Japan Marketing Journal
Online ISSN : 2188-1669
Print ISSN : 0389-7265
Marketing Case
YAMAP:
A Case Study of Providing Safety and a Great Mountain Climbing Experience
Ushio DazaiTakashi Okutani
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JOURNAL OPEN ACCESS FULL-TEXT HTML

2022 Volume 42 Issue 1 Pages 101-110

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Abstract

本論は登山という趣味の分野で急伸している福岡のベンチャー会社,(株)ヤマップと,そのメインツールであるスマートフォンアプリ「YAMAP」について,特に社会的意義と顧客経験に焦点を当てながら取り上げたものである。まずは同社の成長の軌跡を紹介し,山を安全に楽しむこと,地域社会に貢献するといった社会性を有した事業活動やサービスについて紹介し,顧客経験の創出や改善,顧客対応もその理念に沿って実行されていることを説明する。そしてインプリケーションとしては実務的枠組み,顧客経験の枠組み,パーパスという3つの視点から同社の成長の理由を考察した。

Translated Abstract

This paper is a case study of YAMAP INC., a fast-growing venture company in Fukuoka focused on fostering mountain climbing community, and its main tool, the smartphone application YAMAP. In particular, the paper focuses on social significance and customer experience of YAMAP. First, the company’s growth trajectory is introduced and its socially responsible business activities and services are described. These include safe mountain enjoyment and contribution to local communities, as well as creation and improvement of customer experience and customer service in line with these principles. The implications and reasons for the company’s growth are discussed from three perspectives: the practical framework, the customer experience framework, and the purpose perspective.

九州を代表する名峰群「九重連山」におけるキャンプ地「坊がつる」と,YAMAPアプリ画面

I. はじめに

マーケティングの大家・P. Kotlerが「マーケティング3.0」で社会的課題へ取り組むことを主張してから10年以上が経過したが,近年はコロナ禍に見舞われたこともあり,SDGsやパーパス,ソーシャルグッド,エシカル消費と言ったキーワードなどと共にマーケティングの社会的視点に再度焦点が当たることが多い。

一方,広告費においてはインターネットがTVを抜き,2018年時点でその7割の1兆円超がモバイルに向けた広告となっており,「モバイル・ファースト」の傾向はさらに今後も加速するとされている。広告以外の分野では,オムニチャネルやDXなどのキーワードと共にデジタル化,スマートフォン(以下スマホ)アプリなどを通じた顧客とのつながり,シームレスな顧客経験の提供などがマーケティングの現場において頻繁に指摘される。

そのような現代において本ケーススタディでは,福岡に本社を置くベンチャー企業の株式会社ヤマップを取り上げ,社会的意義を非常に強く意識する当社の事業を紹介すると共に,スマホアプリ「YAMAP」を中核とする顧客経験に焦点を当てて解説を行い,マーケティング・エクセレンスを抽出する1)

II. YAMAPとは

本章では2-1節で近年の成長と共に企業の紹介を行い,2-2節以降の各節において,その社会性のうち,安全を目的としていること,地域貢献,経営・マーケティングにおけるオープンネスを紹介する。

1. YAMAPの成長

本節では同社プレスリリースやブログ,YouTubeやTwitter,SNSなどのインターネット上の情報2),また筆者らによるインタビュー等に基づいてヤマップの紹介を行う。

ヤマップは2013年に福岡で創業し,スマホアプリの「YAMAP」運営を軸とし,オンラインストア「YAMAP STORE」運営,登山文化のためのメディア「YAMAP MAGAZINE」の運営,登山保険「YAMAP登山保険」の販売,その他に,山・自然を活用したコンテンツ開発・コンサルティング・プロモーション等,5つの事業を展開している。ビジョンとして「人と山をつなぐ 山の遊びを未来につなぐ」,ミッションとして「テクノロジー×アイデアで,自然をもっと楽しいものに,今よりずっと身近なものに」という言葉を掲げている。

メイン事業であるスマホアプリ「YAMAP」(以降,アルファベット表記の場合は主にスマホアプリなどの同社事業を示し,カタカナ表記した際は当企業を示すものとする)は,全国の山の地図をアプリ内に保存することができ,スマホのGPS機能を用いて電波の届かない山奥でもどこにいるかがリアルタイムで,1 m程度の誤差で把握できる。無料版でも限定的に機能が利用できるが,有料(年割プラン:3,480円~,月額プラン:480円~)の「YAMAPプレミアム」を契約すると,ダウンロードできる地図数が無料版の月2枚までが無制限になり,さらに各種機能が利用できるようになる。ユーザーは山についてのコース所要時間や注意箇所の把握などの登山時の情報を得られるほか,登山計画の作成,自身が歩いてきたルートのログ・写真・日記などを保存することや,登頂の記念バッジをコレクションすることもできる。

家族やコミュニティ・登山者間のコミュニケーションや相互やり取りの機能も多く,YAMAP利用者同士が近くにいる場合はBluetooth通信から通知を受け取れるほか,「みまもり機能」を使えば家族や友人とも登山中の位置情報を共有でき,万が一の遭難の場合でも,捜索範囲を絞り込むことができるので早期救助につながる。また,ユーザー同士はフォロー・メッセージ送信・コメント書き込みなどの交流をすることができる。2021年7月には「利他的」であることを前提としたコミュニティポイント機能「DOMO」(“どーも”と読む)をリリースし,ユーザー同士が感謝・共感・応援をポイントとして送り合い,貯まったポイントをYAMAP STOREで利用できるクーポンと交換したり,登山道整備などへ寄付したりすることができるようになった。

YAMAPは2019年までアプリダウンロードのための広告をほぼ打っていなかったにもかかわらず,クチコミやメディア露出で広まり,2017年3月で50万ダウンロード(以下DL)を突破,2018年8月に100万DL,2019年11月に150万DLを達成。2022年4月には300万DLとなっている(図1)。コロナ禍にも関わらず2020年9月時点のMAU(Monthly Active User)は44万超で前年同月比146%の伸び率を達成,2021年9月時点のMAUは56万を超え,同128%の伸びとなった。

図1

ダウンロード数推移

さらに,2021年10月の日記投稿数は65万件を超え,同127%の伸び率となっている。有料会員率(課金率)も一般のアプリに比べて非常に高い比率となっているほか,年次の再契約率も85%という驚異の数字となっており,ユーザーから高い評価を得ていることがわかる。登山関連の競合アプリはYAMAP以外に主に3つが存在するが,2021年8月登山アプリ利用者数調査(App Ape調べ)では,2位のアプリに6倍以上の差を付け,ほぼ独り勝ちの状態となっている。

このように利用者を伸ばしている同社は,グッドデザイン賞・特別賞「ものづくりデザイン賞(中小企業庁長官賞)」,経済産業省「新事業創出のための目利き・支援人材育成等事業」認定事業受賞,企業成長率ランキング「2021年 日本テクノロジー Fast 50」で7位を受賞するなど,様々な受賞が示すように外部評価も高く,また多くのメディアにも取り上げられている。

コロナ禍においては,2020年6月には登山に限らずに街中でも使える「ランニング・ウォーキング機能」をリリースしたほか,YouTubeの「YAMAP CHANNEL」でライブ配信に注力するなど,外出が困難となった社会情勢への変化適応も非常に早い。

企業経営としては2016年3月に約1.7億円,2018年4月には約12億円の資金調達を実施して経営の基盤を整え,売上は2021年6月期終了時点で前年比263%増の7.7億円を達成した。収益としては投資段階であるため収益上赤字は続いているものの,その赤字幅は前年で約25%改善した。従業員数は創業から5年ほど後の2018年5月時点で55名,2022年4月時点では80名超とその数を増やしている。

2. YAMAPの社会性1:安全面の重視

ヤマップはそもそも起業時から登山や山に関わる社会的意義を強く持っており,その中でも春山CEOは安全面を最重視している。「自分たちを登山アプリの制作会社だとは思っていません。私たちヤマップは,アプリやテクノロジーを活用しながら,山や自然を安全に楽しむための“インフラサービス”を社会へ届ける会社です」,「YAMAPユーザーの安全性が何よりも最優先されるべき」という強いメッセージを発信している。

春山CEOは開発時点で「まずアプリ・地図を徹底的に磨いた」と述べており,インターネットの電波ではなくGPSを介して山の中でもしっかりつながること,スマホ上で地図がしっかり見られることに集中し,機能面での信頼を得ていったという。

安全へ貢献していること,信頼されていることは前述した「みまもり機能」の利用情報などを通して実際の遭難救助に貢献していることからもわかる。同社は「遭難者情報提供フォーム」を設置しているが,遭難対応件数は2020年が46件だったのに対し2021年は89件とおよそ2倍に。2022年に入ってからも増加傾向が続いている。同社が発信している事例を読めば,警察と遭難者情報で連携し,同社が遭難者の位置情報をわかる範囲で確認し,救助隊による遭難者の発見・救助がなされたことなどが記されている。なお同機能は既に特許を取得済みであり,オリジナリティがあることがわかるが,その上でも同社は「類似の効果をもつ技術採用の台頭を阻害する意図はありません。」というメッセージを発信しており,あくまでユーザーの安全に寄与する技術力の提供と,独占の回避が目的であることを説明している。

安全面の重視は,山の中からかかってくることもあるカスタマーサポート,電話対応にも表れている。他社事例,例えば化粧品で年配層の顧客を対象とするコールセンターであれば,顧客との会話を望ましいことと捉える先もあるが,ヤマップは基本的には必要な情報提供に注力している。またYAMAPを使って安全な登山を楽しんでもらうために,アプリではなくスマホ自体の使い方や,自社のサービス以外のことについても対応を行うことが多かったという。山の安全を重視し,山での体験を重視するという観点から,顧客対応の方針が決まっていることがわかる。なお最近は少なくなったが,アプリを開発した当時は春山CEO自らが電話を取ってYAMAPユーザーからの質問に回答することもよくあったそうだ。

3. YAMAPの社会性2:地域貢献

春山CEOは過去のインタビューの中で「自然の中で体を動かすことは,その土地の風土を知り,暮らしている街に思いを馳せることにつながります」と述べているが,地域との協働,地域貢献にも積極的である。

YAMAPを用いた登山・トレッキングをキーにした地域連携,もしくは地域連携を前提とした企業提携は数多く実施されており,企画では例えば三浦半島における京浜急行との企画(2018年),京王電鉄との高尾山系を主にした企画(2019年,2021年),福岡県の伝統工芸を盛り上げる「小倉織」のサコッシュ(2018年)や「久留米絣(くるめかすり)」による登山パンツの商品化(2019年),中国地方5県サイクルスタンプラリー(2020年),地方創生のための佐渡島における企画(2021年)や,対馬における親子冒険に焦点をあてた企画(2021年),復興を支援する福島県北東部における企画(2021年)などがあるが,これ以外にも様々な企画が行われてきている。

コラボ企画ではデジタルバッジの付与と共に,条件を満たした人に実物のバッジがプレゼントされることがしばしばあるが,例えば京王電鉄との登山バッジを用いたプロモーションで,高尾山(陣馬山,景信山等を含む)の登山の日記公開によって先着1,000名に現物のピンバッジがもらえる企画では,1,000個のバッジが予想よりはるかに早い2週間でなくなってしまうなど,登山コミュニティにおける反応の高さが窺える。

登山は山を楽しむだけでなく,その地場の美味しいグルメや温泉なども含めて楽しまれることが多いが,それを含むモデルルートを示したり,登山前に地場の山旅について記されたエッセイが読めたり,特定店舗のクーポンが使えたりする「TAMAKI(環)」を展開しており,登山を含むその土地の観光情報の発信や自治体観光情報へのリンクを貼るなどしている。

企業や自治体との具体的な提携としては,凸版印刷との山を起点とした地方創生事業での協業(2018年),クラブツーリズムとの業務提携(2020年),新潟県妙高市との国立公園振興に向けた包括連携協定(2021年),日本気象協会「tenki.jp 登山天気」との業務提携(2021年)などが挙げられる。

このように地域貢献は観光やキャンペーンの連携だけでなく,あらゆる同社の事業にみられるが,さらにその中でも前述した「DOMO」ポイントによる支援を紹介したい。ユーザーは活動日記の公開や他人からもらったDOMOポイントを,一定量を貯めたところで山の再生や登山道整備に支援をすることができる。

執筆時点では具体的に「石鎚山系登山道・笹刈りプロジェクト」,「鋸山復興プロジェクト」,「北アルプス・雲ノ平登山道整備プロジェクト」の3つの支援プロジェクトがあり,2,000~5,000 DOMOでひと口,といった形で支援を行うことができ,そのお金はYAMAP社が捻出して支援を進める形になっている。支援を行うと,実際に登山道整備などの活動に関わる人から,支援の使い道などを踏まえた支援活動の詳細報告を受けることができ,また中にはYouTubeチャンネルで活動を見ることができるなど,微力だが支援を実感できる形となっている。支援プロジェクトには支援者数も記されており,延べ数万人のものユーザーが支援活動に対してDOMOを送ったことがわかる。

このDOMOポイントは,「貯めるのではなく,おくりあう」という思想のもと,3ヶ月で失効する形となっており,他ユーザーからもらったDOMOポイントも,その送ってくれたユーザーが獲得した時点を引き継いで失効する形となっている。企業のCRMプログラムの一貫として採用されるポイントは,そのほとんどが経済的価値の蓄積,経済的インセンティブを付与することによる購買・利用・継続等の促進に主眼があるが,このDOMOの仕組みは根本から思想が通常のポイントとは異なり,その使用も先に述べたクーポンなどごく一部の経済的価値との交換以外は,顧客個人の経済的価値ではなく,山にまつわる社会的価値や各地域の支援に目的があることがわかる。

4. YAMAPの社会性3:オープンネス

ヤマップの特徴のひとつが,その顧客との向き合い方,オープンネスである。同社は多くの情報を広く公開しており,本論で記した同社の情報も,経営の数字や理念・考え方などを含め,ウェブサイトで多くを知ることができる。

先のカスタマーサポートにおける考え方でも春山CEOは「カスタマーサポートを単なる『お客様対応』としてではなく,『ファンづくり』の一環としてとらえ,リリース当初より最重要事項として取り組んでいます。(中略)真摯に対応する姿勢を通して,『YAMAPは本気でこの事業をやっている』という想いを,一人でも多くのユーザーさんに伝えたい。その思いから,カスタマーサポートには力を入れて取り組んでいます」と述べている3)ほか,ブログにおいても「サービスの開発においては,プロダクトとしての改善や機能の提供だけでなく,ユーザーとのコミュニケーション,運営会社のPR的な発信によるコミュニケーション,さらには,会社の中の人が自ら発信してコミュニティとコミュニケーションを行っていくことが重要」と述べられているが,それが強く現れたのが,サービス変更時の顧客への説明である。

ヤマップは2021年3月に,無料ユーザーが1か月間でダウンロードできる登山地図の数をこれまでの無制限から2枚までに変更。また,端末に同時に保存できる地図の枚数を5枚から2枚に変更した。特に地図ダウンロード数の制限は無料会員にとっては非常にインパクトがあり,インターネットやヤマップのウェブサイト上でも厳しい声を含む様々な意見が交わされたことがわかるが,同社は社長自らがYouTubeライブによって顧客との直接説明の場を設けたのである。

これまでも制度変更等の説明会(例:2019年の有料会員リニューアル説明会),オフ会(2019年末,2020年初)など,顧客との直接の交流を設けてきた同社だが,このサービス変更は無料会員にとっては制限が厳しくなるため,その説明には厳しい意見も多く出た。2021年8月には先の「DOMO」についての意見交換会も開かれたが,ここでも共感を示す「いいね」と山の支援をすることは別であった方が良い,すぐにポイントが枯渇して「いいね」ができなくなる,といった厳しい意見が寄せられている。しかし,「ユーザーが納得してくれることが大切」と春山CEOは説明の場を設けてその意義を述べているほか,DOMOについてはリリース後にポイント制度の改良を素早く行うなど,意見交換の場を即サービス修正に反映させている。

サービス変更は顧客に説明する必要があるとはいえ,通知によってなされることが一般的で,直接の意見交換を求めるケースは少ないだろう。直接の意見交換の場を重視することも,顧客が厳しい意見を述べることも,YAMAPが社会性を色濃く有するサービスであるが故ではないだろうか。

なお,サービス変更や機能説明以外にもヤマップはその情報を多く発信しており,時には事業の成長サイクルやKPIについてもかなり細かいレベルで公開をしている。こうした経営状態やサービスについての詳しい情報発信も,先の意見交換会や機能説明会も,まるで山の安全という公共性の高いものに対して行政・自治体が行うことのようである。

III. ヤマップにおける顧客経験への向き合い方

本章ではヤマップが顧客経験をいかに重視しているかを,企業側の視点からUI/UX改善についての取組や社内の意思決定の面から説明し,次いでその経験を把握・分析するためのデータ分析の観点,そしてコミュニティを重視する姿勢について記す。

1. UI/UXの重視と意思決定の速さ

顧客経験という概念の重要さが増すと共に,「CXO」(Chief eXperience Officer:最高体験責任者などと訳される。ただ,近年は「DX」(デジタル・トランスフォーメーション)の責任者などでも表現されることがある)というポストを設けるべき,という議論がしばしば聞かれる4)。複雑に組織が入り組む大きい企業であればそれを横断する意思決定の必要性などからそうしたポストの必要性がわかるが,ヤマップでは2019年4月に,BEAMS,U-NEXT,トヨタ社のアプリなど数多くのUX/UI設計・デザインを手掛けた「The Guild」からCXOとして安藤剛氏を招へいし,サービスやアプリ改善に取り組んだ。

春山CEOは「YAMAPは山での安全に直結するものであるため,ユーザーの安全性が何よりも最優先されるべきであり,そのために,非常に高いユーザビリティが要求される。そのため,UI/UXデザイナーで登山もされていた安藤氏を招へいした」と述べており,安藤氏を迎えたことで,それまでのUI・デザインが各段に改善されていったという。なお,安藤氏を迎えるにあたっても,その理由や経緯はWEBに詳しく紹介されている。

ヤマップはまだ規模は大きくはないベンチャー企業の段階であるが,スマホアプリ以外にもECサイト,博多にある実店舗,カスタマーサポートなどのいくつかのチャネルを有している。近年必要性が叫ばれるオムニチャネルにおける文献では,顧客のチャネルが横断的になり,且つシームレスに連携することから,社内組織の意思決定の難しさがよく指摘される(例えばKondo & Nakami, 2019)。しかしヤマップでは意思決定が理由でCXOを招へいしたのではなく,あくまでYAMAPの安全性や使い勝手を向上させるためであったことがわかる。

そもそも安藤氏を迎える以前から,意思決定については,オンラインホワイトボードツールなどを活用して図にすることを重視しながら,できるだけ「伝聞」の回数を少なく,全リーダー会議で直接その場1回で決めることを意識していた,と春山CEOは語っている。このような体制,組織文化があるからこそ,前述したユーザーへの説明会を受けた「DOMO」改良のように,素早い修正が行えるのである。

2. ヤマップにおけるデータ分析

YAMAP利用にまつわるデータは基本的に自社の顧客やウェブサイトから直接収集した1st Party Dataであり,その分析を行うことができる。前説で紹介した安藤氏はデータ分析のプロでもあるが,氏の招へいと同時期にデータ分析チームが社内に立ち上がっており,現在はGoogle社が提供する,比較的規模のある企業向けのBIツール「Looker」を導入し,各チームがLookerを使いながらデータを探索し,改善や提案のアクションを行うようになった。

サブスクリプションであるためダイレクトマーケティングにみられる一般的なRFMに意味が薄くなる分,位置情報,天候,登る山や登り方のタイプ(雪山,低山,山荘等に宿泊するか,縦走か,日帰り登山か,自宅から登山口までの距離,歩くスピード等),登山保険加入の有無など,登山に関連する様々な情報の分析が可能であるが,実際にデータをみるようになって数字はかなり上がったという。

前章のオープンネスにも関わるが,例えばKPIのひとつである活動日記の公開率について公開されている分析例5)では,公開率が漸減していくという課題において,バッジ機能を拡張することでその公開率が再度上がる様子などが具体的なグラフと共に説明されている。

商品・サービスを中間流通を介することなく直接提供するD2C(Direct to Consumer)企業にはデータ分析が当然欠かせないわけであるが,高度な可視化ツールを用いながら顧客の登山経験という,なかなか過去の事例がないであろう分野の分析を深めていっていることも,YAMAPの成長の一要因と言えるだろう。

3. コミュニティの重視

ヤマップの取り組みは,その中核サービスであるYAMAPの地図アプリにばかり目が行きがちであるが,同社はアプリの展開と共に,コミュニティを事業の中核のひとつに据えている。コミュニティ機能を重視する理由を春山CEOは「同じ趣味の人同士がつながることで,山の楽しみが深まり,リスク回避ができるから」6)と述べているが,登山においては他者との交流がとても良く生まれる。

山仲間と山頂を目指したり,すれ違う際に挨拶をしたりすることはもちろん,現地で友達ができることや,山仲間同士がつながることがしばしばある。筆者のひとりも山頂で会話した見知らぬ方や学生たちとYAMAPアカウントを交換したり,その場で意気投合して以降の登山を共に楽しんだりした経験がある。

ヤマップのウェブサイトでコミュニティを検索すると,約2,800(2022年3月時点)ものコミュニティがヒットし,地域,登る山などで山仲間募集をしているものが一番多いが,中には道具・装備についての議論があったり,山で食べる料理レシピの投稿がなされていたりする。

春山CEOは国内の1,000万人程度の登山・ハイキング人口では市場規模が頭打ちになって大きくならないという事を理解しつつも,登山というニッチなコミュニティに価値を見出し,さらにそれを社会インフラにすることを目指しており,先の「DOMO」の実装も「ニッチなコミュニティの可視化」「熱量の可視化」が目的であったことを説明している7)

顧客経験の捕捉や可視化というと,商品・サービスの使用ログ,来店やWEBサイトアクセスなど各チャネルの接触ログ,アプリ利用,イベント参加など,既存の顧客行動において捕捉可能となったものをデータ化し,購買やLTV,リテンションなどの経済的成果に対して分析することが多いと思われるが,DOMOのようにそもそもの登山にまつわる設計思想があって顧客経験を捉えていることは,他企業が学ぶところが多いのではないだろうか。

IV. マーケティング・エクセレンス

本章ではこれまで紹介してきた同社の活動に対し,顧客の受容行動,顧客経験を捉えるフレームワーク,そしてパーパスの視点からインプリケーションをまとめる。

1. 顧客の受容行動

新しいアプリの利用は,特に年配者にとって決してハードルが低いわけではない。総務省統計局が示す平成28年社会生活基本調査8)によれば,「登山・ハイキング」の行動者972万7千人のうち,男性は65~69歳,女性は60~64歳の層が最も高い。そのような中でYAMAPが普及していっている要因を,世界最大のテクノロジー展示会の「CES」において2021年にRick Kowalski氏によって示された「消費者による新しいハードウェアの受容」において求められる点から考察する9)

氏によると,その受容のカギとなるのがTrust, UI, Community, Integration with existing platform, Adding value to consumer lifestyleの5つであるとされているが,Integration with existing platform以外の4つはYAMAPのヒットを良く説明できる。はじめの開発時にアプリの機能を磨いて信頼(Trust)を得たこと,安藤氏を迎えるなどしてUIを改善していったこと,登山コミュニティを有すると共にその活性化をDOMOなどで図っていること,登山という多くの人が有する趣味に安全と楽しみという価値を提供していること,などが正に当てはまるからである。

筆者も実際にYAMAPをスマホに入れて活動をしているが,山で会う人に尋ねてみると,YAMAPは信頼する山仲間から勧められてインストールした,という人が非常に多く,登山中も「こんにちは通信」から互いの位置を把握する人や,バッジのコレクションをきっかけに今まで知らなかった良い山に気づいたりする人など,登山にまつわる価値が具現化されているのを目の当たりにした。

プラットフォームなどは時代によって移り変わるであろうし,アカデミックにおける本質的な新しいアプリの受容要因というわけではないが,少なくともYAMAPのヒットを良く記述できるフレームワークだと言えるだろう。

2. 顧客経験:「ソーシャル・外部」の強み

本節ではアカデミックにおける顧客経験についての枠組みに基づいて,ヤマップの成長を考察してゆく。顧客経験についての研究で引用されることの多いLemon and Verhoef(2016)によるカスタマージャーニーと顧客経験のプロセスモデルでは,4つのタッチポイントが示されている。Dazai, Nishihara, Okutani, and Tsurumi(2020)ではオムニチャネル戦略を展開する企業でも,自社が保有する「ブランドオウンド」もしくはパートナー企業との連携によってアクセスが可能となる「パートナーオウンド」という自社の管理や自社からの介入が可能なタッチポイントの整備や展開に主眼がある企業が多く,自社の管轄外を含む,消費者主導の残り2つの「カスタマーオウンド」と「ソーシャル/外部」の考慮が難しいことが紹介されている。また購買時点や購買の直前のt−1期の考慮が多く,事後の顧客経験は捕捉すらなされていないことも多い。しかしヤマップは多くの企業が対応に苦慮するタッチポイントを持ち,しかもその1st party dataを保有していると言える。

「カスタマーオウンド」タッチポイントは,企業やパートナーを介しても制御や介入が基本的に出来ない,顧客自身が保有するタッチポイント,「ソーシャル/外部」のタッチポイントは顧客経験において重要な役割を持つとされる,経験の最中における周囲の人間や環境プロセスなどの外部のタッチポイントを示す。YAMAPはフォロー機能から顧客の相互交流を掴むことができるため,他企業にとってのカスタマーオウンドもしくはソーシャル/外部とみなせるデータを把握することができる。また登山時というメインの経験の前後の,事前の登山計画,事後の日記作成やその閲覧,場合によっては観光地におけるクーポン利用までをも取得することができるため,直前のt−1期や直後のt+1期だけでなく,t−n期,t+n期の顧客経験を把握することが可能であり,Lemon and Verhoef(2016)の枠組みで示されるカスタマージャーニー,顧客経験を真に包括的に捉えることができている。アプリを中心に包括的な登山経験が取得できているからこそ,購買に焦点を当てた短期的な売上増の販促などではなく,長期的観点から社会的なアプローチが可能となる。さらに先述の春山CEOの顧客との向き合い方などは,「カスタマーオウンド」タッチポイントに自ら入り込むことで,企業と顧客との交流を構築しているといえるであろう。

3. 社会的視点,パーパスに共感する顧客による支持

冒頭ではP. Kotlerが社会的意義を唱えたことに触れたが,アカデミックでも「パーパス・ブランディング」などのキーワードが登場してきている。近年欧米の消費者動向を解説する記事からは,2021年のNRF(全米小売協会)において,欧米のミレニアル世代とZ世代の60%が,「製品そのものよりも,ブランドが果たす“社会的問題の解決”で購買を判断する」という結果が示されると共に,「パーパス・ドリブン」である企業の成功事例が紹介されている10)

ヤマップは,2章の各節で見てきた通り社会性を強く有す事業を行っており,また3章で見てきた通り,安全性追求からUI/UXの改善を行ったり,コミュニティ活動の経験をDOMOによって可視化したりしているが,すべての発想が,商品・サービスを売ろうという発想ではなく,安全な登山を楽しむこと,登山にまつわる社会や地域への貢献からはじまっている。社会的意義やパーパスが,後付けではなく,サービスを修正するにせよ,新しい商品を作るにせよ,そもそも本業そのものの基盤となっていることが大きな特徴であり,成功の大きな要因であると考えられる。

そしてその社会的意義に共感する顧客層がいるからこそ,例えば先の顧客へのDOMO機能説明会などでも,はじめは機能に対する反対の声やネガティブな意見が多く出ていたがそれがずっと継続するわけではなく,徐々にディスカッションになっていったり提案になっていったりするなどの変化が生まれていくと考えられる。また企業のトップ自らが果たす説明責任を示す姿勢が,社会的意義を実践する企業としての態度と実践を体現していることが顧客の共感を生み出していると思われる。

V. 今後の課題

春山CEOは先にDOMOの目的がニッチなコミュニティの可視化にあるとした記事内で,「僕はお金儲けを目的に起業したわけではないし,(中略)今の時代は,売上高1兆円の会社が1社あるより,売上高100億円の会社が100社,10億円の会社が1,000社あるほうが,世の中は良くなると思っています。地域に根差し,企業活動を通して,社会課題の解決に取り組めるからです。」と述べている。

しかし,山を安全に楽しむプラットフォームであり続けるためには,また当社が構想する海外進出をするうえでは,利益を出し,経営基盤を盤石なものにする必要があることが,大きな今後の課題である。ベンチャー企業にとっては一般的な指摘かもしれないが,現在増やしつつある物販の拡充,場合によってはサブスクリプション会費の見直しなども含め,今後はより早い投資段階からの脱却と利益確保が求められるだろう。

謝辞

本ケーススタディ作成にあたり,株式会社ヤマップの春山慶彦CEO,マーケティングマネージャーの小野寺洋氏に取材をさせて頂きました。ここに記して,多大なるご協力を頂いたお二人に感謝申し上げます。どうもありがとうございました。

1)  ヤマップについては著者の奥谷がOkutani and Iwai(2022)の書籍(奥谷孝司・岩井琢磨(2022)『マーケティングの新しい基本 顧客とつながる時代の4P×エンゲージメント』,日経BP)においてケースを紹介しているが,そこでは顧客エンゲージメントに主眼があり,「つながっている価値」からの議論を中心としている。本論は顧客経験と社会的意義に主眼を置いており,書籍ケースとは異なることを付記しておく。

4)  Yohn(2019)など。

7)  XD(2021)

9)  当枠組みについては著者である奥谷孝司がインプレス社の「ネットショップ担当者フォーラム」に寄稿した2021年の記事,「顧客時間が見たCES & NRFレポート2021 世界の潮流から見るデジタル活用。「What(何ができるか)」から「How(どのように)」へ」で解説がなされているため,参照されたい。https://netshop.impress.co.jp/node/8449

10)  Ban(2021)

太宰 潮(だざい うしお)

2001年学習院大学経済学部卒業後,(株)富士総合研究所を経て,2005年学習院大学大学院経営学研究科博士前期課程修了。2008年,同博士後期課程単位取得退学後,現大学・学部講師を経て現職。

奥谷 孝司(おくたに たかし)

米ワシントン州 University of Washington卒業後,人材派遣会社を経て97年1月株式会社良品計画入社。店舗勤務,商品開発,WEB事業を経験。15年10月オイシックス株式会社(現 オイシックス・ラ・大地)入社。18年9月より 株式会社顧客時間創業 共同CEO 取締役 兼務。10年早稲田大学大学院商学研究科修士課程修了。21年3月一橋大学大学院経営管理研究科博士後期課程単位取得退学。

References
 
© 2022 The Author(s).

本稿はCC BY-NC-ND 4.0 の条件下で利用可能。
https://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/4.0/deed.ja
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