2021 Volume 2021 Issue 8 Pages 55-65
ため池における放射性セシウムの蓄積状況は,行政機関による調査が先行し,水から放射性セシウムが検出されることは少数である一方,場合によっては底質から 8 kBq/kg を大きく越える値が検出されることが報告された.試験的な底質の除染実施や種々の調査研究によって,放射性セシウムは底質の表層に吸着し,細粒分と有機分に多く吸着しやすいことが明らかとなった.2014 年 3 月には環境省が除染にかかる方針を示し,国によってため池の放射性物質対策が進められることとなった.ため池の底質における,ホットスポットや深さ方向の分布を把握することができるプラスチックシンチレーションファイバー(PSF)や貫入型のセンサー等の技術が開発された.継続的な除染の実施により,底質の放射性セシウムの濃度が 8 kBq/kg を越えるため池の数や観測結果の最大値は減少している.
放射性物質対策のうち,農業用ため池について整理する.東京電力福島第一原子力発電所の事故によって放射性物質が環境中に広く放出されたことは,日本ではこれまでに経験したことのない事例であった.このため,2011 年の時点で放射性物質がため池のような閉鎖性水域において,どのように存在し,どのように移動するのか,についての知見は十分でなかった.2011 年以前の報告としては,例えば,チェルノブイリ原発事故後に,「底質の放射性セシウムの再拡散は風による底質の巻上げで生じ,深水域で放射性セシウムの堆積量が増加する(Konitzer et al. 1995),放射性セシウムの土粒子への吸着傾向として,粒径別では細い画分の濃度が高い一方で,10 mm 以上の粗い粒子が土中に占める割合が高く,吸着している総量は細かい画分に匹敵する(Korobova et al. 2007)」などが存在していたが,多くがヨーロッパの事例であり降雨条件や土壌条件が日本とは大きく異なる.また,ため池はかんがい水の補給を目的とした人工的な水域で,コメの生育ステージに応じて取水が実施され,少なくとも 1 年に 1 回は水が入れ替わる.このため,ヨーロッパの湖沼等で得られた知見を日本のため池にそのまま適用するのは難しいと考えられた.そのうえ,福島県内の一部の地域では立ち入りが規制され,調査を行うこと自体が困難であった.
これらのことから,事故直後におけるため池における放射性物質の移動等の知見の蓄積は,環境省,農林水産省といった行政機関による調査報告が先行した.行政機関による福島県内のため池を対象とした網羅的な調査によって,ため池の底質における放射性セシウムの動態等の把握が進んだ.その後,大学や研究機関による調査研究によって,深化や一般化に至った.知見の蓄積によって放射性物質の存在形態や移動の特徴が明らかになると,これに平行して,種々の対策技術が発案された.このような経緯を考慮して,ここでは,ため池の底質における放射性セシウムにかかる知見等について経時的に整理することとする.
なお,放射性セシウムの濃度については,特段の記述がない場合は 134Cs と137Cs の合計値を示すこととする.
ため池の放射性物質対策に係る事項について,図 1 に年表形式で整理する.ここでは,調査や研究や種々の報告が集中的に実施された 2016 年 4 月までの期間を年表形式で整理する.
主な事項の整理にあたって,公表した機関と公表した内容に応じて,次の 4 つに分類する.まず,公表を実施した機関を,行政機関である環境省や文部科学省等による公表(P)と農林水産省による公表(A)と研究機関や大学等に分ける.次いで,研究機関や大学等の発表内容を,ため池の底質における放射性セシウムの実態把握や動態解明にかかる内容(R)と,対策技術にかかる内容(C)に分けることとする.また,放射性物質対策に係る事業制度等について農林水産省のホームページ(農林水産省 2014b)を元に整理し,併記した.
前述のとおり,2012 年と 2013 年は主として行政機関による調査が先行し(例えば,東北農政局 2012a,2012b,2012c;農林水産省農村振興局 2013),ため池における放射性セシウムの蓄積状況の把握に重点が置かれた.2013 年からは,網羅的な調査の実施(農林水産省農村振興局,福島県農林水産部 2014)と,試験的な底質の除染が進められたこと(独立行政法人日本原子力研究開発機構 2013a,2013b)等により,福島県内のため池における放射性物質の蓄積状況とため池内部における放射性セシウムの特徴の両方の視点において,理解が大きく進む.2014 年3 月には復興大臣が視察の際に,住宅や公園の周辺などに存在し,生活圏の空間線量に影響を及ぼしているため池は環境省が除染する等の方針を示し(例えば,環境金融研究機構 2014),同年にマニュアルの追補(環境省 2014)と公表(農林水産省 2014a)が実施されたことで,ため池の底質を対象とした放射性物質対策が本格的に進むこととなった.
以降は,年表で示した各報告について整理する.なお,冒頭のアルファベットと数字は,前述の 4 分類と,その順番を示している.
1. 平成 23 年度(2011 年 4 月~)
震災直後の混乱した時期であったこともあり,報告例は少ない.ため池の水,底質から放射性セシウムが検出され(環境省水・大気環境局 2011),ため池における放射性セシウムの移動等の特徴や福島県内全域における放射性セシウムの蓄積にかかる実態把握の必要性が認識された時期と言える.
1)環境省等による公表
P1:環境省の水・大気環境局(2011)が 9 月下旬から 10 月中旬に実施した公共用水域における放射性物質濃度の計測結果を公表する.13 箇所の農業用ため池のうち,水では2 箇所で放射性セシウムが検出され,最大値が 5 Bq/L,底質では全箇所で検出され,最大値が 11 kBq/kg であった.おそらく,ため池等の水,底質にかかるはじめての公式な調査であり,これによってため池の水に放射性セシウムが含まれる可能性があること,底質には放射性セシウムが蓄積することが報告される.
P2:12 月に環境省(2011)が除染等の措置に係るガイドライン平成 23 年 12 月第 1 版を公表する.ため池にかかる記述は無い.
P3:文部科学省(2012)が調査研究の結果を報告する.調査時期は 2011 年 7 月であり,先の環境省の調査よりも早い時期である.筑波大学を中心とする放射線を専門とする大学や研究機関による調査で,調査対象に 4 箇所の貯水池 1 箇所のダム湖を含む.底質の表層における放射性セシウム濃度が高く,深さ方向の濃度分布は場所によって異なること,また,観測値の最大は 120 kBq/kgであることが報告される.これにより,ため池等の底質には高濃度の放射性セシウムが含まれる可能性が示された.
2. 平成24 年度(2012 年4 月~)
農林水産省と福島県による網羅的な 3 回の調査により(東北農政局 2012a,2012b,2012c),福島県内のため池の底質にかかる知見の蓄積が大きく進む.また,今後の放射性物質対策技術のシーズとなる,基礎的な技術が提案される(例えば,日本原子力研究開発機構 2012).年度末には,ため池を対象とした放射性物質対策が実施される(荻野・金成 2014).
1)農林水産省による公表
A1 ~ A3:農林水産省の東北農政局(2012a,2012b,2012c)が福島県と共同で実施した 3 回の調査結果を報告する.調査は 1 回につき 76 ~ 88 箇所で実施された.一部のため池において水から放射性セシウムが検出され,底質では最大 170 kBq/kg が検出された(A1,A2,A3).これにより,福島県内のため池の全体的な傾向が把握される.なお,いずれも,調査から公表までの期間は 3 週間程度で,試料の前処理に 24 時間のろ乾と粉砕等による均一化の作業を要し,計測に 1 サンプルあたり 20 分強の時間を要することを考慮すると極めて短く,迅速に対応されたことが伺われる.
2)調査研究結果の公表
R1:鳥居(2013)が研究会において,後に調査等の現場で広く使われる 2 つの検出器を紹介する.プラスチックシンチレーションファイバー(PSF)を利用した検出器(p-Scanner)は,検出部の長さを最大 20 m に拡張できる防水のひも状で,ため池等の水域の底に沈めて線状に放射能を計測できる.局所的に放射性セシウムが蓄積した場所(ホットスポット)を効率的に検出可能である.もう一つは検出部にランタンブロマイドを使った防水の計測器(J-subD)で,計測地点 1 箇所の測定であるが,より正確に 134Cs と137Cs を測定できる(鳥居・眞田 2013,眞田ら 2014,佐瀬 2014).
3)除染対策技術の公表
C1:日本原子力研究開発機構(2012)が除染にかかる実証実験の技術を公募し,その選定結果を公表する.ため池の底質を対象としている技術は2 件であり,ポンプ等で底質表層を浚渫した後に凝集沈殿による水処理を行う技術である.このうちバックホウを利用する手法は後にも公表される(宮原 2013,宮原ら 2014).底質の表層に多く放射性セシウムが存在し,粒径の小さな粘土に吸着しやすいことが,いずれにおいても報告されており,表層等の高濃度の底質を選択的に採取できるか,その後の脱水過程をいかに効率的に実施するかの点に工夫がなされている.
3. 平成 25 年度(2013 年 4 月~)
農林水産省が 2012 年の調査研究の結果を総括し(農林水産省農村振興局 2013),ため池の底質における放射性物質の蓄積状況の概要が把握される.対策技術の開発が進み,ため池で実施された結果が報告される(例えば,日本原子力研究開発機構 2013a,2013b).3 月に復興大臣が放射性物質対策にかかる方針を示す(例えば,環境金融研究機構 2014).
1)環境省による公表
P4:根本復興大臣と浜田副大臣が相馬郡飯館村を視察の際に,住宅や公園の周辺などに存在し,生活圏の空間線量に影響を及ぼしているため池は環境省が除染する,営農再開・農業復興の観点から対策が必要なため池は農水省が福島県等と連携して,福島再生加速化交付金により実施することを明らかにする(例えば,環境金融研究機構 2014).これにより,ため池における放射性物質対策が進むことが期待された.
2)農林水産省による公表
A4:農林水産省の農村振興局(2013)が 2012 年の調査結果の他,室内実験結果を加えて中間とりまとめとして報告する.水から放射性セシウムが検出される場合についての分析が加わっており,その主たる要因は懸濁態の放射性セシウムによるもの,底質からの溶出は極めて微量で溶出が与える影響は小さいことを示し,管理上の対策や今後の対応方針を示している.なお,とりまとめにあたり,農研機構の農村工学研究所が協力機関として記載されており,濵田ら(2013)の実験結果が紹介されている.
3)調査研究結果の公表
R2:農業農村工学会の全国大会にてため池の放射性物質にかかる研究成果が 3 件報告される.塩沢ら(2013)は,ため池への放射性セシウムの流入経路を分析し,主たる排出源は森林(山)ではなく,アスファルトや建物で被覆された市街地であることを報告している.残る2件は,講演要旨を拡充し,農業農村工学会の学会誌にて報告している.濵田ら(2013)はため池の底質から水中への放射性セシウムの溶出量を定量化し,溶出に起因する濃度上昇はごく小さいと報告している.吉永ら(2013)は,ため池の底質を粒径別に分画し,底質が巻き上がった場合に,水の放射性セシウム濃度が極端に上昇する可能性は低いと報告している.
4)除染対策技術の公表
C2,C3:日本原子力研究開発機構(2013a,2013b)が平成 24 年度と平成 25 年度の除染技術にかかる報告書を公開し,ため池の除染にかかる 3 つの技術を紹介している.凝集過程で機能性炭を用いる技術(吉井ら 2014),底質の表層を浚渫する際に密閉型グラブを利用し,覆砂を併せた技術,底質採取の過程で細粒分のみを分級除去する技術である.また,PSF が対策技術の効果の確認に利用されており,短時間で放射線量を面的に計測できることの有用性が示されている.
C4:荻野・金成(2014)がため池の底質を対象として実施された放射性物質対策を報告する.採取した底質を分級し,細粒分は凝集して除去し,粗粒分は戻す技術である.施工時期は,2013 年の 3 月頃である(図 2).つまり,事故の約 2 年後には対策事業が現場で実施されたこととなる.ため池の底質における放射性セシウムにかかる特徴の把握から,実際の現場における施工技術の確立まで,約 2 年間の短期間で実施されている.
4.平成26 年度(2014 年4 月~)
環境省の除染等の措置に係るガイドラインに,ダム・ため池にかかる内容が追記される(環境省 2014).農林水産省による調査結果の総括やマニュアルの公開により(例えば,農林水産省 2014a),ため池の底質における放射性セシウムにかかる知見の整理・蓄積が進む.日本学術会議が提言を公表し,ため池の水の農業用水としての安全性,除染に対する考え方を示す(日本学術会議農学委員会土壌科学分科会 2014).
1)環境省による公表
P5:環境省の除染チーム(2014)が,環境回復検討会の報告において,ため池のうち,生活圏に位置し,空間線量率が著しく上昇する可能性がある場合については,除染を実施する方針を示す.3 月の大臣の表明に従った内容である.
P6:環境省(2014)が除染等の措置に係るガイドラインを追補する.この中で,ため池の除染に対する考え方を提示する.「ダム・ため池の底質については,水の遮へい効果があり,生活圏の空間線量率への寄与が小さいことから,基本的に除染は実施しません.(原文のまま)」,としつつ,「住宅や公園など生活圏に存在するため池で,一定期間水が干上がることによって,周辺の空間線量率が著しく上昇する場合には,必要に応じ,生活空間の一部として,除染を実施します.(原文のまま)」としている.
P7:環境省(2015)が平成 26 年度「除染に関する報告書」を公表する.全 353 頁のうち,ため池にかかる内容は 5 頁程度で,空間線量を下げる観点で整理されている.
2)林水産省による公表
A5:農林水産省の農村振興局と福島県の農林水産部(2014)が 2013 年度に約 1,900 箇所のため池を調査した結果を報告する(図 3).新たな知見として,「ため池によって集水域からの流入による変化(増減)が様々である.底質の放射性セシウム濃度に影響を与える因子は,集水域の沈着濃度,底質の有機物量,底質の TC/TN.」が示される.また,初めて避難指示区域内での調査結果が報告され,「水から放射性セシウムが検出されたのは 75 箇所(31%)で,最大 19 Bq/L.うち 36 箇所(48%)で,溶存態の放射性セシウムも検出され,最大 10 Bq/L.水から放射性セシウムが検出されたため池の数等は,年間放射線量見込みが高い区域ほど,増加する傾向.」としている.
A6:農林水産省(2014a)がため池の放射性物質対策技術マニュアル基礎編を公表する.これは,3 種類の対策技術をはじめとして,ため池で実施できる対策手法など,これまでの調査結果や知見について委員会形式で議論し,整理されたものである.なお,農研機構は農村工学研究所の白谷業務推進室長(当時)が委員会メンバーであった他,試験結果の提供等により,技術的な協力を実施した.
3)調査研究結果の公表
R3:日本学術会議農学委員会土壌科学分科会(2014)が提言を報告する.これによると,「水底にある限り,水の遮蔽効果で水面あるいは周辺の空間線量率は低く,生活・健康には支障がない.その水を採取して飲料水にしても安全な基準値(1 Bq/L)以下で,生活用水,農業用水および浄水後に飲料水として利用するのに支障がでることはない.(中略)ため池の除染には地震や洪水等の災害によってため池が崩壊するリスク,底部からの漏出と放流の影響,干上がったとき底泥が乾燥・飛散し周辺を汚染するリスク,および費用対効果を十分検討する必要がある.(原文のまま)」としている.
R4:久保田ら(2015)が,ため池水中の放射性セシウムの継続モニタリング結果を報告する.「ため池への流入水,流出水の放射性セシウムの濃度の変化は懸濁態の放射性セシウム濃度の値で説明できる.」としている.
5. 平成 27 年度(2015 年 4 月~)
ため池の底質における放射性物質対策が進むなかで,対策マニュアルの更新(農林水産省 2016),調査結果の報告(例えば,柵木ら 2015)が実施され,知見の蓄積が進む.また,土壌の深さ別の放射線を測定できる装置が開発される(農研機構 2015).
1)農林水産省による公表
A7:農林水産省の東北農政局(2016)がリスクコミュニケーション資料を公表する.専門知識が無くても理解できるよう整理されている.ため池の役割,放射性物質のコメへの影響,対策等がわかりやすく解説されている.
A8:農林水産省(2016)が放射性物質対策マニュアルを更新して第 2 版を公表する.第 1 版では基礎編と設計・施工編に分かれていたものを統合し,ため池等汚染拡散防止対策実証事業により得られた調査結果や対策にあたっての考え方等の知見が追記されている(図 4).
2)調査研究結果の公表
R5:農業農村工学会誌の特集号において,ため池等に関する3 件の報文が公表される.概要は次のとおり.柵木ら(2015)は 2013 年度と 2014 年度に実施した,ため池の水と底質の調査結果を整理し,避難指示区域外では水の放射性セシウム濃度は 95% で検出下限値以下,底質では約 8 割が 10 kBq/kg 以下等を報告している.野内ら(2015)は,実証事業で行った 17 種類の技術の中から,底泥分級減容化工法,袋詰脱水処理工法等の 4 技術を紹介している.高橋ら(2015)は,浪江町の大柿ダムの放射性セシウムを調査し,底質は 3 ~ 32 kBq/kg,流入水は台風時に 810 Bq/L,水の溶存態は 1 Bq/L 未満,濁水を取水しないような対策や復興支援の取組について報告している.
R6:農研機構(2015)が,土壌の深さ別の放射線を短時間で測定できる装置の開発を公表する.棒状のセンサー部に 20 個の CsI 検出器を搭載することで最大約 50 cm 深さまでの放射能の分布を 2.5 cm ピッチで迅速な測定が可能である.この技術は対策範囲の効率的な特定や,適切な対策手法の選定につながるほか,現地で対策を実施した際の確認にも活用可能である.
6. 平成 28 年度以降(2016 年 4 月~)
ため池の底質を対象とした対策事業が着々と進行していることが要因なのか,放射性セシウムの動態解明にかかる研究報告数は減少する.
福島県がため池の底質における放射性セシウム濃度を継続的に調査しており,ホームページで公開している(福島県 2019).その結果を整理したものを図 5 に示す.放射性物質対策が実施済みのため池は調査対象外になるため,年度ごとに調査箇所数が異なっているものの,対策の実施によって,底質が 8 kBq/kg を越えるため池の数や観測結果の最大値は顕著に減少している.
農研機構農村工学研究所(当時)によって実施されたため池にかかる調査・研究結果について,整理する.
1. ため池の水と底質
ため池の水に放射性セシウムが含まれる可能性について発災直後に関心を集めた.これは,かんがい水に放射性セシウムが含まれる場合,どのような条件でどのくらいの割合が植物体へ移行するか等の知見が十分でなかったことも要因であろう.その一方で,ため池の底質からは,農地等の土壌よりも高い濃度の放射性セシウムが検出されたことから,底質から水への回帰(溶出と巻き上がり)が注目された.
そこで,筆者らは,ため池の底質から水中への放射性セシウムの溶出実験を行った.放射性セシウムの濃度が約 200 kBq/kg と約 15 kBq/kg の未攪乱の底質のコアサンプルを使って溶出量を定量化し,さらに,ため池の回転率と湖水の溶出に起因する放射性セシウム濃度の上昇量の関係を整理した.その結果を図 6 に示す.流入水には放射性セシウムは含まれていない条件とし,底質からの溶出によって貯留水の放射性セシウム濃度が上昇している.この値が変化するのは,ため池の水の入れ替わりのためであり,最も水が入れ替わりにくい期間であっても,放射性セシウム濃度の値は 0.6 Bq/L 以下に留まっている.Suzuki et al.(2015)の報告によると,溶存態の放射性セシウム濃度が 0.1 Bq/L の場合はコメへの移行は無視できる程度であり,0.1 ~ 1.0 Bq/L の濃度であっても土壌中に交換性のカリウムが十分にある場合は放射性セシウムの移行が制限されるとしている.このことを考慮すると,多くのため池において底質からの溶出速度は灌漑利用するうえでは問題ない範囲であると考えられる(濵田ら 2013).
また,ため池底質における放射性セシウム濃度の違いと,巻き上がる可能性を考慮して粒径別の放射性セシウム濃度を調査した.その結果,同一地点であってもサンプルによって濃度差が大きい場合があること,地点内または地点間で Cs 濃度が大きく異なっていた要因として,湖底地形の大きな起伏が要因と考えられること,が明らかとなった.また,底質を粒径別に分画した結果,粘土に相当する粒径の Cs 濃度は分画していない底質の 1.5 倍以下(図 7)で,底質が巻き上がった場合を試算したところ,Cs 濃度が極端に上昇する可能性は低いことがわかった(吉永ら 2013).
また,ひとつのため池において継続的に水中の放射性セシウム濃度の変動傾向が調べられた事例や,ため池への流入水や流出水の放射性セシウム濃度の変動を詳細に調べられた事例が非常に少なかったため,ため池への流入水と灌漑水に含まれる放射性セシウムの継続的なモニタリングを実施した.その結果,ため池への流入水および流出水ともに,溶存態の放射性セシウム濃度は 0.02~ 0.11 Bq/L と低いこと,ため池への流入水,流出水の放射性セシウムの濃度は,夏季に 1 ~ 3 Bq/L とやや高く,10 月以降は 0.2 ~ 1.5 Bq/L と低下する傾向があり,この変化は懸濁態の放射性セシウム濃度の値で説明できること,が明らかとなった(久保田ら 2015).その後も継続した調査・研究を実施し,ため池水中の溶存態の放射性セシウムの動態(久保田ら 2017)やため池水中での放射性セシウムの形態変化(久保田ら 2018)を報告した.
2. ため池の底質の計測手法
ため池の底質に含まれる放射性セシウムは,位置によって値が異なるうえ,深さ方向にも値の隔たりが大きい場合があるため,現地で迅速に計測するセンサーの開発が求められた.そこで,筆者らは土壌の深さ別の放射線を短時間で測定できる装置を開発した.
開発した装置の概要と特徴は次のとおりである.長さ 50 cm の棒状のセンサー部に 20 個の CsI 検出器を搭載し,各検出器の測定結果をソフトウェアで処理することで最大約 50 cm 深さまでの放射能の分布を 2.5 cm ピッチで測定可能である.また,センサーの挿入深を測定する装置を備えている.これにより,例えば,水域で船上から底質を測定する場合において,センサーの底質への挿入長さを測定できる.センサーの挿入深さの測定により,覆砂などにより放射性セシウムを含む土壌が底質の深い位置に存在している場合であっても,深さ方向の分布状態を把握できる.また,感度が高い CsI 検出器を利用しており,放射線測定に要する時間が 3 分,解析に要する時間が 20 秒未満と迅速な測定・解析が可能である.このため,深さ方向を含めた土壌中の放射性セシウムの分布状態の把握が,より効率的に実施できる.この技術は対策を実施する範囲の特定や,適切な対策手法の選定につながるほか,現地で対策を実施した効果の確認にも活用可能である(濵田 2016a,濵田ら 2016b).
これまでに蓄積された知見を簡潔に整理する.
1. ため池周辺での放射性セシウムの動態
・ 放射性セシウムは粘土や有機物に吸着しやすい(宮原 2013,農林水産省 2014a など).
・ ため池への流入水,流出水の放射性セシウム濃度の変化は,懸濁態の放射性セシウム濃度の値で説明可能である(久保田ら 2015).
・ 湖水から放射性セシウムが検出される割合は少なく,検出される場合はほとんどが懸濁態である(農林水産省 2014a).
・ ため池の水位管理(高低)が,ため池表層水中の溶存態放射性セシウムの濃度に影響を与える(久保田ら 2017).
・ 底質の放射性セシウム濃度に影響を与える因子は,集水域の沈着濃度,底質の有機物量,底質の TC/TN があげられる(農林水産省 2014a).
・ ため池の底質と近傍地表面の沈着量は箇所によって違いが大きく,ため池によって変化(増減)が様々である(農林水産省 2014a).
・ 底質の放射性セシウム濃度は表層が高く,深いほど低下する傾向がある(文科省 2012 等多数).
・ ため池において,底質からの溶出による放射性セシウム濃度への寄与は小さく,仮に影響があるとしても濃度,期間いずれも限定的である(濵田ら 2013).
・ ため池底質からの溶存態放射性セシウムの溶出は水温が上昇する時期に生じるため,有機物分解など温度に依存するメカニズムの関与が示唆される(久保田ら 2017).
・ 底質に放射性物質が蓄積することにより,池底の土砂除去などの作業が実施できず,管理作業に負担や支障が生じた(農林水産省 2014a).
2. ため池の底質の計測手法
・ 面的な分布を把握する目的に適した PSF(p-Scanner)が開発される(眞田ら 2014).
・ 底質等の深さ方向の分布を計測できる検出器が開発される(濵田ら 2016).
3. ため池の底質の放射性物質対策
・ ため池の水を農業用水として利用するうえで支障はない,対策に際しては底質中の放射性セシウムが拡散するリスクと費用対効果を検討する必要がある(日本学術会議 2014).
・ 放射性セシウム濃度の高い表層を効率よく採取し,また,粘土等の細粒分を選択的に採取できると効率が良い(日本原子力研究開発機構 2012,2013a,2013b).
・ 底質の採取方法(ポンプ,重機),吸着剤(炭,プルシアンブルー),脱水方法(遠心分離,透水性の袋)等が提案されており,現場での対策はこれらの要素技術を組み合わせて実施されている.
・ 福島県内のため池においては放射性物質対策が進行し,改善されている.
農業は地域の産業や地域社会の基盤であり,農業用ため池は水田農業を支える基盤である.東京電力福島第一原子力発電所の事故によって放射性セシウムが放出されたことにより,農業活動に支障が生じた.しかし,行政機関による網羅的な調査やマニュアル等の整備,大学や研究機関等による調査研究や実験による現象解明及び民間企業による対策技術の開発と実用化,が極めて迅速かつ同時に進んだことにより,短期間で非常に多くの知見が蓄積された.また,その後の対策事業をはじめとした種々の取り組みの結果,福島県内のため池底質の放射性物質濃度は確実に低下している.今回の報告により,ため池における放射性セシウムの知見が整理され,ため池における放射性セシウム対策に少しでも貢献できることを願うところである.
すべての著者は開示すべき利益相反はない.