2017 Volume 59 Issue 3 Pages 71-81
目的:日系企業の海外勤務者やその帯同家族が現地医療機関を受診する際,日本と受診システムが異なることや,医療費が日本より高くなる傾向があること,言語の問題など,様々な困難を経験することが報告されている.各企業の産業保健専門職が,海外勤務者及び帯同家族が安心かつ適切に現地医療機関を受診できるよう支援するためには,事前に現地の医療機関に関する情報や医療制度,緊急搬送システムなどを把握していることが必要である.そこで,産業保健専門職がより効率的かつ効果的に現地医療機関の情報収集を可能とするための情報収集チェックリストを作成することを目的として,本研究を行った.方法:文献調査および研究班メンバーの知見をもとに,産業保健専門職による海外勤務者に対する支援ニーズを明らかにし,そのために必要な情報収集チェックリスト原案を作成した.次に,海外勤務者及び帯同家族の健康管理に関する外部専門家へのインタビュー調査及び現地医療機関での試用による妥当性検討を行って情報収集チェックリストβ版を作成した.その上で,β版を用いた有用性の検討と改善というプロセスを経て,各国・地域において,海外勤務者及び帯同家族が受診しうる現地医療機関の情報を効率的に収集するための情報収集チェックリストを完成させた.結果:完成した情報収集チェックリストは,窓口・事務サービス,病棟,可能検査項目,外来体制,救急体制,小児科,産婦人科,歯科,一般健康診断,予防接種,感染症対策,その他から成る大項目12項目及び,中項目51項目,小項目131項目から構成された.考察:本チェックリストを用いることにより,産業保健専門職が海外勤務者の支援実務の中で必要となる情報を網羅的かつ効率的に入手できると考えられる.しかし,訪問時間は限られているため,実際に本チェックリストを用いて現地で情報収集を行う際には,医療機関ホームページ等を用いた事前の情報収集を行うとともに,訪問時には優先順位を決めて情報収集を行う必要がある.また,より多くの情報を正確に収集するためには,可能な限り日本人専用窓口や外来,病棟,救急外来,心臓カテーテル室等のチェックリストの項目に関連した施設を訪問し,各現場の医師や看護師などの専門スタッフからも情報収集できる機会を得ることが望ましい.
日系企業の海外進出に伴い,アジア諸国を中心に海外勤務者の数が増加している.外務省の海外在留邦人数調査統計1)によると,2014年10月1日現在の集計で,本邦の領土外に進出している日系企業の総拠点数は,6万8,573拠点で過去最多となっており,地域別では,アジアが総拠点数の約70%を占めている.また,海外長期滞在者の総数も,85万3,687人と過去最多となっており,このうち,民間企業関係者は,45万9,112人と増加傾向である.本邦では,海外での医療機関受診や疾病統計などの疫学データは乏しいが,中尾ら2)によると,1998年4月から2006年5月に医療アシスタンスを要した症例は約40,000例であったと報告されている.このような中で,海外勤務者及び帯同家族が任地国において,赴任前から罹患していた疾病の治療継続が必要となったり,疾病や外傷に罹患して現地医療機関での治療が必要となったりすることは少なくない.また,その中には救命のための措置が必要となるような重篤な疾患や外傷も含まれる.
現地医療機関受診に際しては,医療機関の診療の質や受診システムが日本と異なることや,医療費が日本より高くなる傾向があること,言語の問題など,様々な問題点が指摘されている3-5).特に,発展途上国では,医療レベルや衛生状態への懸念が大きいことが指摘されている6).また,脳心血管疾患や外傷など,緊急な手術や処置が必要な際に,現地医療機関での適切な検査や治療が困難であり,近隣国への搬送や一時帰国等の緊急時対応が必要となる場合もみられる2).各企業の産業保健専門職は,赴任前から赴任後の様々な機会に海外勤務者及び帯同家族に対して,現地の医療機関情報や緊急時対応に関する意見や判断を求められることがある.また,そのような医療ニーズに対応できるための体制づくりも必要になる.海外勤務者及び帯同家族が安心して海外での生活を営むための支援を行うことが必要であるが,そのためには産業保健専門職が,事前に現地の医療機関に関する情報や医療制度,緊急搬送システムなどを把握していることが必要である.
産業保健専門職が現地医療機関を訪問することで,現地の医療従事者と良好な関係が築け,一般には公表されることの少ない機微で精緻な情報も入手することができたとの報告7)がある.しかし,現実には現地医療機関調査の十分な経験がない産業保健専門職が,提供される医療の質や緊急時に可能な対応を,短時間の医療機関訪問時の情報や設備・機械などの外見から判断することは困難である.これまでの先行研究では,現地医療機関への受診に関する問題点が挙げられてきたが,その問題点を解決するための具体的な方法や内容については,標準化されたものはない.そこで,現時点で特定されている海外勤務者及び帯同家族の現地医療機関受診に関する問題点を基にチェックリストを開発することによって,産業保健専門職がより効率的かつ効果的に情報収集できるようになると考えた.また,開発された共通のチェックリストを用いて異なる企業の産業保健専門職が情報収集を行い,その情報を共有するようなネットワークを構築することができれば,海外勤務者及び帯同家族への産業保健専門職の支援が向上することが期待される.
そこでまず我々は,「海外医療機関調査のための情報収集チェックリスト(以下,情報収集チェックリスト)」の開発を行った.
本研究の方法を,図1に示す.本研究では,研究班を構成して,産業保健専門職による海外勤務者及び帯同家族に対する支援ニーズの明確化,支援に必要な情報収集チェックリスト原案の作成,海外勤務者及び帯同家族の健康管理に関する外部専門家(以下,外部専門家)へのインタビュー調査及び現地医療機関での試用による妥当性検討,検討結果に基づく情報収集チェックリストβ版の作成,β版を用いた有用性の検討と改善というプロセスを経て,各国・地域において,海外勤務者及び帯同家族が受診しうる現地医療機関の情報を効率的に収集するための情報収集チェックリストを完成させた.
情報収集チェックリスト作成のプロセス
産業医として海外勤務者の健康管理支援(赴任前後の健康診断や赴任前健康教育,予防接種の計画,現地医療情報収集,医療機関受診支援,緊急搬送体制及び医療相談体制の整備など)の経験を有する一部上場企業の統括産業医3名(YK,MU,SN;うち2名は日本産業衛生学会産業衛生指導医),グローバルな産業医ネットワークが存在する外資系企業での専属産業医経験を有する研究者2名(SK,KM;産業衛生指導医),日本産業衛生学会産業衛生専門医資格を有する産業医3名(NS,KO,HK),産業医科大学の卒後修練課程(臨床研修2年間および産業医修練2年間)を修了した専属産業医経験1年の産業医2名(JM,YI;産業衛生専攻医)の合計10名で構成する研究班を設置した.研究班メンバー10名の選定は,いずれも機縁法を用いた.
情報収集チェックリスト作成のプロセス 1) 文献調査2016年1月までに公表された文献を検索した.検索データベースには,医中誌を使用した.検索式は,“((海外勤務者/AL or海外勤務者/AL or海外渡航者/AL or海外長期滞在者/AL)and((VFT=Y or FTF=Y)and PT=会議録除く))and((病院/TH or医療機関/AL)and((VFT=Y or FTF=Y)and PT=会議録除く))”とし,16件の文献が抽出された.その中から,支援ニーズや現地での医療機関受診に際する問題点について述べられていた文献3件を対象とした.さらに,文献の網羅性を高めるため,対象とした3件の文献の引用文献に関して,入手可能な文献のうち,現地での医療機関受診の際の問題点について述べられていた文献1件を追加した.
2) 産業保健専門職による支援ニーズの明確化研究班で,海外勤務者及び帯同家族に対する産業保健専門職の支援ニーズについて,文献調査の結果と研究班メンバーの経験をもとに,支援体制や制度づくり,赴任前の支援,赴任中の支援および帰国後の支援に分けて検討した.
3) 情報収集チェックリスト原案の作成研究班で,海外勤務者及び帯同家族に対する医療支援ニーズに適切に対応するために必要と思われる項目について検討した.初めに,海外勤務者及び帯同家族の健康管理支援の経験を有する一部上場企業の統括産業医が,過去に海外勤務者及び帯同家族の面談時に聴取した医療支援に関するニーズとして挙がった項目,実際に医療支援を要した事例に関する項目,現地医療機関訪問時に情報収集できた項目,及び医療アシスタンス会社から現地医療機関選定の際に確認することが望ましい情報について列挙した.それらをもとに,「日本語対応ができるか」,「救急車は容易に利用できるか」といった,海外勤務者等のニーズを基本とした項目について研究班会議の中で整理して,中項目とした.各中項目を構成する要素について,文献調査で入手された情報や研究班メンバーの議論をもとに小項目を列挙した.さらに,中項目をカテゴリー化して大項目とした.
整理した結果をもとに,研究班で,文献調査で抽出した文献の中で挙げられていた問題点と照らし合わせて,不足していると思われる項目を追加した.その上で,現地医療機関訪問時に記入しやすい形式とするため,各小項目に対して,記入用フォームを設けることとした.なお,一連の作業において,産業保健専門職の医療機関への訪問による調査時間を,概ね2時間程度と想定した.
4) 外部専門家へのインタビューによる妥当性の検討海外勤務者及び帯同家族の健康管理,渡航医学を専門領域とする医師1名及び研究班メンバー以外で海外勤務者及び帯同家族の健康管理支援の経験を有する一部上場企業の統括産業医(日本産業衛生学会産業衛生指導医・産業衛生専門医)2名の外部専門家計3名(表1)に対してインタビューを行った.外部専門家を訪問するに際して,事前に情報収集チェックリスト原案を送付した上で,研究班メンバー1名もしくは2名が訪問し,情報収集チェックリスト原案の項目数及び項目の過不足等の妥当性に関して意見を聴取した.インタビュー時間は1時間程度とした.
外部専門家 | 海外勤務者および帯同家族の健康管理活動に関する関連事項 |
---|---|
A | 熱帯医学,渡航医学を専門とし,海外渡航者の診療に従事するとともに,海外の感染症対策事業を運営している.複数の現地医療機関および日本人受診者に係わる調査研究実績を有する. |
B | 従業員数7,500名以上の一部上場企業における統括産業医として海外勤務者および帯同家族の健康管理活動に携わっている.中国,韓国,台湾,ベトナム,タイ,インドネシア,マレーシア,シンガポール,インド,ドイツ,イタリア,ブラジル,アメリカ,メキシコ,イラン,アラブ首長国連邦など多数の現地医療機関への訪問経験を有する.日本産業衛生学会指導医. |
C | 従業員数約30,000名以上の一部上場企業における統括産業医として海外勤務者および帯同家族の健康管理活動に携わっている.中国,韓国,タイ,インド,インドネシア,シンガポールなど複数の現地医療機関への訪問経験を有する.日本産業衛生学会専門医. |
インドネシアのジャカルタ市内にある1医療機関を対象に,情報収集チェックリスト原案を試用し情報収集を行った.事前にインターネット上に公開されている調査対象の医療機関に関する情報を収集した上で,外資系企業での専属産業医経験を有する研究班メンバー1名,及び産業医経験1年未満の産業医(産業衛生専攻医)である研究協力者3名の計4名が訪問し,情報収集チェックリスト原案を用いた情報収集を行った.医療機関側の応対者は院長を含む4名の医師であった.訪問時間は2時間とし,施設見学及びインタビューによる情報収集を行った.
6) 情報収集チェックリストβ版の作成情報収集チェックリスト原案の妥当性検討の結果をもとに,追加で聴取すべき項目や現地調査では聴取が困難な項目及び全体の項目数について,研究班で検討して改善を施し,情報収集チェックリストβ版を作成した.
7) 情報収集チェックリストβ版の有用性の評価タイ王国バンコク市内にある3医療機関を対象に,チェックリスト原案の妥当性検討のためのインドネシア医療機関調査を行った研究協力者とは別の産業医経験1年の産業医(産業衛生専攻医)である研究協力者1名に対して,研究班メンバーがチェックリストの使用方法を含む情報収集方法を説明した上で,情報収集を実施させた.具体的には,事前にインターネット上に公開されている調査対象の医療機関に関する情報を収集した上で,現地医療機関を訪問して情報収集チェックリストβ版を用いて情報収集を行った.
訪問に当たっては,まず,各医療機関所属の日本人コーディネーターに訪問の目的と収集したい情報を提示し,それらの内容に対応できるスタッフへのインタビューと各情報に関連した施設の見学を依頼した.その結果,各施設において,日本人専用窓口担当者や救急外来スタッフ等のスタッフが応対した.訪問時間は医療機関の担当者の予定を考慮し,各機関1時間半~2時間とし,施設見学及びインタビューによる情報収集を行った.
その後,研究班メンバーが,訪問した産業医に対して,情報収集率(情報収集可能項目/全項目),情報収集可能な項目・不可能な項目及びその理由等について書面にて意見聴取した.その結果をもとに,研究班で,有用性の確認および情報収集チェックリストの完成に向けた修正箇所の検討を行った.
研究分担本研究における研究分担については,図1の通りである.なお,原案の妥当性検討における現地医療機関でのチェックリスト原案の試用および,情報収集チェックリストβ版の有用性の評価における現地医療機関での情報収集チェックリストβ版を用いた情報収集は,研究協力者の同行者として担当し,実際のインタビューには直接携わっていない.
また,論文執筆は,JMが中心となって行い,YK,SK,NS,KMが指導した.
倫理的な配慮本研究では,外部専門家及び現地医療機関のインタビュー対象の個人情報は扱わず,対象者に対しては当該研究の趣旨を書面および口頭にて説明し,承諾が得られた場合のみ調査を実施した.また,本研究による報告すべき利益相反はない.
文献検索で得られた,日本人が現地医療機関を受診する際の主な問題点を表2に示す.抽出された文献は4編であり,支払金額や支払い方法などの医療費,医療従事者の技術面や設備面などの医療水準,日本人専用受付の有無や日本語診察の可否などの言語面,オープンシステム(病院が医師を雇用するのではなく,医師個人が病院の診療スペースを借りて診療を行い,検査施設や病棟施設を共有するシステム)など日本とは異なる受診システム等の幅広いテーマの問題点が挙げられていた.
海外勤務者及び帯同家族に対する産業保健専門職による支援ニーズを表3に示す.企業の体制や制度づくりとして,「海外旅行傷害保険の契約内容に関するアドバイス」や「予防接種ルールの策定」に関する制度づくり等のニーズが挙げられた.赴任前の支援として,「有病者の赴任の可否の判定」や「海外での医療機関受診方法に関するアドバイス」等のニーズが挙げられた.赴任中の支援ニーズとして,「救急事態発生時の医療や搬送に関するアドバイス」や「医療機関受診における不安や相談への対応」等のニーズが挙げられた.帰国後のニーズとして,「疾病罹患時の帰国の要否に関するアドバイス」のニーズが挙げられた.
体制や制度 | 海外旅行傷害保険の契約内容に関するアドバイス |
医療エージェントとの契約内容に関するアドバイス | |
予防接種ルールの策定 | |
赴任中の健康診断の受診に関するルールの策定 | |
赴任前 | 予防接種の実施 |
派遣前健康診断の実施と事後措置 | |
有病者の赴任の可否の判定 | |
赴任前に治療しておくべき疾患に関するアドバイス | |
赴任後における治療中の疾患管理に関するアドバイス | |
海外での医療機関受診方法に関するアドバイス | |
赴任中 | 救急事態発生時の医療や搬送に関するアドバイス |
医療機関受診における不安や相談への対応 | |
赴任後 | 派遣後健康診断の実施と事後措置 |
海外勤務者及び帯同家族に対する支援ニーズを満たすために必要と思われる情報の大項目は,窓口・事務サービス,病棟,可能検査項目,外来体制,救急体制,小児科,産婦人科,歯科,一般健康診断,その他の10項目であり,中項目は,日本語対応や支払い方法,全病床数など,計45項目であった.小項目は,日本語対応可能医師,日本語対応窓口の対応可能時間,日本語対応可能医師の経歴・専門,駐在員が加入する海外旅行傷害保険での対応など,計115項目であった.また,海外医療機関の情報は可能な限り更新する必要があるが,その際,元情報の入手方法は最新情報の確認の上での手がかりとなる.よって,現地医療機関から直接得られた情報か,インターネット上で得られた情報かを確認するためのチェック欄を設けることにした.
情報収集チェックリスト原案の妥当性検討の結果 1) 外部専門家へのインタビュー結果情報収集チェックリスト原案は,外部専門家からは概ね妥当であると評価された.また,調査を行う産業保健専門職の現地医療機関への訪問時間が2時間であるとの前提に対して,情報収集チェックリスト原案の項目数は適切であると評価された.
一部追加または修正を検討することが望ましい事項として,日本人診療実績,感染症対策(特に内視鏡洗浄や輸血等)は必ず確認するべき項目であるとの指摘があった.救急体制に関しては,外傷治療は,頭部・体幹部・四肢の各部位の対応の可否や治療実績を確認するべきであるとともに,熱傷治療は,対応の可否だけでなく重症熱傷まで対応が可能か確認するべきであるとの意見があった.小児科に関しては,小児科専門医や日本語対応可能医師は,在籍していたとしてもパートや非常勤医師が多いため,小児科医の勤務形態も確認しておく方が望ましいことや,母子保健法で規定された日本独自の取組みである乳幼児健康診査の可否も確認しておくと良いという意見があった.一般に医療の質は,治療可能範囲や診療技術のほか,患者が自覚するサービスの側面があるが,歯科治療については,医療の質を患者が自覚しやすいため,日本人診療実績や実際の受診者による評価を確認することが効率的であるという助言を得た.
2) 現地医療機関での情報収集チェックリスト原案の試用結果情報収集チェックリスト原案を用いたインドネシアの1医療機関における現地調査では,2時間の訪問での情報収集率は78.2%であった.現地訪問したメンバーからは,事前に可能な限りホームページ等から現地医療機関についての情報を収集し,それらをもとに,実際の訪問時に優先的に視察する箇所や必ず確認すべき項目の優先順位を決めておくことが望ましいとの意見があった.
情報収集チェックリストβ版の作成情報収集チェックリスト原案の修正箇所について研究班で検討した結果,全体の項目数は概ね適切と判断した上で,情報収集チェックリスト原案の網羅性を高めるために,外部専門家による追加または修正に関する意見を全て反映させることが望ましいと判断した.必要な修正を施し,大項目12項目,中項目51項目,小項目131項目から構成された情報収集チェックリストβ版を作成した.
情報収集チェックリストβ版の有用性評価の結果タイ王国バンコク市内にある3医療機関を訪問した研究協力者1名から,情報収集チェックリストβ版を用いることにより,どのような情報を収集する必要があるかが明確になったとともに,現地医療機関の医療の質や緊急時に可能な対応などについて総合的に把握するための有用な情報を得ることができたという評価が得られた.それぞれの現地医療機関に関する情報収集率は,89.3~90.8%であった.インターネット上での情報収集も含め,3医療機関で情報収集不可能であった項目は4項目,2医療機関で情報収集不可能であった項目は5項目,1医療機関で情報収集不可能であった項目は13項目であった.その詳細を表4および表5に記す.
タイにおける現地医療機関訪問者の意見によると,これらの情報収集不可能であった理由の多くは,調査訪問時に医療機関側担当者(非医療者)が回答を持ち合わせていなかったためであった.また,熱傷や外傷,脳血管障害など救急体制に関する項目では,症例数や対応可能な重症度に関して,医療機関側担当者と現場医師・看護師の情報に差を認める場合があったため,可能な限り情報収集チェックリストβ版に記載されている項目に係わる施設を見学し,現場医師や看護師ともコミュニケーションをとる機会を得ることが望ましいという助言が得られた.
以上の内容について研究班で検討した結果,情報収集チェックリストβ版を用いることで,海外勤務者及び帯同家族に対する医療支援に必要と思われる項目について効率的かつ網羅的に情報収集が可能であり,情報収集チェックリストβ版は概ね有用であると判断された.
大項目 | 項目数 | 情報収集可能項目数 | ||
---|---|---|---|---|
医療機関① | 医療機関② | 医療機関③ | ||
窓口・事務サービス | 8 | 8 | 6 | 7 |
病棟 | 9 | 7 | 7 | 8 |
可能検査項目 | 11 | 11 | 11 | 11 |
外来体制 | 15 | 15 | 15 | 14 |
救急体制 | 35 | 33 | 32 | 32 |
小児科 | 16 | 14 | 16 | 13 |
産婦人科 | 18 | 14 | 16 | 16 |
歯科 | 2 | 1 | 0 | 0 |
一般健康診断 | 6 | 6 | 6 | 6 |
予防接種 | 2 | 2 | 2 | 2 |
感染症対策 | 3 | 3 | 3 | 3 |
その他 | 6 | 4 | 5 | 5 |
全体 | 131 | 118 | 119 | 117 |
情報収集率 | 90.1% | 90.8% | 89.3% |
情報収集が不可能であった項目 | |||
---|---|---|---|
大項目 | 中項目 | 小項目 | |
*t-PA; tissue-plasminogen activator | |||
3医療機関(4項目) | 救急体制 | 虚血性心疾患対応 | 開胸手術症例数 |
産婦人科 | スタッフ数 | 看護師 | |
歯科 | 費用 | 治療費の目安 | |
その他 | 医療外サービス | 利用可能施設 | |
2医療機関(5項目) | 病棟 | VIP個室 | 病床数 |
小児科 | スタッフ数 | 看護師 | |
産婦人科 | 病棟 | 産婦人科病床数 | |
分娩 | 分娩室数 | ||
歯科 | 日本人診療実績 | 日本人外来受診者数 | |
1医療機関(13項目) | 窓口・事務サービス | 日本人診療実績 | 日本人入院数 |
病棟 | 個室 | 病床数 | |
救急体制 | 脳出血・脳梗塞対応 | t-PA*治療症例数 | |
虚血性心疾患対応 | カテーテル治療症例数 | ||
緊急開胸手術の対応可能時間 | |||
ヘリ搬送 | 搬送料 | ||
小児科 | 日本人診療実績 | 受診者数 | |
外来 | 遊び場の有無 | ||
病棟 | 小児科病床数 | ||
産婦人科 | スタッフ数 | 医師 | |
日本人診療実績 | 受診者数 | ||
分娩 | 費用 | ||
その他 | 医療機関連携 | 現地国内高次機能病院への搬送 |
情報収集チェックリストβ版の体裁の修正を施し,海外医療機関調査のための情報収集チェックリストが完成した(付録).
海外医療機関調査のための情報収集チェックリスト
海外医療機関調査のための情報収集チェックリスト
産業保健活動の中で,海外勤務者および帯同家族に対して,赴任前から赴任中,帰国後にかけて様々な医療支援のニーズが存在する.また,そのような医療支援を円滑に行うためには,体制や制度づくりも重要である.産業保健専門職がそのようなニーズに適切に対応するためには,現地の医療機関の質やシステムなどの情報を把握しておくことが不可欠である.本チェックリストは,過去の文献で記述されていた,現地での医療機関受診に際する問題点に加え,研究班メンバーの産業医実務の経験をもとに海外勤務者及び帯同家族の支援ニーズを明確にした上で,それらのニーズに応えるために必要な情報を体系的,また効率的に収集するためのツールとして開発したものである.開発に当たっては,過去に海外勤務者及び面談時に聴取した医療支援に関するニーズや実際に医療支援を要した事例等の研究班メンバーの経験に基づく項目に加え,現地医療機関訪問時に情報収取できた項目,及び医療アシスタンス会社から海外医療機関選定の際に確認することが望ましいという情報を得た項目をもとに作成している.さらに,これらの項目に対し,海外勤務者及び帯同家族の健康管理に関する外部専門家による妥当性評価を通して,現地医療機関で情報収集すべき項目について追加した.これにより,本チェックリストは網羅性の高いものとなっている.
また,情報収集チェックリストβ版の有用性評価では,産業医経験1年未満であっても,チェックリストの約90%の項目について情報収集できた.このことから,海外の医療機関の事情に精通していない産業保健専門職であっても,現時点で特定されている現地医療機関受診における懸念点・問題点を考慮した調査を効率的に行える可能性がある.一方で,今回は網羅性を高めるため,全項目数が131項目となっており,決して少なくはない.有用性評価での情報収集率が89.3~90.8%と高率ではあるものの100%には達成していないことから,実際に本チェックリストを用いて現地で情報収集を行う際には,事前に医療機関ホームページ等で収集可能な情報は記載した上で現地訪問するとともに,訪問時には項目の優先順位を決めて情報収集を行う必要がある.
今回の妥当性評価において情報収集不可能であった理由の多くは,調査訪問時に,日本人コーディネーター等の非医療職である医療機関側担当者が回答を持ち合わせていなかったことが理由として挙げられていた.また,情報取集可能であった項目の中には,訪問当日に入手できず,後日医療機関側担当者へ問い合わせて,当該部署へ追加確認してもらえたことで情報入手できた項目もあった.このことから,訪問時には医療機関側担当者の連絡先を入手し,後で追加確認できるようにすることも重要である.
さらに,妥当性検討時の訪問メンバーによると,熱傷や外傷,脳血管障害など救急体制に関する項目では,症例数や対応可能な重症度に関して,医療機関側担当者と現場医師・看護師の情報に差を認める場合があった.より多くの情報を正確に収集するためには,可能な限り日本人専用窓口や外来,病棟,救急外来,産婦人科病棟,小児科病棟,健康診断センター,心臓カテーテル室,内視鏡室,ICUなど,情報収集チェックリストβ版に記載されている項目に係わる施設を見学し,各現場の医師や看護師などの専門スタッフからも情報収集できる機会を得ることが望ましい.このように,実際に医療職である産業保健専門職が現地医療機関へ訪問調査をすることで,治療に関する詳細な情報や検査室及び病棟内の情報が得られるため,海外勤務者及び帯同家族に対して,より適切で具体的な医療機関の提案が可能となる.
本ツールを使用することで,海外勤務者の健康管理に関する経験の浅い産業保健専門職であっても,情報は有効に集められると考えられる.しかし,得られた情報を活用するためには,海外勤務者の赴任前の相談の実施や赴任中の巡回相談や相談窓口の設置などの支援サービスを提供する体制が必要であり,また得られた情報を海外勤務者のニーズに合った形で分かりやすく提供することも必要である.今回は,一定の情報が得られるというところまでが本研究の範囲であり,経験の少ない産業保健専門職が得られた情報を産業保健の実務の中で有効に活用できるための方法論については,今後の検討課題である.
一方,現地の医療情報は変化するため,定期的な情報の更新が必要であるが,一つの企業で産業保健専門職が訪問できる現地医療機関の数や訪問の機会は限られている.そこで,複数企業の産業保健専門職がネットワークを構築して共有することで,収集できた情報を,より有益な情報を広く活用するとともに,情報の更新も可能になると考えられる.そのようなネットワークには,公益団体が中心的な役割を果たす場合と,限られた企業間の申し合せによるネットワークを構築する場合がありうるが,このことも今後の検討課題である.
また,本チェックリストに記載されている項目の中でも,特に優先度の高いものを特定し,チェックリストに反映させ実用性を高めるなど,チェックリストを改良していくことも今後の課題である.例えば,今回チェックリストの項目に感染症対策の項目を設けたが,発展途上国や新興国においてもJCI(Joint Commission International)認証を取得する医療機関が増加すれば,認証取得の有無を確認することによって,間接的にその医療機関の医療安全や感染対策の質が担保されていることを把握することも可能である.今後,新たに特定される現地医療機関受診における問題点に加えて,JCIなどの認証機関の評価項目などとの整合性も考慮しながら,より有用なチェックリストへ改良していきたい.
本研究の限界本研究で作成されたチェックリストの妥当性についての限界として,まず文献調査の対象が和文誌のみを対象にしたことが挙げられる.これは,日本人の海外勤務者の健康上の課題について,英文論文がほとんどないとの予想に基づくものであるが,文献検索の結果抽出された論文の引用文献に,研究の目的に合致した英文論文がなかったことより,現地での医療機関受診に関して文献上で述べられている問題点の多くが抽出できていると考えられる.次に,本研究における現地医療機関訪問は,限られた国および都市であり,かつ研究班メンバーがコンタクト可能な医療機関であったことや,今回訪問できた医療機関はいずれも日本語対応可能スタッフが常駐していたため,情報収集が円滑であった可能性がある.国や地域によって,英語や通訳を介して情報収集を行う必要がある医療機関において用いる際は,本研究での情報収集率を大きく下回る可能性がある.また,本研究における現地医療機関訪問はいずれも1時間半~2時間であるが,実際に産業保健専門職が訪問調査する際には情報収集に用いる時間がそれより短い可能性がある.妥当性検討及び有用性検討では90%前後と高い情報収集率ではあったが,それらのことを考えれば,情報収集チェックリストに列挙された項目のうち,どの項目を優先的に情報収集すべきかについて検討することは今後の課題といえる.さらに,インタビューで得られた情報は,非医療職である医療機関側担当者と現場医師・看護師の情報に差を認めていたことから,どのようなルートで依頼し,誰から情報を入手するかによって,現地医療機関訪問で得られる情報の精度や信頼性に問題が残る点についても,本研究の限界である.
一方,作成されたチェックリストの利用に関する限界として,国によっては家庭医制度が存在したり,公的保険によって希望する医療機関へのアクセスが制限されていたりする場合があることが挙げられる.しかし,家庭医制度が存在する国は,欧州先進諸国に多いと考えられ,海外勤務者のために医療機関の質的評価が特に必要な発展途上国や新興国にはほとんど存在しない.したがって,本チェックリストを用いた情報は,医療支援が必要な多くの海外勤務者に有効であると考えられる.
海外医療機関調査のための情報収集チェックリストを開発した.本チェックリストを用いることにより,産業保健専門職が海外勤務者の支援実務の中で必要となると考えられる情報を網羅的かつ効率的に入手可能となる.今後,項目の優先度の決定や項目の見直しを含め,より有用なチェックリストへ改良を行うとともに,情報更新の仕組の構築や活用方法の検討が必要である.
本研究は小松製作所からの受託研究の一環として実施された.現地医療機関の皆様,JCMT(Japanese Council for Medical Training)の皆様,また調査実施に協力いただいた産業医科大学産業医実務研修センターの修練医(当時)の皆様に心より御礼を申し上げます.