2020 Volume 7 Pages 29-33
トランプ政権はイスラエル政府に揺らぎのない支援を示してきた。ただ一点、中国のイスラエル経済への増大する影響を除いてはこの限りではない。中国企業はイスラエルの戦略的なインフラに投資してきた。海運から電力、公共交通まで。そして中国企業は最先端技術のスタートアップの株を百万ドル単位で買い上げてきた。イスラエルは世界第二位の規模を持つ中国経済へのアクセスに機会を見出しているが、米国は主要敵である中国が安全保障上の脅威と見ている。1
上記は米国の公共放送ナショナル・パブリック・ラジオ(NPR)の2019年9月11日に放送した特集「イスラエル・米国関係に中国という棘が育ちつつある」の冒頭の一文である。これはこの時点でのイスラエルの対米関係の、重要な一つの側面を表現している。
2019年から2020年にかけて、中東においてグローバルな国際政治の文脈で緊迫性を増したのが、イスラエル・中国関係である。イスラエルは2000年代以降、中国との経済関係を急速に深めてきた。しかしこれが経済関係にとどまらず、安全保障に関わる領域にも及びつつあるという認識が、特に米国内で広まり、イスラエルに対中関係の再考を促す論調が高まり、イスラエルは対応を迫られた。
トランプ政権の1期目を通じて激化した米中対立は、英国や豪州、あるいは日本等の米国の同盟国や、インド等の米との戦略的なパートナーシップを結ぶ各国に、中国との関係の再検討を迫っており、その反応・判断も様々である。イスラエルの場合は、米中対立の核心となる科学技術開発の知的所有権、特にサイバー・セキュリティ技術などの分野において、国際的な先端性や優位性を確保している点に特殊性があり、5Gに代表される米国と中国との対立・緊張に伴って、イスラエルの対中関係が殊更に問題視され政治外交・安全保障上の課題となりかねない事情がある。イスラエルの軍や諜報機関とそれに関連して発展した研究機関や民間企業は、サイバー・テクノロジーを中心にした、安全保障やインテリジェンスに関わる技術的な競争において枢要な意味を持つ先端的な技術を開発・保有していると考えられており、イスラエル・中国関係の発展が、米・イスラエル関係の維持を阻害しかねない地点に近づいているという認識が、2019年−2020年にかけて広範に広まり、議論の的となった。
2019年10月に、イスラエルは米国側からの高まる懸念の声にある程度応える、限定的な対応をしたものの、問題の根は残っており、今後のイスラエル・中国関係の進展次第では、再びイスラエル・米国関係の懸案事項として再浮上する可能性は高い。その兆しは2020年2月時点でも見えている。2020年の後半以降に、この問題に関するより具体的な政治的・外交的な動きが生じて来る可能性があるが、それに備えて、これまでの経緯と現状認識を整理しておこう。本稿では2019−2020年初頭の段階までのイスラエル・中国関係の進展を概観しつつ、それが米・イスラエル関係において問題視される経緯と、表面化した政治・安全保障上の課題についてまとめておく。
イスラエル建国以来の、中国との関係は、「表」と「裏」の二面的関係を抱えたものだった。中国は1947年の国連総会でのパレスチナ分割決議を棄権し、冷戦時代を通じて、表向きはパレスチナ支持の姿勢を保ってきた。イスラエルは中華人民共和国を1950年に承認したものの、イスラエルと中国の国交が樹立されたのは冷戦後の1992年である。
しかし冷戦時代にもイスラエルと中国は、水面下で非公式に戦略的な協力関係を形成していた。特にイスラエルは対中武器輸出を盛んに行い、中国にとってロシアに次ぐ武器供給国とみなされてきた。冷戦後にイスラエル・中国関係が公式化された後に、イスラエルの対中武器輸出は米国CIAによって暴露され2、継続的に批判・警告がなされた3。2000年に中国の早期警戒管制機にイスラエル製レーダーの「ファルコン」を搭載する計画が米国の反対によって潰えた等の摩擦が生じた後、2005年にイスラエルは対中武器輸出を取りやめたとされる。表面的・公的なものとは異なる、水面下での関係を併存させてきたイスラエル・中国関係の二面性・不透明さが、現在のイスラエル・米国関係の中国をめぐる緊張にも影を落としていると言えよう。
イスラエル・中国間で、武器取引への風当たりの強まりと、その最終的な取りやめと並行して加速的に増大していったのが民生部門での貿易や投資である。2000年4月の江沢民国家主席のイスラエル訪問をメルクマールとして、貿易および科学技術開発や教育の分野での協力が進んだ。2013年に国家主席に就任した習近平による「一帯一路」政策の唱導の中で、中東・東地中海地域において地理的・戦略的に重要な地点に位置し、国内政治の安定性と、何よりも先端科学技術の欧米並みかそれ以上の先進性を有するイスラエルに、中国は重点的に進出を進めてきた4。
中国のイスラエルへの経済進出で目立つのは、一方で港湾や鉄道などのインフラ事業の受注であり、他方でイスラエルが得意とするハイテク部門のスタートアップへの投資、また研究開発への関与である5。
イスラエルの主要な港であるハイファ港の25年間に及ぶ運営権を、2015年に上海国際港務集団(SIPG)が獲得しており、20億ドルを投じて埠頭の増設・拡張工事を行なった上で、2021年から運営を開始する見通しである。中国はイスラエル南部のアシュドード港やテルアビブのライトレール網整備計画にも関与しており、イスラエルのインフラ整備事業に深く組み込まれている。
イスラエルにとって、中国企業は公共インフラの建設事業において、相対的に「安く早く」一定の水準の質を満たす実績を有していると共に、外国人労働者を多く導入する外国企業であるがゆえにイスラエルの厳しい労働法制の規制を逃れうることも発注者にとっての利点とされる6。
しかしハイファ港には米海軍第6艦隊が補給のために寄港しており、米側では中国がこれを拠点に軍事機密を収集することへの懸念が持ち上がっているとされる。そして、中国によるイスラエルのサイバー技術をはじめとした先端技術企業への投資、二国間協力関係の構築は、しばしば軍民両用(Dual Use)の技術に関わるものであり、それが中国の軍事力強化につながることだけでなく、中国を通じてイランに再輸出されることも含めて、米側で警戒が高まった。
また、これらの懸案事項が政治・外交問題化するのは、イスラエルが米中貿易戦争の間隙をついて対中貿易や投資の呼び込みで「漁夫の利」を得ている7、すなわち米側からは同盟国イスラエルのいわば「裏切り」に見えるという点があるだろう。
米国の懸念は2018 年には公に口にされることが多くなった。例えば『ハアレツ』(英語・電子版)は2018年9月17日にハイファ港を中国企業が運営するならば米海軍第6艦隊の寄港を取りやめる可能性があるとの報道がなされ8、他紙も追随した9。英『エコノミスト』の2018年10月11日付の報道は、この問題を広く一般に知らせるものとなった10。2018年10月の王岐山国家副主席のイスラエル訪問は、イスラエル・中国の関係強化をより一層印象づけ、米側のより明確な反応を触発するものであったと考えられる。
2019年を通じて、イスラエルのインフラ事業への中国企業の進出が持つ米の安全保障上の脅威と、イスラエル企業の軍民両用技術の対中輸出に関する米国の懸念は、米高官によって表明されるようになった。1月7日にはボルトン安全保障問題大統領補佐官がネタニヤフ首相に中国の対イスラエル・インフラ投資に懸念を表明し、ZTE(中興通訊:中国・深圳市に本社を置く通信設備・通信端末の開発・生産会社)やファーウェイの電子機器の導入について警告を発した11のに始まり、3月21日にはポンペオ国務長官がイスラエル訪問の際に、記者に対して「諜報情報共有を差し止める可能性がある」と述べていたとされる12。3月25日のネタニヤフ首相の訪米とトランプ大統領との会談では、この問題でトランプ大統領が直接警告を発したとされる13。6月には米上院軍事委員会が可決した国防授権法にも、ハイファ港の運営への中国の関与が、米海軍のハイファ寄港に安全保障上の懸念をもたらすという認識が盛り込まれた14。
米有力メディアもこの問題を取り上げ、米・イスラエル関係の潜在的な危機として報じた15。「イスラエルは中国と米国のいずれかをすぐに選ばなければならなくなる」といったセンセーショナルな見出しの報道も米有力メディアによって行われた16。
これらの警告を通じた米側のイスラエルへの具体的な要求は、中国の対イスラエル投資を監視し、適格性を判断する機構の設立であった。これは当初から、米国のCFIUS (Committee on Foreign Investment in the United States: CFIUS)に相当するものとみなされてきた。
米国の政府及びメディアからの批判・懸念の表明は、イスラエルのメディアによって即座に伝えられ増幅され、イスラエル内に議論を巻きおこした。米国の政権及びメディアからの相次ぐ批判・要求に対して、イスラエル側では、米国との安全保障上の関係を損なわず、かつ中国との経済的関係を維持発展させていく、困難な両立を図る道が模索されてきた。
イスラエルの国家安全保障研究所(INSS)で対中関係を研究するオデド・エラン氏は、サイバー技術に関する知的所有権をめぐる競争や、港湾・鉄道など戦略的な重要性を持つインフラを中国が押さえることについて、米側の懸念に一定の根拠を認めつつも、中国のイスラエルへの経済進出に経済合理性を見出し、弁護する。また、中国の港湾運営事業への進出に対する米側の軍事的な脅威認識の高まりについては、ギリシアやスペイン等でも同様に行われているものをイスラエルについてのみ批判することに疑義を呈し、背後に「中国嫌い」の感情があると示唆した17。これは含意として、米側に西欧とイスラエルで不平等な扱いがあるという認識の表明でもあるだろう。
米国の要求する、中国の投資や戦略的インフラへの関与を監視し規制する機構の設立は難航し、2019年の大半を費やした。
米国との外交・安全保障上の関係悪化を恐れる国家安全保障会議や外務省と、中国との経済関係の強化を重視する財務省などに見解の相違があり、7月には、設立される機構の権限が不十分であるとして、閣議決定が寸前で流れたとされる18。8月には対中関係を巡って米との関係の悪化を危惧する外務省の見解も報じられた19。
結局、イスラエル政府は2019年10月30日に、中国を特定せず、形式上はすべての国を対象とした、外国企業によるハイテク分野などへの投資の可否を審査する諮問委員会を設置すると発表した20。諮問委員会は通信、インフラ、運輸、金融、エネルギー分野等の安全保障上の観点から戦略性を持つ分野への外国投資を審査するものであるが、財務省が主導し、国防、外務、国家安全保障委員会等が出席するという折衷的なものである。委員会の権限は審査の上で「助言する」というもので、必ずしも強くない21。この諮問委員会の実効性については今後検証され、再度米側の批判が出て来る可能性もある。12月には、イスラエル・中国間で新たな貿易協定が協議されているという報道もあり、イスラエルの対中接近を米国が問題視する場面は近い将来に生じうる22。
(2020年3月15日脱稿)
東京大学先端科学技術研究センター 池内恵