2024 Volume 41 Issue 4 Pages 306-310
術前診断に難渋した頸部に生じた胸腺腫の1例を経験したので報告する。症例は41歳女性。感冒症状あり近医を受診した際,左前頸部腫瘤を指摘され精査目的に当院紹介となった。頸部超音波検査で甲状腺左葉尾側に47×32×35mm,頸部造影CT検査で頸胸境界部に内部が不均一に造影される最大径10cm弱の腫瘤を認めた。腫瘤下縁は大動脈弓下レベルに達し,縦隔内で食道,気管を圧排していたが周囲臓器との連続性は認めなかった。穿刺吸引細胞診の所見では甲状腺由来の希少腫瘍や他臓器由来の悪性腫瘍も考慮されたが,鑑別は困難であった。診断的治療を目的とし,腫瘤摘出術を施行した。術後病理結果では胸腺腫の診断であり,腫瘤の他臓器への浸潤は認めず,悪性所見は認めなかった。頸部に生じた胸腺腫は術前診断が困難である場合が多いが,腫瘍の完全切除ができれば,組織型次第では良好な予後が期待できる。
胸腺腫は胸腺上皮細胞から発生する腫瘍で,通常は胸腺組織が存在する前縦隔に発生する。稀に異所性にも発生することがあり,頸部の他,頭蓋底,気管分岐部に発生したものなどが報告されている[1]。今回われわれは甲状腺左葉尾側の頸胸境界部に生じたために術前診断に難渋した頸部胸腺腫の1例を経験したので,若干の文献的考察を加えて報告する。
症 例:41歳,女性。
主 訴:前頸部腫瘤。
既往歴:特記事項なし。
現病歴:X年7月,感冒様症状を主訴に前医を受診し,その際に頸部腫瘤を指摘された。甲状腺腫瘍を疑われ,同月精査加療目的に当科紹介となった。
初診時身体所見:身長164.1cm 体重48.5kg。前頸部左側,輪状軟骨の高さから足側に5cm以上の弾性硬の腫瘤を触知した。可動性不良で,圧痛なし。腫瘤は縦隔方向に進展していることが推測された。嗄声,嚥下障害は認めなかった。その他,全身所見に異常は認めなかった。
血液検査所見:fT4 1.15ng/dl(0.9-1.7),TSH 1.03µIU/ml(0.50-5.00),サイログロブリン(Tg)19.8ng/ml(35.0以下),抗Tg抗体陰性 <10IU/ml(基準値28未満),抗TPO抗体13.6IU/ml(基準値16未満)。その他血算,生化学に異常を認めなかった。カルシトニン 1.24(基準値6.40以下),CEA 1.6(基準値5.0以下)といずれも基準値内であった。
頸部超音波検査(図1):甲状腺左葉下極に47×32×35 mmの境界明瞭,辺縁整,内部やや不均一な低エコー腫瘤を認めた。リンパ節腫脹は認めなかった。
頸部超音波検査(横断像)
甲状腺左葉下極に47×32×35mmの境界明瞭,辺縁整,内部やや不均一な低エコー腫瘤を認める。リンパ節腫脹なし。
穿刺吸引細胞診:意義不明。異型の無い小型リンパ球を背景に,紡錘形上皮細胞の充実性集塊を少量認めた。一定の方向に流れるような核の配列が見られ,核クロマチンは軽度濃染しているが核形不整は目立たなかった。乳頭癌の核所見はみられず,胸腺腫,SETTLE,甲状腺内胸腺癌,髄様癌,低分化癌,転移性癌などを推定するが鑑別困難であった。
頸部造影CT検査(図2):甲状腺左葉の尾側に96×31×35mm大の境界明瞭な腫瘤を認め,下部は縦隔内へ進展し,下縁は大動脈弓内側で接していた。腫瘤により気管は右側に軽度圧排されていた。頸部リンパ節腫大は無く,その他明らかな遠隔転移は認めなかった。
頸部造影CT検査(再構成画像)
甲状腺左葉の尾側に96×31×35mm大の境界明瞭な腫瘤。下部は縦隔内へ進展し,下縁は大動脈弓内側で接する。腫瘤により気管は右側に軽度圧排。
喉頭内視鏡検査:声帯は両側とも可動性良好で,反回神経麻痺はなかった。
手術所見(図3):頸部襟状切開を行い,後に左側からS状に皮膚切開を胸骨近くまで延長し胸骨切開に対応した。当初,頸部からの腫瘍摘出を試みたが,腫瘍の可動性が不良で反回神経損傷のリスクが高いと判断し,皮切を延長,胸骨を第2肋間でL字切開し,良好な視野の元で腫瘍を摘出した。腫瘍は甲状腺外にあり,八つ頭状の形態を呈し,甲状腺外側下極から大動脈弓まで存在していた。反回神経と周囲組織に癒着していたが,鋭的に剝離可能で,食道や気管への浸潤は認めなかった。甲状腺は温存し手術を終了した。
術中所見
襟状切開+胸骨部にかけて皮膚をS状切開し,第2肋間にかけて胸骨L字切開を加えて上縦隔を開放したところ。腫瘍は甲状腺外にあり可動性は不良。一部左反回神経に癒着していたが鋭的に剝離可能であった。
病理組織学的所見(図4):多結節型の腫瘍で,腫瘍は全体に境界明瞭で周囲への浸潤は認めなかった。隔壁状の膠原線維で分葉状に区画された腫瘍で,2種の成分がみられた。第1は紡錘形~卵円形の上皮様細胞が一定の方向に流れるような核の配列を伴う渦巻き状,束状,充実胞巣状配列をとって増生していた。血管周皮腫配列や,浮腫性,粘液腫様間質を伴った網目状,偽腺腔形成像もみられた。リンパ球の介在は乏しくtype A thymoma類似の像であった。第2はリンパ球豊富で,部分的に髄様の分化を示し,type B1 thymoma類似の像であった。2種の成分は互いに移行するように観察された。著明な異型性や分裂像,壊死はみられなかった。明らかなリンパ節浸潤もみられなかった。免疫染色では,上皮様成分はAE1/3陽性,TTF-1陽性。間質のリンパ球はTdT陽性,CD1aとCD5陽性の部分が混在していた。以上より頸部胸腺腫(type AB thymoma)と診断した。腫瘍辺縁に非腫瘍性の胸腺組織を認めた。
左上:HE染色 紡錘形~卵円形の異型細胞が錯綜配列を示す。(Type A相当)
右上:HE染色 異型の乏しいリンパ球を背景に,髄様の上皮細胞が見られる。(Type B相当)
左下:AE1/AE3(+) 右下:TdT(+)
術後経過:反回神経麻痺などの合併症なく経過し,術後5日目に退院した。追加治療なしで経過観察していたが,術後半年でfollow upから脱落している。
胸腺腫は通常40~70歳の成人に発生する代表的な前縦隔腫瘍であるが,発生頻度は100万人中1.5人と稀な腫瘍である[2]。胸腺腫のほとんどが前縦隔に発生し,異所性の頻度は約4%とされている[3]。Xia Wuらは異所性胸腺腫114例について検討し,局在は多い順に頸部(43例),甲状腺内(17例),肺内(11例)で,頸部胸腺腫では女性の割合が多く(男:女=15:28),年齢は14~76歳,大きさは0.3~11cmと報告している[4]。本例では前縦隔から伸びる胸腺舌部との連続性がなかったため,頸部の遺残胸腺から生じた異所性胸腺腫の可能性があるが,術中所見からは異所性かどうか明らかでなかった。田中らは頸部胸腺腫50例について患者の臨床的特徴を検討しているが,年齢の平均値は50.8歳で,女性に多く(男:女=12:37),主訴は頸部腫瘤が最も多く(40例),左側に多く発生する(26例)としている[5]。本症例は41歳女性であり,主訴は頸部腫瘤で局在は左側,腫瘍の大きさは6.8cmであった。既報の性質と一致し,典型例であったと思われる。
胸腺腫の病期分類はいくつかあるが,治療と予後予測には正岡分類が一般的に用いられている(表1)。5年生存率はⅠ期~Ⅲ期では約85%,Ⅳ期では約65%と報告されている[6]。また,完全切除ができればⅢ~Ⅳ期においても5年生存率は90%以上との報告がある[7]。WHOの組織学的分類では,胸腺腫を胸腺の上皮細胞の形態ならびにリンパ球の多寡によってA型,AB型,B1型,B2型,B3型に分類され,この順に予後不良な傾向にあることが知られている[8]。川野らはA型/AB型/B1型とB2型/B3型の2群に分けると臨床経過と相関し予後の予測に有用であるとしている[9]。その中で,完全切除後の再発率に関して,A型/AB型/B1型の群が34例中1例(2.9%)であったのに対し,B2型/B3型の群では13例中5例(38.5%)と高率であったと報告しており,A型/AB型/B1型の群は非浸潤性の性格をもつ良性腫瘍に近い一群であるのに対し,B2型/B3型の群は浸潤転移傾向の強い悪性腫瘍としての特性を持つのではないかと考察している[9]。正岡分類のⅢ期およびⅣ期におけるB2型/B3型では,外科的治療を受けても再発する頻度が高く予後不良な傾向にあるとしていた[9]。本症例は肉眼的にも顕微鏡的にも完全に被膜に覆われており,正岡分類Ⅰ期,WHO分類AB型に分類され,完全切除が可能だったので予後は比較的良好と推察される。
胸腺腫瘍の正岡分類
頸部に発生した異所性胸腺腫(あるいは頸部胸腺腫)の術前診断は困難な場合が多いとされている。画像診断において,CTでは特徴的な所見はなく,MRIではT2強調画像,造影T1強調画像における腫瘍内の隔壁構造が評価に有用な場合があると報告があるが,鑑別は難しい[10]。PET/CT検査では,不均一なFDG集積を認めることが多く,低リスク胸腺腫でもFDG集積が増強されることが知られている[11]。不均一な集積を認める理由は不明であるが,腫瘍内隔壁構造が影響している可能性がある[11]。しかし,橋本病,亜急性甲状腺炎,多結節性甲状腺腫などの良性甲状腺腫瘍でもFDPの集積を認めるため,PET/CT検査のみで胸腺腫の診断を得ることは困難である。穿刺吸引細胞診では,上皮成分とリンパ球から成るtwo cell patternが最も重要な所見であり,両細胞が出現した場合の診断は容易とされているが,反応性のリンパ節炎や悪性リンパ腫,神経鞘腫などと鑑別が難しい場合がある[12]。本症例も穿刺吸引細胞診を施行したが,確定診断は得られなかった。針生検やフローサイトメトリーによって診断が得られたとの報告も散見され[13],本症例も部位的に針生検が可能な位置と大きさであったので,針生検を行い,免疫染色などを行っていればある程度の術前診断は可能であったかもしれない。
頸部胸腺腫の診療にあたるうえで,甲状腺内胸腺癌(ITC)との鑑別は重要である。鑑別に際して腫瘍上皮細胞のCD5とCD117(c-kit)の発現が検討され,胸腺腫はCD5,CD117に対して数%の陽性にとどまるが,ITCは感度82%,特異度100%で陽性を示すと報告されている[14,15]。また,TTF-1,サイログロブリンも陰性であることから甲状腺腫瘍とも鑑別し得るともいわれている[16]。しかし,胸腺腫瘍におけるTTF-1の陽性率は0-32%との報告があり,本症例のようにTTF-1陽性のAB型胸腺腫も稀ではあるが報告されている[17]。ITCの予後は比較的良好で,5年生存率,10年生存率はそれぞれ90%,82%と報告されている[14]。しかし,術前に確定診断を得るのが難しいこともあり,治療は高悪性度の甲状腺癌に準じて行われているのが現状である。切除範囲や術後治療に一定した見解はまだなく症例の蓄積が望まれる。
胸腺腫の治療はNCCN 腫瘍学臨床診療ガイドライン(2019年第2版)に則って行われており,切除可能な胸腺腫においては全例,胸腺全摘出術と腫瘍の完全切除が推奨されている。縦隔内の腫瘍への手術アプローチは,腫瘍径,進展部位や患者背景を加味して適切な方法を選択する必要があり,その際に胸骨切開を行うかは侵襲の面から見ても重要である。既報では,胸骨切開を行う基準としては,胸骨上縁から6cm以上進展しているもの,腫瘍全てが縦隔内に存在するもの,悪性所見のあるものや再発症例などが報告されている[18,19]。本症例はまず頸部からのアプローチで手術を開始した。甲状腺外にある腫瘍を確認することはできたが,可動性が著しく不良な硬い腫瘍であり,盲目的に周囲組織との鈍的剝離を行うのは反回神経損傷のリスクも加味すると不適切と判断された。胸骨部分切開を追加することで十分な術野が確保でき,安全に手術を完遂することが出来た。縦隔内へ進展した頸部腫瘍の手術に際しては,胸骨切開の準備を行った上で頸部アプローチから手術を開始し,頸部からの術野では手術の進行が困難と判断された場合に胸骨切開(部分切開,全切開)の追加を検討するのが基本である。しかし,最近では胸腔鏡下に腫瘍の尾側を剝離して補助する方法も報告されている[20]。本例では,頸胸境界部の狭小な位置に腫瘍が比較的長い距離ではまり込んでいたため,胸腔鏡下に剝離を行おうとしても左反回神経周囲の剝離は困難と判断されたこと,術前に確定診断が得られておらず,悪性腫瘍の可能性も否定できていなかったことから,胸骨部分切開を追加したことは妥当な判断であったと考える。
今回われわれは術前診断に難渋した頸胸境界部に生じた胸腺腫の1例を経験した。前頸部腫瘤を診察する際には胸腺腫も鑑別に挙げる必要がある。また,切除可能な胸腺腫の治療は手術が第1であり,完全切除ができれば長期の予後が期待できる。本例のような頸胸境界部の大きな腫瘍の場合,術中所見によっては胸骨切開の可能性も必要となるので,いつでも術式変更可能なように前もって準備をしておく必要がある。