Journal of Innovation Management
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Globalization/Deglobalization Dynamics and the Transformation of Economic Systems from the Perspective of Institutional and Organizational Innovation and System Formation
Tetsuji Kawamura
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2024 Volume 21 Pages 35-70

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要旨

1990年代に顕著となったグローバリゼーションの潮流は、アメリカの経済グローバル化を最大の震源として進んだ。それは、第二次大戦後、1950・60年代に全盛期を迎えた、アメリカを筆頭とし、西ヨーロッパ、日本等の先進諸国・地域を中心として高い水準の経済成長が続いた「持続的成長」のシステムが、1960年代末から機能不全に陥ったことに対応して、企業の経営革新・金融革新の模索と、それと相互促進的にIT技術革新が大きく誘発されたことを基本動因として進んだものであった。アメリカの国内企業システムや金融システムの転換と並行しながら、企業・金融・情報のグローバル化と、それを促進する政府機能の新自由主義的転換が進み、西ヨーロッパ、日本など先進諸国・地域と並んで、BRICs諸国や「成長するアジア」を巻き込んで、経済グローバル化が大きく進んだ。その結果、アメリカを中心としてグローバルに経済成長を加速する新しい経済システムとして、「グローバル成長連関」―「グローバル・シティ」の都市機能とそのネットワークの重層的発展およびニューヨーク金融ファシリティをグローバル・センターとするグローバルな資金循環構造(「新帝国循環」)が複合した関係―が出現した。それは、企業・金融の制度・組織革新・情報技術革新、および政府機能の革新による経済システムの転換として捉えることができる。

Abstract

The globalization trend became quite notable in the 1990s, driven primarily by the globalization of the American economy. It corresponded to the breakdown of the postwar “sustained growth” system, which had thrived in the post-World War II period, especially in the 1950s and 1960s, led by the United States. The late 1960s marked the decline of this system, leading to massive innovation and institutional transformation in corporate management and the financial system, coupled with the accelerating advance of IT innovation. Beyond the domestic sphere in the United States, globalization of corporations, finance and information, propelled by a neoliberal shift in government, subsumed the developed world of Western Europe and Japan, as well as the BRICs and “growing Asia.” As a result, a new global economic system emerged with the United States at its core, characterized by a “global growth nexus” involving the multifaceted development of “global cities” and their networks, along with a global capital circulation structure centered around the financial center of New York, forming a “new imperial circulation.” This can be generally understood as a transformation of the economic system driven by institutional and organizational innovation in corporations, finance, IT and government functions.

1.  はじめに

1990年代以降、経済のグローバル化を中心として、グローバリゼーションの進行(グローバル化)が世界的に顕著な現象となった。さらに、2008年秋のいわゆる「リーマン・ショック」前後にとみに深刻化したグローバル金融危機・経済危機を大きな画期として、グローバル化に逆行するディグローバリゼーション(脱グローバル化)の潮流が現れてきている。

1990年代に顕著となるグローバリゼーションの潮流は、とりわけアメリカにおける企業・金融・情報のグローバル化と政府機能の新自由主義的転換を中心とする経済グローバル化を最大の震源とするものであった。こうした経済グローバル化は、第二次大戦後、1950・60年代にアメリカを筆頭に西ヨーロッパ、日本など先進諸国を中心として、世界的に持続的に高い水準で経済成長が続いた「持続的成長」のシステムが、1960年代末から機能不全に陥り、1970年代半ばを境に大きく転換を迫られることになったことに対応して、企業の経営革新・金融革新(「金融革命」ともよばれる)およびそれと相互促進的に進んだコンピューター・マイクロエレクトロニクスと情報通信技術の技術革新がもたらした一方の帰結であった。国内的にも、戦後長期にわたって「持続的成長」の主軸となっていた、「成熟した寡占体制」を特徴とするアメリカの基幹産業の戦後企業システムは、グローバル企業化を大きな特徴としながら変貌を遂げることになった。それに平行して、金融面でも、1980年代以降の「金融革新」(ないしは〔金融革命〕)進行し「ファイナンシャリゼーション」(「金融化」)と金融市場の「カジノ化」が進むと同時に、金融のグローバル化が進行し、金融システムも大きく変貌した。こうした動向に呼応しながら、戦後長らく国内経済の安定的管理を担った管理主義的政府機能は、「市場原理」を重視し「規制撤廃」(ディレギュレーション)」を進める「レーガノミックス」を画期として、企業・金融、制度・組織革新とグローバル化を積極的に後押しする新自由主義に大きく傾斜することになった。

こうした動向が、1980年代から加速されたアメリカ経済のグローバル化の中心的ダイナミズムとなった。そうした制度1・組織革新の動向が相互作用的に進行した結果、後にみるように、1990年代には、アメリカおよびグローバルに経済成長を拡大するグローバルな新たな経済システムとして、「グローバル成長連関」―「グローバル・シティ」の都市機能とそのネットワークの重層的発展およびニューヨーク金融ファシリティをグローバル・センターとするグローバルな資金循環構造が複合した関係を基本とする―が出現することになった。

大きく経済学的な視点を含めて、こうしたダイナミズム全体は、経済環境の激変と相互作用しながら進行する制度・組織革新を通じて、経済システムが変容するプロセスとして解明することができる。経済学的には、そうした経済システムの変容は、経済の総合的動向である景気循環と密接に関連した物価水準の動向の「型」の変容を通じて、それを決定づけている経済システムの制度・組織特性を明らかにするという方法によって捉えることが可能である2

実際にも、第二次大戦後のアメリカ経済および西ヨーロッパ、日本などの先進国経済の大きな特徴であった「持続的成長」は、戦後経済の景気循環の態様の変容と密接に関係して現れた根強いインフレ体質を伴うものであった。戦後世界経済の中心であるアメリカ経済には、第二次大戦の戦後インフレーションが1948–49年の景気後退を機に沈静化したのち、戦前のように急性的な「経済恐慌」に中断されることなく、1970年代半ばまで、歴史的にみても高い水準の経済成長が持続する「持続的成長」現象が現れると同時に、1950年代から1960年代初めには、景気後退期にも物価水準は下がらず、上昇率の鈍化にとどまり、いわゆる「クリーピング・インフレーション」の現象が現れた(図1)。こうした「持続的成長」は、1960年代末からの世界的インフレーションの高進とその反動による1974/75年の「戦後最大の不況」終わりを迎えるが、こうした著しい価格の下方硬直性を特徴とする戦後アメリカの根強いインフレ体質を伴う「持続的成長」は、戦後アメリカを中心として世界的な広がりをもつ経済システムによるものと捉えるべきものである3

図1 アメリカの戦後の持続的成長と物価水準の動向(第二次大戦前との対比)

(注)(1)、(2)ともに、曲線は3年間移動平均

(出所)Gordon(1986): 789–799より作成。

本稿は、以上のような視点から、とりわけ1980年代以降進行した「グローバリゼーション」の問題を、最近の「ディグローバリゼーション」の潮流への転換を含めて、それがどのような制度・組織革新の帰結なのか、またそこにどのような経済システムそのものの変容と転換が生じているのかを論じることを目的としている。本稿では、第1に、戦後アメリカの経済システムの制度・組織特性を明らかにする。1980年代以降、企業・金融・情報のグローバル化と政府機能新自由主義転換として現れた制度・組織革新が、なぜ必然的になったかを明らかにする前提となる。第2に、そうした戦後アメリカの経済システムが、1960年代末から70年代初めに機能不全に陥り、1970年代半ばを境にして大きく転換と再編を迫られ、それに対応した企業システム、金融システムの制度・組織革新の展開のダイナミズムと、その結果出現したアメリカを中心として、グローバルな規模で経済成長を加速する新たな経済システムとして、「グローバル成長連関」が出現したことを論じる。

「グローバル成長連関」として現れた、アメリカを中心としたグローバルな規模の新たな経済システムは、とりわけその金融側面において制度不備とシステム欠陥を含み、それが、2000年代末に深刻化したグローバル金融危機・経済危機を招く大きな原因となった。そのインパクトにより「グローバル成長連関」は変容を迫られ、グローバリゼーションに逆行する「ディグローバリゼーション」(「脱グローバル化」)の潮流を含めて、新たな制度・組織革新と経済システムの転換が誘発される可能性がある。こうした点については、次稿で論じる。

2.  戦後アメリカの「持続的成長」の経済システムの制度・組織構造とメカニズム

2.1  戦後アメリカの「持続的成長」の経済システムの基本構図

「資本主義の黄金時代」とも形容される(Marglin and Shor(1990))1950・60年代における、戦後世界経済の中心国であるアメリカの「持続的成長」の経済システムとその制度・組織構造とメカニズムについては、すでにさまざまな角度から各所で論じてきた4が、図2は、その基本構図を要約して示したものである。

図2 1950/60年代戦後アメリカの持続的成長の構図

(出所)河村(2003a)第3章などをもとに、筆者作成。

そうした「持続的成長」の経済システムは、1930年代世界大恐慌を経て、第二次大戦期の戦時経済における戦時産業動員体制と戦時経済におけるさまざまな制度装置の形成と組織革新を通じて確立された戦時経済システム―とりわけ「戦時高蓄積」の構造とメカニズム―が、戦争終結後の戦後再転換過程で一定の修正を受けて確立されたものであった5。そうした関係を受けて、その特徴は、主に次の3点に整理できる。

第1に、戦後アメリカの産業編成の基幹を担う大企業・巨大企業の「戦後企業体制」(the post-war Corporate System)を核とした〈「戦後企業体制」―「戦後労使関係」〉の連関が経済の基本拡張循環を形成した。第2に、それが、「軍産複合体」・「福祉国家」による〈財政支出―戦後企業体制〉、政府対外軍事・経済援助を通じた〈「ドル散布」―「戦後企業体制」〉という二つの副次的連関に補完され、第3に、全体として、IMF=ドル体制、GATT体制、冷戦体制として現れた世界的政治軍事体制という「パックス・アメリカーナ」の世界的枠組みを伴って、政府機能による経済管理メカニズムによって安定化された(河村(2003b): 62)。こうした三つの側面が一つのシステマティックな関係を持って戦後アメリカの「持続的成長」をもたらす経済拡張循環の核となる連関を形成していた。

「戦後企業体制」は、直接には、戦後アメリカの基幹産業に確立された大企業・巨大企業のシステムを指すが、企業システムとしてみれば、①戦後アメリカの基幹産業における大企業・巨大企業による「成熟した寡占体制」という経営組織・産業組織を最大の特徴とし、②アメリカ型(フォード=テーラー型)大量生産システムと、それに相応して確立された③大企業・巨大企業と大産別労組合との間に成立した戦後「伝統型」労使関係6を、三つの支柱とするものであった。

そこでは「成熟した寡占体制」と相まって、戦後アメリカの「伝統型」労使関係の制度装置を通じて、「基幹産業の大企業・巨大企業の基幹労働者の雇用と実質所得を保障する関係が制度的に構造化された7ことが「持続的成長」の経済システムの経済の拡張循環の基軸となった。それは、単に個々の企業レベルに止まらず、労使関係の制度構造・法制度などそれを取り巻く各種の制度構造や、政府機能、世界的な政治経済的枠組み(戦後パックス・アメリカーナ秩序)との関係を確立する最も中心となるものであった。

戦後アメリカの「伝統型」労使関係は、戦後アメリカの基幹産業の大企業・巨大企業と、UAW(全米自動車労組)、USW(全米鉄鋼労組)など、大産別労組を主力とする労働組合との間に成立した「労使妥協体制」(Gordon and Others(1982)訳: 154)を特徴とし、フォード=テーラー型大量生産システムと寡占的企業体制に見合った形で、戦後初期にアメリカの戦後基幹産業の産業体制として定着した。こうした戦後アメリカの「伝統型」労使関係の制度・組織的特性は、第二次大戦の戦後初期に、戦時経済からの再転換過程で定着したものであり、それがその特質を決める上で非常に重要な意味をもった。

労働側が企業の「経営権」を承認したことと引き替えに、経営側は、基幹労働者に対し、高水準の賃金およびその他SUB(補完的失業給付)、医療プランなどのフリンジ・ベネフィット(付加給付)を通じた経済的利益と、セニョリティ・ルールを通じた雇用保障を保障する関係を最も基本的な関係とした。それは、フォード=テーラー型大量生産システムによる経営側の労務管理の方式と、「ジョブ・コントロール・ユニオニズム」などの労働側の行動、そしてニューディール以降登場したアメリカの労使関係とおよびその労働法制的枠組み(ワグナー法・公正労働基準法、タフト・ハートレイ法)のもとで、団体交渉、労働協約、そしてCOLA(Cost of living Adjustment、生計費調整条項)、AIF(Annual Improvement Factor、年次改善要素)、セニョリティ、パタン・バーゲニングという戦後企業体制における労使関係の制度諸装置を通じて制度化され、全体として戦後「伝統型」労使関係を構成した8

COLAは、協約期間内の生計費の上昇を賃金引き上げに反映させる戦時期の賃金統制の基本となった「小鉄鋼定式」を受けて、戦後再転換過程で、生計費上昇と賃金水準を結びつける関係が幅広くアメリカの労使関係の基本として拡大したことがその制度的ベースを与えた。また、AIFは、協約期間中の生産性の上昇分を賃金引き上げに反映させる条項であり、それ通じて、労働側の「経営権」の承認によって可能となった大量生産システムの論理の追求がもたらす生産性の上昇の利益の一部が、労働者の賃金に反映される関係を与えた。さらに、SUB(補完的失業給付)、医療プランなどのフリンジ・ベネフィット(付加給付)が制度化され、労働者の高水準の所得がこの面からも保障された。これも戦時経済下の賃金統制を中心とする戦時労使関係の展開の中で生じた制度革新が幅広い制度化のベースを与えた(河村(1995)、最近のものとして河村(2022)をみよ)。

こうした「伝統型」労使関係の制度装置は、基幹的量産産業の大企業・巨大企業の基幹労働者に対して、高水準の賃金所得と雇用保障を与え、そうした大企業・巨大企業の戦後の「成熟した寡占体制」の確立に対応して一段と発展した「分権的事業部制」に代表される主要企業のビューロクラティックな経営管理組織が生み出す大量の事務職と中間管理層9の所得も、主要労働者の高所得(高賃金、高付加給付)が押し上げる関係となった。こうした大企業セクターの基幹労働者を軸とする分厚い中産層所得の継続的な維持と増大こそ、「レギュラシオン」理論のいう大量生産・大量消費の「フォーディズム」的構成の制度基盤であり、また戦後アメリカのサービス経済化の基本動力でもあった。

しかし同時に、「労務費」の「固定費」化と上昇圧力を構造化し、「成熟した寡占体制」によるその「価格転嫁」を通じた、インフレ・スパイラルを構造化するものであった。

こうした制度構成の上に、戦時経済下の技術革新を幅広い基盤とした戦後アメリカの生産性上昇が生み出す所得の維持と増大の構造が、耐久消費財産業を中心とする産業構造を支え、アメリカの戦後資本蓄積体制における経済拡張の基本循環を形成した10。その意味で、戦後の伝統型労使関係は、戦後アメリカの「持続的成長」の中軸を占める制度構造であったのである。

ここでさらにアメリカの基幹産業の大企業・巨大企業の企業システムの特徴である、「成熟した寡占体制」の意義も明らかにする必要がある。もともと「レギュラシオン」理論の「レギュラシオン」概念には、「フォーディズム」として現れる「企業体制」(実際には生産システム)とその基本ロジックを軸に、企業金融、政府機能や、多角的決済機構・国際通貨体制、世界的政治・軍事秩序などを総合化し、特定の「型」を解明しようとする論理を含んでいる。実際にも、ピオーリ&セーブルは、その点を「大企業体制」論として論じた。しかし「成熟した寡占体制」の問題の解明は十分とはいえなかった11

戦後アメリカの「伝統型」労使関係の基本構造の制度化は、戦後アメリカの大企業・巨大企業の企業体制の特徴である「成熟した寡占体制」の成立と一体となって確立され、機能したものであった。とりわけその成立過程に遡れば、労使妥協体制としての本質をもつ戦後労使関係の基本は、戦時産業動員・労働統制システムの解消過程の中で生じた戦後の激しい労働攻勢によって生じた戦後再転換危機のなかで、1947年労使関係法(タフト・ハートレイ法)への法制的枠組みの転換を伴いながら、戦時労使休戦体制の再編として与えられたものであった。とりわけ、戦後再転換過程における戦後インフレが進行するなかで、基本構造が確立されたことが、その特質を決める上で、非常に重要な作用を及ぼしたものであった12

アメリカの戦後企業体制の制度基盤である「伝統型」労使関係は、反面からいえば、労働コストの上昇圧力を産業レベルで構造化するものであった。戦後アメリカの基幹産業の主要企業は、「労使妥協体制」を基本とする戦後労使関係とその各種制度装置―多段かつ細分化された詳細な職務区分体系による職務区分体系と職務対応賃金、セニョリティ・ルール、COLA、AIF、団体交渉と労働協約、産別組合によるパタン・バーゲニングなど―は、基幹的労働者を中心に、賃金・付加給付および労働条件を、産業レベルで上方に平準化し、ビューロクラティックな経営組織に伴う中間管理層の俸給の押し上げを含め、労働コストの高水準な「固定費」化を強めさせた(河村(2003a)第3章などをみよ)。

戦後企業体制が構造化したそうした労働コストの下方硬直的な上昇圧力の吸収と、企業収益の確保を通じて企業の資本蓄積が持続する条件は、2つの面から与えられる関係にあった。第1に、生産性上昇である。その関連では、戦後アメリカにおいては、戦後技術革新のベースの上で、大量生産システムによる「規模の経済」と、オートメーションに代表される労働代替的な技術革新の導入を通じた生産性上昇が最も基本にあった。戦後アメリカの技術革新の一般的ベースとして、第二次大戦の戦時経済を大きな画期として幅広く技術革新と生産性上昇の基盤が与えられていた13。しかも、そうした基盤を生産性上昇として実現する関係を組み込んでいた。戦後「伝統型」労使関係における労働側の経営権の承認によって、経営側は技術革新による新技術の生産過程への導入と大量生産システムによる「規模の経済」を追求することが可能となった。こうした制度構成のもとで実現される継続的な生産性上昇によるコスト上昇圧力の吸収が最も基礎にあったが、寡占的企業行動と管理価格を通じた価格転嫁(「マークアップ・プライシング」)によってコスト上昇を吸収することが可能であった。そうした関係が「成熟した寡占体制」の発展と相互促進的関係にあり、そうした内的ロジックが戦後アメリカに特徴的な広告、マーケティング、流通組織などの発展にも強く作用した14

こうした戦後「伝統型」労使関係の制度構造と組織特性は、IBM、モトローラなど、ノンユニオンの主要企業にもユニオンセクターから波及して成立した15

以上をまとめれば、「持続的成長」の経済拡張循環の基軸を形成したアメリカの戦後企業体制において、「〈コスト上昇―価格転嫁〉」というインフレ・スパイラルが構造化された。そうした制度・組織特性が、「持続的成長」と同時に、「クリーピング・インフレーション」として現れた根強いインフレ体質、あるいは価格の下方硬直性をもたらすミクロ構造を与えたのである。しかしこうした構造は、マクロ経済的な大きな変動には、脆弱性を持っていた。それは単に個別産業・企業レベルのみでは確保されない関係にあった。そこに、戦後アメリカの政府機能、さらには世界的な戦後パックス・アメリカーナのマクロ経済的制度構造の意義との関連が浮かび上がる。

2.2  戦後企業体制のフレームワーク―「政府機能」と国際システム

アメリカ型(フォード=テーラー型)大量生産システムと戦後「伝統型」労使関係に立脚し、「ビューロクラティック」な大企業経営組織を伴う「成熟した寡占体制」を特徴とするという、その制度的・組織的な特質によって、アメリカの戦後企業体制は、マクロ経済的な需要の安定的な拡大をその重要な存立条件としていた。マクロ経済的な総需要の変動(在庫投資循環や設備投資循環、住宅建築循環)は不可避であり、財政・金融面からのショックやその他外的ショックが発生する場合にも、重大な問題が生起する構造的な特質が内在していた。

第1に、景気の加熱やその他の理由による超過需要の発展や、あるいは原材料価格が急騰するなどコスト・プッシュ圧力が強まると、構造化されたインフレ・スパイラルが悪化して、インフレが加速される。第2に、マクロ経済レベルの急激な市場需要の落ち込みと経済の縮小が発生すれば、一定期間の安定的な市場需要を前提に機能するアメリカ型大量生産システムの維持を困難にする(Piore and Sabel(1984)など)。同時に、戦後労使関係の安定化の前提条件が崩れ、労使妥協体制は不安定なものとなる。

最も基本的な関係としてみれば、「レギュラシオン」理論が強調したように、アメリカの戦後企業体制そのものが、企業・産業レベルで、経済拡張の基本循環として、マクロ経済的な需要の安定的な拡大を持続させる条件を基本的に構造化していた。個別企業・産業レベルでは、寡占的企業行動そのものが、広告、マーケティング、流通組織の発展によってそうした条件を確保することを強く指向した。しかし、それは企業システム・労使関係レベルの対応で確保されるものではなかった。そこに、戦後の「政府機能」が重要な意義を持つ関係にあった16

第1に、国内的には、構造的に制度化された側面として、財政機能の面でみると、「軍産複合構造」および程度は下がるが「福祉国家」の側面が、戦後アメリカ経済においてより「制度」的に構造化されたものとして、戦後企業体制による経済拡張の基本連関に対し補完的循環を形成し、マクロ的な需要の安定的拡大に寄与するものであった17。また、累進課税制と失業給付を軸とする「自動安定化装置」が、景気循環的変動を平準化するより重要な意義を担った。そうした連邦政府財政の機能は、基幹産業の中心部労働者・中間経営管理層などの分厚い中産層の高水準の所得の一部が、急傾斜の累進所得税制など戦時期以来の基本を維持した戦後租税構造によって、連邦財政(また州・地方財政にも)に吸収されたことによって支えられた。

さらに、国内経済を超えて、戦後パックス・アメリカーナの世界経済的枠組み―その主要な支柱は国際通貨体制・GATT、政治・軍事秩序とアメリカ連邦政府による対外政治・軍事・経済援助(ドル散布)―が、重要な機構的フレームワークを構成した。むしろ、戦後パックス・アメリカーナの世界的な制度・秩序フレームワークは、国内の基本ロジックが基本的には貫いて形成されたものとみるべきものである18

経済的側面では、ドルを国際基軸通貨として「固定」為替相場制を特徴とする国際的管理通貨制としてのIMF=ドル体制は、アメリカの戦後企業体制が構造化した持続的な価格上昇構造を国際的なインフレ体制として維持する制度的枠組みとして機能した19。その実質はアメリカによる戦後世界の政治軍事秩序―ソ連さらに東欧・中国社会主義圏の「封じ込め」を本質とする戦後「冷戦」を軸とする―の維持を目的とする政府対外政治・軍事・経済援助を通じた「ドル散布」が支えた。そうしたアメリカの対外的政治(=軍事的=経済的)援助は、第二次大戦期のアメリカを軸とした戦時連合国体制を維持する「レンド・リース」から、戦後世界の資本主義的再建とパックス・アメリカーナの確立の重要な手段となった戦後初期の―マーシャルプランを含む―戦後復興・再建援助に始まり、その後、IMF(国際通貨基金)の短期融資機能を超えて、国際インフレ体制としてのIMF=ドル体制の機能を実質で支えた20。しかもそれは、GATT体制を制度枠組みとする戦後自由貿易体制によって、アメリカの圧倒的な産業的国際競争力優位を基盤として、アメリカの戦後主要企業の需要としてアメリカに直接環流した。それはアメリカを軸とする世界的資金循環の重要な一環を形成し、国際的インフレ体制としてのIMF=ドル体制のメカニズムに枠をはめる役割を果たした。

以上のような内外の制度的・機構的な各側面が総合され、戦後アメリカ経済の「持続的成長」構造が、戦後企業体制を中核として、政府機能や国内外の管理通貨体制、通商体制、さらに世界的な政治・軍事の機構的枠組みをも一体化した、「持続的成長」の政治経済システムというべき有機的な構造として、確立されていた。そうした構造は、第二次大戦期の戦時「高蓄積」体制の戦後再転換として、戦後初期からいわば一体化したものとして形成されたことが大きな特徴であったのである。

2.3  戦後「持続的成長」の経済システムの機能不全と戦後の「持続的成長」の終焉

そうした戦後世界の中心を占めたアメリカの「持続的成長」の経済システム(制度・組織構造とメカニズム)は、1960年代末~70年代初めに機能不全に陥った。ベトナム戦争―パックス・アメリカーナの世界的軍事体制・冷戦構造の下で生じた―による軍事支出増と、反戦運動と人種暴動が複合した社会不安の拡大に対応したジョンソン政権の「偉大な社会」プログラムによって、財政赤字の拡大による超過需要の発生というマクロ経済面の問題が拡大し、インフレ・スパイラルが決定的に悪化して、インフレーションが昂進した。他方では、基幹的量産産業の大量生産システムと戦後「伝統型」労使関係の問題が顕在化し、そうしたインフレーションの昂進と相俟って、アメリカの基幹産業の競争力の後退を促進した。1960年代後半には、アメリカの基幹産業の「伝統型」労使関係は、すでに内在的な問題を顕在化させていた。いわゆる「周辺部労働者」の不満の高まりを通じてアブセンティズムの増加や規律の低下、山猫ストの頻発など「職場の荒廃」の形ですでに不安定化する様相を強めていた。こうして、マクロ経済レベルおよび生産現場のミクロレベルの問題の両面から、戦後の「持続的成長」の経済システムが大きな機能不全に陥いる最大の原因となった。

アメリカの戦後の基幹産業の産業競争力の後退は、アメリカの貿易黒字を消滅させ、国際収支の赤字によるドル過剰がドル危機に発展し、クローリングペッグ制を特徴とする戦後IMF=ドル体制の為替相場制度を介して、世界的なインフレ伝播機構としてのIMF=ドル体制を通じて世界的に拡大し、第一次石油ショックによって加速されながら、金・ドル交換性停止と変動相場制への移行を必然化した。インフレーションの激化に対する厳しい金融引き締めを契機に、1974・75年の「戦後最大の不況」(当時)を生じ、「持続的成長」は終焉を迎えた21

1970年代後半、戦後「制度化」されて組み込まれていた、フォード、カーター政権によるケインズ主義的財政的景気刺激の一方、1960年代から70年代初めにかけて暴発したインフレーションのなかで、戦後企業体制のインフレ・スパイラルの制度構造は、COLAを含む労働協約が大きく増えるなど、むしろ拡大して続いていた。その結果、アメリカ経済はスタグフレーションに陥り、ケインズ主義的景気管理の有効性は大きく失われた―これが1980年代からの「レーガノミックス」が代表する政府機能の新自由主義的転換の最大の原因であった。「スタグフレーション」は、「戦後企業体制」を軸とする戦後アメリカの経済システムが機能不全に陥ったことを端的に示す現象であった22

3.  アメリカを中心とする戦後経済システムの転換とグローバル化の展開

3.1  アメリカの戦後企業システムの制度・組織革新とグローバル化

こうして、アメリカの1950・60年代の「持続的成長」をもたらした戦後企業体制を中心とした経済システムは、1960年代末から機能不全に陥り、1970年代半ばを境に大きな限界に直面した。1970年代末にかけて、アメリカの製造業全体が、産業競争力を測る7つの尺度すべてにおいて「深刻な国際競争力問題に直面」した(Cohen and Zysman(1987)訳: 98)。アメリカの多くの主要企業は大きな苦境に陥いることになった23。1980年代以降、そうした事態に対して、戦後企業体制の組み替えを図る経営革新と、同時に戦後企業体制と一体であった金融システムでも金融革新が展開され、マイクロエレクトロニクス・IT情報化の技術革新と相互促進的に進み、戦後アメリカの経済システムの制度・組織革新の動きが拡大し、経済システム全体にも大きな転換をもたらす最大のダイナミズムを与えたとみることができる。それは同時に、アメリカ経済のグローバル化を大きく促進するものとなった。

1980年代以降進んだそうした動きは、主に、①戦後企業体制の転換と再編の模索、②それと密接に関連して進行した企業・金融・情報のグローバル化、③「レーガノミックス」以降の政府機能の新自由主義的転換、という三つの側面から展開された。その一つの帰結として、ソ連・東欧の社会主義の崩壊による戦後冷戦の終結と中国の「改革開放」・市場経済化と相まって、「グローバル成長連関」―「グローバル・シティ」とその重層的ネットワークの発展と「新帝国循環」(1980年代以降に大きく進展した金融革新と金融市場の「カジノ化」を特徴とする「ファイナンシャリゼーション」[「金融化」ないしは「金融膨張」]を伴うアメリカを軸とする世界的資金循環構造)とが複合した構造―として、世界的な経済拡大の循環システムが、アメリカを軸としてグローバルな規模で出現した。しかし同時に、そうした経済システムは、2008年秋にとみに深刻化した2000年代末のグーバル金融危機・経済危機を招く関係を内包していた。2000年代末に発生した深刻化なグローバル金融危機・経済危機の大きな衝撃に対するアメリカおよび主要国の異例の財政・金融の政策的対応で、「グローバル成長連関」そのものの崩壊は回避されたが、危機対応と経済開発戦略の転換を通じて政治・軍事的・経済的に急速に台頭した中国によるアメリカの覇権への挑戦と米中摩擦が進行し、さらに、2019年末からの新型コロナ・グローバル・パンデミックと2022年2月からのロシアのウクライナ侵攻、さらにパレスチナ問題による中東の不安定化によるインパクトが加わって、現在に至る「ディグローバリゼーション」のさまざまな趨勢を生じたものと捉えることができる。

そうした視点から、続いてまず、経済システム全体の転換とグローバリゼーションをもたらした、1980年代以降進んだアメリカ企業体制の制度・組織革新を伴う経営革新と、金融革新の動き、および、それに直接に関連した技術革新―とりわけIT・ICT(情報通信技術)革新―のダイナミズムについてみてゆこう24

(1)  アメリカの主要企業の経営革新による制度・組織転換と企業のグローバル化

すでにみたように、戦後アメリカの企業社会の主力を占めた企業システムは、要約すれば、①「成熟した寡占体制」とそれに対応した「ビューロクラッティック」な経営管理組織、②フォード=テーラー型大量生産システム、③伝統型労使関係、という3点を最大の特徴とするものであった。それは、第二次大戦機のアメリカの戦時経済のもとで生じた大規模な制度・組織革新を経て、戦後1950年代初めまでに、アメリカの基幹的量産産業で、典型的に確立されたものであった。そうした企業システムを核とする戦後アメリカの「持続的成長」の経済システムは、1960年代末から70年代初めにかけて、内外の要因により機能不全に陥り、70年代半ば以降、世界的にも低成長経済に移行した。そこでは、アメリカの戦後企業システムに著しく不利な条件が発展した。①エネルギー価格の高騰と賃金爆発による生産コストの顕著な上昇が、戦後企業体制が構造化していた「インフレ・スパイラル」を決定的に悪化させた。また、②世界的な相対価格の激変と変動相場制への移行があいまって比較優位関係が大きく変動して国際分業関係が流動化し、世界的な低成長への転換によって、アメリカ国内外で国際競争が激化した。③市場の変動と不確実性の拡大によって、アメリカの基幹製造業の戦後企業システムが維持される前提条件が、決定的に喪われた。とりわけ、1960年代までのような「成熟した寡占体制」を維持できる条件が大きく損なわれた25

そうしたコスト高、低成長による市場の縮小と変動の拡大を伴う競争激化という事態は、戦後世界経済の中心を占めたアメリカの戦後システムの機能不全が根本原因となって生じたものであり、そうした戦後秩序の枠内にあった西ヨーロッパや日本にも共通の圧力として作用した。しかし、とりわけ、戦後企業システムが典型的に成立していた自動車、電機、鉄鋼、一般機械などアメリカの戦後の主力産業に不利に作用した(Dertouzos and Others(1989)Yates(1983)など)。1970年代末から1980年代に、ピオーリとセーブルが、「大量生産体制の危機」とよび、また全体に「大企業体制の危機」(Piore and Sabel(1984)訳:第7章)を生じ、非常に深刻な国際競争力問題を引き起こした26。しかも、1980年代初頭は、1970年代末のインフレーションの昂進に対する、マネタリスト的金融引き締めがもたらした高金利に続く金利水準の高止まりと、ドル高の影響が加わった。こうした事態が、アメリカの主要企業に、ビューロクラティックな企業経営組織を大幅に組み替え、アメリカ型(フォード=テーラー型)大量生産産システムの転換を図る経営革新を大きく誘発することになったといってよい(河村(2003a): 286–284)。

戦後企業体制の企業システムの組み替えの動きは、実際には、性格を異にするいくつかの方向を含む複合的な性格のものであったが、基本的には、主に次の2面で進んだ27。第1に、エネルギーコスト、労賃コストの上昇圧力、市場の不安定・不確実性の高まり、国際競争圧力の増大によって維持が困難となった「成熟した寡占体制」とその経営組織を、より競争指向・市場指向に組み替える動き。第2に、経営環境の激変に適合的でなくなった、「少品種大量生産」と「規模の経済」を基本論理とする非弾力的なアメリカ型(フォード=テーラー型)大量生産システムを柔軟化する生産革新の動き。それは「伝統型」労使関係にも大きな転換圧力を生じるものであった。こうした経営革新の動きは、企業のグローバル化を加速するものであった。主要企業は、事業活動をますます国境を越え、まさに「グローバル」に展開する指向を強めた。そうしたアメリカの主要企業のグローバル化の顕著な動きは、世界市場でアメリカの主要企業と競合する他の主要諸国・地域の主要企業にも、大きな競争圧力を与え、それに対応した経営革新や事業戦略の展開を余儀なくさせる大きなインパクトを与え、企業のグローバル化を促進した。

まず第1の動向であるが、アメリカの主要企業は、国内的には、①コングロマリットの解体と本業強化(「コアコンピタンス」)の追求、ビューロクラティック(官僚的)な企業組織の解体と経営組織のフラット化=ダウンサイジングを通じた迅速な意志決定、リードタイム、開発期間の短縮などの動きを伴う経営組織・事業構成の転換の動きを強めた。製品品質の向上や製品開発力の強化を進め、コストの切り下げを図り、競争力を強化するために経営・生産システムの転換を目指す「リエンジニアリング」や「リストラクチャリング」の動きが進んだ。それが一方では、1980年代以降のM&Aの盛行の動因となった。

M&Aと事業構造の再構築 M&Aとそれを通じた事業構造の転換の背景となったのは、1960年代末から1970年代末にかけて大きく加速したインフレーションによるものであった。株式時価総額が企業資産の時価総額よりも小さい過小評価企業が幅広く生じた(いわゆる「Qレシオ」の相対的低水準)。そのため、競争力回復のために企業再編成・合理化を進める上で、新規設備投資を行うより、むしろ既存企業を買収・合併したほうがより有利となった。こうした事情が、M&Aを通じた「リストラクチュアリング」(事業構造の再構築)を一般化させた―同じ要因がLBO(Leveraged Buyout)の大きな基盤を与えた。加えて、アメリカの「産業再活性化」(re-industrization)を掲げて登場したレーガン政権の反トラスト法適用の緩和や、金融自由化を含む経済諸規制の緩和・撤廃=「ディ・レギュレーション」がその大きな促進要因となった。1980年代のM&Aの盛行は、一面で「マネーゲーム」的様相を強めたが、1980年代初めの不況と高金利・ドル高によって大きく加重された再編・転換圧力のもとで、アメリカの主要企業が、金融緩和への転換で生じた余剰資金の流入を推進剤にしながら、証券市場における株式売買を通じて、戦後の「成熟した寡占体制」のもとで構築されていた多角経営事業のラインを再編成して、不採算部門を切り捨て、「本業強化」(「コアコンピタンス」の重視)を図る事業構造を再構築しようとする動きが、その重要な一面であった(河村(2003a)第5章3①: 263–266)。

1980年代のアメリカの基幹産業における主要企業のM&Aは、大小さまざまな企業と産業分野で展開された。まず石油業が前半の焦点になり、さらに情報通信、化学産業などハイテク分野に広がり、並行しながら、GMを筆頭とする自動車産業のビッグスリー、鉄鋼業のUSスティールなど、従来の伝統的基幹産業の巨大企業・コングロマリットの動きが絡んで、大規模に進行した。とりわけ、衰退産業化した鉄鋼業、また石油危機後の巨大石油会社などが不採算事業部門の整理や、新たな事業部門を買収しようとする動き、またさらに情報通信産業や化学産業などの巨大企業の再編成の動き、成長部門と目されるハイテク部門に進出しようとする動きなどがとりわけ目立った特徴であった。全体として、事業多角化戦略によって異業種の事業ラインを抱え込んでコングロマリット化した巨大企業が業態の再編を進めようとする動きが重要な一面であった28

企業の経営組織の革新 これに平行して、大企業・巨大企業の経営組織そのものの革新も進められた。その一つは、「ダウンサイジング」(事業単位・企業組織の縮小)であった。これはM&Aを通じた事業ラインの再編成と並行して展開され、「アウトソーシング」(業務の外部委託・外部調達)・分社化と中間管理層の削減による経営組織のフラット化などの形で、幅広く進められた。かつての大企業の官僚的な企業組織をより簡素化・スリム化することを通じ、競争激化と市場変動に機動的に対処するため意志決定を迅速化すると同時に、管理コスト低減を図って効率的経営を実現することを狙ったものであった。1980年代にも、鉄鋼業のミニミルの展開や、GEなどの事業再編と再生など、ダウンサイジングの試みの一定の成功の事例が現れ、1990年代には、さらにインターネットなど、ネットワーク技術の発展を核とする情報技術(IT)を積極的に活用して幅広く展開されていった。

ダウンサイジングの重要な手段となったアウトソーシングは、競争力の高い部門に経営資源を集中し「コアコンピタンス」(競争力のある本業)を強化しながら、企業本体の経営組織のスリム化をもたらす重要な手段であった。国内外の顕著な競争圧力にさらされた既存の大企業・巨大企業にとっては、こうした業務のアウトソーシングは、企業内の労使関係を維持しながら、低賃金労働者や一時雇用を利用する外部委託業者や人材派遣業者を利用して、コスト負担を軽減し、同時に、より高い付加価値を生む本業に集中することを可能にするものであり、企業経営の効率化をもたらす手段となった。そうした経営革新の動きは、1980年代初頭の「譲歩交渉」に典型的に現れたように、「伝統型」戦後労使関係にも大きな転換圧力を生じるものであった29

ダウンサイジングによる雇用調整は、寡占的大企業のビューロクラティック(官僚的)な経営組織の簡素化を含み、それまで比較的長期雇用が保証されていたホワイトカラー層も雇用整理の対象となったことが大きな特徴であった。その結果、一方では、企業内で事務系業務が減少し、経営・管理職、専門職などのより高度な知識・技能を要する業務が増加した。同時に、外部委託される業務の受け皿となる専門企業サービス業が大きく拡大され、続いてみる、グローバル・シティの都市機能の拡大の大きな動因を与えるものとなった。しかも、こうしたアウトソーシングの動きは、グローバルな企業競争が激化するにしたがって、アメリカ国内にとどまらず、国境を越えた事業体制の構築のためのグローバルな規模の複雑な合従連衡とM&Aと並んで、グローバル・アウトソーシングと、さらにオフショアリング(事業拠点の海外移転)の動きとして展開され、アメリカ企業活動のグローバル化の重要な一面となった。

生産革新の模索 上記第2の側面であるアメリカ型(フォード=テーラー型)大量生産システムの転換を図る生産革新も、同じく「成熟化した寡占体制」が崩れ、内外の競争激化と市場の不確実性の高まりに対応しようとするものであった。市場需要のセグメント化や製品のライフサイクルの短期化に対応し、製品差別化の推進と製品ラインの拡充を図り、しかもそれを、効率よく低コストで生産する「多品種少量生産」を実現することが最大の課題となった。そのため、とりわけ「少品種大量生産」と「規模の経済」の追求を基本ロジックとするアメリカ型大量生産システム固有の非弾力的な生産ラインそのもののフレキシブル化が必要とされた。これは、すでに1960年代後半から顕在化した「市場の成熟化」に対応して課題として浮上していたが、さらにそれが、市場競争の激化と需要の不確実性の高まりによって、大きく加速された。

経営困難に直面したアメリカ主要企業のなかには、一面では従来の戦後企業体制の論理の延長線上で、コストダウンと合理化を追求する動きをみせた。1980年代初めの経営危機後のクライスラーが典型例の一つであるが、それは、製品種類を絞り込んで量産効果を発揮させる動きや、モデルチェンジを先延ばしして、金型や専用設備などの固定費の相対的な低減を図る試み、労働代替的な自動化設備による生産効率の引き上げなど、伝統的なフォード=テーラー型生産システムの論理の延長線上で、従来型の単純大量生産体制を一段と強化する動きであった。しかし、こうした逆行的動きには大きな限界があった。専用機によるメカニカル・オートメーションによる大量生産体制の強化は、製造ラインの硬直化を促進し、製品多様化に対応しようとすればコストの上昇を招く。アバナシーのいう「生産性ジレンマ」(Abernathy(1978))に直面する。1980年代以降の市場環境は、単なるメカニカルな機械化・自動化では対処できるものではなかった。

アメリカ企業の対応として現れた一つの重要な方向は、「ME自動化」の追求であった。「ME自動化」は、1980年代以降、生産ラインの多品種生産化・フレキシブル化を促進し、同時に、省エネルギー・省力化を実現する新技術として大きく注目された。技術学的には、従来のメカニカルな機械化・自動化と異なって、「伝統的な機械原理の制約」を離脱させる柔軟化・弾力化技術として、コンピューター・情報通信技術革新を軸とする、いわるゆるME(マイクロエレクトロニクス)化技術が脚光を浴び30、1980年代から、省エネルギー、省力化、生産品目の多品種化・フレキシブル化を促進する技術として、急速に発展が加速されることになった。生産現場においても、FMS(Flexible Manufacturing System)や、CIM(Computer Integrated Manufacturing)などの導入を含む、FA(Factory Automation)化が幅広く追求された。こうした生産革新と並んで、コンピューター/ME技術、さらに情報通信技術(IT/ITC)は、事務部門の合理化や中間管理層の削減など経営組織のフラット化などの経営組織の革新にも活用され、相互促進的に技術革新が大きく促進された。ME化技術・ITの急速な発展は、こうして、1970年代以降激変した経済環境に対応するための技術であったという点が強調されてよい(河村(1996): 213、河村(2003a): 288–290)。

そうした技術発展は、一方では、電子メールやLANの活用、OA/FA、サプライチェーン・マネジメントなど、経営組織革新・生産革新に幅広く活用されると同時に、金融自由化の動きと絡みつつ、変動幅を大きく拡大した金融市場におけるディリバティブの発展やプログラム取引など金融技術の大きな発展を生みだし、金融グローバル化と世界的な金融の投機的発展を促進した。また、グローバルに広がったアウトソーシングの管理としてサプライチェーンマネジメント(SMC)やグローバルな財務管理等、グローバルな事業管理の重要な手段となって、企業のグローバル化と相互促進的に発展した。こうしたネットワーク技術の最大の画期となったのは、1990年代半ばからのインターネットに代表されるネットワーク技術の発展であった。それが顕著な「IT革命」として現れ、後にみるように、むしろ「ITバブル」の発展を生みだしていったことは注目しておかなければならない。

しかし、生産革新としてみると、ME化・IT技術革新を通じた生産システムの効率化とフレキシル化には大きな限界があった(河村(1996): 213–214、河村(2003a): 290)。根本的な問題は、ME自動化も結局は人間のマニュアルレーバーがもつような柔軟性と比べ、生産ラインの柔軟化技術として大きな限界があったことである31。したがってそうした限界を補完してME自動化が持つ柔軟化技術の特質を最大現に発揮させるためには、さらに伝統的なアメリカ型の職場や戦後企業システムに一般に希薄であった面で、新たな革新が必要であることが明らかになった。

①「伝統型」労使関係が支配的な職場では、技術部門が主導した労働者排除型の省力化として導入される傾向となる。そのため、ジョブ・コントロール・ユニオニズムと直接衝突し、労働側の抵抗が大きかった。②ME化技術の円滑な機能は、小池和夫が「現代の熟練」として強調するような、新たな質の熟練を要請するものであった。より一般化していえば、「ものづくり」の現場において、偏在する現場の熟練や知織・ノウハウを組織し、品質や効率の引き上げる「能力構築」のシステム32そのものが非常に重要であることが明らかとなったのである。

こうした事情が大きく作用し、生産システムそのものを柔軟化しコスト削減を実現しうるシステムとして、日本型経営・生産システムが注目を浴び33、その基本論理や諸要素を取り入れ、生産システムそのものをより柔軟で効率的に組み替えようとする、いわゆる、「ジャパナイゼーション」の動きが拡大した。トヨタ生産システム(TPS)の「カンバン方式」に代表されるJITシステムないしは「リーン生産方式」の導入が追求され、1980年代以降のアメリカ製造業の生産革新の大きな流れの一つとなった。1970年代後半から激しくなった日米貿易摩擦に対する対応として進んだ、自動車、電機、一般機械などの日本の主要企業のアメリカ現地工場が、良好なパフォーマンスをみせ、日本型経営・生産システムが、伝統的なアメリカ型の大量生産システムに対し、基本的な部分で対極的な特徴34をもつことが明らかにされ、日本型経営・生産システムに関する研究も大きく進展した。1970年代後半以降顕著となった日米の対照的な産業的パフォーマンスの違いと結びつけて、アメリカの競争力の劣位と産業的衰退が、アメリカ型経営・生産システムの問題そのものに求めるべきとの論調も高まった。とくに、MITの産業生産性調査委員会による広範な実態研究(Dertouzos et al (1989), Wormack et al (1990), The MIT Commission on Industrial Productivity (1989))が、アメリカ型大量生産システムに対して、日本型の生産ライン編成原理と部品調達システムを、「リーン生産システム」(Lean production system)と呼んでその普遍的な優位性を強調したことで、そうした動きはさらに促進された。

こうした方向での経営革新・生産システムの革新については、多数の事例研究が紹介されているが、1990年代末には『大統領経済報告』でもアメリカ製造業の躍進に大きく寄与したものとして、その効果が高く評価されている35

しかし、こうした経営革新・生産革新の動きは、とりわけアメリカの「伝統型」労使関係として制度化されていた労働慣行・ワークルールの制約が根強く作用し、その面からの国内的なコスト削減効果には大きな限界をもつものであった。企業経営組織の再編、伝統的な大量生産システムの組み替え、ME化やIT技術の導入と活用といった動きは、「成熟した寡占体制」の衰退と相まって、アメリカの「伝統型」労使関係にも大きな改変圧力を加えた。もともと、「伝統型」労使関係は優れて戦後の「成熟した寡占体制」に見合って確立されたものであったため、その破綻によって、そのまま「伝統型」労使関係を維持することは、著しく困難な関係にあった。しかし、とりわけ伝統的な工業地帯の基幹産業で強固に確立されていた「伝統型」労使関係は、直ちに変更することは困難であった。それが、一方では、アメリカの主要企業が南部「労働権州」や海外へと生産拠点を移動する大きな動因を与えることになった。

1980年代初めから展開された「譲歩交渉」など、戦後の「伝統型」労使関係の再編の動きが広がった。とりわけ、パート・アルバイト、臨時雇用を広範に利用するいわゆる「雇用のJIT化」の進行、ユニオンからノンユニオン型への趨勢の転換などの動きが進んだ。いずれも、「成熟した寡占体制」の破綻と競争圧力の激化、市場の不安定、不確実性の高まり、競争基準の流動化などに対応し、変動への迅速な対処とコスト削減をめざす動きであった(Kochan and others(1994): 93–96)。

そこには企業組織の内部まで市場原理を徹底しようとする企業経営の論理が強力に作用していた。アメリカ国内の「成熟した寡占体制」が維持できなくなり、市場原理的関係が生の形で表面化し、アメリカの戦後労使関係の制度諸装置を解体し再編する圧力を加えるという事態があった。しかもそれは、主要なアメリカ企業の戦略的対応を通じ、世界的にもそうした市場原理の浸透を拡大するものとなった。

しかし、大きな問題は、アメリカ主要企業の企業組織内、さらに労使関係まで市場原理を徹底させる動きを伴うリストラクチャリング、リエンジニアリングは、実際には、戦後の「伝統型」労使関係が、とりわけ根強く強固に確立されていた基幹産業部門で、大きな制約となったことであった。

1980年代以降、「譲歩交渉」でも追及されたように、アメリカのユニオンセクターにおけるセニョリティ制の弛緩やCOLA、AIFなど伝統型賃金決定方式の変容が指摘されている36。アメリカの産業システム全体でみれば、すでに1980年代までに労働組合組織率は10%台前半まで落ち込んだ。労働組合を前提したかつての「伝統型」労使関係や労働慣行・ワークルールが厳密な意味で主流を占めているとはいえない。大きな趨勢としては、むしろコーハン、カッツ、マッカージーが1980年代から強調し(Kochan and others(1986),(1994)Chapter 4)、さらにジャコビー(Jacoby(1997))なども主張したように、「ノンユニオン型」労使関係が拡大した。しかし、戦後の「伝統型」労使関係が典型的に成立していた基幹的量産産業のとりわけユニオンセクターでは、セニョリティ・ルールや「職務対応賃金」など伝統型の職場の労働慣行・ワークルールは根強い。そうした労働慣行・ワークルールはむしろ、長期歴史的にアメリカの産業社会に定着したものであり、容易に転換可能なものではなかった。その意味で、日本型の「能力構築」システムを支える職場レベルの制度装置は、そのままアメリカの基幹的量産産業の現場で、実現できるものではなかった。また、全体としてみても、1935年のワグナー法および戦後初期に成立した1947年タフト・ハートレイ法による、アメリカの労使関係の基本的な法制度枠組みも現在に至るまで大きくは変わっていない。いわゆる「雇用のJIT化」や「二重賃金」(two-tier wages)・「一時金」(lump-sum payments)制度の拡大など、アメリカにおける労働市場や雇用慣行、賃金制度などの面で生じた変化は、市場競争圧力の増大に対応して、基幹的なワーカーについては―ノンユニオン的な方向へ一定の変化を伴いつつも―、大枠としては伝統型が維持されるなかで、周辺労働者を中心に賃金と雇用を柔軟化して、かつての固定費化した労務コストを、より市場指向的に削減しようとする動きであったとみるべきものである37

こうして、アメリカの伝統的な基幹的量産産業企業の国内の生産革新・経営革新にとって、「伝統型」労使関係と労働慣行・ワークルールの制約が、生産活動・事業活動の「オフショアリング」と「グローバル・アウトソーシング」がとりわけ労働コストの低い地域・諸国に展開される、最大の要因に一つとなったとみることができる。「グローバル・アウトソーシング」と「オフショアリング」が複合して、アメリカ主要企業のグローバル化が大きく進展することになった。

「グローバリゼーション」という現象そのものは、多様な意味をもって捉えられるが、一つの顕著な側面は、企業活動が多国籍化し、企業の事業活動が国境の壁を越えてグローバルに拡大することである。戦後のアメリカ主要企業の多国籍化は、R. バーノンのプロダクトサイクル論がモデル化したように(Vernon(1971): 65–77)、1960年代、戦後企業体制のもとで、主要製造企業が国内の「成熟した寡占体制」を維持しつつ、経営多角化の一環として海外事業による収益確保を目指す動きを基本動因としていた。その動きは、とくに、ヨーロッパの市場統合への対応という形で1950年代末から顕在化していた。しかし、1970年代以降、とりわけ、高エネルギーコストと賃金爆発を主な原因とする国内高コスト構造、国際競争の激化、変動相場制のもとにおける国際競争基準の流動化といった事態に直面したアメリカ主要企業は、生産拠点そのものをメキシコ、中南米、さらに東南アジアに移転する動きを強めた。そこには、戦後の「伝統型」労使関係の組み替えを伴う生産システムの革新の必要が高まるなか、労働側の抵抗、伝統型労使関係の根強さという要因が強い動機として作用していたとみることができるのである38

それは、賃金コストが安く労使関係の制約が少ない南西部に生産拠点を移動させるGMの「南部戦略」に典型的に示されていたが、さらに国境を越えて、労働コストが低く、労使関係の制約がないメキシコや中南米、東南アジアなどに製造拠点・事業拠点を移す「オフショアリング」の動機を加速し、アメリカ主要企業のグローバル化を大きく促進する最大の要因を与えたとみることができる。

そうしたアメリカ主要企業のグローバル化が大きなインパクトの源泉となって、競合するヨーロッパ、日本、その他の主要企業を巻き込んで、世界的にグローバル企業化を促進した。それは、企業の生産活動のみならず、金融・資本取引、その他の経済活動が国境を超えて拡大し、「グローバリゼーション」という顕著な流れを生じる最大のダイナミズムを与え、世界的な企業間の大競争(メガコンペティション)と、国境を越えた巨大な企業合併、連携を促進し、世界の産業地図を大きく塗り替える動きが加速されたといってよい。

そこには、アメリカの対外通商関係で最大の問題となった日米不均衡問題と貿易摩擦、円高の進展を最大の要因として、日本の主要企業の著しい多国籍企業化の動きも伴った。これは、「太平洋トライアングル」構造の発展とその構造の中での東アジア・東南アジア、さらに中国の著しい工業化を大きく促進する要因となった。また、企業・金融のグローバル化は、多様な制度的枠組みの形成を伴って、FTAやEPAなど進出先諸国地域との二国間通商協定網や、地域経済統合スキーム―ASEANをはじめ、北米自由貿易協定(NAFTA)、より包括的なAPECやTPPその他のより包括的な多国間の域内自由貿易を協定網など―が複雑に関連して展開される動因を与え、経済グローバル化の重要な側面となった(以上、河村(2003c)第12章、(2011):338–145、(2013):33–41などをみよ)。そうした点を含め、「グローバリゼーション」、「メガコンペティション(「大競争」)」、「市場主義」といっても、それぞれが、非常に包括的な現象であり、現実には非常に入り組んだ因果関係を持つ多くの要因が相互に絡み合って生じてきた現象である。しかし、以上の議論を通じて、戦後のアメリカの持続的成長システムの崩れとシステム転換圧力のもとで生じたアメリカの戦後企業体制の再編と転換が、経済グローバル化の特徴的現象を生み出す最も重要なインパクトの源泉となってきたとみることができるのである。

(2)  アメリカを中心とするグローバルな成長の経済システム―「グローバル成長連関」―の出現

以上でみたように、戦後世界経済の中心を占めたアメリカの「持続的成長」の制度・組織構造とメカニズムが、1960年代末に行き詰まり、1970年代にかけて大きく衰退したことに対応して、経営革新・生産革新の試みが大きく誘発された。そうしたアメリカの主要企業や金融の動向を基本動力とし、企業・金融・情報のグローバル化が進んだ。それに対応して政府機能の新自由主義的転換が進み、アメリカ経済のグローバル化が進展した。EUや日本などの先進国や韓国や台湾、さらには中国やインド、ロシア、ブラジルといった新興経済諸国も巻き込んで進んだ。その一つの帰結として出現したのが、アメリカを軸としてグローバルに経済成長を導く、アメリカおよび世界的な経済成長をもたらす経済システムとしての「グローバル成長連関」であった。

ここでいう「グローバル成長連関」とは、ごく単純化すれば、①主要企業のグローバルな事業ネットワークの展開によって進んだ本社機能を核とする「グローバル・シティ」およびその重層的なネットワークの発展と、②国際基軸通貨ドルを擁するアメリカを焦点とするグローバルな資金循環(「新帝国循環」)の構造とメカニズムとが複合した、世界的な経済成長の経済システムをさす。それは、1990年にはかなりはっきりと姿を現した。「グローバル成長連関」は、後述のように、とりわけ金融面で大きな問題を内包し安定的に持続するものではなかったが、世界的に経済成長を加速する制度・組織構造とメカニズムを備え、グローバルに経済の拡大を導くものであった39。続いて、この点を確認しておこう。

「グローバル・シティ」の都市機能の発展とその重層的ネットワークの展開 アメリカの主要企業は、1980年代以降、国内の制度・組織革新を進める一方、その限界から、国境を超えて海外生産・事業拠点を拡大し、「オフショアリング」を推進するとともに、「成長するアジア」等の新興経済地域からの製品調達・半製品・部品等の輸入、あるいはビジネス・ネスサービスの外部委託をグローバルに展開し、「グローバル・アウトソーシング」を拡大した。兵器製造・軍需産業を軸とした部分は国内に維持されたが、とりわけ製造拠点のグローバルな移転を通じて、アメリカの伝統的工業地帯の量産産業を中心にアメリカ経済の産業空洞化を促進した。しかし同時に、グローバル化した主要企業・金融機関の本社機能を軸とした「グローバル・シティ」機能が、全米各所の主要都市で発展し、その連関がグローバルな規模で重層的なネットワークを形成しながら、アメリカの経済成長を導く主要な場として発展することになった。

「グローバル・シティ」とは、グローバル企業や金融機関の世界的事業展開の戦略立案とグローバルな事業管理運営、あるいはグローバルな研究開発の統括の中枢機能を果たす本社機能と経営組織を軸とし、そうした本社機能を支える法務、会計、金融、コンサルタント、情報、人材派遣などの専門ビジネスサービスが集積し、さらにショッピングセンターや商業施設、レストラン、アミューズメント、エンターテインメントなどの拡大と、そうした都市機能の拡大と関連した公共施設、インフラ建設や住宅建築の拡大が一体となった都市領域である。この間の企業・金融、情報グローバル化と、政府機能の新自由主義的転換とが複合して発展したものである―R.ライシュが1990年代初頭に事実上提起し(Reich(1991))、S.サッセンらが概念化した(Sassen(2001)など)。「グローバル・シティ」の都市機能は、上で確認したように戦後の「持続的成長」の終焉と内外の国際競争・市場の不確実性の高まりに直面したアメリカの主要企業が、金融グローバル化を推進した銀行、投資銀行、各種ファンドなど金融諸機関、さらには情報・通信、法務、会計等の専門サービスのグローバル企業とともに、高収益をグローバルに確保することを目指して、グローバルな事業展開とそのネットワークを構築し、組織的に統合管理する本社機能を発展させてきたことが軸となって出現したものである。グローバル・シティの都市領域は、関連専門サービスの専門職やさまざまな職務の増加により、移民を含む労働力を大量に吸引しながら、各種都市好況サービス・住宅建築の拡大を伴い、そうした連関が作り出す雇用と所得フローが、アメリカの内需拡大を牽引する中心的な関係となった(基本構図は図3-(1)、(2)―図3-(2)は、Sassen(2001)をもとに、グローバル・シティ概念を拡充して構図化したものである)。

図3-(1) アメリカ系グローバル企業・金融のグローバル化の構図

(出所)筆者作成。

図3-(2) 「グローバル・シティ」の概念図

(出所)Sassen(2001)等にもとづき、筆者作成。

世界最大のグローバル・シティであるニューヨーク市には、国際基軸通貨ドルによって国際決済機能が集中する歴史的関係をベースとして、次に見る著しい「ファイナンシャリゼーション」を伴うグローバルな資金循環構造(「新帝国循環」)の結節点として、金融機能とそれを担う金融ファシリティ・金融市場の歴史的集積が、ニューヨークのグローバル・シティ機能の中核を形成している。また、「成長するアジア」のゲートウェイであるロサンゼルス、あるいは世界最大のIT集積を要するサンフランシスコ=シリコンバレーが典型的であるが、全米各地の中核都市には、グローバル企業の本社機能を核とするグローバル・シティが出現し、さらに、ロンドン、パリ、東京や、バンコク、ジャカルタ、シンガポール、上海、香港、その他、企業・金融・情報のネットワークを構成するグローバル・シティの重層的なネットワークが発展し、「グローバル成長連関」の主要な経路を形成している。

「新帝国循環」と「ファイナンシャライゼーション」・金融市場の「カジノ化」 アメリカ企業のグローバル化の進展は、グローバル企業の内外の事業活動に関して最も包括的で基本的な商務省経済分析局(BEA)のデータから、確かめることができる。グローバル企業の海外事業の展開を端的に示すアメリカからの直接投資(FDI)は、この間一貫して増大してきた。アメリカ企業のグローバル・アウトソーシング、オフショアリングの進展を示すものである、輸出総額に占める外国からの調達の割合は、最近までの40年間に大きく上昇した。1970年の同比重は7%であったが、1990年から急上昇し、2000年代末には22%と三倍となった。アメリカ財輸入のうち中間財輸入が占める比重は、2011年には62%に達した(Slaughter(2013): 36)。同時に、アメリカのグローバル企業の企業内貿易が大きく増大した。しかも、途上国からの企業内輸入が企業内輸入総額に占める比重は、メキシコ等中南米とアジア太平洋を中心として、1990年で36.5%、2000年には42.3%に達した(永田(2006): 59、第4表bによる)。とりわけ運輸設備、コンピューター・電子部品、化学品、一般機械、電機機器・部品で企業内貿易比重がかなり高まった(OECD(2002): 166による)。

国民経済的には、アメリカは、膨大な「オフショアリング」・「グローバル・アウトソーシング」を通じた巨額の財貿易赤字を中心として、1980年代後半以降続いた膨大な経常収支赤字構造がさらに拡大して定着した。アメリカの国際的資金循環としてみれば、海外投資収益や金融・商業・情報サービス、ソフトウェア、知的所有権収入などで一部は相殺される―実際にも、サービス貿易では、グローバル企業が海外生産・海外事業を組織し最適化するためのサービス輸出が増大した。アメリカのサービス輸出額は、92年の16億ドル強から2008年には51億ドルに達し、サービス貿易黒字は、1992年の16億ドル強から、2008には144億ドル近くとなり、その後も拡大している。このうち、アメリカの関連企業による取引による黒字は、1990年代初めの30%から2000年代前半には40~50%に達した。そのうち専門ビジネスサービスの黒字が80~90%とほとんどを占めた(U.S. Department of Commerce, BEA(2013)による)。

しかし、全体として巨額に達して定着した経常収支赤字は、国際基軸通貨としてのドルとニューヨークの金融市場・金融ファシリティ機能に支えられた、グローバルな規模でのアメリカへの大規模な資金流入によってファイナンスされる関係となった(図4)。これが、アメリカを軸にした新たな「帝国循環」である。その軸心となったのが、グローバル金融センターとしてのニューク金融市場とその金融ファシリティであり、ニューヨークのグローバル・シティ機能の中心部分を形成した。この関連で強調されてよいのは、「グローバル成長連関」の金融的側面である40

図4 アメリカの経常収支・財サービス収支・資本金融収支:1970–2022年(年別)

(出所)IMF Balance of Payments Analytic Presentation by Countryhttps://data.imf.org/regular.aspx?key=62805740

国際基軸通貨ドルによる国際決済機能とニューヨークの金融ファシリティ・金融市場を通じて集積するドルを原資に、アメリカの銀行システムは膨大な信用創造が可能であり、そこにゴールドマン・サックスなど投資銀行、さらには各種機関投資家・ファンド、さらにヘッジファンドが関与し、レバレジッド・ファイナンスを膨張させ、デリバティブと金融工学を駆使した投機操作を含む金融膨張を拡大した。こうして、ニューヨークを中心とするこうした金融膨張を基本「エンジン」として、グローバルな規模で投資が拡大しながら、アメリカを軸とする世界的資金循環構造(「新帝国循環」)が形成され、グローバルに経済成長を加速する「グローバル成長連関」が出現したととらえることができる(以上を総合した「グローバル成長連関」の基本構図は、図5)。

図5 アメリカを軸とするグローバル成長連関

(出所)筆者作成。

さらに注目しなければならないのは、ニューヨーク金融市場と金融ファシリティの機能と表裏一体のものとして現れた「ファイナンシャライゼーション」と金融市場の「カジノ化」(Strange(1986)・(1998)などによる)という問題である。

戦後アメリカの「持続的成長」の経済システムが限界に達し、変動相場制への移行、金融自由化、コンピューター・情報通信技術革新、1980年代のM&A金融とも関連しながら、ニューヨーク金融市場を中心に、金融革新―「金融革命」とも呼ばれる―が進行し、投機的な金融操作が拡大して金融市場の「カジノ化」と呼ばれる事態が、金融グローバル化を伴って進行した。

1980年代から大きく進んだこうした「金融革新」と金融グローバル化は、とりわけ「レーガノミクス」が生み出した「双子の赤字」を原因とする「ドル不安」の高進と関連しながら、レーガン政権の金融自由化に大きく促進されて進んだ。それは、1970年代初めの「金・ドル交換性の停止」と「変動相場制」への移行を中心とした戦後の国際通貨・金融システムの変容が最大の原因となって進行し、レーガン政権の金融自由化の進展―1960年代末以来のインフレの高進がニューディール型銀行・金融規制のもとで促進した「ディスインターメディエーション」を最大の原因とする―によって大きく加速されたものであった。

戦後IMF=ドル体制による固定相場制が崩れ、変動相場制に移行したことにより、金融・為替市場のボラティリティが拡大し変動リスクを高め、それに対応する金融工学的手法を駆使した新金融商品と新たな金融操作の発展―ジャンク・ボンド、LBOローン等M&A金融の発展、プログラム取引、ポートフォリオ・マネジメント、デリバティブの発展など―を伴う「金融革新」と、金融市場をまたがるクロスボーダーの金融操作・金融取引を大きく拡大させた。これが顕著な金融のグローバル化として現れるとともに、アメリカの銀行、投資銀行、証券会社や年金基金など機関投資家、ヘッジファンド等は、国内金融規制を脱し、コンピューター・IT技術革新と相互促進的に、金融業務・金融操作のグローバルなネットワークを発展させ、金融グローバル化を進展させながら、金融市場の「カジノ化」と表象される事態を、グローバルな規模で広範に展開することになったのである(Strange(1986),(1998)などをみよ)。

企業・金融・情報のグローバル化の世界的発展により、国際基軸通貨ドルにより国際決済が集中するグローバル金融センター・ニューヨークには、膨大なドル資金が累積し、「レバレジッド・ファイナンス」の膨張を通じて、デリバティブと金融工学を駆使した投機操作を含む金融膨張を拡大した。こうして、「ファイナンシャライゼーション」と金融市場の「カジノ化」が大きく進行し、同時に、ニューヨークを中心とするこうした金融膨張のメカニズムを拡大の基本「エンジン」として、グローバルな規模で投資と資金移動が拡大しながら、アメリカを軸とする世界的資金循環構造(「新帝国循環」)が形成され、グローバルに経済成長を加速する「グローバル成長連関」が出現したととらえることができるのである。

1980年代後半に現れたアメリカの金融ブームは、戦後企業体制の再編と転換をベースとしながら、アメリカにおける金融革新が顕著に現れた最初の現象であった。M&Aと関係した1980年代の金融ブームは、ドル高是正をはかる「プラザ合意」とその不調による「ブラックマンデー」を経て1980年代末にかけてさらに「マネーゲーム」化が促進され、ジャンク・ボンド市場の崩壊とS&Lの破綻を生じ、いったん終焉を迎えた。しかし、「ファイナンシャライゼーション」現象は、1990年代に一段と顕著になって引き継がれた(図6)。それは、各国、各地域の通貨・金融市場の制度的ゆがみや国際収支の構造的脆弱性などと結びついて、この間とくに周辺部で(ないしはアメリカ以外で)頻発してきた一連の通貨・金融危機の基本原因としてさまざまに指摘されてきている(Epstein, ed,(2008)など)。また1998年から顕著となった「ITブーム」のバブル化は、実際にはこうした関連のなかで、リスクマネーが、1997年のアジア通貨金融危機、1998年のLTMCの破綻を招いたロシア通貨金融危機による「質への逃避」を経てIT関連などベンチャー・ブームに流入したことを大きな要因としたものであった(詳しくは、河村(2008): 31–43をみよ)。

図6 アメリカ経済の「ファイナンシャライゼーション」―アメリカ金融市場の各種取引額の推移

(注)対GDP比以外は、対数目盛による。デリバティブのクロスボーダー取引は除く。

(出所)Wikrent, Tony, Financial Trading in U.S Tablehttp://en.wikipedia.org/)より作成。

「グローバル成長連関」という新たな成長の経済システムの構造とメカニズムの出現は、1950年代・60年代のアメリカの「持続的成長」の経済システムのシステマティックな制度連関が機能不全に陥ったことに対応し、企業・金融の基本ロジックである「利潤原理」が戦後システムの国内的制度構造から切り離され、むき出しの形でグローバル(クロスボーダー)に展開される関係を主なダイナミズムとするものであった。

その結果出現した「グローバル成長連関」は、全体としてみれば、本社―子会社関係、他企業との合従連衡関係を含むグローバルな経営体として、グローバル企業が、「グローバル・シティ」の都市空間とその重層的ネットワークを主要な事業活動の場と経路として、「グローバル・サプライチェーン」・「グローバルバリューチェーン」と、関連するビジネスサービス・金融サービスも含め、グローバルな規模でグローバルなビジネス・ネットワークを複雑に形成している関係が、最も中心を占めるものであった。こうした発展を通じて、アメリカ経済は、とりわけ1990年代以降、国内中心の「持続的成長」の経済システムから、グローバルな広がりをもつ新しい経済成長の連関である「グローバル成長連関」のシステムにシフトすることになったのである。

実際にも、そうしたシフトを反映し、アメリカ経済のGDPの構成においても、金融部門と専門サービス部門の比重が、1980年代以降一貫して増大しているのに対し、製造業の比重は、減少を続け、とりわけ1990年代後半から2000年代前半には落ち込みが顕著となった(図7)。企業利潤の構成でも、製造業はほぼ横ばいで推移する一方、広義のサービス部門を中心とする非金融部門と金融部門が比重を高め、さらに全体に、その他世界からのグローバルな利潤の受け取りが、1990年代以降、変動を含みながらも拡大を続けている(図8)。

図7 アメリカ経済の産業別構成の変遷(GDP構成比)1947–2015年

(出所)U.S. Department of Commerce, Bureau of Economic Analysis, Value Added by Industry as a Percentage of Gross Domestic Product (https://apps.bea.gov/iTable); Econdataus, MERCHANDISE IMPORTS, EXPORTS, AND TRADE BALANCE: 1790–2006 (percent of GDP) (http://www.econdataus.com/tradeall.html); The World Bank, World Bank national accounts data, External balance on goods and services (% of GDP) (https://data.worldbank.org/indicator/NE.RSB.GNFS.ZS).

図8 企業利潤とその源泉(年別):1987–2022年

(注)Estimates are based on the 2017 North American Industry Classification System (NAICS).

(出所)U.S. Department of Commerce, Bureau of Economic Analysis, Data: Corporate Profits (https://www.bea.gov/data/income-saving/corporate-profits).

4.  小括

「グローバル成長連関」という視点からみると、1990年代の長期好況から「ITバブル」の発展と崩壊、それに続く「住宅バブル」発展と崩壊などの現象を、同一の経済システムの基本構造とメカニズムのなかで捉えることが可能となる41。しかしそれはそのまま持続するものではなかった。「グローバル成長連関」の結節点と媒介を形成している金融メカニズムは、ドルの基軸通貨性によってグローバル金融センター・ニューヨークにドル資金を累積させ、それを原資とした信用膨張を含む金融拡張が、「新帝国循環」全体を拡張させ、グローバルにいわば「水増し的」に経済拡張を促進する関係を内包していた。

実際にも、1990年代後半からの「ITブーム」は、「IT革命」の旗手として登場した「ドット・コム」企業など新興企業・ベンチャー企業が、内外の投資資金の大量の流入に促進され、IPO(新規公開)ブームを生みつつ、NASDAQを中心に株価上昇を加速し、ブーム化したものである。その意味で、「シリコンバレー」を筆頭とするIT集積とベンチャー・ブームが、ニューヨーク金融市場―とりわけ証券市場―と金融ファシリティを結節点として、大量の投資資金、投機的資金を引きつけ、経済拡張の一大ブームを生じたものであった。とりわけ、1990年代末のそうした関係が活発に作用し、IT関連の設備投資を増大させ景気拡大を刺激し、主要企業の好業績をベースに株価が上昇基調にあった「オールド・エコノミー」企業にも波及して、「ニューエコノミー」と「オールド・エコノミー」の分野が複合しながら、全体として、株価・資産価格連動景気という性格を強めて経済拡張が加速された。しかし、それは、インターネットの発展とドット・コム企業のビジネスモデルの超楽観的見通しに基づく、根拠の薄い「バブル的発展」であり、2000年をピークに崩壊した。それに代わって登場したのが、住宅ブームの加速であった。

2008年秋のリーマン・ブラザースの破綻(「リーマンショック」)の前後からとみに深刻化したアメリカ発のグローバル金融危機は、こうした住宅ブームのバブル的発展とその崩壊に端を発するものであった。住宅ブームは、1990年代のITバブルの後に急速に発展し、証券化メカニズムが内在的な問題を抱えて崩壊した。

1980年代から始まった金融革新によって、金融工学とコンピューター・IT技術を駆使したシャドウバンキング・システムが急速に拡大した。とりわけ1990年代半ばからクレジットデリバティブが登場し、その中心を占めたのが、不動産抵当証券、債券、資産プールに基づく「証券化」証券が、各種ローンや債権を証券化し、多様な証券化商品が創出され、モノライン、CDSなどの制度的発展と相俟って、証券化メカニズムとしてシステム化され、シャドウバンキングの中心を占めるようになった。とくにその中心となったのが、住宅モーゲージ担保証券(RMBS)であった。証券化メカニズムのリスク分散スキームにより、とくにがヘッジファンド等の投機的資金ハイリスク・ハイリターン証券化商品の主な引受け手となり、ヘッジファンドなどへの投機的資金がサブプライム住宅ローンなどに流入し、住宅市場と金融市場の成長を支えた。レバレッジド・ローンも大きく拡大した。こうしたメカニズムを通じて、2000年代初めに「ITバブル」が崩壊したのに代わって、住宅ブームが大きく発展することになったが、とりわけカリフォルニア州ロサンゼルスやサンフランシスコとその周辺地域に典型的みられたように、アメリカの住宅金融・信用差別の解消措置(CRAなど)と関連して、グローバル・シティ周辺に発展した新興住宅街を中心に、「略奪的貸付」を含むサブプライム住宅担保ローンを大きく拡大しながら、住宅ブームのバブル的発展を生じたのである。

「オフバラス」化や「リスク分散」スキームにおいてSIVsによる問題や格付けメカニズムや住宅価格の上昇に依存する楽観的なリスク評価など、証券化メカニズムにおける制度不備を中心として「シャドウバンキング・システム」のシステム欠陥が大きな原因となり、金融商品の価格崩壊を引き起こし、アメリカとヨーロッパを巻き込んでグローバルな金融危機と経済危機に発展した。それは「グローバル成長連関」の金融部門が抱える制度不備とシステム欠陥の問題が直接の原因であり、その大きなインパクトによって「ディグローバリゼーション」の趨勢を生じ、グローバル化に大きな変容を迫るものとなった。

グローバル金融危機・経済危機に対し、アメリカを初め主要国の大規模な財政支出と異例の金融緩和政策を採用し「グローバル成長連関」が崩壊を免れたが、財政制約の顕在化のもとで結局は、連邦準備制度を筆頭に、ECB、イングランド銀行、日銀、その他の主要中央銀行異例の金融の量的緩和(ないしはマイナス金利政策)が、金融危機による民間金融部門の機能不全を代替ないし補完し、「グローバル成長連関」を維持することになった。こうした大規模な政府機能の発揮は、グローバル化を推進する新自由主義の後退を意味していた。また、製造業の国内回帰、中国のアメリカの覇権への挑戦と米中摩擦も、経済グローバル化に逆行する動きを含む。それに加えて新型コロナウィルスのグローバル・パンデミックとロシアのウクライナへの侵攻と対ロ経済制裁措置の発動も、少なくとも短期的にはグローバル化に逆行する「ディグローバリゼーション」の動向を生じるものであった。それは、さまざまな制度・組織変化とシステム変容を生じるダイナミズムを含むものである。紙幅がつきたため、こうした点については、次稿で論じる。

謝辞

本研究はJSPS科研費JP20H01541(科学研究費補助金基盤研究(B)「ディグローバリゼーションにおける国際経営戦略の再設計―群集生態学的アプローチ」:研究代表者法政大学経営学部教授洞口治夫、2020–2024年度)の助成を受けたものである。

1  本稿でいう「制度」および「制度化」という用語は、原語の“institution”および“institutionalization”と意味が完全には一致しないが、本稿では、原語の意味で「制度」ないしは「制度化」の用語を用いる。

2  この点について、拙稿の各所で論じてきたが、詳しくは、河村(2019)Iを参照されたい。

3  そうした経済システムは、第二次大戦の戦時経済システムにおける大規模な制度・組織革新とシステム転換を受けて、戦後初期に確立されものである。すでに各所で論じてきた。とくに、河村(1995)をみよ。

4  河村(1994)、(1995)、(1998)、(2003a)、(2003b)、(2006)、(2019)など。詳しい議論は、初期のものとして河村(2003)第3章、最近のものとして(2016)第1章、(2019)Iをみよ。

5  第二次大戦の戦時経済システムにおける大規模な制度・組織革新と戦時経済システムの形成については、とくに河村(1995),(1998)をみよ。その要約的な概要は(2003a)第1章、またとくに戦時労使関係における制度形成を焦点とした議論は、河村(2023)をみよ。

6  「伝統型」労使関係は、戦後アメリカの基幹産業の大企業・巨大企業と大産別労働組合の間で成立した労使関係をさす。それは、「ダンロップ・モデル」としてモデル化して論じられてきたものであるが、1980年代以降、ハイテク部門を中心としたノンユニオン型労使関係の拡大や、製造業の比重の低下とサービス部門の拡大とその他専門職の拡大による専門職ユニオンの拡大などで、大きく変容してきており、そうした労使関係と区別するために用いている用語である。アメリカの戦後労使関係の変容については、Freedman(1988)Dunlop(1988)、総合的な議論としては、Kochan, Katz and Mckersie(1994)をみよ。

7  こうした関係は、もともとレギュラシオン理論の「フォーディズム」論が強調した点であるBoyer(1986)山田(1991)などをみよ。

8  第二次大戦の戦時労使関係の展開における制度・組織転換については、拙稿の各所で論じてきたが、河村(2023)で総合的に論じた。戦後再転換過程における戦後労使関係への転換については、(1995)第6章、またとくに(1999)、(2007)をみよ。

9  アメリカの大企業における「ビューロクラティックな管理」とそれによる事務職・中間管理層の増大については、Edwards(1979)Chapter 9。また、Gordon and others(1982)訳: 166–168もみよ。

10  この点についての全体的な議論は、河村(2003a): 139–168(第3章1)をみよ。中間層所得の増大は、家計貯蓄や年金基金などの成長によって、貯蓄性金融機関の預金の増大や生命保険会社など通じて、アメリカの信用市場・証券市場を支え、同時に証券市場の機関投資家化を進展させると同時に、著しい自己金融化傾向を強めたアメリカの主要企業の資金調達を「補完」する関係となった(北條(1992)。そうした面も含めて、戦後アメリカの資本蓄積体制の制度的支柱となり、「持続的成長」をもたらす経済の拡張循環の一方での制度基盤であった。

11  Piore and Sabel(1984)による。紙幅の関係で詳細な紹介と検討は別の機会に譲るが、さしあたり、河村(1996): 212、注1をみよ。

12  アメリカの戦後「伝統型」労使関係は、戦後初期の1940年代後半に、戦後インフレの進行と超過需要の中で労賃上昇を価格転嫁することが容易な条件のなかで、かつ「戦後再転換危機」に対処して労使関係の安定化を図るという再転換政策の全体的な圧力のもとで成立した。それが、その特質を決める上で重要な意義を持った。戦後「伝統型」労使関係への転換を含め、 戦後初期にいたる戦後企業体制の登場のプロセス全体については河村(1994)、(1995)第6章および(1999)をみよ。戦時経済が基幹産業の企業力と寡占体制を強化した点は、河村(1995): 290–293、(1999): 87–88、またU.S. Congress, Senate(1946)もみよ。

13  この点の全体的議論は河村(2003a): 150–152。戦後技術革新の基盤の形成に第二次大戦の戦時経済が果たした役割については、河村(1999): 88、および(2003b): 87もみよ。またHounshell(1996)、ORSDの役割について包括的には、Stuart(1946)をみよ。経営管理の面では、A.チャンドラーのいう「範囲の経済」と「組織能力」の向上も重要な要素である。Chandler(1990)をみよ。

14  この点については、河村(2003b): 52–155。また、Galambos and Pratt(1988)Fligstein(1990)などもみよ。

15  戦後アメリカの労使関係の構造とその特徴については、Dunlop(1958)、Cohen(1975)、Doeringer and Piore(1971)などをみよ。

16  戦後アメリカの経済システムにおける「政府機能」の意義についての詳しい議論は、河村(2003a)第3章2: 168–186をみよ。また、(2003b): 140–145もみよ。

17  「持続的成長」の構造とメカニズムという文脈でみた、戦後アメリカ経済の安定化の政府機能としては、構造化された側面と「(「裁量的」)政策」的側面の二面がある。いずれも、戦後アメリカ経済にシステマティックに組み込まれていたという意味で、「制度化」されたものと捉えることができる。前者の面では、「軍産複合構造」(Military-Industrial Complex)と「福祉国家」の構造化という側面があり、戦後アメリカ経済の持続的拡大にとっては、そうした制度的に構造化された「政府機能」の側面、とりわけ「軍産複合構造」が、より大きな比重を占めていた。この点に関しては、戦後「福祉国家」の特徴も含め、同時代の分析で多くの指摘があり、拙稿でもすでに論じてきたが、ひとまず河村(2003a)第3章をみよ。また河村(2003b)注14のとくに89–90もみよ。軍産複合構造については、Perlo(1963), Yarmolinsky(1971), Ganzler(1982)など。軍事を除く狭義の裁量的政策面の評価については、Gordon, R. J.(1980)訳: 133–215をみよ。金融政策機能の面は、戦後企業体制の「成熟した寡占体制」のもとで、企業収益が確保され、また増大した中間層所得がそれを補完する関係の中で、基礎的なマクロ的金融安定性が確保されていた。それに加えて、ニューディール以来の金融規制と金融セイフティーネットも金融的安定を与える制度的枠組みとして機能した。全体としては、財政機能に比べ金融政策は重視されたとはいえず、利子率とりわけ短期利子率は、潤沢な民間貯蓄形成とあいまって、比較的低めの水準にとどまり、金融政策の基本スタンスは、半ば抑制半ば緩和というマイルドな政策機能を基本とし、「風向きに逆らう」(leaning against the wind)という景気循環的変動を平準化する機能を果たしたとされる。こうした戦後金融政策の評価については、さしあたりFriedman et al(1980)訳: 88–93をみよ。続く国際的フレームワークの機能の問題とともに、紙幅の関係で、本稿では詳しい議論は省略するが、概要は、河村(2003a)第3章をみよ。

18  Marglin and Shor, ed.(1990)訳: 74–80. より詳しい議論は河村(2003a)および(2003b): 90、注14をみよ。アメリカ政府の戦後国際通貨体制・貿易秩序の公式構想は、すでに参戦前から登場し―「大西洋憲章」など―、レンド・リース協定を経て、参戦期後半から具体的構想の確定と現実の制度的枠組みの形成へ向かった。本稿では、紙幅の関係で詳細は論じないが、Brown and Opie(1953): 87–91、Amery(1946): 159, Appendix A, 160–163, Appendix B, 164–174, Appendix C, Mansfield(1960): 227–228などをみよ。こうした点の全体的議論としては紀平(1996)をみよ。

19  Marglin and Shor, ed.(1990)訳: 73–74に明確な指摘がある。

20  「ドル散布」の用語とその意義については楊井・石崎(1980)をみよ。

21  「持続的成長」の経済システムの内在的問題と、以上の1960年代末からの展開の経緯については、河村(2003a)第4章1: 199–222をみよ。また、河村(2003b): 62–65もみよ。

22  1970年代後半の「スタグフレーション」とその原因についての分析は、さしあたり、河村(2003)第4章3の①: 226–229をみよ。

23  1970年代末におけるアメリカの深刻な産業競争力の危機と産業企業の苦境については、多くの研究があるが、さしあたり河村(2003)第4章②: 230–235をみよ。

24  こうした点は、すでに各種の拙稿で、経済学的な観点から論じてきた。本稿では、これまでの各拙稿での議論と内容的な重なる部分が多いが、とくに制度・組織革新と経済システムの転換という本稿の主題にしたがって、総合化して論じる。

25  詳しくは、河村(2003a)第6章1の①: 280–283をみよ。

26  Cohen and Zysman(1987)河村(2006)第5章注29: 164をみよ。主要産業の個々の状況については、河村(2003a)第4章3の②: 232–235、より詳しくは、The MIT Commission on Industrial Productivity(1989)およびDertouzos, Lester and Solow(1989)などもみよ。

27  以下、こうした動きが生じた原因とその内的な論理の分析を含め、とくにあげた以外も、全体として 河村(2003a)第6章: 279–314による。

28  アメリカを中心とする主要企業のM&Aを通じた事業構造の再構築の動きは、1980年代初頭から大きく展開された。石油産業では、アメリカ系メジャーによる、二度の石油ショックで進行した世界原油支配の大きな後退に対応した「アメリカ要塞の構築」戦略が、国内石油開発投資を過熱させ、他方で、欧州系さらにマイナー・メジャーも加わって1980年代初めの独立系石油企業の買収運動を引き起こした。世界的不況化と絡んだ油価の大幅な下落の中で、1982年にはペン・スクウェア、ミッドランド、シーファーストが破産した。石油融資関連で、チェイスやコンティネンタル・イリノイ銀行に大きな打撃を与えたが、さらにメジャー間の大型買収・合併へと展開し、1984年1月のテキサコによるゲッティ買収、ロイヤル・ダッチ・シェルによる米子会社の完全子会社化、ソーカルによるガルフ合併という超大型M&Aでクライマックスを迎えた。これに接して、1982年1月に反トラスト法の制約から解除されたAT&TとIBMを焦点とし、最大の成長産業と目された情報通信分野でM&Aが大きく展開し、GM、GE、ITTなどの巨大多国籍企業や、航空宇宙産業の巨大企業、金融・流通コングロマリットも加わった。1985年にはGMによるEDSやヒューズ・エアクラフト、アライド・コープによるシグナル、GEによるRCAの買収、IBMによるMCIの系列化、バロースによるスペリーの買収(1986年半ば)など、超大型合併が生じた。化学産業では、欧州系巨大化学企業も参加し、デュポン、ダウ・ケミカル、モンサント、ユニオンカーバイドなどの主要企業が、汎用品からファイン化・特化品への展開という流れの中で、不採算化した部門を整理し、「素材革命」・「バイオ」、医療・医薬分野など成長分野と目されるハイテク部門への展開を図る形で激しいM&Aを展開した。また、厳しい経営困難に直面し、競争力再生、成長分野への転身、「本業」の強化などをはかる製造造企業の動きも大きな焦点であった。鉄鋼業では、USスティールが、マラソン・オイルの買収を柱に石油産業や情報・通信分野に展開してUSXへの脱皮をはかり、自動車産業ではGMのEDS買収で、生産・販売システムの情報化を図った。松井・奥村(1987)などによる。

29  こうした点の基本的な関係については、河村(2003a)第6章、(2003b)序章をみよ。

30  Kelley(1989): 235. ME化技術が、技術学的に、従来のメカニカルな機械化・自動化と異なって「伝統的な機械原理の制約」を離脱させ、柔軟化ないしは弾力化技術である点については、奥林編著(1986): 15–20(宗像正幸稿)をみよ。

31  この点に関しては、鈴木(1994): 30に明確な指摘がある。

32  ここでいう日本型製造現場の「能力構築」システムという概念は、藤本(2003)による「能力構築」概念と関連させて、とくに日本の製造現場における継続的改善と問題解決活動、およびそれを可能とする組織的・制度的諸装置を一括したシステムのことである。河村編著(2005)序章注9): 36をみよ。これは、フロリダ(R. Florida)らのいう“innovative production work practice”とほぼ重なる(Florida, Jenkins and Smith(1998))。またDoeringer(2001)は、「効率的組織レジーム」(efficient organizational regime)とよび、ヨーロッパその他の日系「ハイブリッド」工場の実態比較を通じて、そのアメリカへの移転にとって、かつて伝統型労使関係が主な障害であったが、政府規制と結びついた団体交渉を通じた職場規制が弱体化したことが日本型の“High performance management practices”の採用を容易とするような労使関係を生じているという認識を示している。Doeringer(2001): 17–18をみよ。「能力構築競争」については、とくに藤本(2003)の第2章をみよ。また、河村編著(2005)の終章注8: 379もみよ。

33  ME化技術が日本型生産現場の特徴と親和性が高い点についての議論は、河村(1996)をみよ。

34  日米の経営・生産システムの対極的な相違については、最初に、河村(1991)第2章およびKawamura(1994)Chapter 2で詳しく論じ、河村(2003a): 293–299で概略を示した。さらに河村(2005)序章およびKawamura, ed.(2011)で再論した。

35  CEA(2000): 訳87をみよ。この点はとくに自動車産業について強調されている。全体的な議論については、Liker and others, ed.(1999)をみよ。

36  たとえば、Bureau of National Affairsの雇用主調査(BNA(1996))による、一時金、二重賃金、COLA医療保険などのフリンジ・ベネフィットの問題をめぐる団体交渉の争点の動向で確認できる。UAW(1996)をみよ。

37  Freedman(1988): 36–38の議論をみよ。DunlopやFreedmanは、1980年代以降のアメリカの労使関係に現れた新たな現象として、3点あげている。第1に、賃金決定に関して主として、①「二重賃金」、②手当タイプの「一時金」の拡大、③COLA(生計費調整条項)、AIF(年次改善要素)などの「自動的」な賃金決定方式の大きな後退という3点をあげている。その点とも重なって、第2は、いわゆる「譲歩交渉」の拡大と、第3に、「労使協調」や「労働者の経営参加」の拡大である。Dunlop(1988): 29–30, Freedman(1988): 35をみよ。Dunlop(1988)は、1980年代末の論稿ということもあって、全体にこうした変化の一時性を強調する傾向が強い。

38  ダンロップは、アメリカの労使関係の基本構造が1980年代以降も変化していないことを強調している。Dunlop(1988)をみよ。こうした点も含め、1980年代以降のアメリカの労使関係・労働事情の変化の基本動向については、河村(2003a)第6章、さらに河村編著(2005)の終章をみよ。また、Rubenstein(1992)の“whipsawing”の議論などをみよ。

39  1990年代に出現した、アメリカを中心としつつ、グローバルな規模で経済拡張を促進する新たな経済システム(構造とそのメカニズム)を、「グローバル成長連関」と呼び、「グローバル・シティ」とそのネットワークの重層的発展および「新帝国循環」の構造とメカニズムが複合した、グローバルな経済システムの出現として、すでに拙稿の各所で論じてきた。初期のものとしては、河村(2006): 154–158、(2008): 5–58などをみよ。また「グローバル成長連関」の用語に統一して以降は、(2011): 147–152、(2013)、(2015a)、(2015b)など。最新のものとして総合的に論じた(2020)IIがある。本稿は、これまでの拙稿と内容は重複する部分が多いが、制度・組織革新と経済システムの変容という本稿の課題に即して、改めて総合的に論じたものである。過去の拙稿も合わせて参照されたい。

40  「グローバル成長連関」の金融的側面、とりわけ「金融市場のカジノ化」を伴う「ファイナンシャリゼーション」については、さまざまな角度から多くの研究があるが、金融工学と情報化を駆使したデリバティブなど新しい金融商品と金融操作は法的・規制的側面を含め、非常に複雑で多様な制度革新と組織革新を伴うものであり、本稿では、グローバル成長連関の金融的側面にのみ限って論じている。続稿では、さらに2000年代初めにかけて大きく発展した住宅ブームとその崩壊によるアメリカ発のグローバル金融危機・経済危機の原因となった、サブプライム・ローンを含む証券化メカニズムと、いわゆるシャドウバンキング・システムの関連する、新たな制度・組織革新とシステム形成について論じる予定である。

41  1990年代の「ITブーム」と「ニューエコノミー」現象については、河村(2003a)第7章1~3で論じている。グローバル成長連関との関係では、河村(2008)でやや立ち入って論じ、その後、(2016)など、拙稿の各所で論じてきたが、最近のものとして(2019)IIで総合的に論じている。

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