2025 Volume 42 Issue 1 Pages 1-16
メキシコでは2024年6月2日に大統領選挙と上下両院の連邦議会議員選挙が実施され、AMLO率いる与党連合が圧勝した。圧勝の要因の一つに挙げられるのが、AMLO政権が力を入れた福祉の拡充である。本稿ではAMLO政権の福祉政策の特徴とその財政的裏付けについて検討する。それによって、福祉政策が貧困層をターゲットとした条件付現金給付から普遍主義的な現金給付に変化したこと、さらに、予算配分が高齢者福祉年金の支給に偏り、財政支出が急増していることから、持続可能性に懸念があることを明らかにする。
Mexico held elections of president and members of Congress for both the upper and lower houses on June 2, 2024, and the ruling coalition led by AMLO won an overwhelming victory. One of the factors that contributed to their victory was the improvement of social welfare that the AMLO administration had dealt with. This paper examines the characteristics of the AMLO administration's welfare policies and their budgetary basis. It shows that welfare policy has shifted from conditional cash transfers targeted at the poor to universal cash transfers, and that there are concerns about sustainability because budget allocations are skewed toward the provision of universal pensions for the elderly, which has led to a sharp increase in fiscal expenditure
2024年6月2日のメキシコ大統領選挙では、前大統領ロペス・オブラドール(López Obrador)1の後継者シェインバウム(Claudia Sheinbaum)が、60%という高得票率で当選した。また連邦議会議員選挙では、国民再生運動(Movimiento de Regeneración Nacional: Morena)・緑の党・労働党の与党連合が、下院で憲法改正に必要な全議席の3分の2以上を、上院でわずかに3議席足りない議席数を獲得した。AMLOは過去にたびたび最高裁の違憲判決によって改革の実現を阻まれてきた。憲法改正の可能性が開けたことで、政権が掲げる「第4の変革」(Cuarta Transformación)が大きく前進することとなった。
与党連合圧勝の要因の一つと考えられるのが、AMLO政権の福祉政策である。現地有力紙「エル・フィナンシエロ」(El Financiero)によれば、選挙直前の5月時点で、政権への支持率は61%と高かったが、政策評価では経済、治安、汚職、社会的支援の4分野のなかで高く評価されたのは、社会的支援のみだった2。
写真 選挙当日、メキシコ市のソカロ広場でMorena大統領候補シェインバウムと大統領AMLOの写真を掲げる支持者たち。シェインバウムの当選は、投票所出口調査で確実となっていた。(2024年6月2日 AFP/アフロ)。
メキシコの福祉政策で念頭に浮かぶのは、新自由主義改革期に導入され国際的に高く評価された貧困層をターゲットにした「条件付現金給付」(Conditional Cash Transfer: CCT)プログラムである(Diaz-Cayeros and Magaloni 2009)。しかしAMLO政権はCCTを否定し、福祉政策を全面的に改変した。本稿の課題は、AMLO政権の福祉政策の特徴と財政的裏付けを探り、その持続可能性を検討することにある。
本稿の構成は次のとおりである。第1節では、AMLO政権の福祉政策のねらいとプログラムを検討する。第2節では、福祉政策の中核をなす社会的弱者支援の実施状況を予算面から検討する。第3節では福祉政策の財源を検討し、持続可能性について考察する。最後にAMLO政権の福祉政策の特徴を総括し、むすびにかえる。
本節ではAMLO政権の経済社会政策の指針である『国家開発計画2019~24』3(以下『開発計画』)によって、福祉政策の特徴を探りたい。
(1)「第4の変革」における福祉政策の位置付け
「第4の変革」とは、過去の三大変革(1810~21年の独立戦争、1858~61年のレフォルマ4、1910~17年のメキシコ革命)に並ぶ第4の歴史的変革をめざすという、AMLOの政権ビジョンといえる5。過去の三大変革はそれぞれに先立つ旧体制(植民地体制、教会・保守派の支配、ディアス独裁体制)の変革を実現したが、AMLOが変革の標的にしたのは、30年余り続いた新自由主義体制だった。
『開発計画』は冒頭、メキシコ革命後の歴史を1970年代までの安定成長期と1980年代以降の新自由主義期に二分し、安定成長期末期の危機への対応として始まった新自由主義改革が、危機の克服どころか、その常態化と深化を招いたと指摘する。そして新自由主義に終止符を打つために、この文書を、1917年憲法がうたう社会協約に立ち戻り、ポスト新自由主義の経済開発モデルを構築するための指針とすると表明している。
『開発計画』がめざすのは新自由主義改革が深刻化させた貧困、格差、汚職、麻薬犯罪や暴力などさまざまな社会問題の克服であり、そのために社会政策が大きな比重を占める。とりわけ福祉の拡充は社会政策の柱となっている。その際に重視するのは、貧しい人々を優先的に支援するという点で、そのことは列記する数々のスローガンのなかの「皆のため、まずは貧しい人々のため」(Por el bien de todos, primeros los pobres)という言葉に表れている。貧しい人々を優先した点ではCCTも同様であるが、新自由主義の福祉政策を、国が福祉の機会の管理人となって、限られた人々にのみ条件付きで福祉を提供してきたと批判する。福祉は国民の権利であり、今後は、国は福祉の保証人となると表明する。それでは具体的にどのような政策を提起したのか。
(2)おもな社会プログラム
表1は『開発計画』に社会政策として示された9つのプログラムの名称、支援形態、支援対象者の資格要件を示している6。①「高齢者福祉プログラム」は老齢年金で、後に「高齢者福祉年金」と改称された。②は名前のとおり障害者への年金、③「ベニト・ファレス7福祉奨学金」は貧困家庭の子供を対象にした奨学金である。④「未来を築く若者たち」は未就学・未就業の若者、いわゆるニートへの支援、⑤「未来を綴る若者たち」は貧困家庭の高等教育継続困難者への支援、⑥「命を播く」は僻地の貧困農家への支援、⑦は地震被災地のインフラ・住宅の復旧、⑧は指定地域の公共施設・住宅の整備、⑨「福祉講」は零細事業者への少額融資である。プログラムの特徴として2点を指摘できる。第1に支援対象が高齢者、障害者、貧困家庭の子供、ニート、貧困家庭の高等教育継続困難者、僻地の零細農家、震災被災者、零細事業者など、いわゆる社会的弱者であることである。第2に支援形態が年金(①②)、奨学金(③④⑤)、事業資金(⑥)の名目での返済義務のない現金給付が主であることである。⑨は融資なので返済義務を伴う。
(出所)『国家開発計画2019~24』をもとに筆者作成。
2024年までの社会政策プログラムの変化の有無を、メキシコ政府が作成した2024年の文書8を用いて探ると、2024年の文書には13のプログラムが提示されており、このうち7件が表1にあるもの(①②③④⑤⑥⑨)、6件が『開発計画』発表後に新しく加わったものである。件数は増えたが、予算配分をみると、『開発計画』のプログラムに予算が集中しており、福祉の枠組みは予算上大きく変化していない。注目されるのは福祉省が所管する2つのプログラム(①②)に社会政策プログラム予算の66.1%が集中し、とくに①「高齢者福祉年金」の比率が全体の62.4%をも占める点である。そこで次節では福祉省が所管するプログラム(①②⑥)に焦点を当てて、社会的弱者支援の2023年までの予算の執行状況をより詳細に検討する。
(1)福祉省の支援実績
2023年の福祉省の執行予算額は4126億ペソ9(およそ244億ドル)に上った。このうちの80%を高齢者福祉年金の執行予算が占めた10。障害者福祉年金、「命を播く」はそれぞれ5%、8%を占めるに過ぎない。高齢者福祉年金の比率が高い理由は、第1に受給者数が他のプログラムと比較して桁違いに多いことにある。
(出所)福祉省のホームページをもとに筆者作成(2024年12月5日閲覧)。
表2は3つのプログラムの受給者数(2023年)と一人当たりの受給額(2019~24年)を示している。高齢者福祉年金の受給者数は障害者福祉年金の10倍に近い。高齢者福祉年金の受給資格は、『開発計画』では先住民とアフロ・メキシコ系住民は65歳以上、それ以外は68歳以上であったのが、2021年に一律65歳以上に引き下げられた。
高齢者福祉年金の比率が高い第2の理由は、受給額の引き上げ幅が他の2つのプログラムと比較して大きいことにある。2020年から2024年の増加率は障害者福祉年金が15%であるのに対し、高齢者福祉年金は129%にも上った。
図1は2018年から2023年の3プログラムの予算執行額の推移を示しているが、高齢者福祉年金が一貫して予算執行額を増加させているのに対し、他の2つのプログラムは大きく変化していない。第3節でみるように、福祉省は省庁のなかで6年間に予算を大幅に増やした省である。その福祉省の予算のなかで比率を増やしたということは、他官庁所管のプログラムも含めた社会政策プログラム予算全体のなかでも比率を増やしたということになる。ちなみに筆者の試算では、高齢者福祉年金の予算執行額が社会政策プログラム予算執行額全体に占める比率は、2019年38.8%、2020年41.2%、2021年44.4%、2022年54.7%、2023年55.3%、そして2024年は前述のように62.4%へと急上昇した11。
(出所)財務公債省のホームページをもとに筆者作成(2024年12月5日閲覧)。
2018年以前にも無拠出型の老齢年金が3種類存在した。1つはAMLO市政期(2000~06年)のメキシコ市で2003年から施行された食糧費を名目にした70歳以上(後に68歳以上)を対象とする年金である。残る2つはカルデロン政権(Felipe Calderón, 2006~12年)が導入した、家族が貧困削減プログラムに登録する70歳以上の高齢者への年金と、農村地域に居住する70歳以上を対象とする年金であった。後者は貧困削減プログラムの老齢年金受給者や拠出型年金の加入者には申請資格がなかった(Valencia Lomelí et al. 2012: 17-18)。メキシコ市と連邦政府で無拠出型年金が相次いで導入されたのは、AMLOとカルデロンが社会政策で競い合ったためと指摘されている(Franco Parrillat y Canela Gamboa 2016: 167)。3つの年金制度は2019年に高齢者福祉年金に一本化された12。
福祉予算が老齢年金へと集中する現象は、AMLO市政期のメキシコ市でもみられた。サンチェス・イ・サンチェス(Sánchez y Sánchez 2016: 56)によれば、第1節で述べた『開発計画』のスローガンの一つ「皆のため、まずは貧しい人々のため」は、AMLOがメキシコ市長選キャンペーンで用いたものだった。国民再生運動結成前の民主革命党(Partido de la Revolución Democrática: PRD)下のAMLO市政は、貧困の克服を目標とする社会プログラムを政策の中軸とした。そのなかで比重を高めたのが直接的経済支援で、2001年に社会プログラムの支出の36%であったのが2002年60%、2006年には80%にまで上昇した。なかでも高齢者への支援は、6年間合計で直接的経済支援の78%に上った。AMLO大統領時代の社会プログラムは、その運用法も含めて、メキシコ市長時代の社会プログラムが原型であったといえる13。
(2)国民への給付金の分配状況
次に福祉給付金が国民各層へどう分配されたかについて検討したい。資料として用いるのは、国立統計地理院(Instituto Nacional de Estadística y Geografía: INEGI)が2年ごとに実施する『全国家計収入支出アンケート調査』14(以下『家計調査』)である。『家計調査』データの経常収入項目のなかに、家計構成員が受け取る貨幣収入で、贈与あるいは供与者が報酬を要求しない収入をまとめた「移転」項目がある。「移転」はさらに7つの細目に分類されているが、そのうちのひとつに「政府プログラムからの給付金」がある。政府プログラムの具体名はアンケート調査の質問票によって知ることができる15。2020年、2022年の質問票には表1の①②③⑤⑥が並ぶ。これまでに述べたように、社会プログラムのなかで予算額が破格に大きいのが①高齢者福祉年金である16。つまり2020年、2022年の分配の動向を大きく左右しているのが高齢者福祉年金であるという点を念頭において、給付金の分配先を検討したい。
図2、図3は、2016年、2018年、2020年、2022年の「政府プログラムからの給付」を受けた世帯数とその金額の十分位階級17ごとの合計を図示したものである。2016年と2018年はペニャ・ニエト政権期(Peña Nieto, 2012~18年)、2020年と2022年はAMLO政権期に該当する。図2は世帯数を、図3は給付額(3カ月毎の合計の年間平均)を示している。
図2は、受給世帯数はいずれの年も上位階級になるほど減少するが、AMLO政権期の方がペニャ・ニエト政権期より減少カーブが緩やかであることを示している。注目されるのはAMLO政権期には最も貧しい第I階級の給付世帯数がペニャ・ニエト政権期より減少したのに対し、第9階級、第10階級では増加したことである。
給付金の分配を示す図3では、AMLO政権期の給付額の減少カーブの傾きは、世帯数のカーブ以上に緩やかになっている。
(出所)国立統計地理院『家計調査』各年をもとに筆者作成。
(出所)国立統計地理院『家計調査』各年をもとに筆者作成。
ペニャ・ニエト政権期とAMLO政権期で分配に違いが生じる理由は、支給基準が、AMLO政権の高齢者福祉年金の場合は年齢のみなのに対し、ペニャ・ニエト政権のそれはカルデロン政権期と同じく、年齢に加え居住地域や、拠出型年金未加入者に限るなど、より多くの条件が付けられていたためである。加えてAMLO政権期に旧来の貧困削減プログラムが打ち切られたことも、最貧困階級の給付世帯減少を引き起こした可能性がある。図3の2016年・2018年から2020年・2022年への傾きの変化は、福祉政策が貧困層をターゲットとしたCCTから普遍主義的な現金給付に変化したことを反映するものといえる。
前掲表2に示すように、高齢者福祉年金の支給額は、2020年に月額1310ペソ、2022年には月額1925ペソであった。一方受給年齢は2021年に68歳から65歳に引き下げられた。図3の受給額の分配カーブが2020年から2022年に上方にシフトしたのは、これらの支給条件の変化を反映していると考えられる。2024年に支給額はさらに月額3000ペソに引き上げられたため、2024年『家計調査』では分配カーブはさらに上方にシフトすると予想される。
ウィルモア(Wilmore 2007: 46)は世界の9カ国・1都市の無拠出型老齢年金を比較分析した研究のなかで、制度が抱える最大の問題として、財源確保の難しさを挙げている。以上にみたような貧富を問わない国民各層への短期間の給付の拡大を、財政はどのように支えているのだろうか。次節で検討したい。
(1)社会プログラムをめぐる財政方針とその運営実態
『開発計画』には財政方針として次の3点が明記されている。第1に収入以上に支出しない。つまり基礎的財政収支を黒字に保つということである。第2に社会プログラムの財源は、汚職の取り締まりや浪費の削減などで捻出した資金を充てる。第3に増税は行わず、納税回避の取り締まりを強化し、これまで慣習的に大口納税者に認めてきた免税特権やその他の便宜供与をやめ、課税収入を上げる。言い換えれば、節約により歳出を減らし、徴税強化により歳入を増やし、社会プログラムはその差額で賄うということになる。方針どおりに財政は運営されたのだろうか。
まず課税収入を上げるという点について。表3に2018年から2023年の公的部門の歳入の推移を示した。課税収入について検討する前に、まず歳入構造の変化について述べておきたい。メキシコの公的部門の歳入の特徴は、石油収入が大きな比重を占めることである。坂口(2019: 173)によればメキシコ石油公社PEMEXは長年財政収入の3~4割を担ってきた。しかし最大油田の枯渇と新油田開発の停滞により生産量は減少し、2010年に日産258万バレルあったものが、2019年以降は日産160万バレル前後で低迷している18。その結果、石油収入は、新油田開発が進まないかぎりは、原油価格の騰落の影響を受けながら19、中長期的に減少していくと予想される。税収を上げることは、社会プログラムのための安定財源の確保のみならず、石油収入の減少を補うという意味からも喫緊の課題といえる。
(注)* PEMEX自体の収入、「安定と開発のための石油メキシコ基金」への移転支出および契約業者と原油採掘権の授権者への所得税を含む。
(出所)財務公債省のホームページ のデータをもとに筆者作成(2024年12月5日閲覧)。
表3によれば非石油収入中の連邦政府の課税収入は、変動しながらも徐々に上昇している。上昇は所得税収入の増加によるところが大きく、公的部門の歳入総額に占める所得税収入の比率は2018年から2023年のあいだに32.5%、31.3%、33.0%、31.8%、34.4%、35.6%と徐々に上昇している。所得税収入の増加は2020年から実施された「査察と徴税のマスタープラン」と呼ばれる徴税強化策によるものだった。政府は慣行化していた大口納税者に対する優遇措置を廃止した上で、最初は法規で定める一定以上の年間売上高の大企業を徴税機関の税行政サービス(Servicio de Administración Tributaria: SAT)の税務調査の対象とし、その後対象を中小企業に広げた。所得税収入の増加は大企業に対する税務調査の強化と恒常化、ならびに不適切な税務処理に対する罰則強化のたまものだった20。
次に基礎的財政収支を黒字に保つという点について。表4に2018年から2023年の公的部門の財政収支の推移を示した。表から明らかなように財政収支の赤字幅(▲)は拡大した。財政収支から国債費を除いた基礎的財政収支では2019年までは黒字であったが、翌年には黒字幅が縮小、2021年以降赤字に転化した。注目すべきは連邦政府の基礎的財政収支が2020年には赤字に転化し、2021年以降、増加したことである。基礎的財政収支を黒字に保つという方針は実現できなかった。
(注)IMSS、ISSSTE、PEMEX、CFEについては脚注24参照。
(出所)財務公債省のホームページ のデータをもとに筆者作成(2024年12月5日閲覧)。
(2)社会プログラムの財源
課税収入の増加にもかかわらず連邦政府の基礎的財政収支は2020年に赤字に転化した。それでは社会プログラムの財源をどのように調達したのか。
前述の方針の第2に挙げた節約による支出の削減を財政データで確認するには困難が伴う。財務公債省が公表する支出に関するデータに各年の節約額の説明はあるが、歳出総額の規模に比して非常に少額であり、予算編成時にすでに節約が加味されている可能性があるためである21。そこで節約額ではなく支出の推移から社会プログラムの財源を探りたい。
表5に公的部門の歳出総額のなかの一般歳出22を取り出し、その所管別構成を示した。構成について2023年を例に簡単に説明すれば、公的部門の歳出総額は8兆1220億ペソ(およそ4809億ドル)、そこから国債費、州政府・地方自治体への交付金、過去の会計年度の負債を除いた部分が、一般歳出5兆9030億ペソである。このうちの4兆3850億ペソが、連邦政府が編成可能な予算となる。すなわち、社会プログラムの予算はこの範囲から調達される。連邦政府の自治機関23の支出規模は合計で1480億ペソと相対的に小さい。中央執行府の予算は行政部門(官庁)1兆9640億ペソと一般部門2兆2730億ペソからなる。一般部門は社会保険料拠出金、州政府・地方自治体への支援金、各種事業支援のための準備金などからなる。予算管理機関・公企業24の支出は2兆6840億ペソだが、このうち1兆1650億ペソは連邦政府の支出金である。
(出所)財務公債省のホームページのデータをもとに筆者作成(2024年12月5日閲覧)。
インフレの影響を除いた年ごとの支出額の変化をみるために、表5の右欄に支出額の前年比実質増減率を示した。表から次の2点を読み取ることができる。第1に2019年に連邦政府の歳出がマイナス(▲)を示している。歳出削減の努力が確認でき、前述のとおりこの年の基礎的財政収支は黒字であった。第2に支出の実質増減率の推移をみると、部門・機関別に異なった動きがみられる。中央執行府の行政部門の支出が一貫してプラスであるのに対し、自治機関と中央執行府の一般部門にはマイナスの年がある。つまり連邦政府の部門・機関間で予算配分が変更された可能性がある。予算配分の変更が中央執政府内部でも行われたかをみるために、表6に、中央執政府の行政部門の主要官庁と一般部門の主要3項目の支出額の推移を示した。
表6の行政部門では2023年の支出額上位10省庁を示し、11位以下は「その他の官庁合計」にまとめている25。表6でも右欄に支出額の前年比実質増減率を示している。この表から次の点を読み取ることができる。第1に、福祉省は支出額のプラスの実質増減率を維持した唯一の省であった。中央執政府予算に占める比率は2018年から2023年のあいだに3.3%から9.8%へと3倍増した。第2に福祉省以外の、連邦政府の目玉プロジェクトを所管する省も、年により変動はあるが、支出を増加させた。表に挙げた省庁では、エネルギー省(公企業PEMEX・CFEを支援)と観光省(マヤ鉄道の建設を所管)が該当する。11位以下では労働・社会対策省(「未来を築く若者たち」プログラムを所管)が支出を増やした。なお保健省の2020~22年の支出増加は、コロナ対策のためと推測される。第3に、実質的に支出を減らした省庁が存在する。表6に挙げた省庁では農業・農村開発省とインフラ・通信・運輸省、11位以下では大統領府、内務省、外務省、農村・国土・都市開発省が該当する。第4に、一般部門では給与・経済準備金が支出を大きく減らした。この準備金は州政府・地方自治体に基金を介し資金を提供することを目的としている。支出を2019年に半減させ、さらに2021年に大きく減少させている。中央執政府の資金需要が増加した際に転用可能な財源となってきたと推測される。
(注)実質増減率が500以下、500以上の場合は「−」で示す。
(出所)財務公債省のホームページのデータをもとに筆者作成(2024年12月5日閲覧)。
以上の検討から、社会プログラムの財源は財政緊縮や官庁の予算配分の変更で捻出した資金、準備金の転用、企業への所得税の徴税強化で増えた税収などであったと推定される。しかし支出の拡大に収入は追いつかず、結局、差額は借入で埋め合わされた。公的債務残高の対国内総生産比率は、2018年から2023年に44.8%から46.8%へと上昇した26。
(3)高齢者老齢年金の財政基盤の脆弱性
社会プログラムの資金が以上のような方法で調達されているとすれば、3つの点から高齢者福祉年金の財政基盤は非常に脆弱であるといえる。第1に、すでにメキシコの年齢別人口構成はピラミッド型から樽型へと変化しており、今後の高齢者人口の増加により、必要予算はさらに膨らむと予想されるためである。第2に、歳入の大幅な伸びが期待できそうにないことがある。石油収入は、現行の民族主義的なエネルギー政策が続くかぎり、減少を続ける可能性が高い。一方、課税収入の増加は、大企業に対する滞納税の徴収が一巡したため、頭打ちといわれている27。SATは今後中規模企業に対する税務調査の圧力を強める方針らしいが、その場合でも、徴税効率の低下から、これまでのような税収増加は期待しにくい。節約や予算配分の変更による財源確保にも限界があり、過度に行えば行政機能の低下を招きかねない。準備金もすでに転用され規模を縮小しており、財源としては限界がある。ちなみにこのことは、コロナ禍のような不測の事態が生じたときに、それに対処するための財政的余裕が乏しくなっていることを意味し、年金財源とは別の意味で問題であろう。第3に、以上の2点を考えあわせれば、今後ますます財政赤字が拡大し、それを借り入れで埋め合わせれば、債務返済負担も増大することが予想される。
前節の最後でウィルモアの9カ国・1都市の無拠出型老齢年金の比較研究に言及したが、事例中の1都市とは、AMLO市政期のメキシコ市であった。財源に触れてウィルモアは、メキシコ市の無拠出型老齢年金の財源は支出節約で得た資金であり、発展途上国でも財源の制約を克服することが可能なことを示す好事例として高く評価している。前述のようにAMLOはメキシコ市長時代の社会プログラムを、大統領となって一国レベルで展開した。ウィルモアが示すデータによれば、2005年のメキシコ市の老齢年金の受給資格は70歳以上、受給者数は37万人、年間受給額は一人当たりGDP比で5.5%であった(Wilmore 2007: 32)。これに対し2023年のメキシコ一国の高齢者福祉年金の受給資格は65歳以上、受給者数は1233万人、年間受給額の一人当たりGDP比はおよそ11.9%28である。メキシコ市の老齢年金の財源が節約資金であったとしたら、それに見合った制度内容だったということであろう。二つの年金制度は規模の違いがあまりに大きく、こと財源に関しては、メキシコ市の経験を一国レベルで援用することはしょせん無理な話であったといえよう。
「第4の改革」の旗印のもと新自由主義体制の一掃をねらうAMLO政権は、社会政策を開発政策の中軸に据え、貧困、格差拡大の解消を目的とした数々の社会プログラムを実施してきた。その特徴は、新自由主義体制下で一定の成果を上げていた貧困層をターゲットとしたCCTを廃止し、条件・資格要件を緩和した現金給付プログラムに変えたこと、加えて、65歳以上の国民に一律支給される無拠出型の高齢者福祉年金に社会プログラムの予算を集中したことであった。貧しい人々優先の掛け声とは裏腹に、貧富を問わず給付されることから、公金ばらまきの制度と化しているといえよう。財源は支出削減や予算配分の変更で捻出した資金、準備金の取り崩し、企業に対する徴税強化で増えた税収などであるが、いずれも恒常的に増加が期待できる性質のものではない。年々給付額が引き上げられ、予算規模が膨らんでおり、財政赤字拡大の一大要因となり、債務残高と債務返済負担は増加を続けている。
2024年6月の選挙での与党連合の圧勝に、AMLO政権の社会プログラム、なかでも高齢者福祉年金は大きく貢献したと考えられる。少なくとも与党幹部はそう考えているだろうから、制度の変更は政治的な困難が伴う。AMLO政権から引き継いだ肥大化した高齢者福祉年金は、シェインバウム新政権のアキレス腱といえよう。