2025 Volume 45 Issue 1 Pages 22-31
経験サンプリング法(experience sampling method; ESM)とは,人々の日常的な生活環境の中で起こる行動・思考・感情についての知見を得るために,1日に数回×数日間連続してデータ収集を繰り返す調査手法の総称である。本論文では,消費者の日常心理を理解するために有用な研究ツールとしてESMを紹介する。さらに,その実践例として,日常的な経済行動とそれにともなう感情変動に焦点を当てた実証研究について報告する。具体的には,71名の参加者(日本在住の男性33名・女性38名,年齢は21歳から67歳)を対象にして,1日4回×7日間にわたり,午前9時から午後9時までの間の無作為な時刻にオンライン調査への回答を求めた。参加者は,回答時点の感情状態と直近の経済行動(消費・貯蓄)について報告した。マルチレベル重回帰分析の結果から,経済行動の種類によって質的に異なる感情変化が生じることが明らかになった。また,制御焦点や主観的経済状況の個人差も,それぞれ異なる感情状態と関連することが示唆された。
The experience sampling method (ESM) refers to a set of research procedures involving repeated data collection several times a day for several consecutive days, enabling the researchers to gain insights into people’s behaviors, thoughts, and emotions as they occur in their everyday environment. This paper introduces the ESM as a useful research tool for understanding the psychology of consumers in their daily lives. As a practical example, the author reports an empirical study that focuses on daily economic behavior and associated emotional fluctuations. Specifically, 71 participants (33 men and 38 women living in Japan, with ages ranging from 21 to 67 years old) were asked to respond to an online survey 4 times per day at random times between 9:00 a.m. and 9:00 p.m. and to report their current emotional state and their most recent economic behavior (consumption/saving). The results of a multilevel regression analysis revealed that qualitatively different emotional changes were instigated immediately after certain types of economic behaviors. The results also suggest that individual levels of regulatory focus and subjective economic status are associated with different emotional states.
日常生活において消費者が商品やサービスを利用する際,どのような主観的経験が生じているかに関するデータは,マーケティングにおいて有益な情報をもたらす。こうした日常における主観的経験(およびその変動)についてデータを収集するためのツールのひとつが,経験サンプリング法(Experience Sampling Method,以下ESM)である。ESMとは,普段通りの生活を送っている調査対象者から一日数回×数日間にわたって繰り返しデータを取得するという調査手法である(Larson & Csikszentmihalyi, 1983)。そのときに生じている思考・感情・行動およびその周囲環境などについての情報を,経験しているその場で報告してもらうことにより,人々の日常生活をリアルタイムで記録できる。このような生態的妥当性の高い集中的縦断データに基づいて個人内変動と個人間変動をそれぞれ分析できることが,研究法としてのESMの強みである(Bolger & Laurenceau, 2013)。
2010年台以降,ESM調査の実施においてスマートフォンを利用することが主流となった。これによって回答のタイミング通知やデータ収集を効率的に管理できるようになったことから,幅広い領域の研究者の注目を集めるようになった。日本国内においては,社会心理学領域を中心に,医療・教育といった分野にも活用が広がっている。本稿では,マーケティング研究におけるESMの活用例として,日常生活における経済行動とそれにともなう感情に焦点をあてた実証研究を紹介し,そこから得られる示唆や意義について論じる。
経済行動と感情の関連については豊富な研究蓄積がある(for reviews, see Rick & Loewenstein, 2008; Zeelenberg & Pieters, 2006)。ただし,これらの研究データは,非日常的な環境における実験室実験や,場面想定法を用いた質問紙実験,また個人間の差異をあつかう横断調査などから得られたものが多い。人々の日々の生活のなかで生じる消費や貯蓄といった経済行動にともない感情がどのように変化するのかについては,充分な検討がなされているとは言い難い。そこで本研究では,経験サンプリング法を用いた集中的縦断データの分析により,日常的な経済行動にともなう感情経験の個人内変動および個人間変動について明らかにすることを目的とする。一般的に経済行動は消費・貯蓄・投資に大別されるが,本研究は,日常における発生頻度が比較的高いことが見込まれる「消費」と「貯蓄」に焦点をあてる。
(2) 制御焦点と感情日常的な消費/貯蓄行動にともない,人々はどのような感情を経験するだろうか。消費とは,商品・サービスを得るために対価を支払うことであり,すなわち欲しいものの獲得(gain)と金銭面での損失(loss)が生じる。貯蓄とは,将来のために金銭を蓄えることであり,すなわち金銭的な浪費を抑える(non-loss)ことを意味するが,同時に欲しいものを手に入れる機会を得られなかった(non-gain)とも捉えられる。したがって,消費や貯蓄について,gainに焦点をあてるか,それともlossに焦点をあてるかによって,それぞれの行動のもたらす帰結について異なった認知や感情が生じる可能性がある。
人間の認知・判断・行動・感情などに関わる心理過程において,gain/lossへの焦点化がもたらす影響について論じたのが,制御焦点理論(Higgins, 1997, 1998)である。この理論では,2種類の行動制御システムが,それぞれ質的に異なる感情生起を通じて,適応的な反応を促すことが想定されている。促進焦点(promotion focus)のシステムは,自分の夢や希望などのように望みうるかぎりで最良の帰結を得たいという最大化目標を希求しているときに活性化する。また,gainに焦点化したフレーミングと行動傾向,すなわちgain接近とnon-gain回避の志向性が生じやすくなる。一方,予防焦点(prevention focus)のシステムは,自分の義務や責任などといった必ず果たすべき最低限の基準,すなわち最小限目標を満たそうとしているときに活性化する。また,lossに焦点化したフレーミングと行動傾向,すなわちnon-loss接近とloss回避の志向性が生じやすくなる。
促進焦点と予防焦点の各システムは,それぞれの目標の達成/不達成に対して,異なる質と強度の感情で反応する(Higgins, 2001; Higgins et al., 1997)。促進焦点の場合,目標の達成はすなわち自分が理想として追い求めた目標水準に到達したことを意味するため,喜び(cheerfulness)や意気揚々(elation)などといった強い生理的喚起をともなうポジティブ感情が生起し,さらに強くgain接近およびnon-gain回避に動機づけられる。一方,予防焦点の場合は,目標の達成は必要な水準を満たしたことを意味するため,平静(quiescence)やリラックス(relaxation)などといった生理的喚起の弱いポジティブ感情をもたらし,non-loss接近およびloss回避のための行動を減弱・休止させる。これに対し,目標達成に失敗した状況では,予防焦点の場合は必要最低限の水準すらも満たせないという危機的状況として認識され,脅威(agitation)や不安(anxiety)などの強い生理的喚起をともなう不快感情が生じ,non-loss接近とloss回避に強く動機づけられる。一方,促進焦点の場合は,最大化目標,すなわち夢や理想が実現しなかったことにともなう落胆(dejection)や悲しみ(sadness)の生理的喚起の弱いネガティブ感情が生じることで,gain接近およびnon-gain回避を目指した行動の減弱や休止が促される。
ここまで述べたことを整理すると,消費や貯蓄といった経済行動は,各制御焦点に応じて異なるフレーミングによって捉えられ,異なる種類の感情生起をもたらすことが予測される。具体的には,以下のとおりの概念仮説にまとめられる。促進焦点の場合はgainに焦点化したフレーミングが生じ,消費行動の実行は欲求対象の獲得(gain)をもたらすことから,喜びや意気揚々といった強いポジティブ感情が生起するだろう。一方,貯蓄行動の実行は欲求対象の不獲得(non-gain)を意味するため,落胆や悲しみといった強度の弱いネガティブ感情によって反応するだろう。予防焦点の場合はlossに焦点化するため,消費行動の実行は金銭の喪失(loss)として認識されやすく,したがって脅威や不安といった強いネガティブ感情を生起するだろう。一方,貯蓄行動の実行は金銭的浪費の抑止(non-loss)として捉えられ,平静やリラックスといった強度の弱いポジティブ感情をもたらすだろう。さらに,制御焦点の個人差に対応して,利得(gain)接近傾向の強い人ほどgain/non-gainに対する感情反応を強く示しやすく,損失(loss)回避傾向の強い人ほどnon-loss/lossに対する感情反応を強く示すだろう。
上記について検証するため,本研究では 1日4回×7日間にわたるESM調査を実施し,集中的縦断データを収集した。従属変数の測定については,制御焦点理論の枠組みに基づき,促進焦点に関連するポジティブ感情(i.e.,喜びや意気揚々)を表す「うきうきした」,予防焦点に関連するポジティブ感情(i.e.,平静やリラックス)を表す「おだやかな」,促進焦点に関連するネガティブ感情(i.e.,悲しみや落胆)を表す「おちこんだ」,予防焦点に関連するネガティブ感情(i.e.,脅威や不安)を表す「いらいらした」という4種類の感情語を用い,調査参加者は回答時点での感情状態を自己評定した。あわせて,回答直前(1時間以内)の消費行動と貯蓄行動について,それぞれ実行の有無を報告した。また,ESM開始の前日に事前調査を行い,利得(gain)接近/損失(loss)回避傾向について個人差測定を行った。
これらの手続きにあわせて,以下の作業仮説を立てた。
仮説1a:促進関連ポジティブ感情(「うきうきした」)は,消費行動を実行した直後に(実行しなかったときに比べて)強く経験されるだろう。
仮説1b:仮説1aのパターンは,利得接近傾向の強い人ほど顕著に見られるだろう。
仮説2a:予防関連ポジティブ感情(「おだやかな」)は,貯蓄行動を実行した直後に(実行しなかったときに比べて)強く経験されるだろう。
仮説2b:仮説2aのパターンは,損失回避傾向の強い人ほど顕著に見られるだろう。
仮説3a:促進関連ネガティブ感情(「おちこんだ」)は,貯蓄行動を実行した直後に(実行しなかったときに比べて)強く経験されるだろう。
仮説3b:仮説3aのパターンは,利得接近傾向の強い人ほど顕著に見られるだろう。
仮説4a:予防関連ネガティブ感情(「いらいらした」)は,消費行動を実行した直後に(実行しなかったときに比べて)強く経験されるだろう。
仮説4b:仮説4aのパターンは,損失回避傾向の強い人ほど顕著に見られるだろう。
上記の仮説について検証するため,経験サンプリング法による調査を実施した。
2. 方法 (1) 調査参加者クラウドソーシングサービス(CrowdWorks)から応募のあった75名が調査に参加した。応募にあたって,①日本国内に日本国内に在住していること,②年齢が20歳以上69歳以下であること,③スマートフォンを所持しておりLINEアプリを使用していることという3つの条件をすべて満たすことを必須とした。この75名のうち,事前調査においてサティスファイス検出項目2問のうち1問以上に誤回答した者4名を除外し,71名を分析対象とした。分析対象となった調査回答者の性別内訳は男性33名・女性38名であった。年齢の範囲は21歳から67歳,平均は42.2歳(SD=10.7)であった。
(2) 手続き調査は2024年6月3日から6月19日の期間に実施された。各調査参加者は,このうち連続した8日間について調査回答を行った。参加者は各自のスマートフォンを通じて,調査回答のタイミングを知らせるシグナル(LINEメッセージ)を受信し,そのメッセージに記載されたURLをタップすることで,Webブラウザからオンライン調査に回答した。シグナル送信および回答データ収集は,ESM専用ソフトウェアExkuma(https://exkuma.com)を用いて実施された。なお,この調査には本研究とは無関連な目的のためのデータ収集も含まれたが,本研究に関連のある調査手続きのみを以下に報告する。
調査初日(1日目)には事前調査が実施された。参加者は朝9:00にシグナルを受け取り,当日24:00までに調査回答を完了するよう指示された。事前調査において,回答者は性別・年齢・世帯収入を報告した。また,主観的経済状況については,「あなたのご家庭の経済状況をお聞かせください。」という質問に対して「1.まったくゆとりがない」から「7.とてもゆとりがある」までの7件法で回答した。さらに,利得接近/損失回避傾向の個人差測定として,促進-予防焦点尺度邦訳版(Ozaki & Karasawa, 2011)全18項目のうち「学校」「成績」に関する4項目を除外したのち,計14項目について7件法で評定した。
調査2日目以降,7日間にわたるESM調査が実施された。参加者は1日4回,9:00から21:00までのランダムな時刻にシグナルを受け取り,シグナルを受け取ったらできるかぎり早く,遅くとも2時間以内に回答を完了するよう指示された。シグナル送信後30分が経過しても未回答の場合には,リマインダーとして同一のシグナルを再び受け取った。ESM調査において,計28回の回答機会を通じて設問はすべて同一であった。回答時点における感情状態の測定として「いま,以下それぞれの気持ちをどのくらい感じていますか。」という質問に続いて,「うきうきした」「おだやかな」「おちこんだ」「いらいらした」という4種類の感情語それぞれについて「1.まったく感じない」から「7.とても感じる」までの7件法で回答した。感情語の呈示順序はランダム化され,測定のたびに異なる順序であった。続いて,回答を開始する直前の1時間以内に行った経済行動について報告した。具体的には,「直近の1時間以内に,以下のものごとを行いましたか?」という質問につづいて「買い物・消費(お金をつかうこと)」と「節約・貯蓄(お金をためること)」という項目が表示され,参加者は1時間以内に行ったものすべてを選択した(複数可)。
調査参加者が事前調査を完了した上で,ESM調査における28回の回答機会のうち75%以上の回答を完了した場合,400円の報酬が支払われた。これに追加して,90%以上の回答完了率であった場合は100円,100%の回答完了率であった場合は200円が支払われた。したがって,参加者ひとりあたりの最大報酬額は600円であった。
3. 結果 (1) 事前調査データの処理促進-予防焦点尺度の14項目の評定値について探索的因子分析(最尤法,プロマックス回転)を行った結果,尺度構成を行った先行研究(Ozaki & Karasawa, 2011)と同じく2因子構造であることが示唆された。本来とは逆の因子に負荷した1項目を除外し,2つの下位尺度として利得接近志向(7項目)と損失回避志向(6項目)につき各平均得点を算出した(信頼性係数は順にα=.87,.84)。両得点間の相関はr=−.128(p=.289)であった。
(2) ESMデータの処理ESM調査における全28回の回答機会に対し,有効回答1,907ケースが得られた。ひとりあたりの回答数は平均26.86(SD=1.99, median=28, max=28, min=17)であり,総じて回答率は非常に高かった(平均回答率95.93%)。
直近の1時間以内の「消費」「貯蓄」の各行動につき,行動ありの場合は1,行動なしの場合は0とコーディングした。各行動の発生度数をクロス表にまとめたものを表1に示す。

直近の1時間以内の消費/貯蓄行動の発生度数および割合
注)カッコ内は,総度数に占める当該セル度数の割合(%)を示す。
促進焦点/予防焦点に関連するポジティブ/ネガティブ感情として測定した4種類の感情間の関連の強さを調べるために,マルチレベル相関分析を行った(表2)。級内相関係数は.3から.5までの値を示し,いずれも有意であった。参加者間レベルでは絶対値が.6以上の相関係数が部分的に見られたものの,参加者内レベルでは相関係数の絶対値が最大で.5程度であった。したがって,参加者内の変動において各感情間に強い関連は示されなかった。これを受けて以降は,4種類の感情について,少なくとも個人内レベルでは独立した次元性を持つものとみなし,個別に分析する。

各制御焦点関連感情間のマルチレベル相関分析結果
注)対角行列(太字)は級内相関,上三角行列は個人内レベル相関,下三角行列は個人間レベル相関を表す。有意確率は,** p<.01, * p<.05。
4種類の制御焦点関連感情をそれぞれ目的変数としたマルチレベル重回帰分析を行い,推定された偏回帰係数と有意確率を表3にまとめた(分析結果の詳細はAppendix Aを参照)。

各種の制御焦点関連感情を目的変数としたマルチレベル重回帰分析の結果(まとめ)
注)調査参加者数71,ケース数1,907。消費/貯蓄行動はあり=1,なし=0,性別は男性1,女性−1,無回答=0とコーディングした。利得接近傾向・損失回避傾向・主観的経済状況・年齢・世帯収入は全体平均中心化した。有意性の検定はすべて両側検定。有意確率は,** p<.01, * p<.05, † p<.10。
促進関連ポジティブ感情(「うきうきした」)については,個人内変数のうち消費行動の効果のみが有意であり,直近に消費行動を行ったときの方が,行わなかったときよりも強く感じられていた。個人間変数については,利得接近傾向と主観的経済状況との正の関連が示され,利得接近傾向が強い人ほど,また経済的なゆとりを感じている人ほど,この感情を強く感じやすかった。個人内/個人間変数の間の交互作用効果はいずれも有意ではなかった。
予防関連ポジティブ感情(「おだやかな」)については,個人内レベルでは消費行動の効果のみが有意であり,直近に消費行動のあった場合の方が,なかった場合よりも,この感情を強く感じていた。個人間変数については,主観的経済状況との正の関連が示された。個人内変数と個人間変数の間の交互作用効果のうち,貯蓄行動×損失回避傾向と,貯蓄行動×主観的経済状況の2つのみが有意であった。それぞれの交互作用パターンを図1のa),b)に示す。交互作用効果が有意であったことから,それぞれ単純傾斜の検定を行った。結果として,損失回避傾向の低い人(−1SD)は,貯蓄行動を行ったときの方が,行わなかったときよりもこの感情を強く感じていた(B=0.447, t(1828)=1.988, p=.047)。同様に,経済的ゆとりを感じていない人(−1SD)についても,貯蓄行動を行ったときの方が,行わなかったときよりも強く感じるパターンが見られたが,その差は有意傾向であった(B=0.404, t(1828)=1.610, p=.088)。一方,損失回避傾向の高い人(+1SD)や,経済的ゆとりを感じている人(+1SD)については,貯蓄行動の有無による差異は見られなかった(ts<1, ns.)。

貯蓄行動の有無と制御的志向性の交互作用についての単純傾斜分析結果
促進関連ネガティブ感情(「おちこんだ」)について,個人内レベルの変数の効果はいずれも有意にならなかった。個人間レベルでは,損失回避傾向の強い人ほどこの感情を強く感じるという正の関連が示された。
予防関連ネガティブ感情(「いらいらした」)について,個人内レベルの変数の効果はいずれも有意にならなかった。個人間レベルについては,損失回避傾向が強い人ほどこの感情を感じやすいという正の関連が示された。個人内変数と個人間変数の間の交互作用効果のうち,貯蓄行動×主観的経済状況の交互作用効果のみが有意であった。この交互作用パターンを図1のc)に示す。単純傾斜検定の結果,経済的ゆとりを感じている人(+1SD)は,貯蓄行動を行ったときの方が,行わなかったときよりも強く感じるパターンが見られたが,その差は有意傾向であった(B=0.402, t(1828)=1.667, p=.072)。経済的ゆとりを感じていない人(−1SD)については,貯蓄行動の有無による差異は見られなかった(t<1, ns.)。
4. 考察 (1) 個人内の感情変動についてまず,個人内レベル(Level 1)における感情変動に関して,消費/貯蓄行動の実行有無による主効果や,個人差変数との交互作用について考察する。
促進関連ポジティブ感情(喜びや意気揚々)は,直近に消費行動を実行したときのほうが(実行しなかったときと比べて)より強く感じられていた。したがって,仮説1aは支持された。消費行動×利得接近傾向による交互作用効果は見られず,仮説1bは支持されなかった。したがって,利得接近傾向の個人差に関わらず,消費行動は欲求対象の獲得(gain)として認識されやすく,それにともない促進関連ポジティブ感情が経験されたと解釈できる。
予防関連ポジティブ感情(平静やリラックス)について,直近の貯蓄行動の有無による影響は示されず,仮説2aは支持されなかった。貯蓄行動×損失回避傾向による交互作用効果は有意であったが,仮説2bとは逆に,損失回避傾向の弱い人の方が仮説2aに合致するパターン,すなわち貯蓄行動後に予防関連ポジティブ感情を経験していた。一方,損失回避傾向が強い人についてはそのパターンが見られなかった。この予想外の結果については,予防焦点の優勢な個人は損失回避のために警戒や慎重さを維持しようとすることから(Higgins, 1997),貯蓄行動の実行後であっても容易に気を緩めないためと解釈できる。また,もうひとつの想定外の結果として,直近に消費行動を実行したときのほうが(実行しなかったときと比べて)この感情を強く経験していた。消費行動(の一部)について「必要不可欠なものを確保する」と捉えた場合には,gainではなくむしろnon-lossの達成として認識され,その結果として予防関連ポジティブ感情が生起した可能性がある。また,探索的な検討として加えた主観的経済状況と貯蓄行動の有無の交互作用効果が見られた。具体的には,経済的ゆとりを感じていない人ほど,貯蓄行動を実行したときに(実行しなかったときと比べて)予防関連ポジティブ感情を強く経験した。経済的ゆとりのない人ほど,貯蓄行動を実行するたびに安心感を得ていることが推察される。一方,経済的ゆとりがあると感じている人,すなわち経済面での安定をすでに確保できている場合には,日々の貯蓄行動がもたらす心理的なインパクトが比較的に小さかったと考えられる。
促進関連ネガティブ感情(悲しみや落胆)について,直近の貯蓄行動の有無による主効果や,貯蓄行動×利得接近傾向による交互作用効果は見られず,仮説3a・仮説3bともに支持されなかった。予防関連ネガティブ感情(脅威や不安)について,直近の消費行動の有無による主効果や,消費行動×損失回避傾向による交互作用効果は有意ではなく,仮説4a・仮説4bともに支持されなかった。唯一,予防関連ネガティブ感情について貯蓄行動×主観的経済状況の交互作用効果のみが有意であり,経済的ゆとりを感じている人ほど貯蓄行動の実行した後に(実行しなかったときと比べて)この感情を強く経験するというパターンであった。解釈のひとつとして,とくに必要を感じていないにも関わらず(すなわち不本意に)貯蓄行動を実行したことを損失(loss)として認識したのかもしれないという可能性が考えうるものの,根拠となるデータが充分ではないため,これ以上の議論は控える。
まとめると,個人内変動(Level 1)においては,ポジティブ感情とネガティブ感情のそれぞれに対して経済行動(消費・貯蓄)がもたらす影響は非対称的であった。具体的には,ポジティブ感情において系統的かつ説明可能なパターンがいくつか示されたが,ネガティブ感情への影響について積極的に解釈できるパターンは見られなかった。消費や貯蓄の実行について人々はポジティブな行為として認識しやすく,したがって(ネガティブ感情と比べると)ポジティブ感情に影響を及ぼしやすかったのだろうと考えられる。
(2) 個人間の感情変動について次に,個人間レベル(Level 2)における感情変動と個人差変数との関連について考察する。
4種類の感情の個人間変動(すなわち個人内平均のばらつき)と利得接近/損失回避傾向との間に,有意な関連が数カ所で示された。まず,利得接近傾向の強い人ほど促進関連ポジティブ感情を強く経験しやすく,損失回避傾向の強い人ほど予防関連ネガティブ感情を強く経験しやすいという関連が見られた。制御焦点理論(Higgins et al., 1997)において想定されている感情の機能として,促進関連ポジティブ感情は利得接近傾向を増進させ,予防関連ネガティブ感情は損失回避傾向を増進させるという。この想定にもとづくなら,促進関連ポジティブ感情の強さと利得接近傾向,予防関連ネガティブ感情と損失回避傾向の間に正の関連が見られるはずであり,本研究の結果とも一致する。さらに,損失回避傾向の強い人ほど促進関連ネガティブ感情を強く経験するという関連も示された。促進関連ネガティブ感情は利得接近傾向を減弱させる効果があると想定されており,その結果として損失回避傾向に移行しやすくなるのかもしれない。ただし,本研究では感情の測定よりも前の時点で制御的志向性の測定を行っているため,このデータを根拠として前者から後者への因果関係を積極的に議論することはできない。制御焦点に関連する感情と制御的志向性は双方向的に影響する可能性があり,因果の方向性は特定しがたいと考える方が妥当な解釈であろう。
主観的経済状況については,促進関連/予防関連のポジティブ感情のそれぞれと正の関連が示された。すなわち,経済的ゆとりを感じている人ほど,一般的に喜びや安心といったポジティブ感情を感じやすいことを意味する。Lazarus(1991)のによれば,自分にとって好ましい状況であるという認知的評価がポジティブな感情を生じさせるという。したがって,自らの経済状況について「好ましい」と評価した人ほど,ポジティブ感情を経験しやすかったのであろうと解釈できる。
本研究の制約として,経済行動(消費・貯蓄)の量や質を分析に組み入れなかったことが挙げられる。参加者に呈示した選択肢は「買い物・消費(お金をつかうこと)」と「節約・貯蓄(お金をためること)」のみであり,具体的な金額や対象については問わなかった。さらに,消費については「音楽を消費する」,節約については「時間を節約する」といったように,参加者の解釈のしかたによっては,必ずしも金銭の関わらない行動について報告したケースに含まれた可能性もある。消費・貯蓄の量や質の効果について考慮し,より精緻な検証を行うことが今後の課題といえるだろう。
(3) 結論本研究では,経験サンプリング法を用いた集中的縦断データの分析により,日常的な経済行動にともなう感情経験の個人内変動および個人間変動について検討した。結果として,個人内変動(Level 1)においては,経済行動(消費・貯蓄)の実行後にポジティブ感情が経験されるというパターンが示されたが,ネガティブ感情については影響がほとんど見られなかった。個人間変動(Level 2)においては,利得接近傾向の強い人ほどポジティブ感情を強く感じやすく,損失回避傾向の強い人ほどネガティブ感情を強く感じやすいという関連性が示された。このように,本研究では日常生活における経済行動とそれにともなう感情経験について取り上げ,経験サンプリング法による集中的縦断データを収集し,マルチレベル分析によって個人内レベルと個人間レベルの変動にそれぞれに特徴的なパターンを見出した。
前節で紹介した研究例が示しているとおり,経験サンプリング法は有力なデータ収集ツールであり,従来の研究手法(横断調査や実験室実験など)だけでは得られなかったような興味深い発見をもたらす可能性がある。特に,感情のように時々刻々と変化する主観的経験をターゲットにした研究において,個人内変動についての検討を可能にする集中的縦断データを得ることができるという点で優れている。また,普段どおりの環境内にいる参加者から直接的かつ継続的にデータを収集することによって,日常生活において生じるさまざまなイベントが人間心理にもたらす影響を明らかにできる。消費者心理を把握することはマーケティング研究において重要なポイントとなることから,日ごろの生活のなかで消費者が何を考え,どのように感じ,いかなる行動をしているのか等について時間的解像度の高いデータ収集を行うことは,有益な情報をもたらすことが期待できる。また,個人間変動についてもモデルに組み込み,性格特性や経済状況などの個人差変数がどのように関与するのかについても明らかにできることから,消費者それぞれの属性にあわせたマーケティング戦略を考案する上でも役立つ情報を提供するだろう。
本研究の実施にあたり,大高 瑞郁先生にご協力いただきました。記して感謝申し上げます。
本研究の根拠データは,データリポジトリJ-STAGE Dataで公開している。

促進関連ポジティブ感情を従属変数としたマルチレベル重回帰分析の結果
注)調査参加者数71,ケース数1,907。消費/貯蓄行動はあり=1,なし=0,性別は男性1,女性−1,無回答=0とコーディングした。利得接近傾向・損失回避傾向・主観的経済状況・年齢・世帯収入は全体平均中心化した。有意性の検定はすべて両側検定。

予防関連ポジティブ感情を従属変数としたマルチレベル重回帰分析の結果
注)調査参加者数71,ケース数1,907。消費/貯蓄行動はあり=1,なし=0,性別は男性1,女性−1,無回答=0とコーディングした。利得接近傾向・損失回避傾向・主観的経済状況・年齢・世帯収入は全体平均中心化した。有意性の検定はすべて両側検定。

促進関連ネガティブ感情を従属変数としたマルチレベル重回帰分析の結果
注)調査参加者数71,ケース数1,907。消費/貯蓄行動はあり=1,なし=0,性別は男性1,女性−1,無回答=0とコーディングした。利得接近傾向・損失回避傾向・主観的経済状況・年齢・世帯収入は全体平均中心化した。有意性の検定はすべて両側検定。

予防関連ネガティブ感情を従属変数としたマルチレベル重回帰分析の結果
注)調査参加者数71,ケース数1,907。消費/貯蓄行動はあり=1,なし=0,性別は男性1,女性−1,無回答=0とコーディングした。利得接近傾向・損失回避傾向・主観的経済状況・年齢・世帯収入は全体平均中心化した。有意性の検定はすべて両側検定。
尾崎 由佳(おざき ゆか)
東洋大学社会学部教授。同大学同学部准教授を経て,2021年4月より現職。2010年,東京大学大学院人文社会系研究科より博士号を取得。一般社団法人日本経験サンプリング法協会代表理事を兼職。主要著作に「自制心の足りないあなたへ―セルフコントロールの心理学」がある。