Middle East Review
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Middle East in 2019: A Political Overview
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2020 Volume 7 Pages 1-5

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はじめに

2019年春から2020年2月までの中東地域においても様々な政治的出来事があった。その帰結を象徴し、また今後数年間の展開をある意味で暗示しているのが2020年1月3日の米軍によるイランの革命防衛隊コドゥス特殊部隊司令官ガーセム・ソレイマーニーの外交団としてイラク訪問中のバグダード空港での暗殺であり、またその直後のイラン側によるイラク領内の米軍駐屯地への報復爆撃である1

この両国による相互の攻撃があった時点でイラン・米国間の緊張関係は極点に達し、両国の軍事的な衝突すらも視野に入っていたが、1月8日のイラン側の攻撃は米軍の死者を出すには至らず(それでも爆撃の際の衝撃で脳に障害を受けた米兵は100人以上に上っているとの報告がある)米国がこれに対する反撃を控えたことでトランプ政権として当面イランと開戦する意思がないことも明確になっている。

他方でこの攻撃があった1月8日にイラン革命防衛隊がウクライナ民間機を誤射して176名の尊い命を奪ったことは、イラン国内外で政府に対する国民からの厳しい批判を惹起した。8日の時点で米国への軍事攻撃を敢行したイラン軍事当局の極度の緊張がこの誤爆の要因として考えられるが、それがこのような悲劇に直結したという事実はガーセム・ソレイマーニーを喪失した事のイラン側にとっての意味の重大さを物語っているともいえよう。

ともあれこの司令官暗殺の帰結として、米国トランプ政権がイラン側との直接交渉のチャンネルを喪ったことの意味は非常に大きく、またその影響は今後のトランプ政権による中東政策全体に影を落とし続けるであろう事は間違いないように思われる。

シリア情勢で躓くトルコ

恐らくはその最初の事例となるのが2020年1月以降のシリア情勢の混迷化であろう。シリアを巡っては2018年9月にロシアとトルコがイドリブ問題でソチで合意、2019年2月にはソチでロシア・イラン・トルコによる首脳会談が開催されるなど、同国に利害関係を有する3国間での調整がテーブルに上っていたが、これもソレイマーニー司令官の軍事的・戦略的な貢献が大きかった。また同年12月のアスタナ会合ではロシア・イラン・トルコの連名でシリアの主権および領土の保全について声明を行っている。だがソレイマーニー司令官が不在となった現在、異なる利害をもつ複数の外国勢力が平和的な交渉の場を維持することの困難さがいち早く露呈していると見るべきであろう。

トルコは以前からシリア北部イドリブ県の実行支配権を巡ってロシアとの利害が対立していたが、2020年1月に同地域でトルコ兵部隊がロシア・シリア両軍の爆撃により30人余の死者を出したことで両国の関係が悪化(ロシアはトルコ側から同部隊の所在についての事前の通知がなかったと主張)、トルコとシリアは実質的に戦争状態に入っているとの指摘もある2。シリア側の背後にはロシアの存在があり、こうした軍事的な危機的状況を乗り越えるだけの政治的・外交的な選択肢が現在のエルドアン大統領に残されているのかどうか、トルコ外交についても引き続き批判的視点を失うことなく注視を続けていく必要がある。

沈黙するサウジアラビア

イラン・米国関係が軍事的な衝突の危機を孕んだ袋小路に陥っている中で、トランプ政権にとってイランに代わり湾岸地域での政治的主導権を託すものと期待されたサウジアラビアの動きも現状で決して活発ではない。その背景として2018年10月のイスタンブルの領事館内でのジャマール・カショギ氏暗殺事件の真相が未だに明らかでなく、とりわけムハンド・ビン・サルマン皇太子の同事件への関与が不透明であることによる国際的な信頼の失墜が大きい。特に対イラン関係では2019年9月のサウジ・アラムコ石油施設へのドローン攻撃により石油施設そのものが持っている軍事攻撃への脆弱性を再認識する結果となり、いわば「牙を抜かれた」ような状態になっていることも関係していよう3

米国トランプ政権とりわけジャレッド・クシュナー大統領上級顧問との信頼関係を前提にしてきたムハンマド・ビン・サルマン皇太子のサウジ国内での威信は以前のように絶対的なものでなくなっているという指摘があり、またサウジアラビア一国の命運をトランプ政権に全面的に頼ることへのサルマン国王周辺の逡巡も存在すると思われるが、2019年の当初にトランプ政権が思い描いていたイスラエル・サウジアラビアを軸とする「イラン包囲網」の形成はもはや現実性を失っているものと見るべきであろう。

イスラエルのトランプ政権への賭け

イスラエルでは2019年を通じて4期続いたネタニエフ政権の不祥事が明らかになり、2019年4月、9月、2020年3月と僅か1年のうちに3回の総選挙があったが、度重なる国会選挙を通じても結局新たな連立政権の枠組みが見いだされないという閉塞した状況が続いている。直近の3月2日の総選挙ではネタニエフ首相が歴史的勝利を宣言するという「番狂わせ」の結果が伝えられたが4、結局3月の選挙でも政権発足に必要な過半数の連立工作は実らなかった。3月末にはネタニエフ首相に対する公判も予定されている。しかし同氏が度重なる「収賄・詐欺・背任」の容疑をものともせず国民の一定の支持を得て首相の座に留まっている前提には米国トランプ政権の明確な親イスラエル政策があり、それを象徴したのが2020年1月28日の中東和平の「世紀の取り引き」であった。

また上述のソレイマーニー司令官暗殺にはイスラエルの諜報が側面協力しており、その「成功」はシリア領内におけるイラン革命防衛隊および親イラン武装勢力の駐留がイスラエルにとっての安全保障上の脅威として認識されていた状況を変化させる好機として捉えられている。これに対するイスラエル国民の選択として、今回の選挙結果はいわばトランプ政権の米国選挙での再選に賭けるという明確な意思表示をした事になる。他方でこれが米国内のユダヤ人コミュニティ内部での深刻な亀裂・断絶をさらに進行させる懸念もあり、米国大統領選挙の動向とも合わせて今後の展開は予断を許さないものがある。

米国とターリバーンの和平合意調印

2020年2月29日にトランプ政権は18年間という長期に及んだアフガニスタン戦争を終結させ14か月間をかけて駐留米軍の撤退を完了させるべくターリバーン勢力との「和平合意」に調印し、ターリバーン側は今後アシュラフ・ガニー首相が率いるカーブル政権との合意を目指して交渉に入ることになった5

この米軍撤退に向けた交渉は、2018年12月20日に当時のジェームズ・マティス国防長官がトランプ政権の中東政策に強く反対して辞任に至った案件のひとつであり(もうひとつはシリアからの米軍撤退)、トランプ大統領はその直後からザルマイ・ハリールザードを特使に任命してターリバーン側との交渉に当たらせ、2019年8月16日には交渉の進展状況について閣僚及び関係者と同席して報告を受けている。

だがこの「和平合意」がアフガニスタン国内諸勢力の将来的な和平の達成と統一的な政府の樹立に直接つながるものであるのかは依然として不透明であり、現在ターリバーンの主要な資金源になっているケシ栽培と麻薬密貿易を脱却する道筋もまったく見えていない。こうした中で米国の撤兵を最優先させた米国・ターリバーン間の「和平合意」がむしろカーブルのガニー政権の基盤を切り崩し、やがて新たな国内的分裂状態をもたらすことになる危険性は否定できないのである。ただ一つ確かなことは、トランプ大統領がこの「和平合意」達成による米軍撤兵を2020年の大統領選挙において主要な成果の一つとして喧伝するだろうという事である。

中東地域が直面する環境問題・水問題

以上見てきたように、2019年の年初以降現在までの中東主要各国の困難な現状はいずれも安易な状況打開への期待を拒むものである。だがこの地域の政治的・社会的安定にとって見逃すことのできないもう一つの脅威は、近年ますます深刻の度を増している地球規模での気候変動とその中東地域における具体的な現われとしての渇水問題である。

中東における水問題については日本でも最近注目を集めているところであるが、イランから湾岸アラブ各国、シリアからレバント、イスラエル、エジプト、スーダン、マグレブ諸国までといずれの社会にも共通した問題としてかねてからの人口増加と都市化に伴う水不足の問題が近年の気候変動によってますます深刻化していることは言うまでもない。

筆者が西暦2000年以来イランで調査フィールドにしてきたザーヤンデルード川最下流の地方小都市ヴァルザネでは近年頻繁に農業用水の枯渇が問題となり、2018年の夏に訪問した際にはコミュニティ自体の存続が危ぶまれる程であった。2019年は幸い比較的に降雨量があったものの、逆に国内各地で涸れ川に水が溢れて鉄砲水となり、エスファハンなどでは死者の出る騒ぎとなった。イランを含む乾燥地域において水の管理が政治の根幹をなしていることは現在でも変わらない事実である。

またテヘランをはじめとするイラン主要都市の空気汚染問題は以前に増して深刻であるが、空気汚染の要因を正確に把握するための前提となるべき周辺国との情報共有のシステムが欠如している。これは抱えている問題の深刻さにも関わらず、その解決のための政治的条件が全く整っていないことを示している。

日本がこれまで比較的に安定した経済的発展のなかで1960年代以降こうした環境問題(公害問題)への取組みの蓄積を有していること、また近年でも東日本大震災以降は自然災害への取組みの経験を蓄積しつつあることは、環境問題および水問題への真剣な取組みへの必要が差し迫っている中東地域にとって学ぶべき点が多いことを示唆している。とりわけ環境問題における中東各国との基本的な問題意識の共有は急務であり、この点で日本が将来的に果たし得る役割は大きなものがある。

終わりに

この1年間を振り返ってみると、2019年の中東地域を覆っていたのは結局のところ次第に大統領選挙を意識しつつある米国トランプ政権の予測不能な場当たり的政策であり、中東地域からのなりふり構わぬ軍事的な撤退を基調とするその政策がもたらす混乱の収拾に日本を含む域内外の主要国が振り回されたというのが中東をめぐる国際情勢の基調であったと総括する以外にはないように思われる。

この1月31日には英国がEUから正式に離脱し、トランプ政権が体現する一国中心主義に対する対抗軸としてのEUの存在感もその分だけ軽くなったと言わなければならない。今後EUの掲げる理念が将来的にどの程度の普遍性をもって維持されていくかは不透明であるが、その最大の鍵となってくるのが中東地域の政情不安定や気候変動による移民および難民の増大であることは言を俟たない。

2020年11月3日に実施される米国大統領選挙は民主党の候補者を選ぶ予備選挙が既に進行中であり、その最終的な帰趨については予断を許さない。だがトランプ政権のこれまでの自国中心主義的な対中東政策が国際社会に及ぼしてきた波紋は2020年においても引き続き様々な影響を与え続けるであろう。またその背景にあるポピュリズム的な傾向は中東の幾つかの主要国においても強まっており、結果として地域全体としての課題解決への方向性が極めて見通しにくくなっている事も遺憾ながら指摘しなければならない。

(2020年3月9日脱稿)

地域研究センター 鈴木均

本文の注
1  ガーセム・ソレイマーニー暗殺に至る米国・イラン関係史の概観は以下の論説に詳しい。Gilbert Achcar, “Danse du sabre entre l’Iran et les Étas-Unis,” Le Monde diplomatique, Février 2020. またソレイマーニー暗殺を敢行した米トランプ政権の地政学的な意図については以下が検討している。Michael T. Klare, “Briser Téhéran ou contenir Pékin, le dilemma de la Maison Blanche,” Le Monde diplomatique, Février 2020.

2  Semih Idiz, “Idlib and the Collapse of Erdogan’s Foreign Policy,” al-Monitor, Feb. 27, 2020. Jared Malsin, “Turkish Losses Mount in Syria,” The Wall Street Journal, Feb. 28, 2020. “Russia Sends Warships to Syria, Blames Ankara for Killing of 33 Turkish Troops,” Haaretz, March 1, 2020.

3  “Saudi Arabia Oil Output Takes Major Hit after Apparent Drone Attacks Claimed by Yemen Rebels,” Washington Post, Sep. 14, 2019. “Putin Says Saudis Should Buy Russian Missiles, to Laughter from Iran,” New York Times, Sep. 17, 2019.

4  Daniel Estrin, “Israel's Election: What Comes Next As Netanyahu Rises Just Short of a Majority,” NPR, March 3, 2020. Ishaan Tharoor, “As Netanyahu Claims Win, Israel Loses U.S. Democrats,” The Washington Post Newsletter, March 4.

5  Max Boot, “This ‘Peace Deal’ with the Taliban Is Not Really a Peace Deal,” The Washington Post, Feb. 29, 2020. Sarah Dadouch et al, “U.S. Signs Peace Deal with Taliban Agreeing to Full Withdrawal of American Troops from Afghanistan,” The Washington Post, March 1, 2020.

 
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