Japan Pension Review
Online ISSN : 2189-969X
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Hidekazu Nagamori
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2024 Volume 25 Pages 25-

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Abstract

個人投資家の世界において近年、資産運用の在り方に関し本人以外の第三者が介入・誘導するパターナリズムが広がっている。金融庁は2024年、少額投資非課税制度(NISA)を大幅に変更、制度の恒久化と投資限度額の引き上げに踏み切る一方、運用対象商品についてその手法や分配などの設計面から多様な規制を定めている。一連の対応は議論を呼びながらも安定的な証券投資を促すものとして前向きに受け入れられており、同じく税の優遇措置を伴った制度である確定拠出年金(DC)についても、類似した改革論議が高まる可能性がある。 とはいえ、DC法の目的規定である第1条では、個人が自己責任において運用の指図を行うとしたうえで、自主的な努力を支援すると明記している。こうした制度の基本設計に立てば、個人の運用に対する介入・誘導という行為には慎重さやバランス感覚が問われてくる。 企業型DCでは、例えば加入者自らが運用の指図を行わない場合、株式を含むリスク性商品へ自動的に掛け金投入するよう国が強く方向づける案が燻り続けている。仮に、こうした自動化の仕組みを導入するとすれば、DC法が掲げる自己責任に基づく自己決定のあり方にも係るだけに、運営上の指針も新たに求められよう。一方で、企業型DCの継続的な論点といえる、個人の自主的な努力に向けた支援をいかに実効性の伴った形で実現し得るか。専門機関である運営管理機関の機能改善を軸に、各事業主はガバナンスを構築することが肝要であるが、運営の実態面から複数の課題も指摘されており、民間における任意の活動に委ねるだけではなく、国によるチェックやコントロールの機能も働かせる必要があるだろう。

WEB Journal『年金研究』No. 25

自己責任とパターナリズムから見た

企業型DCの運用政策課題

永森 秀和

R&I「ファンド情報」編集長(前「年金情報」編集長)

【 記 事 情 報 】

掲載誌:年金研究  No.25 pp. 25-44 ISSN 2189-969X

オンライン掲載日:2024年11月19日

掲載ホームページ: https://www.nensoken.or.jp/publication/nenkinkenkyu/

論文受理日:2024年6月13日 論文採択日:2024年11月5日

DOI:https://doi.org/10.20739/nenkinkenkyu.25.0_25

要旨

個人投資家の世界において近年、資産運用の在り方に関し本人以外の第三者が介入・誘導するパターナリズムが広がっている。金融庁は2024年、少額投資非課税制度(NISA)を大幅に変更、制度の恒久化と投資限度額の引き上げに踏み切る一方、運用対象商品についてその手法や分配などの設計面から多様な規制を定めている。一連の対応は議論を呼びながらも安定的な証券投資を促すものとして前向きに受け入れられており、同じく税の優遇措置を伴った制度である確定拠出年金(DC)についても、類似した改革論議が高まる可能性がある。

とはいえ、DC法の目的規定である第1条では、個人が自己責任において運用の指図を行うとしたうえで、自主的な努力を支援すると明記している。こうした制度の基本設計に立てば、個人の運用に対する介入・誘導という行為には慎重さやバランス感覚が問われてくる。

企業型DCでは、例えば加入者自らが運用の指図を行わない場合、株式を含むリスク性商品へ自動的に掛け金投入するよう国が強く方向づける案が燻り続けている。仮に、こうした自動化の仕組みを導入するとすれば、DC法が掲げる自己責任に基づく自己決定のあり方にも係るだけに、運営上の指針も新たに求められよう。一方で、企業型DCの継続的な論点といえる、個人の自主的な努力に向けた支援をいかに実効性の伴った形で実現し得るか。専門機関である運営管理機関の機能改善を軸に、各事業主はガバナンスを構築することが肝要であるが、運営の実態面から複数の課題も指摘されており、民間における任意の活動に委ねるだけではなく、国によるチェックやコントロールの機能も働かせる必要があるだろう。

1 序章

1.1 問題意識と論文構成1

企業型DCの政策を巡る議論、中でも加入者個人の運用に対する介入・誘導というパターナリスティックな対応については従来、運用の実態、行動経済学上の問題意識を土台に置くことが多い。制度の理念や目的、運営主体の役割など、法律を含めた制度論が少なからず不足しているように思われる。

運用において当たり前のように語られてきた自己責任は、運用の結果としての損得を個人が引き受けることに限定された概念ではない。通常は個人投資家自身の判断、選択という自己決定、つまり運用のプロセスの裏返しとしても存在する。仮に、国による介入・誘導の行為が大きく広がれば、主体的な活動をいわば前提として自己責任をうたう法制の趣旨、その在り方が問われるだろう。自己責任を規定した法律と現実の運営との関係をどう捉えたらいいのか、また現行制度の枠組みの中で運用の改善に向けた体制をどのように構築することができるのだろうか。

本論文の構成は以下の通りとする。

最初に、企業年金制度の性格を歴史的に検証し、その2面性を示す。退職金を根源とすることから労使間の自治をベースとしつつも、公的年金に対する上乗せ、補完の役割から、国との関わりが規制等を通じて存在し、近年では積極的かつ誘導的な関与を受けている。

第2章では、企業年金の核として浸透しつつある企業型DCの運用において、こうしたパターナリスティックな対応が典型的に現れていることを国の政策ごとに明示する。投資教育を努力義務化する一方で、運用商品について、加入者に提供する本数に上限を定めること、並びに運用商品を自ら選択しない場合に加入者の掛け金を特定の運用商品に投じる仕組みである。こうした運用政策の主眼は、加入者における運用商品の選択を容易にし、かつリスク回避的な商品選択を減らし、加入者の期待収益率を総じて引き上げることにある。厚生労働省は加入者自身の主体性を意識しつつも、パタ-ナリスティックな介入行為に踏み切ったことを同省の法解釈から説明する。

第3章では、パターナリズムの歴史的変遷を自己責任と自己決定の関係から捉えたうえで、現行制度の法的な立ち位置を改めて確認し、その問題意識を示す。一方で、制度運営の実態面として、加入者向けの投資教育のほか、運用商品の選定・提供の役割を担う日本独自2の専門組織である運営管理機関が、必ずしも十分に機能していない点を明らかにする。その背景として、運営管理機関を活用する側にある事業主の制度改善に向けたインセンティブの低さ、また国のチェック機能の不完全さなど構造的な問題点も指摘し、国と事業主、運営管理機関によるDCガバナンスの在り方を検討する。

なお、本論文の意見に係る部分は筆者の個人的見解に基づく。

1.2 企業年金の歴史的2面性

 企業型DCの運用政策に踏み込む前に、同制度に代表される企業年金の成り立ちを確認しておきたい。企業年金は通常、退職金を原資としており、その退職金の歴史でもある3。退職金が現在に比較的近い形で登場したのは明治以降で、急速な近代化が引き起こした労働力不足への対応策として、大企業の間で退職時に一時金を支給することを条件に長期の雇用契約を締結する慣行が一般化した。高度経済成長期に入ると、退職金のみならず、これを原資とした年金の支払いも増えていった。

 退職金については1950年代から労使の間で性格論争が起きている。当時の事業主は①功労報償という考えを主張する一方、労働組合の側は当初②後払い賃金説を、後になって③生活保障説を訴えた。退職金を起源とする企業年金においても同様の対立の構造で、厚労省が事務局を務めた公式の会議においても議論が続く。2007年7月に厚労省の企業年金研究会がまとめた「企業年金制度の施行状況の検証結果」によれば、企業年金の近年の動向、諸外国の動向及び企業年金の性質・役割を考慮した場合、今後の企業年金制度の方向性としては、大きく分けて、次の2つの見方が考えられるとした。

1つは、労使合意を基本とした自由な制度としての捉え方である。事業主及び従業員の実態及びニーズにより即した制度とすることが可能となる一方、従業員の老後の所得保障機能が低下するおそれもある。

もう1つは、公的年金との関係を重視した、従業員の老後の所得保障機能に力点を置いた制度の立ち位置である。給付水準の目標の設定、終身年金の原則化が具体例として挙げられ、介入・誘導行為の入り込む余地が広がる。

上記研究会の報告書は当時の結論として、「企業年金の今後の方向として、さらにどのような方向を目指すべきかについて、関係者間でコンセンサスがある状況にはない。」としている。こうした企業年金をめぐる性格論争は足元においてもなお、識者、関係者の間で決着を見ていない。企業年金は私的な制度ゆえの自由と国による介入・誘導というパターナリズムの2方向のベクトル上に置かれている。

2 介入・誘導の運用政策

2.1 国と企業型DCの関係

実態として見ると、企業年金は労使の合意に基づく運営を進めつつも、設計から運営の全般に至るまで多様な形で国との関係性を保ち、上述した企業年金の2つの側面を併せ持つ。笠木・嵩・中野・渡邊(2018)は、後者の側面について「具体的には、一定の要件を満たした企業年金への税制優遇措置や、企業年金制度の設立・変更への統制などである。こうした国家の介入の目的は、給付水準が必ずしも十分でない公的年金を私的年金制度の促進により補完することで、間接的により充実した所得保障を実現することにある」としている。

事業主側が将来の給付水準を約束する伝統的制度と異なり、自己責任原則に基づいた新制度として2001年に誕生したDCも例外ではない。企業型は、主に事業主が掛け金を支払うのは従来通りだが、加入者個人が自身の判断で株式市場等に当該掛け金を投入し、その結果得られる運用収益を加えて自らの年金資金とすることを目指した制度である。DC法では目的規定である第1条において、「この法律は、少子高齢化の進展、高齢期の生活の多様化等の社会経済情勢の変化にかんがみ、個人又は事業主が拠出した資金を個人が自己の責任において運用の指図を行い、高齢期においてその結果に基づいた給付を受けることができるようにするため、確定拠出年金について必要な事項を定め、国民の高齢期における所得の確保に係る自主的な努力を支援し、もって公的年金の給付と相まって国民の生活の安定と福祉の向上に寄与することを目的とする。」と規定する4

労使の(合意に基づく)資金拠出、個人の運用指図、その責任を強調する一方で、国が各種規制等を定め個人の活動に立ち入ることを制度の仕組みとして組み込んでいる。上記「自主的な努力を支援」する行為は、事業主らを通じた国側のパターナリスティックな対応の一環といえる。制度発足以降の改正を経て見直され、直近では2016年のDC法改正でその傾向が強まった。国は企業型DC運用の何をどう定めたのか。加入者個人の運用を後押しする意図を持った主要な政策について、以下で述べる5

2.2.1 義務のレベルが上がった投資教育

わが国の企業型DC加入者に対する支援は制度発足以来存在し、とりわけ投資教育において強調されてきた経緯がある。事業主が同制度を導入する場合、運用を担う加入者に対し、商品ラインアップとして提供する運用商品群の内容説明を実施するのは欠かすことのできない当然の義務(DC法24条)として、さらに運用手法を含めた包括的な投資教育6を実施するよう努めることとしてきた。

当初、当該教育は制度の導入時だけではなく、制度導入後も実施できるよう「配慮」するとDC法に規定していたが、投資教育は2016年の法改正の議論当時、制度の導入時にほぼすべてで実施されているものの、制度導入後も継続して実施する割合は約6割にとどまっていた。このため同年の改正(DC法第22条)では、事業主は制度導入後も、投資教育を継続して実施する「努力」義務を明示した。

投資教育は、同じく個人向けの税優遇制度であるNISAでも求められるところではあるが、企業型DCの場合、その必要性は増す。NISAは基本的に、投資に関心を持った個人が金融機関に所定の手続を自ら済ませたうえで資金を手当てし個別の株式や投資信託を購入する。金融機関の勧誘を受けてNISA口座を開く例もあるが、個人が主体的に動かない限り投資が進むことはない。逆に、企業型DCは加入者個人に当事者意識が芽生えにくい。自身が新卒や中途で入社するケースを想像してほしい。制度はすでに存在しており、入社と同時にいわば機械的に加入する。掛け金は事業主が主に拠出する。後は、運用対象商品を選べば、晴れて投資家として市場にデビューするが、事はスンナリとは進まない。制度内容はもちろん、運用の意義や仕組みをわかりやすく説明し、納得させ、動いてもらうよう仕向けなければならない。制度や運用に興味を持たず、後ろ向きな無関心層も少なくない。投資教育という支援はそれでも問われ、制度を運営する側にとっては重荷になりやすい。

2.2.2 運用商品の上限と行動経済学

一方で、投資教育を施すだけでは、加入者へのサポートは不十分との認識は識者だけではなく厚労省でも強い。以下に説明する運用政策は加入者の運用自体により多くの影響を与える意図がある。

その要点を説明する前に、加入者が実際に投資を始めようとする場合にどんな手順を踏むかをまず確認したい。制度を提供する事業主側(一般的には事業主が委託した運営管理機関)が事前に選び出した、一定数の商品ラインアップの中から、加入者がそれぞれの判断で個別の商品、投入する金額を決めることになる。掛け金の配分を決めて独自の資産構成、すなわちポートフォリオを組む。

運用商品は大きく分けて2つの種類が存在する。1つは元本確保型商品で、通常は元本が保証され損失が発生しない。例えば、預金保険制度等の対象となる預貯金や保険商品である。制度発足時に元本確保型商品の提示を義務づけていたが、これは当時、個人金融資産の半分以上が預貯金等の安全性資産で運用されていた状況を踏まえたものである。もう1つは、リスク商品である。株式の投資信託が代表格で、元本割れの危険性を伴うが、半面、高い収益、リターンも期待できる。

制度を運営する側は従来、運用商品を選択する加入者に対し、預金などの元本確保型商品を含めて3つ以上の運用商品を提示することを求められた。2016年法改正では、これを改め、分散投資の促進の視点から、3つ以上政令で定める数以下で、リスク・リターンの特性が類似していないといった基準に従って提示することとし、加入者に元本確保型商品を提供することを不要とした。

提示する運用商品の数に関しては多すぎると加入者は選択が難しくなるという関係者の指摘があることを踏まえ、商品数に初めて上限を設け、全体に規制を強化した。商品数が減れば、当然ながら自由な選択の幅も限られてしまう。しかし投資経験が乏しい加入者であっても、よりスムーズに運用商品を選択しポートフォリオを構築できるように、行動経済学上の観点から、国が条件整備を図った格好である7

2.2.3 指定運用方法(デフォルト)における誘導

上記一連の見直しを進めたとしても、運用商品を選択しない(または選択という判断ができない)ケースも想定される。従来、加入者が商品を選択しない場合には、事業主側があらかじめ定めた特定の運用商品に掛け金を半ば強制的、すなわち自動的に投入すること(指定運用方法=デフォルト)8を厚労省は容認し、事業主がこうした仕組みを取り入れてきた。2016年の改正では、この規定を法律において初めて整えた。

加えて、選定するデフォルト商品は、「長期的な観点から、物価その他の経済事情の変動により生ずる損失に備え、収益の確保を図るためのものとして厚生労働省令9で定める基準に適合するものでなければならない。」(DC法第23条の2)とした。手続き面においては、加入者が運用指図に踏み切らかなった場合に、デフォルトでの運用が行われるまでの事業主側の対応(3カ月以上で定める期間を経過した時点で通知し、その後2週間以上で定める猶予期間を経ても選定されない場合に適用)を定め、こうした過程を経れば、法的には、運用の指図(運用商品の選択)をしたものと見做した。

具体的な文言で法規定しているわけではないため、これらは厳格な規制とは表現しづらい。ただし、物価高にも連動しやすい株式を組み込んだ投信がデフォルト商品として浸透するよう、枠をはめて誘導したといえよう。

2.3 厚労省の法解釈

DCは制度発足以来、導入件数と加入者を増やしてきたが、厚労省の思惑通りに事が運んだわけでは必ずしもない。運用に関しては、2016年当時は多くが預金や保険といった元本確保に比重を置く無難な貯蓄志向が鮮明で、予定された年金資産の獲得が危ぶまれる状況だった。加入者の相当数は個人投資家としての当事者意識が乏しく、自らの運用に困難も感じていたとされる。上記の2016年に見直した規定は苦肉の策ながら、DC制度の運営実態に則した処方箋でもある。

とはいえ、厚労省はDCについて、加入者の運用を支えるパターナリスティックな対応を推し進めながらも、自己責任という制度の建付け、並びに私的年金の任意性(労使の合意に基づく主体的な制度導入・運営)を崩していない。

厚労省は2016年改正等(具体的には運用対象商品数の制限やデフォルト設定を指す)に関してどのように自己評価を下しているのか。当時の企業年金・個人年金課長である青山(2017b)の認識を、順を追って確認したい。

まず、DC法の第1条に関連し、「加入者自身による運用商品の選択と運用は制度の根幹であり、そのために、加入者の『運用指図権』を保護し、主体的な商品選択を促すための各種の措置を法制度上設けている。」「他方で、すべての人には自身による主体的な運用がなされていない現実が厳然としてあることから、指定運用方法(デフォルト)を正式に位置づけつつ、加入者自身による運用という法の本旨を損なわないよう、入念な手続を定めた。」などとした。

デフォルトという制度による半強制的な運用商品の選択について、加入者自身による運用と解釈できるように入念な手続きを施したとのことだが、その詳細、理由付けは明らかではない。パターナリズムの匙加減を巡っては、冒頭で述べた企業年金の性格、つまり民間の自治に配慮した面がある。青山は以下のように続ける。

「確定拠出年金は任意の私的な年金であり、法令で定めた枠組みの中で、労使や運営管理機関等の判断で運営、利用されるものである。このため、どこまで法令で規制するか、どこから当事者の自主性に委ねるかという問題は常に生じる。今回の法改正事項を見渡すと、運用商品提供数の上限などは、・・・行動経済学の知見も用い、パターナリスティックに法が介入するものとも説明されることもある。10

 

3 自己責任の運用行為と自主的な努力の支援

3.1 分離されるパターナリズム

ここで、介入・誘導というパターナリズムについて、その概念を整理しておきたい11。自己責任の前提と一般に見なされる個人の主体性、つまり自己決定と相反しかねないため、とりわけ米国ではパターナリズムを避けるべき行為として否定的に論じられてきた。しかし近年、行動経済学はもちろん、「法と人間行動学」、「法と認知心理学」といった学際的研究成果の立場から、パターナリズムのすべてを否定すべきものではないとする主張が強い説得力を持つ。

法と経済学のかつての研究が前提としていた合理的経済人のモデルは人間行動の研究成果に反していたのであり、その現実的成果を取り入れるべきであるとする。「ソフトパターナリズム」(もしくはリバタリアン・パターナリズム)と識者の間で表現される。その捉え方は一様ではないが、判断力が乏しい人を対象としたり、選択肢を多少なりとも残すといった点で個人から自由を完全に奪わないといった対応から倫理上の問題は限られるという12。「ハードパターナリズム」、要はそうした配慮を欠いた一方的なパターナリズムとは、切り離される傾向にある。

 ただし、パターナリズムを良し悪しで分け、ソフトパターナリズムの側を許容するとした場合、実際に誰に、何を、どこまでとするか、その境界線は定まらず、関連する論議は欧米などで続いている13。日本のDC改革は図らずも、そうした検討途上のテーマと符合する。先述の根源的な企業年金の性格から、国の介入・誘導を許容しつつ、事業主側の主体性、そして個人の自己責任を法的にうたってきた経緯とも重なり、事態はいささか複雑である。

3.2 目的規定の概念整理と具体化

こうしたパターナリズムの歴史的変遷、自己責任と自己決定の関係を踏まえ、加入者個人が責任を負うDC法の建付けと主要な運用政策について再検討したい。目的規定である1条には「個人又は事業主が拠出した資金を個人が自己の責任において運用の指図を行い」と記されているが、介入・誘導の主要な柱である運用商品の上限設定とデフォルトの仕組みはどのように評価できるのか。

前者の運用商品の上限については、政令で35本14と定めている。運用商品の本数について制限を設けない方法論15も考えられるが、この上限は2016年当時の企業型DCにおける平均提供本数の18.4本を大幅に超えている。運用商品の選択肢はもちろん、加入者個人による運用の指図という自己決定を進めるうえで障害となるケースは実際には限られるだろう。

後者のデフォルトの仕組みはどうか。厚労省は個人による運用の指図と見做しており、DC法第25条2項では運用の指図に当たる行為としてデフォルトを含めている。とはいえ、当該行為は実態として、個人による運用の指図という自己決定とは少なからず隔たりがある。デフォルトの仕組み自体は海外主要国でも存在するが、日本のDCでは自己責任とこれに基づく運用の指図を根拠法の目的規定にあえて記しており16、当該法規定との関係性が問われる。

デフォルトについては従来、見直しを求める声は金融業界などで根強く、次期年金改革の案としても浮上している。デフォルトの仕組みを義務化する17とともに、対象商品から元本確保型商品を除外、採用を禁止すること18などである。一連の案は現行制度と異なりリスクテークに向け縛りをかけるものだけに、実現させる場合にはデフォルトに関する新たな指針も求められるだろう。例えば、対象商品の具体像、リスク水準や商品群をどう考えるか。米国DCでは商品設計の条件を示しているが、こうした対応は個別制度における運用の選択、自由度も左右する。一方で、加入者への周知をいかに徹底するか。少なくともデフォルトに関する個人の理解と事前了解が欠かせない。加入者側への情報提供は現状でも規定されているが、デフォルトを通じた運用が自己決定に基づく行為であることを担保すべく、個人への丁寧なフォローと確認作業が課題になると考えられる。

もちろん、運用の指図という自己決定の論点については、これに拘らず、自己責任の対象行為を拡大解釈できるよう法的に規定し直すことも理論上可能である。瀧川(2001)は、自己責任と自己決定の関係は極めて密接であるものの、中にはこの関係が断絶し、自己決定を下さない自己責任もあり得るとしている。ただし、DCにおいて、そうした(自己決定を必ずしも要しない)法制とする結果として、国や事業主による介入・誘導というパターナリスティックな対応が広く容認されれば、個人は従来通り自己責任を負う半面、自主的な活動が後退するという新たな展開も想定される。DC法1条における「自主的な努力を支援し」に相当する部分である。法の目的規定等については制度の理念・ビジョンにも大きく関わるだけに、その扱いには相応の慎重さが必要だろう。

3.3 運営管理機関の実効性

以下では、前項の論点の中で登場した、自主的な努力を支援する行為の在り方について検討を進めたい。厚労省は制度発足時、実効性の伴った支援に向けた仕組みづくりに努めた経緯がある。モデルとした米国401kにおいてさえ、義務規定が存在せず十分に浸透していたとはいいがたい投資教育について、DC法誕生の際に「配慮」という条件付きながら当該義務規定を設けた19。さらに、こうした投資教育とともに、運用商品の選定・提供に係る専門機関として運営管理機関を法的に位置付けている。

加入者の自主的努力を支援する実質的な役割を運営管理機関に期待した形だが、現状は果たしてどうだろうか。金融庁が資産運用業高度化プログレスレポートで、DC運用の問題点として運営管理機関を取り上げている。2022年の報告は①一物多価②DC専用商商品のアルファ(市場ベンチマークに対する超過リターン)の低さ、2023年の報告では③採用商品の系列色――などに大別される。

  1.    に関する具体的な指摘内容はこうである。

DC専用のインデックスファンドにおいて、一物多価が続いている(図表1)。加入者の資産形成を阻害しかねないこうした状況を改善するためには、資産運用会社による自発的な信託報酬の見直しのほかに、運営管理機関や事業主がDCの組入れファンドの選別を強化することが望まれる。運営管理機関は事業主や加入者に対し、現状のDCの商品ラインアップとその他のよりコスト効率の優れた商品との差異について積極的な情報提供や投資教育の支援を進める必要がある。

  1. 2.   では運用の本質といえるパフォーマンスの問題を以下のように指摘している。

国内アクティブファンドでは、アルファが芳しくないグループほどDC専用のファンドが多く見られる。運営管理機関は上記の一物多価の問題と同様に、アクティブファンドのパフォーマンスの相対評価の情報を事業主に積極的に提供し、事業主側による商品選別を支援する姿勢が求められる。

 さらに③では、DCにおけるガバナンス上の歪みを炙り出している。

運営管理機関が扱う投資信託の商品群のうち、運営管理機関系列の資産運用会社の投資信託の割合は1割~4割弱だが、事業主が実際に採用している投資信託に占める割合を見ると、多くの場合、6~7割と高いとしている(図表2)。事業主はそもそも運営管理機関を選ぶ際に、株主、メーンバンクといった取引関係を考慮するのが一般的で、最終的に運用商品の選定においても一定の配慮が働きがちであることを示唆している。

①~③のいずれにおいても、課題解消に向けて対応すべき主体として、運営管理機関と事業主の2者を強調している。両者が連携しなければ、事態は改善しないと目されているわけである。

 DCの運営主体はどう位置付けられるのか。厚労省は、海外にはない独自の組織、法的な仕組みとして運営管理機関を設けていた。以下は、制度発足時の厚労省企業年金国民年金基金(現企業年金・個人年金)課長であった高橋(2001)が記した運営管理機関の役割と責任に関する回顧録20の一部である。

「運用商品選定はおそらく会社自身ではなく、外部に委託するケースが多いだろう。その場合には企業と委託を受けた者との間の委任・準委任契約になるが、民法上の委任の規定だけでは受託した者は加入者に対して責任を直接負わないだけに、加入者保護が十分でない。このため、責任は加入者に対するものであることを明確にしたうえで、その責任内容を具体的にするため、運営管理機関は加入者に対する注意義務(専門家責任)なり、忠実義務を負うという構成にしたのである。なお、運用商品の選定は事業主の責任において行われるべきではないかとの考え方もあり、実際運用機関の方からそうした意見もいただいた。だが、事業主のみが負うとすると、その専門性などにおいて不安があるし、しかもあまり実態に即したやり方とは考えられない。

運営管理機関が商品選定という専門的行為において企業の代役をも果たし、加入者に対する責任を事業主とともに持つことになる。言い換えれば、DC法1条の加入者個人の自己責任は、運営管理機関と事業主のいわば共同責任が果たされることによって初めて成り立つ、厚労省は制度発足時にそうした設計を施したといえよう。

なお一方で、DCと同じく税制上の優遇措置を伴った個人の運用制度であるNISAでは、金融庁が利用者保護を目的に運用商品の規制を設け(投資の対象や形態、分配の頻度や手数料の水準、デリバティブ取引の禁止など)、選別している。規制の中身、あり方については議論の余地はあるが、この金融庁の役割をDCで担うのが運営管理機関といえる。政府がNISAの拡充を含む「資産所得倍増プラン」をまとめた際には、金融経済教育の充実も提起しているが、この機能も運営管理機関はすでに持ち合わせている。こうした点からもDCにおける運営管理機関の役割の大きさがわかる。

3.4 DCガバナンスのインセンティブ

事業主はこうした運営管理機関との連携関係をはじめ、加入者向けのサービス体制を現実にどう管理しているのか確認したい。企業年金連合会が3月にまとめた確定拠出年金実態調査(2022年度決算)の結果を見ると、企業型DCに関する事業主の取り組みは変化していることがうかがえる。例えば、運用商品の追加を行った、もしくは検討している事業主は43.5%(21年度40.7%)、運営管理機関の評価の実施率は51.4%(同37.6%)にそれぞれ上昇している。半面、年金委員会やプロジェクトチームといったガバナンス体制を構築し、恒常的に制度を監視し改善させる態勢を整えているところは17.3%(同13.9%)に過ぎない。運営管理機関や事業主のDC運営上の責任は果たされ、制度が抱える問題点はこのまま解消に向かうのだろうか。

DC法7条4項では、運営管理機関を評価してもなお業務内容が芳しくない場合(必要があると認めるとき)、委託先の変更その他の必要な措置を講ずるよう努めなければならないと規定されているが、そうした措置に踏み切るケースは実際のところ一般的ではない。変更には運用資産の現金化が必要になることもあり、実務上難しい面がある。しかし、たとえ現金化等の負担が発生しない場合であっても、運営管理機関を変更するような荒療治は多くの事業主にとって選択しがたい事情がある。

既述のとおり、事業主は一般に運営管理機関を選ぶ際、本体業務との取引関係を少なからず考慮しているからでもあるが、それだけが理由ではない。DCは事業主にとって運用の改善に向けたインセンティブが働きづらい点を指摘できる。1つは、運用成果が与える影響である。伝統的な企業年金である確定給付型制度では企業会計に反映されるため業績を左右するが、DCはまさに加入者の自己責任であり経営に直接的な影響を与えない。もう1つはDCの利点で、伝統的制度のような数理計算等の作業を伴わない手軽さにある。事業主にとって運営面で多くの負担がかからないため(負担のかからない制度と認識されているため)、中小企業を含めて浸透してきた。上記双方の背景から、結果として運営管理機関の評価・変更といった手のかかるテコ入れ策に事業主の意識は向かいにくい。

DC運営におけるガバナンスにおいては、経営陣や人事、財務部門、労働組合などを交えた組織横断的な委員会がコンサルタントの助言を得たうえで運営管理機関と協議を繰り返すような例もあるが、こうした対応が少数派で一般には形骸化しやすいのには理由がある。DCのガバナンスに緊張感を持たせ、運用改善という結果に結びつけるための、背中を押すようなパターナリスティックな対応は運営主体に対してこそ求められるだろう。

政府の方針から行政サイドは企業年金加入者に対する「見える化」について、2024年末までに結論を得るとしている。事業主・規約・運営管理機関別にDC運用商品のラインアップや運用状況について、厚労省が公表する構想である。稼働すれば、事業主間並びに業界内で問題意識が芽生え、競争意識も働く土壌が整うかもしれない。

問題はこの見える化を運用の改善にどうつなげるかにある。例えば、各制度が加入者側に提示する運用商品の信託報酬を一定の水準以下としたり、運用の実績や効率指標の目標値を定めたりするなど個別の行動計画を策定できないか。各事業主や運営管理機関がそれぞれの現状認識と将来の方向性を別途示し、具体的な活動を後押しするサイクルが構築されるよう望みたい。

2023年に改正された「金融サービスの提供及び利用環境の整備等に関する法律」では、第2条において「顧客等の最善の利益を勘案しつつ、顧客等に対して誠実かつ公正に、その業務を遂行しなければならない。」とある。対象は「金融サービスの提供等に係る業務を行う者」で、DCでは運営管理機関等も含む。加入者における抽象的な最善利益をそれぞれに具体化し、行動を起こす責任が関係者に問われていることも指摘しておきたい。

こうした法律上の環境変化も考慮すれば、運営管理機関への行政監査・調査の類を定期的に実施し、そうした内容を確認し説明を求めても良いのではないか。DCが発足して20年以上の年月が経過しているが、一連の本格的な監査・調査が実施されたことはない。運営管理機関は金融庁と厚労省の共管であるが、双方の連携不足、また人手不足などもあって監視の目が行き届いていない。こうした点はガバナンス体制の形骸化を黙認するような事態を招いているようにも映る。

パターナリズムはいずれにしても、デフォルトの商品設定に代表される加入者への直接的なものに限らず、加入者に関連のサービスを提供する運営主体を含めてバランス良く行き届かせる必要がある(図表3参照)。こうした介入・誘導の対象と保護される対象が異なるケースは、「間接的パターナリズム」と表現されることがある。企業年金は退職金を土台とする歴史的な背景もあり、自由な舵取りを主張されやすいが、加入者保護等の視点から運営上の責任を負うことは既述の通りで、野放図な運営が許容されるわけではない。

3.5 まとめ

日本のDC運用が自己責任に基づく加入者個人の主体性を基盤としているのは根拠法の目的規定から明らかである。企業型DCにおいては、規制等の介入・誘導行為が広がりつつあるが、これは個人の取り組みをサポートする意味合いからである。裏返せば、法が規定する自己責任はそうしたパターナリズムの適度なバランス感覚の上にこそ成り立つと言えるだろう。

例えば、加入者自らが運用の指図に踏み切らないケースにおいて、デフォルトの仕組みを通じてリスク性商品への運用が進むよう、国側が今後縛りをかけるとすれば、自己責任との関係から自己決定のあり方なども改めて問われよう。DC法の建付けの中で、デフォルトの対象商品を検討し直すだけではなく、同制度に関する加入者個人への周知・確認方法を整備することも必要になると考えられる。

一方で、個人の運用における自主的な努力への支援策については、その実効性が焦点となる。事業主と運営管理機関の連携強化を軸に、加入者向けのガバナンス体制を再構築することが肝要ではあるが、運用商品の選定・提供に見る課題、事業主のインセンティブの低さなどを勘案すれば、民間の任意の活動に期待するだけでは必ずしも十分ではない。制度を管轄する厚労省や金融庁によるチェックやコントロールについても、当該ガバナンスにおける1つの機能として組み込むことが望ましいだろう。各々の企業型DCが今後、運用実態の公表・見える化を果たした上で、運用改善に向けた行動計画が進むよう、相応の後押しを図りたい。自己責任と介入・誘導というパターナリズムは、相反することなく協調する関係性が求められる。

参考文献

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Footnotes

主に第1、2章では、永森(2020)「企業型確定拠出年金の運用政策に関する考察」早稲田大学大学院法学研究科修士論文(未公行)の一部を修正加筆した内容も記載した。

運営管理機関は2種類あり、1つは商品の選定や投資教育を担う運用関連の機関で、もう1つは口座を管理する記録関連の機関である。ここでいうのは前者の運用関連の運営管理機関で、制度を導入する事業主自体が兼ねる場合もある。日本は運営管理業務を担う金融機関が加入者に対し責任を負うことを明確化するため、運営管理機関として独自に制度化した格好で、欧米のDCにおいても金融機関が運営管理業務を通常担う。

西成田(2009)。森戸(2003),pp.51-53。

下線部は筆者による。

青山(2017a), pp.31-36、青山(2017b), pp.11-18。

企業年金連合会(2024)の解説によると、確定拠出年金制度において、資産の運用を加入者が適切に行うための情報提供など、投資に関わる教育を行うことをいうとして、以下に続く。

「確定拠出年金の場合、加入者が自己責任によって運用商品を選択し、その運用結果によって給付額が決まる。当然、加入者は十分な情報や知識を持ち、適切な判断のもとに資産を運用しなければならない。そこで、企業型確定拠出年金では事業主に、個人型確定拠出年金では国民年金基金連合会に、加入者に対する情報提供を通じて投資教育を行う義務が課せられている。具体的には、次のような事項について行う。(1)確定拠出年金制度の具体的な内容、(2)金融商品の仕組みと特徴、(3)資産運用の基礎知識、(4)確定拠出年金制度を含めた老後の生活設計」

島村(2022)。

自らが掛け金投入先の運用商品を選ぶことがない加入者に対して、制度として運用商品をあてがうのがデフォルトの意味であるが、加入者は当該商品での運用を加入期間中継続する必要はない。デフォルト商品での運用を望まなければ、事後的に自身の判断で好みの運用商品を選択すれば、デフォルト商品から運用資金は引き揚げられ、選択した商品に振り向けられる。米401(k)においては、そうしたオプトアウト(脱退)の仕組みが事業主の免責事項である「加入者支配」の主要な要件の1つとされる。

長期的な観点から、経済事情の変動による損失の可能性について、実施事業所に使用される企業型確定拠出年金加入者の集団の属性等に照らして、許容される範囲内であることなどが要件とされた。

下線部は筆者による。

平野(2019)。なお、年功序列や終身雇用等、事業主側が任意で従業員向けに実施する労務政策は経営パターナリズムと称されることがある。

DCの16年改革もほぼ同様に捉える向きがある。森戸他(2017),p.15。

Sunstein他(2020)。

企業型年金において加入者自らが指図を行わずデフォルト商品が適用されてしまう加入者は、運用商品提供本数が36本以上になると急増するとされる。こうしたデータを参考に、企業型年金の上限を35本とし、個人型年金も、本人が運用する点においては企業型年金と基本的に同じであることなどから、同じく35本を上限と定めることとした。

上田(2009), pp.711-730。

米国のDCではデフォルトの対象ファンド(QDIA)や事業主の免責条件などが労働省規則に規定されているが、根拠法に当たる従業員退職所得保障法(ERISA)には、加入者の自己責任と運用の指図を明確に紐づけた目的規定は見られない。日本のNISAは租税特別措置法に非課税の条件が記され、同法に自己責任に関連する類似の規定はない。

島村 (2024), p7。

2016年改革に関する厚労省の企業年金・個人年金部会で議論になった経緯あり。金融庁政策立案総括審議官(政府の「新しい資に本主義実現会議」事務局次長)である堀本(2024)は、政府策定の「資産運用立国実現プラン」に関するDCの分野についてこう語っている。「デフォルト商品は最終的には企業と組合の話し合いにより、決めていくことになるので、そこは基本的に自治の世界だ。ただし、預金を含む元本確保型商品全般において、インフレの状況下では新たなリスクが発生すると考えられる。直近の20年間はデフレ下で年金の価値が下がりにくく、高い収益率を求めてリスクを取るより低リスクで安定的な運用を行うことに一定の合理性がある場合もあると言われてきた。しかし今後インフレが続けば、低い収益率での安定的な運用方針が、年金資産の実質価値確保の観点から必ずしも合理的とはいえない可能性がある」

尾崎(2002),p125。

下線部は筆者による

References
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  • Cass R. Sunstein and Lucia A. Reisch(2020) 『 Trusting NUDGES データで⾒る⾏動経済学』⽇経 BP.
 
© Hidekazu Nagamori
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