Japan Marketing Journal
Online ISSN : 2188-1669
Print ISSN : 0389-7265
Special Issue / Invited Peer-Reviewed Article
The Genealogy of Pricing
Yoshihisa KanekoTakaho Ueda
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2022 Volume 41 Issue 3 Pages 6-17

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Abstract

1990年代後期以降,インターネットの普及,デジタル財の増加,収集可能な情報の増加,AI技術の発展など,情報技術の急速な進歩によって企業を取り巻くマーケティング環境は大きく変化した。これら環境変化を一つの背景に,企業が採用する価格戦略にも変化が生じた。この結果,近年ではダイナミック・プライシングとサブスクリプションが価格戦略の二大潮流になっている。本稿の目的は,情報技術が進歩する1990年代後期以降に採用されるようになった主要な価格戦略を整理し,Tellis(1986)によって示された価格戦略を起点としたプライシングの系譜を示すことにある。本稿では,近年の各価格戦略が採用されるようになった背景とプライシングの系譜に基づき,今後の価格戦略の行く末について述べる。

Translated Abstract

The marketing environment encompassing companies has changed significantly since the late 1990s owing to the rapid progress of information technology. This especially includes the popularization of the Internet, increase in digital commodities and collectable information, and development of artificial intelligence technology. Pricing strategies adopted by companies have also changed against the background of these changes in the marketing environment. As a result, dynamic pricing and subscription have become two major pricing strategies in recent years. This study summarizes the major pricing strategies that have been adopted since the late 1990s when information technology began to progress and shows the genealogy of pricing starting from the pricing strategies presented by Tellis (1986). We predict the future of pricing strategies based on the background of pricing strategies adopted in recent years and the genealogy of pricing.

I. はじめに

情報技術の進歩を主な背景に,ここ約20年で企業が採用する価格戦略には大きな変化が生じた。近年ではダイナミック・プライシングとサブスクリプションが二大潮流になっているが,今後も価格戦略の潮流は変化し続けていくだろう。本稿の目的は,情報技術の急速な進歩が始まる1990年代後期を境として,それ以前・以後の価格戦略を整理し系統化することで,その行く末について検討することにある。以下ではまず,マーケティングにおけるプライシングの位置づけについて解説した上で,価格関連概念とそれを基にした価格戦略に触れる。次いで,情報技術の進歩による価格戦略の潮流変化と背景を解説し,価格戦略の系譜を示す。最後に,それに基づいて価格戦略の今後の行く末について議論する。

II. マーケティングの発展とプライシング

価格は元々,経済学分野での資源配分におけるコストの代表であり,利潤最大化の変数として用いられて来た。Bartels(1976)によれば経済理論は他のいかなる社会科学分野よりもマーケティングの発展に多くの概念を与えてきた。しかしながら,マーケティングは学際的と言われるように,1960年代を通じて,心理学,社会学,人類学,精神医学等,その後の行動科学における多くの諸概念が組み込まれた。当時存在した研究を概観した書籍としては,Engel, Kollat, and Blackwell(1968)が有名である。こういった諸概念が組み込まれるほどに,価格の重要性はマーケティング分野において薄まってゆくのであるが,1960年にE. J. McCarthyによって提唱された4Pの1つとして明示的にプライスとして顕著化したのは有名であり,価格は重要な地位を与えられたと考え得る。1980年代に価値ベースのプライシング(Value Based Pricing),増分費用(Incremental Costing),ホテルや飛行機などの限られたサービス資源で利益を最大化するプライシング(Yield Management Pricing),ポケット・プライス・プライシングなど概念の発展と革新が登場し,経済学とは次第に距離が離れ,実際のビジネスにおいては経営における価格戦略的な要素が増加するようになっていった。

ここで単に価格を独立変数的に採り上げ,その影響を測る研究からマネジメントを念頭に置いて,いかに価格付けをするかというプライシングの研究も増えていく。1985年にはニューヨークでプライシングのパイオニアである少数グループがプライシング学会を開催し(Smith, 2012),組織的にプライシング研究が進んでいくことになる。また4Pとの関連でいえば,その後,心理学等行動科学の観点から価格はCustomer Costとして4つのCで表現されたり,製品価値を表現するものとして価値の視点から「価値表示」とも表現されたりするようになっていく。このように研究も多様に展開する状況を示すのであるが,他の3つのPに比較すると華々しい展開はないものの,研究は着実に進んでおり,価格を取り上げた研究は非常に多い。それは売上予測などの数理モデリングを行う場合,価格は依然として重要な影響力を持つ独立変数であり,多くのモデルにおいて最も操作可能な変数だったからである。うがった見方をすれば,研究論文を生産しやすいという事情も考えられる。

アメリカで1974年にIRI(Information Resource, Inc.)で実験的にコーヒーデータが,買い物データであるPOSデータとして公開されて分析・研究が進み(Moriguchi, 1992),日本でもPOSシステムが1980年代に導入されて普及するとますますその傾向を強め,多くのプライシングモデル研究がなされるようになる。この傾向は,ID-POSデータ登場後ますますその傾向を強めていると思われる。一方,時系列データのモデル分析に並行し,アンケートベースのプライシング研究も進展を見せてきた。これらの研究においては,研究よりもマネジメントの実践という側面が強く,古くはエキスパートの判断による方法がある。これは,まったくのブレークスルー型の新製品でデータも何もない場合や,顧客が少数である生産財のプライシングの場合に事情に通じた熟練者が集められ,現実的な最低価格,最高価格,中位の価格はいくらで,その価格で売上高はどの位なるかという問いへの回答を合成し,価格を決める方法である。そのほか,コンジョイント測定法やPSM(Price Sensitive Measurement)が登場してきており,現在でも非常によく利用されている。コンジョイント測定法に関しては,その登場は意外に古く,Ueda(2001)によると,古くから心理学の分野で議論されており,最初にLuce and Tukey(1964)がコンジョイント測定法と呼んだとしている。初期バージョンでは,少数の製品属性とその内容である少数の属性水準を実験計画法的に組み合わせ,8~15程度の実験対象(製品プロファイル)を作成し,買いたい順序やあるいは100点満点で買いたい程度を表す得点を書いてもらい,分解的に属性水準の重要度や製品属性の重要度を推定する方法であった。日本でも1980年代から徐々に用いられ,1990年代から盛んに利用され,解析的にも多様な進化を遂げている。一方のPSMは,数値解析や統計的な技法に基づかない方法であるが,消費者の価格受容範囲をグループ単位の分析で調べる方法である。日本においてYokoyama(1994)のジプロックのケースで採り上げられたのが初期であった。PSMの測定方法は統計学的な手法を用いることはないが,その測定内容は一定の合理性に基づいている。また,Ueda and Saito(1999)の価格関与概念と組み合わせた方法など,ビジネス上の要請に基づいた方向へと発展を遂げている。

どのように価格決定がなされるべきかというテーマに関しては,2000年前後から,戦略的な価格決定に関わる研究が増加するとともに(Leone, Robinson, Bragge, & Somervuori, 2012),競争的なプライシングよりも,価値ベースのプライシングに関わる研究が増加したことが指摘されている(Kienzler & Kowalkowski, 2017)。これは後述する情報技術の進展に伴い企業が採用する価格戦略に新たな展開が生じたこと,インターネットの普及等による価格低下圧力により,マーケットシェアを拡大するような価格戦略よりも,利益を生むような価格戦略が重視され始めたことが背景にあると考えられる。

III. 価格関連概念とTellis(1986)の価格戦略

1. 価格関連概念の整理

ここで価格関連概念の整理を以下にしておく。図1は,Ueda(1999)を簡略化し,そこにダイナミック・プライシングとサブスクリプションを追加したものである。まず,価格関連概念の中心に位置するのが参照価格であり,内的参照価格とも呼ばれる。参照価格とは,消費者の心の中に形成される対象製品にふさわしい価格イメージであり,「この商品ならばこれくらいかな」と消費者が考える価格である。この参照価格は,期待将来価格(価格トレンド,広告,購買時点での情報など,入手可能な情報から消費者が想定する将来価格)や公正価格(コストがある程度適正に反映されており,公正だと認める価格)等によって影響を受け形成される。

図1

価格関連概念の相互関係

出典:Ueda(1999),p. 87,図3・2を改変

参照価格も,他の価格概念に直接的・間接的な影響を与える。まず,参照価格は留保価格と直接関係している。留保価格には,消費者が受容可能な上限という消費者の留保価格と売り手がこれ以下では売らないという売り手の留保価格があり,この間が消費者の受容可能な価格範囲となる。留保価格の高い方の範囲外では,消費者はその商品を高すぎると感じ購買を控えることになる。一方,低い方の範囲外では,売り手がその価格をつけないので取引は実現しない。価格の品質バロメーター仮説では,情報が入手困難であるとか理解が難しい場合に,消費者は価格で品質を推測するという仮説であり,価格が高いほど品質が良いと判断するので消費者の留保価格とは対立する。一方,低価格では品質が低いと判断するので,この仮説では買い控え現象が起こるのである。

また名声価格は,基本的に価格の品質バロメーター仮説を基盤にしている。プレミアム・プライス,象徴価格,排他的高級価格とも呼ばれ,価格自体がブランドの地位を高める働きをし,高価格でより大きな需要を獲得する。香水,宝石,ファッション製品など,消費者にとって品質評価が難しい製品カテゴリーに用いられ,品質保証のみならず,見かけの製品価格が他人にいかに高く見てもらえるかということが消費者とって重要な効用となる。

また,留保価格は価格閾値と関連が深い。価格がある絶対金額を超えると急激に売り上げを落とす場合,その価格を価格閾値と呼ぶ。個人では,留保価格の存在により閾値が存在するが,市場全体でも集合値として存在する。消費者ごとに受容可能価格領域は異なるが,バラバラに分布しているわけではない。これらの領域が重なり合い,市場全体でみれば価格についてある金額増加幅ごとに売上が急に落ちていくと考えられる。価格閾値は,その価格がきっちりした額であることが多いとされ,そのわずか手前の価格がよく適用される。例えば,1,000円に対する998円といった価格である。これは端数価格と呼ばれ,価格閾値から工夫された価格といえる。

最後に,参照価格はプロスペクト理論と直接関係している。人が知覚する損得のインパクトの違いについて説明するプロスペクト理論を基にすると,価格の高低に関する消費者反応の違いが説明される。この理論に従えば,参照価格を基点として価格の高低の絶対値が等しい場合,低価格で得をしたと感じる場合よりも,高い方で損をしたと感じる方が,消費者は強いインパクトを感じる。

1の価格の諸概念に近年大きく影響を与えているものが,ダイナミック・プライシングとサブスクリプションである。図1で記したように,両者とも参照価格に変動をもたらしている。前者はある一定の法則に基づき,価格が変化するため,参照価格を揺り動かし,そこを通じて全体を揺さぶり,購買意思決定は複雑化する。しかしながら,その変化の法則に消費者が慣れてくると,期待将来価格が形成されやすくなり,その揺さぶり効果は小さくなる。一方後者は,価格のコスト意識が定額制で一定期間に亘るため,参照価格を曖昧なものとし,そこから全体に影響を及ぼす。また,代表的な「し放題」効果で購買意思決定における価格のコスト意識は低下し,ベネフィットとしても影響力を有するようになる。

2. Tellis(1986)の価格戦略の分類

価格戦略は研究者によって様々な視点から分類が試みられているが,先述の参照価格・留保価格・価格の品質バロメーター仮説・名声価格・プロスペクト理論といった価格関連概念を踏まえて価格戦略を整理しているのが,Tellis(1986)の価格戦略の分類である(表1)。Tellis(1986)の分類は,あらゆる業界での適用を前提としているという点で実用性が高く,特にマーケティング分野における多くの文献で広く使われてきた。一連の価格戦略に対し,ここ約20年間でその潮流に変化が生じた。その変化は,1990年代後期以降に始まる情報技術の進歩を一因としている。2000年以降は,価値ベースのプライシングに,限られたサービス資源で利益を最大化するプライシングをより大きくかぶせる形が大きな流れとなり,価格戦略もこの方向へ雪崩打って進展するようになっていった。リーマンショックやコロナ禍による経営環境の厳しさがこの傾向に一層の拍車をかけていることは間違いない。以下では,1990年代後期以降から採用されるようになった主な価格戦略を,その背景とともに解説する。

表1

Tellis(1986)の価格戦略の分類

出典:Tellis(1986),p. 148,TABLE 1及び,Ueda(1999),p. 63,表2・1を基に作成

IV. 新たな価格戦略の潮流とその背景

1. インターネット黎明期とインターネットオークションの登場(1990年代後期)

1990年代は情報化が加速した時代であり,特に後期は一般家庭においてもインターネットと携帯電話(及びPHS)の普及率は急速に伸びた。海外では1995年には価格比較サイトであるBargain Finderが登場するとともに(Krulwich, 1996),国内外ともに企業のオンライン通販事業への参入が相次いだ。インターネットによる双方向性等の向上は,価格決定プロセスに買い手が参加する参加型価格決定メカニズム(Participative Pricing Mechanism)を活性化させた。参加型価格決定メカニズムの活性化は,インターネットオークションの登場から始まった。参加型価格決定メカニズムはインターネットオークションに限定されず,1998年には「ネーム・ユア・オウン・プライス(Name Your Own Price)」方式を採用するPriceline.Comがサービスを開始した。ネーム・ユア・オウン・プライスは,始めに売り手が価格を設定する。ただし,その価格は買い手には示されない。次いで,買い手は自身が希望する価格を提示する。買い手が提示した価格が,売り手が設定した価格を上回れば取引は成立する。売り手が個人の支払い意思額を基に,個人単位で異なる価格設定を行う「パーソナライズド・プライシング(Personalized Pricing)」は,消費者に関わる多くの情報が必要とされるためプライバシーの問題が生じることや,個人ごとに購入価格が異なることに対する不公平感を招くなどの問題があるため,現実には,その実施に高いハードルがある。ネーム・ユア・オウン・プライスや,後述するペイ・ワット・ユー・ウォントは,消費者自身が支払い意思額に相当する価格を決めるため,支払い意思額を基にした個人単位の価格差別を可能にするという点に共通する特徴がある。

2. 情報技術の進展に伴う新たな差別化プライシングの登場(2000年代)

2000年代に入り,ブロードバンドが急速に普及したことによりEC市場も拡大した。情報財はデジタル化が促されるとともに,ブロードバンドによる大容量データの送受信の高速化は,ダウンロード販売・デジタル配信など,パッケージを伴わないインターネット経由での新たな販売方式を可能にした。また,インターネット通販の拡大などによる購買データや小売でのID付きPOSデータといった企業が獲得できる顧客情報量は増加した。

(1) ブロードバンドの普及によるEC市場の拡大

インターネット人口拡大に伴う2000年以降のEC市場の急成長は,小売のオフライン・オンラインでのマルチチャネル化を促し,チャネルをベースとした価格戦略,すなわちチャネルベースの価格差別化(「マルチ・チャネル・プライシング(Multi Channel Pricing)」)は,小売にとって重要な課題となった(Wolk & Ebling, 2010)。Tellis(1986)の分類におけるランダム・プライシングと同様,チャネル間で同一製品に価格差を設ける場合,ネガティブな消費者反応が引き起こされる可能性があるが,一方で,購買チャネルによって消費者の価格意識に違いがあるという事も指摘されている。例えば,Kacen, Hess, and Chiang(2013)は,オフラインチャネルを通じて購入する製品に対する支払い意思額は,オンラインチャネルを通じて購入する製品に対する支払い意思額よりも高いことを明らかにしている。現在では,ソーシャルメディアを通したチャネルなど,販売チャネルは多様化しており,マルチ・チャネル・プライシングの重要性は増している。

(2) 情報財のデジタル化とインターネット経由での販売方式の増加

ソフトウェアなどの情報財は,他の経済財に対していくつかの異なる特徴を持つが,大きな違いはコスト構造にある。情報財は,大きな固定費用が発生する一方で限界費用は小さく,製品属性の追加や削除など組み換えに要する費用も小さいという特徴を持つ。2000年代に入り,情報財のデジタル化,さらには,パッケージを伴わないインターネット経由での販売が一般化するに従い,コスト構造の特徴はヨリ顕著になり,「ペイ・ワット・ユー・ウォント」「バージョニング」「フリーミアム」といった手法を活性化させた。

「ペイ・ワット・ユー・ウォント(Pay What You Want)」は,参加型価格決定メカニズムの一方式であり,買い手はゼロを含む希望価格を提示することができる。ネーム・ユア・オウン・プライスでは,売り手は下限価格を設定できるが,ペイ・ワット・ユー・ウォントでは買い手の希望価格がゼロであっても拒否は出来ない。ペイ・ワット・ユー・ウォントに注目が集まったのは,2006年にイギリスのバンドであるレディオヘッドのアルバムのウェブ配信において,この方式を採用して以降であろう。Raju and Zhang(2010)は,ペイ・ワット・ユー・ウォントの成功事例に共通の特徴として,限界費用が低い製品・サービスが比較的多いことを挙げている。限界費用が低く,大部分が固定費用であれば,正当な対価を支払わない消費者が一部にいたとしても,費用をカバー出来る可能性が高いためである。その点で,低い限界費用を特徴とするデジタル財の普及が注目のきっかけになったと言える。

「バージョニング(Versioning)」は,Tellis(1986)の分類におけるプレミアム・プライシングに相当する。この手法は古くから使われてきたが,現在ではこの手法をバージョニングと呼ぶことが多い。機能差と価格差を設けた製品・サービスを複数バージョン提供し,消費者はその中から自身に適したものを選択する。例えば,動画配信サービスのNetflixは国内において,画質と同時再生可能なデバイスの数により,ベーシックプラン(月額990円)・スタンダードプラン(月額1,490円)・プレミアムプラン(月額1,980円)の3バージョンを提供している。バージョニングは,異なるバージョンを作るのに必要とされる費用が低い情報財には適した価格戦略であり(Ancarani, 2002),ゼロに近いコストで異なるバージョンを作ることを可能にするデジタル化は採用機会を増加させた。

「フリーミアム(Freemium)」は,基本的機能や内容は無料とし,高度な機能や内容については課金する手法であり,固定料金の無料化という点でTellis(1986)の分類における二部料金制(補完的プライシング)の派生形と言えるし,プレミアム・プライシングを組み合わせたものとも言えよう。例えば,レシピ検索サービスのクックパッドは,無料で検索機能を使うことができるが,月額308円を支払えば,「人気順位検索」が可能になるなど,追加の機能が使えるようになる。2008年のスマートフォンの発売によりフリーミアムは一般化し,携帯電話アプリにおいては最も採用頻度の高い価格戦略となった。フリーミアムの主目的は,無料版によって,利用者の一部を有料版に移行させることで収益を上げることにある。その点で新聞の無料購読等と目的は近いが,デジタル財に関しては,無料版の提供に必要とされるコストが小さいという点で適した手法であったことが普及の背景に挙げられる。

(3) 収集可能な情報量の増加

1990年代以降,ID付きPOSデータなどの詳細な顧客情報が入手可能になったこと,顧客データの分析技術が発展したことに加え,国内では平成不況も一因となり,既存顧客との長期的関係性を重視する「CRM(Customer Relationship Management)」が急速に浸透した。CRMの浸透は価格戦略にも影響を与え,顧客の購買履歴を基にした購買行動ベースの価格差別化を可能にした。これは「CRMベースド・プライシング(CRM Besed Pricing)」(Shin & Sudhir, 2007)や「顧客識別プライシング(Pricing With Customer Recognition)」(Esteves, 2010)などと呼ばれる。顧客の購買履歴を基に価格を差別化した例としては,Amazonは2000年に,試験的にではあるが購買履歴を基にしたDVDタイトルの価格差別を行い,購買履歴に応じて少なくとも3種類の価格表示がされるようにしたケースがある(Maxwell & Garbarino, 2010)。オンライン販売ではこのような試みは比較的容易に出来るものの,消費者から不評を買ったということもあり,その後,公に直接的な価格差別が行われた例は少ない。多くは購買履歴を基にクーポンによる間接的な値引きによって,価格差別を行う方式がとられている。近年では,この手法は携帯電話アプリ等を通じたデジタルクーポンの配布により,ヨリ細分化された価格差別を可能にしている。

3. ダイナミック・プライシングの普及とサブスクリプションの再評価(2010年代)

2010年代に入り,様々な製品がインターネットに接続されるようになり,IoTデバイスは急激に増加した。同時に,クラウドコンピューティングが発達したことにより,IoTデバイスからの大量な情報を収集・蓄積することが可能になった。AIの発達は,ビッグデータと呼ばれるこれらの蓄積された情報を活用することを可能にした。

「ダイナミック・プライシング(Dynamic Pricing)」とは,需要に関係する変数によって需要予測を行い,需要と供給のバランスを基に動的に価格設定を行う価格差別手法である。どのような手法がダイナミック・プライシングに含まれるのかは文献により異なる。属性・購買履歴等の個人特性を基に個人の支払い意思額を予測して価格設定を行うパーソナライズド・プライシングや複雑化が進んだ近年のCRMベースド・プライシングも,多様な価格設定がなされる点でダイナミック・プライシングとする場合もある(Krämer & Kalka, 2017)。一方で,需要予測を基にした時間ベースの価格差別手法として,個人特性を基にした価格差別手法とは区別する場合もある(Seele, Dierksmeier, Hofstetter, & Schultz, 2021)。

狭義のダイナミック・プライシングとして,時間ベースの価格差別手法という点を前提とすると,価格を上昇させるという点では,需要抑制を目的に,需要増加が見込まれる時に価格を上昇させる「ピーク・ロード・プライシング(Peak Load Pricing)」が古くからあった。価格を動的に上下動させるダイナミック・プライシングに関しては,1980年代にアメリカン航空が採用したのが始まりであり,その後,需要に季節変動があるようなホテル・レンタカーといった旅行業界で採用する企業が増えていった。ただし,本格的な普及はAIに注目が集まって以降であろう。AIへの注目は,2012年の画像認識ソフトウェア大会において,トロント大学のチームが採用したAIが圧勝したこと,同年,AIが画像を認識できるようになったことをGoogleが発表したことをきっかけとしている(Ogata, 2017)。一連の技術は深層学習という最新技術を用いたものであったが,AIへの注目によって,その登場以前に成熟しつつあった機械学習が見直されることになった(Okuwada, 2019)。以後,国内外ともスポーツやエンターテイメント産業を中心にダイナミック・プライシングが積極的に採用されるようになったが,AIがビッグデータの処理や数値予測に長けているとともに,機械学習というAI技術が確立していたことが急速な普及の背景にあったと言える。

一方,「サブスクリプション(Subscription)」とは,本稿においては,特定の金額を支払うことにより,契約期間内において利用や消費が原則として無制限となる「サブスクリプション・プライシング」あるいは「定額料金制」を指している。サブスクリプションは,主に消費者は設備の利用権に料金を支払い,所有権は移動しないようなアクセスサービスにおいて採用されてきた手法である(Essegaier, Gupta, & Zhang, 2002)。アクセスサービスには,電気通信産業・鉄道・インターネットプロバイターのほか,フィットネスクラブ等が当てはまる。企業側にとってサブスクリプションは,顧客にとっても初期費用が比較的安く済むため新規顧客を獲得しやすい,売上予測がしやすく安定的な収益が見込める,契約期間は顧客をロックインしやすい,という点でメリットがある(Lee, 2019)。ただし,当初の投資コストの大きさを一つの理由として,サブスクリプションの採用企業はしばらく限られていた。

現在のサブスクリプションの活性化は,2010年代前半からソフトウェア業界において積極的に採用され始めたことをきっかけとしている。これには主に二つの背景がある。1点目は,ソフトウェアのイノベーションスピードが速まり,売り切り型でのバージョンアップサイクルでは追いつかなくなってきたことである(Oya, 2019)。サブスクリプション型への移行は,短いサイクルでのバージョンアップを可能にした。2点目は,クラウドコンピューティング技術の発達である(Lee, 2019)。インストールを必要としないネットワーク経由でのソフトウェア提供は,所有することなくサービスを利用するサブスクリプションと親和性が高かったと言える。ソフトウェア業界における成功がサブスクリプションの再評価へ繋がったことで,2010年代後期から他分野へ波及した(Rudolph, Bischof, Bottger, & Weiler, 2017)。サブスクリプションは,顧客との関係性が長くなるほど売上収入が固定的に入ってくる仕組みである。サブスクリプションを採用する企業は,顧客との関係性強化の考え方を根底に,アップセル・クロスセル・ダウンセルによって顧客をつなぎ止め利益を拡大していこうとしている(Ueda, 2021)。また,サブスクリプションは,先述のバージョニングやフリーミアムとミックスした価格戦略をとることも多い。例えば,サブスクリプション音楽配信サービスのSpotifyは,利用可能な機能によって4種類の月額料金を提供している。

V. 価格戦略の系譜と行く末

1. Pigou(1920)の分類を用いた整理

Tellis(1986)の価格戦略及び,先述の価格戦略とも価格差別手法が主であった。そこで,各価格戦略を整理するにあたり,Pigou(1920)の価格差別手法の分類を用いることとした。また,マーケティング分野ではTellis(1986)の分類が広く用いられる一方,経済学分野における価格差別の議論においてはPigou(1920)の分類が広く用いられており,両分野を統合した再整理という点でも意義のあることだと考える。Pigou(1920)は,価格差別手法を『第一種価格差別』『第二種価格差別』『第三種価格差別』に分類している。第一種価格差別は完全価格差別とも呼ばれ,個々の消費者の支払い意思額に応じた価格が設定される。第二種価格差別は,消費者特性を予め識別できない場合に効果的であり,消費者の選好に応じて購入価格が決められる。第二種価格差別には,①非線形料金型:数量割引のように購入量によって価格を変える方法(二部料金も含まれる1)),②組み合わせ型:セット割引のように同時購入によって価格を変える方法,③自己選択型:松竹梅メニュー等のように購入価格を消費者自身に選択させる方法2),が含まれる。第三種価格差別は,マーケットセグメンテーションの考え方を背景にしており,消費者を観察可能な特性によってグループ化し異なる価格設定を行う手法を指す。第三種価格差別には,オンピーク・オフピークによる価格差別といった時間ベースの価格差別も含まれる(Varian, 1989)。

Pigou(1920)Tellis(1986)の対応関係を整理する。ランダム・ディスカウンティング及び,イメージ・プライシングは,消費者の持つ情報量次第ではあるが,購入価格を選択できるという点で第二種価格差別に近いが,購入価格は支払い意思額にも依存するという点で第一種価格差別にも近いため,中間の手法と判断した。第二種価格差別は,補完的プライシング(非線形料金型),価格バンドリング(組み合わせ型),プレミアム・プライシング(自己選択型)が該当する。第三種価格差別は,経時的ディスカウンティング,第二市場ディスカウンティング,地理的プライシングが該当すると判断した。

次に1990年代後期以降の価格戦略との対応関係を整理する。第一種価格差別では,支払い意思額に従って,消費者ごとに異なる価格設定がなされるので,パーソナライズド・プライシングが該当する。ネーム・ユア・オウン・プライス及びペイ・ワット・ユー・ウォントは,消費者ごとに支払い額が異なるという点では第一種価格差別であるが,購入価格は消費者自身に任せられるという点では第二種価格差別にも近いため,中間の手法と判断した。第二種価格差別は,バージョニング(自己選択型)及び,フリーミアム(非線形料金型)が該当する。また,マルチ・チャネル・プライシングも,どのチャネルを通じてどの価格で購入するかは消費者の選択に委ねられる点で第二種価格差別(自己選択型)に該当すると判断した。第三種価格差別は,CRMベースド・プライシング,ダイナミック・プライシングが該当する。一方,サブスクリプションは,いずれの枠組みにも含まれないが,顧客との関係性重視の手法という点でCRMベースド・プライシングの流れを汲む手法と言える。

2. 価格戦略の系譜

2に価格戦略の系譜を示す。価格戦略の主流変化に影響を与えたのは,必ずしも情報技術の発達だけではないだろう。図2には,価格戦略の潮流に少なからず影響を与えたと考えられるその他の出来事及び,消費者の価格・消費意識の変化を併記した。

図2

価格戦略の系譜

時間ベースの第三種価格差別である経時的ディスカウンティングは,ピーク・ロード・プライシングの特徴を取り込み,ダイナミック・プライシングに発展した。一方,第二市場ディスカウンティング・地理的プライシングといった消費者特性ベースの第三種価格差別は,購買履歴を基に価格差別を行うCRMベースド・プライシングへ発展した。また,CRMベースド・プライシングのデータ分析を踏まえた価格設定の考え方はダイナミック・プライシングの発展に寄与するとともに,関係性強化の考え方はサブスクリプションへ繋がる。検索エンジンや価格比較サイトは,消費者の探索コストを大幅に低下させたが,2010年代に入ってのSNSによる消費者の情報発信の活発化,スマートフォンの普及もこの傾向を後押しし,消費者の価格感度をさらに高めるとともに,特に2000年代後期における資源価格高騰とリーマンショックは,企業の利益を著しく圧縮させた。年々強まる価格低下圧力と厳しい利益縮小に対応するために,2010年代に入り,潜在利益を最大化する手法としてダイナミック・プライシングが,既存顧客から安定的収入を得る手法としてサブスクリプションが積極的に活用され始めたと言えるだろう。

サブスクリプションに関してさらに言えば,経済の行き詰まりの経験によって,消費者の意識が変化した事も背景にしているはずだ。リーマンショック以後,消費者は,モノへのニーズからコトへのニーズを強め,所有より使用することに重点を置くようになった。それと同時に,共有するという考え方も普及しシェアリングエコノミーが一般化した。このように,所有に対する考え方の変化が,消費者のサブスクリプション志向を促したと言える。

バージョニング(プレミアム・プライシング)や,補完的プライシングの発展形であるフリーミアムといった第二種価格差別の積極的活用も,個人内消費の二極化として指摘される心理的財布の使い分け傾向の強まりに対して,消費者が購入価格を選択するような手法が適していたことも背景の一つにあったと考えられる。

最後に,第一種・第二種中間型価格差別は,ランダム・ディスカウンティングのような購入価格の選択(第二種)にウェイトを置いた手法に対し,ネーム・ユア・オウン・プライスやペイ・ワット・ユー・ウォントといった第一種にウェイトを置いた手法が注目を集めた。これらの手法はCRMベースド・プライシングやダイナミック・プライシングと結びつき,第一種価格差別であるパーソナライズド・プライシングの議論に繋がる。ただし,プライバシーや不公平感に関わる問題などの面から,支払い意思額に合わせた個別の価格設定という厳密な意味でのパーソナライズド・プライシングは,知り得る限りでは実現していない。

3. 価格戦略の行く末―2020年代の価格戦略―

消費者の支払い手段は,電子決済へと進んでいる。消費者は財布にいくら入っているかに影響を受けにくくなっており,電子決済の普及は,消費者が支払いの際に知覚する支出の痛みを低下させる方向に作用するだろう。これまでは実際の財布が支出抑制になっていたが,電子決済によって支出に対する罪悪感は薄くなっていく可能性がある。支出の痛みの希薄化はポジティブな要素であり,価格上昇圧力ともなる。一方で,近年では『メルカリ』のようなフリーマーケット型のオンラインサービスが人気を得て,ネットオークションに始まる消費者間取引の利用者は急増しており,価格低下圧力になっている。ダイナミック・プライシングは,内的参照価格を動かすことで消費者の価格判断を難しくし,サブスクリプションは,一端メンバーになると消費者の価格感度を鈍らせることから,価格低下圧力への対応として,企業はイールドマネジメントと顧客との関係性強化をヨリ強めていくはずだ。

時と場合によって留保価格が大きく変わる消費者に対応するという点においても,今後,広い業界で柔軟な価格変更に基づくプライシングが行われるようになると考えられるものの,ダイナミック・プライシングの導入には顧客の価格感度も重要となる。現在では,電子棚札市場の成長にともない,実店舗におけるダイナミック・プライシング導入の兆しがあるが,導入コストを踏まえると,小売り実店舗では不向きな手法かもしれない。ヘビーユーザーをターゲットに利益を上げる方が効率的であるが,概してヘビーユーザーほど価格感度は低い傾向にあるためである。その点において,サブスクリプションの方が効果的だろう。メンバーになる際に意思決定上の障壁はあるが,定額サービスを用意することが出来れば,顧客の固定化につなげることが出来るためである。

最後に価格研究の視点から検討すると,ダイナミック・プライシング(あるいはCRMベースド・プライシング)とサブスクリプションは,価格の柔軟性という点で対照的なプライシング手法と見なされる事も多いが,購買履歴や購買時点を基にしたサブスクリプションの額の変更といった,2つの手法を組み合わせるような提案もされている(Jia, Liao, & Feng, 2018; Penmetsa, Gal-Or, & May, 2015)。既に一部で実施されているが,ビジネス分野においても,サブスクリプションと第三種価格差別とのハイブリッド型が今後普及していくかもしれない。最後に書籍・論文に着目すると,各価格戦略の名称がタイトルに含まれる書籍・論文数は,ダイナミック・プライシングは2010年代前半から増加(2006–2010年:389件,2011–2015年:785件,2016–2020年:1,127件),サブスクリプションは2010年代後半から(2006–2010年:40件,2011–2015年:57件,2016–2020年:152件),パーソナライズド・プライシングは2010年代後半から(2006–2010年:5件,2011–2015年:11件,2016–2020年:50件)増加している3)。後者二つの手法は,近年になって議論が活性化し始めており,さらなる研究の発展が期待される。特にパーソナライズド・プライシングは,諸々の障壁があることは述べた通りであり,採用にあたっての一層の議論が望まれる。

1)  固定料金と従量料金から構成される二部料金は,購入量によって単位あたりの平均支出額が変化するという点で,購入量による価格差別の一つと捉え,第二種価格差別に含まれるとされる。

2)  本来,第二種価格差別は購入量による価格差別を前提とするが,購入量に関わらず消費者の選好によって購入価格が決まるケースを,第二種価格差別と見なす広義の解釈が用いられる場合もある(Linde, 2009)。本稿では広義の解釈を採用した。

3)  書籍・論文数のカウントにあたってはgoogle scholarを使用した。

兼子 良久(かねこ よしひさ)

山形大学人文社会科学部准教授。博士(経営学)。日本大学大学院修了後,マーケティング会社勤務を経て学習院大学大学院に進み,鹿児島国際大学,宮城学院女子大学を経て,2018年より現職。

上田 隆穂(うえだ たかほ)

学習院大学経済学部教授。博士(経営学)。東京大学経済学部卒業後,(株)東燃を経て一橋大学大学院に進み,1986年学習院大学へ。主著に『価格決定戦略』(単著,アスカ2021),『生活者視点で変わる小売業の未来』(単著,宣伝会議2016)。

References
 
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