2024 Volume 44 Issue 2 Pages 193-195
本書は,三越が創業から350周年を迎えたことを記念して,同社の企業行動や営業展開の歴史を書き記した経営史的な著作である。三越が「デパートメントストア宣言」を表明した前後の百貨店草創期から現代に至るまで歴史の中で実践された多様な経営上の変革や挑戦を整理して,三越の「長寿」の要因が考察されている。各章はテーマごとに独立しており,7人の異なる著者によって顧客営業戦略,店舗戦略,広告宣伝戦略,業態イノベーションなど,それぞれの観点から三越の歴史の諸相が論じられている。まずは各章の概要を示そう。
第1章では,顧客との関係性を基礎とした「顧客営業戦略」がいかに遂行されてきたかが詳述される。生涯にわたり三越と付き合いをもつ最上位顧客を頂点とした顧客(帳場)の育成・維持の仕組みが顧客営業戦略であり,販売員や担当者が時間をかけて信頼関係の醸成に努めることで強固な「真のロイヤルティ」の獲得を目指す活動体系である。帳場制度自体は1897年に起源を有すが,本章では1998年に日本橋本店に設置された「お得意様営業部」による帳場制度が分析される。この帳場制度は2008年に三越と伊勢丹が経営統合した後にエムアイカードに集約された。経営統合後のグループカスタマープログラムに基づいた徹底した短期的効率の追求は,結果として生涯顧客育成という統一的意思の実現を困難にしたと主張され,著者は百貨店の本質的な価値に生涯価値の育成と維持を掲げ,三越の歴史を分析することを通じて顧客営業戦略の有効性から多くを学ぶべきだと主張している。
第2章は,「三越ブランド」の全国化に向けた地方への出店戦略や,小型店及び郊外SC内など店舗業態開発を歴史的に振り返る。三越は戦前から全国的な支店網整備を試み,戦後の高度成長期以降に地方都市へ進出したが,1990年代になると新たな店舗業態の開発に挑戦し,住宅機能も複合された都市再開発プロジェクトとして恵比寿ガーデンプレイスに恵比寿三越を開店した。2000年以降には郊外専門館業態の出店や,SCテナントとしての業態開発がなされた。小型店業態の開発では,百貨店版コンビニエンスストアの「三越バラエティストア」や「三越エレガンス」などが紹介されている。一連の店舗戦略について,①中央集権型MD運営,②本店のMD・サービスの充実とその支店への波及,③顧客起点の商品サービスの提供という3つの観点から考察されている。結論部では,全国の有力都市に「都市型上質MDストア」で支店を配置し,オンラインと顧客営業を交えたオムニチャネルや,本店とMD・サービス面でDX技術を活用したサテライト型小型店舗の展開が提案された。
第3章は,三越が地方百貨店の提携・グループ化を行なった経緯を分析している。1969年に名古屋のオリエンタル中村とタイアップしたことを皮切りに北海道から沖縄までの百貨店と業務提携を行いナショナルチェーンが形成された。三越のプライベートブランド「レオドール」商品の供給や,商品の企画開発情報の提供,催事の提供や商品券の相互交流などが行われ,役員派遣を伴うケースや資本提携参加などを含む場合もあった。1970年代までは商品提携と資本提携が併存したが,1980年前後から資本提携に切り替わり幹部派遣が行われた。これは業績が悪化した地方百貨店の経営再建という文脈があり,三越は再建請負人としての役割を持ち地方百貨店への支配関係が及んだ。販売促進や商品計画などの主要部門の管理に加え,組織体制や伝票,事務手続きから包装紙に至るまで三越のものを踏襲し「三越化」が顕著になった。次第に地方百貨店が三越との提携を解消して大衆化路線に舵を切り,総合スーパーの参加に入ってグループ戦略における百貨店部門を担う道を選択すると,地方都市において百貨店が高級路線に特化する戦略の維持が困難になったことが考察された。
第4章は,パリ三越の営業展開や店舗運営の事例を中心に,その後のヨーロッパでの事業展開が議論された。パリ三越に始まる海外店舗の出店は,三越の得意顧客の海外旅行支援と,日本人現地駐在員の生活支援という二つの機能を有した。パリ三越が日本の店舗にもたらした波及効果として,日本橋本店における「パリ三越サロン」や,欧州のブランドを重点商品とした特選ブランド展開,直輸入商品の商品催事など海外催事の開催,さらにはヨーロッパ店舗網を活用した旅行事業,商社型の国際ビジネスの展開などが挙げられている。1971年のパリ三越の開店は三越の顧客戦略・営業戦略の両面で革新性と国際性を印象付け,また三越の帳場顧客をはじめとする得意顧客の海外旅行活動の支援という特徴を持ち,海外旅行の計画から実施,帰国後の土産や回顧まで,カスタマージャーニーの中で常に三越が関わるようにサービスが設計された。三越はヨーロッパの特選ブランド品の買い付け・直輸入,国内での販売の領域で積極であり,これが日本橋本店の店格を上げて三越ブランドを形成することに有効であった点に加え,海外店舗において多様なサービス開発や文化企画など「顧客起点のビジネス」が実践され,顧客の支持を得たことが示された。
第5章では,団塊世代が20代となり「ヤングブーム」が頂点に達した時期における銀座三越での店舗をメディアとした強力な情報発信に焦点を当て,三越の広告宣伝戦略が議論された。ヤング・ファッションフロアの展開や,森の劇場の設置,マクドナルドの一号店の開店に加えて,視聴者参加型の生放送番組「ぎんざNOW!」やCCTV(店内有線TV),テレビ通販事業など,広告宣伝活動における新しいメディアを活用した動画訴求の模索も若者の支持を集めたと述べられた。また,東京の名所としての日本橋三越の天女像,ライオン像,不二の滝(滝のレストラン),三越劇場,パイプオルガンに加え,「大ナポレオン展」のような全フロアをフランス一色に展開した全館プロモーションなど,店舗規模と空間性を活かした店舗のメディア化の試みが示された。こうした広告宣伝戦略が,創業期の「引札」や「錦絵」,明治・大正・昭和初期のマス広告を通じた情報発信の伝統の延長線上に展開されたものと解釈され,1970年代のメディアの複合的かつ立体的な発信をして「広告代理店三越」としての側面が考察された。結論部分では,情報過多・多様化の時代において情報の質を担保する仕組みが必要であり,共感をもたらすようなコミュニティを基盤としたコミュニケーション戦略の展開が求められることが提案されている。
第6章では,戦前期の三越日本橋本店における食堂の運営方法が詳述される。日本橋本店における最初の食堂は1907年に設置され,当時は調理済みの料理を買取仕入れで調達し,盛り付けは食堂に設置された簡易な料理場で行われ,食堂運営業者の出張販売(外部委託)によって運営された。日本橋本店では1921年に大食堂が開設され洋食が本格的に扱われるようになったが,この時期には調理業務を有名店に外部委託し,三越は売上に連動した歩合金を収受し,食堂全体の管理及び運営やサービス業務は三越の従業員が担い,食堂運営に要する費用を三越が負担するという分業が行われた。この分業は,直営や全業務の外部委託に比べてミドルリスク・ミドルリターンのビジネスモデルであった。1920年代後半には食堂の規模が拡大して売上に占めるシェアが高まり,レストラン運営を内部化するために三越で販売する食料品とその調理品について製造・販売することを目的として二幸が設立された。親会社である三越が直営に準じて子会社である二幸による調理業務を統制することが可能となり,百貨店の売場とは体系が異なる業務を別会社が行うことで効率性が高まった。1930年代半ば,二幸は現在のファミリーレストランに通じるセントラルキッチンを運営し,サービス業務では百貨店らしい高水準のサービスが提供されたことが示された。
第7章は,三越が新たな小売業態である欧米型のデパートメントとして業態イノベーションを実現する過程において,それに先駆けてデパートメント化を行った白木屋に対する支援が如何なる意味を持ったかという点を分析している。1886年に三井呉服店は白木屋とともに洋服部の設立を企画し,白木屋が先行して洋服部を開店して,1903年に白木屋は西洋的な陳列販売方式をとった新店舗の増改築を完成させた。これは当時としては欧米のデパートメントストア形式にかなり近い店舗であった。この白木屋の新店舗の増改築に三井家が支援を行ったが,なぜ三井家は同じ規模・内容の店舗を白木屋に先駆けて三越で実現させなかったのか問いかけている。三井呉服店のデパートメントストア化を推進した日比翁助は,デパートメントストア化した三井呉服店を長期的に安定して経営するためには足元の財務的な立て直しと組織・経営管理機能の近代化に最優先で取り組まねばならなかった。そのため,三井呉服店による新たなビジネスモデルの実行,および,それに伴う追加投資については三井商店理事会に諮り,さらに最高意思決定期間の三井同族会での承認が必要であった。そこで,三井家にとって「もうひとつの三井呉服店」とも言える白木屋を援助して,日比が目標とする欧米型のデパートメントストアのプロトタイプ店舗を開店させ,欧米型のデパートメントストアが,日本においてビジネスモデルとして成立することを見極めるために,三井高保の主導により白木屋が欧米型のデパートメントストアとしてのプロトタイプ店舗として開店したという考察が示された。
終章では,三越が350年もの長い間経営をつづけてきた長寿の要因について,「三越なるもの」「三越らしさ」が構築され,長年に亘り顧客に支持されてきたという主張が展開された。巧みな顧客営業の仕組みや新たな顧客層の積極的な開拓,そして常に新しい独自な商品ブランドを取り揃え,新たな商品導入,営業企画,販売サービスの創造が優良顧客の顧客満足を高め,関係の維持を実現したことが三越の長寿経営の要因として分析されている。次の100年にむけた三越の可能性についても言及があり,顧客へのパーソナルな営業対応である「生活エージェント」モデルが提案され,顧客営業の仕組みのさらなる増強のために,三越の顧客営業の組織能力(ケイパビリティ)の発揮が必要であると述べられた。多様なニーズを持ち,多様なソリューションを期待する顧客にむけて,350年もの長きにわたり多様な経営変数をうまく管理してきた三越の実践は,改めて評価されるべきだと主張されている。
ここまで各章の概要を示してきたが,本書の貢献をいくつか述べたい。第一に,著書の冒頭や各章の巻末に各種の資料や年表,写真などを数多く掲載している点が挙げられる。年表に関しては,全体概要や事業に関するものに加え,顧客編,商品編,広告宣伝編として区分されて史実が整理されている。実際に使用されたポスターやPR誌,パンフレットなど,一部の資料はカラーで収蔵されていることも読者の関心を引く要因になるであろう。第二に,著者の多くが百貨店での実務経験を有していることから,現場目線でのより具体的な百貨店業務に焦点を当てたテーマ設定で章構成されていることも特徴的である。それぞれのテーマについて,必ずしも成功ではなかった事柄も含めて詳細かつ丁寧な歴史的な分析が行われ,その現代的意味について考察されていることは高く評価されるべきであると考える。
最後に一点指摘するとすれば,本書では三越が実践してきた各種の戦略の特徴や,その有効性が歴史的に分析されているが,三越に限らず百貨店の現状に鑑みると,かつては成功的であったビジネスモデルが有効に機能しなくなっていることも事実である。いくつかの章では,今後の三越に向けた戦略的提案が示されているが,未来に向けてどうすべきかという提言の前に,なぜ成功的であった戦略がそうではなくなったのか,その理由について,もう少し立ち入った歴史的な状況分析が示されると,より示唆的であったかもしれない。しかし,これだけ長きにわたる三越の歴史を一冊の著書にまとめようという試みは大変挑戦的なものであり,編者そして著者に心からの敬意を表したい。