2018 Volume 38 Issue 1 Pages 38-55
本稿では,イノベーションの進む方向性とイノベーションのためのデザインに寄与する創造的思考について論じる。まず,イノベーションは利便性や効率を重視する「量的イノベーション」とライフスタイルや文化の変化をもたらす「質的イノベーション」に区分されるとし,現代社会では質的イノベーションへの転換が必要であることを述べる。次に,イノベーションのためのデザインを,プロダクトを介して科学技術と社会との間を橋渡しすることと捉えた上で,デザインの起因に注目し,それを社会のニーズにおく「ニーズ先導型」,科学技術の探求におく「シーズ先導型」,両者の橋渡しをするプロダクトの構想からはじめる「プロダクト先導型」に区分できることを示す。これらの区分を2軸として戦後日本のイノベーションを対象に事例調査を行った結果,質的イノベーションではプロダクト先導型のデザインが多くみられた。さらに,質的イノベーションに寄与する創造的思考について議論し,ブレンディング型のシンセシスやプロダクトと場の組合せ型のシンセシス,シンセシス型の創造的思考に則ったタイプのメタファ型のシンセシスを用いた創造的思考が効果的であることを述べる。
今日まで,科学技術は人間を災害から守り,生活を便利で豊かなものにしてきた。しかし,科学技術が急速に発達した現代においては,これまで利便性の向上に寄与してきたモノが充足する一方で,高度に複雑化した科学技術自体が人間を危険にさらす事態も生じており,科学技術と人間社会との関係はより複雑になってきている。これは,科学技術が高度化・複雑化した結果,一般の人々で構成される社会からはわかりにくくなってきていること,すなわち科学技術と社会との距離が遠くなってきていることが一因である。そのような中で,今後は人間社会と科学技術との関係をどう構築していけばよいかということが課題となる。
ところで,科学技術そのものはそのままの形では社会で活用できず,プロダクトに実装されてはじめて利用可能になることが多い。このことから,イノベーションのためのデザインを「プロダクトを介して,科学技術と社会との間を橋渡しすること(Taura, 2016/2014)」と定めることにする。図1にイノベーションのためのデザインの構図を示す。このように定めた上で,本稿では,イノベーションをデザインの視点から議論する。
イノベーションのためのデザインの構図
本稿の構成は以下のとおりである。まず,イノベーションを「量的イノベーション」と「質的イノベーション」に分類して議論し,次にデザインの起因に注目して「ニーズ先導型」「シーズ先導型」「プロダクト先導型」のデザインがあることを述べる。その後,これらの区分を軸にイノベーション事例を分類し,これからのイノベーションの方向について議論する。さらに,イノベーションを起こすためのデザイン力について創造的思考の観点から「固執開放型」と「シンセシス型」の2つのタイプがあることを述べる。最後に,2つのタイプのうち,質的イノベーションにより大きく寄与するシンセシス型の創造力についてシンセシスの方法の観点から議論する。なお,本論の背景となる基本的な考え方は『質的イノベーション時代の思考力』(Taura, 2018)で詳しく報告する予定である。
人間社会が求める「利便性の向上」の要望に応えるべく,これまで様々なプロダクトがつくられてきた。その結果,現代社会ではモノが充足した便利な生活を営むことができている。このような社会を実現するため,生産者においては高品質で高性能なプロダクトをより安価に提供すべく「生産性の向上」が追求され,そのために,より具体的で信頼性の高い生産知識や生産方式が求められ,モジュール化や標準化,自動化が推進されてきた。こうした「利便性の向上」と「生産性の向上」を指向し,そのような変化をもたらしたイノベーションを「量的イノベーション」と呼ぶことにする。
一方,新たな生活スタイルを生み出し新たな文化を創成するようなプロダクトもある。例えば,携帯型音楽プレーヤによって,従来室内でしか楽しめなかった音楽が,電車の車内やジョギング中など外出時にも楽しめるようになったことがあげられる。携帯型音楽プレーヤの普及は,新たな音楽を楽しむスタイルを生み出し,さらにはそれが文化となり,新たな音楽のあり方にも影響を与えている。このような社会の質的な変化に資するイノベーションを「質的イノベーション」と呼ぶことにする。
量的イノベーションは技術によってもたらされ,質的イノベーションは狭い意味での文化芸術やデザインによりもたらされるという意見がある。確かにそのような側面もあることは否めないが,前述の携帯型音楽プレーヤのように技術が新たな文化芸術の誕生につながることもある。そこで,技術が人間の感性の世界を切り開く可能性があり,質的イノベーションには技術が重要な役割を担うことを次に述べる。
一例として,都市の夜景について考えてみる。我々は夜景を美しいと思う。しかし,夜景とは自然界に存在するものではなく,技術が生み出した人工的な風景である。別の例として,日本刀を挙げる。日本刀は,それの有する神秘的な美しさのために,現代では芸術品として鑑賞され取引されている。しかし,日本刀は加熱した鋼を鎚で打って鍛錬し,焼き入れを行うなど,独自の技術を極めることによって作りあげられている。このように,技術がつくり出したものにも我々は心が響く。このとき,夜景や日本刀から受ける心の響きは,富士山や満開の桜など自然界の風景から受ける心の響きとは異なっているように思われる(Georgiev, Nagai, & Taura, 2013)。そうだとすれば,これまでに感じたことのない心の響きが技術によって生じたことになる。これは,感性の世界が新たに切り拓かれたといえる。事実,これまで,ブロンズの鋳造技術や建築技術の発達により,次々と新たなスタイルの彫刻や宗教建築がつくられ,それによって,文化芸術が発展してきている。
また,例えば,スマートフォン等の画面で行われるピンチアウトやピンチインの操作は,元来人間が自然界で行う操作ではなく,技術の進歩により近年実現されたものであるが,人間にとって極めて自然に感じる操作である。このことから,スマートフォンは利便性や操作の効率性をもたらしただけでなく,人間のごく自然に感じる感性の幅を広げ,社会に新たな意味を提供していると考えることもできる。
以上の考察より,科学技術を駆使することで,人間の生活スタイルを変化させ,新たな文化を創成するのみならず,人間の有する感性や自然観の幅を広げるような質的イノベーションをも目指すことができると言える。
イノベーションのためのデザインでは,社会の求める革新的なプロダクトをいかにして継続的にデザインするかが問われる。本節では,そのためにはどこからデザインをはじめるのがよいか,すなわち,何を契機にプロダクトをデザインすべきかという問いについて議論する。ここで,図1に示したイノベーションのためのデザインの構図から次の3つの方法が考えられる。
1つ目は,社会に内在するニーズを起因とするものである。これは,はじめにユーザニーズを捉え,それをふまえてデザインを行う,いわゆる「ニーズ先導型のデザイン」である。実際,プロダクトを社会に供給する際には,それに先だって,ニーズの調査やマーケティングが行われることが多い。さらに,最近では,ニーズそのものだけでなく,その背後にある社会の変化を予測したり洞察したりすることが試みられている。例えば,デザインする者が,プロダクトの利用されるであろう地域やコミュニティに主体的に入り込み感情移入するなかから,潜在ニーズを発見するという方法が提案されている(dschool)。また,現状の延長線上からは推定できないような社会の将来的な姿を,非線形的に想定する方法も提唱されている(Washida, 2016)。
2つ目は科学技術の発見や開発を糸口にデザインを行う「シーズ先導型のデザイン」である。新材料や情報技術の分野においては,基礎的な知見が得られると,その知見を基に適用可能なプロダクトを探索するようなことがよく行われる。例えば,カーボンファイバは,まず素材の構造や製造方法が開発され,その後,その技術の利用範囲が次々と広げられ,現在では釣り竿やテニスラケットなどのスポーツ用品から,レーシングカーや航空機の主翼や胴体に用いられるまでに至っている。
3つ目は,ニーズとシーズを橋渡しすることを重視し,そのためのプロダクトを構想することからはじめるというものである。本稿ではこれを「プロダクト先導型のデザイン」と呼ぶ。これは,はじめに既知の科学技術を参照しながら科学技術と社会の間をつなぐための新たなプロダクトのコンセプトを構想し,次に,そのプロダクトを実現するのに必要な技術開発を追加で行うことや,ニーズの発掘をしようとするものである。従来,ニーズ重視か,シーズ重視かという議論が多くなされているが,イノベーションのためのデザインの構図を考えると,両者の橋渡しを重視する第3のアプローチが存在していると考える。
これら3つの方法は並存するものであり,実際の革新的なデザインにおいては上記3つの要素はそれぞれ含まれているが,本稿では,デザインの出発点においてこれら3つのどこに重点をおいているかということに注目する。これは,科学技術と社会を橋渡しするプロダクトを得るためには,どこからはじめるのがよいかを議論するためである。ここで,現代は科学技術と社会との距離が遠くなってきていることをふまえると,1つ目の方法であるニーズの把握からはじめると,社会的に有用なプロダクトはデザインされるが,一般ユーザの理解から遠い最新の科学技術の組み込まれたプロダクトは得にくい可能性がある。一方で2つ目の方法であるシーズからはじめた場合,社会との距離が遠いためニーズにあったプロダクトに結びつかない可能性がある。そうすると,イノベーションを起こすには科学技術と社会とをいかに結びつけるかが肝要であり,革新的なプロダクトをデザインするためにはプロダクトからはじめる3つ目の方法が中心になると考えられる。
II節において,イノベーションが,量的イノベーションと質的イノベーションに区分されることを,III節では,イノベーションのためのデザインの起因が,ニーズ先導型,シーズ先導型,プロダクト先導型に区分されることを述べた。本節では,イノベーションの全体像を捉えるために,これらの二つの区分を軸として分類を試みる。もちろん,それぞれのイノベーションは,質的および量的の双方の側面を持ち,また,デザインのきっかけも前述のとおり一つに定まるものではないが,ここでは,イノベーションの全体像を捉えるために,あえてそれぞれのイノベーションを二軸からなる二次元平面上にプロットすることにした。イノベーション事例として,戦後日本のイノベーション100選(Japan Institute of Invention and Innovation)の選定事例を用いた。これは,発明協会が戦後日本の産業経済の発展に大きく寄与したイノベーションを選定したものであり,一般ならびに有識者へのアンケートの結果を参考に選考委員会(委員長:野中郁次郎)の審議を経て2016年6月に105件が選定されたものである。その105事例について,前述の二軸についておおよその程度を含めて判定することにした。判定方法は,各事例について著者3名がそれぞれ判定案を準備して持ち寄り,合議を経て最終的に決定するというものである。判定案が割れたものについては議論の上で,判定根拠となる基準を決定した。具体的には以下のとおりである。
・ニーズ先導型となるかについては,広く社会からのニーズであるかという点で判断することとした。例えば,後述するトヨタ生産方式については,主導的な役割を果たした大野耐一はその著書でトヨタ生産方式はニーズから始まっているとしている(Ohno, 1988/1978)が,当時のトヨタでそのような考えを持っていたのは大野一人だったと言われている(Noguchi, 1988)。すなわち,大野がいうニーズは広く共有されていたものではないため,ニーズ先導型とは考えない。
・プロダクト先導型となるかについては,まずプロダクトをつくるところからはじめているか,がポイントとなる。後述するウォークマンのように個人的な要望からプロダクトを作ったというものはこれにあたる。また,ここでのプロダクトはいわゆるモノだけではなく広く捉えており,システムや組織・仕組みも含む。例えば,宅急便や公文式教育法などの仕組み・方法もこれにあたる。
・前述のとおり,多くのケースにおいて動機はニーズ,シーズ,そして両者を橋渡しするプロダクトの3要素がそれぞれ含まれているが,そのうち何が先導しているかについては,あくまでも起因に注目して決定した。例えば,後述する発光ダイオード(青色ダイオード)は,赤色および黄緑色のダイオード開発後3原色を揃えたいというニーズが急速に高まったが,それ以前から理論的に発光材料候補が分かっている中で研究者たちが探索を続けていたことから,シーズ先導型と判定している。
・量的イノベーションか質的イノベーションかに関して,双方の側面を持つケースも多く見られるが,そのプロダクトが直接社会の質的な変化に寄与したか否か,および発明時点から社会の質的な変化に至るまでの時間の長さ,すなわちそのプロダクトの普及過程と社会の質的な変化が連動したものであるか否か,という点で判断した。
図2に105件の事例について,マッピングを行った結果を示す。この図において,質的イノベーションであると判定されたものはその度合いが高いほど右側に配置され,量的イノベーションであると判定されたものはその度合いが高いほど左側に配置されている。中央縦軸付近はどちらの要素も同程度と判定されたものである。また,どちらかといえばニーズ先導型のデザインによるイノベーションと考えられるものが上部に,シーズ先導型のデザインによるイノベーションと考えられるものが下部に,プロダクト先導型のデザインによるイノベーションと考えられるものが中央横軸付近に配置されている。なお,図中の下線を引いている事例はアンケート投票の上位10件である。以下に,2軸で区分される6分類からそれぞれ一例ずつ取り上げて詳しく説明する。
イノベーションのマップ
ニーズ先導型のデザインによる質的イノベーション事例として日本語ワードプロセッサを取り上げ開発経緯と波及効果を紹介する(Amano & Mori, 2002;Doi, 2011;Uraki, 2002)。コンピュータの商用化は1950年代から米国を中心に始まり,英語圏での使用を前提としてワードプロセッサ装置が開発された。一方,日本においては,文字数の制限から英数字とカナ文字で扱うこととなったが,日本語表記は漢字かな混じり文であり,コンピュータで漢字を扱わせたいという強いニーズが当初からあった。そのため,多段シフト式のキーボードを用いた漢字テレタイプライタや従来の和文タイプライタに文字コードを付加したものなどが開発されたが,いずれも熟練が必要であり,入力速度も低かった。これに対し,日本語ワードプロセッサでは1960年代から言語学的なアプローチが取られた研究が九州大学,沖電気,NHK,NTT,大阪大学などで行われていた。東芝でも1971年から日本語ワードプロセッサの開発に着手し,形態素解析のための機械文法および同音異義語の学習機能が開発され,1979年に世界初の日本語ワードプロセッサJW-10が発売された。このワードプロセッサは価格が630万円,重量が220 kgであったが,東芝の日本語ワードプロセッサの基本コンセプトは,(1)手で書くより早く入力可能,(2)持ち運び可能,(3)電話回線を通じ文書伝送可能,の3点であり,このコンセプトの下で小型化と低価格化が進められ,6年後の1985年に価格が10万円を切り,重さが3.15 kgであるRupo JW-R10が販売された。その結果,日本語ワードプロセッサは一般家庭にも広く普及していき,手書きから,キーボード入力による文書作成を行いそれをデータとして蓄積して利用するスタイルへと変わっていった。現在は,専用の日本語ワードプロセッサこそほぼなくなっているが,その機能はPCやスマートフォンなどに搭載されIT分野の日本語入力手段として広く用いられており,現在国内で一般市民が日本語を用いて手軽に情報機器を使うことができることの礎となっている。以上の開発背景とその波及効果から日本語ワードプロセッサはニーズ先導型の質的イノベーションであると分類される。
2. プロダクト先導型のデザインによる質的イノベーション:ウォークマンプロダクト先導型のデザインによる質的イノベーションの例としてウォークマンを取り上げる(Kuroki, 1990;Sony History a; b)。ウォークマンの開発のきっかけは,井深大名誉会長が海外出張時に携帯用で使うステレオ回路を有した音楽の再生機の制作を依頼した,若手エンジニアがプレスマンという小型のカセットレコーダーを改造して自分専用のカセットプレーヤーとして楽しんでいたのが目にとまったなど諸説あるが,いずれにせよ,プレスマンを改造したステレオタイプの再生機が製作されたのがはじまりである。このプロトタイプが盛田昭夫会長にも気に入られ,音楽を外へ持って出られる製品として売り出されることとなり,既に実績のあったプレスマンのメカの流用に加えて,音質を決める超軽量・小型ヘッドホンの開発が行われ,ウォークマンに付属させた。一方,商品コンセプトの売り込みについては,小型・軽量・高音質であるものの再生機能のみしかないウォークマンは社内でも疑問視する声が多く,マスコミの反応も冷ややかであったため,有名人に実際に使ってもらう,使い方についての草の根活動を行うなどにより,評判が広がっていき,徐々に新たな音楽を楽しむスタイルとして若者の間に浸透していった。ウォークマンの開発のきっかけは個人が楽しむためにつくった改造機であり,そこから,追加の要素技術や使い方の検討へと進んでいる点からまさにプロダクト先導型のデザインであるといえる。また,新たな音楽を楽しむスタイルを生み出した点から質的イノベーションといえる。
3. シーズ先導型のデザインによる質的イノベーション:発光ダイオード(青色LED)シーズ先導型のデザインによる質的イノベーションの例として青色LEDを取り上げる(Akasaki, 1997, 2013;Koyama, 2014;Nishizawa & Nakamura, 2014)。発光ダイオードはp-n接合型の半導体に電流を流すことによって発光現象を得る固体発光素子である。1960年代には赤色LEDや黄緑色LEDが作成されるようになっていたが,青色LEDはできていなかった。半導体LEDでは励起された電子が落ちるときに出す光のエネルギーが光の色となる。このとき青色波長を出す可能性のある半導体を作る元となる材料として炭化シリコン,窒化ガリウム,セレン化亜鉛,硫化亜鉛などが候補となることは理論的に提示されており,研究者たちはそのような材料から選択して単結晶膜を作り出し,青色の発光を得ることを試みていた。その中で,名古屋大学の赤崎勇らは,有機金属化合物寄贈成長法(MOCVE法)と呼ばれる方法を採用し,サファイア層と窒化ガリウムの間にバッファ層を設けるアイデアを思いつき,堆積温度を500°Cとすることで窒化ガリウムの単結晶を得ることに成功した。その後,不純物として有機マグネシウム化合物を付加することにより青色LEDの試作に成功している。他方,日亜化学の中村修二は,高品質な単結晶の作成方法として,原料のガスを横からだけでなく上からも吹き付けるツーフロー法を考案した。さらにp型半導体の作成時にも窒素中でアニーリングすることにより作成する方法を開発した。青色LEDの開発は,理論的に青色発光をさせる材料がわかっており,その中で研究者たちが競って探索をしていたという事実から,シーズ先導型であると考えられる。青色LEDが開発されたことによりLEDにおいて光の3原色が揃った。LEDは低消費電力,低発熱量,小型であり,その成果は,幅広い分野に応用されている。例えば,スマートフォンなどの小型携帯端末の液晶ディスプレイのバックライトはLEDなしには実現できない。医療分野では,人体への負担の少ないカプセル型内視鏡の照明装置としての利用が始まっているほか,LED技術を用いた癌や皮膚病の治療についても研究開発が行われている。農業分野では,光の制御が容易で植物への熱の影響が少ないことから植物工場の実現に一役買っている。このように,現在に至るまで,また今後大きく社会を変えていくものであると考えられるため,質的なイノベーションであると判断できる。
4. ニーズ先導型のデザインによる量的イノベーション:自動改札システムニーズ先導型のデザインによる量的イノベーションの例として自動改札システムを取り上げる(Shiibashi, 2015;Shirakawa, 2011)。戦後の経済成長に伴って大都市圏の人口が急速に増加し,それとともにターミナル駅におけるラッシュ時の混雑状況が問題化していた。そこで自動改札システムによる混雑解消の議論が1962年より近鉄技術研究所で開始され,1964年に自動改札システムの開発を目指した研究会を発足させ,大阪大学と共同研究を始めた。このときの自動改札システムは,朝のラッシュ時の利用者のほとんどが利用していた定期券専用のシステムとなる。そのため,適用経路上のどの駅でも使用可能であり通用期間中何度でも使用可能であるという定期券の特徴に対応する必要があり,この技術課題に対して,グラフ理論的手法による解法が考案され,論理アルゴリズムが開発された。試作機は立石電機(現オムロン)を共同開発パートナーに加えて1965年に製作され,1966年には近鉄阿部野橋駅でパンチカード式の定期券を用いた使用実験が行われた。その結果,連続する乗客の分離・識別と有効判定を誤動作なく50~60人/分の改札ができることが確認できた。近鉄の試みは実験までで終了したが,その後オムロンが営業活動を展開し,大阪万博にあわせて1967年に新規開業した阪急北千里駅に最初の自動改札機が設置され運用を開始した。その後オムロンにより磁気カード乗車券とそれを用いた改札機の開発が行われ,1971年5月には日本鉄道サイバネティクス協議会(JRCA)により,磁気塗膜方式をベースに乗車券の物理的特性や情報のエンコード・フォーマットの共通規格が制定された。これを機に関西を中心に自動改札機の導入が進み,1975年には関西全ての大手私鉄および大阪市営地下鉄が自動改札機を導入するに至った。自動改札システム開発の目的はラッシュ時の混雑対応,駅業務の省力化にあり,いかに適切かつ効率的に改札を行うかが問われ改良が続けられてきた。ラッシュ時の混雑緩和はまさに社会的な要求でありニーズ先導型であるといえる。また,導入により,効率化,省力化を実現していることから量的イノベーションであるといえる。
5. プロダクト先導型のデザインによる量的イノベーション:トヨタ生産方式プロダクト先導型のデザインによる量的イノベーションの例としてトヨタ生産方式を取り上げる(Noguchi, 1988;Ohno, 1988/1978;Toyota Motor Corporation a; b; c)。トヨタ生産方式は,米国の大量生産方式に押され,国内の自動車産業が苦境に立たされる中で生まれてきた生産方式である。1938年にトヨタ創業者の豊田喜一郎が,各工程が必要なものを,必要な時に,必要な量だけ,最小限の資源で造り,運ぶことによりムダを排除して生産効率を大幅に改善するという考え方である「ジャスト・イン・タイム」構想を打ち出し,全工程が連動する流れ作業を導入した。第二次世界大戦後になると日本の自動車産業を復活させるべく,豊田喜一郎の号令の下,大野耐一によって,一人の作業者が複数の機械を担当する「多台持ち」の試行や機械の状況を可視化する「アンドン」と呼ばれる異常表示装置の導入などによる自働化が行われた。さらに,工程間の引き渡し方法を従来の前工程から後工程に運ぶ方式から,市場からの注文を基準として後工程から必要なものを必要な時に必要なだけ前工程に引き取りに行き,前工程は引き取られた分を補充するだけの生産を行うスーパーマーケット方式である「後工程引き取り方式」の導入が行われた。その後,「かんばん」と呼ばれる生産指示票が追加され「かんばん方式」へと進化していった。トヨタ生産方式は,トップの強い意思の下で培われてきた技術である。豊田喜一郎や大野耐一には強いニーズとして意識されていたようであるが,工場内で共有されている意識ではなかったことから,ニーズ先導型とは言えず,仕組みを試行錯誤的に導入し改善を行っているというプロセスを取っていることから,プロダクト先導型のデザインということができる。また,目的は生産の効率化であり,これはまさに量的イノベーションである。
6. シーズ主導型のデザインによる量的イノベーション:フラッシュメモリシーズ主導型のデザインによる量的イノベーションの例としてフラッシュメモリを取り上げる(Masuoka, 2016;Okuyama, 2013a, 2013b)。1970年の揮発性メモリであるDRAMの発明後,レジスタメモリ,キャッシュメモリ,主記憶は磁気メモリから半導体メモリへと置き換わった。一方,不揮発性半導体メモリの基本構成は米国ベル研究所のダウォン・カーンによって特許化されていたが,電気的な書き込み消去の技術的困難性から製品化には至っていなかった。1973年に東芝の舛岡富士雄が開発した2層多結晶シリコン構造のEPROMの構造を基に1977年エリ・ハラリが電気的に消去できるEPROMを発明し,それを改良したフラッシュ型メモリEEPROMが1978年にインテルによって製品化された。しかし,EEPROMはコスト面からハードディスクに大きく劣っていた。これに対し,東芝の舛岡は,1ビット当たりのコストを重要視し,多数のメモリビットを一括して消去することにより1個のメモリトランジスタのみで電気的に書き込み消去可能な1ビットを構成可能な世界初のNOR型フラッシュメモリを1980年に,1個のメモリセルあたりの専有面積をさらに縮小したNAND型フラッシュメモリを1987年に開発した。NAND型フラッシュメモリは事業面でかなり厳しい状況が続いたが,デジタルカメラの普及とともに需要が増加し,その後モバイル電子機器の成長とともに市場が拡大していき,現在ではモバイル機器のキーデバイスとしてなくてはならないものとなっている。開発当時,具体的なニーズがあったわけではないこと,揮発性半導体メモリの技術を有しており,また,不揮発性半導体メモリの基本構成は提案されていたことから,フラッシュメモリの開発はシーズ主導型であるといえる。また,長らくその波及効果は小規模大容量化という要素技術の側面に限定されていたことから量的イノベーションであると考えられる。
図2の結果をみると,右側の中央部,つまり「プロダクト先導型のデザインによる質的イノベーション」の領域に事例が数多く集まっていることが分かる。このことは,質的イノベーションにはプロダクト先導型のデザインが重要な役割を担うことを示している。具体的には,前述のウォークマンの他に,デジタルカメラ,ウォシュレット,新幹線,家庭用カムコーダ,3.5インチフロッピーディスク,多機能携帯電話などが挙げられている。これらのプロダクトは,特定の要素的な科学技術が応用されて実現されたものでもなく,特定のニーズを組み合わせて作られたものでもない。いくつかの要素的な科学技術を組み合わせてつくられたものであり,また,当時の一般市民が想定できるようなものではないといえる。
先に示した図2で質的イノベーションに分類された事例については,それを普及させるための量的イノベーションも同時に生じている。このことは,質的なイノベーションは量的なイノベーションを伴うことを示している。しかし,その逆はほとんどみられない。これは量的イノベーションを追求しても,必ずしも質的イノベーションにつながらないことを示している。そこで,以降の議論では,イノベーションにおいて量的な側面は不可欠なものとし,その上で,質的な側面も備えるためにはどうしたらよいかという点を検討する。
今日我々はモノが充実した便利な生活を送っているが,その一方,経済成長の鈍化,特にプロダクトが売れなくなっていることが問題となっている。その原因については様々な指摘があるが,主要因は魅力的なプロダクトがないことであるように思われる。既にモノが充実し便利な生活を送っている現在では,利便性の訴求効果はうすく,また,モノが溢れている現在においては,生産性向上やそれに伴う低価格化も魅力を大きく増すことにはならない。このことは,これからは量的イノベーションのみでは魅力的なプロダクトにつながらないこと,質的プロダクトへの転換が必要であることを示唆している。
さて,量的イノベーションから質的イノベーションへの転換については,江戸時代にもあったと考えられる。当時,勤勉革命といわれる生産革命により米の生産性が向上し,その結果生じた余剰時間を大衆文化や旅行に使うようになったといわれている(Hayami, 2003)。その大衆文化や旅行については,その多くは仕組みがシステムとしてデザインされたと考えられる。その例として伊勢講を紹介する(Takeuchi, 2002)。
江戸時代には,お伊勢参りが盛んであった。しかし,伊勢参りに行くにはおよそ2年分の生活費にあたる費用が必要となり,個人で行くには負担が大きいため,伊勢講とよばれるグループを組織し,講員が積み立てたお金で講員の代表者が伊勢参りに行くということが行われていた。ここで注目されるのは「御師」と呼ばれる伊勢神宮の神官の役割である。御師は全国に散り,伊勢暦やお札を配り,地道な宗教活動をするとともに,伊勢参りの世話をした。伊勢では,御師の宿泊所に宿泊させ,豪華料理を振る舞った。すなわち,御師は現代での旅行会社の役割を果たしている。
また,同じく江戸時代に流行した浮世絵は版元の企画・編修の下,絵師,彫師,摺師の分業で製作され,多くの企画ものが出版されている。歌舞伎も興行として演じられるようになった点が特徴である。
このように,江戸時代に繁栄をもたらしたとされる大衆文化の多くは,広い意味での「プロダクト先導型のデザインによる質的イノベーション」であり,それらはシステムとして開発され普及が図られたと捉えることができる。
しかし,今後,進むであろう量的イノベーションから質的イノベーションへの転換では,江戸時代を先例とすることができるものの,決定的に異なる点が2つある。
ひとつは,グローバル化の程度の違いである。江戸時代と異なり,現代はグローバル化が進み,モノや情報の流通速度が大幅に異なるため,質的イノベーションだけを求めることはできず,量的イノベーションを推進することを前提とした上で,質的イノベーションを目指すことが必要となる。
次に,江戸時代と現代では,科学技術と社会の距離が大きく異なる。江戸時代は,いわゆる産業革命以降の時代と異なりエネルギーを多用しない社会であったし,「万年時計」や「弓射り童子」などでみられる絡繰りなどは,優れた科学技術であったが,人に「見える」技術であった。一方現代では,原子力や情報,遺伝子技術など高度に発達した科学技術が社会から見えにくくなってきているため,科学技術と社会を橋渡しすることが難しくなってきている。科学技術と社会の距離が広がってきているが故に,単に特定の要素的な技術の応用先を探すアプローチでは社会のニーズにまでたどり着く橋渡しをすることはできず,逆に社会からは最新の科学技術が見えにくく,わからないため,それを活用することができるような潜在ニーズも社会から出てくることはない。従って,この両者を橋渡しする役割を担うプロダクトが鍵となる。
今後は,質的イノベーションの時代に向けて,「プロダクト先導型のデザイン」を強力に推進することが必要となる。そのための能力として,プロダクト先導型のデザインを行うためのデザイン力が必要だと考える。
本節では,高度化した科学技術と社会を橋渡しするためのデザイン力について「創造性」の観点から考える。デザインの創造性は,デザインの成果物であるプロダクトとデザインのプロセスの双方で議論されている。一般的には,先に紹介したイノベーション100選に見られるように,プロダクトで評価されることが多い。これは,実際に社会に変化を与えるのはプロダクトであるためである。
一方,優れたプロダクトを生み出すのは人間であり,そのデザインに携わった人間の思考プロセスが優れていたから優れたプロダクトが生み出されたとも言える。そこで,創造的なプロダクトを導くための方法が数多く議論されてきている。以下では,過去に筆者の一人である田浦らが行った「デザインと創造性」に関する議論(Taura & Nagai, 2010, 2012)を踏まえて,科学技術と社会を橋渡しするという視点から検討する。筆者らは,優れたプロダクトを生み出すための創造的思考には,大きく2つのタイプがあると考える。
第1のタイプは,いわゆる常識を覆すような発想を得るという創造的思考である。このタイプの思考では,先入観からいかに解放されるかが創造性のポイントであるとされ,fixation(固執)の問題として議論されている。このようなfixationからの解放を起こりとする創造的思考を「固執開放型」と呼ぶことにする。このタイプの創造性は実際のプロダクトにも多く見られる。その代表例としてホンダジェットが挙げられる。ホンダジェットではビジネスジェット機においてエンジンを翼の上に配置するという従来の常識を覆すような構造が採用されている(Sugimoto, 2015)。
第2のタイプの創造的思考は,性質の異なるいくつかの要素的な知識や技術を結びつけることで革新的なプロダクトを創案するというものである。ダガンは,多くの偉大な科学的発見や革新的なプロダクトのアイデアはいくつかの既存の知識や技術を結びつけることにより得られたと述べ,その例として,コペルニクスやニュートンの業績は既知の知識を組み合わせて新しい手法や概念に発展させたものであること,マッキントッシュは当時ゼロックスが開発していたGUIを小型コンピュータに組み合わせて生まれたものであること,ビル・ゲイツが行ったのは他者が発明したアルテア,8080チップ,BASIC,PDP-10の4点を組み合わせたことであると指摘している(Duggan, 2007/2010)。
また,クリステンセンは「イノベーションとは,一見,関係のなさそうな事柄を結びつけることである」と述べている(Dyer, Gregersen, & Christensen, 2011/2012)。アップルコンピュータの創始者であるスティーブ・ジョブズの「創造とは結びつけること」との発言もある(Kuwabara, 2010)。このような,性質の異なるいくつかの要素的な知識や技術を結びつけることで革新的なプロダクトを構想する創造的思考を「シンセシス型」と呼ぶことにする。シンセシスとはアナリシスの対義語である。アナリシスとは,「すでに世の中に存在しているものごとについて,それをいくつかの部分や性質の要素に分けることで,そのものごとの有り様を明らかにすること」であり,一方シンセシスとは,「すでに存在しているさまざまなものごとを組み合わせて,まだ存在していない一つのものごとにまとめあげること」である。
イノベーションにおいて,シンセシスによるデザインの例は非常に多い。例えば,新幹線500系の先頭車両の形状はカワセミの嘴の形状を参考にして設計したといわれている。時速300キロを越える高速運転を行う新幹線500系の開発では,列車がトンネルを通過する際に発生する圧力波が大きな課題となり,それまでの新幹線車両が採用していた流線型と異なる新しい形状を考案する必要があった。開発を進めるにあたり,担当者である仲津英治は,小魚を補食するために抵抗の少ない空気中から大きな抵抗を有する水中にダイビングするカワセミの嘴から頭部にかけての形状が参考になるのではないかと思ったそうである(図3)。
カワセミを参考にして考案された新幹線500系の先頭車両
別の例として,折刃式カッターナイフを挙げることができる。折刃式カッターナイフのアイデアは,板チョコレートを参考に発案されたと報告されている(OLFA Corporation)。開発担当者が切れ味のよい状態が長く続くナイフを開発しようと思考を重ねていくうち,摩耗した刃先を折って切り取ることで鋭利な刃先を継続的に確保するというアイデアが浮かんだといわれている(図4)。
板チョコレートを参考に考案された折刃式カッターナイフ
また,ロボット掃除機もシンセシスの例である。ロボット掃除機はロボットの有するセンサー機能や自律走行機能を備え,回転するブラシで塵やゴミを吸引し収集するものである。この製品は単に掃除の省力化を実現しただけでなく,ロボットが掃除しやすいように室内の家具やモノの配置をするなど,生活スタイルのあり方にも影響を与えており,最近ではペットのような存在になることもあるといわれている(図5)。
ロボットの機能を備えた掃除機
固執開放型の創造的思考とシンセシス型の創造的思考は,以下の点で異質なものであると言える。固執開放型の創造的思考はいわゆる問題解決の局面でみられることが多く,強い問題意識が重要な役割を果たしている。対して,シンセシス型の創造的思考は,問題解決として用いられることもあるが,問題や目標が与えられなくてもしばしば行われる。また,問題意識が重要となるケースもあれば,性質の異なる要素を関連づけるにあたっての直感が重要な役割を果たす場合もある。質的イノベーションに資するプロダクト先導型のデザインについては,その事例の多くが性質の異なるいくつかの要素的な知識や技術を組み合わせたものであることから,シンセシス型の創造的思考が質的イノベーションにつながると考える。
質的イノベーションにはシンセシス型の創造的思考が強く寄与する。本節ではシンセシスの方法について述べる。シンセシスの方法は,モノの概念とモノの概念を組み合わせる2種類の方法と,プロダクトが使用される場とモノの概念を組み合わせる方法の合わせて3種類に大きく分類される(Taura, 2016/2014;Taura & Nagai, 2012)。
モノの概念とモノの概念を組み合わせる方法の一つは,新幹線500系や折刃式カッターナイフの例のように何かを参考にするものである。もう一つは,マッキントッシュやビル・ゲイツの例でみられた性質の異なるいくつかの要素を組み合わせる方法である。前者のシンセシスをメタファ型,後者のシンセシスをブレンディング型と呼ぶ。
メタファ型はいわゆる「たとえ」を用いる手法である。たとえを用いる方法はデザインでもしばしば用いられるが,言語表現でみられるたとえとは異なり,デザインにおいてはその時点ではまだ存在していないものを表現していることが大きな特徴である。メタファの表現の意味するところはたとえるものとたとえられるものの間にある共通の性質である。これは,メタファによるデザインにおいても同様であり,概念間の共通の性質が重要な役割を演じる。例えば,「カエルのような乗り物のデザイン」では,「新しくデザインされる乗り物」が「飛び跳ねる」などのカエルの性質を具するようにデザインされ,その結果「新しくデザインされた乗り物」が「カエル」の性質のつくる部分集合に属することになる(図6)。このような共通の性質は,概念を抽象化することによって得ることができる。
メタファによるデザインの集合論的模式図(Taura, 2016/2014)
次にメタファによるデザインでは,概念の抽象化によって得られた性質を既存の概念に加えることが行われる。例えば,前節であげた折刃式カッターナイフの例では,板チョコレートを抽象化して得られる「折って切り取ることができる」という性質を従来のカッターナイフに加えることにより生成される。このようにある概念の性質をそれとは異なる概念に重ね合わせるプロセスは属性転写と呼ばれている。さらに属性転写された概念を具体化することによってデザイン案が得られる。
以上をまとめるとメタファ型のデザインの手順は次のようになる。
第1段階 たとえに用いる概念を選択する。
第2段階 第1段階で選択した概念を抽象化し,いくつかの性質を抽出する。
第3段階 第2段階で抽出した性質を属性転写し,さらに具体化してデザイン案を生成する。
メタファ型のデザイン方法は新しい概念を生成するための強力な方法であるが,基本的にカテゴリーを越えるような概念が生成されることはない。それに対して,ブレンディング型のデザイン方法はそれぞれの概念の異なる性質を組み合わせることにより,いずれの概念とも異なる新しい概念を生成する方法である。図7にブレンディングによるデザインを集合論的に表した模式図を示す。
ブレンディングによるデザインの集合論的模式図(Taura, 2016/2014)
認知言語学の分野において,フォコニエは,心的空間の間のマッピングについて分析し,2つの心的空間から3番目の空間が導かれることを示して,これをブレンディングと名付けている。この3番目の空間は2つの空間から構造の一部を継承し,かつそれらにはない独自の特徴を有する(Fauconnier, 1997/2000)。
この理論は概念生成にも適用できる。そうすると,2つの概念からそれらの性質の一部を継承し,かつ,入力された2つの概念にはない独自の特徴を有する概念を生成することができる。例えば,「雪」と「トマト」によるブレンディング型のデザインでは,雪のパラパラ降るという性質とトマトの味に関する性質を組み合わせることにより,「パラパラ降るようなトマト味の調味料」という概念が得られる。この概念を先のメタファ型同様に具体化することによって,「パウダタイプのケチャップ」というアイデアを得ることができる。
以上をまとめるとブレンディング型のデザインの手順は次のようになる。
第1段階 ブレンディングに用いる概念を選択する。
第2段階 第1段階で選択した概念からいくつかの性質を抽出する。
第3段階 第2段階で抽出した性質を組み合わせ,さらに具体化してデザイン案を生成する。
シンセシスの方法にはここまで述べてきたモノの概念とモノの概念を組み合わせる方法の他に,プロダクトが使用される場とモノの概念を組み合わせる方法がある。次にこの方法について述べる。
プロダクトは多様な利用のされ方をする。通常と違った状況で普段と違うプロダクトの使い方がされるとき,それが新しいアイデアのヒントになるケースもみられる。すなわち,新しいプロダクトを構想する際には,プロダクトだけでなく,その使用される状況にも意識を向けると斬新なアイデアがより多く生成できることになる。
ここで,プロダクトの役割を機能,プロダクトの使用される状況を場と定義すると,プロダクトの機能はある限定された場において発現するということができる。この特性を利用することにより,シンセシスの方法の一つとして,「モノの概念」と「場」との間の新しい組み合わせをつくるという方法が考えられる。以下に示すように,革新的なプロダクトの一部は,この枠組みで説明することができる。例えば,携帯型音楽プレーヤが従来は室内という場で聞くものであった音楽を屋外という場でも聞くことができるようにしたという点は,「従来型のオーディオ」というモノの概念と「屋外」という場を組み合わせて得られたと説明できる(図8)。
新たな場で利用可能な携帯型音楽プレーヤ
この事例は後付け的になるが,今後,「モノの概念」と「場」との新しい組み合わせを意図的につくることにより,革新的なプロダクトが構想できると考えられる。
具体的には,次のような方法を検討できる。図9に示すように,「プロダクト(P)」と「機能(F)」,「場(S)」の3者について,現状での関係と新規での関係を比較する枠組みを作ってみる。このとき,「場」は必ず異なるものに変わる(S1≠S2)として,以下の4つのパターンが考えられる。
プロダクトと機能と場の関係
第1のパターンは,プロダクトが変わらない場合(P1=P2)である。これは,同じプロダクトが新たな場において新たな機能を発現することである。例えば室内(S1)で照明(空間を明るくする(F1)機能を発現している)として用いられるランプが,保温室(S2)で熱源(空間を熱する(F2)機能を発現している)として利用されるというようなことである。設計論の研究では,プロダクトの置かれている場が変わることにより,新たに発現する機能のことを潜在機能と呼んでいる。潜在機能はプロダクトの使用価値を高めたり,新たなプロダクトにつながる潜在ニーズを発掘したりするのに有用である。
第2のパターンは,機能が変わらない場合(F1=F2)である。例えば,前述の携帯型音楽プレーヤがこれに該当する。ここでは,新たな場(S2)において同様の機能(F1)を発現するように,新たなプロダクト(P2)が考案される。
第3のパターンは,新たな場(S2)を参考にプロダクト(P2)と機能(F2)の双方に変更を加えたり新たに考案する場合である。例えば,ポケモンGOは,実世界という新たな場で仮想世界に実世界を組み込むという機能を加えた新しい楽しみ方のできるゲーム機が考案されたものとしてこのパターンに該当する。
第4のパターンは,いまだ世の中のどこにも存在していない未知の場(S2)を想定し,そこにおけるプロダクト(P2)と機能(F2)を考案するというものである。例えば,富士山にケーブルカーがあるとして,そこで有用なサービスを考えるというのがこれに該当する。
ここまで,シンセシスの3つの方法について述べてきた。本節の冒頭では,モノの概念とモノの概念を組み合わせる2種類の方法と,プロダクトが使用される場とモノの概念を組み合わせる1種類の方法としたが,生成されるプロダクトが既存のカテゴリーの範疇にとどまるか否かという観点で分けると,メタファ型とそれ以外の2つに分けられる。メタファ型はさらに,ロボット掃除機のような,既存のカテゴリーの範囲ではあるものの斬新なプロダクトの生成に寄与するタイプと,新幹線500系のような,斬新さに加えてある特定の問題を解決するプロダクトの生成に寄与しているタイプに分けられる。他方,ブレンディング型やプロダクトと場の組み合わせ型については,性質の異なるいくつかの要素的な知識や技術を組み合わせる中で,どの要素の改良でもない新しいプロダクトをつくり出すことができる。
質的イノベーションは新たな生活スタイルを生み出し,新たな文化を創成するようなものであるから,現状の延長線上からは思いつきにくいような革新的なプロダクトがデザインされる必要がある。そう考えると,ブレンディング型やプロダクトと場との組み合わせ型は,異なる性質のいくつかの要素的な知識や技術を合わせて既知のプロダクトからは容易に想定できない革新的なプロダクトを実現することで,質的イノベーションに強く関与する。加えて,メタファ型にもロボット掃除機のように既存のカテゴリーの亜種の範疇とはなるものの,シンセシス型の創造的思考に則り,斬新なアイデアを生成することによって質的イノベーションに関与するケースがある。対して,メタファ型のもう一つのタイプは斬新なアイデアは出てくるものの,メタファを用いる意図が問題解決に有用な視点の発見であり,多くの場合は質的イノベーションではなく,量的イノベーションに関与する。
本稿では,現代社会におけるイノベーションの方向性とイノベーションのためのデザインにおけるシンセシスの役割について述べた。イノベーションについては量的イノベーションと質的イノベーションに,イノベーションのためのデザインの起因については,ニーズ先導型,シーズ先導型,プロダクト先導型に分類し,戦後日本のイノベーション事例を用いてマッピングを行った。その結果,質的イノベーションではプロダクト先導型のデザインが多く見られることを見いだした。また,モノが溢れている現代社会では,量的イノベーションから質的イノベーションへの転換が求められること,一方で,科学技術と社会との距離が遠くなっている現代においては,両者の橋渡しをするプロダクト先導型のデザインを質的イノベーションのために強力に推進する必要があることを述べた。さらに,質的イノベーションに寄与する創造的思考について議論し,シンセシス型の創造性思考が強く寄与すること,その中でもブレンディング型のシンセシスやプロダクトと場との組み合わせ型のシンセシスが質的イノベーションに関与することを示した。
イノベーションにおけるデザインの役割と意味について議論する視点としては,他に直感力や仮説生成(アブダクション),設計思想などが考えられる。また,筆者らは本稿で述べた考え方の下,デザインスクールを実践している。これらについては,『質的イノベーション時代の思考力』(Taura, 2018)で報告の予定である。
田浦 俊春(たうら としはる)
1979年東京大学工学系研究科精密機械工学専攻修士課程修了。博士(工学)。新日本製鐵株式会社,東京大学人工物工学研究センター助教授等を経て,1999年より神戸大学大学院教授(2018年4月より,事業構想大学院大学教授)。専門は設計論。
妻屋 彰(つまや あきら)
1998年東京大学工学系研究科システム量子工学専攻博士課程修了。博士(工学)。東京大学リサーチアソシエイト,大阪大学助手を経て,2006年10月より神戸大学工学部助教授(現 大学院工学研究科准教授)。専門は設計工学,生産システム。
山田 香織(やまだ かおり)
2011年神戸大学工学研究科機械工学専攻博士課程後期課程修了。博士(工学)。2012年より神戸大学先端融合研究環助教。2014年5月~2015年3月デルフト工科大学(オランダ)に客員研究員として滞在。専門は設計工学,感性工学。