2025 Volume 45 Issue 1 Pages 73-75
「情けは人の為ならず」という言葉がある。誤解されやすいことわざの1つであるが,「他者への親切は,その相手のためになるだけでなく,回り回って自分自身にも良いことがある」という意味だ。本書は,他者のために自分のスキルや知識をシェアすることで,回り回って自分自身のウェルビーイングも向上することを実証している。まさに,現代における「情けは人の為ならず」の証明ともいえる研究である。
昨今,カーシェアやシェアオフィスなど,様々なモノがシェアされるようになった。そのような環境変化の中で,本書が着目するのはハードではなくソフト,つまり人のスキルや知識といった目に見えないもののシェアである。SNSの発展や,コロナ禍を経て広まったリモートワーク環境などを背景に,消費者自身が培ったスキルを本業以外に活用する「スキルシェア」と呼ばれる現象が広がっている。それは,副業のような金銭を伴うものもあれば,純粋に人を助けたいという思いや,自分自身の楽しみから行う場合もある。本書は,スキルシェアという新たな社会現象を,経営学や心理学の知見をもとに研究を行い,その行動と人々のウェルビーイングとの関係性について明らかにしている。また,スキルシェアを促進したい行政やプラットフォーマー,従業員の活性化を期待する企業経営者などに向けた有用な提言を行っている。
本書は大きく3つのパートに分けられる。第一部は既存研究もとに,本書の重要な概念であるスキルシェアやウェルビーイングを説明している。第二部は2つの定量調査と1つの定性調査をもとに,スキルシェアとウェルビーイングの関係性を明らかにしている。第三部では研究結果の総括と提言を行っている。以下に,各パートの概要を述べる。
1. 第一部 重要概念の説明第1章では,個人のスキルが持つ可能性と課題を,ユーザーイノベーションの既存研究をもとに明らかにしている。ユーザーイノベーションの研究によれば,時として企業の開発担当者では思いつかないイノベーションが,ユーザーからを生み出されることがある。自分自身だけでなく社会にとっても有益なイノベーションを,企業ではなく消費者が生み出す事象に注目が集まっている。しかし,そのようなユーザーイノベーターが生み出したイノベーションは,その多くが本人による利用にとどまっており,企業や社会に届いていないことが多い。これは「市場の失敗」と呼ばれ,社会的な損失だと指摘されている。ユーザーイノベーションとスキルシェアは同義ではないものの,消費者個人のスキルの可能性や課題を研究対象としている点は共通している。著者は,「市場の失敗」の議論をもとに,企業やコミュニティを経由しない「消費者間」のスキルシェアの可能性について論じている。第2章では,本書で重要な役割を担うウェルビーイング理論が説明されている。本研究では,著者自身が多数のスキルシェア参画者に対するインタビューを行う中で,共通して感じた「生活の充足感」をヒントに,短期的な喜びではなく持続的な幸福について扱う「持続的幸福度(PERMA)」が測定尺度として採用されている。第3章以降の調査において,この「持続的幸福度」が目的変数として用いられている。
2. 第二部 調査結果の紹介第3章では,オンライン・オフラインを問わず,個人知を他者に共有することを「スキルシェア」と定義した上で,スキルシェア参画者と非参画者とのウェルビーイングの違いを定量的に分析している。この調査では,ハンドメイド作家コミュニティの参加者や,ハンドメイドに限らないスキルシェア参画者を対象にアンケートを実施して,一般の消費者との比較を行っている。その結果,持続的幸福度を構成する5つの要素の多くの項目で,スキルシェア参画者の方が有意に高いことが明らかになった。また,これらの結果は年齢や婚姻状況,最終学歴などを統制した後も同様の傾向であった。第4章では,スキルシェアが持続的幸福度を高めるメカニズムを明らかにするために,定性的なインタビュー調査を行っている。この調査では,熱狂的な大人のファンで知られるレゴのユーザー10名を対象に半構造化インタビューを行い,グラウンデット・セオリー・アプローチ(GTA)を用いて分析を行っている。その結果,レゴに出会い,楽しみ,オリジナル作品を創造して他者にシェアするまでに至るプロセスの多くの点で,持続的幸福度を高める要因があることが明らかになった。第5章ではスキルシェアによる金銭的報酬に焦点を当てた定量的な分析が行われている。既存研究では金銭的報酬が内発動機を阻害するという議論もあるため,金銭的報酬の有無がスキルシェアによるウェルビーイング向上に与える影響について明らかにすることは,スキルシェアを促進させる上でも重要な論点である。調査の結果,スキルシェアの目的が金銭であろうと,趣味やボランティアなど無償であろうと,いずれの場合も持続的幸福度が高まっていることが明らかになった。
3. 第三部 総括と提言3つの調査によって,自分の知識を誰かの役に立てる「スキルシェア」が,回り回って自分自身のウェルビーイング向上につながっていることが確認された。第6章では,これらの結果をもとに,読者に向けた提言が行われている。消費者のスキルシェアを促進したい行政やプラットフォーマーに向けては,調査から見えてきたスキルシェア参画への障壁を念頭に,消費者に対する知識の提供やコミュニティの活性化,知財の保護などの重要性を訴えている。また,従業員のウェルビーイング向上をめざす企業の経営層に対しては,副業の促進や,所属部署以外の仕事に携わる社内副業を推奨している。
ここからは,本書の貢献について述べたい。本書には数多くの優れた点があるが,特に以下の3点で貢献がある。
第一の貢献は,スキルシェアという新しい現象を,企業の視点ではなく個人の視点で分析を行っている点である。経営学やマーケティングの研究においては,企業価値や市場成果といった観点で研究が行われることが多い。しかし本書は,そのような企業視点についても,ユーザーイノベーションに関する既存研究などを用いて十分に配慮しつつも,個人のウェルビーイングに着目した点がユニークな特徴である。人口減少が避けられない日本の経営において,従業員の満足度やウェルビーイングに着目した実践や研究が増えている。また,SNSやブランドコミュニティを通じて,消費者との共創活動を促進したい企業も多く,今後益々「個人」の存在感が増していくことが予想される。そのような変化を踏まえると,スキルシェアを行う個人のウェルビーイングに着目した本研究が,経営分野の研究や実務に与える影響は大きい。
第二の貢献としては,行政やプラットフォーマーなどに対して,スキルシェアの効果や活用方法に対して提言を行っている点である。先述のように,企業経営者が従業員のウェルビーイング向上を期待して副業を推進するなどした結果,多くの人がスキルシェアへの興味が高まったとしても,自身のスキルを誰かのニーズとマッチングできる場が存在しないことには取り組みは進まない。ユーザーイノベーション活用における「市場の失敗」に陥らないためにも,行政やプラットフォーマーなどがスキルシェアマッチングの場を提供し,企業や特定コミュニティを経由せずとも,個人間でのスキルシェアを自由闊達に行える環境を整えることは重要である。
上記の点と関連するが,第三の貢献として,難解な専門用語を避け,研究に詳しくない読者でも読みやすく書かれている点があげられる。本書は,先行研究レビューとリサーチクエスチョンをもとに,定量調査・定性調査を用いて分析を行っているアカデミックな学術書である。と同時に,本書の主な想定読者である行政関係者,プラットフォーマー,企業経営者など,必ずしも学術研究に詳しくない幅広い読者を想定したビジネス書でもある。そのような読者に対して,本書はとても丁寧に分かりやすく書かれている。通常,専門的になれば読みにくく,読みやすさを優先すると内容が薄くなることが多い。しかし,本書は内容の深さはそのままに,誰にでも読みやすく記述がなされている。これは,著者のスキルの高さ故でもあるが,先述のように,スキルシェア促進の鍵を握る行政やプラットフォーマーへの提言の重要性を想定してのことだと推察する。また,これから学術的な研究を行いたいと考えている学部生や修士課程の学生,さらには,大きな問いをもとに複数の研究を積み上げいく過程を知りたい博士課程の学生にとっても,研究とは何かを知る上で有用な気づきを得られる書籍であることを付け加えておきたい。
最後に,著者が今後もさらに本研究を深めていくという前提で,今後の研究に対する期待を述べたい。
1点目は,スキルシェアと企業成果の関係である。企業経営者の視点で考えると,スキルシェアによる従業員のウェルビーイング向上が,企業活動のどのような効果につながるのかについて,さらに詳しく知りたくなる。従業員のウェルビーイングと企業成果に関する様々な研究が行われているが,従業員による社外でのスキルシェアがもたらすウェルビーイングの向上が,社内の企業活動にどのような影響を与えるかといった研究はまだ多くないように感じられる。企業に限らず,行政やプラットフォーマーにおいても,市民やコミュニティ参加者のスキルシェアによるウェルビーイングの高まりが,地域やコミュニティ全体にどのような影響を与えるのかという点は,多くの読者が興味を持つところではないだろうか。
2点目は,スキルシェア参画者の促進方法についてである。本書でも言及されているが,本来は誰もがスキルシェアに参画できるポテンシャルを持っているものの,「自分なんか何のスキルもない」と謙遜してしまう人が少なくない。そのような現実の中で,いかにしてより多くの消費者がスキルシェアに参画するのかを研究することは,社会的にも価値があると考えられる。