2019 Volume 2019 Issue 1 Pages 33-37
現在,スマート農業技術の社会実装に向けて,スマート農業技術に対する技術評価研究の要請が高まりつつある.そこで本稿の目的は,水田作経営を対象としてスマート農業技術を中心に,既存研究におけるスマート農業技術の経営的評価手法を俯瞰した上で,今後求められる手法の展開方向を明らかにすることである.そのために本稿では,まず既存の農業技術の経営的評価手法について概観した.その結果,農業技術の経営的評価手法には数理計画法が利用されており,特に線形計画法は計画モデルの定式化が簡便で,操作性が高いために,農業経営の生産構造に影響を与える農業技術の導入効果を定量的に解析するために有用性が高い手法であると整理した.次に,スマート農業技術の経営的評価について,水田作経営におけるロボット農機と多圃場営農管理システムに対する経営的評価の既存研究から,スマート農業技術に対する経営的評価においても,従来の線形計画法の評価に準じた視点で解析することで,手法の拡張によって評価できると整理した.しかし,従来の手法では,とらえられる導入効果にも制約があるため,今後は,その範囲を拡張した手法の構築が必要であることを提示した.
現在,農業・食品分野における「Society 5.0」の実現に向けて,スマート農業に資する研究開発が進展している.内閣府では,戦略的イノベーション創造プログラム(SIP: Crocs-ministerial Strategic Innovation Promotion Program)の中に「次世代農林水産業創造技術」(2014 年度~ 2018年度)を設定し,農林水産業分野のスマート農業技術の研究開発を取り組んできた.特に,この中の水田農業に係わる技術に対しては,営農現場における実証試験が行われ,それを踏まえた水田作経営への効果が検証されている.この流れを加速する方向で,農林水産省では,2019 年度より「スマート農業加速化実施プロジェクト」において,スマート農業技術の営農現場への導入・実証を進める方向である.そこでは,実証経営体に対するスマート農業技術の導入効果の検証が求められており,今後の社会実装に向けて,スマート農業技術に対する技術評価研究の要請が高まりつつある.
そこで本稿では,農業経営研究の視点から技術評価する経営的評価手法を整理しつつ,その手法を用いてスマート農業技術を評価した既存研究を俯瞰するとともに,今後求められる手法の展開方向を明らかにする.しかし,スマート農業の枠内でとらえられる技術は幅広く,それら網羅して経営的評価手法を俯瞰するには限界がある.また,スマート農業技術を対象に経営的評価を試みた既存研究も限られている.そのため本稿では,その分析対象を,トラクタや田植機等のロボット農機の実用化に向けた進展が著しい水田作経営へ限定する.
スマート農業が具体的に実現されたイメージは多様であるため,その実現に資する具体的な技術も多様である.農業情報学会編(2014)から主要な要素技術を列挙すれば,ネットワーク・通信技術,クラウドコンピューティング,精密農法,地理情報システム(GIS: Geographic Information System),リモートセンシング,ビッグデータ,モニタリング,フィールドフェノミクス,スマートグリッド・エネルギー,ロボティックス,感性工学等である.これらの要素技術を組み合わせ,実社会の農業関連活動へ実装できる具体的な技術として昇華したものがスマート農業技術と言える.水田作経営を例に挙げれば,自動走行トラクタ等のロボット農機,遠隔・自動水管理システム,栽培管理支援システム,多圃場営農管理システム等が具体的なスマート農業技術として想定できる.このような個別具体的な技術は,導入される農業経営へ局所的あるいは体系的な影響を及ぼす.そのため,スマート農業技術の経営的評価は,従来からの農業技術の経営的評価に関する研究の延長線上にあると考えられる.
農業技術の経営的評価に関する研究は,農業経営研究分野において試験研究機関を中心に一つの研究領域を形成してきた.そこでは,分析対象とした農業技術の導入が農業経営の生産性や収益性に与える影響を解析し,その経営的効果や導入条件等を明らかにしてきた.このための主な経営的評価手法は数理計画法であり,特に線形計画法が用いられてきた.数理計画法は,任意の詳細な生産構造の把握が可能であり,具体的かつ合理的で定量的な分析結果を導きだせる一方で,特定の分析事例のみでも解析できる利点を持つ(溝田 2012).それに加えて線形計画法は,計画モデルの定式化が簡便であり,操作性が高い特徴を持つ.そのため農業経営の生産構造に影響を与える農業技術の導入効果を定量的に解析するために有用性が高い手法である.
線形計画法を用いた農業技術の経営的評価手法では,農業経営の利益か所得の最大化を経営目標に設定し,その達成が可能となる各技術を導入した農産物の生産量等を解析する.分析対象技術を導入した農産物が生産される否か,生産される場合に経営全体の利益や所得,あるいは生産構造等をどのように変化させるのか等の視点からの考察を行うことで,分析対象技術を評価する.そのため,この手法では,各農業技術の導入による農産物の収支や作業時間等に係わるデータが重要となる.農産物の収支では,それを構成する生産量,価格,変動費および固定費に要素を分割して整理する一方,農産物の作業時間では,作業時期別に整理することが必要となる.
この手法を用いてスマート農業技術を評価する場合でも,基本的には従来の農業技術に対する経営的評価の視点が重要と考える.つまり,農業経営の利益か所得の最大化を経営目標に設定した上で,スマート農業技術の導入による費用と便益の貨幣価値換算(費用対効果)を経営全体の視点から評価することである.そのために分析者は,スマート農業技術の導入にかかる費用,それによって生じる農業生産構造への影響およびそれによってもたらされる便益の 3 者を整理し,線形計画法による計画モデルの定式化を図ることが求められる.
計画モデルの定式化では,前述の農業技術の導入による農産物の収支や作業時間等の整理が重要であることから,3 者の整理でも,それらへの影響関係の視点が必要である.具体的な要素ごとに分割整理すると以下のとおりである.まず,スマート農業技術の導入によって生産量に与える定量的な影響という視点がある.具体的な技術としては,可変施肥機によるスマート追肥システム等が想定できる.なお,この技術の場合には,圃場内窒素量に応じた施肥量のコントロールが主目的であるため,施肥量の削減に伴い変動費への影響も検討することになる.また,品質や規格,あるいは製品歩留まりを高める技術であれば,規格別生産量への定量的な影響や販売価格への定量的な影響という視点からの整理が必要となる.これは圃場のセンシングデータを利用した追肥技術等が想定できる.さらに,ロボット農機に代表される省力化技術による作業時間に与える定量的な影響という視点がある.ただし,省力化技術の評価では,削減時間の質と削減時間の再利用までを考慮しておく必要がある.なぜなら,経営的評価では,常時従事者の労働費は固定費であるため,常時従事者における労働の削減時間が経営全体の費用削減に結びつかいない.そのため,省力化技術に対する追加投資を回収するには,削減時間を他の収益確保に再利用するこが必須となる.以上に加えて,スマート農業技術の導入費用も考慮しておく必要がある.その際,スマート農業技術導入前後の生産構造を体系的に整理しておく必要がある.
以上が農業経営の利益か所得の最大化を経営目標に設定した場合の線形計画法による経営的評価手法の視点である.しかし,スマート農業技術の導入によって生じる影響について,この視点では対応が難しい点も存在する.一つは多圃場営農管理システムのようなスマート農業技術であり,このような技術の導入は経営全般の作業効率等へ影響するものと考えられる.これまで農業技術の経営的評価手法では,生産および販売活動を対象とした解析が中心であり,経営管理活動に対する視点が弱い.スマート農業技術は経営管理活動での利用場面も多く想定できるため,今後は,経営管理活動に資する技術の経営的評価という新たな視点が必要になると言える.また,スマート農業技術に限らず,これまでも労働負荷の軽減(作業の軽労化)や作業環境の改善等の効果については,線形計画法を用いた経営的評価がほとんど行われてこなかった(梅本 2012).もし,スマート農業技術の導入に伴うこれらの効果が,農業経営へ無視できない影響を与えているならば,それらを評価するための手法を検討していく必要があるであろう.その際の対応方向としては,第一に,貨幣価値換算が困難な影響に対して貨幣価値換算を行うための代理変数等の処理によって計画モデルの定式化へ取り込むこと,第二に,経営目標の設定を利益や所得から別の定量的な目標へ変更した計画モデルを構築することが考えられる.
スマート農業技術の導入に対する経営的評価に関する研究は必ずしも多くない.この原因は,経営的評価には技術の現地実証試験に基づいた経営的・技術的データの蓄積が不可欠であるが,これまでスマート農業技術の現地実証試験から経営的評価に利用できる経営的・技術的データを蓄積する機会が少なかったためと思われる.その中で,水田作経営に係わるスマート農業技術の経営的評価に関する研究には,ロボット農機を対象とした研究(松本,梅本 2013,松本 2016)と多圃場営農管理システムを対象とした研究(松本,関野 2017)がある.
まず,ロボット農機を対象とした研究では,対象となるロボット農機の種類,利用する作業,利用方法を整理しておく必要がある.水田作経営を対象とした既存研究(松本,梅本 2013,松本 2016)では,ロボット農機の種類をトラクタ,田植機,コンバインとし,利用する作業は,松本ら(2013)では水稲の代かき,移植,収穫であり,松本(2016)では,それらに加えて水稲と小麦の耕起,水稲乾田直播栽培の播種,小麦の収穫へ利用場面を拡大している.利用方法については,松本ら(2013)では,ロボット農機による作業の安全性や作業精度を考慮し,同一作業内で無人作業と有人作業が発生することで,人間とロボット農機の組作業が必要なことを仮定している.ただし,無人作業に対する監視労働の必要性が考慮されていない.それに対して松本(2016)では,ロボット農機の安全性確保の必要性が高まってきたことを背景として,ロボット農機による無人作業に対する監視労働が必要なことを仮定している.
以上のロボット農機の種類,利用する作業,利用方法を前提とした上で,既存研究では以下の結論を共通的に導いている(表 1).つまり,第一に,ロボット農機の導入は,水田作経営の経営面積を拡大できる効果があることである.ただし,その拡大効果は,ロボット農機で代替できる作業が限定的であること,そのために,それ以外の作業が要因で,十分な拡大効果が発揮されない局面があることを指摘している.第二に,ロボット農機の導入は,ロボット農機に対する投資を考慮しなければ農業所得の拡大も期待できるが,ロボット農機の投資水準がその収益性を評価する際に重要となることである.既存研究ではロボット農機の市販化前の解析であったために,松本ら(2013)では,ロボット農機の投資水準を考慮していない課題が残っていることを言及しているのみである.それに対して松本(2016)では,農業所得等の試算にロボット農機の減価償却費等を考慮していないが,ロボット農機の導入前後の農業所得等を比較し,その差額分をロボット農機に対する追加投資額の許容水準として提示している.
以上の研究から,水田作経営におけるロボット農機に対する経営的評価手法ための基礎的知見を得ることができる.しかし,対象としたロボット農機が研究開発途上であったために,十分な実証データを用いた解析までには至っていないため,さらなる現地実証試験の積み重ねによる実証データの蓄積が必要な点を指摘している.また,十分な面積拡大効果が発揮されない局面があることから,ロボット農機の導入を前提とした生産体系全体の見直しの必要性も指摘している.この点については,今後の現地実証試験を通した研究蓄積が必要であろう.
次に,多圃場営農管理システムを対象とした研究は,このようなシステムが必ずしも生産量,農作業時間,資材投入量,価格等へ直接的な影響を与える技術と整理できないため,ほとんど解析されていない(松本,関野 2017).一方,多圃場営農管理システムは,既にいくつかの企業が市販化している.それらは,GIS 等を利用して圃場を一筆単位で管理し,そこに各種の情報機器等を用いて営農上有益な情報を収集・整理・分析するという点で共通しているが,取り扱う情報の収集・整理・分析の内容に相違がある.そのため.多圃場営農管理システムの経営的評価は,それらを利用する局面を明確にし,その局面に提供可能な情報を整理し,その情報が与える農業経営への影響を特定化する一連の整理が求められる.
松本ら(2017)では,作付計画の局面を想定し,多圃場営農管理システムで収集された情報の活用方策とその活用効果を明らかにしている.具体的には,多圃場営農管理システムでは圃場単位で各種作業の作業時間を収集していることに着目し,圃場条件に応じた作業時間を解析できることを提示している(表 2).これらの作業時間は,線形計画法による作付計画へ利用可能であり,圃場条件を考慮した作付計画によって農業所得の向上が期待できることを提示している(表 3).その一方で,その利用を実用化するには,第一に多圃場営農管理システムで収集する情報の量と質を充実させること,第二に利用に必要な分析結果を出力する機能を強化することを指摘している.
以上の研究では,作付計画という特定の活用場面に限定されているものの,多圃場営農管理システムの導入に対する経営的評価手法の一つの方向性を提示している.しかし,多圃場営農管理システムの導入及び運用に係わる費用を含めた評価までには至っていない.今後,多圃場営農管理システムの導入に対する費用面も含めた評価を実施するには,多圃場営農管理システムの導入効果について,多岐にわたる活用場面を網羅的に整理し,それらを総合的に評価する必要がある.
本稿の目的は,水田作経営を対象としたスマート農業技術を中心として,既存研究におけるスマート農業技術の経営的評価手法を俯瞰した上で,今後求められる手法の展開方向を明らかにすることである.
本稿より,これまで農業技術の経営的評価手法が,数理計画法を中心に行われており,特に線形計画法が農業経営の生産構造に影響を与える農業技術の導入効果を定量的に解析するために有用性が高い手法であると整理した.そのためスマート農業技術に対する経営的評価手法も,基本的には線形計画法に基づく解析が有効と考えられる.これに基づいて,水田作経営では,スマート農業技術のうちロボット農機と多圃場営農管理システムに対する経営的評価が行われていた.ロボット農機に対しては,その導入による農作業時間の削減に焦点があてられ,ロボット農機の省力化効果の側面から導入効果が提示された.また多圃場営農管理システムに対しては,そのシステム内の情報利用の一つとして圃場条件に基づく圃場内作業時間の利用方法を提示することで,そのシステムの導入効果が提示された.
これらの既存研究は,従来の線形計画法を用いた技術の経営的評価手法に対して,ロボット農機では人間の作業と無人による機械の作業を区分する方向で拡張し,多圃場営農管理システムでは水田利用を圃場条件で区分する方向で拡張した手法と言える.しかし,従来の線形計画法による経営的評価手法に対して指摘されていた作業の軽労化,作業環境の改善,経営管理の改善等に対する対応は,課題として残されている.これらの課題については,定量的な計測方法を確立した上で,それを貨幣価値換算する方法や経営的評価の指標設定を検討することが必要であろう.加えて,分析対象とする農業経営の生産構造は,スマート農業技術の進展に伴って,これまでよりも詳細な単位で観測可能となってきた.これに対応して,従来の数理計画法でとらえていた農業生産構造もより細分化してとらえることが期待できる.そのため,より細分化した農業生産構造に対応した経営的評価手法を構築することで,スマート農業技術の導入効果をとらえる範囲を拡張できると考えられる.例えば,農作業を作業工程単位で細分化して整理することで,スマート農業技術による作業工程単位での影響をとられることが可能になると考えられる.また,作付計画を圃場単位で細分化して整理することで,圃場単位での作付作物の優先順位の提示が可能になると考えらえる.これらについては,今後の研究を期待する.