2024 Volume 41 Issue 2 Pages 109-113
2019年から開始された本邦におけるがんゲノム医療ではこれまでに7万例以上の検査が行われている。現在5種類がん遺伝子パネル検査が承認されており,組織検査とリキッドバイオプシーの違いや各検査の特徴を考慮した使用がされている。がんゲノム医療ではエキスパートパネルが検査結果を評価し,推奨される候補薬や治験・臨床試験などについて検討するが,44.5%の症例で開発治験への参加などを含む治療選択肢が提示され,9.4%の患者がその提示治療を受けた。患者の治療選択肢を増やす目的の受け皿試験,検査の適応拡大を目指した臨床試験,ゲノム医療の枠組みを活用したマスタープロトコル試験が進められている。C-CATは日本のがんゲノム医療において,がん遺伝子パネル検査に基づく診療の支援,データの蓄積と管理,蓄積データの二次利活用促進,がんゲノム医療に関する情報の共有と人材の育成を担い活動している。価値のある膨大なリアルワールドデータが日本のデータベースとして構築され,アカデミアや企業による新薬開発に向けた二次利活用が始まっている。
2019年6月にがん遺伝子パネル検査が保険収載され,本邦における国民皆保険制度下でのがんゲノム医療が開始されている。2024年3月末までに72,000人以上の固形がん患者を対象にがん遺伝子パネル検査が行われ,エキスパートパネルによる個別化ゲノム医療の実践が進むと共に,検査から得られるゲノムデータの活用が広がっている(図1)。ここでは固形がんゲノム検査の実情とがんゲノム情報管理センター(Center for Cancer Genomics and Advanced Therapeutics: C-CAT)の役割に関して概説する。
がんゲノム医療の概要図
現在(2024年5月)では,NCC OncoPanelとFoundationOne CDxの2種類の遺伝子パネル検査に加え,リキッドバイオプシーとして,FoundationOne Liquid CDx(2021年08月 保険収載)およびGuardant360 CDx(2023年07月 保険収載),RNA解析を含んだGenMineTOP(2023年08月 保険収載)が使用可能となっており,検査の個別化が進んでいる(図2)。
遺伝子パネル検査
現在の保険収載では患者1人につき1回しか検査が行えないため,実施するタイミングや結果に関する判断に苦慮する場合もある。NCC OncoPanelとGenMineTOPは同一患者の正常DNAも解析するので,体細胞変異と生殖細胞多型の鑑別が可能である。またGenMineTOPは一部の遺伝子についてRNAも解析するため,PD-L1を含めた発現情報も検出することができる。組織を用いるメリットは,組織学的に腫瘍細胞を確認してから検査に提出できるため,腫瘍細胞が非常に少ないことに由来する偽陰性を回避できる点があげられる。一方で,過去の手術検体を用いる場合は再発や治療に伴うゲノム変化の検出が十分にできないという問題点がある。また,病変の一部のみの評価となり,腫瘍の全貌が反映されない場合がある点に留意が必要である。一方で,リキッドバイオプシーでは病変全体のゲノム変異をリアルタイムに検出できる一方で,血液中に遊離している腫瘍細胞由来の核酸は微量であり,腫瘍の状態に大きく左右されるため,採血するタイミングを検討する必要がある。
保険診療でのがん遺伝子パネル検査の対象は,「標準治療がない固形がん患者,または局所進行もしくは転移が認められ標準治療が終了となった固形がん患者(終了が見込まれる患者を含む)」である。エキスパートパネルでは,個々の患者における遺伝子変化に基づいて,検査結果を患者ごとに評価し,対応する候補薬や治験・臨床試験などについて,患者背景(年齢,全身状態,合併症,治療歴など),保険適用状況や試験の対象,組み入れ基準などを考慮した上で,最終的に推奨される治療の有無について検討する。推奨される薬剤へのアクセスとしては「候補薬の保険適用での投与」,「保険適用外での投与」,「治験や臨床試験への参加」があげられる。2022年6月30日までの集計では44.5%の症例で開発治験への参加などを含む治療選択肢が提示され,9.4%の患者がその提示治療を受けた[1]。その内容は,保険での薬剤投与が7割,治験参加が2割,患者申出療養(後述)による適応外での薬剤投与が1割程度である[2](図3)。また,患者の多くは,がん遺伝子パネル検査を受ける時点で標準治療として複数のレジメンによる治療を経ていることから,その全身状態や臓器機能などが治験や臨床試験の規定基準を満たさず参加が困難となる状況がしばしば生じる。
遺伝子パネル検査後の治療内訳(C-CAT集計)[2]
FIRST-Dx trialは国内6施設による前向き共同研究で,未治療の転移・再発がんを対象に遺伝子パネル検査の臨床的有用性を検証した試験である。解析対象の172症例のうち,エキスパートパネルで何らかの治療が推奨された症例が105例(61.0%)あり,そのうちコンパニオン診断に含まれる遺伝子変化が49例,28.5%で認められた。中間解析では,フォローアップ期間中央値7.9カ月の時点で34例,19.8%がエキスパートパネルから推奨された治療を受けていた。治療導入前にがん遺伝子パネル検査を行うことで,がんゲノム医療につながる患者が増えることが強く示唆される結果であり[3],今後これらの結果をもとに,検査の適応も変わってくる可能性が考えられる。
遺伝子パネル検査後の治療の機会を増やす目的で,臨床試験「遺伝子パネル検査による遺伝子プロファイリングに基づく複数の分子標的治療に関する患者申出療養(NCCH1901,jRCTs0331190104,受け皿試験)」が,国立がん研究センター中央病院を中心としたがんゲノム拠点病院において2019年10月から行われている。がん遺伝子パネル検査により保険適用外での薬剤の提案があった患者に,添付文書上の用法・用量を参考に薬剤を投与し,治療経過とともに有効性と安全性の情報を収集することを目的とした臨床試験であり,将来的な治験立案につながることが期待されている。
通常,保険診療と保険外診療の併用(混合診療)は原則として禁止されており,未承認薬を治療で使用するとそれ以外の医療費も含めて全額自己負担となる。患者申出療養費制度は保険外併用療養費の制度であるため,未承認薬の費用など保険適用されていない部分については患者の自己負担となるが,保険承認の範囲は医療保険が適用され,自己負担額は軽くなる。本試験では薬剤は賛同が得られた協力企業から無償提供されるため,実際の患者の自己負担額は保険給付対象のものと,臨床試験参加に必要な経費のみとなる。がん遺伝子パネル検査結果の患者還元を改善するためには,同試験で提供される薬剤が増えることや,新たな臨床試験の計画・立案が期待される。
患者の特定のゲノム異常にマッチする治療薬を増やすために,新しい臨床試験デザインのモデルとして,米国でのTAPUR,NCI-MATCH,My Pathwayなどがある。日本でもSCRUM-JAPANやMASTER KEYプロジェクトが実施されており,細分化されていく患者集団に対する効率的な治療開発基盤として活用されている。
遺伝子パネル検査の臨床導入により複数の遺伝子変異などを同時に評価することが可能となり,がん種を超えた薬剤投与が現実のものとなっている一方で,希少フラクション化が更に加速している現状にある(図4)。そこで,がん種によっては部分集団ごとにphaseⅠ~Ⅲ試験を実施して医薬品開発を行うためには,単一または複数のがん種に対して,いくつかのバイオマーカーとその標的治療の組み合わせを評価する臨床試験を同時並行で実施し,それらを一元管理できる臨床試験方法論が必要である。結果として,シームレスに複数の臨床試験を実施できるようになれば,開発のタイムラインを短縮することと,労力を効率化することができるようになる。このような方法論は「マスタープロトコル」と呼ばれ,次世代の臨床試験デザインとして注目されている。
臓器横断的な薬事承認事例
特定のゲノムバイオマーカーを有する複数の固形がんに対して有効性・安全性を示し,米国食品医薬品局(FDA)によって薬事承認が得られた医薬品の一覧(各種添付文書より)。
MSI-H;microsatellite instability-high,dMMR;deficient mismatch-repair(ミスマッチ修復欠損),CR;complete response,mDOR;median duration of response(奏効期間の中央値)。
マスタープロトコル試験は,対照集団の特性(疾患,組織型,バイオマーカーなど)と試験治療の種類,数に基づいて,バスケット試験,アンブレラ試験,プラットフォーム試験に分類される。各試験の定義は明確ではなく,それぞれの定義には重なり合う部分があるが,バスケット試験は,特定のバイオマーカーや遺伝子変異を有する複数のがん種に対して,その対応する分子標的薬の治療効果をがん種別またはがん種横断的に評価する試験である。この場合,グループ化されたがん種がバスケットとなり,そのがん種グループごとに副試験が実施される。アンブレラ試験は,特定のがん種を対象にして,バイオマーカーや遺伝子変異に基づいて,それぞれ対応する標的治療を評価する副試験を実施するデザインとなっている。この場合,特定のがん種がアンブレラとなり,その傘下にバイオマーカー別の各副試験が入ることになる。アンブレラ試験はメジャーながん種に対して行われることが多いため,副試験はランダム化試験として実施されることも多い。プラットフォーム試験は,永続的に単一または複数の疾患に対して複数の標的治療法を評価し,さらに試験中に新たな治療法や対象患者の追加や除外を認める試験となる[4]。
C-CATは2019年6月から保険適用が開始された日本のがんゲノム医療において,①がん遺伝子パネル検査(CGP検査)に基づく診療の支援,②データの蓄積と管理,③蓄積データの二次利活用促進,④がんゲノム医療に関する情報の共有と人材の育成,の4つを担い活動している。
全国のがんゲノム病院で実施されたCGP検査の結果と,当該患者の基本情報やがん種情報などに基づき適合する治療薬や臨床試験などの情報を網羅した「C-CAT調査結果」を施設に提供し,エキスパートパネルの議論を支援する(①)とともに,データ利活用の合意を得られた患者のがんゲノム情報と後述の包括的な診療情報を厳正に管理・蓄積し(②),新規治療の研究や開発など将来のがん医療の発展のためのデータ二次利活用を促進する(③)という一連の流れを,保険診療の枠組みで実現する世界に類のない取り組みである。事業開始から5年を迎えた2024年3月時点の登録症例数は74,000を超え,CGP検査の種類も増えることなどからこの先も毎年2万例を超える登録が見込まれ,関係者の尽力により価値のある膨大なRWDが日本のナショナルDBとして構築されていく[5]。
収集される情報は,CGP検査の結果として施設に返されるがん遺伝子情報と,臨床情報収集項目として定められる以下の情報である[6]。指定のフォーマットでC-CATに電子的に送られ「がんゲノム情報レポジトリー」に蓄積される。
● 患者背景情報(年齢・性別・がん病歴・家族がん病歴・喫煙歴など)
● がん及びがん種情報(原発巣・転移巣・PS・ステージ分類・病理分類など)
● CGP検査前の治療情報(治療薬・最大優良効果・有害事象など)
● CGP検査後の治療情報(同上)
● 転帰情報(転帰・死亡の場合死亡日と死因など)
データ利活用を前提とするデータ提供に関する同意率は99.7%と極めて高く,保険診療の枠組みで行われることから,選択バイアスがなく理論的に瑕疵なくデータが収集されることの意義は高い。
CGP検査によるがん遺伝子情報と,診療情報,転帰などを包括的に収集蓄積したRWDは世界にも例は少なく,利活用の可能性は広い。利活用は,今の患者への診療支援としての一次利活用と,将来のがん医療の発展のための二次利活用に大別される。一次利活用では,がんゲノム病院が利用できる「診療検索ポータル」から個々の遺伝子やがん種における治療パターン集計や最新の治験情報などが参照でき診療に活かされる。二次利活用では,厳正な審査を通過したアカデミアや製薬企業などが参照できる「利活用検索ポータル」の広範かつ詳細な情報により,がんの疫学研究や創薬などの基礎研究から,治験立案における患者分布や症例把握への活用,希少がん・小児がんなど臨床試験の実施が困難ながんなどにおける薬事申請へのデータ利用など,期待は広がる。二次利活用は2021年10月から開始され,2024年4月現在その活用は94案件(アカデミア82,企業12)に上る[7]。なお,C-CAT登録データの概要は,審査なく所属,氏名,メールアドレスの登録のみで参照できる「登録件数検索機能」で公開している[8]。
データ利活用の可能性を高め現実のものとするために重要とされるのがデータの量と質である。量に関しては,保険診療のCGP検査症例については患者非同意の例を除き全例が集積される仕組みのため時の経過とともにその数を増していく。全例という点で選択バイアスがないことで一部質への貢献もある。例えば,C-CATデータを見ることで,欧米と比べ,アジア人では様々ながん種で,TP53遺伝子変異の頻度が高いことが見出され,米国GENIEコホートで確認された[9]。このように,アジア人症例における仮説の提示にC-CATデータが貢献できる可能性がある。その一方でC-CATに集積されるデータの精度向上は現実的な課題である。RWDの限界や可能性については他項に委ねるが,C-CAT収集データにおいても,臨床試験のような厳密なプロトコールや,クオリティコントロールのプロセスなどはなく,個々の情報入力に定義の幅があることは否めない。また,がんゲノム病院においては診療行為を超える情報入力の負荷の問題や,転院患者などでのフォローアップの困難さなど課題も認識される。データ入力の簡易化・自動化などの負担軽減,がん登録など他の医療データとの情報連携,AIによるデータ浄化の可能性模索など,世界に類のない仕組みから世界に誇るRWD構築と活用の実現に向けた検討と努力が続けられる。