Quarterly Journal of Marketing
Online ISSN : 2188-1669
Print ISSN : 0389-7265
Marketing Case
Agri×Area Marketing:
A Challenge of Oenosato Natural Farm to Agricultural Diversification
Hidetoshi ShiroishiAkinori Ono
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2019 Volume 39 Issue 2 Pages 68-80

Details
Abstract

世界有数の鶏卵生産消費国である日本において,大量生産がますます進む一方で,少量の高級ブランド卵を生産する様式を採用する養鶏業者も登場している。そんななか,高級ブランド卵を大量に生産して販売する鳥取県八頭町の養鶏業者がある。それが「大江ノ郷自然牧場」(農業生産法人・有限会社ひよこカンパニー)である。同牧場は,高級ブランド卵「天美卵」を成功させたに留まらず,その卵を使用した加工食品を開発して併売する形で第二次産業に参入し,さらには,農業や食を体験させることのできる施設を建設することによって,第三次産業にも参入し,それらについても,首都圏その他の大市場から離れた過疎地域であるにもかかわらず成功を収めている。本論は,事業成功のカギを握る同牧場のビジネスモデルを解析する。

Translated Abstract

Japan has one of the largest poultry industries in the world. To meet the high demands for eggs, many types of mass production methods have been developed. In contrast, a number of high-quality brands of eggs have been launched. Among them, the Oenosato Natural Farm (managed by Hiyoko Company) located in Yazu Town, Tottori Prefecture is currently the most successful company in Japan; supplying a high volume of highly priced, high-quality eggs, named Tenbiran. It should be noted that this firm is successful not only in selling eggs, but also in providing various foods made from eggs, as well as restraint services and agricultural experience tours—although Yazu Town is located far from Tokyo and other big markets. Why is the firm successful? To answer the question, this paper analyzes the firm’s business model.

図1

大江ノ郷自然牧場の全景(著者撮影)

I. はじめに

鳥取県の主要都市は,日本海岸に沿って東西に分布しており,そこから南下すると,すぐに,中国山地の山々が目前に迫る。その山間部にも町々が点在しており,そんな町のひとつが八頭町である。八頭町は,県庁所在地,鳥取市から車を南に走らせること,わずか30分。しかし,車の数もまばらな高速道路無料区間にある。高速を降りても,車も人もほとんど見かけない。そこから一般道をさらに進むと,道の両脇にはいよいよ山々が迫る。その狭間に流れる大江川の川岸のごくわずかな平地に,きれいに開墾された農地があり,人家がぽつりぽつりと見える程度で,人影はない。そんな静かな山陰の山間地に,それぞれ「ココガーデン」および「大江ノ郷ヴィレッジ/大江ノ郷テラス」と名付けられたその2棟の施設はある。

現地の人も「それ以外は何もない」と言う山間部。それにもかかわらず,鳥取市街からここまでの道のりで見た車の数を考えると驚くほどの数の車が,広々とした駐車場に止まり,施設は,家族連れやカップル,さらには,少しおめかしした地元の老齢のご婦人たちで賑わっている。ある人は,そこに卵を買いに来たという。ある人は,パンケーキを食べに来たという。ある人は,食べに来たのでも,買いに来たのでもなく,作りに来たのだという。

これらの施設は,山道をさらに進んだところにある養鶏場を経営する農業生産法人・有限会社ひよこカンパニー「大江ノ郷自然牧場」によって経営されている施設である。「大江ノ郷自然牧場」は,平成6年,社長の小原利一郎氏によって設立された養鶏組織である。小原氏と彼の経営理念を支持する社員たちは,1個100円の高級ブランド卵「天美卵」を開発・販売した。「天美卵」は,高級ブランド卵の先駆というわけではないし,むしろ高級ブランド卵の市場が開拓され,それに注目した全国の養鶏業者や飼料業者によって無数の高級ブランド卵が群雄割拠するようになってからの登場であった。それにもかかわらず,「天美卵」は大成功を収めたのであった。

そして,「天美卵」を成功させたのに留まらず,小原氏は,その卵を使用した加工食品を開発して併売する形で第二次産業に参入し,さらには,それらを直販したり給仕したりする施設「ココガーデン」を開店させ(平成20年。平成25年増築),さらに,より多彩かつ大規模な生産過程を見学させたり,野菜の収穫を体験させたりすることもできるようにした施設「大江ノ郷ヴィレッジ/大江ノ郷テラス」を建設する(平成28年)ことによって,第三次産業にも参入した。この点については,上記のとおりである。

かくして,「大江ノ郷自然牧場」は,第一次産業(養鶏)から第二次産業(鶏卵加工食品の生産),さらには第三次産業(カフェ・レストラン事業)を横断的に行う,いわゆる「六次産業化」を果たしたことになる。

同社は,その革新的なビジネスモデルやそのアウトプットを評価され,平成19年に鳥取県経営革新大賞・特別賞,平成23年に日本政策金融公庫・アグリフードEXPO輝く経営賞,平成25年に農林水産省・全国六次産業化事業・食料産業局長賞,平成27年に鳥取県経営革新大賞グランプリ,平成28年に経済産業省・地域未来牽引企業,平成29年に中国四国農政局・ディスカバリー農村漁村(むら)の宝,および,鳥取県経済同友会・因幡元気大賞,令和元年に経済産業省・はばたく中小企業・小規模事業者300社・生産性向上部門等々の多数の賞を受賞した。

本論は,大江ノ郷自然牧場が,高級ブランド卵「天美卵」をいかに構築して成功させるに至ったか,また,その後,地元鳥取にこだわったビジネス展開によって,いかにして地域と共生し,地域とともに果たす成長を目指しているかということを論じていきたい。

II. 養鶏産業とその製品

卵とはどのような製品か。また,その卵という製品を生産する養鶏業は,どのような取り組みを行っているのか。養鶏業者にとっては当然の知識かもしれないが,産業外にいる者の大半にとっては未保有の知識かもしれない。そのような知識に,他の産業との異同を意識しつつアクセスすることは,有益なことであろう。

日本市場は,世界でも有数の,極めて大きな鶏卵市場である。International Egg Commission(2015)によれば,日本人ないし日本在住者は,1人あたり1週間に6.3個の卵を消費するという。そして,これは世界第3位の消費量(なお,第1位はメキシコ,第2位はマレーシア)であるという。一方,鶏卵は生鮮品であり,事実,日本で消費される鶏卵の96%は日本国内で生産されている(Ministry of Agriculture, Forestry and Fisheries, 2018)。それゆえに,日本は,世界有数の鶏卵市場であるだけでなく,世界有数の鶏卵生産地であると言うことができる。

鶏卵の生産は当然ながら養鶏業者が担う。養鶏業者の稼業は,鶏卵を産む雌鶏を飼い育てることである。しかし,雌鶏が卵を産む頻度を向上することはなかなか難しい。それゆえ,日本市場における巨大な需要を満たすためには,雌鶏の飼い方を「合理化」する必要がある。具体的には,第一に,一定面積あたりの雌鶏の羽数を増やすことによって,効率を上げるという方途が考えられる。実際,地価の高い場所で人が戸建てではなくアパートに住むように,鶏にも山積みにされた鳥篭ケージを用意し,そこに鶏を押し込める。しかも,それは人とは比べようにならないほどの密度で押し込める。そのような仕方によって,養鶏場の地料という固定費の,一羽あたりの金額を減らすことができる。このケージ飼いという方式を採用すると,養鶏場の地料が軽減されるだけでなく,鶏の動きを極端に制約した上で,頭側に給餌ベルトを設置し,尾側に排泄処理ベルトを設置することによって,日々の給餌作業や清掃作業を飛躍的に効率化することができる。そのような総合的な意味において,「合理化」という名の低コスト化が図られたのである。

また,次節において詳述するキーワードとして,飼料がある。養鶏業者が飼料業者から購買する飼料を安価で済ますことは,「合理化」の方策として有効である。その一方において,雌鶏に与える飼料は,産み落とされる鶏卵の品質を左右する。低価格低品質の飼料を使えば,費用は節減できるわけであるが,それに反比例して,鶏卵の品質は低減する恐れがある。このトレードオフに留意しつつ,大量生産の鶏卵には,対費用効果の高い飼料が選定されている。典型的には,雌鶏を生かすためのエネルギー源でありつつ卵黄を黄色に保つために重要なトウモロコシ,雌鶏の生命維持にも重要で鶏卵の旨味の素でもあるアミノ酸を摂取させるための大豆油粕,卵殻の組織化に必要不可欠なカルシウムを強化するための石灰石粒である。そこに,産卵促進のためにホルモン剤が添加されたり,時には,超高密度に詰め込まれたり栄養の偏った飼料を与えられたりすることに伴う疾病の予防のために抗生剤や抗菌剤が添加されたりする(ただし,添加しうる薬品の種類や量には,食品衛生の観点からの法規制が存在する)。このように「合理化」された飼料が,飼料業者によって工場で大量生産されることによって,さらなる鶏卵そのものの大量生産方式が推し進められていった。一部の養鶏業者は,このような時代の流れについていけずに,経営状態を悪化させてしまう。飼料の買掛けがかさむと,飼料業者が養鶏業者の経営に参画したり,会社ごと買収したりした上で,ケージ飼いや大量生産飼料の導入に拍車が掛けられていった。こうして,一昔前は高級品だった鶏卵が,「物価の優等生」と言われるほどに飛躍的に低価格化し,大衆品となって広く普及していったのである。

かくして卵が極限まで低価格化すると,今度は,供給過剰の危機が半ば規則的に訪れるようなフェーズに到達する。卵の生産は,需要の増減に合わせて,即座に増産したり減産したりすることができず,一定期間,現有の雌鶏の羽数に比例した数の卵が生産され続けることになる。すると,行楽弁当やクリスマスケーキ等の材料として需要が高まる秋冬に比べて,夏休みに伴って給食の材料としての需要が減る春夏は,卵価が実に数十パーセントも下落してしまう。このような需要と価格の乱高下は,養鶏場経営の難易度を上げることによって,養鶏業の衰退,ひいては,栄養価が高くて安価な食材である卵を国民が食する機会の減退を引き起こす恐れがある。そのため,日本政府は,価格下落時に損失補填を行う基金と,さらなる価格下落時に養鶏場を休舎にすることに対して発給する奨励金から構成される「鶏卵生産者経営安定対策事業」を実施するといった種々の対策を講じて現在に至っている。

III. 高級ブランド卵の時代

卵は,前節のような経緯から,価格が安いのにもかかわらず栄養価の高い優秀な食材として,日本の大衆の食卓を支えてきた。しかし,もっと栄養価を高めることができるのにもかかわらず,養鶏業界と日本政府は,そのような方途を長らく指向してこなかった。むしろ,上記のように,「合理化」が推進され,いわば粗製乱造が行われてきたのである。そのような状況において,製品差別化戦略を採用し,上位の真空地帯に対して付加価値卵と呼ばれる高級ブランド卵を市場投入しようとする挑戦者が現れるのは,ある意味,時間の問題であったとも言いうるであろう。

卵の品質を直接的かつ大きく左右する第一の要因といえば,それを産む雌鶏に与える飼料である。それを知るエピソードの一つとして,飼料がトウモロコシである場合と比べて,もし飼料が白米ならば,卵黄は薄いレモン色になり,他方,飼料が牧草ならば,卵黄は濃い赤黄色になるということが知られている。それゆえ,卵黄の色の濃さは,多くの消費者がイメージしているのとは異なり,美味しさや栄養価の高さのバロメータにはなりえないのだそうである。しかし,それでもなお,卵黄の色が濃い鶏卵が美味しく栄養価の高い鶏卵であるように錯覚し,そのような色の濃い鶏卵を買い求める消費者が存在する。それゆえ,そのような消費者に対して,飼料を調整して卵黄の色を濃くした鶏卵を,積極的に生産するような業者が数多く出現した。

その一方で,単に色が濃いだけでなく,実質的に栄養価の高い鶏卵を生産するために,自力で飼料に工夫を凝らす業者も出現した。ある栄養価の高い飼料を与えれば,鶏卵に含有されるその栄養価も強化される傾向があるという因果関係を利用しようというのである。有名なのは,高級ブランド卵の先駆として知られる「ヨード卵・光」であろう。ヨウ素(ヨード)というミネラルを豊富に含むというそのブランド卵は,海藻を配合した飼料を与えられた雌鶏によって産み落とされる。海藻の中のミネラルが,雌鶏という天然のフィルターを通じて,栄養素と無関係な成分から分離,濃縮されて,鶏卵に内含されるようになるのである。「ヨード卵・光」は,当時としては破格の1個50円という高価格なプライシングを断行する一方,飼料-鶏卵-栄養に関する産学共同研究を推進し,その研究成果をもって,自社製品の医学的・栄養学的な優位性を市場に対して訴求していったのであった(cf. Numagami, 2000)。

付加価値鶏卵が強化する栄養成分は,ヨウ素だけではない。「ヨード卵・光」に追随する付加価値鶏卵は,飼料の工夫を通じて鶏卵に付加するのが容易で,なおかつ潜在顧客にとって魅力的で訴求に値する栄養成分を自力で模索して,それを強化する方策を採用した。そのようにして採用された栄養成分の代表例は,ビタミン類と脂肪酸であろう。一方のビタミン類については,「ビィータ 赤玉」のように,全13種類のビタミンのうち,9種類のビタミンを強化した付加価値鶏卵さえ存在する。他方の脂肪酸については,血中のコレステロールや中性脂肪を低下させたり,記憶や学習の機能を高めたりするという脂肪酸の一種である「DHA(ドコサヘキサエン酸)」や「EPA(エイコサペンタエン酸)」が,一般消費者に対する訴求点として効果的である。これらの脂肪酸は,魚油の添加という比較的容易な飼料の工夫によって付加することのできる栄養成分として,各地の付加価値鶏卵に添加されるようになった。

付加価値鶏卵が強調する成分は,栄養成分に限られない。山梨の「ワインたまご」(株式会社ハイチック)は,赤ワイン用のブドウの搾りかすを飼料に自家配合することによって,栄養成分であるポリフェノールを含有しているわけであるが,鶏卵成分としてブドウという山梨の特産品そのものを強調することによって,ご当地鶏卵であるという価値を訴求していた。それと同様に,香川の「オリーブEgg」(農事組合法人 東山産業)も,オリーブ葉を飼料として自家配合することによって,希少な栄養成分である葉酸を多量に含有しているわけであるが,葉酸が一般消費者に馴染みがないこともあって,むしろ,オリーブという香川の特産品そのもの,香川のご当地鶏卵であるという価値によって人気を博している。「紀州うめたまご」(紀州うめどりうめたまご協議会)に至っては,クエン酸の効果によって内臓脂肪の減少が観察されていると主張された梅酢添加飼料を与えているわけであるが,むしろ,当地の地域ブランドである南高梅と同様の地域ブランド化を目指して開発されたということを強調している。

鶏卵に対する価値の付加は,雌鶏の飼い方全体によっても展開された。先述のとおり,大量の雌鶏を鳥篭ケージに閉じ込め,密集させて飼う飼い方は,養鶏場の地代や鶏卵の収集その他の点で効率的であるが,雌鶏の心身の健康を害する飼い方である。そのような飼い方そのものが鶏卵の質を下げるのと共に,健康維持のために飼料に抗生剤や抗菌剤が添加されることがあるという事実が次第に知られるようになり,さらには,「アニマルウェルフェア(畜産動物福祉)」の考えを持つ市民が増え始めると,鳥篭ケージで飼われた雌鶏が産み落とした鶏卵は,人にも鶏にも健康に悪いものである,と一部の消費者の間で見なされるようになった。すると,鳥篭ケージを使わない「平飼い」と呼ばれる養鶏法を採用した上で,それを訴求ポイントとしてマーケティング・コミュニケーションに利用する養鶏家たちが現れた。雌鶏密度が低く,また,卵を産み落とす場所や卵を産み落とした雌鶏の特定化が困難であるために産卵管理に面倒が伴うので,「平飼い」は,「ケージ飼い」に比して遥かに高コストであるわけであるが,健康な雌鶏が産み落とした質が高く健康な鶏卵を求める消費者層のニーズに合致しており,それを訴求するブランド鶏卵群は,「付加価値鶏卵」として,彼らの愛顧を獲得するに至っている。

IV. 「天美卵」とそのブランディング

「大江ノ郷自然牧場」(ひよこカンパニー)の代表,小原利一郎氏が,鳥取県八頭町の大江川のほとりに養鶏場を開業したのは,平成6年のことであり,さほど古い歴史があるわけではない。それ以前も養鶏場の開業を計画していた小原氏であったが,挫折を味わったからである。

小原氏は,もともと鳥取市郊外で養鶏業を営む家庭に生まれ,雌鶏に親しみつつ少年期を過ごした。大人になる頃には,ヨーロッパ製の最新式の巨大な鳥篭ケージを備える「工場」と化した大規模養鶏場が各地に建設されるようになり,小原氏は,そこで,生命を最低限度の線で維持された雌鶏に鶏卵を産ませるために必要な最低限度の配合飼料が導入されており,それを給餌するのも,鶏卵を収集するのも,オートメーション化されているのを,目の当たりにすることになった。身動きの取れない鳥篭ケージに押し込まれた雌鶏が,ストレスのせいで互いの羽を突き合って,心身共にボロボロになるという有り様であり,殺し合いさえ発生していたという。ところがある日,鳥篭ケージから脱走した雌鶏をしばらく回収せずに放置していたところ,その雌鶏は敷地内を走り回って草をついばみ始めた。それを見た小原氏は,養鶏が人間のエゴによって雌鶏に卵を産み落とさせる産業であること自体を変えることはできないものの,せめて幸せに過ごさせてやりたいし,そのことが,よりよい鶏卵が産み落とされることに繋がって,人間も幸せになれると確信したという。そして,「合理化」の名の下で工場と化した近代的養鶏場を理想とすることを止め,鳥取に帰郷して,少年期に見た昔ながらの養鶏を目指そうと決めたというのであった。

ところが,当時,たとえ最高の飼料を与えつつ平飼いした雌鶏によって産み落とされた鶏卵であっても,最低限度の飼料を与えつつ身動きの取れない鳥篭ケージに押し込めた雌鶏によって産み落とされた鶏卵であっても,鶏卵と名の付く商品は市場において同一視されてしまっていた。その需要量と供給量によってのみ価格が一様に決定するような市場において,コストリーダー(Porter, 1985)を目指す以外の余地を見いだすことはできず,小原氏は,事業の立ち上げを諦めるに至った。

鶏を愛する小原氏は,それでも養鶏から離れることはできず,選んだ仕事は,雛鶏を養鶏農家に販売する営業マンだった。すると,その営業先の一軒に,「こだわり」をキーワードとして,付加価値鶏卵を高価格で売って高額の所得を稼ぐ養鶏農家がいた。鳥取に帰郷して独立しようとした当初,小原氏が採算が合わずに断念した経営方針と同じ経営方針で,先人が養鶏業を営んで成功しているということを知ることによって,小原氏は,再び,低価格鶏卵に抗して高価格な付加価値鶏卵の生産を目指した。その名のとおり,八頭の清らかな水の流れる大江川をはじめとした自然豊かな「大江ノ郷自然牧場」を建設し,小原氏は,そこで,付加価値鶏卵「天美卵」の生産を開始したのである。

図2

天美卵。卵への保護力と環境へのやさしさを兼ね揃えたパッケージにも定評がある(著者撮影)

大江ノ郷自然牧場の「天美卵」には,低価格鶏卵に対して様々な特長がある。カタログにも謳われている代表的な特長は,「平飼い」と「自家配合飼料」である。一方において,先述のとおり,大量生産品としての鶏卵が「ケージ飼い」であるのに対して,放し飼いを意味する「平飼い」は,「天美卵」の最大の特長として強調されている。創業当時,小原氏は,大江ノ郷の自らの牧場において,文字通り鶏たちと共に寝泊まりして,養鶏に打ち込んだ。当初は,寝る時と卵を産む時には鶏にとって落ち着くので鳥篭ケージがあったほうがよいことを知らず,文字どおり,広い土地に鶏を放し飼いにしてしまったといった失敗エピソードも残るほど,小原氏は平飼いにこだわり,それに自らの起業家としての命運を賭けたのであった。

他方,「自家配合飼料」について,付加価値鶏卵として商品パッケージに記載が義務付けられている事項について確認しうる限り,DHAやEPA等の強化や,コレステロール値の低下といった特長を有していることがわかる。さらに,カタログによれば,アミノ酸やビタミン剤,抗生剤や抗菌剤を添加した工場配合飼料を使用しておらず,手間の掛かる米糠を主体としたEM(有用微生物群)の発酵飼料を自家生成の上で配合しているという高級鶏卵の特長も有している。また,トウモロコシや牧草の配合は,市場のニーズに合った色目の濃い卵黄を生成するのに貢献していると考えられる。

以上の2つの特長は,実は模倣が容易であり,実際,「天美卵」の他の多くの付加価値鶏卵によって採用されているし,「天美卵」が先駆というわけでもない。その意味で,低価格鶏卵に比しての優位性を構成する特長とは言いうるものの,他の付加価値鶏卵に比しての優位性を構成する特長とは言いがたい。それでは,「天美卵」のブランド力の源泉は,どこに求められるのであろうか。

「平飼い」や「自家配合飼料」に比して,より特長的であると考えられるのは,養鶏哲学そのものである。「平飼い」も「自家配合飼料」も,小原氏の,「雌鶏を自然に近い育て方で育てたい」という情熱と,「そのようにして育った雌鶏が産み落とした鶏卵こそ良い卵に違いない」という信念の結果であるということは,先述のとおりである。そのような情熱と信念が,常時98%前後という極めて高度な直販比率を活かして,消費者に直接的に伝達され,消費者の支持を得ていったのである。

とりわけ高い販売比率を占めたのは,通信販売であった。付加価値鶏卵の市場は,一般卵の市場と比べて小さく,かつ広域に遍在しているため,鳥取市を含む八頭町の周辺地域だけでは経営は成り立たない。それに対して,通信販売を行えば,全国の消費者を取引相手にすることができるため,競合する養鶏業者は増えるものの,その点さえ克服すれば,以前,挫折を味わった際の,採算が合わないのではないかという懸念は克服することができる。しかも,通信販売は,「天美卵」に無限の商圏を提供しただけでなく,潜在顧客とのコミュニケーションの場を提供した。食品スーパーでの商品取り扱いのケースとは異なり,直販は,生産者の声を顧客に伝達しやすい。大江ノ郷自然牧場は,一般卵に比しての「天美卵」の特長に関する情報を,情熱と信念を添えつつ,全国の潜在顧客に対して効果的に伝達していったのである。付加価値鶏卵の市場が一般卵の市場と比べて小さく,かつ広域に遍在しているという問題に対応するために,他の養鶏業者の中には,長距離宅配によって対応する業者もいる。曜日ごとに東へ西へと,文字通り東奔西走するのである。しかし,折しも,「お取り寄せ」ブームが到来し,日本全国の特産品を,生産者から直接購入するという行動が消費者の間で盛んになった。すると,長距離宅配ではなく通信販売に力点を置いた「大江ノ郷自然牧場」の「天美卵」は,日本全国から「お取り寄せ」可能な特産品を厳選して紹介した人気雑誌『ダンチュウ』(平成8年)の企画記事に掲載されたり,テレビで人気の料理評論家・岸朝子氏が同様の紹介を行った著書『日本の食遺産』(平成18年)において紹介されたりもした。

大江ノ郷自然牧場も,工夫を凝らして,自らの情熱と信念を訴え続けた。すなわち,一方において,美味しい鶏卵を顧客に提供するための工程最後の工夫として,「朝採れ」の鶏卵しか提供しないという即日出荷の宣言を行い,その鮮度の高さの証として,卵黄に爪楊枝を刺しても倒れないといった,新規顧客を獲得するための販促上の話題作りを独自に行ったのである。また,他方において,既存顧客に対しては,注文した製品を待ち望む顧客を気遣いつつ,いかなる情熱と信念をもって養鶏を行っているかについて訴求した養鶏家からの直筆の手紙を,配送する製品に添えたりもした。

図3

天美卵に添えられた直筆の2通の手紙。上は養鶏家から,下は梱包者から(著者撮影)

このようにして情熱と信念が間接的にも直接的にも伝達されると,それはインターネット上で増幅される。雑誌や書籍で話題であるということや,自らが購買した際に好ましい体験をしたということが,e口コミを通じて伝達されていくのである。「飼育法,餌にこだわった生産者の想いがぎゅっと詰まった卵。その想いが卵に伝わり私たちの満足度を上げてくれますね^^」や「手書きの手紙まで入ってて…(中略)…大事に大事に育ててらっしゃるのが分かります」といった写真付きの投稿が数多くなされ,そのような肯定的なe口コミがさらなる話題を呼んだ。

特筆すべきことに,大江ノ郷自然牧場は,個人的な創意工夫と,地道で泥臭い努力のみに頼って,肯定的なe口コミの増幅を図ったわけではない。通販事業を主軸に据えている点に着目して,社内のIT化を推進した結果として,口コミ増幅を促進したと考えられるのである。具体的には,大江ノ郷自然牧場は,地方の中小企業としては珍しく,受注のためのコールセンターにいち早くパソコンを導入して,顧客の購買履歴や苦情その他の声をデータベース化し,それを全社的に共有化した。そうすることによって,各部署の社員の市場志向を高め,満足度向上のために働くよう意欲や工夫の向上を促した。さらに,顧客データベースを構築して,極めて細かく顧客をセグメント化した上で,各セグメントに対して的確にパーソナライズされた広告を発信したり,ダイレクトメールやクーポン等のプロモーション施策を実施したりした。このような,いわばアナログとデジタルの両輪の施策によって,「天美卵」は着実に高級ブランド卵としての地位を築いていった。

この点に加えて特筆すべきことに,他方において,ひとたび「天美卵」を気に入った顧客の一部は,鶏卵という製品の性質上,すなわち,毎日のように消費するために,高頻度で再購買を行うことを望むようになる。大江ノ郷自然牧場は,そのような反復購買顧客とは定期便契約を結ぶ。すると,いちいち受発注に要するコミュニケーション費用を互いに掛けることなく取引を行うことができ,しかも,そのことが退出障壁にもなった。また,そうした“金のなる木”たる定期便契約者から得た利益を原資として,新規顧客の開拓のために一層多額の広告販促費を費やすことができ,その結果,定期便契約者数は増加し続けた。その結果,「天美卵」の採卵鶏の羽数は,平成20年には2万4千羽だったのが,平成25年には3万6千羽に増加していった。そのような生産増を必要とするほどに顧客数は増加し続け,過去に一度も減少に転じてはいないのである。生産量増加は,輸送用トラックの配車の点で,物流業者と一括契約を結ぶことに成功し,物流費用の低下という好ましい結果にも帰着した。

興味深いことに,大江ノ郷自然牧場による通信販売は,100%,伝統的なタイプの通信販売である。一時期においては,外部プラットフォームを活用したインターネット通販の形を一部に採用していたものの,すぐに撤退し,紙媒体や電子媒体の広告,あるいは自社ウェブサイトを用いた製品情報の提供と,広告情報に露出した潜在顧客からの注文を受け付ける電話受付によって特徴づける,伝統的な通販チャネルに回帰することになった。大江ノ郷自然牧場によるデータ解析の結果,外部プラットフォームによるインターネット通販というチャネルを利用して鶏卵を注文する顧客は,定期便契約を結んでくれず,毎回,その都度,注文しようとする。しかも,その注文頻度は一定ではない。おそらく,インターネット通販を利用する消費者は,インターネットショッピング・プラットフォーム上の商品閲覧画面に並んだ,日本全国の競合他社の鶏卵を見て目移りし,毎回のように価格やセールスプロモーション,あるいは他社の動向を比較し,その結果として,ときに競合鶏卵へスイッチしてしまう傾向にあるのだろう。反復購買の増加を期して広告をいくら替えてみても,望ましい結果は得られなかった。かくして,インターネット通販を利用しては長期的な顧客リレーションシップを結ぶことが困難であると判断されたために,大江ノ郷自然牧場は,早々に,インターネット通販からの撤退を意思決定したのである。

V. 二次産業化・三次産業化

アグリマーケティング(農産物マーケティング)の方途として,いわゆる「六次産業化」がある。農業という一次産業の活性化のために,一次産品,すなわち農産物を生産するだけでなく,生産された農産物から加工食品を産みだすという二次産業に従事し,さらには,その加工食品を提供するサービスという三次産業に従事するという,多角化経営である。「大江ノ郷自然牧場」は,「天美卵」をヒットさせた後,そのようなアグリマーケティングの手本であるかのような多角化を実施した。

まず,平成18年から,「天美卵」を原材料として使用したプリンやシフォンケーキ,ロールケーキといった鶏卵加工食品を次々と開発し,生卵と併売できるようにした。それらは皆,「天美卵」そのものと共にヒットした。派生商品の開発は,他社によっても行われることであるが,大江ノ郷自然牧場のように独自サイトにおいて直販を行わなければ効果的ではない。なぜなら,一般的な小売の店頭において,鶏卵は鶏卵コーナーに置かれ,鶏卵を原材料として用いた加工食品は,それとは別に,乳製品コーナーや菓子コーナーに置かれるので,特定の付加価値鶏卵に魅了された顧客に対して,そのブランド傘下の派生商品を認知させたり高評価させたりする機会が,少ないからである。一般小売店頭においては,このように製品カテゴリーごとに品揃えが行われる一方,大江ノ郷自然牧場の直販サイトにおいては,「『天美卵』とその加工食品」が一か所に取り揃えられる。そのため,「天美卵」の愛顧者が,鶏卵の購買に際して,加工食品の購買を併せて検討するよう,自然と促されたのである。

本論冒頭において言及したとおり,大江ノ郷自然牧場はさらに,平成20年,養鶏場のある八頭町の山間部に「ココガーデン」を建設した。「ココガーデン」は,「天美卵」とその加工食品を販売するための直営店であり,八頭町の自然の風景を楽しみながら,その場で食べられるようにしたという点に特長を持つというカフェでもあった。「ココガーデン」の建設に合わせて,直火焼きバウムやシュークリームなどの新商品が開発され,従来のプリンやシフォンケーキと共に人気を博すことになった。だが,もしオンラインショップで販売中の商品と完全に重複していたならば,この「ココガーデン」が新たなヒットにつながることはなかったかもしれない。ブランド力ある「天美卵」を使った加工食品であるという点を強みとして,様々な加工食品を取り揃えるという点では,オンラインショップも「ココガーデン」も同じである。しかし,「ココガーデン」では,消費が生産の直後に行われるという特長を活用して,オンラインショップにおいては提供されてこなかった新たな加工商品が次々と開発・提供されることとなった。その代表作であるパンケーキ(平成25年)は,とりわけ,SNS上で大きな話題となり,それを食べるためだけに八頭町の山間部までわざわざ山陽・近畿エリアから自家用車を飛ばすファンが続出したという。そして,そのような特異な現象が生じたことによって,「天美卵」とそれを使ったパンケーキを初めて知ったという多数の新規顧客が生まれ,需要創造の好循環が生まれた。そのような需要に対応するべく,先述のとおり,飼養羽数を劇的に拡大させるのと共に,平成25年には,「ココガーデン」のカフェコーナーを増築したのであった。

VI. エリアを代表するブランドとして

「天美卵」とそれを加工した食品群は,当然のごとく消費者だけでなく業者の注目も集めた。その結果,彼らによって,関西圏や首都圏の有名デパートへの小売店やレストランの出店という形での事業拡大の誘いがあったという。しかし,大江ノ郷自然牧場は,その誘いに乗らなかった。関西圏や首都圏への出店を行わないことを意思決定したにとどまらず,むしろ,拠点である鳥取県八頭町大江地区から外へと新規店舗を展開しようとはしなかった。唯一,最近(平成30年)になって,鳥取空港内に「HANARE」(はなれ)という名の文字通りアンテナショップ的なレストラン兼売店を開店させただけである。これは,天美卵の多くは,通信販売を通じて地区外へと販売され,また,次々と鶏卵加工食品が開発されて,そうした加工食品の生産のために飼養羽数が大幅に増加し,鶏卵が大増産されたにもかかわらずにである。

図4

鳥取空港内にあるHANARE(はなれ)は八頭町外の唯一の小売施設(著者撮影)

大江ノ郷自然牧場が,鳥取県八頭町のブランドから全国区のブランドへと大躍進する機会に飛びつかず,拠点である八頭に留まったのは,なぜであろうか。第一に考えられる理由は,大江ノ郷自然牧場が自ら挙げる理由であるが,天美卵のブランド・ポリシーを理解し,それを自ら守ったり,最終消費者に訴えたりしながら天美卵を販売してくれるような優良なチャネルメンバーが見当たらないからである。大江ノ郷自然牧場の最大のブランド・ポリシーは,「採れたての平飼い卵」である。「採れたて」であることを維持するために,当日の朝に採れた卵だけを配送する。たとえ売れ残っても,タイムセールなどして売り切りを図ることはない。また,大量生産体制に対する経営者の強い嫌悪を発端として立ち上がった養鶏場として,顧客に対して広く宣伝されてきたわけであるから,たとえ需要が急増したとしても,それに対応して量産化を図る――具体的には,限られた土地を有効活用するために平飼いからケージ飼いに変更したり,自家製飼料の製造を止めて,外部の専門業者によって量産された飼料を大量買付けしたりする――ことは,ブランド・ポリシーに反することである。仮に,ポリシーを曲げて,これ以上の量産化を行うならば,それは品質維持が難しくなることを意味し,もし品質が本当に低下してしまったならば,天美卵がヒットした後に乱立した新興の高級ブランド卵に,すぐに顧客を奪われかねない。価格と品質の維持,ひいては,ブランドの維持のために,大江ノ郷自然牧場は,通信販売による直販という体制を維持し,外部のチャネルメンバーの協力体制の下で全国展開を行わないことを意思決定したというのである。

一方,八頭に留まっても,大江ノ郷自然牧場には充分な需要が見込まれるという指摘もある(Takahashi, 2014)。実際,先述のとおり,八頭に留まってもなお,大江ノ郷自然牧場は,大規模な増産を実行している。本論冒頭に描写したとおり,八頭町は山間の静かな田舎町であるから,一見すると,小売店やサービス店の立地点として最適であるとは言いがたい。しかし,高速道路を利用すれば,隣接する鳥取市からリピーターがアクセスするのは容易であり,また,中国地方,ひいては近畿地方からの観光客の来訪もまた可能である。訪問客はむしろ,その山間の立地こそ,鶏卵最適地として評価し,天美卵が八頭においてしか供給されないことを理解・許容して,多少の立地上の利便性の低さにもかかわらず,自ら喜んで足を運ぶのであろう。

しかし,これらの理由のほかに挙げられる第三かつ最大の理由は,大江ノ郷自然牧場の積極的なエリア志向であると考えられるであろう。大江ノ郷自然牧場の創設者,小原氏は,父親が八頭町出身ではあったものの鳥取市に居を構えていた関係で自身は八頭町出身ではないし,大江ノ郷自然牧場も,家族や親戚のものであったのが小原氏の代で成長した養鶏場というわけではなく,小原氏が一代で立ち上げ,軌道に乗せ,成長させた養鶏場である。そのような養鶏場を支えているのは,八頭町民たちである。というのも,大江ノ郷自然牧場における養鶏や飼料生産のための農地は,八頭町(増設部の一部は智頭町や鳥取市など)の町民が地権を有する土地であり,その意味において,大江ノ郷自然牧場は,もともと,町民と文字通り「共生」することを期待される立ち位置にある組織なのである。

さらに,大江ノ郷自然牧場は,農林水産省から,八頭町の成長企業として,「新鳥取土産の開発」を名目として,六次産業化助成事業の助成金を受給するなどして,事業拡大を図った(平成28年)。政府・地方自治体もまた,いわゆる地方創生のキーファームとして大江ノ郷自然牧場に対して大いに期待しており,その証拠に,助成金の支給のほかに,日本政府・鳥取県が,「ココガーデン」の前の優良農地を駐車場として転用する許可を全国に先駆けて与えたり,自家用車を使わずに訪問したい顧客のために,コミュニティバスの停留所を新設したりするといった便宜を図った(平成28年)。地域住民や地方自治体の期待を背負っているからこそ,大江ノ郷自然牧場は,通信販売において早々に全国展開を実現しているのにもかかわらず,実店舗形態の小売店舗やサービス店については地域に留まり,むしろ全国から地域へと顧客を吸引するという意味で“外貨獲得”に貢献する地域企業として自らを定義し,地域経済を活性化するための原動力としての役割を担おうとしている,という見方が可能なのである。

このような書き方をすると,大江ノ郷自然牧場は,まるで旧態依然とした地域のシガラミに束縛されて,自由で合理的な企業としての意思決定を制限されているかのようにも感じられるかもしれないが,そうではない。大江ノ郷自然牧場が,既存ビジネスを多店舗展開するという形で事業拡大を図ることを選択しないのは,地域のシガラミに束縛されて拡大を断念したことを意味しない。事実,大江ノ郷自然牧場は,鶏卵および鶏卵加工品の開発・製造の枠を超えて,地域の農家と連携して考えられうるあらゆる地域密着型の食ビジネスを新規に立ち上げるという,多角化という形での事業拡大を,積極的に模索することとなった。その試みの具体的な方策のひとつが,大阪でも東京でもなく,鳥取県八頭町の「ココガーデン」と全く同じ場所に,「大江ノ郷ヴィレッジ/大江ノ郷テラス」という2棟目の建物を建設することであった。

「大江ノ郷ヴィレッジ/大江ノ郷テラス」は,端的に言えば,「ココガーデン」によって六次産業化という名で知られる農業多角化を果たした養鶏業者による事業拡大である。純粋に事業拡大を目指すのであれば,上記のとおり,大阪なり東京なりに,「ココガーデン」の2号店・3号店を出店し,鳥取まで気軽には来られない遠方の顧客に対して地理的利便性を提供するという方途も考えられる。そうせずに,むしろ八頭に留まることにした大江ノ郷自然牧場は,「大江ノ郷ヴィレッジ/大江ノ郷テラス」において,「天美卵」という基幹製品と,それを用いた食品の製造・販売という狭い枠に自らを留め置かず,上記のとおり地域との強い連携を背景として,卵よりもむしろ地域の農産物をふんだんに使用した食品を開発・提供したり,調理師たちによる食品開発・提供の練度が向上すると,彼らによる大人向けや子供向けのお菓子作りやソーセージ作りの体験教室を企画したり,さらには,クッキングに至るまでの食材を作るために,農業体験スクールを周辺の休耕田・耕作放棄地を活用して企画したりといった,地域ならではの様々な事業を展開して,話題をさらったのであった。大江ノ郷自然牧場は,自らを,ナショナルブランドとして育てる代わりに,むしろ,八頭,あるいは広くとも鳥取という地域の筆頭ブランドのひとつとして育てる道を選択したのである。

VII. 大江ノ郷自然牧場が目指すもの

「大江ノ郷ヴィレッジ」内の小売店においては,「天美卵」のみならず地元産の食材が陳列され,また,「大江ノ郷テラス」のレストランにおいては,鶏卵料理だけでなく,地元産の食材を使った鶏卵料理以外の様々な料理が供されている。さらに,各種レセプションが行われ,食の体験教室も開かれている。田植え・稲刈り体験教室の拠点としても活用されている。このような事業の立ち上げを通じて,大江ノ郷自然牧場が,養鶏家として鶏に注ぐ情熱はそのままに,情熱を新たに注いだ先は,何だと言いうるであろうか。

養鶏家自らが,鶏に情熱を注ぐのと同じように,新たな社員は,自らが任された,鶏卵を用いた食品の開発・生産に情熱を注いでいる。また,彼らが鶏卵と併せて使用する米や野菜,肉といった食材にも,その生産に情熱を注ぐ人がいる。消費者の側も同様に,情熱を注いで生産された食材を使った料理を食べた結果として,食に対して高関与になり,こんな料理が食べたいと言い出す人も生じれば,あんな料理を食べたいと言い出す人も生じ,それはもはや卵料理以外のものも含むようになる。さらに,他者に美味しく作って食べさせてほしいと思う人もいれば,自分で料理してみたいと思うようになった人も生じるし,なかには,自分で飼育ないし栽培してみたいと思うようになった人も生じる。そのような多種多様な情熱を抱いた生産者および消費者が,ごく身近にいる。顔も見えるし,会うこともできる。大江ノ郷自然牧場は,現在,そのような多様な夢や愉しみを抱く生産者および消費者を結びつける役割を,鳥取近郊農村エリアにおいて背負っているのである。

このような自身の取り組みのことを,大江ノ郷自然牧場は,「体験×食×農」と表現している。食を通じて農に関心を抱き,体験を通じて,さらに深い食への理解と関心へと循環するプロセスのことである。このような好循環を通じて,地域住民,とりわけ次代を担う子供たちが,地域の主幹産業である農業に対して関与を高め,地域経済の持つ潜在性を高く知覚し,将来的にそこにエンゲージしてくれるように教育するのと同時に,域外からの来訪者を受け入れて,彼らにとって非日常的な食と農を体験できるリゾート空間とホスピタリティを供給し,それを通じて一層活性化された地域経済を創生しようと目論んでいるのである。

図5

建設中の「OOE VALLEY STAY」。この新施設は旧大江小学校舎の廃校活用策としても地域貢献を担っている(著者撮影)

興味深いことに,このような大江ノ郷自然牧場の純地域的な志向は,同牧場がもともと持つ企業としての成長志向と相反してはいない。実際,大江ノ郷自然牧場は,「ココガーデン」,「大江ノ郷ヴィレッジ/大江ノ郷テラス」の施設群の年間来場者数として「2020年までに30万人」という目標数値を平成29年時点で早くも達成し,平成30年には35万人の来場者数を記録した。次なる目標として「鳥取県人口を超える57万人」に上方修正しながら,その目標を達成するために,大江ノ郷で実施することのできる,あらゆる魅力的な新規事業の立ち上げを構想している。直近の新規事業は,廃校を活用した農泊施設「OOE VALLEY STAY」の開業である(令和元年)。この施設には,「体験×食×農」の拠点としての既存施設群と相乗効果を生みつつ,企業を発展させ,かつ,地域を発展させることが期待される。地域との共生を実現することによって,企業としての成長を加速化させるというマーケティング戦略に対して,大江ノ郷自然牧場は勝算を感じているのである。

謝辞

本ケースの執筆に際し,有限会社ひよこカンパニー(大江ノ郷自然牧場)取締役 小原良庸氏に,インタビューにご協力いただきました。また,同氏が講演者として招聘されて開催された鳥取県下の各種講演会の内容も,参考にさせていただきました。ここに記して深謝いたします。また,インタビューによって得た質的データの解析には,中央大学商学部教授でニューヨーク大学スターン経営大学院研究員の久保知一先生の協力を得ました。二次データの収集・解析には,鳥取大学地域学部地域政策学科4年 今城鮎里君の協力を得ました。ここに記して感謝いたします。上記の方々の多大な協力を得たものの,本論に記載した見解は著者の見解であり,本論に記した事象は著者の認識する事象であって,本論中にありうる誤謬の責は,全て著者に帰するものです。なお,本論の成果の一部は,慶應義塾大学学事振興資金の助成の成果です。

白石 秀壽(しろいし ひでとし)

鳥取大学地域学部講師。2011年中央大学商学部卒業。慶應義塾大学大学院商学研究科修士課修了・後期博士課程単位取得退学。日本学術振興会特別研究員(DC2)を経て,2016年より現職。

小野 晃典(おの あきのり)

慶應義塾大学商学部教授。1995年慶應義塾大学商学部卒業,同大学院商学研究科修士課程・後期博士課程修了。博士(商学)。慶應義塾大学商学部助手,専任講師,助教授,准教授を経て2010年より現職。

References
  • International Egg Commission. (2015). Egg industry review. International Egg Commission. Retrieved from http://www.internationalegg.com/wp-content/uploads/2015/08/AnnualReview_2015.pdf (June 10, 2019)
  • Ministry of Agriculture, Forestry and Fisheries. (2018, August). Heisei 29 nendo shokuryō jukyū-hyō (June 10, 2019). Ministry of Agriculture, Forestry and Fisheries. Retrieved from http://www.maff.go.jp/j/zyukyu/fbs/attach/pdf/index-4.pdf(農林水産省(2018).「平成29年度 食料需給表」『農林水産省』)(In Japanese)
  • Numagami, T. (2000). Wakariyasui marketing senryaku. Tokyo: Yuhikaku.(沼上幹(2000).『わかりやすいマーケティング戦略』有斐閣)(In Japanese)
  • Porter, M. (1985). The competitive advantage: Creating and sustaining superior performance. New York: Free Press.
  •  Takahashi,  M. (2014). The sextiary sector policy in Tottori. Yokohama Business Review, 35(3), 155–168.(高橋賢(2014).「鳥取県における6次産業化の取組」『横浜経営研究』35(3), 155–168)(In Japanese)
 
© 2019 The Author(s).
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