socialismo Democrático)」という連合を結成し、ボリッチ政権に与することになった。
大臣の顔ぶれからは、ラディカルさを抑えつつも変革を進める姿勢を打ち出したことがうかがえる。最も重要なポストである財務大臣に元中央銀行総裁のマルセル(Mario Marcel)を配置し、経済財政政策を堅実に進める姿勢を打ち出して急進的な改革への警戒を解く一方で、側近には共に学生運動時代からの仲間であり下院議員として協力し合ってきたジャクソン(大統領府長官)とバジェホ(Camila Vallejo、内閣官房長官)を起用し、変革を推進することを示した。
(2)ボリッチ政権が立ち向かう新しい課題と代表制の危機Cadem社の世論調査では、ボリッチ政権発足時の支持率は50%、不支持率は20%であり、大きく支持率が上回った。この数値は2014年の第2次バチェレ政権発足時、2018年の第2次ピニェラ政権発足時とほぼ同じ数値であり、過去の政権と大きく変わる船出ではなかった。しかしながら、政権発足からわずか1カ月のあいだに支持率は急落し、4月下旬の時点で支持率36%、不支持率53%と、早くも不支持率が支持率を上回った19。これは過去ふたつの政権にはみられなかった変化である。この支持率下落の背景には、ボリッチ政権が政権発足時から国内治安と制憲会議というこれまでの政権発足時にはない課題に直面しているためと考えられる。
第一に、国内の治安にかかわる問題がある。国内治安を管轄する内務省高官が「少なくとも民主主義が回復して以来、最悪の治安状況」20と述べるほど、麻薬犯罪をはじめとする組織的犯罪により悪化した治安への対処という課題がある。さらに、深刻なのは南部アラウカニア州における一部先住民運動組織の過激化による、国家との暴力的衝突の問題である。確かに、チリにおいてこれまで十分に保障されてこなかった先住民の地位や権利については新憲法を通じて保障する方向に向かってはいるが、現在進行形の課題であり、政権発足時からボリッチ政権に重くのしかかっている。
第二に、制憲会議との関係という課題がある。これは、新自由主義からの転換をさまざまな社会政策分野で実現していくうえで重要な問題となる。社会政策分野で新自由主義から転換し社会権の保障を実現するということは、ボリッチ政権に対して人々が最も期待を寄せるところである21。ボリッチ政権にとって難しいのは、社会権を保障するような政策を十分に実行できるかどうかが、制憲会議と、新憲法草案を承認するか否かの最後の国民投票に依存する部分が大きいという点にある。ボリッチは制憲会議について「チリにとって最も重要なプロセスのひとつだが、私たちの政権のためのプロセスではない」22と述べているが、旧来の1980年憲法が同時期に行われた新自由主義的諸改革の裏づけになったように、実際の改革を行ううえで憲法上の裏づけは極めて重要だといえる。確かに、制憲会議では社会権を保障する国家という形での新憲法草案作りを進めており市民もそれを望んでいる23。しかし、憲法の内容は当然それに限られるわけではなく、社会権以外の広範かつラディカルな変化の方向性ゆえに、新憲法草案全体が国民投票で承認されるかどうかは不透明な状況にある(本稿執筆2022年4月時点)24。ボリッチ政権と制憲会議は運命共同体ではないが、かといって新憲法草案がまとまり国民投票で承認されないかぎり、新自由主義からの転換を政権にとって理想的な形で実現していくことは難しくなるという問題を抱えている。
これらは目下の課題であるが、より中長期的な課題として、ボリッチ政権は今後も代表制の危機に対応していかなければならない。特定の政策や改革が正統性をもち、安定的に実現するためには、その政策や改革を作り行う政府や議会が、自分たちを代表するものであると人々が実感することが必要である。つまり、ボリッチ政権が作る政策や改革の内容が良ければ問題ないということは決してなく、選挙、議会、地方分権などの代表制にかかわる政治制度の側の改革も同時に進めることが重要となる。しかしその改革は、方向性が定まっている新自由主義からの転換以上に難しい課題になると思われる。
さらに、代表制の危機の表れとしてのポピュリズム勢力は依然として存在している。右派ポピュリズム政党は国内治安という市民が重視する課題に訴えている。それらが課題として認識され続け、ボリッチ政権が対応できないとき、右派ポピュリズム政党が人々の意思を真に代表する存在として自らを提示し、人々のあいだに共鳴を生む可能性は否定できない。左派ポピュリズム政党は、ボリッチ政権が改革実行において制度的な手続きや合意形成を、既存エリートとの談合とみなし、市民を積極的に抗議行動へと動員していくことも考えられる。もちろん抗議行動は市民の意思表示として極めて重要だが、左派ポピュリズム政党がそれを煽り、制度を軽視する風潮を作り出すことは、新自由主義からの転換という彼ら自身が望む方向性そのものを危うくしうる。ボリッチ政権は、政治制度上の課題を抱えポピュリズム勢力ともかかわりながら政権運営を進めるという、そして新自由主義からの転換を実現するという難しい挑戦に挑むことになる。
本稿では、代表制の危機という視点から、近年のチリの政治社会変動とボリッチ政権の誕生や課題を読み解いた。投票率の低下と抗議行動の活発化、急進左派連合の誕生と台頭、「社会の暴発」の発生、ポピュリズム勢力の誕生のいずれも、既存の政治に代表されないという不信や不満を表す市民の行動であり、あるいはその不信や不満を活用しようとする政治家の行動として捉えられる。ボリッチ政権に課せられる新自由主義からの転換の実現もまた、今なお続く代表制の危機という課題への取組みにかかっている。
2010年代に市民社会から生まれた新自由主義からの転換をめざす変革のプロジェクトは、ボリッチ政権の誕生によって、ひとつの到達点を迎えたといえる。しかし、実際に変革を実行に移していくスタート地点に立ったばかりとみることもできよう。ボリッチは、2022年3月11日の大統領就任演説で「我々は、遠くに、皆で行くのだから、ゆっくりと行くのだ」と述べた25。チリの変革という遠くへ皆で行くためには、皆で決めた制度を尊重しつつ、少しずつ合意形成を進めることになる。その過程では、遠くに行かなくてよい、皆で行かなくてよい、急ぎ行くべきだ、と訴える勢力が立ちはだかっている。そうした勢力とも共存しながら、目下の課題と代表制の危機を克服した先に、新自由主義からの転換は実現していくことになる。