2021 Volume 41 Issue 1 Pages 6-15
新型コロナウィルス感染症の流行は,日本のマーケティングのあり方にも大きな影響をもたらした。激変する環境のなかで,マーケティング戦略をいかに適応させていくかは,マーケティング研究,マーケティング実務の双方にとって,きわめて重要な課題である。しかも,今回の新型コロナ危機がマーケティングに及ぼす影響は,それにとどまらないであろう。生活様式や購買行動の変化に不可逆的な部分が含まれるならば,長期的には,マーケティングのあり方を抜本的に変えてしまいかねない可能性も秘めている。本稿は,そうしたなか,新型コロナ危機のなかで広がった,オンライン商談,D2C,オムニチャネルに焦点を当て,これらの動きが,流通チャネル政策を通じて,将来に向けてどのような戦略課題をもたらすかを明らかにしようとするものである。
The COVID-19 pandemic has had major impacts on Japanese marketing. How to adapt marketing strategies in a rapidly changing environment is an extremely important issue for both marketing research and marketing practice. Moreover, the impact of this epidemic on marketing will not be limited to that. If some of the pandemic-induced changes in the lifestyle and buying behavior are irreversible, there is the possibility that marketing should be changed drastically in the long run. This paper focuses on online customer service, D2C, and omnichannel, which have spread in the midst of the COVID-19 pandemic, and attempts to clarify what strategic challenges these movements will bring to the future through distribution channel policy.
新型コロナウィルス感染症の流行は,わが国の社会に大きな影響をもたらした。マーケティングに対しても例外ではない。マーケティングを含む事業活動そのものが休止に追い込まれたり,あるいはマーケティングのやり方が大きな制約を受けたり,新たな方向に向かったり,といった話は,枚挙の暇がない。
短期的には,なんとかこの危機を凌がなければならない。例えば,レストランならば,テイクアウトや宅配をスタートさせ,チラシやインターネットで拡販を図るというのが,これである。また,コストダウンや財務体質の強化も重要である。これらは,BCP(Business Continuity Plan=事業継続計画)の守備範囲に入るのであろう。
ただ,このやり方は長くは続かない。中期的には,新たな環境の制約に積極的に適応していくことが求められる。テイクアウトや宅配あるいは新業態に活路を見出すのであれば,それに本腰を入れたマーケティング戦略が必要になる。不便を抱えている人が多ければ,マーケティング機会は溢れているわけで,マーケティングの役割は大きい。
激変する環境のなかで,このように,マーケティング戦略をいかに適応させていくかは,マーケティング研究,マーケティング実務の双方にとって,きわめて重要な課題である。しかも,今回の新型コロナ危機がマーケティングに及ぼす影響は,それにとどまらないであろう。生活様式や購買行動の変化に不可逆的な部分が含まれるならば,長期的には,マーケティングのあり方を抜本的に変えてしまいかねない可能性も秘めている。
例えば,接客ができないため自動車のような製品さえオンラインで商談が行われ,特に問題がないとなると,この後の自動車流通は激変し,そのことがメーカーの競争地位に劇的な影響を及ぼすというシナリオさえも否定はできない。
テレワークが定着すれば,人々の生活のあり方が変わり,それにともなってニーズが様変わりするということも多いに考えられる。
新型コロナ危機への対応のためにやむを得なくとった対応が結果的に快適であったり,効率的であったりして,新型コロナ危機収束後も継続するという場面は少なくないであろう。
いま求められているのは,新型コロナ危機にどう対処するかとともに,その先にどのような世界が広がり,その世界のなかでいかなるマーケティングを展開するかに思いを巡らせることであろう。
そうしたなか,本稿は,新型コロナ危機に直面したわが国のマーケティングが,とりわけ中長期的にみて,どのような課題をもつに至るかを検討しようとするものである。具体的には,新型コロナ危機が感染症予防の観点からいわば強制的にもたらした,流通チャネルを中心としたマーケティングの変革が,中長期的にどのような戦略課題をもたらすかを明らかにする予定である。
新型コロナ危機は,感染防止のために生活の様々な場面に制約を加え,そのことが結果的にデジタル化を促進し,また新たな生活様式をもたらしてきた。その結果,4Pに要約されるような,マーケティングの現場のあり方も,変革を迫られることになった。
それらのなかで最も直接的なのが,マーケティング主体と顧客を繋ぐ,流通チャネルであろう。例えば,小売店頭でのやりとりや売買が回避され,オンライン化が進むというのは典型的な姿である。もちろん新型コロナ危機のはるか前から,電子商取引(Electronic Commerce)は多くの分野で取り入れられてきた。それが,従来は消極的であった分野や従来は回避されてきた分野で,新型コロナ危機のためにやむを得なく,様々な工夫のうえで,オンラインでの接客や取引が取り入れられることになった。
上述のように,新型コロナのためにやむを得なくとったオンライン化のような措置が,使ってみたらなんとかなるとか,使ってみたら結構便利ということで,新型コロナ危機収束後も定着する可能性は少なくない。
電子商取引においては,アマゾンにみられるようなオンライン小売業者が従来から大きな割合を占めてきた。新型コロナ危機にあたって,アマゾン型オンライン小売業者が存在感を増したのはいうまでもないが,それに加えて別の形態も目立ってきた。それらは,新たな形態というわけではないが,従来は散見される程度であったものが,より広い範囲に普及することになった。
そのなかでも注目されるひとつが,ZOOMのような,オンライン会議ツールを用いたオンライン商談(接客)である。
例えば,住宅メーカーの積水ハウスや大和ハウス工業は電話やオンライン会議ツールを使って,顧客との打合せを行っている。住宅の打ち合わせでは,VR(仮想現実)の活用や離れた家族が参加できるといったメリットもあり,オンライン接客は新型コロナ危機収束後も有望視されているという(Nikkei Business Daily, 2020)。
生命保険でも,第一生命やアフラックなどで,オンライン接客への動きはみられたし(Nikkei, 2020g; Nikkei, 2020n),保険の窓口グループも,契約までの事前説明をオンラインで行うという取り組みを始めていた(Nikkei, 2020a)。この他,化粧品(Nikkei, 2020m),マンション(Toyo Keizai, 2020),スーツ(Nikkei, 2020e)などでも,同様の動きが報告されている。さらに,工作機械(Nikkei Business, 2020f)や医家向け医薬品(Nikkei, 2020g)といったB to Bの分野でも,オンライン商談は試みられている。
こうした例は枚挙の暇がないが,これらの多くは,新型コロナウィルス感染症を回避するために,半ば強制的にオンラインに向かった,あるいはオンラインへの動きを加速させたものであった。つまり,周到なマーケティング戦略と実行計画のもとで行われた動きではなく,突発的な環境変化のためにやむを得なくとった動きであることがほとんどであった。そうである以上,この動きと一貫した形で,他の企業活動も調整していかなければならない。
マーケティングの観点からいうならば,外的な制約によりマーケティング・ミックスの一部の変革を余儀なくされたわけである。したがって,この変革に応じて,一貫性を維持した形でマーケティング戦略全体を修正し,それに基づいて,他のマーケティング・ミックス要素を調整していかなければならない。
さらに,この間,消費者は新たな購買・消費環境を経験した。そうなると,マーケティング戦略の修正は,新型コロナ危機のもとでの消費者行動,そして新型コロナ危機収束後の消費者行動を見極めながら行う必要がある。
しかも,オンライン接客は,マーケティング・ミックス要素のなかで模倣するのも変えるのも最も困難だとされてきた流通チャネルに関わる。
戦後のわが国におけるマーケティングのひとつの勝ちパターンは,強力な流通チャネルを囲い込み,それを背景に,比較的同質的な製品やサービスを提供するというやり方であった。囲い込みとは,メーカーが,契約,資本関係,人間関係などにより,流通業者の意思決定に影響を及ぼし,典型的には,両者間の取引関係を固定化しようとするものである。こうした囲い込みの流通チャネルは競合企業による模倣が困難であるとともに,多くの販売担当者や営業担当者を有しているだけに,相対的に未熟で判断力が低いわが国の顧客には有効で,多くの業界において,鍵となる成功要因として機能した(Ikeo, 1999)。
そこに,顧客の判断力の向上とともに,量販店のようなあるいはオンライン小売業者のようなオープンなチャネル(特定メーカーに偏らない品揃えを有する)が登場,普及し,企業間の競争地位が大きく変化するというケースがこれまた少なくなかった(Ikeo, 1999)。
それだけに,オンライン商談への傾向は,新型コロナウィルス感染症回避という短期的な傾向にとどまらず,わが国におけるマーケティングのあり方や企業間の競争地位にまで大きな影響をあたえかねない。
例えば自動車の場合,2020年4月におけるトヨタのアメリカでの一般消費者向け販売は,新型コロナ危機の影響で,ほとんどがオンラインであったようだ。このケースは多少極端かもしれないが,自動車におけるオンライン商談は世界を見渡せば珍しいものではなくなった(Nikkei Business, 2020b)。
そこで問題となるのが,オンライン商談におけるディーラーの役割である。アメリカでのトヨタのオンライン販売は,トヨタが用意した電子商取引プラットフォームを使ってディーラーが行っていた。日本でも,ディーラーがZOOMなどのオンライン会議ツールを使って自動車のオンライン商談を行っているという事例は報告されている(Nikkei, 2020d; Nikkei, 2020g)。ただ,オンライン商談をするのであれば,メーカーと消費者の間にディーラーが介在する余地は限られる。
ドイツで,フォルクスワーゲンはEV(電気自動車)のドイツ国内での販売を直接販売のオンラインに一本化することになった。消費者はフォルクスワーゲンのウェブサイトで仕様を決めて契約を結ぶが,その過程で,ディーラーは試乗や購入相談に応じ,また納車を担当する。メーカーの立場からすると,購入相談まで自ら担当することは可能であろうが,そうすればディーラーの役割はさらに低下するわけで,ディーラーからの反発は避けられない。つまり,ドイツのフォルクスワーゲンのように,既存のディーラー・ネットワークが強力であるほど,ディーラーに不利益になる新規流通チャネルの採用は難しくなる(Nikkei Business, 2020b; Nikkei MJ, 2020a)。
自動車のオンライン販売で先行しているはアメリカのEVメーカーのテスラである。テスラの場合は,新型コロナ危機以前からディーラー・ネットワークが手薄の分,自社ホームページでの販売に力を入れてきた(Korosec, 2019)。
一般に,新しいタイプの流通チャネルが登場してきたとき,既存の流通チャネルが充実しているメーカーほど既存チャネルのしがらみゆえに新規チャネルへの対応が遅くなり,既存チャネルのしがらみが少ない新興企業ほど対応が早くなる傾向にある。過去を振り返れば,デルによるパーソナルコンピュータの直接販売にみられるように,新たな流通チャネルの登場がメーカー間の競争地位を逆転させるといった事例は多い(Ikeo, 1999)。
そうなると注目されるのが,トヨタをはじめとする自動車メーカー各社の日本国内での動きである。自動車業界では,CASE(Connected, Autonomous, Shared, Electric)の名前で知られる新たな潮流がみられるだけに,それらを睨みながら,長期的な競争優位を目指して,あるべき流通チャネルの姿を目指していかなければならない。そのとき,どのような標的顧客に対してであれ,あるべき流通チャネルの姿が消費者への直接販売であるならば,既存のディーラーとの関係をいかに調整するかという問題に直面する。
ちなみに,現状では,オンライン商談を含め日本での自動車販売はディーラーが担当しているが,メーカーも,例えばトヨタは,「KINTO」で知られる定額制のサブスクリプションサービスをインターンネットで直接受け付け,納車やサービスのみディーラーに委ねていた(Nikkei Business, 2020b)。また,日産も,サブスクリプションサービスの「ClickMobi」で,試乗やサービスなどでディーラーと連携しながらも,インターネットによる直接の受付を行っていた(Nikkei, 2020f)。
こうしたメーカーの動きは,電子商取引に関するいまひとつの注目すべき傾向としてのD2C(Direct to Consumer)と軌を一つにする。
もともとインターネット上では,だれもが最終消費者へ販売することが可能であるため,メーカーがそれを行うことは珍しくなかった。これも広い意味では,D2Cと呼んでよいのかもしれない。しかし,流通業者経由の間接流通チャネルを有するメーカーは,オンラインでの直接販売が間接流通チャネルに不利益をもたらし,かれらの反発を呼ぶために,販売製品を分けるなど,衝突回避のための方策を巡らしてきた。
それが,近年は,新興企業を中心に,単に消費者に直接販売するだけでなく,自社サイトやSNS(Social Networking Service)などを用いて,消費者との間で密接なコミュニケーションを図るといった形がみられるようになってきた。典型的には,顧客との継続的な接点の維持により,顧客ニーズを継続的に把握し,それを顧客への提案や製品開発に生かすといった姿である。
ここで注目すべきは,オンライン上でやりとりされる書き込みの,性格の変化である。インターネットの登場によって多くの人々が書き込みを行い,それを他の人々が閲覧するという形でコミュニティが形成されるようになった。ただ,パソコンを前提とした当初のコミュニティにおいては,ややもすると書き込みは高関与の人に偏る傾向がみられた。例えばカメラについてのコミュニティであれば,投稿される情報は,マニアックで,カメラに対する関与が高い人向けで,一般消費者のニーズから乖離したものになる傾向があった(Ikeo, 2003)。
それが,スマートフォンを主流とするSNS,とりわけインスタグラムにおいては,より関与の低い,言葉を換えていえば普通の消費者が,気軽に投稿するだけに,そこで得られる情報は,一般消費者のニーズにより合ったものになったと考えられる。もちろん,頻繁に投稿を行うインスタグラマーは,より多くのフォロワー,より多くの「いいね」を得ることへの関与は高いかもしれないが,そのためには一層一般の人々のニーズに寄り添う必要があるわけであった。
その結果,インターネット上でやりとりされる情報が人々の購買行動に及ぼす影響も大きくなり,そのこともD2Cには,追い風になったものと思われる。
ショピファイやBASEのように,メーカーのD2C進出を容易にするプラットフォームの存在も見逃せない。例えば,ショピファイは,D2Cを目指すメーカーに,ECサイトの構築,顧客管理,決済システムなどを,きわめて安い料金で提供するとともに,楽天と提携し,これらの企業が楽天に出店することも可能にしていた。ショピファイやBASEにサポートされたD2C企業は以前から存在していたが,こうしたプラットフォームの存在感を一気に高めたのはやはり新型コロナ危機であった(Nikkei MJ, 2020c)1)。
例えば,益子焼で知られる栃木県益子町では,作家と顧客の商談の場である「陶器市」の開催が新型コロナ危機で困難であったため,ショピファイのプラットフォームを使ってウェブ陶器市を開催したところ,盛況を博し,しかも遠隔地からの購入者も多かったという(Nikkei, 2020k)。
この他,化粧品,アパレル,食品など様々な分野で新興企業が相次いでD2Cを取り入れたマーケティングを展開していた2)。
それだけに,既存メーカーとしても,いつまでも手をこまねいているわけにはいかないであろう。実際,既存企業のなかにも,例えばオンワードは試着専門の店舗を出店する一方で,注文は直販サイトで受けるという仕組みに取り組んでいた(Nikkei, 2020o)。さらに,ナイキ(Nikkei MJ, 2020b)や日清食品(Nikkei MJ, 2020f)など,D2Cに力を入れている企業は少なくなかった。
既存企業がこうしたD2Cに進出する際に留意すべきは,なぜいまD2Cが広まっているのかである。それには,さまざまな事情がかかわっているのであろう。益子焼の例では,新型コロナ危機により通常の商談の場が失われたからであった。また,ショピファイやBASEといった,サポート企業の存在も不可欠であった。これらは,ともに供給側の事情である。
さらに,消費者を取り巻くコミュニケーション環境が,スマートフォンとSNSの普及により激変し,その新たなコミュニケーション環境がD2Cと親和性が高いということも指摘されなければならない。
しかし,マーケティングの研究・実務双方の観点から,より重要なのは,消費者のニーズが「ロングテール」(Anderson, 2006)ともいいうるD2Cのあり方と対応したものになっているかである。いかに供給の仕組みが整ったからといっても,需要のあり方次第によって,とるべきマーケティング戦略は異なったものになる。
標的とする市場の大部分において,消費者がロングテールに対応するような極端に多様化した好みをもち,SNSのようなコミュニケーション手段を重視するということになると,既存メーカーとしても,抜本的な流通チャネル変革,ひいてはマーケティング戦略の転換を求められる。
こうした状況においても,間接流通チャネルを有する既存メーカーとして,間接流通チャネルとD2Cをいかに矛盾なくマーケティング・ミックスのなかに組み込み,競争地位を高めていくかは,重要な戦略課題になるであろう。
そして,ここでは,新型コロナ危機収束後に,消費者行動が,上記の方向に向かうか否かの見極めが大切になる。
消費者との接点に関しては,新型コロナ危機により,オンラインと実店舗を融合する試みも活発化していた。オムニチャネルである。
オンラインと実店舗をシームレスに連動させるというオムニチャネルの考え方自体は以前から注目されていた。その重点は,店舗の物流拠点化と専用アプリであった。前者には,店舗からの配送とクリック・アンド・コレクト3)が含まれる。クリック・アンド・コレクトとは,オンラインで注文した商品を店内や専用駐車スペースで受け取るというものである。また,専用アプリは,店舗内での買い物利便性の向上をめざしたものであった。このオムニチャネルが,一気に重要性を高めたのは,やはり新型コロナ危機による制約であった。
例えば,ZARAは,新型コロナ感染症のため,店舗に行きたくないとか店舗滞在時間を短くしたいという顧客の要望に応えて,電子商取引に注力し,オンラインで注文すると近隣店舗から発送する仕組みを作ったり,アプリや電子商取引サイトで見つけた服の店舗での試着をオンライン予約できるようにしたりしていた(Nikkei Business, 2020e)。
新型コロナ危機のなか,消費者との間にオンラインと実店舗の双方の接点を有するという強みをいかして業績を伸ばしていたのは,アメリカの大手小売企業のウォルマートであった。
ウォルマートに代表されるアメリカの大手小売企業は,新型コロナ危機以前から電子商取引とともに,オムニチャネルには力を入れていた。ウォルマートの場合は,食料品を扱い,オンライン対応店舗数の多さや価格の安さもあって,新型コロナ危機にさいして大きく業績を伸ばした。その背景のひとつは,消費者が生鮮食品を必要としているにもかかわらず,店舗には行きたくないという状況において,店舗からの宅配や店舗での受け取りが好まれたからであった。つまり,多数の店舗を物流拠点として活用したわけである。
オンライン小売業者は,少数の物流センターに在庫を集中させることにより,ロングテールと呼ばれる数多くのニッチ商品の取り扱いを可能にしてきた。しかし,少数の物流センターへの在庫の集中は,消費者までの平均的な配送距離と配送時間を長くし,生鮮食品のような鮮度が求められる商品では不利になる。そのため,オンライン小売業者代表格であるアマゾンにしても,生鮮食品の物流に力を入れていたが,新型コロナ危機の段階では,ウォルマートが有利な状況であったといわれていた(DIAMOND Chain Store, 2020; Nikkei Business, 2020b)4)。
こうした動きは,日本でも例えばイオンや西友にみられるように,急速な広がりを示していた(Nikkei, 2020h)し,セブンイレブンをはじめとするコンビニも,店舗からのスピード宅配を始めていた(Nikkei, 2020l)。
小売企業の立場では,電子商取引に進出するにしても,集中在庫と分散在庫の使い分けが必要になる。在庫を物流センターに集中させれば,在庫や配送の効率を追求できるとともに,集中在庫のメリットを生かして,ロングテールの多様な品目を取り扱うことが可能になる。つまり,このやり方のメリットは,低コストと豊富な品揃えである。
反対に,小売店舗を物流拠点と位置付けるオムニチャネル方式を採用すれば,クリック・アンド・コレクトのニーズに対応することもできるし,配送のスピードも増す。しかし,こうした分散在庫では,手作業の部分も多くなり,効率は犠牲になるし,在庫ポイントとしての店の数が増えれば品目数の拡大にも限界がある。
図1にあるように,スピード,コスト,品揃えは,ひとつを一定とすると,残りの二つは,一方を追求すれば他方が疎かになるという,三つ巴のトレードオフの関係にある。例えば,品揃え(取扱品目数)を一定とすれば,スピードを速くするためには在庫地点を多くする必要があり,そうすればコストは上昇する。そうなると,重要なのは,スピード,コスト,品揃えのそれぞれがどのような標的顧客やどのような商品カテゴリーにおいて相対的重要性を高めるかである。それを踏まえて,標的顧客や取扱商品カテゴリーに応じた,集中在庫と分散在庫の戦略的な組み合わせが求められる5)。
スピード・コスト・品揃え
加えて,販売員と顧客の双方向コミュニケーションが有効な場合には,オムニチャネルにおいて,物流拠点や衝動買いの誘発以外の役割が店舗に期待されるとともに,オンライン接客を組み込む可能性も生まれてくる。
例えば,旅行業界の場合,近畿日本ツーリストは,店舗で画面越しにベテラン社員が相談に応じる「旅のコンシェルジュ」を顧客が自宅にいても利用できるようにして,オンライン旅行会社(OTA=Online Travel Agent)にむしろ差別化を図ろうとしていた(Nikkei Business, 2020d)。日本旅行も一部店舗でオンライン接客を開始した(Nikkei MJ, 2020d)。
百貨店でも,時計,宝飾品,高級ファッションブランド,ランドセルなどで,オンライン接客を始めていた(Nikkei, 2020b)。
そうなると,新型コロナ危機収束後の消費者の姿を頭に描きながら,カスタマー・ジャーニー(Kotler, Kartajaya, & Setiawan, 2017)とも呼ばれるかれらの購買意思決定過程(Ikeo, 2003)にいかに,電子商取引サイト,小売店舗,オンライン接客といった顧客との接点を位置付けるかが検討されなければならないであろう。
こうした動きは,メーカーの流通チャネル政策にも新たな課題をもたらす。D2Cは有望な選択肢であるが,既存チャネルとの競合関係を生む。ところが,とくに顧客との実店舗での接点の維持が重要である時には,直営店などに加え,囲い込みチャネルや量販店といった,既存チャネルとの協力も有力な選択肢である。メーカーの流通チャネル政策においては,D2Cを視野に含みながら,自社と流通業者との利益相反を解消し,有効な協力体制を構築していくことが,今後の重要な課題であろう。
かつてSchumpeter(1934)は,イノベーションとは,「それまでの体系の均衡点を動かすもので,しかも新しい均衡点は古い均衡点からの微分的な(一歩ずつの)歩みによっては到達し得ないようなものである。郵便馬車をいくらつないでも,それによって鉄道を得ることはできない」,と述べた。
Schumpeter(1934)のいうイノベーションとは,均衡達成のために従来とは異なるシステムを必要とするような変化である。17世紀に発見された蒸気機関の原理が実用化されるのは,ジェームズ・ワットによって凝縮機が発明される18世紀まで待たなければならないというのは,新たなシステムによって新たな均衡が達成された,古典的な例である(Imai, 1986)。
この定義に従えば,オンライン商談,D2C,オムニチャネルといった変革は,それらが単に新しい試みということで終わるならばイノベーションとはいえないであろう。しかし,それらがマーケティング戦略のあり方を変えてしまうのであれば,まさにイノベーションといいうるものになる。その意味では,新型コロナ危機によって加速されたさまざまな動きがイノベーションとなりうるかは,それらがもたらすマーケティング戦略のあり方に依存するといってもよいであろう。
新型コロナ危機によって加速化された,オンライン商談,D2C,オムニチャネルといった動きに応じて,いかなるマーケティング戦略を展開しイノベーションを実現するかは,消費者の行動ひいてはその背後にある生活様式に依存する。
新型コロナ危機はわれわれの生活を一変させた。当初は大きな混乱をもたらしたが,やがてウィズコロナの生活が定着し,そしていつの日か新型コロナ危機は収束するだろう。
その間,感染防止のために,様々な施策や工夫が行われ,われわれは多くの場面で対面を前提としない生活を体験した。この過程で,いわば強制的にデジタル化が推進され,それらが労働生産性の改善に貢献するとともに,新たな生活様式や消費者行動をもたらした。
こうした新たな生活様式や消費者行動は,新型コロナ危機収束後にどうなるのであろうか。すべてが新型コロナ危機以前の状態に戻るというのはあり得ない。だとすれば,新型コロナ危機に端を発するマーケティング戦略の転換も不可逆的だとみなければならない。
では,元に戻るものがなにもないのかといえば,それもあり得ないであろう。では,なにが元に戻り,なにが元に戻らないのか。
デジタル化はさらに進み,より効率的な仕組みが目指されるであろうが,どのような状況になろうと,重要な役割を果たすのは,人々にとって快適なのはどのような生活様式かである。
新型コロナ危機収束後に想定される快適な生活様式とはどのようなものになるかを考えるにあたっては,より集計水準の低い,消費者レベル,生活者レベルでの分析が必要になる。それを行ううえで,有効と思われるひとつは,かつてIzeki(1969, 1974)によって提唱された,生活体系アプローチである。
生活体系アプローチによれば,図2にあるように,生活主体の資源配分行動である生活行動は,生活構造と生活意識との相互依存関係のなかで規定される。ここで,生活構造とは,生活の空間的構成,時間的構成,生活習慣,社会・社交関係,財保有パターン,メディア接触パターン,家族内役割構造などであり,生活意識とは,環境についてのイメージ,価値態度,生活目標・設計,集団,階層帰属意識,経済的期待と見通し,消費意識,購買態度などである。さらに,これらは,人口動態,経済情勢,文化的風潮,交通・通信,文化・レジャー施設,商業施設といった生活環境要因によって規定されるとともに,生活構造と生活意識は,性別・年齢,職業,就業形態,学歴,所得の水準と形態,家族生活周期,居住地域といった生活体系規定要因によって規定される。消費行動や購買・使用行動を一部として含む生活行動は,日々の生活での反復によりパターン化される。これが,生活様式であり,消費様式である(Aoki, 2010; Izeki, 1974)6)。
生活体系と消費行動
出典:Izeki(1974)ならびにAoki(2010)をもとに作成
このアプローチに基づけば,生活体系の規定要因である就業形態(テレワーク)や居住地域が変われば,生活構造や生活意識が変わり,その結果,生活行動,消費行動,購買・使用行動が相互依存関係のなかで変わっていくことになる。
新型コロナ危機による生活体系規定要因の変化が,生活構造や生活意識の変化をともないながら,いかなる生活行動や消費行動をもたらすかは,きわめて興味深い今後の研究テーマであることを指摘して,むすびに代えたい。
池尾 恭一(いけお きょういち)
慶應義塾大学名誉教授,商学博士(慶應義塾大学)
1973年慶應義塾大学商学部卒業。慶應義塾大学大学院商学研究科修士課程・博士課程,関西学院大学商学部専任講師,助教授を経て,1988年慶應義塾大学大学院経営管理研究科助教授,1994年教授。2005年同大学大学院経営管理研究科委員長ならびにビジネス・スクール校長(2009年まで)。2014年慶應義塾大学名誉教授,明治学院大学経済学部教授。