2023 Volume 40 Issue 1 Pages 41-54
1980年の民政移管後のペルーでは、政党内部や政党間の合意形成が困難な状態であり、とくに2000年以降は、有力候補がその場しのぎの選挙運動を組織したり、あるいはいくつかの政党が選挙戦を有利に戦うため場当たり的に有力候補を招待し、選挙後の党内では、招待した政治家と古参の党員とのあいだであつれきが生まれるといった傾向にあった。このため、政党間はおろか政党内部の合意形成も難しいという状態のまま、定期的に選挙が実施されてきた。そのあいだに蓄積された課題は2018年以降の大統領弾劾発議の頻発へとつながり、2022年12月の大統領弾劾裁判中に、大統領が憲法の規定を無視して国会解散を宣言し、国会が大統領の職務停止を可決した。その後の政権は、この職務停止を「国会によるクーデター」であったと批判する反政府デモに直面し、前倒し選挙の実施を模索するも、前倒し選挙に消極的な政治家とのあいだで合意形成ができないままである。本稿では、過去のペルーでの大統領弾劾を類型化しつつ、2022年12月の弾劾裁判中の出来事や、現在の政権に対するペルー国民の不満について、世論調査結果から明らかにする。
本稿の目的は、2021年7月に大統領に就任したペルーのカスティジョ(Pedro Castillo)が、その1年5カ月後の2022年12月に失職した経緯、その後の政治的迷走の現状、一連の政治的混乱を有権者がどのようにとらえているかについて明らかにすることである。2021年の決選投票でカスティジョ支持を表明した政治家や有権者は、政権発足後にいかに態度を変化させたのか。また、ペルー国民はカスティジョの職務停止後に大統領に昇格したボルアルテ(Dina Boluarte)をどうとらえているのか。過去の弾劾発議も振り返りながら、政党間の合意形成の困難さという構造的な問題を指摘しつつ、ペルーの政治的混乱を分析する。
まず、大統領弾劾に関する先行研究を整理することで、なぜ支持者以外も一定数がカスティジョの職務停止を「国会によるクーデター」と認識しているのか明らかにする。端的にいうと、国会に対する支持率が著しく低かったことと、憲法の細則法で本来なら大統領の弾劾プロセスに含まれるべき大統領の弁論が省かれたことが原因であった。
つづいて、カスティジョ政権発足後の事実関係を整理しつつ、世論調査結果を確認する。2022年12月7日、カスティジョは二度目の弾劾裁判当日に国会解散を宣言したため、国会は大統領の職務を停止した。国会の根拠は、憲法が規定している国会解散の条件を満たしていなかったことである。しかし、およそ半数の国民がこの出来事を「国会によるクーデター」と批判し、総選挙の前倒しを求めている。
本稿は、一連の政治的混乱が起こった構造的な背景として、大統領弾劾という制度自体やペルーの政党システムが抱える課題を指摘し、世論調査結果を提示しながら、ペルー国民がカスティジョの職務停止や今後の総選挙についてどのようにとらえているのかについて考察する。
国会がカスティジョの職務を停止した後、もともとカスティジョを支持していた人々だけでなく、それ以外の人々も含めて半数の国民がこの職務停止を批判した。この背景を確認するため、まず大統領弾劾のプロセスを整理する。大統領制を採用している国の大半において、憲法は大統領に対して不逮捕特権を付与する一方で、大統領の弾劾手続きに関する条文を設けている。このふたつの条文は、任期中の大統領の身分を保証するとともに、不逮捕特権を悪用させないための規定である。弾劾は国会における弾劾発議から始まり、同発議が国会で可決されると、国会で弾劾裁判が実施される。裁判という名のとおり、大統領および弁護士による弁論の機会が与えられ、国会議員たちはその弁論を聞いたうえで職務停止の是非を審議する。採決の結果、規定以上の賛成票であった場合、大統領は職務停止となり、継承者が大統領に昇格する。
ただ、裁判という名前はついているが、裁判所ではなく国会で議員たちによって審議されるため、大統領の罪状の真偽について審議するというより、むしろ政治的な駆け引きが結果に大きな影響をもたらす(Black 1998; Berger 1999; Kada 2003)。こうした側面は、弾劾裁判とは名ばかりの「国会によるクーデター」と批判される所以である1。このため、弾劾が成立すると民主主義が不安定化しがちとの指摘もある(Pérez Liñán 2007:7; Mustapic 2010:24-26)2。
1990年以降、ラテンアメリカ諸国において大統領が任期を全うできない事例は増えているが、国会で裁判のプロセスを経た後に大統領が職務停止となる例は特定の国に偏っている(Kada 2003;磯田 2018)3。そのなかでも突出して件数の多い国が、本稿で取り上げるペルーである。ペルーでは、2000年代以降に多くの弾劾発議がなされた(図1)。ただ、2000年のフジモリ(Alberto Fujimori)および2022年のカスティジョに対する職務停止決議に際しては、大統領や弁護士による弁論の機会は与えられないまま職務停止が可決された点で、その他の弾劾例とは異なっていた。フジモリの場合は本人不在のまま職務停止の手続きが完結し、カスティジョの場合は途中まで弾劾裁判のプロセスを踏みながら、本人の弁論がないまま職務を停止された事例であった。このため、2018年、2020年の弾劾と比較し、2022年を弾劾に分類するか否かは議論が分かれるところである。
(出所)憲法第113条細則第89条4および(Kada 2003:153)の類型をもとに筆者作成。
二院制の場合は、たとえば下院が弾劾裁判の実施を可決した場合、大統領の弁論を考慮したうえで上院が弾劾の可否を採決するというように、院が異なる。しかしペルーは一院制のため、同じ議員が裁判の実施も弾劾の可否も決める。また、ペルーの国会議員の定員は130名であり、弾劾発議のための賛成票が比較的集まりやすいと指摘されている(清水 2023)。しかしそれ以外にも、ペルーだけ突出して弾劾発議が多い理由として、構造的な問題も考えられる。
(2) 政党という構造的な課題ペルーでは民政移管後から政党自体が脆弱であり続け、とくに2000年代からは「政党なき民主主義」(Democracia sin partidos)と表現されるほど、政党は弱い存在である(Tanaka 2005; Levitsky 2018)。代表制民主主義において、政党は国家と市民社会をつなぐ仲介役であり、市民社会に存在する多様な要望を調整し、党選出の国会議員を通じて政策決定に反映させることが求められてきた。同時に、選挙時には候補者をリクルートし、選挙戦で必要とされる人的あるいは金銭的な支援を提供する存在でもある(Borchert 2011)。こうした役割を担う政党が極めて弱体化しているペルーでは、市民の多様な意見を調整する政治アクターが不在のまま、こうした意見の大半は放置されてきた。
多くのラテンアメリカ諸国では、参加型予算に代表されるような参加型民主主義が発達し、多様な市民社会の要望を政府に伝達する制度が構築されている(Cameron, Hershberg and Shape 2012)。また、SNSの普及によって、候補者は政党に頼らず独自に選挙運動を展開できるようになった。しかし、政党の重要な役割である意見調整を担うことはできない(Sanchez-Shibony 2022)。政党が機能しない場合、上述したような多様な意見は調整されないままとなり、政策決定に反映されないため市民の不満も解消されない。
1980年の民政移管後のペルーでは、いずれの政党も連続して得票率を維持できず、次の選挙では事実上消滅していった。例外は1980年代の4大政党であり、政党間で最低限の合意形成が目指された(Tanaka 1998)。しかし、各党は左翼ゲリラや経済危機に有効な対策を講じずに勢力を低下させ、左派勢力は分裂した。この間隙をついて出てきたのが、政治経験を有さず、選挙のたびに政治運動を作り替えたA・フジモリであった。フジモリ政権(1990~2000年)時代に4大政党は著しく支持を失い、政党システムはほとんど機能しなくなった(村上 2004)。しかし特筆すべきことは、4大政党を衰退に追いやったと批判されるフジモリ政権が終焉した後も、政党システムが再建されなかったことである(Tanaka y Vera Rojas 2010)。2000年以降も次々と出現する大統領候補が選挙のために政治運動を組織し、当選した場合でも次の選挙ではほとんど票を獲得できないまま弱体化していく傾向は続いた。
政党が機能しないまま定期的な総選挙を続けてきたペルーでは、有力な候補者は政党に属さない独立系の政治家であり、選挙管理委員会に政党登録済みの政党内部には有力な候補者は見当たらない状態が続いた。これは「政党なき候補者、候補者なき政党」と表現されている(Taylor 2007)。そこで、各党は有力と噂される独立系の候補者を勧誘し、政権政党の座を狙う。一方で、選挙制度の規定によりいずれかの政党に所属しなければ立候補できない独立系の候補者は、立候補要件を満たすため、有力な候補者が不在という政党に入党する。その際、政治信条などはさほど関係なく、利害関係の一致のみで候補者と政党が協力する事例も多い。その結果、選挙後に協力の必要がなくなると、古参の党員と独立系の候補者とのあいだで溝が埋まれ、党内の一体性が損なわれる場合が多々ある。2021年総選挙を経て大統領に就任したカスティジョが所属政党を離党したことは、こうした背景からきている。また、2020年に弾劾が成立したビスカラも、もともと招待された候補者であったため、まるで無所属の政治家のようであった。
以下では、ペルー憲法の規定を確認しつつ、なぜ国会がカスティジョの行為を憲法違反ととらえているのに、ほぼ半数の国民が国会の決定を「クーデター」と断罪しているのか明らかにする。
(3) 大統領弾劾および国会解散に関する憲法の規定カスティジョが宣言した国会解散について、憲法第134条は以下のように規定している。国会が同じ政権期間に、首相が提出した信任決議を二度否決した場合、大統領は直ちに国会を解散し、4カ月以内に臨時国会議員選挙を実施する。また、この規定以外に国会を解散する手段は存在しない(磯田 2020)。カスティジョが国会解散を宣言する1カ月前の2022年11月、国会はトレス(Aníbal Torres)首相が提出した信任決議を否決した5。これがカスティジョ政権期間における唯一の否決であり、国会は信任決議を二度否決していない。憲法第117条は、第134条で認められた以外に大統領が国会を解散しようとした場合、大統領は職務停止となり、不逮捕特権を失うと規定している6。このため、国会は大統領の国会解散宣言を明白な憲法違反と受け止め、大統領に弁論の機会を与えずに職務停止を可決した。主要メディアも国会解散宣言を「カスティジョによるクーデター未遂」と報じた。
しかし、世論調査によれば、国民の半数が大統領の職務停止を「国会によるクーデター」と受け止めている(表1)。その根拠は、カスティジョが武力を行使しなかったことと、国会が大統領の職務停止を採決する前に、弾劾プロセスを規定した憲法の細則に違反したことである7。その細則とは憲法第113条細則89条を指し、国会が弾劾の可否を採決する前に、大統領および弁護士に対して60分以内の弁論の機会を保障し、規定を満たさず採決に至る場合は議員定数4/5(104名)以上の賛成が必要であると定めている。しかし、国会は大統領に弁論の機会を与えず、4/5以上の賛成も確認せず、大統領の職務停止を可決した。
では、先にカスティジョが憲法第117条および第134条に違反したにもかかわらず、国民の半数はなぜ国会を批判しているのであろうか。以下でカスティジョ、ボルアルテ、そして国会に対するそれぞれの支持率から考察する。
(出所)Ipsosのデータをもとに筆者作成。
カスティジョ政権は、政権誕生前から波乱万丈であった。まず一次投票の段階から複数の大統領候補のあいだで票が割れ、従来の一次投票であれば決選投票にさえ進めない18.9%という低い得票率で首位通過を果たした。決選投票では、2011年以降の反フジモリ派の合言葉である「フジモリ(Keiko Fujimori)以外なら誰でも」という消極的な票も含めた50.1%で当選した(磯田 2021)。決選投票の得票率を見ると過半数に達しているが、二者択一の決選投票では消極的な票も多いため、一次投票の18.9%が実際の支持者の実態に近いと思われる。しかも投票を棄権した割合が30%であったことを考慮に入れると、熱心な支持者は有権者人口全体の18%より少ないと考えるのが妥当であろう。
世論調査結果を見ても、カスティジョに対する支持率は政権発足後から38%と低く、不支持率が支持率を上回っていた(図2)。自身の支持基盤であったはずの地方ですら支持率は下降を続け、職務を停止される前の2022年11月には南部ですら不支持率が支持率を上回っていた。辛うじて支持率が不支持率を上回っていたのは農村部であったが、そこでも不支持率と拮抗していた(表2)。支持率低下の要因として、カスティジョが選挙公約の実現に向けて具体的に取り組まなかったことが考えられる。たとえば、新憲法の制定は一部の左派系の国会議員やその支持者の悲願であったため、新憲法を望む人々は制憲議会を発足できないカスティジョに対し失望した可能性が高い。また、1990年以降の経済政策の恩恵を感じられなかった人々は、経済政策の転換を求めていたものの、カスティジョが取り組んだ「第二の農地改革(Segunda Reforma Agraria)」の中身が期待外れであったことなども影響し、カスティジョから離れていったと推察することが可能である。
支持者離れに加えて、もともと招待された候補者に過ぎなかったカスティジョは、所属していたペルー自由党(Perú Libre)内での基盤が弱く、党内で孤立し始めた。ペルー自由党は政権発足時こそ第一党であったが、党内にはカスティジョに近い同郷出身者や教員組合出身者と、党首のセロン(Vladimir Cerrón)の側近とに分かれ、離党する議員が後を絶たなかった。とくに、後ろ盾であったセロンとの関係に暗雲が立ち込め、カスティジョがセロンの勧告を受け入れて2022年6月に所属政党を離党したことは、カスティジョの国会内での立場を危うくした。もともとセロンの代わりに大統領候補になったことから、離党はセロン派の議員たちの支持を失うことを意味した。また、主要メディアが首相や大臣の汚職疑惑を含むさまざまな問題を報じたことで、カスティジョは短期間で次々と閣僚を交代させた(清水 2023)。所属政党や支持者からの協力を得られないまま、政権成立直後からカスティジョに対する支持率は下降し始めた。
(出所)ペルー問題研究所(IEP)のデータをもとに筆者作成。
(出所)ペルー問題研究所のデータをもとに筆者作成。
カスティジョが支持基盤を失いつつあるなかで、2021年12月には就任からわずか5カ月という異例のスピードで、保守系の国会議員たちが国会に弾劾を発議した。しかし、複数の左派系の議員はカスティジョの続投で合意したため、発議賛成は46票にとどまり、弾劾裁判は実施されなかった。その後、2022年3月には裁判が行われたが、弾劾賛成は52票にとどまり、カスティジョは弾劾を回避した。第一党をK・フジモリが率いる人民勢力(Fuerza Popular)党に譲った後も、辛うじて政権の座に留まり続けた。
国会が弾劾に消極的であった理由は、大統領継承権をもつ副大統領のボルアルテも罷免される恐れがあったからである。憲法第126条は、大臣に対し民間団体などでの役職の兼務を禁止している。しかしボルアルテは、副大統領および開発社会包摂大臣就任後も、出身地の民間団体であるアプリマック・クラブの代表を兼務した疑惑を抱え、一部議員が国会にボルアルテの憲法違反について審議するよう要求していた8。第二副大統領がもともと不在であったため、カスティジョとボルアルテ双方が職務停止となった場合は、1年以内に大統領選挙のやり直しとなる。しかし争点は、大統領選挙だけでなく国会議員選挙もやり直すか否かであった。もし国会議員選挙もやり直す場合、連続出馬が禁止されている国会議員たちは任期を全うできず、次の国会にも出馬できない9。このため、国会議員たちはカスティジョの続投を望んだと推察することが可能である。
薄氷を踏むような政権運営に直面しても、国会が身動きできない状態はカスティジョにとって追い風となっていた。膠着状態が変化したのは、2022年10月にベナビデス(Patricia Benavides)国家検察庁長官がカスティジョの汚職を国家に対する反逆と断罪し、違憲提訴したことであった10。その勢いに乗じて大統領の職務停止を模索する反カスティジョ派は、同年12月に二度目の弾劾裁判の実施にこぎつけたが、弾劾成立の可能性は低いとみられていた。
政治的局面が急展開を迎えたのは、12月7日の弾劾裁判の当日であった。自身の弁論の直前に記者会見を開いたカスティジョは、国会閉鎖、戒厳令、憲法改正のための制憲議会の招集を発表したのである。この発表後、国会はカスティジョの弁論を聞くことなく、直ちに大統領罷免決議を101票で可決し、カスティジョを拘束した。前述したように、国会は憲法第113条細則89条の規定の一部を省略したまま採決へと進み、大統領の職務停止を決めたことになる。国会にとっては、先にカスティジョが憲法に違反したため、当然の措置と見なされた。しかし、国会を支持しない人々は、国会がボルアルテと結託してカスティジョを追い出したと判断したため、カスティジョの行為を支持する人が過半数近くいた(表3)。
(出所)ペルー問題研究所のデータをもとに筆者作成。
写真 ペルー訪問中の米州機構代表団との会談を終えたカスティジョ(左から2番目)とボルアルテ(中央)(2022年11月21日 ペルー・リマ市 AP/アフロ)。
憲法第115条の規定に則って第一副大統領から大統領に昇格したボルアルテは、2018年の首都のスルキージョ区長選および2020年の臨時国会議員選挙にペルー自由党から出馬し、いずれも落選した経歴をもつ無名の政治家であった。2021年大統領選挙を経て第一副大統領に就任し、カスティジョの職務停止により大統領に昇格した。また、ペルー自由党の党員でありながら、副大統領就任後に党を批判する趣旨の発言をしたことで、党首のセロンを激怒させた11。2022年1月に除名された際も党の方針に反対する発言を繰り返し、それ以降はいずれの政党にも属していない人物である。
ボルアルテは2021年に大統領として当選したわけではなかったため、就任当初から総選挙の前倒しを求める抗議活動にさらされた。総選挙の前倒しについて言及したのが大統領就任演説の数日後だったこともあり、ボルアルテが憲法の規定に従い、カスティジョが残した任期を全うするのではないかという疑念が高まったことも、抗議活動の拡大に拍車をかけた。このため、カスティジョの復権を求める熱心な支持者に加え、カスティジョの職務停止を「国会によるクーデター」ととらえた人々から即時の辞任と総選挙の実施を強く求められた。とくに農村部や南部では、カスティジョによる国会閉鎖を支持する意見が反対を上回っており、地域別で意見が異なっていた(表3)。
そもそも憲法第115条の規定に従えば、ボルアルテはカスティジョが残した任期を全うするはずである。2018年3月にクチンスキが弾劾された後、大統領に昇格したビスカラに対しては、何の批判もなくクチンスキが残した任期を全うするものだと思われていた。しかしビスカラと異なり、ボルアルテは就任当時から支持率が17%と低く、罷免時に31%の支持率であったカスティジョよりさらに低い状態での政権開始となった(図3)。カスティジョは政権発足以降も農村部を含む地方を支持基盤としていたが、ボルアルテは農村部を中心にペルー全土ではほぼ支持されておらず、首都ですら低い支持率である(表4)。このため、前倒し選挙を求める抗議活動が活発になったと推察される。
(出所)ペルー問題研究所のデータをもとに筆者作成。
(出所)ペルー問題研究所のデータをもとに筆者作成。
抗議活動の活発化の一因として、カスティジョの罷免を「国会によるクーデター」と感じた国民の存在も考えられる。2023年3月に実施された世論調査によれば、首都ではカスティジョによるクーデターと受け止める意見が多い一方で、首都以外では国会によるクーデターと受け止める意見が多かった(表1)。これは、とくに農村部でカスティジョに対する支持が拮抗していた一方で、国会に対する支持率がペルー全土において極めて低かったことと関係しているようである(表5)。首都ではカスティジョも国会も双方を支持していない人々が多く存在したため、カスティジョが先に憲法に違反したことをより重視していた反面、農村部ではカスティジョの支持者も一定数存在したため、このような結果になったことが推察される。
ペルーでは通常から国会に対する支持率は低く、とくにカスティジョを罷免する4カ月前の2022年8月には、8%という2021年の国会発足以降最も低い支持率となった。カスティジョ罷免時には国会に対する支持率はわずか15%であり、カスティジョの31%より低かった(図4)。カスティジョ罷免の後に激化した南部における抗議活動に、カスティジョの支持者だけでなく反カスティジョ派の人々も加わった背景には、こうした国会に対する低い支持率があったと考えられる。一部では、違法採掘者や違法木材伐採者などによる検察局の焼き討ちも行われたが、抗議活動のおもな主張は、総選挙の前倒しにより現職の大統領および国会議員全員を失職させることであった(表6)。
(出所)ペルー問題研究所のデータをもとに筆者作成。
(出所)ペルー問題研究所のデータをもとに筆者作成。
デモ隊は、2022年12月から2023年1月にかけて、ペルー南部を中心に空港や幹線道路を封鎖し、全土の物流をストップさせた。ボルアルテは抗議活動について、左翼ゲリラや犯罪者が騒乱を起こしていると断罪し、厳しく取り締まった。その結果、2カ月の間に少なくとも66名の死者と多数の負傷者を出し、「ボルアルテは人殺し」と厳しく批判されるようになった12。アングロ(Pedro Angulo)首相が「デモ隊に対しスペイン語で動くなと警告したにもかかわらず動いたから撃った」13と発言したり、ボルアルテ自身が外国人記者クラブで「プノ14はペルーではない」と述べたりしたことも火に油を注いだ。そこでボルアルテは、複数回にわたって総選挙の前倒しの審議を国会に促す発言をすることで、自身に対する批判を交わそうとし、2023年1月31日には2023年12月に総選挙を前倒しするための法案を国会に提出した。
(出所)Ipsosのデータをもとに筆者作成。
ボルアルテが総選挙を前倒しするためには、国会が選挙日程を早めるための憲法改正案を可決しなければならず、本会議での審議前に憲法小委員会が憲法改正案を可決する必要がある。政府関係者や国会議員たちは、前倒し選挙の日程や選挙改革の内容を含めさまざまな意見15を表明したものの、3月22日に憲法小委員会は憲法改正案を否決し、本会議で審議しないこととなった。その際、同委員会で委員長を務めるフジモリ派のゲレラ(Hernando Guerra)は、国会議員のあいだで合意が形成されていないことを理由に、6月までの会期中に総選挙の前倒しについて再審議する予定はないと発言した。同時に、選挙の前倒しについて審議する前に、一院制から二院制に変更するなどの政治改革を優先すべきであると主張した。つまり、二院制に移行すれば、上院あるいは下院のどちらか一方の議員として現職議員も立候補でき、現行の再選制限の抜け道となることが考えられる。このため、失職を恐れる議員達の不安を取り除くことが可能である。選挙の前倒しを実現するためには国会の賛成が必要なため、早期の実現を求めるデモ隊との対立は平行線をたどっている。
ボルアルテ政権によるデモ隊の取締まりは、一般市民だけでなく国会議員からも批判され、左派系の議員が国会に大統領の弾劾を発議した。しかし、2023年4月の採決で発議賛成が37票にとどまり、裁判は実施されなかった。その背景として、政治的駆け引きのほかに自然災害の発生があった。エル・ニーニョ現象によりもともと降雨量が増加していたことに加え、2023年3月にサイクロン「ヤク」がペルー海岸部を襲った。このサイクロンによる死者は84人を数え、4万7千人を超える被災者を出した16。とくに被害が大きかったのは北部の海岸部であり、同時に首都近郊にも被害をもたらした。多くの国会議員は、自然災害の対応のため大統領を交代させる時期ではないと判断し、ボルアルテ政権の延命につながった17。
ペルーにおける政治的混乱は出口を見いだせないまま、国会議員の思惑と自然災害の影響が重なり、膠着状態が続いている。まず、国会議員たちが前倒し選挙に出馬できるよう政治改革を実施しなければ、国会が選挙の前倒しのための憲法改正案を可決する可能性は低いと考えられる。しかし、汚職撲滅のため2018年12月に国会議員の連続再選を制限していることもあり、国会議員たちにとって都合のよい政治改革を優先すれば、国民が国会をさらに批判することが予想される。つぎに、左派系の議員たちは制憲議会の発足を強く主張しているものの、保守系の議員たちは制憲議会の発足に否定的であるため、双方のあいだでの合意形成は難しい。
たとえ次の国会会期内に選挙の前倒し法案が可決されたとしても、本選挙前にプライマリー選挙などの実施期間が必要なため、2024年4月に総選挙を実施する案も危ぶまれる。デモ隊の要求は即時の前倒し選挙のため、現在落ち着いているデモの再燃も警戒される。
仮に選挙が前倒しとなったとしても、次期国会でもこれまで同様の小党乱立は避けられず、次期大統領も厳しい国会運営に直面するであろう。ペルーにおける政党システムは1980年の民政移管後も脆弱な状態が続き、各党では党員の離党が相次ぐなど、政党の帰属意識を欠く事例が多い。このため、大統領の所属政党が第一党となったとしても過半数に届くのは厳しく、選挙後に離党が相次げばカスティジョ同様、第一党の座を失う可能性が高い。今後もペルーの政治的混乱は続くことが予想される。
(2023年6月13日脱稿)