2014 Volume 1 Issue 2 Pages 14-17
諸外国に例をみないほど急速に少子高齢化が進む日本において,医療・介護サービスの質と効率の向上は,極めて重要かつ深刻な社会的課題の1つである.この課題を解決するべく,国や自治体は「医療・介護地域包括ケアシステム」の実現に注力しており,それを支援するためのヘルスケア機器および情報システムの研究・開発も産業界で進んでいる.しかしながら,効率的で質の高いサービスを開発・運用するための科学・工学的基盤は必ずしも十分ではない.我々は,科学技術振興機構(JST)「問題解決型サービス科学研究開発」プログラムのプロジェクトの1つとして,北陸先端科学技術大学院大学(JAIST),東芝,清水建設,岡山大学を中心とする産学連携プロジェクト「音声つぶやきによる医療・介護サービス空間のコミュニケーション革新」を立ち上げ,2010年10月から3年間取り組んできた(1).本プロジェクトでは,看護・介護サービスのコミュニケーションに焦点を絞り,サービスの質に大きく影響するケアスタッフの「気づき」を,音声を使って現場で簡単に記録・収集し,それをケアスタッフ間で連絡・共有し,ケアの質を向上する手法およびシステムを開発した.さらに,介護施設で試行評価を行い,有効性を検証した.以下では,プロジェクトの目的,開発したシステムおよび試行評価の概要を紹介するとともに,今後の研究の展開について述べる.なお,研究成果の詳細は各プロジェクトメンバーの学術論文を参照いただきたい.
看護・介護サービスは,状況適応・行動型サービス(Physical and Adaptive Intelligent Service)である.ここで,「状況適応」とは,患者や要介護者などのサービス需要者の状態やサービスを提供する環境の変化に応じて,適切なサービスを提供することである(2).また,行動型とは,PCを使えるデスクワークではなく,施設や地域という空間を移動しながら,知識と身体を使いサービスを提供することである.この状況適応・行動型のサービスでは,ケアスタッフなどのサービス提供者の「気づき」が極めて重要な役割を果たす.近年,様々なヘルスケアセンサの導入が進められているが,人間が五感(人間センサ)で気づかなければならない部分は大きい.良い気づきによって,状況変化に適切に対応でき,質の高いサービスが提供できる.特に,複数のケアスタッフの協働でサービスを提供する場合,単に気がつくだけでなく,スタッフ間でその「気づき」を共有することが重要となる(図1).しかし,行動型なので従来型のPCの情報共有は使えなかった.
従来から,ヒューマンファクタ分野では状況アウェアネス(Situation Awareness)の研究は精力的に行われてきたが,主に気づきのメカニズムおよび適切な気づきの誘発に関するものであった.また,グループウェアで研究されてきたアウェアネス(Collaboration Awareness, General Awareness)も,協調作業を促進するために,他のグループメンバーの状況を気づかせること(気づき誘発)が目的であり,サービス需要者の状況に関する気づきではなかった.状況適応・行動型サービスでは,サービス需要者に関する気づきの誘発だけでなく,気づきを収集し,サービス提供者間で共有し活用するまでの支援が求められている.
状況適応・行動型サービスの場合,最も自然で負担の少ないコミュニケーション手段はハンズフリーの「音声」であろう.既に,大型店舗などでの接客サービスではインカム(構内無線)型の音声コミュニケーションツールが導入され,効果を上げており,歯科医院などの小規模の医療現場でも導入されている.しかし,インカム型の音声コミュニケーションは,放送型で全員が聞こえる,会話を記録・活用できない等の制約があり,多職種が関わる規模の大きい施設や医療・介護地域包括ケアでは限界があった.しかし,音声認識技術の進展により,音声コミュニケーションのリアルタイムの分析も可能になりつつある.状況適応・行動型サービスにおいても従来にない音声の革新的活用が期待できる.一方,近年新しいコミュニケーション手段としてTwitterに代表されるマイクロブログが注目され,爆発的にユーザを増やしている.チャットや掲示板と比べたマイクロブログの本質的特徴は,「準リアルタイム性」と「巧妙なメッセージ配信制御」にある.この2つの機能により,心理的負担が緩和され,新しいコミュニケーションとして普及したと思われる.本プロジェクトでは,音声インタフェースとマイクロブログ的なコミュニケーションを融合した「音声つぶやきによるコミュニケーションシステム(以下,音声つぶやきシステム)」を提案・開発した(3).
音声つぶやきシステムのユースケースを示す(図2).ケアスタッフは市販のスマートフォンとボタン付きヘッドセットを装着する.患者や要介護者に関する気づきや連絡したいことを,ヘッドセットのボタン1つの操作で音声メッセージ(以下,音声つぶやき)としてその場で入力できる.従来のインカム型音声会話は放送型であったが,提案システムでは,音声つぶやきを必要な相手に適切なタイミングで適切な形式で配信する.ここで,誰にいつ配信するかは,利用者がその場で指定する必要はなく,サーバ側で,つぶやき内容と発話時のセンサ情報や業務情報から自動的に計算される.このサーバ側の配信制御機構を「音声つぶやき交換機(Smart Voice Messaging)」と呼ぶ(4).
図3は,音声つぶやき交換機の構成を示したものである.送り手が発話した生音声に,発話内容のキーワード,発話時の位置,加速度,業務などをセンサ情報や業務情報から推定し,状況タグとして生音声に注記(アノテーション)する.ここで,屋内位置測位には,Bluetoothを使っている(5).つぶやき交換機は,状況タグを用いて,つぶやきを分類し,生音声を必要な人に適切なタイミングで適切な形式で配信する.図4は,音声つぶやきシステムのPC上のつぶやき閲覧画面とスマートフォン上の入力・閲覧画面の例である.
ここで,音声認識は分類・配信のための状況タグ生成(キーワード抽出)のために使われる.近年,看護・介護情報入力端末で利用可能になってきた音声認識による音声のテキスト化では,認識されたテキストの確認・修正作業が不可欠であった.しかし,行動型サービスでの端末作業の負担は大きい.音声つぶやきシステムでは,最終的には生音声で相手に伝わるため,ユーザによるつぶやき時の確認・修正作業は不要である.
さらに,サービス中に音声つぶやきシステムを使うことで,ケアスタッフのつぶやきと動線の実績ログがデータベースに蓄積される.この実績ログを分析・可視化することで,業務分析(動線評価,業務効率評価)が可能となる(図5).これを,サービス空間可視化・評価システムと呼ぶ(6).ケアスタッフは,このシステムを用いて,現場の業務手順改善や教育,あるいは機材の空間的配置変更など,サービス空間・業務プロセスの見直しを行うことができる.これは,音声の記録・分析ができない従来型の携帯電話やインカムを用いたコミュニケーションにはない大きな特徴である.
本プロジェクトでは,上記の内容に加えて,ケアスタッフの負担感の評価(7),プロセスマイニングによるつぶやきログ分析とシミュレーション(8),発話のインタラクション分析(9),センサデータからの看護業務行動の推定(10)などの研究開発を行った.プロジェクトで実施した主な研究開発項目を表1に示す.
音声つぶやきシステムにより,サービス中の「気づき」を現場で手軽に収集し,他のケアスタッフと共有・活用することにより,看護・介護サービスの質を向上することができる.具体的には,東京都の介護施設において2012年~2013年に実施した試行評価で以下の3つの価値を創造できることを確認した.
本プロジェクトでは,開発したプロトタイプを実フィールドで試行・評価し,その結果を用いて改善・洗練化を繰り返す現場参加型のスパイラル開発により,上記の実用的な技術・手法・システムの構築を行った.
音声つぶやきシステムは,新しいコミュニケーションメディアである.新しいメディアゆえに,今回の試行評価でもケアスタッフの業務経験の深さによって,つぶやき内容が大きく異なることがわかった.これは,スタッフの気づきの能力がつぶやき内容に表れていると言える.職場全体としてのケア品質の向上には,職場に適したつぶやき方法の確立とケアスタッフへの気づき方の教育が不可欠である.すなわち,音声つぶやきシステムは道具でしかなく,道具を組織で使いこなすための気づきの体系化,標準化,具体的な組織学習手法,および組織学習のための気づき情報のマイニングが今後の重要な研究課題である.同時に,持続的な社会実装のための製品化も重要であり,本プロジェクトの企業メンバー側で進められている.
また,本プロジェクトで開発した気づきの分析・評価・活用手法およびシステムは,医療・介護サービスだけでなく,設備(エレベータなど)の保守(12),店舗やアミューズメント施設の接客などの状況適応・行動型サービスで広く使える手法である.今後,これらのサービスに本手法・システムを適用し,新しい可能性を開拓していく.これをJSTの問題解決型サービス科学研究開発プログラムで提示しているサービス価値共創構造モデル(13)に当てはめると,気づき内容はコンテンツであり,気づきの収集と活用を支援する機能はチャネルと位置づけられる.このコンテンツを分離したチャネルは状況適応・行動型サービスの「プラットフォーム」となる.我々は,気づき支援手法・システムの分野非依存部分を「気づきプラットフォーム」呼び,それを構成するモデル,ツール,手法を「サービスの気づき学」の研究基盤として構築・整備していきたい.
なお,本研究は独立行政法人 科学技術振興機構 社会技術研究開発センターの支援を受けて行われた.
北陸先端科学技術大学院大学 知識科学研究科 教授.1982年東京工業大学情報科学科卒.(株)東芝 研究開発センター 次長,技監を経て,2013年より現職.技術・サービス経営コースを担当.博士(工学,知識科学).研究・技術計画学会 業務理事.