2023 Volume 20 Pages 149-165
本論文の目的は、中国テンセント社の事例を通じて、中国SNS市場で成長する企業の経営戦略における間接的アプローチに関する新たな仮説を提示することにある。本論文では「中国SNS市場において経営資源劣位にある企業は、どのようにユーザーネットワーク内の顧客と関係性を構築すればよいのか」という問いを設定し、中国SNS市場におけるスタートアップ企業であったテンセントの短期的な企業成長に着目して事例研究を行う。
本論文では、「間接的アプローチ」とは、「企業が顧客個人ではなく、顧客集団に対して、新たな顧客間関係の創出を目指して顧客間相互作用を促進する働きかけを行うこと」と定義し、間接的アプローチの方法論を明らかにする。
テンセントは、間接的アプローチを通じて、顧客間相互作用を意図的に生み出すことより、自社ユーザーネットワークの量的拡大・質的充実とユーザーネットワークの収益化の両方を実現した。その背後では、顧客のあらゆる行動特性分析、心理的特性分析、顧客評価を通じて顧客知識と開発ノウハウを組織内に継続的に蓄積し、企業が直接コントロールし難い消費者主導のコミュニティを活性化させるための製品開発に活用していた。
テンセントの事例研究を通じて、経営資源劣位企業の戦略として、企業が意図的に顧客間の相互作用を生み出す間接的アプローチの有効性に関する仮説を提示する。
The purpose of this paper is to use the case of Tencent to present a hypothesis regarding the indirect approach in the management strategy of a growing company in the Chinese SNS market. In order to answer the question, “How should a company with inferior resources in the Chinese SNS market build relationships with customers in its user network?”, this paper is a case study focusing on the short-term corporate growth of Tencent, which began as a start-up company in the Chinese SNS market. We define an “indirect approach” as a company’s efforts to promote customer interaction with a group of customers, rather than with individual customers, with the aim of creating new customer relationships, and then reveal the methodology of the indirect approach. Through the indirect approach, Tencent intentionally created customer interaction to expand and enrich its user network and monetize its business. Through the analysis of behavioral and psychometric characteristics as well as evaluation by customers, Tencent continuously built up customer knowledge and development know-how within its organization, which it used to develop products that activated consumer-driven communities resistant to direct company control.
本論文の目的は、中国のソーシャル・ネットワーキング・サービス(以下、SNS1)市場で急成長している企業の事例研究を通じて、経営戦略における間接的アプローチの方法論に関する新たな仮説を提示することにある。
経営戦略やマーケティング戦略においては、企業と顧客の関係性構築に際し、企業にとって顧客との直接的な結びつきである直接的アプローチを通じて「企業と顧客の関係性」が構築、維持されてきた。これに対し、企業にとって顧客との間接的な結びつきである「顧客と顧客の関係性」や「企業と顧客間関係との関係性」にも目が向けられており、顧客間の相互作用や意図せざる結果の活用を伴う間接的アプローチの有効性が指摘されている(沼上, 2000;石井, 2003;水越, 2006;根来・足代, 2009;足代, 2011;芳賀, 2011;木原, 2016;高柿, 2017)。特に、経営資源劣位の企業が取り得る戦略として、間接的アプローチの重要度が高いとの指摘がある(木原, 2016)。
中国テンセント社(騰訊控股有限公司、以下、テンセント)は、1990年代に勃興した中国のSNS市場に参入した企業であり、多くの競合が存在する熾烈な競争環境の中で、経営資源劣位であったにもかかわらず、競合企業と同質化せず急成長した事実が観察される。先行研究に基づけば、テンセントが何らかの間接的アプローチを行っていたとすれば、急成長の理由を説明できるはずである。しかしながら、先行研究においては、間接的アプローチの有効性は指摘されているものの、その具体的な方法論については議論されていない。
そこで本論文では、「間接的アプローチ」とは「企業が顧客個人ではなく、顧客集団に対して、新たな顧客間関係の創出を目指して顧客間相互作用を促進する働きかけを行うこと」と定義し、テンセントの創業初期における企業活動に着目して事例分析を行い、企業成長に係る要因を分析し、その背後の論理の考察を通じて経営戦略における間接的アプローチの方法論に関する新たな仮説の提示を試みる。
マーケティング研究、特に関係性マーケティング論(和田, 1998;石井ほか, 2004)においては、顧客生涯価値(LTV)やカスタマー・エクイティの最大化を図るために、企業にとって顧客との直接的な結びつきである「企業と顧客の関係性」を構築、維持することが重視される。一方、企業が関係性を構築する対象よりも、むしろ関係性の内容が重要であるとの問題意識から、企業を取り巻くステイクホルダーと関係性を構築するための手法や仕掛け、仕組みづくり等が議論されている(和田・恩蔵・三浦, 2006)。
これに対し、企業にとって間接的な結びつきである「顧客と顧客の関係性」や「企業と顧客間関係との関係性」にも目が向けられており(Zeithaml et al., 2001;陶山・宮崎・藤本, 2002;芳賀, 2005;小川, 2002, 2006;井上, 2008)、特に「顧客と顧客の関係性」については、顧客ロイヤルティやカスタマー・アドボカシーの視点から研究がなされている。信頼を基礎に顧客との長期的な関係性を構築すれば、顧客ロイヤルティの向上により顧客の口コミを期待でき(山岡, 2010)、顧客の利益最大化及び顧客とのパートナーシップの構築を基礎としてカスタマー・アドボカシーが創出される(Urban, 2005)。これらの研究から、ロイヤルティが究極に高まった段階の顧客をアドボケイト(擁護者)と位置づけ、アドボケイトが自発的に他者に対して購買を推奨する点で「顧客間の関係性」の重要性が示唆される。井上(2008)は、これらの議論について、企業にとって直接的な結びつきである「企業と顧客との関係性」の観点をベースとしつつ「顧客間の関係性」の観点が付加されていると指摘し、マーケティング論においては、「企業と顧客との関係性」及び「顧客間の関係性」のみならず、「企業と顧客間関係との関係性(企業と顧客コミュニティとの関係性)」に着目すべきであると主張している。
しかしながら、関係性マーケティング論の多くが顧客生涯価値(LTV)やカスタマー・エクイティの向上を目的とした長期間を要する関係性の構築を前提とするものであり、迅速な関係性構築については十分な議論がなされておらず、また、企業と顧客間関係との関係性の探求も十分ではない。
2.2 顧客間相互作用の活用(間接的アプローチ)SNSビジネスの収益化において企業は、ユーザーネットワークを構成しているユーザー個人との関係性の構築が必要であるが、その関係性構築には相当の時間を要する。情報伝達や環境変化のスピードが速いSNS市場において収益化を目指す企業は、どのような取り組みを行うべきであろうか。
この問いに対するアプローチとして、顧客間の相互作用に着目する研究が考えられる。森田(1998)は、顧客間インタラクションの活性化が付加価値や需要の向上につながると指摘し、山本(2006)は、顧客間インタラクションにはネットワークから顧客が離脱するリスクを低減させる機能があり、顧客をウェブサイトに囲い込むための有力な手段の一つであると主張している。また、国領(2013)は、ICTの発達を通じてネットワーク内のヒトやモノのつながりの容易化、可視化により、ユーザーネットワーク内の相互作用が促進され、情報の発信と結合により付加価値が創発すると指摘する。これはネットワーク外部性が情報の価値増大サイクルを加速させることから、SNSビジネスにおいては顧客間の相互作用こそが重要な成功要因となることを意味するものである。
これらの研究は、顧客間相互作用の促進が、企業にとって顧客との関係性構築の源泉となることを示唆しており、顧客間相互作用を活用し得る企業戦略として、経営戦略及びマーケティング戦略における間接的アプローチが提示されている(沼上, 2000;石井, 2003;水越, 2006;根来・足代, 2009;足代, 2011;芳賀, 2011;木原, 2016;高柿, 2017)。
Hart(1967)が提示した軍事戦略における間接的アプローチの概念を踏まえ、沼上(2000)は、「自社の行為だけでなく他社や顧客等の行為が生み出す『意図せざる結果』を意識的に取り込んだ戦略を構築することが可能」であるとして経営戦略の間接性に言及し、「戦略家が様々なプレーヤーたちの『自然』に生み出す効果を利用した戦略」を「間接経営戦略」と呼んで、行為主体と生成メカニズムの観点から4類型に分類した間接性の基本論理を提示した。
マーケティング論においては、有効な間接経営戦略が「意図せざる結果」の事前取り込みではなく、「意図せざる結果」の発生を利用する戦略であると捉えられてきた(芳賀, 2011;石井, 2003;水越, 2006)。これに対し高柿(2017)は、芳賀(2011)の間接的アプローチの類型を「事前の意図的な間接的アプローチ」と「事後の意図せざる結果を利用する『結果的な間接的アプローチ』」の両方を含む概念として再整理した上で、ネットワーク組織のエコシステムを事例として、間接性の源泉としてエコシステムのガバナンス領域を提示して、意図的・結果的な間接的アプローチとエコシステムとの相互ダイナミズムが競争優位の可能性を生み出すと指摘し、このような間接的アプローチとそのマネジメントが、特に弱者戦略として有効であると主張した。
木原(2016)は、間接的アプローチの対象を顧客と競合他社に大別する視点を提示した上で、顧客を対象とした間接的アプローチを、更に「顧客の学習・探索行動を利用した間接的アプローチ」と「顧客自身が意識することなく購買する間接的アプローチ」とに分類して、これらの間接的アプローチの有効性を指摘し、特に、経営資源劣位にある企業にとって、事前の意識的な間接的アプローチの導入が経営戦略上の有効な手段になり得ると示唆した。
これらの間接的アプローチに関する先行研究においても、直接的アプローチの場合と同様に「企業と顧客との関係性」を中心に議論が展開されており、「顧客間の関係性」や「企業と顧客間関係との関係性(企業と顧客コミュニティとの関係性)」については、十分に議論がされていない。例外的に、高柿(2017)は、比較的近い関係性を保つコミュニティを対象とした間接的アプローチを検討しているものの、「顧客間の関係性」や「企業と顧客間関係との関係性」に関する顧客間相互作用の探求が不十分である。また、木原(2016)は、顧客を対象とした間接的アプローチの有効性を指摘しているが、企業が事前に意識的に間接的アプローチを導入する方法論については言及していない。
本論文は、「企業と顧客との関係性」、「顧客間の関係性」及び「企業と顧客間関係との関係性」に着目する視点を維持しながら、企業の急成長の要因分析とその背後の論理を考察するものであり、経営戦略論及び関係性マーケティング論において不足する、顧客間相互作用を事前に意識的に利用する間接的アプローチの方法論についての新たな視点を提示するものである。
本論文では、「中国SNS市場において経営資源劣位にある企業は、どのようにユーザーネットワーク内の顧客と関係性を構築すればよいのか」というリサーチ・クエスチョンを設定する。この問いに対する仮説を導出するために、中国SNS市場におけるテンセントの急成長に焦点を当てて事例研究を行い、経営戦略における間接的アプローチの方法論について考察する。
テンセントを選択した理由は、中国SNS市場が立ち上がる時期に新規参入したスタートアップ企業であり、技術力、ブランド力、営業力等の経営資源に乏しい経営資源劣位の企業であるにもかかわらず、1998年の創業後、インスタントメッセンジャー(IM)市場へ参入し2009年には同社の提供するソフトウェアが中国国内で97.4%という圧倒的な浸透率を獲得して2、短期間に成長した企業だからである。
先行研究によれば、間接的アプローチの方法論として、企業が事前に意識的に間接的アプローチを導入することが重要である。その糸口は、競合他社や顧客の立場に立ち、彼らが抱えている心理や顧客の行為の副産物について深く考え、顧客へ対して自社の新たな付加価値の提供を探索することにあり、自己中心的視点と他者中心的視点の両方を同時に考えることや時間展開を考慮した動態的な分析が必要である(木原, 2016)。
したがって、テンセントについて創業初期からIM市場で高いシェアを獲得するまでの時間軸に沿って、テンセントが顧客の心理や顧客の行為を考慮し、ユーザーネットワークの構築や顧客に対する付加価値の提供を探索した経緯を探求することは、間接的アプローチの方法論を明らかにするため重要となる。
本論文は、従来にない仮説を導出することを目的とするため、事例の定性分析を選択した(Yin, 1994)。注目する現象が、その現実の文脈と密接に関連している場合には、研究手法として事例研究を選択することが適切であり、単一事例の事例研究では、①その事例が決定的な事例であること、②極端かつユニークな事例であること、③対象が新事実であることの3点が満たされることにより、事例研究としての適切性が担保される(Yin, 1994)。また本論文は、事例研究によって得られた事実を積み重ねることにより、企業や顧客の行為の意味を明らかにし(沼上, 2000)、企業戦略や企業組織の経時的変化や相互作用のプロセスを解明することを目指している(Langley, 2007)。そのため、本論文ではYin(1994)の適切性担保要件を満たすテンセントの創業初期のSNS事業を分析対象とし、時間の経過とともにテンセントの企業戦略を分析し、企業や顧客の行為の意味を考察しつつ、間接的アプローチの方法論を検討する。
本論文では、テンセントの社員が執筆した中国語による原著を優先し、日本語への翻訳がある場合は必要に応じて参照した。その他、テンセントの年次報告書、テンセント公式ホームページ、中国で発行されたテンセント関連書籍により事実関係を確認した。
テンセントは、1998年に中国広東省深セン市で創設された中国のインターネットサービス会社である。同社は、インターネットサービスを人々の生活インフラとして浸透させるためのプラットフォームを実現することを目的としていた(希, 2018, p.19)。まず市場環境を概観した後に、製品、製品開発の推移、製品開発組織及びマネジメントを説明する。
(1) QQリリース時の市場環境テンセントはインターネットサービスにおける最初の企業ではなかった。同社がQQをリリースした1999年2月当時、中国では数年も前から中国版IMの製品化を成し遂げていた企業があった。それらは台湾の情報関連企業によるCICQ、南京のベンチャー企業による網際精霊、広州電信傘下の飛華公司によるPICQ等であった。
またQQのリリース後においても、2002年頃までには多くの企業が続々とIMサービスをリリースした。中国のインターネットサービス市場に参入したこれらの企業は、テンセントに対抗してIMに動画機能や音声通話機能などを搭載し、技術的な新しさを個々の潜在顧客にアピールして、加入者を増やそうとした(呉, 2017, p.209)。例えば、ポータルサイト大手の網易(ネットイース)は、2002年11月に網易泡泡において音声リアルタイム通信をいち早く導入した。更に同社は当該サービスを一日利用すると、ショートメッセージ120通を無料で送れるようになるという大型販促キャンペーンを行い、わずか一年のうちに登録ユーザー数を1,500万人に増やし、QQに次ぐシェア第2位にまで成長した。またヤフーは2004年6月にヤフーメッセンジャー中国語版をリリースし、チャットウインドウ内に検索やオンラインアルバム、ゲームといった機能を統合して話題を集めた。更に中国国営キャリアの中国電信も独自のIMサービスVIMをリリースし、VIMナンバーで通話やファイル送信などの機能が便利に使えるようにした(呉, 2017, p.111)。中でも当時テンセントの最大の競合相手であったザ・マイクロソフトネットワーク(MSN)は、ビジネスユーザーを中心に広く利用されており、2005年にはリアルタイム通信ソフトとしては中国で高いシェアを誇っていた。MSNメッセンジャーにも、グループを作成する機能が備わっていたが、このグループは、ユーザーがログアウトする毎に解除される一時的な仕様に過ぎなかった(纽约金融客, 2019, p.65)。これらの他にも、競合企業から200以上の類似プロダクトがリリースされ、中国のSNS市場における競争は激化していった(呉, 2017, p.111)。
(2) QQの誕生テンセントは、1999年2月にQQをリリースした当初、QQの登録ユーザー数を増やすために、1996年11月に発表された先発のイスラエルのMirabilis社製のICQをターゲットにして、中国のICQユーザーが抱いている不満点を解消する方向への技術的改良を目指した。まずコアユーザーである若者を自社サービスに引き寄せるために様々な機能改良を行った。具体的には、①QQのダウンロード時間を短縮するためのソフトウェアのサイズの圧縮、②ユーザーがどの端末からログインしても友達リストや過去ログの情報を得られるように、データをローカルパソコンではなくサーバーに保存する仕組みの採用、③オフラインでのメッセージ送信機能の搭載、④個性的なアイコンの使用、メッセージ着信音の設計などの細かな設計改良、であった(呉, 2017, pp.97–99)。同社は、製品開発や改良を行うにあたり、ユーザーがネットカフェで実際にどのように使用しているのかをつぶさに観察し、小刻みな改良サイクルを継続した(Lin & Zhang, 2013, p.30)。ユーザーはQQにログインするたびに、ユーザー目線に立った細かなバージョンアップを行っているテンセントの取り組みに気づくこととなった。
テンセントは、QQユーザーの利用者としての使い勝手を向上させる機能の開発に集中的に投資し、機能的改善を継続的に行ったのであった。その結果、QQは若者を中心に広く受け入れられ、QQの登録ユーザー数は1999年11月に100万人を超え、2000年4月には500万人に達し、2001年末には中国本土で9,000万を超えたのである(冷, 2018, p.19)。
(3) QQ収益化に向けた試行錯誤テンセントはQQをリリースして以降、徹底したユーザーの観察と小刻みな改良サイクルにより顧客ニーズへ対応したため、QQは中国市場で早期のうちに最も普及したIMとなったが、収益化の成功は苦もなくもたらされたものではなかった。
テンセントは、QQから収益を得るモデルについて、試行錯誤を繰り返し、次節で説明するグループチャット機能が登場する以前は、事業収益化の目途が立たず、収益化については失敗の連続であった。QQが基本無料ソフトであることに起因する問題であった。
このような状況下で、テンセントに収益をもたらしたのは、大手携帯キャリアであるチャイナモバイルとの事業連携であった。テンセントが参加した「モンターネット」事業は、テンセントがモバイル版QQを提供して、その付加的サービスから得る収益を、チャイナモバイルとシェアするという提携であった。この事業はヒットし、2001年3月には移動QQサービスのショートメッセージ発信総数は3,000万通に達し、テンセントは月200万元を超える収入を得たのであった(呉, 2017, p.69)。しかし、チャイナモバイルは自前のIMを開発し、2004年に突如、テンセントとの提携を一方的に解除した(呉, 2017, pp.118–120)。事業提携解除後、テンセントは他にもQQから直接的に収益を得ることを目指し、2000年8月にバナー広告枠を設定した。しかし、QQユーザーの平均年齢が低かったため、広告主から購買力に疑問が投げかけられ、広告受注は順調でなかった(呉, 2017, p.73)。
他にも2000年11月に立ち上げたQQ倶楽部は、月額10元の有料会員に、コンテンツや友達リストをウェブ上に保存する機能や個人番号の選択権などの特別サービスを提供するものだったが、強力なプロモーションにもかかわらず、加入ユーザーは毎月数百名にとどまり、半年間での獲得ユーザーはわずか3,000人のみであった。その月間収入もわずか2~3万元であった(呉, 2017, pp.73–74)。この時期にリリースした企業向けQQも、一部の有名企業に採用されたが有料化はできなかった(呉, 2017, p.74)。一方、QQのアカウント登録に課金する試みは、ユーザーの猛烈な反発に遭い頓挫した(冷, 2018, pp.45–46)。
このようにテンセントは、自社ネットワーク内の顧客と関係性を構築しQQから直接収益を上げる試みはことごとく失敗に終わった。
4.2 テンセントの製品開発の推移 (1) グループチャット2002年のQQ新バージョンで付加されたグループチャット機能が、その後のQQ事業の方向性を決定づける契機となり、QQにおけるメンバー間相互作用の促進に大きな影響を及ぼした。ここからアバター(自分の分身となるキャラクター)やバーチャルアイテムへの課金を通じて、無料アプリでありながらユーザーから収益を得る方法が確立されていった。
グループチャット機能は、2002年のQQ新バージョンで付加された。この機能は、中国人の日常的な関係性、例えば同僚や友達など実生活で親密な繋がりがある少人数グループ内の関係性に着目して開発されたものであった。例えば、テンセント社内で一緒にランチを食べる仲間同士の連絡をメールで行うと、遅延したり意見の反映漏れが生じていた。このことをきっかけに、より便利な連絡手段として開発されたのである。グループチャットは、①メンバーの名刺の保存、②チャットの過去ログ検索、③メンバーの発言(ニュース)のグループ内メンバーの端末への即時表示機能などを備えていた(呉, 2017, pp.164–165)。
このグループチャット機能の導入により、QQユーザーは、自発的に小グループを作り、そのグループに友人を招待し、グループ内でチャットし、文書、画像、音楽等のコンテンツをシェアすることとなった。これによりユーザー間のやりとりが活性化した。
(2) グループ向けサービスの展開テンセントは、グループチャット機能の導入後に、2003年にUI基本商品部デザインチームを発足させて製品開発に取り組み、以下のグループ向けサービスを続々と展開した。
2003年リリースのQQ秀は、QQ上のユーザーの分身であるアバター用の服、アクセサリー、背景等のアイテムを、仮想通貨であるQコインで安価に購入できるサービスである。QQ秀の初期利用者の大半は、15歳から25歳の若者であり、彼らが友達同士で少額(約6円~12円)のアイテムをプレゼントし合うようになった。その結果、リリースから半年で約500万人がこのサービスを利用するようになった(呉, 2017, p.87)。QQ秀の各アイテムイメージの有効期間は6ケ月間であり、期間満了後の継続利用のためには、料金の支払いが必要という仕組みになっていた。そのため、その後もアイテムを利用したいユーザーは自発的に課金することになった。
この時期、テンセントは製品開発戦略をも変化させた。第一にQコイン中心の決済システムを導入し、第二にユーザーが様々な少額の利用料を支払うための手間を軽減し、第三にレッドダイヤモンド貴族制度という月額料金プランの会員サービス体系を導入した。この会員サービスは、①バーチャルアイテムの入手、②アバターの自動着せ替え、③友達へのアイテムの無制限のプレゼント、④楽曲のダウンロード等の各種の特別サービスを受ける権限を付与されたユーザーを貴族階級として、その階級を友人に見えるように表示する点に特徴があった(呉, 2017, p.93)3。この制度の導入により、特別サービスと貴族階級の表示に対する利用料を支払うユーザーが増え、テンセントの収入が増大した。その額は具体的には、レッドダイヤモンド制度導入前のアイテムの個別販売による収入は約300万~500万元/月であったが、ダイヤモンド制度の導入後は直ちに月額制収入が1,000万元/月を上回った(呉, 2017, p.93)。
その後2004年には、群中群というサービスが導入された。これは既存のグループ内に、更に少人数のグループを作る機能を備えたものであった(呉, 2017, p.141)。このようなグループチャット機能及びアバターサービスに係る月額料金プランにより、テンセントは事業収益化の目途を立てることができた。これ以後は、少人数のグループを対象にした様々なサービス提供に力を注ぐことができるようになった。
2004年以降は、テンセントはQQ堂という名前のソーシャルゲームに力を入れ、QQペットやQQ農場などの友達同士でプレイできるゲームを投入した。これらにおいても、アバターと同様、同社はバーチャルアイテムに課金し収益を上げることができた。更にグループ内メンバーのゲームへの参加を促すために、QQ上にウィンドウを作り、「あなたの友達は今このゲームで遊んでいます。ジョインしますか?」というポップアップを出すなどの工夫を行った(呉, 2017, p.185)。
2005年にはQQ空間というSNSサービスがリリースされた。これはバーチャル上に自分の「部屋」を作って友人同士で訪問し合ったり、互いに日記や写真を見せ合ったりできる多機能な個人サイトである。QQ空間にも様々な会員制度が設けられた。例えば、その一つがグリーンダイヤモンドという楽曲配信のための会員制度である。当時の中国では海賊版の楽曲が横行しており、正規版の楽曲への課金は難しいと考えられていたが、テンセントは、自分用の楽曲に対してはお金を払いたくないユーザーも、自分のQQ空間で友達をもてなす時にかけるBGMとして利用するのであれば、課金に応じるはずだと考えた。実際に自分のQQ空間を訪ねてきた友達に聴かせるためのBGMとして楽曲を購入するユーザーが大半を占めたのであった(呉, 2017, pp.164–165)。
以上のようにテンセントは、ユーザー間の相互作用を促進し、バーチャルな世界における社会性をリアルな世界の延長としてユーザーに意識させることによって、課金へのユーザーの抵抗感を下げるという収益モデルを作り上げていったのであった。
(3) 製品開発組織テンセントの社内において、これらのサービスを生み出した製品開発組織4とその製品開発マネジメントの概要を説明する。
テンセントでは、デザイン開発と技術開発を統合して行う新たな組織が設立され、UI(User Interface) 基本商品部デザインチームが製品開発にあたっていたが、2006年にCDC(User Research and Experience Design Center)に改組された。CDCは、インタラクションデザイン、ビジュアルデザイン及びユーザーリサーチの各タスクを担当し、テンセントのほぼ全ての主要製品の開発に横断的に携わるものであった(腾讯公司用户研究与体验设计部, 2013, p.258)。更にCDCは技術的な開発タスクも全面的に担当することで、デザイン開発と技術開発との緊密かつ高速な融合を実現することを目指していた。このような集約的開発体制により、プロトタイプの完成度が高まり、ユーザーテストまでのプロセスが3週間短縮された。更にテスト結果が製品開発に迅速に反映されるようになったため、ユーザーからのフィードバックを全ての製品に早く確実に反映させるための製品開発プロセスが実現した(腾讯公司用户研究与体验设计部, 2013, p.88)。これはテンセントにとってQQの各種サービスの開発の際に大きなメリットとなった。
CDCは、社内の各事業部やその各業務体系から分離されていたため、専門性が確保され、独立してユーザーの抱える課題を考えることができた。また、ユーザー研究チームとデザインチームが同じ組織に属して「課題特定—課題解決—解決策の実施」という業務のクローズド・ループを確立し、彼らが緊密なコミュニケーションを行うことで、タイムリーな製品開発が実現した(腾讯公司用户研究与体验设计部, 2013, p.38)。
(4) 開発ノウハウの蓄積と実践テンセントが製品開発の際に強く意識していたことは、徹底的にユーザーの立場になって考え抜くことであり、ユーザーがテンセントの製品を使い続け、たとえ競合が現れたとしても、ユーザーが流出することを防ぐ努力をしてきた。同社はユーザーに関する知識とそれに適合した開発スキルを組織内に蓄積させていった。テンセントは、ユーザー体験のリサーチ結果がデザインの方向性と最終的なアウトプットを決定すること意識して製品開発に取り組み、ブレーンストーミング、競合分析及びフォーカスグループによるデザイン要件の深堀を行いつつ、あらゆるユーザーの使用環境や使用状況を想定した多種多様かつ複数のユーザーペルソナ5を徹底的に活用した。
テンセントの開発担当者は、ユーザーペルソナを設定する際に、定性調査を行って潜在ユーザーの特性を洗い出し、アンケートデータに基づいて選択した重要な変数によりユーザーをクラスター分析で分類し、カテゴリー毎のロールモデルを形成した。更に、タスク分析6を行い、各ペルソナの主な目標や利用シナリオに基づいてフローチャートを作成した(腾讯公司用户研究与体验设计部, 2013, pp.104–109)。
テンセントが創造したユーザーペルソナには、先に一部を説明したように①自分で聴く音楽にはお金をかけないが、友人に聴かせる音楽にはお金を払う、②コンテンツのシェアを好む、③バーチャルアイテムの購入意向が強い、などの中国市場のユーザーが友人との関係性を重視する心理的傾向が反映されていた(呉, 2017, p.293)。
また各ペルソナの利用シナリオの分析においては、中国特有の使用環境と使用文脈に基づく条件を反映したものが用いられた。例えば、中国のインターネット市場の勃興期には、コンピュータの使用経験がほとんどない潜在的ユーザーが膨大に存在していたため、各ペルソナのコンピュータ使用経験の違いを考慮し、誘導方法やインタフェースなどの設計目標を各ペルソナに合わせて開発した。このような初心者心理に基づく製品開発により、テンセントは大量の新規ユーザーを獲得することに成功した。更に、テンセントは、特定の製品モジュールに応じてユーザーの役割を詳細に分類して、タスク毎にペルソナの特性をプロトタイプに反映させた(腾讯公司用户研究与体验设计部, 2013, p.143)。
テンセントは、収益の80%を高付加価値サービスから得ている。このため、特に有料サービスを利用しているユーザーの意見を大切にすることが収益獲得のために必須であった。そこで、製品部門の評価にユーザー体験の評価を組み込み、製品部門が継続的に問題を解決して、ユーザー価値が最大化される仕組みを構築した。更に、製品の機能やユーザーの習慣が変化すると、評価モデルに影響を与える内容や項目も変化する可能性があるため、テンセントは、満足度評価モデルを一定期間ごとに見直し、時間の経過とともに変化させた(腾讯公司用户研究与体验设计部, 2013, pp.111–122)。
また、テンセントは、ユーザー体験に基づく製品開発を社内に浸透させるための仕組みも併せて構築した。例えば、ユーザーが製品を使用する際にどのような問題や混乱に遭遇するか、事業部門長が観察するキャンペーンを展開した(腾讯公司用户研究与体验设计部, 2013, p.100)。また、製品に対する議論を集約する顧客エンゲージメントプラットフォームを設置して、社内ユーザーが製品を使う上での悩みや提案を投稿し、又は、親戚や友人の提案を共有できるようにした(腾讯公司用户研究与体验设计部, 2013, p.35)。
テンセントは、このような専門組織による顧客のあらゆる行動特性分析、心理特性分析と顧客評価を通じて開発ノウハウを蓄積・実践することにより、顧客と顧客のやりとりを活性化するような製品開発を可能とした。
4.3 テンセントの急成長テンセントの製品開発によって、バーチャルな世界における社会性をリアルな世界の延長としてユーザーに意識させ、ユーザー間のやりとりを通じて課金してもらうことが可能となった。ユーザー間の相互作用により課金に対するユーザーの抵抗感を下げるという収益モデルの中で、ユーザー価値と商業的価値が相互に強化し合う仕組みが構築された。
その結果、当時中国で使用されていたIMは全て無料であるにもかかわらず、バーチャルツールへの課金というモデルを確立することにより、SNS事業のマネタイズに成功した。
同社の年次報告書によると、2015年にはQQとQQ空間の月間アクティブユーザー数は、それぞれ8.15億、6.54億に達している7。またその間の同社の収益について、図1からは、同社が定額制のゲームサービスを導入した2005年、QQ空間をリリースした2009年に、それぞれ収益の伸びが大きくなっていることがわかる。この間の収益の内訳は、広告収入は微増であったが、付加価値サービスからの収益が急増しており、この付加価値サービスからの収益が、テンセントの急成長に大きく寄与したことは明らかである。
(出所)Tencent Holdings Limited Annual Report(2004~2012)に基づき筆者作成。
前述のように、本論文では、間接的アプローチを「企業が顧客個人ではなく、顧客集団に対して、新たな顧客間関係の創出を目指して顧客間相互作用を促進する働きかけを行うこと」と定義している。すなわち、間接的アプローチとは、企業が顧客に働きかけて購買を促す直接的アプローチとは異なり、顧客同士の関係性を利用して購買を促そうとするものである。
SNSビジネスは、単にユーザーネットワークを構築するだけで収益化につながるものではなく、ユーザーネットワークの量的拡大・質的充実を実現することにより、各種の収益モデルが成立する。ここで、ネットワークの量的拡大とは、顧客数の増加によるネットワーク規模の拡大を意味し、例えばサービスの登録会員数で把握することができる。また、質的充実とは、ユーザーネットワークに属する顧客が、積極的に他の顧客と交流し、顧客間の関係性が深化することにより顧客コミュニティが活性化することを意味し、例えばアクティブユーザー数、総投稿数、総メッセージ送信数により把握することができる。
テンセントは、自社ユーザーネットワークに関して「リアル/バーチャル転換機能」と「グループのアクティブ化機能」という2つの機能の発揮を企図した2種類の間接的アプローチを実践し、ユーザーネットワーク内のグループやコミュニティにおける顧客間相互作用を促しながら、ユーザーコミュニティを意図的に活性化させ、アクティブユーザーへの課金を通じてユーザーコミュニティ単位で収益化を図るという企業成長プロセスが見られる。
ここで、テンセントの2種類の間接的アプローチに関する概念的枠組みを提示する(図2)。第1のアプローチによる「リアル/バーチャル転換機能」とは、顧客をコミュニティ単位でリアルからバーチャルに取り込むことによって、ユーザーネットワーク自体を構築させるものである。第2のアプローチによる「グループのアクティブ化機能」とは、バーチャル上で再現されたコミュニティ内の顧客同士のコミュニケーションを促進・活性化させることにより、顧客間の関係性を深化させることを通じて、ネットワークの質的充実を実現するものである。
(出所)筆者作成。
テンセントがQQにグループチャット機能を導入することにより、ユーザーは、既存のリアルスモールコミュニティ8を自発的にバーチャル上に再現させて、リアルスモールコミュニティ内のコミュニケーションをバーチャル上で行うようになった。これは、第1の間接的アプローチにより「リアル/バーチャル転換機能」を発揮させて、既存のリアルスモールコミュニティをバーチャル上に取り込んだことを意味する。次に、テンセントがグループ向けサービスを提供することにより、ユーザーは、グループ内のメンバー間で積極的にコミュニケーションを行うようになった。これは、第2の間接的アプローチによって「グループのアクティブ化機能」を発揮させたことを意味する。
更に、これらの間接的アプローチの結果として、当初、同じ学校や同じ職場などの形式的共通性に基づいてバーチャル上で再現されたグループ内に、共通の趣味や話題を持つメンバーのみで形成されるアクティブな小グループが派生することになった。また、グループ内でのコミュニケーションが活性化された結果、あるメンバーが所属する他のリアルスモールコミュニティについて、バーチャル上に再現させて友人を誘うよう強く動機付けられることとなり、このようなリアルスモールコミュニティを新たにバーチャル上に取り込む流れが生じたのである。
テンセントの間接的アプローチを概念的にまとめるならば、第1のアプローチにより顧客が属するリアルスモールコミュニティがバーチャル上に再現されてバーチャルグループが構築されたことを前提として、第2のアプローチによりバーチャルグループのユーザー間の情報・モノ・感情のやりとりが活性化される作用を生み出して、バーチャルなグループがリアルコミュニティと同様の親密なコミュニケーションの場になるよう顧客間の関係性を深化させ、これを通じてユーザーネットワークの質的充実を実現した。加えて、アクティブ化したグループのメンバーが、深化した顧客間関係に基づいて自発的に行動することにより、小グループの派生と新たなリアルコミュニティの取り込みを通じた顧客数やコミュニティ数の増大をも可能にし、複数の経路によるユーザーネットワークの量的拡大を実現できた、ということができる。
一般に、企業が直接介入する企業主導のコミュニティは企業によるコントロールが容易であるもののコミュニティの活性化が困難であり、逆に、企業が介入しない消費者主導型のコミュニティは活性化が期待できるものの企業によるコントロールが困難であると指摘されている(山本, 2006)。このようなトレードオフにより、ユーザーネットワークを構成するコミュニティへの企業による介入は困難性を伴うが、間接的アプローチは、顧客に企業の存在を意識させないことにより、このトレードオフを解消することができるため、顧客間の相互作用を介したコミュニティのコントロールを通じて顧客価値を向上させるための有効な手段となる。
次節では、テンセントの間接的アプローチに実効性を与えた製品開発について検討する。
5.2 顧客間相互作用の活性化を企図する製品開発テンセントは、ユーザーネットワークを構築する過程で、第1のアプローチによるリアル/バーチャル転換機能と第2のアプローチによるグループのアクティブ化機能という、相互に異なる機能を有する2種類の間接的アプローチにより、その量的拡大・質的充実を実現した。テンセントは、バーチャル上のグループとして再現されたリアルスモールコミュニティに対し、そのグループ単位及びグループ内の小グループのメンバー同士で使用されることを想定して、アバター用バーチャルアイテムを購入し贈答する機能、自分の空間を来訪した友人を楽曲等によりもてなす機能、同じゲームのスコアを友人同士で競う機能、写真や文章を交換する機能等を実装した。
その製品開発の要諦は、「個人向け最適化から集団向け最適化」であり、より具体的には、①複数の顧客ペルソナを活用して顧客ニーズを反映した製品開発の追求、②利用体験における顧客価値の最大化、③付加価値最大化に向けた評価システムによる製品開発の最適化、である。また、その製品開発は、顧客間の相互作用の促進を意図して、デザイナーと技術者とが開発初期からチームを組み、多面的な視点により顧客ニーズの把握に努め、部門連携的な改良を通じてユーザーの行動特性に応じた最適化を繰り返し、共同作業によって顧客体験の分析、アジャイル開発、イテレーション(素早い逐次改善)を実践するものである。このような製品開発に基づく種々のグループ向けサービスを提供することにより、第1の機能である「リアル/バーチャル転換機能」及び第2の機能である「グループのアクティブ化機能」を発揮させることができる。
テンセントの間接的アプローチは、顧客の属性に応じた心理的な行動特性を捉え、現に行動動機を刺激するような集団向け製品サービスとして最適化を行い、顧客価値を最大化する製品開発を基礎としている。テンセントは、顧客間相互作用の活性化を生み出し、顧客が顧客を呼び込みながらユーザーネットワークの拡大を誘発し、顧客価値を向上させながら顧客の直接的収益化を図りつつ、その収益を新たな顧客間相互作用を活性化させる製品開発に再投資するサイクルを生み出している。すなわち、顧客間の情報・モノ・感情のやりとりを活性化させることができる製品開発が、企業の急成長の駆動力になるものと考えることができる。
以上のように、顧客間相互作用の活性化を企図した製品開発が、顧客間相互作用を促進させて新たな顧客間関係を創出し、ユーザーネットワークの量的拡大・質的充実とユーザーネットワークの収益化の両方を実現する。顧客間相互作用を促進させる間接的アプローチは、個々のユーザーに対する直接的アプローチによりネットワークに呼び込む場合と比較して、遥かに迅速にユーザーネットワークを構築すると共に、ユーザー心理の刺激を通じたユーザー課金による収益化モデルを実現することができる。加えて、ユーザーネットワークは、リアル社会での人間関係をバーチャル上で再現させるため、ユーザーのネットワークからの離脱を防止する効果も生じる。
本論文では、「中国SNS市場において経営資源劣位にある企業は、どのようにユーザーネットワーク内の顧客と関係性を構築すればよいのか」というリサーチ・クエスチョンを立て、テンセントの経営戦略における間接的アプローチの方法論について考察した。
リサーチ・クエスチョンに対し、事例研究から導出された仮説は以下の通りである。
企業は、間接的アプローチを通じて、顧客集団に対して新たな顧客間関係の創出を目指して顧客間相互作用を促進する働きかけを行うことにより、ユーザーネットワークの量的拡大・質的充実とユーザーネットワークの収益化の両方を実現し得る。そのためには、顧客のあらゆる行動特性分析、心理的特性分析、顧客評価を通じて顧客知識と開発ノウハウを組織内に継続的に蓄積し、企業が直接コントロールし難い消費者主導のコミュニティを活性化させるための製品開発に活用することが肝要である。これらの意図的な取り組みが、顧客間の相互作用を促進し、新たな顧客間関係性を創出して、ユーザーネットワークの量的拡大・質的充実とユーザーネットワークの収益化の両方を実現し、この収益を次の製品開発に投資するサイクルを生み出すのである。
本論文では、上述のように間接的アプローチの方法論を明らかにすることを通じて、経営資源劣位の企業戦略として、意図的に顧客間の相互作用を促進させ、新たな顧客間関係を創出する間接的アプローチの有効性を示した。
本論文の事例研究から、以下の示唆が得られる。
まず、理論的な示唆として、企業の経営戦略における間接的アプローチの有効性に関して、間接性の源泉として組織外の相互作用・相互依存の環境メカニズムの論理を利用するのみならず、自ら顧客間相互作用を活性化し、顧客間関係を創出することが有効である。顧客間の相互作用を意図的に活性化させ、顧客間関係を創出する間接的アプローチは、関係性マーケティングにおける「顧客間の関係性」の視点に加えて「企業と顧客間関係との関係性(企業と顧客コミュニティとの関係性)」という視点の有効性を提示するものである。
次に、実務的な示唆として、SNSビジネスを成功させるためには、SNS内での顧客の行動を放置するのではなく、顧客間の相互作用が活性化し、顧客間関係が創出するような製品・サービスの開発、投入を目指して、顧客志向の製品開発に向けた継続的な情報蓄積とその活用という企業努力が有効である点、提示できるものと考える。
しかしながら本論文にも、まだいくつかの検討すべき課題が残されている。本論文は単一事例の分析であるため、分析から得られた結論がどの程度、他国や他産業の事例にまで一般化できるのかについては、比較研究を進める余地がある。また、本論文はもっぱら間接的アプローチに着目して事例分析を行ったが、インターネットサービス企業の成長に影響を与え得る他の要因(例えば、知的財産の活用等)については十分な検討を行うことができなかった。これらの点について、さらなる検証と考察を深めていくことが今後の課題である。