2017 Volume 59 Issue 3 Pages 118-124
世界保健機関(WHO)の報告では,成人の糖尿病罹患患者数が2025年までに7億人以上に増えると予測されている。国際糖尿病連合(IDF)によると成人の11人に1人が糖尿病に罹患しており,その中の約半数が糖尿病の診断を得られていない状況である。我が国でも,成人の約5人に1人が糖尿病あるいは耐糖能異常を有する状態であるとされている。糖尿病は神経障害,腎症,網膜症などの細血管障害と呼ばれる合併症を引き起こすことが知られている1)。歯科領域でも糖尿病罹患者に歯周病が高い頻度でみられることから歯周病は糖尿病の6番目の合併症であることが日本糖尿病学会によって提起されている2)。したがって,糖尿病患者に対する歯周病治療の重要性が増してきており,更なるエビデンスの構築が急務である。しかし,糖尿病が歯周組織再生に及ぼす影響についての報告はほとんどされておらず,そのエビデンスは現在も確立されていない。また近年,国民の再生医療への期待が集まる中で,糖尿病患者に対する歯周組織再生療法の有効性に対する指針が必要とされている。
したがって,本稿では,この糖尿病モデル培地を用いて,各種グルコース濃度が歯周組織再生に関与する間葉系幹細胞への影響とナノレベル表面構造制御チタン金属上における間葉系幹細胞の硬組織分化誘導に及ぼす影響について,これまでの我々の研究室で行った研究報告を紹介し,今後の展望について論じたい。
糖尿病による高血糖状態は細胞や組織に様々な影響を引き起こすことが知られており,過去に多くの高血糖状態を模したin vitroによる研究が報告されている3,4)。しかしながら,その報告の多くは30.0 mM(540 mg/dL)や40.0 mM(720 mg/dL)など,実際の糖尿病患者の血糖値とは,かけ離れたグルコース濃度を用いて検討されているのが現状である5,6)。そこで我々はGarciaらの方法に従って,臨床を想定した高血糖モデル培地として,4種のグルコース濃度の培地 ①5.5 mM(正常空腹時血糖)②8.0 mM(コントロールされている糖尿病患者の血糖値)③12.0 mM(糖尿病患者の血糖値)④24.0 mM(透析対象の重度糖尿病患者)を作製した7)。つまり,この糖尿病モデル培地を用いることによって,歯周組織再生療法やインプラント埋入手術において,どのレベルの血糖値までコントロールすれば良好な治療成績が得られるのかという,すなわち糖尿病患者の歯周病治療やインプラント治療を行う際の重要な血糖値コントロールのエビデンス構築につなげる目的で一連の研究を行った10,17,30)。
糖尿病はその発症機序からI型糖尿病とII型糖尿病に分類される。日本糖尿病学会の糖尿病治療ガイドラインによれば,I型糖尿病はインスリンを合成・分泌する膵臓ランゲルハンス島β細胞の破壊・消失によってインスリンの作用不足が原因となり発症することが明らかになっている。II型糖尿病ではインスリン分泌低下やインスリン抵抗性をきたす素因を含む複数の遺伝子に,過食,運動不足,肥満,ストレスなどの環境因子および加齢が加わり,発症することが知られている8)。また日本人を含むアジア人は肥満が少ないにも関わらず,コーカサイド系人種と比較して,II型糖尿病を発症しやすいことが多くの疫学調査等で明らかになっている9)。
そこで我々は,日本人においてI型糖尿病患者と比較してII型糖尿病患者の割合が多いことに着目し,日本人のII型糖尿病に多い非肥満,インスリン分泌低下型という特徴を有するII型糖尿病モデルラットであるGotoとKakizakiらが確立したGKラットを用いて,高グルコース濃度がII型糖尿病モデルラット骨髄由来間葉系幹細胞(BMSC)に及ぼす影響について検討した10)。
生後8週齢のGK系雄性ラットの両側大腿骨からBMSCを採取し,Garciaらの方法に従って,4種のグルコース濃度の培地を用いて,細胞増殖能,硬組織形成能について検討を行った。細胞増殖は生理的グルコース濃度である5.5 mMに比べて他の3種の高グルコース群のほうが有意に高かった。硬組織分化誘導は,Alkaline Phosphatase(ALP)mRNAとType I collagen mRNAの発現はグルコース濃度が高くなるにつれて有意に低くなるが,Runx2 mRNAとOsteocalcin(OCN)mRNAは24 mMの濃度では高くなる傾向であった。石灰化物の析出は12 mMまでは低くなる傾向を示したが24 mMでは有意に高い傾向を示した(図1)。Garciaらは高血糖状態によって,Runx2 mRNAやOCN mRNAカルシウム析出量の産生を促進するが,カルシウムとリンの比率が抑制され,その石灰度の質が低下すると報告している。したがって,24 mMという高濃度のグルコースは石灰化物の析出量は促進されるが,その石灰化の質を抑制させることで,硬組織の成熟度の低下を招くことが示唆された。炎症性サイトカインについては,IL-6 mRNAでは12 mMまでは高くなり24 mMでは低下する傾向を示したが,IL-1β mRNAではグルコース濃度が高くなるにつれて有意に低下した。
これらの結果より,高濃度グルコースはGKラットBMSCの細胞増殖を高め,硬組織分化および石灰化を抑制し,グルコース濃度が24 mMと高濃度になると石灰化物形成能が促進するが,その石灰化の質を低下させることが示唆された。またType I Collagenの遺伝子発現が抑制される傾向にあることから,幼若な硬組織が形成される可能性が示唆された。
以上のことから,糖尿病による高血糖状態,特に12.0 mMまでの高血糖状態では,歯周組織再生に重要な役割を果たす未分化間葉系細胞のひとつである骨髄由来間葉系幹細胞の細胞増殖,硬組織分化,および石灰化物形成を抑制することによって,歯周組織再生が阻害されることが示唆された。
高グルコース濃度がII型糖尿病モデルラットの硬組織形成に及ぼす影響
GKラットBMSCを糖尿病モデル培地で培養し,ギ酸抽出による細胞外マトリックスへのカルシウム析出量(A)の測定とアリザリンレッド染色(B)による石灰化物形成能を評価することによって,高血糖状態におけるGKラットBMSCへの硬組織形成に与える影響を検討した。
(文献10より転載)
ヒト歯根膜幹細胞はSeoらによって,その分離,培養方法が確立された歯根膜組織に含まれる間葉系幹細胞のひとつである11)。ヒト歯根膜幹細胞は歯周組織の恒常性を維持しながら,直接的に歯周組織再生に重要な役割を果たすと考えられている12-14)。我々は歯根膜幹細胞が歯周組織再生に重要な細胞である点に着目し,ヒト歯根膜幹細胞を用いた歯周組織再生に関する基礎的研究の報告を行ってきた15,16)。しかしながら,高血糖状態が歯根膜幹細胞に及ぼす影響は未だ検討されていない。そこで,我々はヒト歯根膜幹細胞を用いて,糖尿病による高血糖状態が硬組織分化誘導にどのような影響があるのかについて検討を行った17)。Garciaらの方法に従って,4種のグルコース濃度の培地でヒト歯根膜幹細胞を培養し,細胞増殖能,硬組織分化能,石灰化物形成能,炎症性サイトカインの遺伝子発現に及ぼす影響を検討した。
また糖尿病の病態形成の特徴として,高血糖状態における慢性炎症が様々な組織や細胞の機能に影響を及ぼすと考えられている。NFκBは糖尿病や関節リウマチ,歯周病などの慢性炎症疾患に深く関与していると報告されている18,19)。さらに,NFκBは骨吸収に深く関与していると言われている20)。我々は糖尿病による高血糖状態がヒト歯根膜幹細胞のNFκBシグナル経路に与える影響についても検討を行った。
グルコース濃度が高くなるに従って,ヒト歯根膜幹細胞の細胞増殖能は抑制される傾向にあり(図2),また硬組織分化能と石灰化物形成能も抑制されることがわかった。
この結果から,ヒト歯根膜幹細胞とBMSCとは逆の増殖反応を示すことが明らかになった。一般的に,細胞培養において培地中のグルコース濃度が上昇すれば,細胞増殖能が促進されることが知られている。しかしながら,ヒト歯根膜幹細胞などの歯周組織構成細胞は高グルコース環境下では細胞増殖能が抑制されることが明らかになっている。したがって,糖尿病における高血糖状態は歯根膜幹細胞をはじめとする歯周組織構成細胞の細胞増殖能を抑制することで,歯周組織再生を阻害する可能性が示唆された。
24 mMのグルコース濃度で石灰化物形成量が促進したが,ヒト歯根膜幹細胞ではまた歯周病との関連がある炎症性サイトカインのひとつであるIL-6の遺伝子発現はグルコース濃度が高くなるにつれて,その遺伝子発現が促進されることがわかった。
さらに我々は高グルコース濃度群(12.0 mM,24.0 mM)では,NFκB経路のリン酸化が誘導されることを明らかにした(図3)。したがって,他の糖尿病の合併症と同様に,歯根膜組織においてもNFκBシグナル経路が活性化することによって,炎症性サイトカインの産生や骨吸収が引き起こされる可能性が示唆される。これらの結果は今後の糖尿病が歯周病に与える分子生物学的影響を明らかにする重要であると考えられる。
高グルコース濃度がヒト歯根膜幹細胞の細胞増殖能に及ぼす影響
ヒト歯根膜幹細胞を糖尿病モデル培地で培養し,ホルマザン呈色反応を応用した細胞増殖試験(A)とカルセイン染色(B)による生細胞染色を行うことによって,高血糖状態におけるヒト歯根膜幹細胞への細胞増殖能に与える影響を検討した。
(文献17より転載)
高グルコース濃度がヒト歯根膜幹細胞のNFκBシグナル経路のリン酸化に及ぼす影響
ヒト歯根膜幹細胞を糖尿病モデル培地で培養し,抽出したタンパクからウエスタンブロット法によりNFκB経路のリン酸化に及ぼす影響を検討した。
(文献17より転載)
日本口腔インプラント学会の口腔インプラント治療指針によると,糖尿病,高血圧,骨粗鬆症,肝疾患,関節リウマチなどがインプラント治療における全身的リスクファクターとして挙げられている21)。Heitz-Mayfieldはこれらの全身疾患の中でも,糖尿病が唯一,インプラント治療におけるリスクファクターである可能性を報告している22)。糖尿病患者に対するインプラント治療のリスク項目として,オッセオインテグレーションの獲得と維持の困難が挙げられる。また実際の糖尿病患者ではインプラント周囲の治癒が遅くなり,新生骨の形成が不足することによりインプラントの成功率が低下する傾向があると報告されている23-29)。しかしながら,糖尿病による高血糖状態がインプラントフィクスチャー周囲の硬組織形成に及ぼす影響は十分に明らかになっていない。また糖尿病という全身的リスクファクターを有する患者に対しても有効なインプラント材料の作製が期待されている。そこで,我々は図4に示すように,チタン金属表面にナノレベルでの表面改質を施すことで,表面にナノネットワーク構造が形成され,ぬれ性が向上し,細胞接着に適している足場環境を付与することが可能になり,糖尿病患者のインプラント治療に有効ではないかと考え,高血糖モデル培地を用いて,チタン平板上における硬組織形成能について評価を行った30)。ALP活性はグルコース濃度が上昇するにつれて抑制されていくが,OCN産生量とカルシウムイオン析出量はグルコース濃度が8.0 mMの時に急激に減少し,その後はグルコース濃度の上昇とともに増加に転じる傾向にあった(図5)。またカルシウムとリンの割合はグルコース濃度が8.0 mMでは減少し,グルコース濃度の上昇とともに増加に転じることが明らかになった。
これらの結果から,グルコース濃度はチタン金属表面上の骨量と骨質に大きく関与しており,高グルコース状態であっても,ナノレベルでの表面改質を施すことで,通常グルコース濃度と同等の骨質と骨量を獲得できる可能性が明らかになった。したがって,このナノレベルでの表面改質を施したインプラントフィクスチャーを応用することができれば,糖尿病患者のインプラント治療におけるオッセオインテグレーションの獲得がより確実になり,糖尿病患者におけるインプラント治療の適応範囲が拡大されていくのではないかと期待される。しかしながら,ナノレベルでの表面改質を施したチタンの詳細な作用機序の検討やイヌなどの大型動物による臨床モデル試験による検証が必須であり,今後の臨床応用に向けての課題として,検討していく必要があると考えている。
市販JIS規格2級純チタンを10 mol/mLの水酸化ナトリウム水溶液に24時間浸漬・攪拌し,さらに歯科用ファーネスにて600℃で1時間加熱することによって作製したナノシート析出チタンのSEM像とSPM像
(文献30より転載)
高グルコース濃度がナノシート析出チタン上で培養したII型糖尿病モデルラット骨髄細胞の硬組織形成に及ぼす影響
糖尿病モデル培地を用いて,ナノシート析出チタン平板上におけるGKラットBMSCの細胞外マトリックスへのカルシウム析出量(A)の測定とアリザリンレッド染色(B)による石灰化物形成能に及ぼす影響を検討した。
(文献30より転載)
糖尿病による高血糖状態が細胞増殖や硬組織形成に及ぼす影響について以前から報告されているが,その報告の多くは実際の糖尿病患者の血糖値とは,かけ離れたグルコース濃度を用いて検討されている。本稿では,実際の臨床を想定した高血糖モデル培地を用いることによって,血糖値コントロールが骨髄由来幹細胞や歯根膜幹細胞の硬組織形成に与える影響と,さらにナノレベル表面改質チタン金属の有効性を紹介した。今後のさらなる研究によって,糖尿病患者の歯周治療やインプラント治療を行う際の血糖値コントロールの重要性についてのエビデンスを構築していくことが求められており,以前には困難であった糖尿病患者への歯周組織再生療法やインプラント埋入手術の適応が確立されることが期待される。
本稿での成果の一部は文部科学省 ハイテク・リサーチ・センター整備事業,日本学術振興会科学研究費学術助成金(課題番号 16K11617,16K20476,16K20551,17K11818)を用いて行いました。
今回の論文に関連して,開示すべき利益相反状態はありません。