Middle East Review
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【Israel Politics】Aporia of 'the Jewish State': Growing Incompatibility between Jewishness and Democracy
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2019 Volume 6 Pages 17-22

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基本法の成立

2018年7月18日、イスラエル国会(クネセト)は「基本法:ユダヤ人国家(Basic Law: Israel-the Nation State of the Jewish People、以下NSLと略)」を可決成立させ、「イスラエル国家がユダヤ人の民族国家であって、その主権領域内における民族自決権はユダヤ人によってのみ専権的に行使される」旨を内外に闡明した。この結果、従来はヘブライ語と並んで公用語とされていたアラビア語はその地位を失い、ヘブライ語のみが国家公用語と規定され、ユダヤ人入植地の建設・発展は民族理念の具現化として積極的に推進されることが法規範に明記されるなど、イスラエルはその「ユダヤ人性」を著しく強調することとなった2

1948年の建国直後から憲法起草の試みはあったものの、国内外の不安定な状況が続いたため、イスラエル政府が一挙に成文憲法を制定することはできなかった。その代替策として、将来的に体系的な成文憲法を構成する個別条項を必要に応じて順次定めていくという方法が採られ、それらが基本法と呼称されることとなった。しかし基本法であっても、特に条文で定められた場合を除き、他の一般法と同様に単純過半数で成立する。クネセトでの採決に参加した議員の過半数で採決されるのである。したがってNSLも、クネセト定数120議席のなかで、賛成62票・反対55票という7票差の単純過半数で成立した。

この票差に示されているように、NSLは国論を二分する論争のなかで採択された。国家が「ユダヤ人性」を強めるということは、非ユダヤ人市民の権利や処遇の問題に直結すると考えられたからである。とりわけパレスチナ系イスラエル市民や彼らとの協調・協働を掲げる左派系政党などは、これまでも事実上「二級市民」として取り扱われることが多かった非ユダヤ人市民への差別が、新たに法規範によって正当化されるとして激しく反発した。

もともとイスラエル国家は、1948年の建国宣言文書に明記されているように、「(ユダヤ人の)民族国家」であると同時に「(すべての国民に平等に開かれた)民主国家」であるという自己規定の上に成立した。当然ながらこの民族原理と民主原理とは、突き詰めれば相互に矛盾し衝突する。歴代の政権は、国家がその出生時から胚胎した二つの構成原理の構造的矛盾に対して、その顕在化を回避すべく如何にして両者の均衡を図るかという課題を背負ってきた。しかし2009年以降10年に及ぶネタニヤフ現政権において、その均衡は徐々に民族原理優位に傾き、NSLの成立によってそのような趨勢はほぼ決定的なものとなった。

パレスチナ占領地の法的地位と入植地規制法

1967年の第三次中東戦争において、イスラエルはヨルダン川西岸とガザ回廊から成るいわゆるパレスチナ占領地を獲得し、その住民を実効支配下に置いた。一方的に併合を宣言したエルサレムを例外として、これら西岸・ガザについてはイスラエル領へ編入することなく、「イスラエルによって管理される領域(Israeli Administered Territories)」と規定して実質的な占領支配を続けた。その最大の理由は、占領地併合によってパレスチナ人住民をイスラエルの直接支配下に組み入れることになれば、建国以来抱えてきた民族原理と民主原理との間の構造的矛盾が一挙に噴出することになると危惧されたからである。すなわち、占領地住民であるパレスチナ人を対等な市民としてイスラエル社会に組み入れれば、イスラエルは人口構成上、ユダヤ人の民族国家ではなく、ユダヤ人とパレスチナ人との二民族国家に変質する。パレスチナ人に対等な市民権を付与せず、参政権その他の人権を制限して国家のユダヤ人性を維持しようとすれば、イスラエルはかつての南アフリカと同様の「アパルトヘイト国家」へと堕し、民主原理は破綻せざるを得ない。国家の民主原理を貫徹し、パレスチナ人に完全な市民権を認めれば、出生率に勝るパレスチナ人はやがてイスラエル社会で人口の多数派を構成し、ユダヤ人は少数派へと転落することが予見された。第三次中東戦争から半世紀以上にわたって続くイスラエルのパレスチナ占領地に対する「併合なき支配」は、こうしたアポリアからの逃亡策であったと考えることができる。

1993年のオスロ合意以降、パレスチナ占領地の都市部を中心に、パレスチナ人の自治政府が組織され、将来的にはこれがイスラエルに隣接するパレスチナ国家へと発展するシナリオ(「二国家解決案」)に期待が寄せられた。しかし周知のように、この和平プロセスは双方の暴力の応酬が激化したことなどから行き詰り、とりわけ現政権の下で完全に頓挫するに至った。和平への展望が立たないまま、占領地でのユダヤ人入植地拡大の動きに拍車が掛かりつつあり、それはユダヤ人国家イスラエルの民族原理を前に押し出すものとなっている。

2017年2月にはユダヤ・サマリア入植地規制法(Judea Samaria Settlement Regularization Law、以下RL)が可決成立し、それまで政府の許可なく建設され、あるいは拡張された西岸地域の入植地を過去に遡及して合法化する措置がとられることとなった。しかし同法については違憲の疑いありとする司法長官の見解に基づき、最高裁判所の審議に付されることとなって、2019年初頭段階ではなお施行されていない。それでも、占領地における入植地建設の合法性をめぐって、このような遡及効果を認める法案が可決されること自体、イスラエル社会での民族原理と民主原理との均衡が前者優位のうちに崩れつつある状況を如実に物語っている。

民主原理と民族原理との衝突

占領支配に対する民主原理の論理は明快であった。「他の民族を占領し強制的に支配する民族は、民主主義的ではありえない」3、したがって、民主原理を貫徹しようとすれば、占領状態が問題の最終的解決に至るまでの暫定的かつ便宜的な過渡期の措置であることを認め、可及的速やかな解決策の模索と追求がなされなければならない、というものである。その解決策とは、現時点では二者択一と考えられる。すなわち、一方に二国家解決案に基づくパレスチナ国家の建設とこれとの共存があり、他方に占領地の併合によるイスラエル領への公式編入(「一国家解決案」)がある。もとより、編入される場合には、パレスチナ人住民にはイスラエル国民として完全な市民権が付与されることとなる。

また、占領が過渡期の暫定的な状態であるならば、パレスチナ占領地に恒久的なユダヤ人入植地を建設し、これを拡張するが如き政策は排除されねばならない。RLはこの観点からは当然ながら全否定される。法の下の平等という民主原理に真っ向から背反し、入植地とそのユダヤ人住民とに特権的地位を認め、しかもその特権はパレスチナ人の所有権や移動の自由といった基本的人権の侵害の上に成立するものだからである。

このような民主原理の主張に対して、民族原理は次のように反論する。パレスチナ人なるものは、詰まるところアラブ民族の一部にほかならず、ユダヤ人と同等の意味での主体的で固有の民族とは認められない。アラブ民族はすでに20を超える主権国家においてその自決権を実現しているのであり、イスラエル建国の経緯が明らかにしているように、パレスチナにおいてはユダヤ人とアラブ民族との自決権要求が競合し、結果的にユダヤ人国家イスラエルのそれが認められた。その際、西岸・ガザにおける自決権の所在は未決のままとなり、オスロ合意によってパレスチナ自治政府が認められたことにしても、それがそのままパレスチナ人の民族自決権の優位を自明の前提とするわけではない。したがって、西岸・ガザにおけるパレスチナ人の民族的権利がユダヤ人のそれより優先されねばならないとの主張には合理的根拠がない。

また、占領状態の長期化は一義的にイスラエルに帰責されるべきではない。二国家解決案はイスラエルが国家の安全を損ないかねないと承知しながら、その危険を受忍してパレスチナ側に手を差し伸べたものである。それにも拘らず、パレスチナ側のイスラエル社会に対する暴力の昂進によって和平プロセスは破綻した。イスラエルとしては自国社会および市民の安全を担保するため、占領地におけるパレスチナ人の権利や自由を必要に応じて制約せざるを得ないのであって、占領そのものが人権侵害を惹き起こしているわけではない。

RLに象徴されるユダヤ人の入植活動の正統性の主張は、イスラエル建国の指導理念となったシオニズムの根幹的価値より発するものである。70年前のイスラエル建国が肯定されるのであれば、現在の入植活動もまたそれと同然の正統性を持つ。RLの内容が法の下の平等に反するという主張は事実の誤認である。適用されるべき法の体系が、入植地のユダヤ人住民と占領地のパレスチナ人住民とでは異なっているのであり、前者にはイスラエルの国内法が、後者にはパレスチナ自治政府の法令が適用されるに過ぎない。イスラエル政府が第一義的に責任を負うべきは占領地であれイスラエル国内であれイスラエル市民に対する法の下の平等であり、その上で入植地居住者が国内のイスラエル市民に比較して著しい不利益・不平等を被らないよう政策的配慮を行うのは当然である。

入植地規制法からユダヤ人国家基本法へ

一見して明らかなように、RLをめぐって展開された民主原理と民族原理との間の論争は、そのままNSLを争点とする国論の両断状況に投影されることとなった。NSLは民主原理にとっては、独立宣言や累次の基本法体系に規定されてきた民主・民族両原理の併存と均衡という従来のイスラエル国家の在り方からのあからさまな逸脱にほかならない。NSLのどこを見ても、民主原理や平等原則への言及はない。NSLは、要するにRLが占領地において企図したユダヤ人の特権階級化を、イスラエル国内において実現しようとする試みであって、民主原理を構造的に民族原理に従属させようとするものである。NSLは非ユダヤ系市民、とりわけアラブ人市民を法規範的に「二級市民化」し、彼らに対する隔離政策を正当化する根拠となる。

これに対して、民族原理はそうした批判に根拠がないことを喧伝する。NSLは単に国家がユダヤ人国家であることを内外に闡明するマニフェストであって、イスラエルがシオニズムというユダヤ人の民族主義を指導理念として建国された事実を述べているに過ぎない。NSLに民主原理や平等原則への言及がないのは、それが基本法の本来の性格だからである。すなわち基本法の累積が将来的な憲法を創出するという前提に立てば、個々の基本法はひとつの体系である憲法の個別条項にあたる。すでに民主原理や平等原則については、他の基本法で定められているため、NSLで言及する必要はない。イスラエルがユダヤ人国家であるという集合的アイデンティティを掲げるからといって、それが市民個人の基本的人権の制約につながらないのは、他の基本法の存在によって担保されているからである。過去のリベラルな民主主義理念の浸透によって、掘り崩されつつあるのは、むしろ民族原理である。民族・民主両原理の併存と均衡というイスラエルの建国理念は、民主原理が民族原理の上位にあることを主張する勢力によって均衡を失いつつある。NSLは、そのような趨勢に対する歯止めであって、均衡を回復する契機となる。

以上のような民主原理と民族原理との軋轢は、結局のところ「民主主義」の概念をどのように解釈するかという問いへと逢着する。イスラエルにおいて多数派であるユダヤ人市民に属さない人々、とりわけイスラエル国家の正統性を否認し、その解体を主張する勢力の自由や権利をどこまで容認するかという論点を孕むからである。国内のアラブ系市民やパレスチナ占領地住民をことさらに国家の安全に対する脅威と捉え、これを厳しく監視し管理するという立場は、容易に差別主義や人権侵害につながり、場合によっては少数派への暴力を惹起する。民主原理はそのような立場を超国家主義的と論難し、かつてヒトラーの第三帝国によって迫害されたユダヤ人であればこそ、そうした陥穽に陥ってはならないと警告する。しかし民主原理を際限なく貫徹して国内・占領地を問わずすべての国民・住民に平等な権利を認めるのであれば、イスラエルは最終的にユダヤ人国家であることを放擲せざるを得ない。イスラエルはホロコーストなどの迫害を逃れたユダヤ人の「避難港」として建設されたという来歴を基盤にしている。その基盤を民主原理によって掘り崩すのであれば、それはもはや民主主義の名に値しない。イスラエルにおいてユダヤ人以外の民族集団に自決権を認めないという政策は決して超国家主義ではない、と民族原理は反駁する。なぜならそれは、建国以前から継続されている二つの民族の闘争の帰結であって、差別主義に起因するものではないからだというのである。

文化闘争への転位

イスラエル国家の根本的性格をめぐるこうした対立を、より先鋭化させつつあるのは、近年強まりつつある政府によるメディアの統制の動きである。ネタニヤフ首相は2019年初頭現在、複数の事件において贈収賄や詐欺、信義則違反ないし背任などの容疑で警察の捜査を受ける対象となっているが、そのいずれもがメディアの操作や統制によって政府に好意的な論調を誘導しようとする企図を背景としている。

言うまでもなく、思想・信条の自由、言論の自由、結社・集会の自由は、民主主義を標榜する社会において決定的な重要性を持つ。とりわけ政府の政策に対する批判は、それが平和的手段においてなされる限り、政府側はこれを受忍しなければならない。現政権下でこれらの基本的自由が実質的に制約され、NSLやRLなど政府や国会が推進する政策を批判する言論が不当に圧迫されているという主張が前景化してきている。民主原理を掲げる市民団体への嫌がらせや、官憲による事実上の言論検閲といった事象が急増していることがその背景にある。

特に注目されるのは、2018年10月にクネセトの最終読会4に上程され、11月に本会議での採決を見送られて棚上げとなった「文化忠誠法案(‟Loyalty in Culture” Bill、以下LCB)である。これは次の5つの要件のいずれかに抵触する文化事業や芸術作品に対して、イスラエル国家が補助金拠出を拒否または停止できるとする法案であった。禁止要件は、①イスラエル国家がユダヤ人国家であり、また民主国家であることを否認するもの、②差別主義・暴力・テロ活動を助長するもの、③敵性国家やテロ組織によるイスラエル国家への武装闘争を支持するもの、④イスラエルの独立記念日を服喪日として忌避するもの、⑤国旗その他の国家的象徴に対して物理的にこれを毀損するもの、という5つである。採決が予定されていた時期に、連立内閣は少数与党への転落の瀬戸際に立たされており、しかも与党内から造反の意思を示す議員が複数出たことから、LCBは取り下げられ、その成立を見ることはなかった。しかし、NSLやRLをめぐる論争のような政治領域における左右両翼の衝突にとどまらず、文化や芸術の領域において、創作と表現の自由を死守しようとする民主原理とユダヤ人国家の統制力を強制しようとする民族原理とが正面から衝突する事態となった点で、LCBはイスラエル国家の分断がこれまでにない新たな局面に入ったことを物語っている。

(2019年3月4日脱稿)

東洋英和女学院大学 池田明史

本文の注
1  イスラエルにおいて、民主主義(democracy)をめぐる議論は建国以来繰り返し論争の焦点であった。「イスラエル独立宣言」(1948年)は、この国が、「宗教、人種、性にかかわりなく、すべての住民に社会的・政治的権利の完全な平等を保障する」と闡明した。だが、イスラエル基本法「人間の尊厳と自由」第8条は「本基本法のもとにおける諸権利は適当な目的のため、または必要を越えない程度に、イスラエル国の諸価値に適合する法律、およびこのような法律の下において発効した規定による例外を除いては侵してはならない」ことを定めており、ユダヤ人国家イスラエルにおける「ユダヤ人」の特権的地位を前提にしているものと解釈される。このような特殊な民主主義の在り方をめぐっては、「植民者国家(colonial state)」、「エスノクラシー(ethnocracy)」、「支配民族民主主義(Herrenvolk democracy)」、あるいは「エスニック民主主義(ethnic democracy)」など、多様な概念が提出されてきている。また、民族主義にしても、ユダヤ人の概念規定そのものをめぐって宗教派と世俗派との間に軋轢があることは、いわゆる「帰還法」のユダヤ人条項論争が凍結・棚上げされている事実によっても明らかである。「イスラエルは民主国家か」という問いへの答えは、詰まるところ民主主義をどのように理解するかによって異なってくる。しかしここでは、それらの論点には立ち入らず、さしあたって一般に流通している民族主義と民主主義との意味内容を以て議論を進める。

2  現ネタニヤフ政権下でイスラエルの「右傾化」が進行してきたことは夙に指摘されているが、ここにきてそうした趨勢がNSLの可決成立という形で一挙に加速された背景には、欧米など国際社会におけるリベラル・デモクラシーの退潮とポピュリズムの台頭という現象が挙げられよう。アメリカのトランプ政権登場や、ヨーロッパ各国での民族主義政党の勢力伸長などの結果、イスラエルの右傾化が相対化され、国家存立の正統性に対する批判が緩和されるという期待が生まれている。しかしその一方で、これら欧米の自国優先主義や民族主義の高揚は、容易に反ユダヤ主義と結びつき、イスラエルにとって新たな脅威になり得るとの指摘もある。

3  このような言説は、1970年代末以降に高揚したイスラエルの各種平和運動、とりわけShalom Achshav (Peace Now)などが常套的スローガンとして掲げたものである。

4  クネセトは立法手続きにおいて三読会制を採用しており、第三回目の読会が最終読会と呼ばれる。法案は、これを通過すれば、本会議において採択に付される。

 
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