2024 Volume 44 Issue 2 Pages 138-148
観光地は自然資源に依存していることが多く,災害への対処や災害後の復興は重要である。復興は災害前の状態に戻ることのみではなく,新しい社会生態システムが出現することをも意味し,それに果たす観光の役割は大きい。本研究は,宮城県石巻市蛤浜にある浜の暮らしのはまぐり堂を事例に,インタビュー調査を通じて,東日本大震災後の集落の復興における観光の役割を考察した。はまぐり堂はカフェを中心に地域資源の活用や地域課題の事業化を通じて,集落に新しい社会生態システムを構築している。復興における観光の役割は,災害により地域が外に開かれ,1)人を呼ぶきっかけとなり,2)外部の人との共創で価値を見つけ,3)自然や社会の生態系を循環させることである。
Tourism destinations often rely on natural resources, highlighting the importance of coping with disasters and maintaining resilience. Rather than solely focusing on the resilience of tourism itself, it should be viewed within the broader context of the resilience of the social-ecological system. This study examined how tourism contributed to community resilience in the aftermath of the Great East Japan Earthquake. The research question was as follows: What is the role of tourism in fostering community resilience? This case study focuses on “Hamaguri-Do,” located in Hamagurihama, Ishinomaki, and Miyagi. Hamaguri-Do is developing a new socio-ecological system through tourism initiatives with local resources and businesses focusing on community issues. Findings obtained from interviews, aligned with the model, indicate that tourism plays a pivotal role in resilience by leveraging disasters as opportunities that open up the community to the outside world and 1) attract visitors to the area, 2) cultivate value through co-creation and communication among residents and tourists, and 3) facilitate the circulation of natural and social ecosystems.
観光地や観光業は,自然資源や多くの事業者が関わることから災害に対して脆弱であり(Murphy & Bayley, 1989),事前の準備や災害後の復興は重要である。また,現在,日本は少子高齢社会で一部の都市を除いて人口は減少傾向にあり,人口増加や雇用の増加などの数値を復興の指標にすることは難しい。災害の復興状況は,地域単位で復興の取り組みや成果を調査し,定性的に把握する必要があると考える。
本研究では,地域を自己組織化能力を有する社会生態システムと見なし,環境変化に適応して新たな社会システムを構築する能力をレジリエンス(復興)と定義する。研究の問いは「復興における観光の役割は何か」とし事例に基づき考察する。事例は,東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県石巻市の小さな集落にある「浜の暮らしのはまぐり堂(一般社団法人はまのねが経営)」(以下はまぐり堂)である。はまぐり堂は,集落の回復・存続のため暮らし・産業・教育を柱に据え,観光を活用し新たな社会生態システムの構築を試みている。本事例の分析を通じ,復興における観光の役割を明らかにできると考える。
Kenchu(2016)は被災地の観光復興の課題として,1)観光関連投資(ホテル建設等)による利益が被災者に帰着せず生活の復興に寄与しないこと,2)「悲しみの場所」をめぐる観光に心情的な反発を覚える被災者に受け入れられる観光の構築の必要性をあげている。また,Igarashi and Kawasaki(2017)は東日本大震災で津波被害を受けた37市町村を対象に2016年12月~2017年1月にアンケートを実施し,32市町村が観光復興に取り組んでおり,一番の課題は観光復興のソフト面の充実(とくに人材不足)であることを明らかにした。観光庁は2016年を「東北観光復興元年」とし東北の観光振興を推進したが,Igarashi and Kawasaki(2017)は,観光資源の完全復旧・修繕は3分の1程度で,宿泊施設の再開率は約50%に留まることから,観光復興は依然として厳しいと指摘した。
2. 観光分野の災害対応研究観光地の災害復興の研究では,災害計画や管理手法で影響を緩和できると考え,復興の対応段階を提示し(Faulkner, 2001; Murphy & Bayley, 1989),戦略的な計画・手法を提唱している(e.g. Ritchie, 2004, 2008)。
しかし,観光の災害対応研究は,観光をシステム回復の中心に位置付け,災害前後の能動的,事後的マネジメントに焦点を当て(Bui & Saito, 2022),災害前の状態への回復に主眼を置いている(Gurtner, 2016)。多くは事例を対象にした研究で貴重な知見を提供するが,より大きな社会・環境システムから観光を切り離す傾向があり,レジリエンス研究のアプローチと相容れない(Lew, 2014)。個人や社会に与える社会経済的・環境的影響が著しく深刻になる「出来事」(=災害)はますます大規模になる傾向があり,観光地の計画・対処・回復の知識を深めるには災害管理だけでは不十分である(Prayag, 2018)。このように,社会生態システムの中に観光を位置づけるレジリエンス研究の重要性が指摘されている。
3. レジリエンス研究レジリエンスの考え方の基本は,「世界の変化は不可避であり,科学とマネジメントは,安定性ではなく変化を前提にアプローチ」することである(Curtin & Parker, 2014)。最初に生態学や天然資源マネジメント分野で発達し,再編成能力,学習・適応能力,脆弱性などの特性がある社会生態システム(Socio-Ecological System; SES)に適用されるようになった。Prayag(2018)は,災害対応と異なり,レジリエンスは自己組織化能力の存在を想定することをあげ,SES(例:観光地)の再編成は外部の推進力に加え内発的なものだと指摘する。また,災害発生前に戻る状態を超えて,まったく新しいSESの出現の可能性も示されている(Bui & Saito, 2022; Faulkner, 2001)。
SESの要素であるコミュニティの自立や存続の観点ではCBT(Community Based Tourism)が促進され,SESの中でコミュニティが災害に備え対応し,将来の影響を緩和しつつ回復する能力に着目している(Yang et al., 2021)。類似概念のサステナビリティ(持続可能性)は世界の安定と均衡を前提とするのに対し,レジリエンスは変化とカオス状態を前提に戦略的かつ動的な自己組織化システムを目標とする(Lew et al., 2016)。コミュニティが大切にしているものを保全する(回復する)能力が高いほどサステナビリティがあり,発展を望む分野に適応し変化する能力が高いほどレジリエンスに優れている(Lew et al., 2016)。
4. 本研究のフレーム災害管理やレジリエンス研究は主に対応と復旧の段階に焦点を当てた単一のケーススタディ研究が中心で実証研究における理論の活用が限定的であり,理論的なフレームが必要である(Ritchie & Jiang, 2019)。本研究では,Bui and Saito(2022)のフレームを用いる。Bui and Saito(2022)は,既存の研究フレームは時間的・空間的な変化で観光の回復を十分に捉えられず,また東日本大震災のように復興に相当の時間を要する大規模な災害(資源が壊滅し,資源利用に劇的な変化をもたらす)を想定していないことを指摘し,観光の災害復興のためのSESのフレームを構築,震災後の漁業の復興に観光を活用した宮城県気仙沼市の事例を分析した。また,分析後の考察で,先行研究では観光を復興の中心に位置付けるが「観光はそれ自体が目的であるよりも,災害教育や災害への備えを促進するための手段として認識された方がよいだろう」(Bui & Saito, 2022, p. 12)と述べている。
Bui and Saito(2022)は3年をかけ,気仙沼市で文書やナラティブの収集,インタビュー調査,震災遺構ツアーに参加し,災害後のSESを分析した。その結果,気仙沼市は主要産業だった漁業・水産加工業が震災で壊滅的な被害を受けたが,観光の導入に際し,漁業者や漁業組合が海洋資源の所有意識を根本から変え,観光と資源共有を認識する必要があったこと,観光は漁業・水産加工業の領域で発展した第三次産業であり,産業間のつながりは不可欠であったことを明らかにした。また,震災後のガバナンス・システムは,地域住民が主体的な役割を果たす「日本で開発されたボトムアップ・アプローチであるまちづくり」(Bui & Saito, 2022, p. 11)であり,将来の災害や変化への準備システムになるとした。
以上の分析のために,Bui and Saito(2022)は先行研究を基に災害後のSES分析の多層フレームワークを構築した(図1)。点線枠内は,資源システム(RS)とそれにより生み出される資源単位(RU),資源の利用者(U),ルールを設定・施行するガバナンス・システム(GS)であり,環境システムと社会・経済・政治システムの中に含まれる。中心部(網掛け部分)は資源利用者による抽出と維持のプロセスであり,相互作用と成果の最も重要な形態である。この部分について,事例分析から図2のマトリックスを導出した。環境システムに依存する資源と社会システムに依存する利用者の相互作用は,既存資源と新たな資源,既存利用者と新たな利用者の異なる組合せを表し,システムのレジリエンスに異なる成果をもたらす。準備性は,コミュニティの変化への備えで相互作用の中心に位置し,持続性,適応性,変容性の基本であり,システム回復の成果としてのコミュニティの学習能力である。持続性は,失われた資源を災害前の水準に回復,既存利用者がシステムの安定性を維持する。適応性は,コミュニティが既存事業強化のため新しい資源やアイデアを活用する。変容性は,新たなSESであり,新規利用者(観光など)が既存の資源(海産物,サービス,施設など)を利用,または新たな資源(震災遺産など)が新規利用者に開放される。図2の相互作用と成果は図1のRS,RU,U,GSにより投入や条件が設定され,またそれぞれに影響も与える。図1,図2のフレームにより,「大規模な自然災害によって壊滅的な被害を受けた地域において,SESの要素はどのように相互作用し,成果を生み出すのか」を時間的・空間的に捉えられる。
災害復興における観光レジリエンスのための社会生態システムのフレーム
出典:Bui and Saito(2022)p. 4 Figure 3を基に邦訳して作成
相互作用―成果のマトリックス
出典:Bui and Saito(2022)p. 11 Figure 6を基に邦訳して作成
宮城県石巻市の被災状況と,震災後の起業と起業家の状況について説明する。
1. 東日本大震災の概況:石巻市Ishinomakishi(2017)に基づき,石巻市と東日本大震災の状況を整理する。現在の石巻市は,2005年4月1日に石巻市,河北町,雄勝町,河南町,桃生町,北上町,牡鹿町の1市6町村が合併,誕生した。面積約555 km2,2024年3月末現在人口133,724人(合併当時は約16万人)で,仙台市に次ぐ規模である。リアス式海岸に恵まれ水産漁業,農業が盛んで,新鮮な食材が豊かにある。また,金華山,石ノ森萬画館などの施設もあり観光客が訪れる。
東日本大震災は,2011年3月11日14時46分に発生したマグニチュード9.0,最大震度7の地震である。場所によって10 mを超える津波(痕跡の位置から確認)が襲った。石巻市は震源地に近く,市単位では被害が最も大きかった。宮城県の浸水面積は327 km2に及び,震災の全浸水面積561 km2の約60%に相当する。石巻市の浸水面積は県内で一番大きかった(約70 km2)。人的被害は宮城県が全国で最も多く,死者数9,541名,行方不明者数1,124名,負傷者数4,145名である(2016年3月1日現在)。石巻市は,直接死3,277名,関連死276名,行方不明者417名である(2022年2月末現在)。地盤沈下もあり,最大で120 cmの地盤沈下が牡鹿地区鮎川で見られた。本研究で取り上げるはまぐり堂は,牡鹿半島荻浜地区の蛤浜にある。牡鹿半島はリアス式海岸で入り組んだ湾が点在し湾奥に集落があり,津波により甚大な被害を受け,震災前に中心的な産業であった漁業は壊滅状態となった。
2. 石巻市の起業家石巻市は,ローカルベンチャー協議会1)の会員であり,コンソーシアム・ハグクミを設立,事業をしている。石巻市は震災時に約30万人のボランティアが集まり,その後移住して起業した人もいる。2021年現在,石巻市内のローカルベンチャーは,はまぐり堂を経営する一般社団法人はまのねも含めて28社ある。コンソーシアム・ハグクミは継続的にヒアリング調査し,それを白書にまとめている(Consortium Hagukumi, 2021)。2021年の調査結果によると,2010年より前に4社,2011年以降に24社が創業し,創業年数は平均17.6年である。地域課題の解決に取り組むローカルベンチャーも多い。コロナ禍では,オンライン販売や体験型商品の開発する業者があった。ローカルベンチャーは,家賃や仕入れコストが低く,個人事業主として別の事業をしたり,漁業や農業の手伝いができるため相対的にリスクが少ないと考えられる(ETIC., 2020)。また,石巻市の特徴に「なぞベン」がある。なぞベンチャーの略であり,「複数の仕事をかけもちしたりして,一見どうやって生計を立てているのかわからないけれど,とにかく楽しそうに幸せそうに暮らしている」(ETIC., 2020)。石巻市では,なぞベンたちの活動に刺激を受けた人が移住,起業する効果も期待している。
インタビュー調査と公開資料に基づき事例を取り上げ考察する。インタビュー調査は,一般社団法人はまのねが提供する1泊2日研修プラン(取り組みの説明,漁業体験,夕食,振り返り)に2024年4月17日~18日に参加し,初日に代表の亀山貴一氏(以下,貴一氏)から説明を受けインタビューをした(約2時間40分)。許可を得て録音,メモをした。さらに,夕食と翌日の振り返りでスタッフの亀山理子氏(以下,理子氏),菅原尚子氏(以下,尚子氏)にも話を聴いた(録音はしていない)。インタビューまでに,はまぐり堂のウェブサイト,記事,出版物,先行研究などの公開資料に目を通した。インタビュー後は,文字起こしをしたインタビュー内容およびメモと,公開資料およびインタビュー時に提供を受けた資料を照合し,はまぐり堂における観光の位置づけの整理,レジリエンスの考察を行った。貴一氏に本稿のドラフトの確認を依頼し,修正等の対応を行った。
本研究では,はまぐり堂の取り組みを新たなSESの出現と捉え,Bui and Saito(2022)のフレームを用いて「復興における観光の役割は何か」を考察する。本事例は,観光を通じて集落の復興(新たなSESの出現)を試みており,Bui and Saito(2022)のフレームが分析に適切であると考えた。以降,本章と次章で引用のない部分はインタビュー内容に基づくものである。また,震災後から新型コロナウイルス(以下,コロナ)禍前とコロナ禍後の2時点に分けて考察する。貴一氏のインタビューでコロナ禍で「本当にこの時点(コロナ禍)から自立する必要があると思った」という話があり,コロナ禍がはまぐり堂の事業のターニングポイントになると考えたためである。Bui and Saito(2022)は,時間的・空間的な変化における観光システムを捉えるためにフレームを構築したが,震災後の復興のみを対象としている。本研究では,はまぐり堂の事例を震災後とコロナ禍後の2時点で捉えることを試みる。
2. はまぐり堂の概要:蛤浜再生プロジェクト2)はまぐり堂は,牡鹿半島の蛤浜にある。出身者であり一般社団法人はまのね代表の貴一氏が震災後にcafeはまぐり堂(以下,カフェ)を開業した。貴一氏の取り組みは,メディアのほか,研究分野でも注目されている(e.g. Kojima, 2023; Mori, 2021)。
蛤浜は漁業を主たる産業とする小さな集落であり,震災前でも9世帯であった。津波で甚大な被害を受け14戸(うち空き家5戸)のうち8戸が流され,同年9月の台風でさらに2戸がなくなり,高台の4戸と集会所だけが残った(Kameyama, 2020, p. 22)。住民のほとんどは高齢者である。津波で浸水した災害危険区域に住宅は建てられず住民を増やすことはできない。漁業も壊滅的な被害を受けた。また,牡鹿半島にはめずらしい砂浜があり海水浴客でにぎわったが,地盤沈下により消滅した。
貴一氏は蛤浜で生まれ育ち,高校から大学院まで水産を学んだ。貴一氏の祖父は遠洋漁業者で引退後は小漁師(こりょうし)3)となり周辺の海で魚を獲っていた。貴一氏も幼少から漁業に親しみ,蛤浜で生活したいと考えていた。しかし,漁業が低迷期を迎え大学に行き会社員や公務員になる風潮があり,貴一氏も蛤浜を離れた。その後,蛤浜に戻り母校の水産高校で教師となり食品科学を教えた。休日はバーベキューや海でアクティビティをし生活を楽しんでいた。しかし,2011年3月11日に発生した震災で,蛤浜の家は残ったが,当日実家に戻っていた妊娠中の妻,義母,妻の祖父母が亡くなった。貴一氏は,蛤浜は住める状況ではないと思い,石巻の市街地に移った。
震災から約1年後,蛤浜の住民はわずか2世帯5人でほぼ60歳以上であった。周辺の集落も同じような状況だった。貴一氏は蛤浜の暮らしや文化を次世代につなぐため,「暮らし・産業・学び」を3本柱に蛤浜再生プロジェクト(以下,プロジェクト)を立ち上げた。貴一氏は水産に携わった経験から食料自給率や自然生態系の崩壊に強い問題意識を持ち,「都市と地方の共創が豊かな未来をつくる」をプロジェクトのテーマに,地域資源を活かした六次産業化で雇用創出し,学びの場をつくり継続的に関わる人を増やすことで,安心して暮らせる浜を取り戻すことを試みている(Kameyama, 2020, p. 25)。商業施設は災害危険区域であっても建設可能との確認をとり,2012年3月,蛤浜を「人が集う場所に」とカフェ,レストラン,ギャラリー,宿,マリンレジャーを計画,集客のために交流人口の拡大を目標にした。2013年3月11日にカフェを開業後,地域資源の活用,地域課題の事業化などに取り組み,自然との共生や生態系の回復を目指している。
上述のプロジェクトの3本柱でみると,豊かな蛤浜の暮らしを次世代につなぐために,「暮らし」では,プロジェクトのほか,2016年に人・自然・経済が循環するビジョン「半径100 mのサステナビリティ」を考えた。森,里,海のつながりを回復させ蛤浜の生態系を取り戻し,水産業,林業,狩猟を経済的に回すことで,六次産業化の実現,暮らしを豊かにすることを目指す(Kameyama, 2020, pp. 100–101)。
「産業」は,地域課題の事業化に取り組んでいる。漁業では魚介の価値を高めるための処理方法や販路の開拓,未利用魚・低利用魚(捌く手間や知名度の低さから卸値が安いため流通しない)を活用している。林業では,かつて林業のため植林され放置されたままの牡鹿半島の山林の間伐をし,家具をデザイン制作したり,間伐体験をアクティビティに取り入れている。コロナ禍には,クリエーターが木材オーナー制度により自分で伐採,オフィスの内装などに使用した。狩猟業では,牡鹿半島では増殖する鹿を駆除していただけだったが,カフェでの鹿肉を使った料理の提供をはじめ,スタッフが罠猟免許を取得,狩猟し,クラウドファンディングで鹿の解体処理施設を建てジビエ食材などを流通している。尚子氏が鹿革を使った商品を制作,オンラインで販売する。
「教育」は,蛤浜の学びの場としての活用である。隣接家屋の改装に7大学約20人の建築学専攻の学生が携わり,卒業制作にした学生もいた。ギャラリーとして開業する際は,東北芸術工科大学の学生が蛤浜で採取した鹿革や角,鯨のひげを使った作品を展示した。山林の間伐ではチェーンソー講習などの実践の場を提供している。また,ハーバード大学ビジネススクールのジャパンIXP(Immersion Experience Program)の参加学生を2回受け入れた(Yamazaki & Takeuchi, 2016)。里山を学ぶスワースモアカレッジの学生も視察に訪れた。
蛤浜におけるはまぐり堂の事例について,Bui and Saito(2022)のモデルを適用した(図3,図4)。蛤浜は,Bui and Saito(2022)が対象にした気仙沼市と同様に漁業が主要産業であり,復興に観光を活用している。図3の太字はBui and Saito(2022)にはなく本事例で新たに発見したもの,図4の太字斜体はコロナ禍後に新たに出現したものである。以下,事例を取り上げながら図の説明をする4)。
蛤浜の相互作用―成果マトリックス
注:太字斜体はコロナ禍後のものである。また説明のため変容性①,②とした。
出典:Bui and Saito(2022)p. 11 Figure 6の邦訳にはまぐり堂の事例を適用
震災後からコロナ禍後までの動きは,プロジェクトやはまぐり堂が中心的役割を担っている。相互作用と成果(図3)について,図4の相互作用の中心に位置するコミュニティの変化への備えである準備性は,震災後はプロジェクト,コロナ禍後ははまぐり堂とした。
震災後,貴一氏はプロジェクトを考案,イメージを絵にして,住民や知人たちに説明した。住民の賛同は得られたが,幼馴染は蛤浜や周辺での仕事がないため活動の参加に難色を示した。震災復興の補助金も申請したが採択されなかった。貴一氏は,あきらめずに,勤務後や休日にさまざまな人たちにプロジェクトの話をした。2012年6月ごろ,震災のボランティアで来てその後も復興支援活動をしていた今村正輝氏,島田暢氏,芳野恭子氏,天野由紀氏が貴一氏の絵を見てプロジェクトに賛同し,まず蛤浜の瓦礫や泥の撤去を始めた。4人の人脈やSNS発信により多いときで約100人が集まり,蛤浜の瓦礫撤去は8月にほぼ完了した。同時期,貴一氏は被災地の水産高校の生徒に学びの機会を与えるプログラムのため米国に約3週間滞在した。現地の起業家たちにプロジェクトを説明すると好意的な反応があり,改めて決意,教師をやめて専念することにした。その後,カフェ開業に着手した。
コロナ禍後の準備性は,カフェから改名した浜の暮らしのはまぐり堂とした(図4:準備性)。2013年にカフェを開業するとメディア取材や来店客のSNS発信で話題になり,年平均1万5千人が訪れ交流人口が増えた。スタッフも増え,Uターン者やアクティビティ事業の希望者もいた。しかし,2014年にオーバーツーリズム問題が発生,住民から苦情が出た。貴一氏たちは誠実に対応,改善を図った。スタッフも満席や行列が続き疲弊しており,ビジネスは順調だが「自分たちは何を大事にしたいのか」と考えるようになる。貴一氏とスタッフの6人で,各自が大事にしたいことを書き出した結果ほぼ同じであり,浜の暮らしと文化を損なわず,自然との共生や生産者の思いを伝えることにした。これを体現する形で2019年に「浜の暮らしのはまぐり堂」に改名し,週3日営業の完全予約制に移行,単価も上げて利益率を重視した。そして,観光による交流人口拡大から関係人口の拡大に移行する。コロナ前は都市部から蛤浜に訪問者を迎えるのみだったが,貴一氏たちも間伐材を使ったオフィスや食のイベントなどで都市部を訪れ双方向の関係になった。
以上から,地域資源の活用や地域課題の事業化において,震災後はプロジェクト,コロナ禍後ははまぐり堂がコミュニティの変化に対応しており,準備性に相当すると考えた。
2. 変容性①:カフェなどカフェは当初新築を予定したが,貴一氏の持ち家である築100年の家を4人の仲間や新たな参加者たちと改装し,開業した(図4:変容性①)。上述のとおり,開業後も外部人材とともにカフェを中心にプロジェクトを進めている。貴一氏は蛤浜の住民(既存利用者)だが,多くの外部人材(新規の利用者)が活動したため変容性①に位置付けた。
また,貴一氏は蛤浜の展望について「住民は少なくてもボランティアやスタッフ,関係人口の人たちが一緒に関わってくれたので,これまで様々な取り組みができました。住む場所は関係ないと思います。将来は,ここに関わる人たちと一緒に事業をつくったり,自然環境を再生したり,食べ物も作ったり,場所に囚われない村(拡張集落)ができたらいいと思っています。蛤浜の問題だけでなく,都市の問題も同時に解決し,持続可能な社会を目指していきたいと思います」と述べている。そのため,場所に囚われない村(拡張集落)も変容性①に位置付けた(今後の展望のためカッコ書きにした)。
3. 変容性②:ライフシェアツーリズムなど変容性②が最も活発にみられる。震災後は,地域課題である漁業や林業,鹿狩猟を体験事業にしたり,地域資源を使ったメニューの開発,鹿革製品の制作販売などがある。
コロナ禍後の事例は,コロナ禍での貴一氏やスタッフの経験と気づきにより発案している。ライフシェアツーリズムは,コロナ禍で浜の人の生きる力に触れ,持ち寄り勉強会(詳細は後述)での経験から,貴一氏が発案し名付けたものである。浜の人の生きる力は,コロナ禍でオンラインショップ営業のみとしたときの経験で気づいた。貴一氏は定置網漁の手伝いをしたが,70代の漁師たちは自分よりも体力があり機敏に動いていた。貴一氏たちより稼ぐこともあるが,食料は漁や畑で調達したり,必要なものは自作し,互いに物を交換したりするため,金銭の支出はあまりない。貴一氏は,限界集落に対し「高齢者しかいないから若い人が何とかしなければいけない」と考えていたが,むしろ自分たちが助けてもらっていると気づいた。貨幣経済だけに頼ると便利さに慣れて生きる力を失ってしまう。災害時や経済低迷時に受け身になるため生きる力を取り戻す必要があること,「お金を稼ぐこと(貨幣経済)だけに囚われず,地域の信頼を得ることで共助部分の経済が動き始める」(貴一氏)と再考した。地域の人が生きる力を教えてくれ,食事を共にして信頼が高まり,さらに関係が深まるという循環であり,「安心・豊かでサステナブルな経済」だと考えた。
また,2021年春から2023年1月まで開催されたリサイクリエーション研究会5)で,民俗学者の結城登美雄氏が主導して暮らしの知恵や食,文化の再発見・再評価が試みられた。その後,家庭の手料理を持ち寄る「持ち寄り勉強会」が派生し,研究会参加者有志と貴一氏,理子氏,尚子氏が定期的に開催している(Sustainable design kobo, 2024)。参加者の手料理は一見地味だが「旬の食材を健康的で余すことなく楽しむクリエイティビティに溢れた」(貴一氏)もので,家庭ごとに異なるため持ち寄るとそれぞれに発見がある。これを学びの場への活用として,貴一氏が東北で農業や地域づくりに取り組む20代の若者たちのメンターをした際,浜のお母さん6)たちとつなげようと思い立ち,はまぐり堂で漁体験と昼食を囲む1日体験ツアーを実施した。若者たちは手料理をよろこんで食べ,その背景にも関心を持った。浜のお母さんたちは大変喜びその価値を認識した。貴一氏は「浜のお母さんたちの知恵と生き様が若者たちにも良い影響を与え,地域に根ざして未来を作ってゆく若者たちの存在がお母さんたちに生き甲斐を与えてくれている。コロナ禍で,これから自分たちが情熱をかけて取り組んでいきたいことがまた一つ生まれた瞬間だった」と振り返っている(Kameyama, n.d.)。ライフ(浜の暮らし)をシェアすることで,住民に活力が生まれ,参加者に知恵や生きる力が受け継がれる。参加者は参加費を払い,地域の人にも謝礼が支払われる(貨幣経済)。安心で豊かに生きるサステナブルな経済であり「観光の形としてはとても良い」と考えている。以上から,ライフシェアツーリズムを,既存資源の浜の暮らしを新規の利用者(若者や観光客)が利用する変容性②とした。
独立起業については,2018年から同じビジョンの下で,カフェと独立起業したスタッフは各事業をしており,貴一氏たちははまのね船団と呼んでいる。はまのね船団を形成する前から,カフェを中心に地域課題の事業化が行われていた。人と出会うことで地域課題を把握し,まず事業化を試み,可能性があれば継続し,困難な点や住民の反対などがあれば中止する。事業環境に柔軟に対応できるようD(Do)C(Check)P(Plan)A(Action)を意識している(Kameyama, 2020, p. 92)。県などの助成金は事業開始時に活用し,3年間で自立を目指す。こうした事業の進め方から雇用創出よりも独立起業者を増やすほうが適していると考え,はまのね船団を形成することになった。コロナ禍では仲間の事業を手伝ったりアルバイトで生活し,コロナ禍後に事業を再開できる柔軟性があり「個人事業のほうが変化に強い」と貴一氏は考えている。これまで10人程が起業し,蛤浜でのマリンアクティビティやジビエ,林業,近隣(市街地)での宿泊体験施設,飲食店などを開業した。以上から,独立起業(はまのね船団)を新規の利用者が既存資源(地域課題)を事業化した変容性②とした。
4. 持続性と適応性持続性では,「半径100 mのサステナビリティ」により漁業,林業,農業の復興,自然生態系の回復,持続を目指している。また,変容性②で取り上げたライフシェアツーリズムにより,浜のお母さんの料理も浜の暮らしの知恵として次世代への継承となる。
適応性は,地域課題である山林の間伐や鹿の対処について,新たな資源として間伐材を使った家具,鹿肉を使った料理が生まれている。
5. 蛤浜の新しい社会生態システム1から4に示したマトリックス(図4)と図3に基づき蛤浜のSESを整理する。震災後,観光(U3)により交流人口を拡大するがオーバーツーリズム問題が発生し,浜の暮らしと文化を損なわないために事業の見直しを図る(浜レベル(GS4))。はまのね船団である独立起業したスタッフはローカルベンチャー(U4)として石巻の人的資源(RS3)となり,ローカルベンチャー間の相互作用(I2)は既存資源(RU1, 5, 6)を活用した新しい事業を生み出した(図4:変容性②)。この事業には,宿やアクティビティなど観光(U3)も含まれる。地域課題の事業化では,資源単位(RU)の山林(RU5)や鹿(RU6)は資源システム(RS)の山(RS4)に依存する。狩猟や間伐(図4:持続性),廃棄していた鹿肉や間伐材の利用(適応性),スタッフやローカルベンチャーによる商品化,観光サービス(変容性②)が生まれた。コロナ禍の経験から発案したライフシェアツーリズム(変容性②)は,浜のお母さん(RU4)の料理(持続性)を通じて浜の暮らしを若者や観光客(U3)に伝え,浜の住民(RU4)はその価値に気付く。また,交流人口から関係人口へ移行し「場所に囚われない村(拡張集落)」(変容性①)も構想している。そして,以上の取り組みはプロジェクトのテーマ「都市と地方の共創が豊かな未来をつくる」に基づくものである。
また,はまのね船団のように,石巻では震災後にローカルベンチャー(U4)が増え定着し,人的資源(RS3)になっている。一般的に,外から人が入ってくる地域は新しいことを受け入れる素地があると言われる。貴一氏に尋ねると「震災後の石巻市は新しいことを受け入れる素地が生まれたことに加え,ある程度の規模があるため,逃げ場があり自分の居心地の良い場所を探れる街だから定着しやすいのではないか」とのことだった。逃げ場とは,あるコミュニティに馴染めなくても別のコミュニティがあり,さらにコミュニティに入らずとも生活できることである。人的資源システム(RS3)に,周辺地域(逃げ場)も必要と考えられる。
レジリエンス研究では,コミュニティの結束力は言及されているが,信頼関係の重要性は必ずしも明示されていない。しかし,図3,図4の背後にあり,最も重要な点は,相互作用と成果の関係は信頼関係に基づくことである。蛤浜のような小さな集落で事業を行うためには住民の理解は欠かせない。カフェ開業後にオーバーツーリズム問題が起こり住民から苦情が出た経験から,アクティビティ事業を計画した人をカフェのスタッフとして2年間雇い,住民の信頼を得ることに時間をかけた。一度,信頼関係が築ければ,新しい事業が受け入れられ,ビジネスとして利益を得られるようになる。はまぐり堂は2019年から営業日数を減らして完全予約制にし,財務面でみればカフェ事業は縮小した。しかし,「地域の信頼,来客やスタッフの満足度は上がっているはずで,それは事業を縮小したことによって上がった価値」(貴一氏)であり,信頼関係構築の重要性を示している。
6. 復興における観光の役割貴一氏の「震災で外からさまざまな人がきて,地元の人にとっては当たり前のことに価値を見出してくれました。地域には原石がごろごろ転がっていて,磨けば宝になり,観光や学びにつながると思っています」という発言から,復興における観光の役割は,災害時にボランティアなどで地域外から人が集まり,地域住民と地域外の人たちの交流が生まれ,地域資源や地域課題から新たな価値を共創するきっかけと言える。実際に,貴一氏はプロジェクトのメインは観光と考えていない。あくまで人を呼ぶきっかけであり,観光を通じた交流から浜の暮らしの再評価や自然生態系の回復,関係人口の拡大につなげている。
さらに,一方通行ではなく双方向の関係を築くことが重要である。能登半島へのメッセージをお願いしたところ,「能登にはポテンシャルがものすごくあると思います。いま,外からたくさん人が来ていると思いますが,我々が助けてもらったように,一緒に能登の魅力を掘り起こして価値を作り,わかりやすく伝えていくことが大事だと思います。蛤浜の最初のきっかけはカフェで,カフェをつくる際に集まった人がファンになり,一緒につくることで価値になりました。しかし,カフェができた時点でお金をもらってサービスを提供する一方通行の観光になってしまいました。これは非常にもったいない。今は偶然の共創が生まれやすい場をどうつくるかに力を入れています。双方向の関係を絶やさず,共創し続ければ,震災前よりも地域が良くなる可能性があると思います。」ということだった。被災地にはボランティアなど外から人が集まって関係人口となり,住民と価値共創する機会にもなり得る。被災地応援と称して割引価格により観光を促進する政策などがあるが,観光客数も消費額も地域との関係も一過性になりかねない。それでは観光は被災地の復興に役立たず,新しい社会生態システムも出現しないだろう。
はまぐり堂の事例を取り上げ,被災地の復興における観光の役割を考察した。観光の役割は,1)地域に人を呼ぶきっかけであり,2)外部の人との共創で価値を見つけ,3)自然や社会の生態系を循環させることだと言える。また,本研究はBui and Saito(2022)のフレームが,震災後に加えて新たな危機(コロナ禍)への対応やSESの変化も捉えられることを示した。観光の役割は,震災後はカフェを基に上記の1),2)が中心であり,コロナ禍後は1),2)を通じて長期的に3)に取り組み,浜の豊かな暮らしを次世代につなぐことである。このように,蛤浜ははまぐり堂を中心に環境の変化に適応し,SESを構築し続けている。
今後の課題は,次のとおりである。フレームを用いたBui and Saito(2022)は3年に渡りインタビューやナラティブの情報を収集した。本研究は,貴一氏のインタビューと視察体験のみであり,フォローアップインタビューやはまぐり船団のメンバーへのインタビューなどで周辺地域を含めた考察が必要である。また,他の事例と比較研究を行うことで,復興における観光の役割を一般化できると考える。
インタビューをご快諾いただいた一般社団法人はまのね代表亀山貴一様,亀山理子様,菅原尚子様に心より感謝申し上げる。長時間にわたり多くの貴重なお話を伺ったが筆者の力不足ですべて反映できず,お詫び申し上げる。また,一橋大学大学院経営管理研究科修了生の小島由佳子さんにはまぐり堂をご紹介いただいた。本稿で適用したモデルについて立命館アジア太平洋大学齊藤広晃准教授にご教示いただいた。ここに記しお2人にお礼申し上げる。なお,本稿における誤りはすべて筆者に帰するものである。
本研究の根拠データは,秘匿すべき個人情報が含まれているため非公開である。
1)地域の新たな経済を生み出すローカルベンチャーの輩出・育成を目的に,岡山県西粟倉村とNPO法人ETIC.の呼びかけで2016年に発足した(Local venture kyogi kai, n.d.)。
2)Kameyama(2020)とMori(2021)を基にまとめ直接引用部分のみ引用を示した。
3)小漁師は自分や家族が食べる分を獲る漁師のことで,牡鹿半島周辺での呼称である。貴一氏も宮城県漁業協同組合の準組合員になり小漁師をしている。
4)コロナ前までの事例は,Kameyama(2020)とMori(2021)を基にし,直接引用部分のみ引用を示した。
5)リサイクリエーションはリサイクルとクリエーションを組み合わせた言葉で,花王株式会社が考えた(Kao Corporation, 2024)。同社は石巻市を含む全国5か所でリサイクリエーション活動を実施しており,リサイクリエーション研究会はこの活動の一環である。
6)貴一氏たちは尊敬と親しみをこめて「浜のお母さん」と呼んでいる。本稿でもそのままの表現を用いる。
鎌田 裕美(かまた ひろみ)
一橋大学大学院経営管理研究科 教授。2007年一橋大学大学院商学研究科博士課程修了。博士(商学)。主な研究テーマは,観光リピート行動,ウェルネス・ツーリズム,観光地の住民の態度。Tourism Economics,Current Issues in Tourismなどに論文掲載。