2014 Volume 1 Issue 2 Pages 6-13
2004年は,サービスイノベーションにとって重要で特別な年であった.この年に全米競争力協議会の,いわゆるパルミサーノレポート(1)が発表され,ガリレオ・ガリレイ以来の近代科学技術の歴史上,はじめてサイエンスという言葉にサービスという言葉が冠せられサービスサイエンスという概念が誕生した.
同じ2004年に,二人の経営学者,VargoとLuschが,マーケティング科学に大きなパラダイム変化をもたらすサービスドミナント・ロジック(2)を発表した.サービスを顧客との価値共創ととらえ,サービスこそが経済・企業活動の中心にあり,モノは,サービスの価値実現手段の一部とみるマーケティング概念が確立された.
1.1 日本におけるサービスイノベーションへの取組みとS3FIREの発足この知の体系全体を大きく揺さぶるパラダイム変化の大波は,2年ぐらい遅れて日本にも及んできた.2006年にいわゆる牛尾委員会(3)が編成され,その結果として2007年にサービス産業生産性協議会が設立され,さらに2008年には,産業技術総合研究所にサービス工学研究センターが設立された.このような日本におけるサービスイノベーションに対する科学的・工学的アプローチへの関心の高まりの中で,満を持して発足したのが,科学技術振興機構の社会技術研究センター(RISTEX)による,本格的なサービスサイエンス研究開発,問題解決型サービス科学研究開発プログラム(Service Science, Solutions and Foundation Integrated Research Program,以下,S3FIREと略する)である.
S3FIREがその研究開発プログラムを開始するにあたっては,サービス科学を「サービスに係わる科学的な概念,理論,技術,方法論を構築する学問的活動,およびその成果活用」という定義を提示した(4)が,これは,「サービスに係わる」という部分を除けば,一般的な研究開発活動について述べているだけで,このプログラムがどのような成果を期待しているかを十分伝えるものとはなっていなかった.このため,プログラムマネジメント・チームでは,より具体的なイメージを応募者に持ってもらうため,「ヒューマンモデリング,プロセスマネジメント,サービス知,サービス創成社会のモデリング」という4つの研究クラスターや,行政,医療,福祉,教育等のサービス事業分野におけるテーマ事例を提示した.これらは,サービス科学にアプローチする起点となるヒントを,どちらかといえば研究実施者の立場から「サービス科学的な」研究分野として提示するものであった.しかし,「サービスに係わる」という場合のサービスそのものについては,「提供者による,被提供者のための価値創造を目的とした機能の発現」(4)という,独自に行った抽象的な定義しか持たずに,プログラムは出発した.
1.2 サービス価値共創の概念的フレームワークの必要性2010年に,土居慶應義塾大学名誉教授を総括とする S3FIRE*1のマネジメントチームが,研究開発プログラムを推進しはじめたが,プログラムを進めていくにつれて,「サービスに係わる」のサービスの内容についての概念的フレームワークを,マネジメントチーム間,マネジメントチームと個別のプロジェクトチーム間で共有していないことが,プログラムの円滑な推進における問題になり始めた.それぞれのプロジェクトが,サービス科学のどの部分に,どのようなイノベーションをもたらそうとしているか,についての理解を共有する共通のフレームワークの必要性が次第に強くなってきたのである.
その場合の「サービスに係わる」中心的な概念となったのは,S3FIREの発足に際して強い影響を受けたDr. James SpohlerのもたらしたSSME&Dの概念,そしてVargo & Luschのサービスドミナント・ロジックが,共通の中心的な概念とする「価値共創」である.サービスを受け手による出し手との価値共創と捉え,それがサービスの全体像としてどう把握されるべきかというサービス価値共創の概念的フレームワークが,その共通のフレームワークにあたるものであった.
また,S3FIREプログラムが全体としてどのような成果を生み出そうとしているかについての理解を共有することもマネジメントチームの重要な課題であった.そのような問題意識は,研究開発プログラムのプログラムマネジメントの質の向上を重視し始めた総合科学技術会議における政策転換*1の影響を受けてないとはいえない.マネジメントチームにおいては,S3FIREプログラム全体が,どのような成果を生み出しうるかについての意識が高く,そのような概念的なフレームワークが今後のプロジェクト採択のポートフォリオの形成にも強い影響をもつものと思われた.また,それが,今後のサービス科学の研究者に,研究の方向性についての羅針盤を提供することにもなり,研究が積みあがっていく過程で相互作用を生み,お互いを高めていくための知のプラットフォームともなりうると思われたのである.
1.3 サービス価値共創の概念的フレームワークの生成プロセスの記述このような問題意識で開発されたサービス価値共創の概念的フレームワークは,S3FIREの18本のプロジェクト(5)の研究開発面で訴求する革新の概念的含意を母集団とし,そこから概念操作として上向する抽象作業を通して得られた成果であるが,その過程は,中島らのいう「試行錯誤的ループ」(6)を内包するものでもあった.本稿では,抽象されたサービス価値共創の概念的フレームワークを,先行研究を繋ぎ合わせて説明することから出発して,具体的な研究開発のポジショニングにむけて下向するという学術論文の作法をとらない.あえて,具体的なプロジェクトを扱うプログラムマネジメントの現場における思考が,どのような経緯を経てこのサービス価値共創の概念的フレームワークに至ったかのプロセスについての事例記述という体裁をとりたい.
このフレームワークは,今後,さらに,サービス科学のフロンティアが広がっていくにつれて進化,変質していくべきものである.それ故,こうするほうが,その進化・変質のプロセスにより良く実務的な貢献をなしうるであろうし,実務との共創を重視するサービス学会の理念にも合致すると考えられるからである.
サービス価値共創の概念的フレームワーク生成の出発点で,マネジメントチームが拠り所としたのは,その一員でもある新井らによる,いわゆる新井・下村モデル(図1)である.新井・下村モデル(7)は,サービスの改善を,「チャネル,あるいはその関係を改善することで受給者状態パラメータに直結するコンテンツを改善すること」と考えるが,S3FIREの初年度である2010年度の採択は,この定義に含まれる『コンテンツ』*2と『チャネル』の在り方の革新に係わるプロジェクトが採択されている.
北陸先端科学技術大学の内平プロジェクト*3は,介護や福祉の現場で,両手がふさがっている状態でも,業務に有益な情報が揮発せずにリアルタイムでデジタルに蓄積されうる,生声の「音声つぶやき」というサービス提供の新たなチャネルに着目した.そして,そこで蓄積される有益な情報を振り分けて,所要の場に伝達していく技術開発に挑戦した.
また,東京大学の原プロジェクトは,訪日外国人観光客数の拡大を目標として設定し,顧客参加型のツアーコンテンツ生成の支援システムの開発を通じて,顧客経験とサービス設計生産活動を繋ぐ,顧客参加型のサービス構成支援法の確立を目指すものであった.
もうひとつの2010年度プロジェクト,一橋大学の藤川プロジェクトは,サービスドミナント・ロジックの中心概念である価値共創プロセスの構造化や類型化,操作化や計測化に取り組む挑戦的なプロジェクトであった.藤川プロジェクトは,新井・下村モデルにおける状態変化を,使用価値の実現プロセスととらえ,その本質を多面的に明らかにしようとしているが,その過程では,顧客満足や従業員ロイヤリティにまで言及が行われていた.このことは,新井・下村モデルだけで,今後行われるサービス科学研究のもたらす諸々の革新を位置付け,類似研究が類似研究として積みあがっていくための基盤とすることには無理があることを示していた.
このため,新井・下村モデルを拡張して,S3FIREプロジェクトがサービス科学研究に持ち込もうとしている革新を適切に位置付け,「サービスに係わる」という時の「サービス」の全体像を示そうとしたものが,本稿がテーマとするサービス価値共創の概念的フレームワークである.
以下において,S3FIREの個別の研究プロジェクトがもたらそうとしているサービス科学上の革新の理解のうえに立って,新井・下村モデルをどのように拡張していったかを順次示していく.
藤川プロジェクトは,サービス価値共創に係わる広範な概念を扱ったものであるが,中でも,標準化・普遍化する脱コンテキスト化と,現地化・再現化する再コンテキスト化という対概念を提示することにより,サービスの出し手の価値提案を,受け手である顧客との間での価値共創のプロセスに繋ぐ基本的な要素として,チャネル,コンテンツに加えて,いまひとつ,文脈,『コンテキスト』という要素が重要であるということを明確に示した意義は大きい.これは,新井・下村モデルのチャネルとコンテンツは,常に,特定のコンテキストにおけるチャネルとコンテンツなのであり,その意味で,新井・下村モデルは,コンテキストを含む体系へと拡張される必要があるということを示すものである(図2の新井・下村モデルに対応する部分を参照.以下,順次,拡張していく場合も同様に図2を参照のこと).
藤川プロジェクトでは,使用価値,交換価値,文脈価値という形で,文脈をひとつの価値の形態と捉えるアプローチを行ったが,本フレームワークでは,コンテキストは,サービスの出し手が受け手に対して,チャネルとコンテンツを通して価値提案を行う際の環境であり,価値そのものではないという捉え方をしている.
2011年度の,京都大学の小林プロジェクトでは,江戸や京都で育まれてきた老舗企業,日本食,クールジャパン,伝統芸能等の日本型のクリエイティブサービスが,コンテンツだけでなく,(当事者間の暗黙的な共通背景知識としての)コンテキストとの関連に起因する価値創出の割合の高いサービスであることに着目し,その価値創出のメカニズムをモデル化することを目指している.そしてそれによって,サービスがどのように異なったコンテキストとコンテキストの間を超えて移植されうるか,というサービスのグローバル化の問題に接近しようとしている.小林プロジェクトにおいては,コンテキストは,それ自体が価値であるのでなく,サービスが超えて移植される場として扱われているが,本フレームワークでも,コンテキストについては同様の捉え方をしている.
コンテンツやチャネルは,常に特定のコンテキストの下での,特定のチャネルにおける特定のコンテンツである.したがって,価値提案は,図2に示すように,1からnまでの,複数のコンテキストにおいて行われるものと考える.
新井・下村モデルをサービス価値共創の概念的フレームワークにむけて拡張していくに際して,もうひとつ変更した点を明確にしておかなければならない.本フレームワークは,できるだけサービスの全体像を直観的に理解できるように分かりやすく図示することを企図している.そのためコンテンツはほぼそのままの表現をしたのに対して,チャネルについては,新井・下村モデルの,プロバイダを『送り手』,レシーバを『受け手』とより一般的な表現にしたうえで,両者の間を双方向の矢印で結んでいる.図1の新井・下村モデルの場合,サービスドミナント・ロジックに準拠して,チャネルは送り手から受け手への片方向の価値提案という体裁になっているのに対して,図2では,双方向の矢印にした.これは,本フレームワークにおいては,次節以降に示すように,たしかに価値提案は受け手から送り手に対して行われるが,同時に受け手から送り手に対してもサービス経験を通して価値提案が行われると考えるからである.
いわゆる上田モデル(8)では,環境の扱い方として,提供,適応,共創という3つのクラスに分けるが,本フレームワークのコンテキストは,創生されるサービスの価値と直接的な相互関係を持つという意味において,クラスⅢにあたる構造の中に位置付けられると考えられる.
かつて,TEDカンファレンスの創設者であるリチャード・ワーマン(9)は,われわれ情報学徒に,コミュニケーションにおいて,チャネル,コンテンツに加えて,コンテキストがいかに重要かに気付かせてくれた.新井・下村モデルにコンテキストを加えることで,本来のサービスが,送り手と受け手がお互いに理解しあおうとする,コミュニケーションのプロセスであるという特性がより明確になる.
同じ2011年度の香川大学の藤村プロジェクトは,医療サービスの便益遅延性という興味深い切り口を提示することによって,価値共創が行われ,使用価値が実現した後の顧客満足の生成プロセスに着目した.
サービス価値共創では,受け手である顧客が,出し手であるサービス提供者の価値提案を受けて,使用価値を実現する.マーケティング科学の革新を担うサービスドミナント・ロジックは,主として,ここまでのプロセスについて10の基本的前提や4つの公理を提示(10)しているが,サービス科学が対象とする現実のサービスはここでは終わらない.使用価値の実現の結果として,サービスの受け手である顧客に,『顧客満足』あるいは不満足をもたらす.交換価値は価格やコストで示されるが,使用価値の成果尺度となるのは,顧客満足度である.
藤村プロジェクトは,サービス価値共創のプロセスで便益が実際のサービスの実施時点よりもかなり遅れて発現するという医療特有のやっかいな性質をサービスの問題としてどう対処すれば良いか,という課題を,患者による顧客参加プロセスの生成を軸に解こうとしている.
サービス産業生産性協議会の顧客満足度調査(11)が準拠するミシガン大学モデルでは,顧客満足は,短期的には口コミのような評判を,長期的には顧客ロイヤリティを生み出す.このサービスのプロセスを,初期のサイクルから,次期のサイクルに繋ぎ,このサイクルを再生産可能なサイクルにするためには,もうひとつの媒介項が必要である.それこそが,S3FIREのマネジメントチームの一員でもある諏訪良武(12)が早くからそのサービスマネジメントにおける重要性を提起していた『事前期待』ではなかろうか.受け手である顧客は,t期の顧客満足の内容を基にしてt + 1期のサービス利用に係わる事前期待を形成する.そして,出し手である提供者による価値提案を受け,事前期待との相互関係の下で,t + 1期の価値共創のプロセスに入る.このようにしてサービスの受け手における価値共創は再生産可能なものに仕上がるのである.
2.4 出し手の経験価値を実現するサービス価値共創2011年度のプロジェクトには,もう1本ユニークなプロジェクトがあった.静岡大学の舘岡プロジェクトである.このプロジェクトは,自殺問題に取り組むボランティア相談員に焦点をあてて,自殺念慮者との関係における経験の積み重ねの中にある利他性の発現の構造を明確にしようとする.それによって,「サービスにおける利他性」という,供給者サイドに潜在する価値創造要因の特性を明らかにしようとした.このプロジェクトは,この微妙な問題の解明に必要な実証フィールドを十分に確保することが出来ず,残念ながらS3FIREプロジェクトとしては中止となったが,サービスの利用サイドにおける価値共創だけでなく,供給サイドのサービスの出し手と受け手の間の濃密な相互関係にも価値共創という側面が存在することを示そうとしたという意義は大きい.
このことから,本フレームワークでは,供給サイドにも,使用価値の実現による価値共創の構図と相似する構造を導入し,サービスの出し手は,顧客との使用価値の共創の過程で,『経験価値』という出し手側にとって最も重要な価値を共創するとした.
2013年度の採択は,サービス価値共創の概念的フレームワークをあらかじめ提示して行われたが,そこではサービスの受け手である顧客サイドの価値共創だけでなく,出し手側における価値共創を明示的に分析対象とするプロジェクトが複数ある.
そのひとつが,東京大学の淺間プロジェクトであり,技能教育サービスをフィールドとし,三次元計測等の手法を駆使して経験価値の見える化と定量化を行い,サービスの出し手と受け手の間で時系列的に変動する経験価値を基にした共創メカニズムを解明しようとしている.
もうひとつの首都大学東京の下村プロジェクトでは,高等教育の現場をフィールドとして,サービスの出し手のコンピテンシー(提供者の能力)と受け手のリテラシー(受給者の能力)という概念を用いて価値共創のメカニズムを解明し,より付加価値の高い高等教育サービス実現の実践的な方法論の確立を目指している.
2.5 学習・評価とスキル・ノウハウ―出し手サイドの再生産サイクルの形成さて,受け手の価値共創の場合には,その成果として顧客満足が実現したが,それでは出し手サイドの経験価値の共創プロセスの成果として実現する要素は何であろうか.下村プロジェクトにおいては高等教育サービスの提供の成果は,形成的評価と総括的評価というふたつの評価であり,淺間プロジェクトでも学習者の満足感や上達具合の定量的評価が提示されている.ただ,このように重視されている評価は,けっして評価のための評価ではなく,サービスの出し手にとっても更なる良いサービスを生み出すための,学習を推進するための評価である.
受け手側の価値共創の成果としての顧客満足にあたる,出し手サイドの価値共創の成果については,これまでの本フレームワークの検討過程では,Learningや学習・経験という概念が用いられてきたが,2013年度の淺間,下村プロジェクトを踏まえて,『学習・評価』としたい.概念的フレームワークの均斉性を考慮すれば,受け手サイドの顧客満足に対して,出し手サイドには従業員満足を対置させるのが自然であるが,サービス価値共創にとって従業員の満足は,それを促進したり阻害したりする制御変数ではあっても,サービス価値共創を再生産していく際の決定変数ではない.あくまでサービス価値共創のプロセスを次の価値提案に結び付けるものは,従業員満足の形成の手前にある,学習・評価という行動である.
それでは,学習・評価を次の価値提案に結び付けるミッシングリンクは,何であろうか.それを指し示すのは,2012年度の慶應義塾大学の村井プロジェクトである.村井プロジェクトでは,介護の現場をフィールドとして,現場では介護サービスの質を評価する方法が確立されておらず,介護の熟練者の持つ優れたスキルやノウハウを抽出するための客観的な方法がないことが,優れたサービスの提供の維持や転職率の低減を難しくしている,という実態認識をしている.そして,それを踏まえて,知識・技能の到達レベルのモデル化と状態把握システムを用いた実証に挑戦している.
つまり,学習・評価という経験価値共創プロセスの成果を経験価値共創の再生産のサイクルに繋ぐのは,サービスドミナント・ロジックにおけるオペラント資源にあたる『スキル・ノウハウ』(10)である.スキル・ノウハウこそが,t + 1期のサービスの出し手からの新たな価値提案の拠り所となるものである.
2.6 使用価値,経験価値,交換価値このようにして新井・下村モデルからスタートしたサービス価値共創の概念的フレームワーク生成のプロセスは,受け手である顧客の使用価値を実現する価値共創の再生産のサイクルのみならず,出し手の経験価値共創の再生産のサイクルをも備えたものにまで成長した.
ただ,これは単純再生産のサイクルであり,これを持続可能性を備えた拡大再生産のサイクルにするには,もうひとつ重要な側面がある.
それは,このようなサービスの営みが,結果として利益を生み出すことである.いかにサービスが顧客価値の共創を実現し,いかに送り手の経験価値を高めたとしても,最終的にそのサービスが市場において利益を生まなければ,そのサービスは持続しない.このことは,使用価値や経験価値という受け手と送り手における価値共創をみるだけでなく,両者が切り結ぶ市場において,『リターン』と『コスト』そして利益という形で実現する『交換価値』の側面も見なければならない,ということを意味している.
この経済活動としてのサービスの最も原初的な問題を扱っているのが,2012年度の神戸大学の貝原プロジェクトである.いくら経験価値を積み上げても,送り手サイドでは,それが確かに金銭的にも意味があるものとして可視化されないと,本当のモチベーションにはつながってこない.貝原プロジェクトでは,がんこフードサービスという外食産業のフィールドで,レストランの厨房に製造業のノウハウであるセル生産の方式を導入した場合に,どのような経済的な利得があり,それがどのように厨房を変えるかを見ようとしている.さらにそれがフロントの店頭における顧客満足度の向上にどのような効果を及ぼしうるか,という問題意識も掲げている.
かくして,サービス価値共創のプロセスにおいては,使用価値,経験価値,交換価値という3つの価値が生成されることになるが,これらは相互に排他的な概念ではなく,ひとつのサービスの価値共創の成果を,受け手と出し手と市場という3つの側面から見たものである.
このようなサービス価値共創における価値の三面性に着目し,3つの価値の測定尺度を開発しようとするプロジェクトもS3FIREには存在する.それが2012年度の明治大学の戸谷プロジェクトである.戸谷プロジェクトでは,金融サービスをフィールドとして,使用価値を感情的価値,経験価値を知識的価値,交換価値を基本機能価値と,より現場感覚に即した捉え方をして,その測定尺度を明確にしようとしている.また,戸谷プロジェクトでは,それらの価値が全体として生み出すネットワーク価値にも着目しており,この研究の帰趨によっては,このフレームワークに4つ目の価値が加わる可能性もある.
2.7 サービス価値共創の概念的フレームワークの生成このように新井・下村モデルから出発したサービス価値共創の概念的フレームワーク生成への取組みは,S3FIREプログラムのマネジメントチームで内々にニコニコ図(Smile Chart)とよんでいる図3の形にまで進化した.これは,サービス科学の研究フロンティアが広がっていくにつれて,今後も進化を続けていく性質のフレームワークであるが,S3FIREの研究開発のマネジメントツールとしては,これで一応の完成を見たものと考えたい.
S3FIREプロジェクトには,はこだて未来大学の中島プロジェクトや,東京工業大学の木嶋プロジェクトのようにサービス科学の新しい方法論の開発を目指すプロジェクトや,サービス科学全体に係わる理論的なモデル開発を目指す西野プロジェクトのようなプロジェクトもあるが,それらを除けば,S3FIREの18本中15本のプロジェクトがもたらそうとしているサービス科学の革新は,すべてこの概念的フレームワークのなかにポジショニングできるからである.それらのプロジェクトの中には,すでに同じ領域で革新を実現しようとしている研究もあるが,このフレームワークを用いて,それらがどう類似し,どう異なっているかについてお互いに理解を深めることができるようになっていることも明記しておきたい.
かくして出来上がったサービス価値共創の概念的フレームワークは,新井・下村モデルを出発点としながらも,
ただ,このアプローチには,多くの限界(と可能性)があることも明確にしておくべきであろう.第一に,このフレームワークは,新井・下村モデルに4つの革新をもたらしたが,これらの個別の革新は,本稿が独自に成し遂げた革新ではない.
このうち(1)の,サービスの利用を顧客満足やロイヤリティに結び付けてサービスの価値実現のプロセスを把握する見方は,Heskettらのサービスプロフィット・チェーン以来,サービスマネジメントの分野ではごく一般的なサービス理解の枠組み(13)となっているし,(2)の時定数をいれる捉え方も,中島らのFNSモデル(6)をとりあげるまでもなく,経営学におけるPDCAサイクルやBSCやSCM等,その例に枚挙のいとまもない.(3)の受け手だけでなく送り手サイドにも価値共創のプロセスがあるという見方は,最近のChanら(14)の実証研究等にも示されているものである.
このフレームワークの意義は,それらの知見をふまえて,サービス価値共創のより統合的,包括的な概念的フレームワークを生成したことにある.これによって,S3FIREの研究開発プロジェクトだけでなく,今後生み出されるサービス科学、サービス工学やサービス学の諸研究をポジショニングしていく出発点が確保されたことになる.
第二の限界は,本アプローチで生成しようとしたのは概念的フレームワークであって,モデルではないということである.本稿で行っているのは,サービス価値共創の概念的フレームワークを示すことであり,そこで取り上げる変数と変数の間にある関係の法則性を見出し,それを実証しようとしたものではない.そのような法則性が見いだせそうな変数を抽出し,それらをできるだけ一般性をもつかたちで関係付けただけである.法則性の発見や実証や実装は,今後展開される諸研究によってなされるものである.このため,本稿では,サービス価値共創の概念的フレームワークという言葉を用い,第1回のサービス学会特別講演で筆者が用いた,サービス価値共創モデルという表現を修正した.
新井・下村モデルは,受給者の状態変化を制御する受給者状態パラメータRSP: Receiver's State Parameterの特性を深堀りしていくことによって,サービスの設計手順とモノの設計手順の違いを示し,やがてはService ExplorerやサービスCADの開発に繋がっていく出発点となるものである.そのため,本稿ではこれを一貫してモデルと呼んでいる.これに対して,サービス価値共創の概念的フレームワークは,その部分,部分がサービス科学の多様な研究開発に繋がっていき,やがては,サービスの統合的,包括的な理解に発展するはずではあるが,現状ではまだ,その可能性を示すフレームワークにすぎないのである.
第三の限界は,本フレームワークとS3FIREの個別のプロジェクトの関係に係わるものであるが,本フレームワークは,個別のプロジェクトが扱うサービスの,全体を余すところなくマッピングしようとしたものでは決してないということである.
繰り返し述べてきたように,本フレームワークは,研究開発マネジメント上,個々のプロジェクトがサービス科学のどの部分に革新を持ち込もうとしているかを明確にし,その革新のみに焦点をあててマッピングする用に供したものである.
どのプロジェクトもサービスを対象にしている以上,このフレームワークのほぼすべての側面をその中に内包している.しかし,内平プロジェクトは,主としてチャネルの側面に革新をもたらし,村井プロジェクトは主としてスキル・ノウハウの側面により良き理解と実効的な実践をもたらそうとしている.本フレームワークは,それらの個別の革新的側面のみに焦点をあててマッピングしようとしているものなのである.
3.2 本アプローチの可能性このような限界を持ってはいるが,本フレームワークは,サービスの統合的,包括的なモデルを設計しようとする時の出発点としての意義を減じるものではないことは明確にしておきたい.
このフレームワークは,S3FIREの研究開発プロジェクトが成し遂げようとする革新を適切にポジショニングできる枠組みとなっている.このことは,これらの研究,あるいは今後のサービス科学,サービス工学やサービス学研究が成し遂げようとしているサービス価値共創における様々な法則性の発見や,それらの間の新たな関係や構造の同定,その実証や実装が実現していくにつれて,その内容が豊かになっていくことを示唆している.
経営の現場にもいる筆者にとっては,すでに本フレームワークは手離せない有用な経営のツールとなっている.本フレームワークは、その内容がさらに豊かになっていくことによって,サービスの現場の実務家や経営者が希求する,サービスの統合的,包括的な理解により良く資するものとなり,その理解を踏まえた具体的なサービスイノベーション推進の多様な源泉となるはずなのである.
本稿の概念的フレームワークの策定は,S3FIREのマネジメントチーム,RISTEX事務局,S3FIREプロジェクト,公的プロジェクトWSのメンバーとの議論の積み重ね無くしてはなしえなかったものである.議論に参加して頂いたすべての研究者に深謝します.本稿に名前のあがった研究者に加え,飯田俊彰,石田亨,泉伸一郎,井上崇通,国領二郎,澤谷由里子,椿広計,水流聡子,土居範久,中島正人,芳賀麻誉美,日高一義には,その具体的な知的貢献に対して,特に感謝します.
1968年野村総合研究所入社.社会システム研究部長,技術戦略研究部長,研究理事,取締役,代表取締役専務等を経て,2002年理事長,2008年シニアフェロー.2012年より産業戦略研究所代表.情報学博士(京都大学).サービス学会顧問.著(共著)書に「知識サービスマネジメント」「サービス工学」「社会のなかで社会のためのサービス工学」等.