Serviceology
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Special Issue : "Serviceology that Contributes to Industrialization of Tourism - Tokyo Olympic and Vitalization of Local Communities"
A Fundamental Study of High-Context Service Resulting from Considerate Behaviors
Noriko Fukushima
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2015 Volume 1 Issue 4 Pages 14-19

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1. はじめに

本稿は,対人接客サービスをサービス提供者側の視点から紐解くと同時に,社会心理学を基盤としてサービスが生成される過程について考察するものである.筆者は,長年,サービスコンサルタントとして高額小規模旅館のオペレーション構築や接客指導にあたっており,個人の気配りがどのようにして組織のサービスに変換されていくのかを実務的かつ学術的側面から探究している.

2. 日本のおもてなし

2.1 茶の湯にみるもてなしの精神

中国禅宗の影響を受けた日本人は,禅宗の「主客一体」の概念を茶の湯の中に見出した.たとえば,亭主が茶を点て客人が茶を頂く「茶事」においても,両者はともに進行する「時間」そのものを味わう総合芸術であると捉えており,もてなす側と,もてなされる側が区別なく混然一体となった時空間を茶の湯では「場」として捉えている.この「もてなしの場」が精神性の高い「世界観」をもたらすのである.

茶の湯では,亭主が客人に対し殊更に心遣いを見せないことを高く評価する傾向がある.日本茶道史の研究家,熊倉(2007)(1)は,亭主の心配りを表した興味深い逸話を紹介している.

A氏がある茶人の茶事に招かれ,帰り際に茶室の外にある雪隠に入ったところ,ぱらぱらと霰が降ってきた.A氏が雪隠を出ると,入り口そばの四つ目垣に路地笠がかかっている.雪隠から茶室まではほんのわずかな距離だが,A氏は,路地傘を手渡すのではなく,さり気なく掛けておいてくれた亭主の気遣いに,非常に感動したという.日本人は,自分の手柄を自慢したり,これ見よがしに何かをしたりすることを,はしたない振る舞いとして避ける傾向がある.客人が雪隠から出てくるのを待って「さあ,お使いください」と,路地傘を手渡すのは合理的ではあるが,日本では無粋な行為とされ,さらに亭主は路地傘を置く姿すら客人に見せないよう配慮するのである.そこには,「霰の舞う中をわざわざ路地傘を持ってきてくれて申し訳ない」といった気遣いを,客人にさせたくないという亭主の心遣いがある.これが茶の湯から発した日本人のもてなしの流儀である.

しかし,このもてなしを認知し真髄を理解するためには,客側にも亭主の配慮を文脈的に読み取る文化的能力が求められる.

現代の日本人や西欧人の中には,「路地笠を手渡さなければせっかくの配慮も相手には伝わらない.無意味である.」とする考え方もあるだろう.しかし,非合理的であっても,相手に気遣いをさせないという「もてなす側の配慮」と,それを知りながら「遠慮」する「もてなされる側の配慮」が一体となって,その場を創り上げていくのが茶の湯の「主客一体」の考え方なのである.茶の湯では亭主の気遣いに対して客人が感謝の意をあらわすと,亭主から「私が好きでやったことですから」という答えが返ってくることがある.亭主には相手からの感謝や賛辞といった内発的報酬を求める気持ちはない.亭主が行うのはすべて無償のもてなし,つまり愛他的精神に基づく行為であり,これが茶道の精神とも言われている.この精神性に理解を示した人々によって,もてなし文化が育まれ日本人の品性が形作られてきたと言っても過言ではない.よって,亭主の心入りを理解しない鈍感な客は「客ぶりが悪い」と嫌われるのである.

2.2 日本のもてなしとホスピタリティ

新約聖書の「ローマ人への手紙」には,「Distributing to the necessity of saints; given to hospitality.」(貧しい聖徒を助け,努めて旅人をもてなしなさい)とあり,「ペテロの第一の手紙」には「Use hospitality one to another without grudging.」(不平を言わずに,互いにもてなしあいなさい)と書かれている.このことからも聖書にみる「ホスピタリティ」には「もてなす」という行為そのものが含まれていると考えられる.つまり,西欧における「ホスピタリティ」とは「招待客を楽しませる」「歓待する」といった行動を伴っている点において,日本語の「もてなし」との類似性は高い.しかし,「ホスピタリティ」には,茶の湯に見られるような「ある決まり事に基づくもてなし」といった意味は認められていない.

約114年前に,海外に初めて日本文化を紹介した新渡戸稲造は,著書「Bushido: The Soul of Japan」(1899)(2)の中で,茶の湯を礼法以上のものととらえ,茶の湯は芸術でありかつ折り目正しい動作をリズムとする詩であるとともに,精神修養の実践方式であると述べている.また,もてなす側ともてなされる側双方には,快適な時間と空間を過ごすための作法や決まり事が課せられているが,たとえ茶道の初心者が作法を知らずに型を外した振る舞いをしたとしても,茶人は他者を気遣う心もまた決まり事として身につけているため,そのような振る舞いをする他者を軽蔑することはない.

いかなる他者に対しても,常に心のこもった接し方をするよう努めてきた日本人は,日本独自の礼儀や作法を確立し,その結果,礼儀や作法を身に着けた人たちに,自然と品性がもたらされてきたのではないかと考える.日本のもてなしには,和室での寛ぎ方や食事の仕方などに様々な決まり事があり,それらは風習や伝統的所作として現代に継承されている.そして,それら決まり事のひとつひとつが,他者への配慮から生まれてきたものであると推察される.

西欧の「ホスピタリティ」と日本の「もてなし」の違いは,前者が相手に肯定的感情を抱かせることを目的とした「歓待」に重きを置いているのに対し,後者は「歓待」に加え,主客一体で場を創り上げていくために必要な「決まり事」を付加している点にある.ただし,この決まり事は,もてなす側ともてなされる側双方が共通に認識していることが前提だが,仮に,いずれか一方がその決まり事を知らなかったとしても,日本では相手に「恥をかかせない」,「面子を保つ」ことを礼儀とするため,その場で相手の失態を指摘することはない.

2.3 日本のもてなしの決まりごと

なぜ,日本人はもてなしの決まりごとにこだわるのか.前述の新渡戸は,どんなことにも,それを為すためには最善の方法があるとし,その最善の方法とは「もっとも無駄がなく,もっとも優美なやり方になる」と考えた.たとえば,茶道では茶碗や茶杓,茶巾などの扱いに一定の決まった作法があるが,その動きをひとつずつ観察すると緩急をつけながらも流れるように身体が運ばれていく動作には,全く無駄がないことに気づく.動作を割愛したり省略したりするのではなく,無駄な動きを削ぎ落し,動作を洗練してゆくなかで「まとまりとしての美しさ」が現れてくる.しかし,この洗練された動きを自分のものにするためには,弛まぬ努力と強い意思が求められるため,日本人はそれらの身体化された動作の美しさに「道を究める」という思想を見出すのである.道を究めるとは,すなわち,常に平常心でいるという精神修行を為し終えたことを表すとともに,それによって強い信念を周囲に示すことでもある.そこで,日本人はその信念に対して畏敬の念を抱くとともに,洗練された所作の中に芸術的価値を感じ取ることで,礼儀を重んじる日本人特有の価値観を育んできたと考えられる.

いま,日本の接客サービスが世界から注目されている背景には,相手への配慮に加えて,このような価値観に基づくもてなしの決まり事を忠実に守り続けてきたサービス提供者の意識と接客レベルの高さがある.日本の接客サービスでは,接客責任者は現場のサービス提供者に対し,頻繁に「心を込めてもてなしなさい」と指示を出す.「心を込める」とは,頭の天辺から爪先に至るまで,体の隅々に神経を行き渡らせて無駄な動きを省き,すべての所作を美しく行うことで相手に敬意を示すことを指す.ぞんざいな振る舞いの中に,「心からのもてなし」は存在しない.

茶の湯から派生した作法は徐々に庶民にも広まり,器の持ち方だけではなく,箸の使い方や和室での立ち居振る舞いといった分野にも影響を及ぼし,様々な決まり事として日本人の暮らしの中で息づいてきた.日本のもてなしが他国の接客スタイルと大きく異なる点は,日本のサービスには多数の決まり事があり,その決まりごとが洗練されたサービスの原型を形作っているところにある.そして,洗練されたもてなしの背景には,他者を慮る様々な文脈的考察が存在し,この「他者に対する配慮」が,接客サービスの原点になる.

3. もてなしの原点「配慮行動」

3.1 配慮行動に内在する暗黙知

Polanyi(1966)(3)は”We can know more than we can tell.”と言葉で表すことができない認識の存在を指摘し,それをtacit knowledge(暗黙知)と名付けた.たとえば,盲人が初めて杖を使うとき,盲人は杖を握った掌や指先に衝撃を感じる.しかし,杖を使うことに慣れてくると,杖から伝わる衝撃は単なる手元の感触にすぎなくなり,盲人の意識や関心は,手元の感触から杖先の物体へのリアルな感覚へと移行していく.

Polanyiは,杖を握った手元の感触を暗黙知の近接項(proximal term),杖先から伝わる感覚を暗黙知の遠隔項(distal term)と呼び,それ自体では意味を持たない手元の感覚(proximal term)から,杖先の感触(distal term)へと意識を内在化(indwelling)していくとき,そこに暗黙知が存在するとした.

たとえば,日本では食事の際に,サービス提供者が絶妙のタイミングで熱燗の追加注文を聞くことがある.通常,熱燗は徳利で提供されるため,徳利を外から眺めただけでは酒の残量を確認することはできない.しかし,熟達したサービス提供者は「徳利を持ち上げたときに手に伝わる重さの感覚」(proximal)から,記憶の中にある「徳利に盃一杯程度の酒が残っていた時の重さの感覚」(distal)へと意識を内在化させていくことで,酒の残量を類推し,顧客に言われる前に「もう一本いかがですか」と気を利かすのである.

「徳利の重さから酒の残量を量る」という事象を認識し記述することは容易だ.だが,徳利に酒がどの程度残っているのかといった「重さの感覚」を,他者に具体的かつ正確に言葉だけで伝えることは難しい.つまり,徳利の重さから酒の残量を類推することは「言葉にできない知」であり,そこには暗黙知が存在していると言える.

近接項には遠隔項に隠された“意味”あるいは“目的”を助けるための複数の要素が絡みあっているが,実際には,近接項の「徳利の重さから酒の残量を量る」ことができたとしても,それだけで「顧客は追加注文を聞かれることを望んでいる」という潜在的顧客欲求を察知することは不可能である.暗黙知は二項条件のみで成立するのではなく,遠隔項の意味を理解するためには,近接項周辺にある複数の現象や行動を統合した上で,遠隔項へと潜入していくのが妥当だろう.「追加注文を聞く」か否かは,単に徳利の重さだけで決められるのではなく,料理と酒の相性や顧客の食べるスピード,顧客の懐具合といった複数の手がかりを統合し,推察,実行することによって判断される.

ちなみに,料理に先に箸をつけるのは上座客だが,最後に箸を置くのは下座客という決まり事がある.懐石料理など一品ずつ提供される料理では,下座客が上座客よりも早く食べ終えることは無礼な振る舞いとされる.つまり,食事全体のスピードをコントロールするのはあくまで上座客であり,サービス提供者は,上座客の動作やしぐさを読み取りながら絶妙のタイミングで料理を提供していくのである.

このように日本型サービスの特徴は,複数の要素を相互に連結させながら,阿吽の呼吸でサービスを提供していく点にある.

一方,暗黙知論には反論もあり,内在化あるいは潜入によって到達される遠隔項の範囲と潜入の拠点となる近接項の範囲がともに恣意的に限定されている,特定の経験的対象の意味が現象や行動への潜入によって遠隔項として理解されるとみなしているに過ぎないなどの問題点を指摘する研究者(倉島,2007)(4)もいる.しかし,暗黙知とは自身の経験や行動への潜入によって探索することが前提である以上,近接項や遠隔項の範囲が恣意的になることは当然のことである.むしろ対人サービスにおける暗黙知は,恣意的であるがゆえに暗黙知が特定の配慮とともに成立するともいえる.

3.2 援助行動と配慮行動の類似性

社会心理学の分野では,他者あるいは他集団に対し,外的報酬を求めず,コストをかけて自発的に行う行為を向社会的行動と呼ぶ.中でも困窮者を援助する目的で行われる行動は援助行動と呼ばれるが,サービス産業でもサービス提供者が通常の接客サービスとは別に,顧客を喜ばせたり満足させたりするためにとられる行動がある.筆者はこのような行動が,援助行動と類似性が高いことから独自に配慮行動(considerate behavior)と名付け,次のように定義した.配慮行動とは,”向社会的行動の一部であり,相手に肯定的感情を抱かせるために,コストを伴いながらも,外的報酬を求めず,積極的かつ自発的に行う行為”である(5).和語に言い換えれば,援助行動は「思いやり」であり配慮行動は「気配り」といえよう.

援助行動と配慮行動は,被行為者の感情状態あるいは予測可能な状況の変化によっても区別される.すでに援助行動については,患者のどのような態度が看護師の援助行動の障壁になるのかといった医療の臨床現場を調査対象とした研究結果(原ら:2005)(6)なども報告されている.看護師による援助行動の第一の目的は,援助を必要とする患者の気分をネガティブな状態から,平常状態に戻すことにある.当初,ネガティブな状態だった患者の気分は看護師の援助行動によって緩やかに上昇し続ける.しかし,患者が治療を終えて困窮状態から脱した時点で,患者は看護師からの特別な援助行動を望む必要がなくなり,援助行動を媒介とした両者の関係は消滅する.

これに対し,サービス産業で提供される配慮行動は,顧客の感情を肯定的状態へと導くことにある.レジャーや観光を目的に行動する顧客の感情状態は,配慮行動を受ける以前から平常もしくは軽い興奮状態にあり,顧客の感情は自分のために実行された配慮行動を認知するたびに向上し,高いレベルで良い気分が続く.このことは顧客のリピーター化を促し,両者の関係が長期に渡って継続されることを意味する.また,顧客が自身の予想範囲を超える配慮行動を享受した場合,平常状態にあった顧客の感情は,一瞬,驚きにより覚醒されるが,その後,強い感情はすぐに治まり気分は再び緩やかな上昇へと転じる.他方,当初はネガティブだった顧客の感情が,配慮行動を認知するにつれ,ポジティブな感情状態へと変化してゆく場合もある.援助行動は被行為者が困窮状態から解放されたときに消滅するのに対し,配慮行動は被行為者がその行為を再度受けたいと望む限り途切れることなく,再生産され続けると考えられる.

3.3 配慮行動からサービスへの知識変換

野中・竹内(1996)(7)は,暗黙知論を手がかりに,新たに形式的・論理的言語によって伝達できる知識の存在として「形式知」(explicit knowledge)の概念を示した.暗黙知と形式知は完全に別々のものではなく,相互補完性があり,両者の相互作用を通じて人間の知識は創造され拡大されるとした.この暗黙知と形式知が相互に循環しながら知識を創造していくことが「知識変換」(knowledge conversion)であり,個人の知識が社会の認識となっていく社会変換プロセスによって,暗黙知と形式知が質的にも量的にも増幅してゆくと主張した.野中・竹内は,知識が転移するためには4つの知識変換モードがあると指摘する.4つの変換モードとは,①個人の暗黙知からグループの暗黙知を創造する「共同化」(socialization),②暗黙知から形式知を創造する「表出化」(externalization),③個別の形式知から体系的な形式知を創造する「連結化」(combination),④形式知から暗黙知を創造する「内面化」(internalization)として示される.知識変換は,暗黙知から形式知化される過程に重点が置かれており,Polanyiが指摘する閾下知覚(subception)の暗黙知の存在については言及していない.暗黙知とは,個人に帰属する閾下知覚であるため,他者がその暗黙知自体を直接目視し,模倣することは不可能である.

しかし,暗黙知が行為者の言動や態度によって可視化されれば,暗黙知の知識転移は可能となる.サービス産業における個人的な知いわゆる配慮行動が,どのような過程を経て組織的な知いわば商品化されたサービスへと知識転移していくのかを「配慮行動進化モデルVersion3」(The Evolution Model of Considerate Behaviors in the Service Providing:Version3)として図1に示した.知識変換の概念を援用し考察する.

図1 サービスにおける配慮行動進化モデル(Version3)  福島(2011)(9)

4. 配慮行動進化モデル

4.1 配慮行動進化モデル

まず,熱燗の残量を類推するような配慮行動(CB)には言葉にできない知(暗黙知:tk)が内包されているが,この行為がサービス提供者によって顧客に対して行われた場合は,提供者個人への評価ではなく,商品化された,配慮行動を伴うサービス(S/CB)として認知される(福島:2010)(8).つまり,顧客はサービス提供者を「気が利く人」と評価はするものの,そのことを他者に話すときは「気が利く人がいる店」ではなく,「気が利く店」として組織体に対するサービス評価へと変化する.

次いで,進化段階1において他の複数のサービス提供者がこの行為に共感し,模倣した場合,配慮行動を伴うサービスは再生産され続け,やがて組織内では「暗黙の了解」として認知されていく.

知識転移に倣えば個人の暗黙知からグループの暗黙知を創造する「共同化」が生ずると考えられる.

進化段階2になると,配慮行動を伴うサービスは「表出化」,いわゆる形式知化(マニュアル化)され組織内における共通の知「標準化されたサービス」(S/GM)として認知される.さらに,進化段階3に入るとこれらの標準化されたサービス(S/GM1)を基盤とした新たな配慮行動(CB2)が誕生する.すなわち形式知から暗黙知が創造される「内面化」が起こり,この新たな配慮行動が,標準化されたサービスに付加されることでワンランク上の配慮行動を伴うサービス(S/GM1+CB2=S/CB2)が生成されるのである.

進化段階4になると,配慮行動を伴うサービス2(S/CB2)は再び形式知化を経て,さらに高い次元での標準化されたサービス2(S/GM2)へと進化する.この繰り返しが,サービスが高次化していくために不可欠なメカニズムであり,配慮行動が知識転移を繰り返すことで個人の配慮行動が組織として提供されるサービスへと進化していく過程である.このようにして生成されるサービスをハイコンテクストサービス(High-Context Service)と名付けた.また,ハイコンテクストサービスを構成する「配慮行動」,「配慮行動を伴うサービス」,「標準化されたサービス」の三要素は,サービスの提供順序や間,顧客の状況などによって複雑に連結し,変化し続けると考えられる.

4.2 規格型サービスへの分岐

図1の分岐段階1, 分岐段階2に示すように,ハイコンテクストサービスの進化段階から標準化されたサービスのみを分岐させたサービスを規格型サービス(Standardized Service)と名付けた.規格型サービスは,合理性や効率化,事業形態や企業戦略,サービス・コンセプトおよび人件費コストといった複数の要因をもとに,幹となる進化段階から標準化されたサービスを抽出することで構成される.このため規格型サービスは組織の意向が強く働くサービスといえよう.よって,規格型サービスを提供する従業員は,合理性や効率化に反するサービスを自由裁量で勝手に提供することは認められない.

分岐段階1の規格型サービスが,次段階の分岐段階2に進むためには,一旦,幹であるハイコンテクストサービスに戻り,進化段階3,進化段階4を経て,進化段階4から分岐する必要がある(図1:矢印a-1,a-2,a-3).ただし,組織によっては,接客を担当しない幹部社員が,分岐段階2のマニュアルを机上で作成し,トップダウンでサービス現場に導入する場合(図1:矢印b)もある.

この場合の従業員教育は,当人の力を伸ばすための教育というよりも,決められた手順を迅速かつ正確,丁寧に遂行するためのトレーニングに力点が置かれることが多い.しかし,高い次元の規格型サービスを繰り返し提供しているサービス提供者は,次第にサービスの意味を理解するようになり,異なった形式知(標準化されたサービス)同士を組み合わせて新たな形式知を作り出したり,標準化されたサービスから新しいサービスのヒントを見出したり,配慮行動を生み出し始める.

このことは,野中(1996)の知識変換論にならえば,前者は「連結化」,後者は「内面化」といえるだろう.ただし,規格型サービス内で生まれた配慮行動(図1:c)は,組織のルールとの整合性がない限り標準化されたサービスと連結することはない.

5. おわりに

東京五輪開催誘致におけるスピーチで一躍脚光を浴びた「OMOTENASHI」だが,日本の「おもてなし」と西欧の「ホスピタリティ」は,類似性はあるものの同義概念ではない.日本の「おもてなし」が世界的に注目される背景には,察しの文化といわれる日本人特有の深い洞察力と高い精神性に基づく接客スタイルがある.茶の湯から受け継いだ主客一体の世界観と礼儀正しさを融合した高額小規模旅館等で提供されるサービスは,まさに「OMOTENASHI」の王道と言えよう.しかし,本稿で提示した配慮行動から生成されるハイコンテクストサービスは,対人サービスを提供している組織であれば,業種や職種に関係なく適用できる汎用性の高い概念である.本研究が「OMOTENASHI」の世界発信の一助を担うことが出来れば幸甚である.

著者紹介

  • 福島 規子

2010年立教大学大学院観光学研究科修了,博士(観光学).九州国際大学国際関係学部教授.

平成24年度クール・ジャパン戦略推進事業(海外展開支援プロジェクト(中国における旅館サービス,食,工芸品分野))メンバー.サービスコンサルタントとして大分県由布院玉の湯,神奈川県石葉,福岡県茅乃舎などの高額小規模旅館やレストランのサービスオペレーションの構築,接客指導にあたる.

参考文献
 
© 2018 Society for Serviceology
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