Japan Marketing Journal
Online ISSN : 2188-1669
Print ISSN : 0389-7265
Special Issue / Invited Peer-Reviewed Article
Starting a Relationship in Marketing Channels
Tomokazu Kubo
Author information
JOURNAL FREE ACCESS FULL-TEXT HTML

2018 Volume 38 Issue 2 Pages 6-20

Details
Abstract

流通チャネルにおいて,流通業者はしばしば別の企業と長期にわたる緊密な取引関係を結ぶ。しかし,流通業者の中には,取引のオファーを受けた時に,そのオファーを受け入れる企業とそうでない企業がいる。取引関係に関する既存研究は,取引が安定的に維持されるメカニズムについては検討していた一方で,取引を開始するメカニズムについてはあまり注目してこなかった。そこで本論は取引のオファーに対する受容の違いがなぜ生じるのかという問題について,経済的要因に注目する取引費用分析に交渉当事者のモチベーション要因として制御焦点を組み入れることで説明を試みた。卸売業者の実務家に対する実証分析の結果,卸売業者が小売業者からの取引開始のオファーを受け入れる意思は,関係特定的投資と制御焦点の双方から影響を受けていることが見出された。

I. はじめに

流通チャネルは製造業者から消費者までの財・サービスの流れであり,企業と企業はその中でしばしば緊密に結びついている。たとえば,製造業者は流通系列化(Furo, 1968; Ishii, 1983)や企業間関係の形成(Watanabe, 1998),チャネル行為(Yuki, 2014)などを通じて組織成果を高めようとしている。一方,流通業者も緊密な企業間関係を形成して,効率的な物流や品揃え,あるいは製品開発などを目指している(Yahagi, 1994)。

流通チャネルにおいて企業が他社と緊密な取引関係を結ぶのは,そうしなければ入手できないような特殊な流通サービスを入手するためであると考えられる(Rindfleisch & Heide, 1997)。そうした特殊な流通サービスは,企業が特定の相手にしか役に立たない関係特定的投資(relation-specific investments)を行うことではじめて提供される1)。流通チャネルにおける関係特定的投資の例としては,特定の小売業者にカスタマイズした物流や情報処理などの設備投資や,相手の業容に合わせた教育などの人的資本投資などがある。この類いの投資は取引相手が変わった場合には全てが水泡に帰すという意味で,特定の相手にしか役立たない(Williamson, 1985)。関係特定的投資を中心的概念とする取引費用分析は,企業間関係において要求される関係特定的投資が高いほど,企業間関係は垂直統合度を高めるものと主張する(Klein, Frazier, & Roth, 1990)。

オーソドックスな取引費用分析によると,企業が他社に対して関係特定的投資を要求しても,その相手はこの企業に対する交渉力が低下して将来買いたたかれてしまうことを予測できる。したがって,他社は決して関係特定的投資を行わないことから,当事者である企業が自ら垂直統合したり,提携関係などのような中間的な企業間関係を結んだりすることとなる(Williamson, 1985)。このように,関係特定的投資を伴う企業間関係は頻繁に観察されており,その微妙な関係が維持されるメカニズムについてはこれまでに多くの研究が蓄積されてきた2)。しかし,既存研究が扱っているのは,既に完成された関係がなぜ不安定な状況で維持されるのかという問いである3)。すなわち既存研究は,取引関係が既に形成されていることを前提として,その有効性や効率性に注目していたものと考えられる。

一方で,なぜ企業が将来に搾取されるかもしれない取引を開始するのかという,取引関係の開始のメカニズムはあまり注目されてこなかった4)。なぜ企業は自らを不利な状況に追い込むはずの取引を決意するのかという関係の端緒についての研究はほとんど行われていなかったのである。そこで本論では,卸売業者と小売業者の関係をとりあげて,彼らの間の戦略提携がいかに開始されるのかを卸売業者の意思決定に注目して検討する。

我が国では,優越的地位にあるチャネル・リーダーがパワーに劣る取引相手を統制・搾取する事例がしばしば報告されている(Mimura, 2006)。一方で,興味深いことに,一時点で見ればリーダーから搾取されているように見えるチャネル・メンバーが,その取引を成長機会と考えて長期的な成長を実現した事例が報告されている(Ogawa, 2003; Yahagi, 1994)。

その注目すべき事例は,設立当初のセブン-イレブン・ジャパンと,当時は小規模だった菓子卸の高山との取引である。Ogawa(2003)によると,その後の高山の成長の源泉は,設立当初のセブン-イレブン・ジャパンと緊密な取引関係を結び,その厳しい要求に応えてきたことに求められる。当時のセブン-イレブン・ジャパンが複数の菓子卸に取引関係のオファーを行ったところ,他者はそのオファーを問屋いじめであるとか搾取の機会と受け取り,オファーを拒否した。一方,高山はそのオファーを経営革新の機会と捉えて取引を開始し,痛みを伴う改革によって長期的な成長を実現したのである。この事例を解釈すると,当時,高山とそれ以外の菓子卸の意思決定を分けたのは,経営者が新たな取引関係に対してどのようなモチベーションで臨んでいたかであるように思われる。というのも,当時の同業他社と高山が異なった取引条件をオファーされていたようには思われないためである。それでは長期にわたって続いていく流通チャネルでの取引関係を結ぶにあたって,同じ取引条件を提示されても,そのオファーを受託する企業と受託しない企業が出てくるのはなぜなのだろうか?

こうした興味深い問いは,本論の立場からは以下のように定式化される。すなわち,経済的には同じような便益をもたらす取引関係の提案に対して,ある企業は積極的に取り組むのに対して,別の企業はその提案を拒絶するのはなぜなのだろうか,という問いである。本論では,流通チャネルにおいて企業がなぜ不確実な取引関係を形成するのかというリサーチ・クエスチョンに答えるために,伝統的な取引費用分析に基づきながらも,意思決定をになう実務家の個人特性を加味していく。その際,意思決定のモチベーションを司る要因として制御焦点(regulatory focus)に注目する(Higgins, 1997)。制御焦点とは,人間が目標を達成しようとする時の2つの志向である。この理論によれば,人間が経済的には同じ利益をもたらす問題に直面しても,その問題に対処する際の主たる制御焦点が利益の獲得を強く求める促進焦点なのか,あるいは損失の回避を強く求める予防焦点なのかによって,異なった選択がもたらされる。

制御焦点理論は主に消費者行動論において盛んに応用されてきたが(Pham & Higgins, 2004),取引費用分析に制御焦点を組み込む理論研究も徐々に進んでいる(Das & Kumar, 2011)。しかし,流通チャネル論での実証研究は数少ないままである5)。このことは,流通チャネルの垂直的関係の不安定性についての研究が蓄積されてきたことを考えると意外なことである。したがって,本論は,流通チャネル論の主要な理論モデルである取引費用モデルにモチベーションを埋め込む理論的・実証的試みとしても位置づけられるであろう。

本論の構成は次の通りである。第2節では,中核的な問いである流通チャネルにおける取引関係の開始をめぐる主な既存研究をレビューし,それらの理論的な注目点の違いを識別する。第3節では,制御焦点理論を紹介し,それに基づいて展開されている企業間関係の研究をレビューする。第4節では,本論の概念枠組を提唱し,第5節において実証分析が行われる。第6節では知見とインプリケーションが示される。

II. 取引関係開始に関する既存研究

1. ファイナンス理論

企業が別の企業と長期的な取引関係を結ぶという問題は,投資プロジェクトの評価とみなすことができる。投資プロジェクトの特徴は,費用と便益が意思決定時だけにかかるのではなく,その後も将来にわたって生じ続けていくことにある。このような投資プロジェクトの採否を分析する基本的な道具として,ファイナンスで用いられる正味現在価値(NPV: Net Present Value)がある(Bodie & Merton, 2001/2001)。ここでは,企業が0期から1期ごとにn期まで続いていく時間の中で,まず0期にC0の初期投資を行うことでキャッシュアウトが生じるが,1期以降にはC1C2のようにプラスのキャッシュが得られていく。同じ金額であっても,早期に得られた方が好ましいため,キャッシュの価値は現在と将来で異なってくる。そこで利子率rを用いて,将来のキャッシュを割り引いていく。n期までのキャッシュの流列を現在価値に直した額が正味現在価値であり,以下のように定義される。

  

NPV =-C0+C1(1+r)1+C2(1+r)2++CT(1+r)T =-C0+t=1TCt(1+r)t

この考え方に従えば,複数の選択肢についてNPVを算出し,NPVがもっとも高い選択肢を選べばよい。企業が別の企業と取引関係を結ぶべきかどうかという問題であれば,取引を結んだ場合と結ばなかった場合を比較して,NPVが高い選択肢を選べばよいということになる。将来のキャッシュ・フローが正確にわかるのであれば,NPVはシンプルでわかりやすい基準である。しかし問題は,肝心の将来のキャッシュフローの正確な予測が困難な点である6)。また,選択肢の経済価値が一意に決まるのであれば,誰でも同じ選択肢を選ぶはずである。したがって,本論のリサーチ・クエスチョンである,同じような取引関係のオファーに対して企業の意思決定が受諾と拒否に分かれるのはなぜかという問題はファイナンス理論では扱うことができない。

2. 関係性マーケティング

流通チャネルにおける長期継続的な取引関係は,関係性マーケティングによって研究されてきた。長期的な関係のライフサイクルを扱った研究であるDwyer, Schurr, and Oh(1987)は,協調的な取引関係は固定的な順序で生じるものと考えた。彼らによると,第1の認知局面では,交渉相手が提示する提案を認識し,第2の探索局面において,関係的交換のありかたを試行錯誤し,第3の拡張局面では,交換相手から便益が増えて相互依存正が高まっていき,第4のコミットメント局面では,関係の継続性への明示的/暗黙的な誓約が生じ,しかる後に第5の解消局面では,関係が解消されていく。取引関係は,規範が低い(もしくは存在しない)状態からはじまる。したがって彼らは,関係の開始段階にあたる認知局面では,企業は他社との協調的関係を作り出すために,目的・価値・期待の共有を作りだす必要があるものと提案している。

また,Jap and Anderson(2007)は,企業間の取引関係を探索段階,構築段階,成熟段階,衰退/解消段階の4段階のライフサイクルに区分して,関係属性は,成熟段階ではなく構築段階で頂点に達し,その後に低下していくことを実証的に示している。彼らがとりあげた関係属性は数多いが,それらのほとんどは取引開始に関わる関係探索段階にてもっとも低い値をとる7)。この研究は,踏み込んだ取引関係を結ぶことは初期段階で特に困難であるということを示している。関係性マーケティング研究では,すでに取引関係が生じている企業を対象として,関係の初期段階で何が必要であるかを論じているものの,そもそも関係を結ばなかった企業の分析は対象外となっている。

3. 取引費用分析

取引費用分析は,近年の流通チャネル研究において支配的な研究アプローチである(Choi, 2009; Rindfleisch & Heide, 1997; Takata, 2013; Watanabe, Kubo, & Hara, 2011)。企業が他社と取引する際には,探索,交渉,執行のそれぞれの活動に取引費用が生じる。その費用が高すぎるならば,企業は他社との取引を諦めて,その取引を内部化することになる(Coase, 1937/1992)。取引費用が生じるのは,限定合理的で機会主義的に行動する人間が,関係特定的投資を伴う取引に従事する場合である(Williamson, 1985)。意図の上では合理的であろうとしても認知能力に限界のある人間の行動は,限定合理性(bounded rationality)に支配される。限定合理的な人間は,将来に生じうるありとあらゆる事態を列挙し,それらに対して適切な対処法をもれなく記述した完備契約を書き下すことはできない。さらに,人間が機会主義的であると,自分の利益になるのであれば,陰険に私利を追及する(Williamson, 1975/1980)。3つの条件が重なり,企業が特定の相手に対して,その相手にしか役に立たない関係特定的投資を行った場合,その企業はすでに投資を行って逃げられなくなった相手に対して不利な再交渉を行い,利益を収奪する。こうした行為はホールドアップと呼ばれる。企業がホールドアップを予期できる程度に合理的であれば,最初から関係特定的投資を行わないであろう。したがって,関係特定的投資を必要とする企業は,他社からの投資を求めるのではなく,垂直統合に至る。契約を守らせることが出来ないという執行の取引費用がこのような事態を招くのである。

このように,一方的な関係特定的投資はホールドアップをもたらすが,双方的な投資は協調的なチャネル関係を守る防御メカニズムとして機能する。Heide and John(1988)は,売り手企業と買い手企業の双方がお互いに対して関係特定的投資を行うことで,取引相手からスイッチされる可能性が低まり,取引が継続されることを示した。Heide and John(1990)は,売り手の関係特定的投資が関係の継続期待を高めて,その結果として売り手と買い手の結合利益を高めると主張している。同様に,Anderson and Weitz(1992)も,双方向的な関係特定的投資をとりあげて,流通チャネルにおける企業間のコミットメントは,事前の契約ではなく,事後の関係特定的投資によって形成されることを示した。Yahagi(1994)は,コンビニエンスストアと供給業者との協働関係が安定している理由について,供給業者が小売業者に対して行う関係特定的投資と,売り手の買い手の仕入れ力への相互依存を指摘している(p. 261)。これらの既存研究は,双方向的な関係特定的投資がリスキーな取引を継続させる鍵になっていることを見出している。

取引の長期継続性に注目する研究群もある。関係特定的投資を伴う取引の場合,1回の取引では必ずホールドアップが生じるが,長期にわたる取引であれば協調的関係が生じうる。この点を繰り返しゲームの枠組を用いて分析したのがBaker, Gibbons, and Murphy(2002)である。自分が裏切って高い利得を1度得たとしても,その後に相手から協力を得られなければ,長期にわたって低い利得しか得られない。そのような将来を予想でき,しかも将来に対する重視度が高いのであれば,短期的にホールドアップすることは割に合わないため,関係特定的投資を伴う取引関係を開始することになる。こうした長期的意思決定の中核にあるのは,将来の重視度である。例えば倒産確率の高い企業は将来を重視しないので,ホールドアップに走って短期的な利益を獲得し,長期の利益を捨てることになるであろう。将来の重視度は,Heide and Miner(1992)Ono and Kubo(2009)によってその重要性が実証的に示されている。以上のように,取引費用分析の推論は取引費用という経済的要因によって行われているため,同程度の合理性や選好を持つ人間であれば全て同じ選択を行うことが示唆されている。

4. 組織能力論

流通チャネルにおける企業間関係に関する研究では,組織能力論も頻繁に展開されている(Gulbrandsen, Sandvik, & Haugland, 2009; Kubo, 2003)。組織能力とは,企業が歴史的に形成し,固有に持っている行動パターンであるルーティン(Nelson & Winter, 1982)に起因する。組織能力は暗黙知的性質を持つため,他社に対して容易に伝達することは難しい。したがって,企業が組織能力を持つ他社と取引関係を結ぶ際には,相手に取引の要件を伝達して教育するための動的取引費用(dynamic transaction costs)が生じる(Langlois & Robertson, 1995)。企業が相手が持っている組織能力を利用するために,相手を説得し,教育する動的取引費用が安くつくのであれば相手と取引関係を結ぶであろう。一方,動的取引費用が高くつくのであれば,相手との取引をあきらめて,相手を買収して垂直統合することを選ぶであろう。しかし,この研究群でも,取引関係を開始する決め手になるのは,動的取引費用という経済計算である。

5. レビューの知見

ここまでのレビューの通り,流通チャネルにおける取引関係の開始を説明する既存の理論の多くは経済計算に基づくものであった。ファイナンス,取引費用分析(Williamson, 1985),組織能力論(Langlois & Robertson, 1995),繰り返しゲーム(Baker et al., 2002)がそれに該当する。いずれも,契約を成立させる取引費用,組織能力を移転する動的取引費用,将来にわたって関係を維持することで得られる便益など,経済的要因の水準の高低を判断することで取引関係を結んだり拒否したりするという説明をする。一方,関係性マーケティング研究は経済計算に基づいてはいないものの,何が関係の端緒となるかについての因果的な命題は提示していなかった。

経済計算に基づく意思決定の特徴は,属人的でないことにある。しかし,本論が扱う問いは,同じような経済環境の下で,同じ経済価値をもたらす選択肢に直面しても,意思決定者によって選択結果が異なるのはなぜかというものであった。経済計算に基づく既存研究はこうした問いに答えられていないのである。

Knight(1921/1959)は,リスクと不確実性を識別して,前者は将来の事象の確率分布が分かって計算可能であるが,後者は確率分布を与えられないと述べている。そして,企業家は,合理的に考えれば失敗するような不確実な新規ビジネスに挑むことで,成功した場合に利潤を得ると指摘している。Knightの指摘を踏まえると,不確実な取引を開始するという意思決定では,経済計算以外の要因があるように思われる。様々な要因が考えられる中で,本論は実務家のモチベーションに注目する。

III. 制御焦点理論

1. 概要

人間の意思決定は,モチベーションと無関係では行われない。取引を始めるかどうか,どのブランドを購買するかといった意思決定は,どのようなモチベーションで行われるのかによって変化するものと考えられる。モチベーションの理論はマーケティング研究では古くから知られているものの8),本論では近年応用が進んでいる制御焦点理論(Higgins, 1997, 1998)を用いる。制御焦点とは,人間が目標を達成しようとする時に自らの行動を制御する志向である(Higgins, 1998)。人間が目標を利益の獲得の追求に置くことを促進焦点(promotion focus)と呼び,逆に損失の回避を強く求めることを予防焦点(prevention focus)と呼ぶ。

促進焦点と予防焦点は意思決定に際して様々な違いをもたらす。第1に,目標の捉え方が変わってくる。促進焦点では最大限の目標を設定するのに対して,予防焦点では最低限達成すべき最小の目標を設定する。最小の目標とは,マイナスの状態を最小化することに他ならない。第2に,自己の捉え方もかわる。促進焦点では自分個人の理想(ideal)を追及し,予防焦点では自分が社会からなすべき課せられた義務(ought)を追及する。したがって,促進焦点の場合は,個人的な理想を追及するため,挑戦的になり,最大限の目標を設定することになるし,予防焦点の場合は,社会的な義務を追及するため,失敗を回避して,最小限の目標を追及することになる。いわば,促進焦点を優勢的に持つ人間は勝つために行動し,予防焦点を優勢的に持つ人間は負けないように行動するのである(Bronson & Merryman, 2013/2014)。第3に,快楽原理が複雑化して,単純な快楽接近と苦痛回避とは異なった目標設定が行われる。すなわち,促進焦点を優勢的に持つ人間は,最良の結果を獲得するという目標を設定するため,それに成功することが快楽であり,失敗することが苦痛となる。一方,予防焦点を優勢的に持つ人間は,最悪の結果を回避するという目標を設定するため,最悪を回避することによって快楽を感じ,最悪に帰着することによって苦痛を感じることになる(図1)。

図1

促進焦点と予防焦点

促進焦点と予防焦点の違いは,望ましい目標状態をどのように達成するかについての選好に起因する(Pham & Higgins, 2005, p. 10)。この理論によれば,経済的には同じ利益をもたらす問題であっても,交渉者が優勢に持つ制御焦点が促進焦点であるか予防焦点であるかによって,異なった選択が行われるものと予測される。実務家の個人特性に注目して意思決定を分析する試みは,ビッグ・ファイブ,中核的自己評価,カリスマ志向などを用いてこれまでにも行われてきた(Gamache, McNamara, Mannor, & Johnson, 2014)。一方で制御焦点を用いることの利点は,それが目的志向の概念であり,実務家の意思決定に直接関わっている点である。

2. 制御焦点と企業間関係

マーケティング研究においては,制御焦点は主に消費者行動論において応用されてきた(Pham & Higgins, 2005)。しかしこの理論の適用領域は幅広く,企業の実務家の意思決定にも適用されており,チャネル研究でもすでに応用が始まっている。以下では,制御焦点理論を用いた企業間関係の研究をレビューする。

(1) 交渉

本論が扱う提携オファーの受託意思決定は,交渉の一種である。企業が行う交渉についての制御焦点研究は数多い。例えばGalinsky et al.(2005)は,企業と求職者のボーナス交渉を題材として,交渉者が優勢に持つ制御焦点が促進焦点であるほど,目標を強く意識して強気に交渉するようになることで,実際によりよい結果を得ることを示している。

(2) 企業間関係

企業同士の取引関係は,契約によってガバナンスされる。Weber and Mayer(2011)は,契約のあり方に注目して,取引費用分析と制御焦点を結びつけた理論的命題を提案した。Williamson(1975/1980)によれば,契約は企業を契約相手の機会主義から守るための道具であり,契約があることで交換が発生する。しかし,フォーマルな契約を結ぶことで,実際には不信が増幅され,契約が予防しようとしていた機会主義的行動がまさにその契約によって生じてしまう(Dyer & Singh, 1998)。そこでWeber and Mayer(2011)は,企業間での交換関係に焦点をあわせて,契約のフレーミングが取引関係へのプラスもしくはマイナスの影響を及ぼすという理論仮説を提唱している。すなわち,予防焦点型の契約は,目標を最低限クリアしなければならないものとして解釈させるため,もしその目標が達成されなければ強力な負の感情をもたらす(p. 54)。一方,促進焦点型の契約は,同一の目標でも達成されれば理想的なものとして解釈させる。そのため,その目標が達成された場合に,強力な正の感情がもたらされるのである。

企業間の提携における制御焦点と機会主義の関係はDas and Kumar(2011)が取り上げている。彼らによると,提携する企業の制御焦点が,機会主義への耐久性を作り上げる上で重要であり,促進焦点の企業は,予防焦点の企業よりも,機会主義に対して高い耐性を持つ。彼らは,提携企業の制御焦点と,パートナーの機会主義への感応度に関して,提携発展の段階ごとの命題を提案した。しかし,彼らの研究の問題点は,意思決定主体が企業という集団になっている点である。制御焦点理論は個人のモチベーションを扱う理論であり,企業組織という集合的意思決定に直接援用することはできない。

この問題を解決するために,企業のCEOの制御焦点を測定し,企業の合併行動を分析した研究がGamache et al.(2014)である。彼らは,CEOの心理的属性の中でも,戦略決定において重要なものとして制御焦点に注目し,それが企業の合併行動に及ぼす効果を検討した。企業レベルでの意思決定研究に制御焦点理論を導入する際の1つの問題点は,集計水準にある。制御焦点は個人レベルのモチベーションを扱うが,企業の意思決定は典型的には集団的意思決定であるため,集計水準のずれが生じるのである。そこで彼らはアニュアル・レポートにおけるCEOの記述の内容分析を行い,サンプルに含まれる用語を促進焦点型と予防焦点型に区分けして,それらの用語の出現比率を独立変数として用いた。分析の結果,促進焦点型の記述が多いCEOほど合併数も合併の企業価値も高いことが見出された。この研究は,測定上の工夫によって,制御焦点理論を企業行動研究への適用を可能にしたものである。

(3) 報酬プログラム

流通チャネル研究において制御焦点理論を用いた研究として,Keeling, Daryanto, Ruyter, and Wetzels(2013)がある。彼らが扱ったのは,製造業者が流通業者に対して用いるチャネル報酬プログラムであった。このプログラムでは,流通業者が製造業者のために行動するとポイントがたまり,流通業者はポイントがたまるとそれを報酬の形で償還できる。彼らの問題意識は,こうした報酬があるにもかかわらず,流通業者がポイントにあまり投資しないのはなぜかということであった。そこで彼らは制御焦点と提案方式(presentation format)が適合している場合に制御適合(regulatory fit)が生じ,流通業者がポイント獲得に勤しみ,ひいては製造業者に対して協力的に行動するという仮説を立てた。第1の独立変数は制御焦点であり,ここでは報酬を2タイプの焦点に対応させて,促進焦点型報酬として見込み客獲得(lead generation)が,予防焦点型報酬としてサービス改善トレーニングが設定された。第2の独立変数は提案方式(presentation format)であり,ここでは言語的提案と数値的提案が設定された。流通業者を対象としたシナリオ実験の結果,制御適合が流通業者に適切感(feeling right)をもたらし,ポイント獲得行動を促していることが見出された。

3. レビューの知見

マーケティングでの制御焦点理論の応用は消費者行動論で盛んに進められてきたが,流通をはじめとする企業間関係の研究でもいくつかの適用例があった。第1に,取引費用分析に制御焦点理論の知見を組み込もうとする研究群では,契約の効果や機会主義的行動などが取り扱われていた。しかし,関係特定的投資という取引費用分析においてもっとも研究されてきた要因との直接的な関連性は検討されてこなかった。第2に,理論研究においては意思決定者が個人なのか組織なのかを識別する必要がないため,集計水準が考慮されてこなかった。一方,実証研究においては,実質的な個人事業主企業を調査対象としたり,CEOの書いたレターに注目するなどの集計水準の工夫が行われていた。このことは,制御焦点理論を企業研究に援用する際には研究文脈に応じた工夫が必要不可欠であることを示している。

IV. 概念枠組

本論の研究の文脈は,Yahagi(1994)およびOgawa(2003)に準じている。すなわち,小規模な卸売業者が大規模な小売業者から長期にわたる取引関係の形成を持ちかけられた場合に,卸売業者がそのオファーを受諾するか否かという問題を取り扱う。その理由は,意思決定主体がミクロの個人でなければ,制御焦点理論を適用できないためである。制御焦点理論は個人のモチベーションに関する理論であり,集合的意思決定の理論ではない。したがって,制御焦点理論を企業間関係に援用した研究は注意深くサンプルを選択して,個人経営企業(Keeling et al., 2013)や,大企業の場合であればCEO(Gamache et al., 2014)を対象としてきた。規模で劣る卸売業者の実務家を対象とすることで,本論はこの点に対応する。

従属変数は,小売業者のオファーに対する卸売業者の取引受諾意思(willingness to accept offer)である。それに対して2つの独立変数を設定する。第1の独立変数は,関係特定的投資の有無である。流通チャネルにおける企業間関係では,取引相手に対する関係特定的投資を伴うことが多いことから,ここでは取引費用分析を基本モデルとして用いる。取引費用分析に従うと,卸売業者が小売業者から戦略提携を持ちかけられて交渉する際,卸売業者が小売業者にしか役に立たない関係特定的投資を要求されるならば,卸売業者は小売御者から逃げられなくなって搾取されることを恐れて,提携を受け入れないであろう。関係特定的投資がホールドアップのリスクを高めるためである。

取引費用分析の実証研究には相当の蓄積がある(Geyskens, Steenkamp, & Kumar, 2006)。しかし,先に述べた高山の事例からわかるように,同じような経済環境に置かれた卸売業者が同一の提案を受けた時に,ある卸売業者はその提案を受け入れるのに,別の業者は拒否することは十分にありうることである。取引費用モデルはこのような提案への可否を説明することができない。そこで本論では関係特定的投資に基づく取引費用分析の仮説に意思決定者のモチベーションの視点を導入することでこの問題の克服を試みる。

そこで第2の独立変数として制御焦点を導入する。卸売業者が優勢に持つ制御焦点が促進焦点の場合,彼らは交渉の結果として得られる利益を追求しようと動機づけられるであろう。一方,卸売業者が優勢に持つ制御焦点が予防焦点の場合,彼らは不確実な取引にあたって,将来のリスクや搾取される可能性を高く見積もるであろう。さらに,制御焦点は,関係特定的投資と相互作用すると考えられる。関係特定的投資は将来のホールドアップを連想させるものであるため,実務家には重い意思決定である。例えば,Hegarty and Sims(1978)は,取引にかかる金額が多額なほど機会主義が生じると報告している。そのことを予測できる実務家は,関係特定的投資が必要な取引は,制御焦点よりも経済計算を優先して意思決定するであろう。したがって,制御焦点は特に機能しないものと考えられる。一方,関係特定的投資が不要な取引の場合は,制御焦点のあり方によって意思決定が左右されるであろう。卸売業者が取引関係に際して小売業者から求められる関係特定的投資が,その交渉を受諾する意図を引き下げるという関係に対して,制御焦点が調整変数として機能する。その結果,促進焦点が優勢な場合,受諾意図が高まるものと考えられる(図2)。

図2

概念枠組

V. 実証分析

1. チャネル研究における実験アプローチ

本論では実証分析にあたって,質問票を用いた調査観察研究(observational studies)ではなく,実験を行う。流通チャネル研究では,企業への質問票調査によって収集した調査観察データを用いた実証研究が主流である。しかし,本論が扱うような取引関係の受諾というリサーチ・コンテクストで調査観察データを用いると,取引のオファーを受けたにもかかわらず取引関係を結ばなかった企業のサンプルが欠落することになり,サンプルセレクションバイアスが生じてしまう。そこで,仮想的なシナリオを想定した実験を行うことで,取引関係を結ばなかった企業も含めることができるようになる。

マーケティング研究において,実験は主に消費者行動分野で用いられているが,意外なことにチャネル研究でも実験を用いた研究は数多い。一部の例として,チャネルメンバーの満足度(Dwyer, 1980),パワー不均衡のチャネル交渉への影響(Dwyer & Walker, 1981),インフルエンスのタイプ(Scheer & Stern, 1992),取引費用の知覚に対する資産特殊性などの影響(Pilling, Crosby, & Jackson, 1994),依存と機会主義の関連(Joshi & Arnold, 1997),製造業者と流通業者のチャネル交渉へのメッセージのタイプの効果(Srivastava & Chakravarti, 2009),コミットメントと役割外行動の関連(Kim et al., 2011),マルチダイアドの生産財チャネルにおける関係特定的投資とブランドの差別化(Dahlquist & Griffith, 2014)などの研究がある。実験条件を統制して因果関係の推定を可能とする実験アプローチは,流通研究においても有用であり,古くから用いられてきたのである。

2. 実験計画

実証分析のために,ウェブによるシナリオ実験を行った。実験は2×2の被験者間計画である。独立変数は関係特定的投資の有無と制御焦点(促進焦点/予防焦点)である。2018年3月に,NTTコムのパネルを用いて,卸売業者および商社に勤務している方を抽出した。その結果,516人の回答が得られた。無回答のある質問票を取り除き,さらにマニピュレーションのために用いた質問に正しく答えていない質問票も無効票として取り除いた結果,有効回答数は394人となった。

実験の流れは次の通りである。第1に,関係特定的投資(有無)と,制御焦点(促進焦点/予防焦点)をかけ合わせて4つのグループを作り,被験者をそれらのいずれかにランダムに割り当てた(表1)。

表1

各グループの被験者数

第2に,被験者はシナリオを熟読するように求められた。シナリオで想定したのは,卸売業者が規模に勝る小売業者から戦略提携を持ちかけられている状況である。被験者はこの卸売業者の交渉担当者になったつもりで質問に回答するように求められた。シナリオはこの卸売業者が置かれた状況を説明するだけでなく,関係特定的投資の有無をマニピュレーションしている。関係特定的投資が求められているグループについては,シナリオ中で「関係特定的投資のマニピュレーション」と示された枠の中の文章がこの位置に挿入された。その一方で,関係特定的投資が求められていないグループについては,その文章は提示されなかった。関係特定的投資の有無をマニピュレーションする文章は,取引費用系のチャネル研究で用いられてきた質問項目を参考にして作成した(Ganesan, 1994; Klein, Frazier, & Roth, 1990)。

第3に,被験者に対してシナリオの理解度を測定するために以下の質問を行った。すなわち,「このシナリオの内容をどの程度理解できましたか?」,「卸売業者A社の状況を理解できましたか?」の2つの質問を「全く理解できなかった(1点),よく理解できた(7点)」の7点尺度で質問し,それらの平均値を共変量として用いた(α=0.98)。

第4に,制御焦点のマニピュレーションを行い,被験者の制御焦点を促進焦点と予防焦点のいずれかにマニピュレーションした。制御焦点は個人の個性に由来するものだけではなく,状況によってもプライミングされる(Lee & Aaker, 2004; Zhou & Pham, 2004)。そこで本論でもそれにならってシナリオによって制御焦点を心理的に操作した。マニピュレーションはGalinsky et al.(2005)の手続きにならった。まず促進焦点に割り当てられた被験者に対して3分かけて「この交渉で獲得したいこと,そしてそれをどのように獲得するのか」を自由記述で回答していただいた。予防焦点についても同様に3分かけて,「この交渉で回避したいことと,そしてそれをどのように回避するのか」を回答していただいた。記述内容をチェックすると,「わからない」との回答や,無関係な内容を回答しているものや,明らかに質問を誤解した回答も多く見られたことから,それらを削除した。

第5に,関係特定的投資のマニピュレーションチェックとして,4つの質問を行った。「この提携をすると,あなたのA社は,小売業者B社との取引をやめられなくなってしまうと思いますか?」,「この提携をすると,後になってから,あなたのA社は小売業者B社に徹底的に利用されてしまうリスクがあると思いますか」,「あなたのA社が小売業者B社と提携した後で,もしも提携を解消したとしたなら,A社はB社に対して行った投資がムダになると思いますか?」,「あなたのA社が小売業者B社と提携した後で,提携を解消し,別の小売業者C社と提携したならば,A社の資産はC社との取引にも役に立つと思いますか?」の4つの質問を7点尺度で行った(α=0.86)。4つの質問の平均値を用いて,関係特定的投資の有無についてt検定を行ったところ,予想した通りの有意な差が確認された(MRSI=5.45, MNoRSI=5.11, t(392)=–3.18, p=.00)。したがって,マニピュレーションは成功していると判断した。

第6に,従属変数についての質問を行った。従属変数として,取引受諾意思を「卸売業者A社の経営者であるあなたは,小売業者B社と提携したいと思いますか?」と「卸売業者A社の経営者であるあなたは,小売業者B社の提案を受け入れたいと思いますか?」の2つの質問で測定した。いずれもリカート法の7点尺度である。信頼性係数αは0.91であり,2つの質問の平均値を従属変数として用いた。従属変数の正規性についてShapiro-Wilks検定を行ったところ,W=.99, p=0.00となり,従属変数が正規分布するという帰無仮説は棄却された9)。従属変数の正規性は認められなかったため,2×2の4グループについて,従属変数の等分散性についてBrown-Forsythe検定を行った。その結果,W(3,390)=0.90, p=0.44となり,各グループの分散が等しいという帰無仮説は棄却されず,等分散性の要件は満たされた。

第7に,制御焦点のマニピュレーション・チェックを3つの質問を用いて行った。「そのとき,あなたはどのように感じていましたか?(マイナスの結果回避1 プラスの結果獲得7)」,「そのとき,あなたはどのように感じていましたか?(最悪の結果を回避しようとした(1点),最良の結果を獲得しようとした(7点))」,「そのとき,あなたは利益を得ることは損失を避けることよりも大事だと感じていましたか?」の3つの質問の信頼性係数αは0.79であった。3つの質問の平均値を用いて促進焦点と予防焦点の被験者に分けてt検定を行ったところ,ここでも予想した通りの有意な差が確認されたため(MPromotion=3.96, MPrevention=3.40, t(392)=–4.33, p=.00),マニピュレーションが成功していると判断した。最後に,回答者の性別,年齢,業種,就業年数を質問し,実験は終了した。

3. 分析結果

実験は2×2の被験者間計画で行われた。しかし,被験者のシナリオの理解度と就業年数の分散が大きいため,それらをコントロールする必要がある。そこで,2つの独立変数(関係特定的投資と制御焦点)だけでなく,連続変数で測定されたシナリオ理解度と就業年数を加えて共分散分析(ANCOVA)を行った。シナリオ理解度は2つの質問の平均値を用い,就業年数は素点を用いた。

分析の結果,関係特定的投資の主効果は1%水準で有意であり(F(1,388)=16.05, p=0.00),関係特定的投資がある場合の取引受諾意思は有意に低かった。この結果は,関係特定的投資が将来のホールドアップを予測させるため,この投資があると取引をためらうという取引費用分析の結果と整合的である(Williamson, 1985)。制御焦点の主効果も1%水準で有意であった(F(1,388)=8.10, p=0.00)。促進焦点にプライミングされた被験者は,予防焦点にプライミングされた被験者よりも取引受諾意思が高かった。さらに,両者の交互効果は5%水準で有意であった(F(1,388)=4.21, p=0.04)。本論にとって関心があるのは,関係特定的投資がない場合の制御焦点の効果である。その単純主効果はt(1)=3.61, p=0.00と有意な効果があった。一方,関係特定的投資がある場合の制御焦点の単純主効果はt(1)=0.54, p=0.59と非有意であった。

関係特定的投資が行われる場合には,促進焦点が優勢であっても,取引関係を開始しようという意図は有意には高まらない。一方で,関係特定的投資が行われない場合には,促進焦点の実務家は予防焦点の実務家よりも取引関係を開始しようとすることが見出された(図3)。

図3

分析結果

VI. 結論

1. 知見

流通チャネル研究においては,すでに形成された取引関係を所与として,その安定性や企業成果との関連性が研究されてきた。しかし,そもそもどのような企業が取引関係を結ぶのか,どのような要因によって企業が不確実な取引を開始するのかという問題はあまり研究されてこなかった。本論は取引費用分析に制御焦点を組み入れることによってこの問題を取り扱った。また,現実に観察される取引関係には,取引を行わなかった企業は観察されないため,調査観察データではサンプルセレクションバイアスが生じる。したがって,企業が不確実な取引を開始するかどうかという問いを扱うために,実験を行った。

実験の結果,想定していた通り,制御焦点が取引のオファーの受諾意思決定に対して強い影響を及ぼすことと,制御焦点の効果は関係特定的投資を伴わない場合に大きいことが明らかとなった。取引のオファーに対する対処という経済的な意思決定であっても,交渉当事者のモチベーションが大きく影響する。このことは取引費用分析が無視してきた要因であり,本論の貢献といえよう。

2. 実務的インプリケーション

本論が扱った文脈は,大規模小売業者が自社に有利な流通チャネルを作り上げるために,中小規模の卸売業者と緊密な関係を作り上げるという状況であった。小売業者に限らず,企業が流通チャネルにおいて生み出すイノベーションは,それが広く深いものであるほど,自社だけでは実現できず,他社を巻き込む必要がある(Yahagi, 1994)。流通チャネルにおいて他社を説得し,自社の流通チャネルに参加してもらうためには,提携のオファーを受ける企業のモチベーションのあり方が重要である。したがって,交渉にあたっては,取引が生み出す正の側面を強調し,交渉相手の制御焦点を促進焦点に動かすような工夫が推奨されるであろう。

一方,関係特定的投資を伴う取引については,多くの企業が尻込みしているのが現実である。したがって,長期的に関係特定的投資を高める前に,まずは少量の関係特定的投資を要求することからはじめて,徐々に投資水準を高めていくことが効果的であろう。あるいは,交渉相手だけでなく,自社も交渉相手に対してしか役に立たない関係特定的投資をすると,その投資は相互的人質(mutual hostage)として機能するため,ホールドアップのリスクを低下させる(Williamson, 1985)。したがって,交渉開始時には,お互いに関係特定的投資を行うことにコミットすることで,交渉相手の不安を取り除く必要があるだろう。

3. 学術的インプリケーション

制御焦点と関係特定的投資の交互効果は,本論で取り扱わなかった取引費用分析の他の要因との関連性をも示唆する。例えば,Williamson(1975/1980, 1985)によると,不確実性は取引受諾意思に負の効果を及ぼす。しかし,意思決定者の制御焦点は不確実性への態度を変えるため,意思決定者が予防焦点よりも促進焦点の場合に,不確実性が取引受諾意思に及ぼす効果は弱められるものと考えられる。さらに,取引される財・サービスの評価の困難な場合についても同様の推論が成り立つであろう。

さらに,取引費用分析そのものへのインプリケーションがありうる。取引費用分析は限定合理性と機会主義という2つの人間行動仮定から理論を作り上げる。しかし,初期のWilliamson(1975/1980)の議論には,雰囲気などの心理的要因への言及もあった。そこで,人間行動の仮定に2つの制御焦点を組み入れて,取引費用分析を修正するという方向性が考えられうる。実際に,制御焦点理論には,ファイナンスや期待効用モデルなどの経済学的モデルとの関連性も指摘されている(Zhou & Pham, 2004)。

4. 今後の課題

今後の課題として3点が挙げられる。第1に,本論の仮説は,卸と小売という限られた文脈で構築されたものであった。実証分析のために文脈を特定する必要があったが,その結果として,外的妥当性の問題が残されることとなった。したがって,今後は別の文脈へと拡張する必要があろう。第2に,本論は制御焦点理論のアイデアを援用したが,制御適合理論の導入も有用である。意思決定者が目標をその志向(促進焦点もしくは予防焦点)に合致したやり方で追及すると,制御適合が生じる(Keeling et al., 2013)。今後は,説得方法と制御焦点の関連付けを導入することで,本論の枠組を精緻化できるものと考えられる。第3に,今回は制御焦点を被験者に記述してもらうことによってマニピュレーションを行ったが(Galinsky et al., 2005),小売業者の提案方式によっても制御焦点をマニピュレートすることは可能であろう。今後は別のマニピュレーションも試みていく必要がある。

謝辞

執筆段階でアドバイスを下さった高橋郁夫,小野晃典(慶應義塾大学),丹沢安治,松下光司,結城祥(中央大学)の先生方と,本誌のエディタおよびレビュワの先生方に感謝します(敬称略)。本研究はJSPS科研費17K04005の助成を受けたものです。

1)  コンビニエンス・ストアが卸売業者に要求した各種の関係特定的投資とそれによって入手可能となった流通サービスについてはYahagi(1994)を参照のこと。

2)  例えばHeide and John(1988)が挙げられる。

3)  製造業者と流通業者とのチャネル関係を不安定な不断の交渉とみなしたチャネル交渉論は,なぜ不安定なチャネル取引が維持されているのか,そしてそのための誘因と貢献の交換を扱っている。しかし,そもそも企業がなぜ不安定な取引を開始するのかは問われていない(Furo, 1968; Takashima, 1994)。

4)  関係のライフサイクルを扱った実証研究として,Jap and Anderson(2007)がある。

5)  希少な実証研究としてKeeling et al.(2013)がある。

6)  ファイナンスの意思決定と制御焦点理論を組み合わせたZhou and Pham(2004)によると,促進焦点の個人は相対的にリスク愛好的になり,予防焦点の個人は逆に相対的にリスク回避的になる。さらにZhou and Pham(2004)は,リスクとリターンの異なる金融商品が消費者の制御焦点をプライミングすることも示している。

7)  目標の一致度,情報交換規範,関係の調和,全体的依存度,双方的特異的投資,買い手の売り手への信頼,リスク受容度などが比較されている。

8)  たとえばMaslow(1943)Dichter(1964)が古典的である。

9)  正規性の違反は大きな問題にはならない。サンプルサイズが大きくなれば中心極限定理によって平均は正規分布するためである(Keppel & Wickens, 2004, p. 145)。

久保 知一(くぼ ともかず)

1996年 明治学院大学経済学部卒業,2004年 慶應義塾大学大学院商学研究科博士課程単位取得退学,2004年 東京学芸大学教育学部講師,2008年 中央大学商学部准教授,2013年~2015年 コロンビア・ビジネススクール客員研究員,2018年 中央大学商学部教授。

References
 
© 2018 The Author(s).
feedback
Top